引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

6.引き篭り師弟と、吹雪の訪問者たち 【9】※R15

 「はぁ、暖炉あったかい。幸せ」

 暖炉の前に置かれた長方形のスツールに座り、火に掌を向けています。全身がじんわりと暖まっていきます。体温を取り戻せたのは、半分は浸かったお湯のおかげです。けれど、火の粉の匂いを伴っての暖炉は、また格別です。師匠が用意してくれていたココアのような飲み物を口に含むと、ほどよい甘さに癒されました。
 ちなみに、私がいるのは師匠の部屋です。本当は、私の部屋は使えないので別の客間で寝ようと思ったんです。でも、今から暖炉に薪をくべていては凍え死ぬとか夜が明けるとか、師匠に半ば強制的に連れてこられました。それでも渋る私に「あんなことがあった後だ」と心配そうに呟かれ、折れないわけにはいきませんでした。
 私が断っていたのは、疲れた師匠の安眠を妨害してはと遠慮しただけです。

「私、全然、一緒良いけど」

 お風呂も、師匠の部屋にある簡易式のモノを借りました。猫足ユニット。今は師匠が入っています。なんだか、変にどきどきしてきました。心無しか、体温が上がったような。
 ぎゅっと腕を抱きしめてみます。それでも足りなくて、両足を抱えまると、だるまのような姿になってしまいました。
 じっと火を見つめていると、不思議と落ち着いてきます。紐を解いている髪をいじっていると、後ろから扉の開く音がしました。

「後ろから見ると、奇妙な物体だぞ」
「ちっちゃくなる、あったかいの」

 顔だけ振り向くと、タオルで髪を拭いている師匠がいました。髪が濡れた姿は、やけに色っぽいです。ランプと暖炉の薄暗さが作り出す陰影が、それを助長しています。ちくしょう。
 訳のわからない拗ねから、ぷいっと前に向き直ります。女の私より艶っぽいとはどういう了見だ。小一時間詰め寄りたいですが、自分が小娘すぎるのを自覚するだけなので、やめておきます。
 そう言えば、師匠。私を、赤ちゃん呼ばわりから小娘に変えていたのに、今更ながら気がつきました。

「ほら、もうちょい前詰めろ」
「わっ!」

 背中に体温を感じて慌てて前に移動したのに、さらなる熱が密着してきました。元々大きめの椅子なので、スペースが半分くらいになっても両足が落ちることはありません。けれど、この体勢は心臓に悪いです。
 師匠が、私を後ろから抱きかかえています。ついでに、師匠の両足に挟まれています。少しでも離れようと試みますが、ゆるく腹部に回されていた腕に触れてしまいました。ぎょっとして身を引くと、自然ともたれかかる形になりました。
 すぐに起き上がろうとしますが、すでに腕が近づいていて、身動きが取れないです。

「ししょー、ちかい」

 前に流された髪のせいで、首筋から温度がなくなっていきました。それよりも、お風呂あがりで一段と熱のある師匠の体に、心臓が破裂しそう。
 非難の色を混ぜての呟きは、あっさり無視されてしまいます。

「んーそれより、オレ、脱ぎやすい服着とけって言ったよな」
「ひゃっ!」

 耳元に擦り寄られたまま囁かれて、おかしな声があがりました。内容が内容なのに加えて、師匠の声がやたらと甘くて。ぞくりと、寒さとは違う何かが背中を走っていきます。
 密着したまま視線をおろしているのでしょう。師匠の髪が、露になっているうなじにかかって、くすぐったいです。
 って、ちょっと師匠の言い方、間違ってないけど、なんか違う!

