引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

9.魔法がない世界の住人と、引き篭り魔法使いの事情2


 過去の師匠とセンさんを前にして、手の震えが止まりません。自分が知らない二人に会話。それを見ようとしている。罪悪感と好奇心が入り混じって、心臓が張り裂けそうです。
 深呼吸と瞬きを繰り返します。気を逸らすために、周囲に気を向けましょう。
 ぐるりと見渡すと、魔法一色の光景に圧倒されてしまいました。様々な種類の魔方陣が幾つも漂い、蛍のような光が生まれては弾けています。そのおかげで、視界は割と良好です。
 仰け反ってみると、水晶の空がありました。魔法陣の煌きを反射して、まるで星空のようです。とっても綺麗。まるでプラネタリウムにいるようですね。アラケルさんとの対戦時に見たアルス・マグナ――偉大なる術――に似た魔法陣が、わずかに空気を振動させてもいます。

――アニム。どうか、心を強く持ってね――

 カローラさんが、噛み締めるように語りかけてきました。
 どういう意味でしょうか。家族との別離を見るのが辛い、という気遣いとは……また違う気がしました。私を思ってという気持ちは感じられたのですが、それよりもカローラさん自身が怯えていると思えたんです。
 もう一度、深く息を吸い込みます。
 冷え込んだ空気が、指の先まで行き渡った気がしました。とても澄んでいて、美味しい空気です。ほぅと、吐いた息は白い綿毛になりました。
 
「水晶の森、どこか、かな? って、あれ?」

 世界が変わった影響でしょうか。私は片言に戻っていました。切替えが早い自分の脳に、ちょっとばかり笑ってしまいますね。
 円状の広間を、水晶の樹や塊が取り囲んでいます。目を凝らすと、そこには小さな魔法陣が描かれていました。やはり水晶で作られている地面には、一際大きな魔法陣が浮き上がっています。七色の光が波打っていて、不思議と心が落ち着きました。
 師匠とセンさんは、その魔法陣の中心部に立っています。

「そっか! ここ、私、召喚された時、落ちた場所!」

 掌を打つ音をかき消すくらい、遠慮のない声が飛び出しました。師匠に聞こえていたら、耳を塞ぎながら睨まれそうな音量です。
 大急ぎで口を覆いますが、当然のことながら、過去の師匠やセンさんは反応しませんでした。ほっとする反面、ちょっとだけ切なくなってしまいます。
 こみ上げてきた感情を誤魔化すため、もう一度、上空を見つめます。

「落ちた時、上からだった。それに、散々動揺したあと、気絶した。だから、すぐわからなかった」

 私の残念な記憶力のせいで、ぱっと思い出せなかったんじゃないですよ? だれにするでもなく、言い訳がましく頷きます。

――此処は、普段『あの子』以外立ち入らない場所なのよね。わたしたちでさえ、いい顔はされないわ――

 カローラさんの言う通りです。私は、広い森の中で、此処がどこに位置するのかも知りません。
 召喚されてからしばらく、私は水晶の森から出られませんでした。私が拗ねる度、師匠は地図を見せて色々話してくれました。まぁ、それも言語学習の一貫だったんですけど。
 私は純粋な好奇心から、召喚された時に見た場所を尋ねたことがありました。けれど、なんだかんだとはぐらかされて、教えてもらえなかったんですよね。
 首を傾げてみても、カローラさんは口を噤んだままです。

「それにしても、凄い光景。洞窟の中、みたい。上も、水晶塞がれてる」

 師匠とセンさんの周りには、魔法映像が幾つも発動されています。目まぐるしい勢いで、映像が切り替わっています。本当に目眩がしました。目に悪いですよ、これ。

『容易じゃないだなんて、稀代の大魔法使いウィータの言葉とは思えないね』

 センさんは苦笑して、わざとらしく肩を竦めました。一見すると刺のある物言いですが、センさんの独特な柔らかい声の効果か、イヤミには聞こえません。
 師匠の前に回り込んでみましょうか。
 魔法映像を挟んでみた師匠は、瞼を半分落とした眠たそうな目のままです。特に表情は変わりません。

『うっせぇな。文句があんなら、依頼突き返しても良いんだぜ? オレは信用問題とか契約関係とか、無縁な生活だからな』

 私が知っている師匠の声よりも、どこか淡々とした調子です。ぶっきらぼうな口調は変わりません。突き放している訳ではないんですけど、どこか冷たく感じられます。
 センさんも気にした様子がないので、これが通常だったのでしょう。思い起こせば、確かに、出会ったばかりの師匠はあまり感情豊かではなかったかな。

