引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

22.引き篭り師弟と、呼ばれた真名4

「ありゅじは悪いないのぞ。だって、ふぃーにすとふぃーねになる前の魂たちが、ありゅじにお願いしたのじゃ」
「けど、そもそもの原因を作ったのは、オレ――こっちの世界だった」
 
 大きな掌が、師匠の顔を覆います。
 フィーニスたちの前で、師匠がここまで動揺、いえ震えるのは初めてかもしれません。身のうちから溢れ出る感情。そんな、気がします。
 フィーニスは、ふにっと笑いました。ちょっと引きつってるけど、でも、必死に笑おうとしている姿に、痛む胸。

「ありゅじは、良いことばかりにゃいって、教えてくれたけど。それでも、魂たちは、かたちが変わっても、生きたいって、願ったのじゃ。生きたかったのぞ。ふぃーにすたちは、ありゅじの元で、生きたいって思ったのぞ」
「あい。消えかけてたふぃーねたちの前の魂は、あるじちゃまの心に触れて、いきちゃいってあがいちゃの。召喚獣ちゃの気持ちいっちょで、あにむちゃとあるじちゃまと、この世界で生きたいて」

 フィーニスは先ほどまでのか弱さとは打って変わり、凜とした声を響かせました。
 小さな体を半回転させ、私と師匠を交互に見上げてきます。フィーネは私に背を向けたままです。
 不透明な自分の気持ちを誤魔化して。フィーネの頭をなるべく静かに撫でます。びくりと跳ねましたが、尻尾は絡みついてきました。しゅるっと、すぐに離れちゃいましたけれど。

「ふぃーにすたちが、お願いしたのぞ。あにみゅの傍にいちゃいって、たしゅけてって。ありゅじが、ちゃんとあにみゅに話す言うた時に、ふぃーにすたちが伝えたいから待っててって、無理言ったのじゃ。じゃから、ふぃーにすたちが、あにみゅにごめんなさいしなきゃ、この先、一緒にいる資格、ないのぞって」
「ふぃーねは、いやぁ」

 ちらりと私を見たフィーネですが、さっと視線を逸らされてしまいました。珍しいです、こんなフィーネ。
 ぼろぼろと。落ちた涙が魔法陣にぶつかり、ガラスのように弾けました。雪の結晶のごとく、きらきらと光が舞っています。

「フィーネは、何が嫌なの? 何が、悲しいの?」
「ふぃーねは、いやでし。だっちぇ、ふぃーねたちは、あにむちゃから見たら、きっちょ、きたない子にゃの。ぐちゃぐちゃまざった、ないないな子でちもの」
「まだいっとるんかいな! だいたい、ふぃーねのが、あにみゅに内緒って約束したの、もらしとったのじゃ!」

 聞き覚えのある、フィーニスの言葉。
 私がフィーネを汚いって思う? いらないって?
 フィーネもフィーニスも、いつだって純粋で一生懸命で、可愛くて。怒ったり泣いたり、真っ直ぐに出る感情に、いつも救われていました。有り得ない。二人を嫌うなんて、絶対にない。
 二人の上で回転しているカローラさんを、師匠が自分の頭の方へ寄せます。

「前は、あにむちゃと楽しくおはにゃししたいってだけ、思ってちゃの。でも、ふぃーね、おっきくなるにつれて、もしかちて、ふぃーねたちの正体しっちゃら、あにむちゃはお月さまに、帰っちゃうかもって、気づいちゃったのでしゅ」

 私と師匠が、お互いを好きになるごとに、『怖い』が増えたように。不安が増していったように。フィーネたちも、私を好きになるほどに、苦しくなったのでしょうか。
 だれかを好きになると、単純に物事を考えられなくなる。
 大好きになったら、その気持ちだけで、突き進めればどんなにいいのでしょう。でも、一筋縄じゃいかなくなる。周囲、将来、相手のこと。そして、大好きな人だからこそ、嫌われたくないって臆病になる。想いや考えを伝えるのが、辛い。たくさん考えなきゃいけないことが生まれてきてしまう。
 私も、ただ師匠を好きでいられれば良かった。なのに、好きが増すたび、知りたくなかった醜い感情が広がっていく。今もまさに、その状態です。
 でも、私は、フィーニスやフィーネが話してくれた内容をちゃなんと受け止めたい。ちゃんと受け入れて、師匠がたった一言、この世界に残ってくれって告げてくれたなら、私は迷いなく頷ける。

