引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

22.引き篭り師弟と、呼ばれた真名3

「ったく、ほいほい懐きやがって」
「ありゅじ、やきもちおやきぞ! ふぃーにす、やきもちわかったのじゃ!」

 嬉しそうに鳴いたフィーニス。師匠は気まずそうに首筋を?いちゃってます。フィーニスとフィーネが、てしてしと、私の肩でリズムをとるのでとっても心地よいです。
 目元の赤い師匠が、二人の小さな頭を撫でます。楽しそうなのが、首筋をくすぐる毛から伝わってきます。目を閉じると、まるで師匠がすぐ傍にいるみたい。間近にある熱。
 日常が戻ってきたようで。浮かんだ違和感が薄れていきます。
 けれど。ほっと撫でおろしたはずなのに、胸の奥にあるくすぶりは消えてくれませんでした。

――では――

 カローラさんのひと声で、あたりが光に包まれました。私自身は目をつむり、両手でフィーニスとフィーネの顔を覆います。きゅっと、手の甲に押し付けられた肉球。
 歌のような詠唱が聞こえ始めてから、しばらくして熱が鼻先をくすぐってきました。

「アニム、もう開けても大丈夫だ」
「おぉ。不思議空間、です!」
「あぁ。地下で発動したのと、同様の空間だ。発動場所は異なるが」

 随分前に感じられますが。メトゥスが襲撃してきた直後、師匠と一緒に行った宇宙空間みたいなところです。ふわふわと舞う魔法の光に、光った文字で形作られている魔法陣。身体が浮いているような、不思議な感覚がありますね。
 フィーニスとフィーネは、私の肩から飛び立ち、感動の声をあげてくるくる回っています。

「アニム、最初に謝っておく。過去の出来事を黙ってたこと。召喚のきっかけ。今から全部、話すよ。それで……今後に関して、オレたちは決断しなきゃいけない」
「あっ謝らなくて、いいよ! ししょーの口から、教えてくれる、なら!」

 謝るなんて言わないで。それじゃまるで、前置きして、今から突き落とすよって宣言しているようなもの。だから、決断の一言には、触れられませんでした。
 嫌だ、そんなの。
 掴んだ自分の両手は、とても冷たい。血が全部、凍っている。

「どこから話せばいいのか。ずっと考えてたのに、いざお前を前にすると、情けないくらい、頭の中が真っ白になっちまって」
――まずは、貴方がアニムの存在を知っていたのと、召喚術のことね。召喚の場面に関しては、私と一部を見ているわ――
「欠片はちょっと黙ってろって」

 師匠に恨めしそうに睨まれたカローラさんは、なぜかフィーニスの頭に降り立ちました。まるでしょんぼりしているかのように、しおれて見えます。
 フィーニスといえば、さっきまではあんなに怯えていたのにも関わらず、「元気だすのぞ」と上目で慰めてあげています。フィーネは、ちょいちょいと花びらの先を触ってる。
 いつもなら可愛いって騒ぐ光景にも、集中できません。

「オレは過去に『アニム』と出会ったのがきっかけで、百年間、結界を重ねながら次元を監視していた。はじめは興味本位に近かったんだと思う。『師匠』をまっすぐ好いている『アニム』、二人を、心のどこかで、羨ましいと感じてたのは否定できねぇ」

 師匠の言葉に、体の一番奥に薄氷がはっていくのがわかりました。でも、大丈夫。氷はアイスブルーだから、怖くない。
 解けることはないけれど。師匠はまっすぐ私を見てくれてるから、まだ氷は薄い。心臓はしっかり動いてる。

「けど……信じてもらえねぇかも知れないけれど。誓って、過去で会った『アニム』が欲しかったわけじゃない。オレたちが、あの二人みたいになるって期待してた訳じゃないんだ。オレはオレとして、お前に出会いたかった。時に、どきりとする出来事はあったけれど。それでも、お前と過ごしたかった」

 信じないなんて有り得ません。師匠の声が真実を語っているのは、充分伝わってきます。だてに二年間、ずっと過ごしてきたわけじゃない、時間を積み重ねてきたわけじゃない。
 でも、どうしてか、声が出てくれません。わからない。

「オレたちの現在が、必ずしも知っている過去になるとは限らない。時の流れはともかく、オレとお前が行き着く先を重ねたなんてのは、絶対ねぇ。だいたい、お前を前にして、そんな余裕なかったからな」
「う……そ、ばっかり。ししょーは、いつだって、余裕で、私、ばっかり、いっぱいいっぱい」
「あほ。オレは年齢もあるし、心内を隠すのが得意だから、鈍いお前が察せねぇのはわかるが。オレがどんだけ葛藤したり悶えてたりしたのか知ったら、お前、腰抜かすぞ。それだけ、オレはお前に虜になってた」