『意地悪言わないでよ、ウィータ。僕だって、かの有名な古代魔術王国の某有名大召喚師が失敗した後始末、本当は受けたくなかったんだから』
『よっぽど、報酬が魅力的だったのか? そういや、まだ内容聞いてなかったな』

 凡人な私は、次元を越えるほど大変な仕事、真っ先に報酬が気になりますよ。まぁ、師匠曰く、むこう百年以上は生活に困らない蓄えがあるらしいんですけど。結界の中に金山でもあるんでしょうか。それに、気ままに請け負う依頼も一回ごとに、依頼主側が勝手に高額設定してくるらしいので、興味は薄いのかもしれませんね。
 それに、私と生活を始める前は、魔法書や魔法道具以外への物欲や執着心は薄かったと聞いています。まさに仙人ですね。

『当然だけど、秘密厳守の口止め料も含めて、前金でこれくらいは貰ってるよ。成功報酬が、これくらいかな。あと、ウィータが興味持っていた禁書も、条件に入れておいたよ』

 センさんが指を使って師匠に金額を示しました。って!! めちゃくちゃ凄い額じゃないですか! 私が知る範囲では、お城どころか小さな国がひとつ買えてしまう金額かと。
 一般人な私には、全く実感がわきません。そもそも、森の外に出て、自分でお買い物する機会がありませんしね。お城や国という計算も、あくまでもお勉強で習っている近隣諸国の物価基準です。
 師匠は金額には全く関心を抱かなかったようですが、禁書という言葉には眉を動かしました。

『ったく、最初から押し付ける気満々で引受けたんじゃねぇか。大体、召喚関連ならホーラに頼めば良かっただろ。オレが百年間結界内を浄化しながら、森に魔力を溜め込んでる目的、お前も知ってるだろうが。無駄遣いさせんなっつーの』

 初耳、な気がします。私たちが住んでいる森は、師匠が長年掛かって作り上げた特殊な空間だっていうのは、以前センさんにも伺いました。
 けれど、今の言い方だと、引き篭るために作り上げたんじゃなくて、森に魔力を溜め込むために、引き篭っているってことですよね? ということは、師匠が百年引き篭っている理由って、凄く深いのでは。
 心臓が飛び出してきそうなくらい、鼓動が激しくなっていきます。師匠に近づける。
 そう言えば、最近、センさんがおっしゃっていましたね。師匠が引き篭っているのは執念だと。

「ししょー、何に執念持ってるか、知りたい」

 本人から直接聞くのではない状況に引け目はあります。ですが、それを押しのける勢いで、師匠の深い部分を知れる期待が膨らんでいきます。
 師匠は杖を軽く振ると、宙に腰掛けました。空気椅子ではないようです。透明に近いですが、良く見るとボックス状の椅子が現れていました。やっぱりお年寄りには立ちっぱなしってしんどいのですね。
 あっ、でもセンさんも腰を下ろしました。うん、疲れますよね。

『ホーラは弟子のカエルラと、違う依頼を幾つも請け負っているんだよ。それに、ホーラは『自分のケツは自分で拭きやがれ、なのですよ』って笑っていたよ。相当、疲れてるみたいで、目の下に濃い隈を作って薄ら笑い浮かべていたよ。まぁ、冗談だろうけれど……半分くらいは』

 あの愛らしいホーラさんが薄ら笑いを浮かべるなんて。どれだけ修羅場だったんでしょう。見た目年齢幼女なホーラさんが、目の下に隈を作っている姿なんて、想像するだけで胸が痛みます。
 師匠の脳裏には浮かんだようで、「あーなるほど」と平坦だった声に哀れみが含まれました。半目がさらに細っていきます。

『そもそも、異次元に飛ばしてしまった召喚獣の後処理は、百年間、この世界に近づいてくる異次元を監視し続けているウィータの方が、適任だろう?』
『接触する次元が一つとは限んねぇんだぞ……探しモノを見逃すなんて自体になったら、依頼元の国をぶっ壊すくらいじゃ、すまねぇぞ。保管している古代魔法全部奪って、次元引き戻す養分にしても足りねぇ』