「わかった。どの道、時間や次元を越える術を発動させるには、もう一段階準備が必要だ。欠片、過去《そっち》が例の満月になるのは、何日後だ?」
――七日後よ――
「そうか。そこも、変わらないんだな。七日後、それまでに話してくれ。フィーニス、フィーネ。約束な?」

 二人に語りかける師匠は、とても優しい。愛しさが込められた声色が、広がっています。
 ぐしぐしと鼻をすするフィーネを抱きしめていたフィーニスが、こくんと頷きました。フィーネはそんなフィーニスを、てしてしと叩いています。

「お前は、最後の日までに決めてくれ」
「きめ……る? なっなにを? 私は、フィーニスたちの、お話が、どんなでも、ふたり大好きだし、私は――!」

 はっと。さっきから感じていた違和感の正体に気付いてしまいました。
 一度だった。たった一回だった。
 過去と未来が繋がってから、師匠が私を『アニム』と呼んでくれたのは。ずっと、私を『お前』って言ってた。ウィータが『アニム』って呼んでくれたのを、ちぐはぐって思ったのは、これ。

「な、んで?」

 師匠はいつだって、私の名前を呼んでくれた。他の人に呼びかけすぎだって呆れられるくらいに。
 名前は人を縛る言霊だからって。特に私は、この世界の存在値として固める言霊だからって。二人っきりで名前なんて呼ばなくても、だれに話しかけてるのかわかる時でさえ、『アニム』って口にしてくれてた。私は、それが嬉しくて、師匠が呼んでくれる『アニム』って名前が大好きになった。
 なのに、師匠は、さっきから私のこと『お前』としか口にしてくれていない。それは、つまり。

「や……やだ。ししょ、言ってよ。私は、ししょーが、たった一言、残れって、帰るなって、引きとめてくれたら。私は! ねぇ、お願い、私を、アニムって、呼んでよ! なんか、人事、みたい。決めて、おいて、くれって!」
「それじゃ、駄目なんだ。お前が自分で考えて、自分の意思で決めないと。お前の、言霊で形にしないと、始祖は認めない」
「駄目って、なに?! 私は、絶対、後悔なんて、しないし、私も、ずっと残ろうって、決めてた! 始祖さんが、認めるとか、関係ないよ! 私と、ししょーの、問題なのに! なんで、始祖さんなの?!」

 叫びすぎて、喉が痛い。わけがわからなくて、心が軋む。
 肩で息するほど叫んでも、師匠から撤回の言葉は出てきません。ただ、苦しそうに笑うだけ。ずるい、そんな顔、卑怯です。私が子どもで、師匠の気持ちを読めないのが悪いのでしょうか。師匠はいつだって隣にいてくれた。そりゃ、年齢差どころか稀代の魔法使いの師匠から見たら、私なんて……。でも、師匠は私に普通は抱いてもおかしくない劣等感なんて抱かせないくらい近くにいてくれた。
 なのに、今、師匠がとっても遠い。触れないのは夢の中でも同じだったけれど。そうじゃなくて、心が遠い。

「ごめん。オレが始祖の宝だから。もし、オレが単なる魔法使い《にんげん》だったなら、お前を惑わすこともなく、ただ好きだと囁いて、オレの世界に閉じ込めておけたかもしれないのにな。オレは始祖の宝で、不老不死で。なのに、欲しちゃいけなかったお前を欲しいって願ってしまった、ただの愚かな男なんだ。でも、だからこそ、お前と出会えたんだって思うから」

 全然わからない。師匠が言いたい裏が。
 師匠は私が嫌いになったのかな。師匠は優しいから怒らなかったけど、暴走して、考えたずな私に、愛想をつかしちゃったのかもしれない。

「ごめんな、さい。ごめんなさい、ごめんなさい」
「――っ! なんで、お前が謝るんだよ」
「だって。だって、私」

 ふっと膝から力が抜けていきました。
 へたりこんだ私に触れてくれたのは、甘い香り。フィーネとフィーニスが、首にしがみついてくれていました。あったかい。柔らかくて、優しくて、どこまでも私を甘やかしてくれる。
 私とフィーニスたちの涙が混ざって、とても熱い。

