引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

22.引き篭り師弟と、呼ばれた真名2

「ししょー!」

 ウィータを透かせている師匠の姿に、足が動きません。声は叫びに近いものが出ているのに。いくら半透明とはいっても、手を伸ばせば消えてしまう気がして。
 半透明の師匠は、まだ詠唱途中のようです。魔法杖を両手で前に差し出し、目を伏せています。私の名前を呼んでくれていたのは、その合間だったみたい。
 早く、私をとらえて。アイスブルーの瞳に。
 私の姿は師匠の瞳に映っていないのかな。私からは見えているのに、師匠には認識されない。
 苦しい。悲しい。胸を裂く感情だけが、私の中にある。

「ししょぉ」

 暗い錯覚に陥って、ただただ、涙が溢れてきます。師匠への気持ちが、溢水《いっすい》してきます。
 師匠の奥で、ウィータが徐々に瞳を大きくしているのが、なんとなくわかりました。髪も短いし、ましてや自分の未来の姿を実際目の当たりにしているんですもんね。
 心内で、その人が、私の大好きな師匠だよって胸を張っても。現実世界で発声する余裕がないのが残念です。

「ありゅじぃー!」
「あるじちゃまぁ!」

 師匠が息を吐いて腕を下ろすのと。フィーニスとフィーネが叫ぶのとは、ほぼ同時でした。涙声で、上から師匠に突っ込む二人。
 真珠のような涙を降らせる二人が、ちっちゃな両手を前に伸ばしています。師匠の胸へ飛び込み――って、半透明なんだから、突き抜けないのかな?!

「フィーニス、フィーネ、待って!」

 止めつつ、私も踏み出していました。
 案の定、師匠の身体――というよりも『映像』をすり抜けてしまった二人。「うなっ?!」と驚きの声があがるものの、地面に激突する前にウィータが受け止めてくれていました。よかった! 魔法膜の上で跳ねる丸い身体に、安堵の息が漏れました。
 気が抜けてしまったからか。私の方が躓いて、豪快に転んでしまいましたよ。いてて。鼻が痛い。

「おい、大丈夫か――」
「アニム! 何やってんだよ、お前。顔、大丈夫かよ。こっちからじゃ、肌の細かい部分までは確認できねぇんだよな。傷、作ってねぇか?」

 ウィータの呼びかけに被ったのは、間違いなく師匠のモノでした。
 同じだけど、同じじゃない。ウィータよりも起伏がある声。ちょっと高めで呆れたような雰囲気。だけど、甘くて優しい心配なんです。
 ぼんやりとした熱が、髪に触れてきました。肌の重さじゃなくて、蒸気が集中して立ち込めているような、曖昧な感覚です。
 上半身を起こしますが、立ち上がるまではかないませんでした。師匠は私の前で片膝をつき、いつものように口をへの字にして頬を撫でてくれます。けれど、やはり吸い付いてくる感触ではありません。

「また、部分的、心配。お尻と、一緒」
「あほ。再会の第一声がそれかよ」

 私のぼやきに、肩を落とした師匠。
 あぁ、本物の師匠だ。途端、涙が零れてしまいました。ぼたぼたと頬どころかスカートに染みを広げていく涙を、止められるはずがありません。

「うっ、え。ししょー。ししょー、ししょ、ししょぉ。よかったぁ。もう、会えない、思ったのぉ」

 フィーネとフィーニスみたく、子どもよりも泣きじゃくって。ばかみたいに師匠って連呼して。別に今生の別れなんて憂いてなかったくせに、理性をよそに、嗚咽が飛び出てしまいます。
 安心したのと、どこかで抱いていた不安と。本当に過去に来てしまったんだって実感が急にわいてきちゃって。
 掴めないとは察知していても、つい両手を伸ばしてしまいます。