「うっ後ろファスナー、乾いてなかった」
「まぁ、オレは良いけど。ほれ」

 今身に付けている夜着は、胸元に絞りがついているワンピースタイプです。絞りのリボンを解かれると、一斉に冷たい空気が胸に流れ込んできて身が縮まりました。その隙に、師匠の手が両肩を滑っていきます。すとんと夜着が落ち、上半身がさらけ出される寸前。ふわりと厚手のストールが前に掛けられました。
 急いでストールを掴んで胸元に当てると、何とか前を隠すことが出来ました。
 後ろからは、押し殺した笑い声が聞こえてきます。かぁっと耳が赤くなっていくのがわかりました。

「ししょー! 遊ばないで! 脱がせ慣れてる、やらしい!」
「傷を見てやるだけだって。ストール渡してやった、紳士なお師匠様の気遣いに感謝しろよ」
「気遣いしながら、遊んでる! もがっ」

 振り向くと見えてしまいそうなので前を向きながら叫ぶと、口を抑えられました。反対側から覗き込まれて「夜中だぞ」と囁かれます。目元に触れる師匠の唇。ぎゅっと瞼を閉じますが、熱があがっていくのが、より鮮明になるだけでした。
 少しの間、そうして無言のままくっついていました。
 ふっと体温が離れたかと思うと、背中の下、お尻との境界あたりに布が触れました。そんな感触にさえ、吐息が漏れてしまいます。

「これで、ましになっただろ?」
「……ありがと、です」

 どうやらストールの端を後ろで結んでくれたみたいです。まだ恥ずかしさはありますが、脇に挟むだけの頼りなさからは救われました。
 もごもごとお礼を言うと、優しい調子で髪を撫でられました。それはそれで恥ずかしいです。
 安心したのも束の間、指の腹が背中に触れてきます。ぐっと何とか声を飲み込みました。

「暗いし、傷、あまり見えない、でしょ? 痛くない、大丈夫」
「明るい方が良いなら――」
「ダメ!」

 手摺に背中をぶつけた部分に、痣や擦り傷が出来ていないか確認してくれてるだけなんですけど。じっと見られては、恥ずかしすぎます。ドヤ顔で自慢出来るくらい綺麗な肌なら良いですけど。
 普通なら放っておいても良い程度の傷ですが、魂と肉体が不安定な状態の私は小さな傷にも気をつけなければいけないんですって。

「別に、とって食おうってわけでもねぇのに」
「わっわかってる。可愛げない、言われたばっかり。けど、そういう問題ない。一応、私、女だし。……堂々見せるほど、自信、ないし」

 最後の方は尻すぼみになってしまいました。私だって「隠すなんてもったいないでしょ、この美ボディ!」と胸を張りたいですけどね。どういう理由でも、好きな人に背中だけ晒すのって、落ち着きません。普段お手入れも行き届かない部分ですし。
 師匠とは関係ないですけど、アラケルさんに言われた「可愛げがない」ってのも思い出して、地味にへこみます。きゅっと肩が上がります。
 俯くと、肩に触れていた師匠の手が、勢い良く離れました。

「あー、そっか、悪い。くそ餓鬼にあんな風に言い寄られたばっかなのに、考えが足りなかった」

 それは違います。
 アラケルさんには多少乱暴に肩や腕を掴まれましたが、深く思い詰める程ではありません。耳はちょっとあれでしたが、師匠の慰めで上書きしてもらっています。
 何より、同じ男性とは言え、師匠とアラケルさんを同列に考えていません。誤解を解きたくて、恥ずかしさも忘れて振り返り、師匠の服を掴んでいました。

「怖いないよ! ししょー、嫌ない。悪い、ない」
「そっそうか?」
「うん。ただ、男性に、こうやって、背中見られる、初めてだから。その、恥しいだけで」

 きっぱりと言い切ってみせると、師匠は気圧されたように首を傾けました。私があまりに強い調子で見上げているせいか、すいっと視線を逸らされてしまいました。目が泳いでます。
 勢いよく頷いたものの、言い訳の途中で、とんでもない暴露をしていることに気がつき、頬が熱くなっていきました。捻っていた腰を戻し、手持ち無沙汰に夜着をいじります。
 
