引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

6.引き篭り師弟と、吹雪の訪問者たち 【8】

 上空の魔法陣から幾つもの炎の塊が地上に落ちていきました。
 アラケルさんは狼狽した様子で術を発動させます。割れた雪の結晶が一斉に飛び出していきました。後を追うようにして龍を模した氷が大きくうねりながら、師匠目掛けて突っ込んでいきます。

「氷の龍、炎の渦に、飲まれてる」

 雪の結晶は炎の塊に触れることもなく、あっさりと砕けてしまいました。そして跡形なく消えていきました。
 炎の塊がアラケルさんの横を通り過ぎると、その余波だけで防御魔法にひびが入ったのがわかりました。

「しゅごいぞ! こじょうのぼうぎょまひょーを、あっしゃりくだいていくのにゃ!」
「じみぇんが、あにゃだりゃけにゃのでしゅ……」

 フィーネとフィーニスが興奮して手摺りの上に飛び移りました。
 私は、目の前で繰り広げられる戦いを呆然と眺めることしか出来ません。爪先サイズだった炎は、力が凝縮されたモノだったんですね。昔テレビで隕石の番組を見た時、落下物の大きさからは想像つかない規模のクレーターが出来るのに驚いた覚えがあります。まさに、それです。水晶の地面に衝突した炎の塊は、上空で太陽を連想させていた姿に戻り、恐ろしい轟音(ごうおん)を発しています。
 防御魔法を破られたアラケルさんは、とにかく逃げ惑っています。かろうじて薄く防御魔法はかかっているようで、大ヤケドには至っていません。
 
「ほらほら、どうした? 逃げ回ってばかりじゃ、つまらないだろうに」
「くそっ! 角度も変えて狙ってこれるのかヨ!」

 アラケルさんは、乱れる呼吸の合間にも舌打ちを忘れません。
 アラケルさん、反撃はしているものの、師匠にまで攻撃が届いていません。ことごとく炎の塊に阻まれています。
 一方、師匠の上空にある魔法陣はアラケルさんを追撃するように向きを変えていきます。落下位置は師匠がコントロール出来るようで、アラケルさんに致命的ダメージを与えるような場所は避けられています。

「元々、対多数に加え威力を保ちながら広範囲を攻撃する魔法だからな。三百六十度、遠近、関係ない。これでも通常の十分の一以下に調整してやってるんだぜ? そうそう、アルス・マグナを発動している間、オレは此処から動けない。標的が動かないんだから、狙いやすいだろ?」

 師匠は片目を薄く開き、腕を組んでいます。堂々たる姿はかっこいいですけど、炎が顔に陰影を作り出していて、凶悪面になっています。チョイ悪どころの騒ぎではありません。極悪非道魔法使いです。
 アラケルさんは、もう無駄口を叩く余裕もないようです。必死な形相で次々と魔法を繰り出していますが、その度、残り火や炎に打ち砕かれています。

「あっ! 水晶の樹密集地帯、逃げようとしてる!」
「あしょこはだめにゃにょ!」

 フィーネの言う通りです。森を清浄に保っている力の一部が集まっている場所です。逃げ込まれてしまったら、師匠の大技は樹を気にして、アラケルさんを狙えないはずです。
 焦燥感を抱えて魔法映像を見上げます。が、当の師匠は眉一つ動かしていません。

「いっで!!」
「あー、そこは無理だぜ? さっきオレ、雪の中に手を突っ込んだの見えてたか? 樹を護るために、一定の幅以外に不可侵の魔法を張った。電流が走る程度のおまけをつけてな。気がつかなかったのか? ちなみに、もう一つ発動してあるんだが、その様子じゃ、わかってねぇーな」

 あの一瞬で二つも! 師匠ってば、どれだけ同時に魔法が使えるんでしょう。
 驚きながらも森へ目を向けると、確かに樹の密集地帯には全く被害が及んでいません。ちなみに、テラスの方にも、師匠やアラケルさんの魔法は飛んできていません。じっと前を見つめていると、こちらへアラケルさんの魔法が到達する前に、師匠の炎が阻んでくれているようです。結界が張ってあるにも関わらず。

「ししょー」
「んーどうした?」

 続く言葉があっての呼びかけではありませんでした。それにも、師匠は応えてくれました。
 護ってもらっている心強さと嬉しさ。それに師匠が凄い魔法使いなのだという事実を目の当たりにしての、驚き。色んな感情が混ざり合っていきます。

――いやはや。

 と、聞いたことのない声に脳を揺さぶられました。いつもの頭痛に襲われます。あまりに鋭く走った痛みに、くらりと視界がまわりました。

「あにみゅ、どーしたのにゃ!」
「あにむちゃ! いちゃいいちゃい?」

 頭を抱えて膝をついた私を心配してくれるフィーネとフィーニスの声が、遠くに聞こえます。焦った二人の声を遮ったのは、身の毛がよだつような声。ざらっとした感情を誘う、嫌な音。

――しいですよねぇ。おかしいですよね。あれほどの魔法使いが、周到に準備整えて発動する召喚術を失敗するなんて。君も薄々感じているんですよねぇ?