 師匠が頬を撫でてくれても、潤っていく瞳を堪えるのに精一杯です。
 嬉しいのに。かけてくれる言葉は、これ以上なく私の胸を満たしてくれるのに。微笑みを返せない。あぁ。いっそのこと、涙腺が凍ってくれればいいのに。
 目じりをあげて笑った師匠。凄んでいるようにも、悪戯を企んでるようにも見える笑みに、私の頬もわずかですがあがってくれました。冗談だとわかっていても、嬉しい。そうなら、とっても幸せだなって。
 奇妙に笑った私を前に、師匠はへの字口になりました。でも、いつもみたいに後ろに引いただけじゃなくて、瞳を揺らして。
 私が首を傾げると。師匠は視線を逸らし、小さく頭を振りました。
 師匠の眼差しが色を変え、再び口が開きます。

「本当は、最初から召喚するつもりじゃなかったんだ。魔法映像でお前を見つけて、接触をはかって、出会いたかっただけなんだよ。百年も次元監視して、それだけのつもりな訳あるかって疑われるかもしれないが。オレにとって次元監視は、いい暇つぶしになったし、知識欲も満たしてくれた。それに、メメント・モリに結界をはり復活させるって、それだけで意義があった」

 ふいに、師匠の視線がカローラさんに向きました。緊張した面持ちが、少しだけ柔らかい笑みを浮かべます。が、すぐさま、張り詰めたものに変わりました。
 師匠にとって、私を探すのは付加価値みたいなものだったのでしょうか。それでも、私にとって、そこは重要じゃない。出会えたんだもの。きっかけは何でアレ。

「お前に接触をはかった後については、たいして考えてなかった。オレがお前に惚れても、お前がオレに惚れてくれても、呼べばいい。……他の方法も、見つけてた」
「ウィータ」

 突然、空気を揺らした声。声というよりは、機械音声に近い音かもしれません。でも、私にはそれがセンさんのモノだとわかりました。無機質に感じられるけれど、咎める、鋭い声調でした。
 過去に来る前、壁に凭れて師匠を睨んでいたセンさんの姿が浮かんできます。なんとなく。他の方の姿も、蜃気楼みたいに見えた気がしました。

「今のは、センさん? ラスターさんも、ホーラさんも、ディーバさんも。ウーヌスさんも、いてくれるです? ルシオラも?」

 私の呼びかけに、返答はありません。それにまた、泣きそうになってしまいました。遠い。時間じゃなくて、大好きな人たちが、遠い。
 ぐしっと、崩れかけた目元を拭います。それでも、やっぱり、落ちていく熱は止められません。
 絞り出すような謝罪たちが聞こえたのは、きっと私の願望。自己防衛の幻聴だったんだ。
 目の下を滑る師匠の手を通り抜けていく涙に、ぎゅっと唇を噛みます。

「ただ異次元同士が交差したってだけでも、いいと思ってた。今思えば、異世界なんて考慮せず自分の気持ちばかりで傲慢《ごうまん》だった。それに、交差だけで満足できるって思ってた自分がバカみたいだ」
「ししょー」

 どう取ればいいのかな。惚れない訳なかったって解釈して良いのでしょうか。
 自嘲気味に呟かれた言葉に、今度は心が焦げていきます。
 がちがちに絡んだ指をゆっくり剥がしている間、師匠はじっと口を噤んでいてくれました。痺れて、がたがと左右に大きく震える手を、なんとか自分の頬に当てました。実体のない、師匠の手に溶け込ませるように。
 師匠が泣きそうに、くしゃりと笑ってくれました。

「お前も知っての通り、お前の故郷《せかい》を見つけたのは、古国が召喚に失敗異次元に飛んじまった召喚獣の回収依頼を受けた際だった。けれど、メトゥスに妨害されて、結局、あっちに被害を出してしまったんだ。その点に関しては、今も後悔しているし、詫びのしようもねぇ」
「うん。見た。でも、ししょーも、センさんも、一生懸命だった。ししょーが、平等に、考えてくれてたのも、ちゃんと、知ってる。ししょーには、関係なかった、世界に、心痛めてた。私、感じてた。ししょーが、心から、言ってるって」
「実際は、お前の故郷だったから、無意識に贔屓《ひいき》してたかもだけどな。ひどい魔法使いだぜ」

 へにゃりと眉を垂らして笑った師匠。
 ごめんなさい、私は嬉しいと思ってしまいました。顔に出ていたのか。師匠がわずかな時間だけ、額を合わせてくれました。
 擦り付けるような身の引き方に、うっとりと瞼が下りました。その拍子に、目じりの雫を弾いたまつげ。