「ラスターさんくらいなら、はりきって見せられる、のにね!」

 努めて明るい声で、ダイナマイトで美ボディな方の名前を出しました。「ラスターさん、ラスターさん」と繰り返し呼んでいると、後ろの師匠の空気が若干変わりました。
 呆れているのか怒っているのか不明なオーラです。いやいや、私にオーラを読む力なんてないはず、気のせいです。

「ラスターは男だっての」

 ぶすくれた声調で、やはり怒っていたのだと認識しました。そんなに、嫌そうに吐き捨てなくても。本当に、師匠ってラスターさんに厳しいですよね。仲は良いのに、どうしてでしょう。昔、何かあったんでしょうか。今度聞いてみよう。
 一人意気込んで拳を握ります。後ろの師匠は、相変わらず不機嫌ぽいです。

「ここか」
「っあ」

 つっと師匠の指が滑りました。思わず背が仰け反ってしまいました。しまったと思う隙もなく、今度は柔らかくてあたたかい感触が触れてきます。なっなんだろう。今度は反対に体が丸まりました。
 声を押し殺しても、白い息は出てしまいます。きゅっと脇を締めてストールを抱きしめました。

「ん。アニム、綺麗だぜ?」

 噛み締めるように言われた言葉。小声で話しているせいか、距離が近くて首筋に触れる唇。心臓の音が耳にまで響いてきます。
 熱を持った甘い声と肌にかかる息とが相まって、体の芯が震えました。もちろん、嬉しかったのですけれど。息が詰まるほど、心が震えたのですけど。その言葉で、じっと見られているのを実感させられて、首どころか背中まで真っ赤になっているに違いありません。
 お礼を言うのもずれている気がするし、わざわざお世辞と怒るのも違う気がして。結局、小さく頭を振ることしか出来ませんでした。

「やっぱ背中と肩、痣になってるな。でも擦り傷にはなってねぇから、大丈夫か」
「ほんと?」
「おう。ちっと熱いかもしれねぇけど、勘弁な」

 師匠の体温が離れたかと思うと、背中と肩の一部がじりっと熱を持ちました。焼けるような熱さを、ストールを握りしめて耐えます。
 恐らく、師匠が痣に治癒魔法をかけてくれているのでしょう。

「ほれ。すっかり消えたぜ。あとは腕もだよな」

 右腕を取られ、左手だけでストールを抑えます。頼りなさげな布が、いつ落ちてしまうかと思うと、ひやひやして治療の熱どころではありません。
 が、当の師匠は別段気にしている様子もなく、淡々と腕にも治癒魔法をかけただけでした。やっぱり、私が自意識過剰なんでしょうね。ふぅ。

「ししょー、ありがと」

 自意識過剰なのだと自覚した途端、変に意識するのがバカらしくなりました。ストールで胸を隠すのはやめませんが、今度はしっかりと師匠の顔を見てお礼が言えました。自然な笑顔も浮かんできます。
 夜着の裾に手を通して着直している間、師匠は無言でした。自分の立てた膝に肘をついて、余所を向いていました。

「ししょー、終わったよ」

 残りは胸元を絞るリボンだけですが、さっき感じてしまった痺れが頭を離れてくれなくて、上手く結べません。まごついていると、師匠の腕が伸びてきました。結んでくれるようです。
 師匠の胸元に体重をかけて、大人しくされるがままになります。肩に顎を乗せられているせいで、師匠の端正な顔がすぐ横にあります。この体勢、心地よいと同時に、緊張もしてしまいますね。

「うーん、片側のリボンが立っちまう。意外に難しいのな」
「ししょー、寝るだけだし、てきとー平気」

 何度も結び直している一生懸命な姿の師匠は可愛いんですけど。ちょっと間が抜けていて、可愛らしんですけど。
 リボンが結ばれる度に、師匠の手が胸下を掠ってですね。凄く落ち着かないんです。それも、ブラジャーを着けていない夜着の状態ですよ。さすがに他の部分よりは胸元は生地も厚くなってますが、感覚を完全にシャットアウトしてくれるような硬さではありません。
 師匠はリボンを結ぶのに夢中になっているようで、全く気がついている様子はありません。