「うん、オレだよ。遅くなって悪かった。あの瞬間に、間に合わなくて。師匠――恋人なのにな」

 師匠のことだから、当然抱きしめられないなんて承知のはずです。にも関わらず、形だけでも、抱きしめてくれたんです。肩を、背中を。全身を撫でるぬくもりに、心が震えました。頭へ曖昧に感じる熱が、教えてくれます。師匠が、抱いてくれてるよって。
 私も、師匠の背中をがむしゃらに掴みました。仕草だけですけれど。
 ぼろぼろと流れ続ける涙もそのままに、大きく頭を振ります。

「ししょーは、ちゃんと、来てくれたもん。私が、ししょーって、心で、呼んだだけなのに。追いついて、くれた」

 首にかかる髪も喉をくすぐってはこないけれど。関係ない。だから殊更、目で捉える師匠の存在が、愛しいんです。声が、言葉が嬉しい。
 いっそのこと、師匠と溶け合えるんじゃないかっていう感覚に、埋もれてしまえそう。ずぶっと、師匠の肩口に身体を預けてます。
 と、心地よい侵食感にひたりかけていた頭上から、師匠の甘い声が降ってきました。

「ほら。顔、あげろって。オレが大好きな闇色の紫瞳と、笑顔を見せてくれよ」
「涙で、ぐちゃちゃだから、やだ。っていうか、色々、不意打ち! ししょーの、ばかぁ!」
「お前の顔が、見たいんだ。死ぬ気で頑張ったうえ、本音振り絞ったのに、褒美もなしか」

 ずるい。私が師匠のお願いを、拒否できないのを、充分に知ってるくせに。それでも尚、懇願の色に艶きを混ぜて耳元で囁くなんて。
 ごしごしと、袖で顔を拭って、ゆっくりと視線をあげます。半透明になっても綺麗なのは変わらない。アイスブルーの瞳が、確かに私を映してくれていました。引っ込めた涙が、また堰を切って溢れてきちゃいました。

「いつも擦るなって、言ってんだろうが。たく、涙のひとつも拭ってやれないなんてな。稀代の魔法使いが聞いて呆れる」
「じゃあ、瞼に、触って? ぼんやりな、感触でも、いいの。そしたら、擦るの、我慢できる」

 師匠の返答がくる前に、瞼を下ろしました。
 泣いた後、師匠が瞼に口づけしてくれるのが大好きで、いつの間にか、当たり前になってる。キス待ちみたいな顔になっていると思うので、早くお願いします。

「……ここで、かよ」
「だめ? 一瞬で、いいの。ふわっとで」

 怒ってるのではなく、照れてる声色だったので、ついねだってしまいました。師匠が本気で駄目っていう時は、ぴしゃりと話題を変えるから。
 次ぎ断られたら、諦めましょう。
 はぁと頭上で息を吐かれたので、そんな状況じゃないってお叱りでしょうね。了解です。

「しかたねぇな」
「ん。ありがと。涙、とまった」

 身を引こうとつま先に力を入れた瞬間。本当に、一瞬、柔らかさのない熱だけが瞼を撫でました。本当に触れたかはわからないけど。瞼を持ち上げた先には、耳を染めた師匠が胡坐をかいていたから。お願いをきいてくれたんだって、嬉しくなりました。
 にへらと笑ってしまいます。師匠には半目で睨まれました。なぜ。
 首を傾げると、師匠が溜め息混じりに後ろを指差しました。ものすっごく、眉間に皺を寄せて。

「うしろ?」
「あぁ、オレの後方よりも、お前の後ろ」

 はてと、振り返った先には、過去の皆さんたちが。
 はっ!! そうだった!! 詠唱に集中されてると思い込んでましたけど、中央にいたウィータやフィーニスたちが自由に動けるんだから、他の皆さんだって同様ですよね!
 それに、一箇所に集まった皆さんは、満面の笑みを浮かべていらっしゃいます。えぇ、それはもう、爽快で素敵な笑顔を。

「いやはや。まさか、早速お熱い、いちゃこらを拝見できるなんて、予想外なのですよぉ」
「ウィータちゃんが、アニムのこと本当に大好きなんだって、伝わってきたわ。幼馴染として、安心だわ」
「あぁぁ! あの! すみません、です! ししょーに、会えたら、すっかり、気が抜けて!」

 ぼんっと、全身から蒸気が飛び出てる! 間違いなく、今の私は!
 両手をばたばたさせて言い訳します。力の限り。ですが、センさんはにやにやと口を押さえました。ラスは震えている腕をしきりにさすっています。そこまで怯えなくても。
 じゃなくって!

