引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

幕間.始祖のみた夢

  だれでも知っているけれど、だれも知らない絵本の真相。

 あなたが知ったら、どう思うのだろう。どんな悲しみが世界を覆い尽くすのか。静かに眠る命をみて、人の性を知った欠片から伝わってきた。
 あの子が知ることのない過去だけれども、君が選ぶ未来に直結した、知りえぬ真実を。置きすえかえられた君は、どう感じるのだろうかと。愛する人を愛することが許されなかった世界を……。

****

 ごめんなさい。
 わたしは察してしまったの。全てを隠匿《いんとく》しておきながら、このタイミングでわたしに色をともらせた宝の気持ち。
 独りよがりな想いに、涙ながらに謝った。あなたはわたしなんて、どうでもよかったかもしれない。
 でもね。わたしにとって、あなたは全てだったの。大好きだった。触れているだけで、幸せだった。ううん、触れていなくても、あなたが笑い声をあげてくれているのを知るだけで、わたしは笑えたの。

 他に立てば、一部を隠されたり、秘密にしたりな話にこそ、真実がある。

 けれど、想いが止まらない。だれか、わたしを見つけて。あの人とわたしの物語をみつけて。わたしが、彼の傍にいるのを、許して。許されないと承知しながらも、わたしはあなたを想っていたかったの。世界に、貞淑な、謙虚な妻だって想われるより。醜く、あなただけを欲した女としてありたかった。

 でもね。わたしは、それは願っちゃいけなかった。だって、わたしは今から世界の礎になる。礎は個人の想いを、未来への願いを、抱いちゃいけない。個としてあっちゃいけない。
 彼が救おうとした世界を、わたしが代わりに――地上から助けられるんだもの。個人的な願いは捨てなきゃいけない。
 納得した振りをしながら、わたしは空に願う。
 お腹の子が世界でたったひとり、愛した人と添い遂げられますように。わたしが礎と同化しても、どれだけの歳月をかけても、いつか、この子が生まれてくれますようにって。世界の汚染を防ぐため、世界樹と同化するわたしの中にいるこの子は、普通の赤子のように今は、生れ落ちることはかなわない。
 でも、いつか。わたしが人でなくなっても、愛しい子が生を受けられますようにと、お腹を撫でる。わたしの気持ちが、遥か遠くの空にある、あなたに届きますようにと。
 この時のわたしには、宝の幸せを願う気持ちが、宝を苦しめることになるなんて思いもしなかった。わたしたちのようになりませんようにと、願っただけなのに。救いを願っただけだったのに。

 わたしが世界樹と同化したゆえに、この願いが宝を縛る関係を強いるなんて、思いもしなかった。わたしは母親として、宝が幸せになりますようにって祈っただけだったのに。わたしの願いは『呪縛』。そして『言霊』は『縛り』。
 しかも、わたしは夢うつつ。
 子どもを泣かせるなんて、親失格ね。

 今にして思えば、祈るよりも当てはめたという行為が正しいかもしれなかった。純粋に、あなたを想う気持ちを綴れればよかったのだ。あぁ。なんて独りよがり。

 流れる雫を誤魔化したくて、頭上の月を見上げた。あなたがいるはずの大きな月は、血の気なんてなくて。手を伸ばした先に触れる、体温などなかった。青白くて大きな顔。届かぬ、指先。
 あぁ、この薄い蒼――アイスブルーは、残酷な色《こころうち》。

 この世界で溢れる多くの欠片にまぎれる、創生物語。波にまぎれる、一時の願い。耳を撫でるのは、甘くて優しい音。諦め、眠りについたのに。
 わたしの願望を映した夢と言わんばかりに、甘い音が全身を揺らす。純粋で無垢な。己ではなく、他の幸せを願うが故の波音。
 これは夢なのかな。それとも、願望なのかな。
 たゆたう記憶が、微笑みに阻まれた、気がした。
 淡い夢の中に漂ってくる光があった。
 わたしでない名を呼ぶ、愛らしい声。彼女に寄り添う、甘い存在。そして――愛しい宝がある色。光に解けるそれらに、わたしはただ、微笑み返していた。

 お月さまの光、古代の魔法呼び出すのはね。古代の魔法使いしゃまたちが、お月さまいるからでちょ? 一番しゅごい古代の魔法使いしゃまは、お嫁しゃんとお別れして、お月さまに昇ったのでしゅ。他の魔法使いしゃまは、家族、いっちょだったのに。

 泣きたくなる優しい音で紡がれる過去。したったらずな調子に、心が揺れた。あぁ。わたしを見てくれる子がいる。わたしの寂しさに気がついてくれる無垢な存在がある。涙の代わりに舞う花びらが、今の『わたし』を取り囲んだ。遠くに鳴る、切ない音が次元を揺らす。
 夢うつつに聞く現在なのだろう。世界中で、寝所を震わせる昔話のように。
 今宵語られるのは、表に出ることのなかった、一組の夫婦の涙。重なる少女の頭上で零される言葉。わたしと同じ、異世界の香りを纏う魂たちの紡ぎ。
 