「メトゥスの横槍で結界から逃げた召喚獣が力尽きて落下した先。たまたま、落下点にお前がいてさ。召喚獣の涙をもろに浴びてしまって。召喚獣の涙ってのは特殊なんだ。今詳細を説明する時間はねぇが、簡単に言ってしまえば次元の均衡《きんこう》を崩す効果がある。特にお前の故郷みたいに、魔法の法則外の魂や身体には全く影響がないか悪影響を及ぼすかのどちらかなんだ」

 過去の映像でセンさんがおっしゃっていました。確か、召喚獣の涙をもろに浴びてしまった私は、身体に召喚獣の涙が大量に入ってしまったから、どうのこうのって。
 過去を見た時は『アニムさん』の存在にばかり集中していました。でも、後々思い出して、なぜ涙を浴びたからって、こっちの世界に来ざるを得なかったんだろうって疑問は抱いていたので、よく覚えています。
 今の師匠の言葉もあわせると、私は悪影響を受けてしまったという意味なのでしょうね。

「挙げ句、崖が崩れて落ちるし、回収魔法陣と召喚獣の間に落下してくるしで……」

 師匠が深い息を吐き出します。切られた言葉の先、重い言葉がくる。空気で読めました。
 怖い、怖い。聞きたくない。記憶の片隅にある欠片が悲鳴をあげています。と同時に、夢の中で聞いた『ごめんなさい』が頭痛を誘うほど、鳴ります。やめて、謝ったりなんてしないで。
 だって、私は自分の気持ちしか鑑みてない! 私を育ててくれたお父さんやお母さん、大切な雪夜や華菜のことなんてちっとも考えず、師匠が好き、こっちが大事だからって、残りたいって思ってる! 私は、自己中心的な人間!
 猛烈な罪悪感が、ルシオラにもらった言葉を掻き消していきます。わかってるけど、どうしようもない。

「結局、二重の意味で『失敗』は防げなかったんだと知ったのは、お前がこっちに落ちてきてからだった。過去のオレは、お前が召喚術の失敗に巻き込まれたのは聞かされていたが、中身までは知らなかったんだ。それに、知りたいとも思っていなかった。でも、あれが失敗の真実だったなら、聞いておけばよかったって、心底後悔した」
「二重の、意味です? 私の、失敗と、召喚獣?」
「いや……お前にとったら、間違いなく、お前じゃない失敗に胸を痛める。けれど、オレはお前がそれを知って、離れていくのが怖かった。ひどい奴だって、罵られて嫌われるのが、どうしようもなく、怖かったんだ。なんで助けてくれなかったんだって。お前と一緒に過ごす時間が流れ、お前に惚れ込んでいくうちに、恐怖はましてさ」

 目をぎゅっと閉じた師匠は、全身が小刻みに震えているのが、はっきりとわかります。
 私は何も言えなくて。師匠が苦しそうにしているのに、大丈夫の一言もかけてあげられない。ソレくらい、こんな師匠を見るのは初めてで。どうしていいのか。
 怯えてる。いつも自信たっぷりで。怒ることはあっても、子どもみたいにただ怖いと口にする師匠、見たことない。私が死んでしまうかもと、叱られた時の恐怖とは違う、色。
 師匠に抱きついて、ただ頭を振ります。あぁ、どうしてこんな時に、師匠に触れられないんでしょう。口づけできないんでしょう。私が師匠を嫌悪するなんて、有り得ないよって髪を梳いてあげたい。それが、かなわない。

「オレは、アニムの大切なものを、奪った。それなのに、お前のためなんて顔をして――」
「ありゅじ、しょれはフィーニスたちが、あにみゅに伝えなきゃ駄目な真実なのじゃ」

 フィーニスの涙声が、突如師匠の声を遮りました。それまでじっと耳を傾けていたフィーニスの鋭い声に、二人の間に距離が生まれます。
 甘い音に、心の奥が凜と鳴りました。愛らしいけど、それだけじゃない。小さいけど、大きな命の真っ直ぐな煌き。
 隙間に滑り込むように入ってきたフィーニス。フィーニスに手をひかれているフィーネは、項垂れています。二人とも、耳がぺたんこで、毛が逆立っている。

「フィーニス。だが、お前たちが辛い思いすることはねぇんだよ。最初からオレがそうやって判断してれば、お前らが泣くこともなかったんだ」

 師匠の手が私から離れ、フィーニスたちに添えられました。
 遠くから、ラスターさんのすすり泣きが聞こえてきた気がします。それに、他の方たちの声も。フィーニスは力なく頭を振りました。



読んだよ


 





inserted by FC2 system