「僕らにからかわれるの理解してるのに、応じたなんてさ。よっぽどアニムが可愛いんだろうね。いや、アニムのお願いもかわいかったけれど。恋ってのは、人を変えるね」
「えぇっと! フィーニス、フィーネ、こっちおいで! ウィータ、ありがと!」
「ふみゃ」

 人形さならがに、瞬きもしないで固まっているウィータ。ウィータに身体を掴れた状態で、もじもじしているフィーニスとフィーネ。
 三人には申し訳ない場面でした。はい、自分勝手だったとアニムは猛省いたします。
 特にウィータには、私の奇妙な顔がまる見えだったのでしょう。今のウィータにしたら爆発したくなるような師匠の行為だったことは、想像に難くありません。
 振り返った師匠の視線を受け、フィーニスたちはウィータの指をてしてしと叩きました。主が二人で、どう呼びかけていいのか混乱しているのが、伝わってきます。お口をぱくぱくさせて、お願いの眼差しですもん。

「フィーニスにフィーネも、治療はしてもらってるよな?」
「あい! あるじちゃまが、じゃにゃくて、こっちのあるじちゃまが、なおしてくれまちた!」
「なのぞ! ありゅじ、なくて? ありゅじはありゅじだけど、うなな」

 混乱する二人の言葉にはっとしたのか。ようやく視界を細めたウィータが、手を離しました。とたん、師匠の方へ飛んでくる二人。触れられないのは、さっきのでわかったようですが、師匠の頬に頬ずりしています。式神という繋がりがある分、私よりは感触があるのかも。
 師匠にいっぱい背中を撫でてもらって満足したのか、私の肩に乗ってきました。

「本当に、未来のウィータなんだな。確かに、毛がない」
「驚きだよ。一体、何を思って、そんな暴挙にでたのかな」

 復活したのか。ラスが師匠を指差して、今度は別の意味でぷるぷる震えてます。
 暴挙! 腕を組んで呆れたように笑ったセンさんに、ぎょっと背が伸びました。だれでにもなく、センさんがというのに改めて冷や汗が溢れてきます。

「違う、です! 物知らずだった、私が――」
「うっせぇよ。いい加減、長いのも面倒だったし、もっと早く短くすりゃあ良かったって後悔したくらいだぜ」

 私の声を遮った師匠。立ち上がった師匠は、ふんと可愛らしく鼻を鳴らしました。見上げた私の頭をぽんと軽く叩き、「ほれ、立てよ。持ち上げてやれねぇんだから」と困ったように笑ってくれました。

「未来のウィータと会話したなんて、僕、すごく感動しているよ」
「過去のセンも変わらず、人の話を聞きやしねぇ」

 不思議な光景にぼんやりしてしまいますね。
 ひらひらと舞いながら、カローラさんが降りてきました。ちょっとよろよろしているように思えます。力を使いすぎちゃったのでしょうか。

「つか、お前。やっぱ、言ったんだな、ソレ。たく、言葉の選択はどうなってんだ」
「先生は、ししょーと、センさん、だもん。って、じゃなくて、ししょー、やっぱりって、ししょーは、私が、過去来る、知ってたんだ、ね」

 掠れた語尾。ばくばくと心臓が激しく跳ね始めました。
 そうです。考えないようにしていたのですが、師匠と私の関係はここから始まったんだ。師匠は私じゃなくて、ウィータが欲したアニムを待っていたの? 時期って過去に来る頃合を示していたの? 私は、師匠の元に戻ってもいいの? 過去に飛ぶ直前、師匠が悩んでいたのはどうして? 私が選ぶって、どういう意味?
 聞きたい内容は山ほどあるはずなのに。声に出してしまったら、今までとは景色が変わってしまう気がして、たまらなく恐ろしい。ただの勘なのか、本当は私自身薄々検討がついているんじゃないのか。自分でも色んなことが、見えてきません。
 それに、なんだろう。この違和感。胸でくすぶる、いつもと違う感じ。