「あの、ししょー、ほんと、もう、だいじょーぶ」
「んーもうちょっと。わかった、こっちか」

 師匠が思いついたと右手をあげた瞬間。

「んっ」

 胸の頂きを外側から擦り上げられました。走った甘い痺れに耐えられず、鼻にかかった声が出てしまいました。はっと口を抑えても、時すでに遅しです。やだ。顔から火が出そう。
 と、師匠が風を切る勢いで離れました。真っ赤に染まった両頬を隠しながら振り返ると、師匠も負けないくらい染まりきった状態で両手を挙げていました。

「悪い! 今のは、わざとじゃねぇから!」
「今のは?」
「あー、言葉のあやだ、気にすんな」

 ちょっと引っかかりました。半笑いを浮かべて頭を掻いている姿は、明らかに何かを誤魔化しているように見えます。けれど、師匠が椅子から落ちそうになっている方が、問題です。
 というか、視線がかち合った瞬間、また下腹部が疼きだしてしまいました。

「まぁ、なんだ。思ってたより大きくて、触れてるの気がつかなかったっていうか」
「やっぱり、胸ない、思ってたの?!」

 師匠、フォローで墓穴掘ってますよ! ひどい、やっぱり私を胸ぺったんと思ってたんですか。夜着が空気で膨らんでるとでも思ってたんですか。それなりにはあるだろうとか、適当なこと言ってくれちゃって。
 ラスターさんが師匠は巨乳好きって言ってたの、本当だったんですね。きっと、師匠にとったら大きな胸以外は、無いも同然なんでしょうね。腹がむかむかしてきました。
 目尻を引いて睨みあげます。師匠は、カラ笑いしながら頭を叩いてきました。

「いや、だから想像してたよりは、大きいって言ってんだろ?」
「想像ってなに! ほら、ちゃんと、ある!」

 さすがに服を脱いで見せるわけにはいきません。師匠の手を掴んで、自分の胸に押し当ててやりました。強制的に指を曲げさせます。ふにっと胸に沈む指。どうだ。
 どや顔で師匠を見上げます。師匠、ぽかんと口を開けて固まっていましたが、徐々に顔色を変えていきました。

「ばっ! このアホ弟子!! 恥じらいつーもんが欠けてんのか!」
「ふんっ! えろ師匠、言われたくない!」

 そっぽを向くついでに、握りしめていた手をぺいっと捨ててやりました。
 師匠はスツールの上に胡座をかいて、さっきまで私の胸に触れていた右手をわなわなと震わせています。耳まで染めた状態で凄まれても、怖くないんだから。
 好きな人に胸がないと言われて傷ついた乙女心の報復、思い知ったか。怒ったせいか、頭に血がのぼって少し眩暈がしました。

「それより、結構あったでしょ?」
「アニム、お前なぁ」

 はぁと思いっきり溜息をつかれました。師匠は俯いてしまいました。手で顔を覆っているので、表情が伺えません。
 自分から触らせたくせに小さい、とか呆れてるんじゃないでしょうね。って、うん? 私、もしかして、とんでもない行動を取ったのでは。
 今更ながらに、大胆すぎる自分の行動に気がついてしまいました。師匠に悟られないよう、拗ねている振りをして前を向きます。

「これに懲りたら、乙女、バカにする発言、控えるですよ」

 再び足を抱えて暖炉にあたります。
 すると、最初の姿勢に戻るように、師匠が後ろにくっついてきました。が、今度は師匠の足が私の踵の後ろを通りました。胡座をかいている師匠の上に座っている状態に近いです。
 何事かと顔をあげたことを、すぐに後悔しました。反省するどころか、愉快そうに目を細めている師匠がいました。しかも、両手は私の胸を掴んでいます。