 世界の危機を救うとされ、実際成し遂げて見せた魔法使い。
 彼は元々とある王族の三男であった。たわいもない笑いが、冗談が好きだった、薬草を育てるのに夢中になっていた青年だったの。感情を表すのが得意じゃなくってね。でも。わたしは、そんな彼が好きだった。朝露に濡れる薬草を突っついて見せたら、淡く笑ってくれる彼が、大好きだったの。今日の朝げのスープは、私の世界のと似ているらしいのなんて呟けば、飲んだ瞬間に、わたしに目をあわせてくれた彼が愛しくてたまらなかった。
 世界有数の国家であれば三男といえども、政略結婚は常。国同士の繋がりを前提とした婚儀ありきだ。当然、彼も心を決め、ホシのためと心を決めていた。恋などとは幻想だ。稀代の魔法使いと称された彼は、より優秀な子孫を残すことだけを義務付けられたのを承知していた。

 けれど、わたしと彼は出会ってしまった。

 偶然、水晶の洞窟で出会った日から。二人は喧嘩を繰り返しながらも想いを重ねあった。本音を吐き出しあい、互いを知り、感じあった。最初は喧嘩友達に近かった。だが、逢瀬を重ねるごとに、主に、彼の欲情は積み重なった。肌に感じた。
 わたしは彼の婚約者とは言えども、特異性ばかりのものであった。なぜならば、わたしは異世界から召喚された、魔力の弱い者だったからだ。
 しかしながら、召喚事実の付加は高い。王族に召喚された者は、魔力の有無に関わらず、希少価値が高いとされる。実際とは別に。
 わたしは理解していたのだ。己には彼の業を背負う地位がないことも、公式に並ぶことが叶わぬことも。
 
 彼は世界の大半を束ねる国の三男。
 わたしは小国の召喚失敗によって保護された少女。

 呼ばれた世界よりも高位の魔法を取得していたわたしは、希少価値で言うなれば、王位継承者と同等だったのかもしれない。
 真実かは計れぬが、召喚された世界でも皇族であったわたし。
 ならば、いかにこの世界において低位の魔力でも、存在値から考えれば敬わずにはいられない。
 口が悪い彼と意地っ張りながら夜の穢れを知らなかったわたしは、必然のように魅かれあった。まるで互いの隙間を埋めるがごとく。いや、隙間など関係ないと、互いの存在を確かめるように心と肌を重ねあった。

「わたしで、よかったのですか?」
「君しか、ないよ」

 わたしにしてみれば、彼の前で初めて発する敬語だった。で、あるのに、眼前の青年はあっさりと応えてみせた。まるで、わたしの言葉使いなど関係なく、声色や態度だけを見ているかのように。
 眦《まなじり》にぷくっと涙が浮いた。
 かれの言葉は、わたしにとって生まれての初めての言葉と同時に、己の存在意義を照らす言霊だった。わたしの罪悪感と過去への後悔、全てを拭うほどには。
 かれが、そんなわたしの心理を理解していたのかといえば、否だ。彼は彼であって、わたしの胸の奥など知らなかったのだ。その点は、現在の『あの子』とは決定的な違いだ。あの子は己よりも、愛する少女の悲しみを知ろうとする子だ。
 けれど、かれはわたしを可能な限り愛してくれた。そう、可能な限り。
 きっと、かれはわたしが影で涙していたのを知らない。わたしも、悟らせないようとしていたから。それでも良かった。

 それから数年後、かれに密命が下った。
 国だけでなく、世界会議の結果であるとの、薄い藍色の文字を添えられて。

 世界を救うために、天照、月へと参ぜよ。希望の者は伴を許可す。ただし、耐性によって生死の保障はなし。幾人かの選別によって残れば幸い。

 わたしが腹の子の存在を告げられず、男性を見送ったのは、それから数ヶ月たった頃だった。もとより細身だった影響か、忙しくしていたかれに妊娠を悟られることはなかった。
 そして、どうしようもなく愛した男は、わたしを置いて空へと昇った。
 数ヵ月後だ。わたしは愛するわが子を産み落とすわずか二ヶ月前、、世界の贄《にえ》として、身を捧げた。大樹の栄養として。

 あぁ。今夜も、まどろむ意識に、愛らしい嘆きが交じってくる。

 お嫁しゃんだけ魔力弱かったから、いっちょ行けなかったの。だから、お月さま隠れてる新月っていうのはね、一番の魔法使いしゃまが、お嫁しゃんを想って泣いてる日 お月さまの光、古代の魔法呼び出すのはね。古代の魔法使いしゃまたちが、お月さまいるからでちょ? 一番しゅごい古代の魔法使いしゃまは、お嫁しゃんとお別れして、お月さまに昇ったのでしゅ。他の魔法使いしゃまは、家族、いっちょだったのに。一番の魔法使いしゃまのお嫁しゃんだけ魔力弱かったから、いっちょ行けなかったの。だから、お月さま隠れてる新月っていうのはね、一番の魔法使いしゃまが、お嫁しゃんを想って泣いてる日。

 甘い寂しげな音を拾った大樹《わたし》は、ひっそりと夜露を零した。
 己の芯を広い存在に、夢ながら浸ったのか。夢から覚めて、嘆いたのか。それは、わたしにの欠片にも、だれにも、わからなかった。

 


読んだよ


 





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