「……あぁ。全部、とまではいかねぇが、大体は知ってる。オレ自身が、経験した過去でもある」
「――っ! じゃあ、ししょーが……ししょーが、望んでいた、のは!」
「オレが知っている事実、それから――これからのことを、此処《ここ》で話そう」

 師匠の低い声が、淡々と耳に響いてきました。ウィータに似ているけれど、それよりもっと平淡な音。師匠の感情が見えない声色に、耳鳴りが起きます。また、ちくりと浮かんだ、奇妙な感じ。
 震えてくる指先。師匠の瞳の色に気がつきたくなくて、地面に視線を落としてしまいました。
 だって、師匠は『ここで』って言った。戻ってからじゃなくて、今ここで話そうって。師匠の体温も存在もあやふやな、ここで。

――こちらのウィータは、外側から不可侵と不可視の魔法を発動してちょうだい。過去の貴方たちは聞かないほうが良いわ――
「魔法の重複で次元を繋ぐ術が不安定になる。そっちの奴らには手間かけるが、発動時の詠唱と魔力の注入を頼む。話が終わり次第、お前らにも知らせる」
「えぇ。任せて」

 いち早く師匠に返事をしたのは、ディーバさんでした。他の方は、立ち込めた不穏な空気に、動きを止めていらっしゃいます。それが余計に、私の中にある危惧を肯定しているようで、ぐっと喉が詰まりました。
 師匠が私の横に移動してきたのに、どこか安心はしました。少なくとも、動揺した表情は見られないですむって。
 視線を上げた先にいたのは。カローラさんに頷き返し、踵を返したウィータでした。が、ウィータは次を踏み出しません。それどころか、再び魔法陣の内側へと身体を向け直します。そして、足を止めたのは、私の前でした。

「変な顔だな」
「ウィータ?」

 首を傾げると、むにっと頬を引っ張られました。やっぱ、痛い! 師匠より手加減がないんだから!
 しかも、反対側からフィーネが真似して、肉球で挟んできます。こっちは気持ち良いだけなので大歓迎なんですけどね!

「媒体《おまえ》が不安定になると、術が揺らぐぞ。未来に戻れなくなるかもな」
「ひょんと?! ふわ、どーひよう!」
「半分くらいは嘘だ。でも、アニム。戻りたいんなら、気をしっかり持ってろ」

 きょとんと、ウィータを見つめてしまいます。もしかしなくても、慰めてくれたのでしょう、か。湿ったままの視界に映るウィータは、すっかり無表情に戻っています。でも、頬を引く手つきは柔らかくなっています。
 そっと。ウィータの手に触れると、しっかりとした感触がありました。それに、ちょっとあったかく感じる。でも、一緒に浮かんできたのは、ちぐはぐという言葉。

「おい、いつまでオレのに触ってんだよ。とっとと、術をはれ」
「ウィータ、未来の君ってば、過去の自分にも妬いちゃうんだねぇ」
「うっせぇ! オレはオレで、こいつはこいつだ」

 師匠ってば。腕を叩き落とせないからって、私から透けてウィータの額に魔法杖をぐりぐりしないでください。心なしか、ウィータが痛そうに眉間に皺を寄せた気がしちゃいますよ。本人同士だから?
 でも、ウィータのおかげで妬いてくれた師匠が見れて。いつも通りの師匠に、ちょっとですが平静を取り戻せました。

「ありがと、ウィータ」

 私のお礼に言葉なく、ただ手を揺らしたウィータ。腕を組んで睨んでくる師匠。
 どちらもおかしくて、小さく笑ってしまいました。



読んだよ


 





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