「感触を実感する前に離されたからなぁ。良くわからなかったから、もう一回な?」
「わからないなら、わからないで、もう――」

 抗議の言葉は続きませんでした。服の上からですが、柔らかく揉まれています。やけに優しい手つきが、余計に羞恥心を刺激してきます。

「んーこれは服の空気なのか?」
「ししょー、失礼!」
「まぁ、嫌だったら顎に頭突きでもしてくれ」

 どういう意味か聞き返そうと思った瞬間、肌に直接触れてきた冷たさに、首を竦みました。師匠、手が冷えてる。って、そうじゃありません! 師匠の手が上から服の中に侵入してきているのは、幻でしょうか。
 知らぬ間に、両肩も露になっています。胸元がリボンで絞られているので、下にずり落ちてしまうことはありませんけど、かなり際どい所まで落ちてます。
 袖に気を取られていると、脇の下から指の腹で撫で上げられました。
「ん、やぁ、しっしょぉ」
「アニム、テラスで受信部分がどうのこうの言ってたよな。充分な感度だぞ?」
「そういう意味、ない、の、っあ!」

 つっと、親指の腹で胸の真ん中を撫でられ、ひときわ大きな声があがってしまいました。いつの間にか師匠の腕が脇の下に入っています。仰け反って師匠の髪を軽く掴んでやりますが、全く効果はありませんでした。
 むしろ「ちょうど良い」と囁かれ耳を甘噛みされてしまいます。熱い息と冷えた耳との温度差に、肩が震えました。

「やっぁ」

 耳の淵を舌がなぞったかと思うと、うなじまで降りていきました。
 このまま師匠の胸を滑ってずり落ちてしまえば、この状況から脱却出来るかもしれないと思ったのもわずかな時間。師匠の腕が腹部をがっちりと支えてきました。
 あまりの刺激に涙目になってきました。口を開くと変な声が出てしまうので、恨みがましい視線だけ投げつけてやります。

「あぁ、手がひとつになって物足りなくなったか? なら、これでどうだ?」
「違うっ――っんやぁ!」

 半分だけ外気に触れていた頂きをきゅっとつままれ、今まで以上の快感が襲ってきました。反対側が服に擦れてのじれったい感覚に、詰まった息が吐き出されました。
 肩口を舐められ、腹部を撫でられ。私の口からは、抗議の声ではなく、甘ったるい嬌声しかあがりません。

「そういや、二の腕の柔らかさは胸と同じって聞いたことがあるなぁ」
「ししょー、ふぅ、舐めるの、好き、はぁ、だよね」
「そうか、そうか。アニムは舐められるのが好きか」

 私じゃなくて師匠が! 反論しようとした瞬間、胸の横から脇まで指が撫で上げてきて、適いませんでした。掴まれた二の腕を、はむっと歯は立てずに噛まれました。そのまま腕を上げられたかと思うと、背中側の脇横にぬるっとしたモノが触れてきます。

「やっ! ししょー、汚いよ!」
「なら、ここ以外は舐めても良いってことだよな。それに、アニムの味が濃く出てるから、オレは好きだぜ?」
「ししょー、変態っぽい……」

 あぁ言えば、こう言う。もう何を言っても揚げ足を取られてしまいます。
 しかも、変態呼ばわりが気に食わなかったのか、胸横を吸い上げられました。このままだと、服が脱げ落ちそうです。頭の隅っこで、どんな下着履いたっけとか考えている場合ではありません、自分。

「ししょー、ふぃ、まって!」
「んー?」

 制止のお願いなど聞く耳持たずに、また胸を揉み始めた師匠。私の髪に顔を埋め、擦り寄ってくるのは嬉しいけど。とっても大事な大前提をお忘れじゃありませんか?!
 そもそも私がけしかけたアホな行動が原因なんですけども、まさかここまで発展するなんて想像もしていませんでした。嫌ではありませんが、欲張りになってしまいます。