 うわぁ、今まで見た中で一番の最強悪人面です! 不機嫌を隠しもせず、殺意を放っています! そして、さすがです。師匠の全身を電気の帯びが、ぱちぱちと音をたてながら渦巻いています。久しぶりに見た、中二病的怒り表現。しかも、国を滅ぼしちゃう発言しちゃうレベル。
 うん、私ってば、すっかり平常運転に戻っていますね。健全な作用ではなく、ただの現実逃避なのも、自覚はありますけれど。今は流れる時間に身を任せるのに甘んじてしまいます。

『そんなことしたら、古代魔法の存在自体消えちゃうだろうね。中には存在自体が、世界の魔法均等を保っている術もあるだろうし、世界のバランスが崩れちゃうかもねーまぁ、壊せる人間なんていないだろうけれど』

 センさんは、降参と言わんばかりに、両手を肩のあたりに掲げています。飛んでくる電気を受けながらも、何故か素敵な笑顔です。センさんの師匠に対する態度は、昔も今も変わらないんですね。
 魔方陣が多数浮かび上がっている神秘的な雰囲気もなんのその、相変わらずのほほんとしています。

「じゃなくて! ししょー『探し物』見つけるため、引き篭ってる? しかも、国どうにかしちゃう、レベル、大切な物?」

 すっかり空気になっているカローラさんに問いかけます。
 カローラさんが眩しい光を放ちました。まさかの本日二回目の発光具合です。目が痛いです。思わず体を折ってしまいました。
 けれど、今度はカローラさんてば、愉快そうに笑っているだけです。決してバカにされた笑いではなく、嬉しそうな笑いです。センさんみたいにお腹を抱えて笑っている姿が連想されました。
 カローラさんてば笑い転げているだけです。全然質問に答えてくれる気はないようです。

『知ったこっちゃねぇよ。オレ自身こんな身だし、別段、生に執着もねぇしな』

 師匠は気怠そうに、魔法映像の一つに手を翳しました。ですが、すぐに払い除けます。スマホの画面みたいですね。面白い。
 師匠の様子からして、本当に生きるとか死ぬとかどうでも良さそうです。あれ、でもこの間、生きてる感じがするって言ってなかったかな。っていうか、いつ聞いたんだっけ。夢の中?
 私、最近忘れっぽくないですかね。それとも、夢と現実の区別がつかなくなってるのでしょうか。それはもっと嫌です。

『ウィータが本気っていうのは、もちろん理解しているけれどさ。でも、取り敢えず生きていないと、ウィータの百年来(ひゃくねんらい)の願いは叶わないんじゃないかなぁ。というか、まだ迷っているのかい? 願いが叶う場面に直面した時、どちらにするか』

 師匠の願い、ですか。百年来ってことは、先程言っていた、引き篭っている理由と繋がっているのでしょうか。迷っているって、願いを叶えるかどうかという意味ですよね。百年もかけた願い事を叶えないという選択なんて、有り得るの?
 具体性がない会話な上、今まで聞いたことのない話で、全てが謎です。
 確かに、師匠の願いとか希望って、私から尋ねた記憶は、ほとんどありませんでした。希望の献立には応えていました。けれど、自分から言うのと、引き出してもらうのとでは、やはり違いますよね。

「そういえば、ししょー。アラケルさん勝負した時、お願いなんでも聞いて、くれるか、言ってた。私、甘えてばかり。ししょーの気持ち、考えてなかった」

 思い返せば、私はいつも師匠に甘えてばかりです。
 駄目ですね。一度落ち込むと、悪い方にばかり思考が向きます。

――あら。わたしたちからしてみると、『あの子』、青天の霹靂(へきれき)という程、アニムに依存しているわよ? 『知識』として人間の感情を持っているだけのわたしたちでも、あんなに表情豊か、というよりも人間らしくあるのは、何時振りかしらというくらい――

 師匠が私に依存している? カローラさんの言葉に、一瞬かっと体の熱が上がります。が、すぐ冷静になります。師匠が私に依存している、それはないと思います。
 間違いなく、私が一方的に依存していますもん。自覚はあります。
 それにと、小さく噴き出してしまいました。にやにやと不気味に笑ってしまいます。