「……ししょーは、私のこと、いらなく、ない、の?」
「当たり前だ。オレはお前しかいらない。お前だけを愛してる。どんな次元探したって、お前以上魅かれる女はいないって断言できる」

 普段は怖くて聞けないことが、驚くくらいすんなりと出てきました。
 後悔する隙もなく、師匠は気持ちをくれる。じゃあ、どうして、たった一言をくれないの。名前を声に乗せてくれないの?
 私はなんて自分勝手なんでしょう。欲しい言葉を師匠が迷いなく発してくれたのに、余計に悲しい熱が頬を伝う。とまらない。苦しみばかりが、溢れてくる。
 逃げるように座り込んでも、師匠は目線を合わせてくれるのに。

「だったら、アニムって、呼んで。私、ししょーが、アニムって、呼びかけてくれるの、大好きなの。勇気が、わくの。ちゃんと、教えて。なんで、ししょーが、始祖さんの宝だと、私に、残れって、言っちゃ、いけないの?」
「お前は、オレが乞えば、きっと全部受け入れてくれる。でも、それじゃいつか後悔する日がくる。それに、オレを受け入れるってことは、さっき言ったように、ただ愛するって意味じゃないんだ。お前の言霊で、答えを紡がないと、存在は許されない」
「わかんない! それじゃ、わかんないよ!」

 ただ師匠を好きっていう気持ちだけじゃ、足りないのでしょうか。じゃあ、他に何が必要なの。わからない。思考回路が壊れてる。
 私が残って後悔する要因て、なに? それに検討をつけないと駄目ってこと?
 頭の中がハテナだらけです。師匠が言葉をくれる今でもわからないのに、たった一週間で答えに辿り着けるはずないじゃない。
 それでも、師匠はただじっと私を見つめてくるだけです。瞳に熱はあるのに、師匠の気持ちが見つからない。空にある星みたいに、綺麗なのに、見つけたい輝きには辿り着けない。

「もう、いいよ! ししょーは、私に、わかって欲しいって、思って、ないんだ! 私は、ししょーが、大好きなのに、どうしようもなく、好きで、ししょーが、いたから、この世界で、生きてこれたのに! でも、ししょーは、違うんでしょ! 私は、ただの人間で……ししょーと、私は、違う!」

 聞きたくない。もう、これ以上、師匠の言葉を聞いて、突き放されるのが怖い。ううん。師匠が一生懸命なのは伝わってくるの。でも、私は理解出来なくて、そんな私は師匠の傍にいる資格がないって言われてるようで、怖いんです。
 自分が自分を拒否したら、そこで終わりだって、頭ではわかってるのに。感情が止まらない。逃げ出したいのに、腰が抜けて。
 顔を覆って、全てから目を逸らす。フィーネとフィーニスが、みゅうと鳴きながら身を擦り付けてくれるのはわかるけれど、笑顔を返せない。

「聞いてくれ」
「やだ、やだ! 私、これ以上、聞きたくない!」

 ひどいよ。師匠は、私が帰っても仕方がないなって笑うんでしょ。消えていなくなるのが、前提だった恋だったのでしょう?
 私を帰す術を探してたのは知っていたし、教えてもらってました。でも、ルシオラと話をして、拗ねてないで私のために動いてくれているのを感謝しようって思い直しました。でも、それも、的外れだったんだ。

「最後に、手放すの前提だったなら、私、こんな感情、最初から、いらなかった! あんなに、甘い時間、くれたのも、ししょーとったら、単なる、思い出つくり、だったの?!」
「違う! 手放すのを考えて、お前を好きになったんじゃない! 気がついたら、どんどん、魅かれていて、どうしようもなくて! オレはお前を好きになって、好きになってもらえて、幸せなんだ。けど……!」
「ちがくないよ! ししょーは、私が、いなくても、平気なんだ!」