「ししょー、こーいうのは、好きなひと、と、するんだよ?」

 ぴたっと手が止まりました。ほっとした反面、そこまで綺麗に動きを止めなくてもと、悲しくなってしまいます。師匠ってお年寄りな割に、動きに切れがありすぎです。
 恐る恐る顔をあげると、すんごく変顔な師匠がいました。端正な眉が複雑そうに顰められています。

「アニムはオレに抱かれたいって叫んでたよな?」
「叫んでたって、あれは勢い! じゃなくって、ししょーが、って意味!」
「……オレは結構際どい部分まで、伝えてる気がするんだが。お前の方がよっぽど微妙、つーか曖昧なライン狙ってるぜ? はっきり心の内を聞けたのは酒の時だけだよなぁ」

 ぎゅっと痛いくらい抱きしめられました。最後の方は、擦り寄られた髪の中で消えてしまいました。
 師匠の口から聞いた恋愛色強い内容と言えば、想い人以外には口づけしないって言う台詞くらいです。納得いきません。抱きしめられている腕を叩いていると「やれやれ」と解放されました。

「まっ、中途半端だが、今日はアニムも疲れてるだろうからな」
「へ?」

 師匠はすっかりいつもの眠たそうな目に戻っていました。さっさと立ち上がってスリッパを履いています。
 まだ触られた部分が熱を持って心がざわついている私は置いてけぼりです。師匠は、最初から少し悪戯をしたら引き下がるつもりだったんでしょうか。
 師匠のことだから、本当に私の体を心配してくれているとは思うのです。けれど、男の人として、師匠は問題ないのかなぁとか思ったり。

「ほれ、掴まっとけ」

 師匠は、呆然としている私を抱きかかえてベッドに足を向けます。このタイミングでお姫様だっこは卑怯! 何も言えなくなってしまいます。師匠の首に腕を回しつつも、不満げに口が尖ります。
 そんな私を見て、師匠は含み笑いを浮かべました。至近距離では、狂気そのものです、その笑い方!

「んだよ。最後までしたかったか?」
「ばかししょお!」
「はいはい、オレが悪う御座いました」

 澄ました顔の師匠が、私から顔を離しました。
 余裕な師匠が悔しくて、足をばたつかせて暴れてやりました。案の定、師匠から焦った声があがりました。そのまま二人して、大きめな師匠のベッドにダイブしました。
 腰に感じた衝撃。上質なベッドに体が弾みます。師匠の顔がお腹の上にきてしまいました。もぞっと動かれて、太ももをきゅっと閉じます。
 師匠はゆっくりと顔をあげます。悪人面、再来です。

「アニム、お前なぁ! 危ないだろうが」
「ごめんなさい、です」
 
 薄ら笑いで謝ります。羞恥と申し訳なさが入り混じった結果の表情です。
 余程奇妙だったのか。師匠は深い溜息をついて起き上がりました。ついでに私にも手を貸してくれるあたり、優しいですよね。
 立ち上がった師匠は、上布団をめくってベッドを軽く叩きました。

「まぁ、いいや。オレは髪乾かすから、先に寝てろ」
「ししょー、怒ってる?」

 ぺたんとベッドの上にお尻を落ち着けて、師匠を見上げます。
 私の言葉が不可解だったのか。師匠は手招きしながら、首を傾げました。少し長めの前髪が、はらりと落ちていきます。あぁ、好きだな。この仕草。

「別に。目くじら立てて怒るこたねぇだろ」
「そうじゃなくって。……好きな人と、とか、変なの、聞いたから」
「あ? あー、違う違う」

 困ったように笑った師匠。ランプに照らされているからか、レモンシフォンの髪はいつも以上に優しい色合いをしています。まだ湿っている髪をがしがしと掻き、私の前に腰掛けました。さりげなく添えられた手。
 そして、掬い上げた私の髪をいじりだしました。何かいいあぐねているように見えます。
 半乾きな私の黒髪が、つるりと師匠の指から滑り落ちました。それを眺める師匠は、少し寂しげです。どうしてでしょう。目の奥が、じんと熱くなりました。
 私は師匠の言葉を、じっと待ちます。ややあって、師匠が真剣な眼差しになりました。