「カローラさんも、充分、人間くさい。良い、というか、素敵な意味で」

 カローラさん自身は、自覚ないのでしょうか。
 確かに、ちょっと無機質な声質ですけども、私が家族のことで落ち込んでいる時には動揺したり心配してくれたり、良くわからない部分で笑い転げたりと、とても暖かいと思います。
 ふふっと収まらない笑いを零し続ける口元を覆います。余程怪しい笑いだったようで、カローラさん、ぴたっと動きを止めてしまっています。

――……不思議な、気持ち、だわ――

 戸惑っているように感じられました。嬉しいとも悲しいとも、不快ともわからない声です。

「ごっごめんなさい! 私、この世界来てから、思ったこと、口に出す癖、あって!」

 また自分の価値観というか、感じたままを押し付けてしまいました。
 光を小さくしてしまったカローラさんに、あわあわと無意味に手を動かして右往左往してしまいます。犬かきみたいです、私。
 真剣な表情で無言な時が流れている師匠たちを前に、とても滑稽です。

――いいえ。わたしたちの本体が、震えていて……――

 本体さんですか。花びらさんの本体というと、樹しか思い浮かびませんが、これまた私の先入観な可能性もありますよね。
 腕を組んで考え込んでいると、沈黙していた師匠がぼそりと呟きました。

『……うっせぇ。オレは、別に、欲しいなんて思ってない。良く考えなくても、オレの感情が入る隙なんて、ないだろうが』

 ぎりっと、師匠の歯が鳴りました。
 私にもわかります。明らかに、師匠は嘘をついています。冷えた空気に響くのは、それよりも心臓を凍らせる声色です。
 私はたった1年程しか傍にいません。けれど、大好きな人の悲しみには、自分の気持ち以上に敏感になれるんです。だから、師匠の声は私の胸を刺すんです。

『迷っていないというのは、本当なんだろうね。だからこそ、自分の気持ちを優先したウィータ自身を許せずにいる。……傲慢で、ずるいよね』
『……根拠でも、あんのかよ』
『あるね。僕が、どれだけの年月、ウィータと付き合いがあると思ってるんだい? どうしても手に入れたいと考えているから、百年かけて世界で最も清浄な空間を作って、魔力を閉じ込めて、結界を張っているのだろう?』

 師匠の喉が大きく波打ちました。瞳も潤いを増して、物悲しげに揺れました。センさんの迷いのない口調に、師匠は歯を食いしばっています。

『オレは、普通に生きていれば死ねない身だ。かといって、世俗に生きるには面倒な力を持っている。戦に手を貸すのにも、疲れた。だから、引き篭ってんのは、人を遠ざける言い訳にもなるし、丁度良い暇つぶしでもあるんだ。別に……』

 自分に言い聞かせるように、噛み締めた物言いです。ラスターさんに向かって、私への態度について投げつけた声色に似ています。
 センさんは、師匠以上の様子で苦しそうに眉を寄せます。そして、深い溜息をつきました。

『ウィータ、思い出は美化される物だよ? それを押し付けられる方も抱く方も、いつかは辛くなる。運命なんて言葉は、人を縛り付ける鎖にしかならない』

 センさんの大きな手が、師匠の肩を掴みました。あまりに綺麗なリズムで紡がれたことから、言い慣れた言葉だとわかりました。
 一見すると、正論を押し付けているだけのようです。けれど、センさんの指を見れば、本人もお辛いのは一目瞭然でした。指先には、うっ血してしまう程、力が込められています。
 それにしても、センさんの言葉の裏にある意味って……? どうしようもなく、不安でたまりません。胸騒ぎがとまりません。

『そんなんじゃ、ねぇーよ。オレは――』

 詰まった師匠の声。
 吐き捨てるように続いた言葉は、魔法陣の波紋にかき消されてしまいました。けれど、どこか自虐的な響きだけは、私の耳に残りました。
 冷えた空気を飲み込んだ師匠は、解けかかった髪紐を縛り直しています。

「あんな感情押し殺した声、初めて聞いた」

 なぜでしょう。会話は抽象過ぎて意味をはかれないのですけれど、止まったはずの涙が、再び溢れてきました。泣かないで、師匠。不思議です。自分の中で渦巻いていた感情よりも、今、目の前で師匠が辛そうにしているのが、何よりも苦しい。そう思ってしまいました。
 ぐっと唇を噛み締めます。
 そっと、できる限り柔らかく師匠の頬を撫でます。もちろん、感触はありませんでした。



読んだよ


  





inserted by FC2 system