 いらなかった、こんな焦がれる想い。
 好きにならなければ、離れるのだって辛くなかったのに。こんなに好きにしてくれなければ、残りたいなんて考えなかったのに。どうして、私を好きにさせたの。どうして、私の想いを拒否してくれなかったの。こんな選択をする日がくるってわかってたくせに。
 なんで、あんなに貴方を好きになるっていう幸せを、私の中に生み出したの!
 苦しいけど、好きだった。好きで、嬉しかった。楽しかった。続くはずのない日を永遠だと思っていたのは私だけだったんだ。
 違う、ちゃんと、わかってる。
 わかってなかったのは、私だけ。
 気がついた瞬間、消えたくなりました。舞い上がってたのは、私だけだった。皆、思ってたんだ。私が『恋に恋してる』だけだって。本質が、ちっとも見えてないって。

「だったら! ししょーが、好きなんて、気持ち、全部、消してよ! ししょーに、突き放されるんだったら、私を、今すぐ、元の世界に――」


「アメノ」


 呼吸が止まりました。
 手の甲に走ったちっちゃな爪の痛みより、静かに紡がれた音に。
 怒気を含んでいるのに、縋りつくような言霊。まるで私を縛り付ける呪文だと感じてしまいました。刺すようなのに、嬉しい。幸せなのに、聞きたくなかった言霊が耳を鳴らす。
 胸を突き破って弾けそうな心臓。痺れて感覚のない、全身。それなのに、振動している四肢。

「ど、して」

 師匠の横で、カローラさんが花びらの身を煌かしています。綺麗なのに、瞳が乾いていく圧迫感を纏っています。
 師匠はそんなカローラさんを手で払い。しっかりと私を見据えました。

「雨乃《あめの》、聞いてくれ」

 今度は、明確に紡がれました。大好きな師匠の声が紡いだのは、間違いなく名前。私が生まれた世界で貰った、真名です。
 ぼやけた視界に映ったのは、揺らめく炎でした。師匠の手元にある紙が、ぼっと青い炎に包まれています。
 あぁ、あれは見覚えがある。召喚されてすぐ、書かれされた、真名を記した封印の書。私の存在を、この世界に留めるための――元の世界から切り離すための魔法書です。
 震えるまつげ。深呼吸しようと吸い込んだ息に、むせてしまいました。痛い。頭も胸も、耳も。私っていう存在が、痛みに叫んでる。

「雨乃」


 白藤雨乃《しらふじあめの》。
 私の真名。


 大好きな両親から貰った、大切な名前。二十年間、呼ばれ続けた私の名前です。
 雨なんてうっとおしいだけだって、子どものころからからかわれても。たまに遭遇するからましなんだよなって、合コンのネタにされても、平気だった。
 千紗も亜紀も庇ってくれた。幼馴染の千紗なんて、幼稚園のころ、泣きじゃくっている私を見て、男の子と泥まみれになって喧嘩してくれたっけ。

「どう、して。あんなに、真名は、口に、するなって、注意、してた、のに」
「呼びたくて、呼びたくなくて。でも、オレは、お前が教えてくれた真名の響きが愛おしかった。雨が紡ぎだす全てが、好きだった。だから、水晶の森はいつも……」

 答えになってないよ、師匠。
 両親が雨は恵みなんだよって慈しんでくれたから、雪夜や華菜も雨があるから雪も花も、自然全部が喜ぶんだよって笑ってくれたから。
 なにより、師匠が雨の温度も織り成す音も心地よいって降らせてくれてから、フィーニスとフィーネが雨さんは気持ちよくって大好きって一緒に濡れてくれたから……!

「それでも、ししょーにだけは、よんで、ほしく、なかった!」

 でも、一番大好きな男性には、呼ばれたくなった。金庫の中にあった辞書に挟まれていた紙に記されていた文字。そう、文字だった。文字でも、怖かった。
 だって、私の真名が大好きな人の声で呼ばれるのは、貴方《こ》の世界から切り離されるのと同意義だと、察していたから。
 お願い。私をアニムって呼んで。たった一度でもいいの。師匠の声で、アニムって呼びかけて、ばかアニム、とっとと帰って来いよって笑いかけて。それを、許して。
 音にしても決して叶えられることのない願いを、私はただ、繰り返していました。名前も知らない、この世界の神様《しそ》に向けて。

「雨乃、お前の真名を返すよ」

 残酷なまでに透き通った音が、空気を揺らします。
 あぁ。私の願いは独りよがりなのだ。身勝手な涙だけが、流れ続けていました。



読んだよ


 





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