「色々……近いうちに話さなきゃいけねぇことがある。だから続きは、全部伝えられた時の褒美に取っておこうかと思ってさ」

 そう言って、師匠はにかっと歯を見せました。けれど、どこか力のない笑い方です。自分の両手を握りしめています。しんしんと振り続ける雪と、爆ぜる薪の音が、胸騒ぎを誘います。
 そうして、師匠は自嘲気味に笑いました。

「全部を信じてもらえると思わねぇけど」
「私、ししょー信じない、有り得ない」

 即答です。だってそうでしょう? 右も左もわからなかった異世界人な私の面倒を見てくれているのを別にしても、私のために怒ってくれたり、心配してくれたり、助けてくれたり、慣れないことをしてくれたり。自分のことよりも私の気持ちを真っ先に考えてくれる、そんな師匠が覚悟を決めて話してくれる内容を、どうして疑えるでしょう。
 私だって手放しに誰でも信用する訳じゃありません。確かに私たちは出会って1年くらいですが、一緒に過ごしてきた時間は濃密です。師匠という人となりを、私なりに感じてきました。

「ん、ありがとな」

 一瞬、目を見開いた師匠。ゆっくりと笑みを広げていきます。それが泣き笑いに見えたのは、私の気のせいでしょうか。
 気が付けば、思い切り師匠の頭を抱きかかえていました。何度も頭を撫でます。いつも師匠に貰っている安らぎを少しでも返したい。まだしっとりしている髪に、口づけを落とします。

「そういや、アニム。朝の挨拶は決めたけど、夜のも、今思いついた」
「なに?」

 軽く背中を叩かれ、師匠の頭を離します。腰を落ち着けて向き直ると、師匠はこれ以上ないくらい、嬉しそうに目を細めていました。幼い顔が、より無邪気さを強めています。
 童顔にしては大きめな師匠の手が、頬を撫でてきます。大好きな手に、うっとりと擦り寄りました。温度を確かめるように瞼を閉じ、堪能して瞳を空気に触れさせると。どあっぷの師匠の顔が飛び込んできました。

「ふぇっ!?」

 色気のない声は仕方がないですよね。数秒重なり合っていた唇。触れるよりは深く。口づけと呼ぶには曖昧な深さ。離れていく師匠が、やけにゆっくりと見えました。
 思わず、師匠の唇を凝視してしまいます。形の良い唇が、軽く弧を描いています。

「ほれ、挨拶だ。いい夢が見られるまじない。もう寝ろ。お前、ちょっと熱っぽかったぜ、体も」

 体が熱かったのはだれのせいですかと猛抗議したかったです。異世界では常識ですか、寝る前の軽いキス。親しい人同士では、普通なんですか?
 問い詰めたいのは山々だったんですけれど。結局は何も言えませんでした。だって、今感じている幸せを自分から壊すなんて、出来なかったから。

「おやすみなさい」

 とろけそうな気持ちと頬を隠しもせず、師匠へ向けました。
 自分がしてきた癖に、口元を覆って「あーちょっと待て、オレ無理かも」とか意味不明に呟いた師匠を横目に、ベッドに潜り込んだ私。どこか甘い香りに包まれて、あっという間に夢の世界へと旅立っていきました。


 風邪か魔法の影響かは不明ですが、その後、私は数日間寝込んでしまいました。おかげでグラビスさんとアラケルさんのお見送りは出来なかったので、おふたりの様子はわからず仕舞でした。フィーネとフィーニスによると、不貞腐れたアラケルさんを、グラビスさんが首根っこ捕まえて引っ張って行かれたらしいです。
 それから数ヵ月後。アラケルさんから師匠宛にしょっちゅう手紙が届くようになるのですが……それはまた、別のお話。




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