 人を嘲笑っているかのような口調です。頭の中に直接響いてきているような不快感が全身に広がっていきます。細い糸で締め付けられているような痛みで、目の奥が熱いです。喉が焼けるようです。
 何を言っているのか、さっぱり理解出来ません。私が何を感じているんですって?

「だっ……れ?」

 甲高い笑い声が頭の中をかき乱します。負けじと問いかけてみますが、当然と言うように、返事はありませんでした。一層、ねっとりとした笑いが大きくなっただけでした。
 幻聴じゃありませんよね。それなら一人芝居っぽくて恥ずかしすぎるんですけど。うん、大丈夫。凄い魔法に驚きっぱなしで、神経が図太くなっているようです。通常運転。

「アニム! どうした!」

 深呼吸をして瞼を開くと、顔のすぐ横に魔法映像が現れていました。師匠が魔法映像に張り付いています。さっきまでの余裕はどこへいったのか、思い切り眉を跳ね上げて汗を流しています。こんなに焦った師匠を見たのは、もしかしたら初めてかもしれません。
 フィーネとフィーニスも不安げに膝に触れてくれています。

「へんな、声、聞こえた。頭、すこし、痛い」
「声だと?」

 すっと、師匠が視線を逸らしました。私の言葉を疑っているのではなく、考え込んでいる時の目をしています。すぐに、はっとした表情に変わり、瞼を閉じて周囲の気配を探り始めました。
 ややあって、頭の締めつけが、すっかりなくなりました。

「痛み、なくなった」

 足元がふらつく気配もありません。指を開閉させても、問題なく動きます。
 しっかりと立ち上がると、師匠から安堵の息が漏れました。揺れたアイスブルーの瞳にじっと見つめられて、今度は心臓がつきんと痛みました。見ている私が苦しくなるような表情です。
 魔法映像の上を、何度か師匠の手が滑っています。頬を撫でてくれているのでしょうか。

「戦いの途中、ごめんなさい」
「いや、アニムが平気なら良かった。アラケルは相変わらず逃げ回ってだけだしな」

 師匠の手に重ねるように、魔法映像に触れてみます。頑張って戦っているアラケルさんには、ほんとーにわずかにだけ申し訳なくなりながら。
 師匠の瞳が優しく溶けて、私も小さく微笑み返しました。って、また二人の世界作っちゃってる! しっかりしろ、私!
 頭を振った瞬間、師匠だけではなくアラケルさんやグラビスさんも、一斉に凄まじい勢いで上空を見上げました。フィーネとフィーニスも毛を逆立てています。

「今の気配なんだヨ!!」
「背筋が凍るような殺気……ウィータ様、いかがいたしましょう!」

 気が付けば、師匠もアラケルさんも魔法を止めていました。
 私も空を見上げます。森一体を包み込んでいる魔法陣の外は変らずの猛吹雪です。その中にちらりと人影が見えた……気がしました。きらりと光った魔法陣の上に立っていたような。
 目を擦ってみても、いくら目を凝らしても、再び見ることは出来ませんでした。錯覚でしょうか。師匠を見ると、非常に険しい表情をしていました。

「っそ! あの変態、最悪なタイミングで此処を見つけやがったか!」
「変態?」

 もしかして、師匠ってばストーカーでもされてるんでしょうか。天才魔法使いなら、弟子入りしたいとか憧れの気持ちが歪んでしまった人に付き纏われていても不思議ではありませんよね。口の悪さはさておき、外見も美少年ですし。
 私の問いかけに返事がくることはありませんでした。師匠はグラビスさんにだけ、頭を振ってみせました。グラビスさんは言葉もなく、大剣を降ろしました。

「まっ、変な邪魔が入っちまったな。そろそろ終わらせるか。アラケル、最後の一撃いくからなー」
「はっ?! って、え、ちょっ!」

 さっきまでの緊迫はどこ吹く風か。師匠が無垢な表情で両手を打ち鳴らしたのが合図になり、魔法陣がぶぉんと唸りをあげました。なりを潜めていた輝きが一気に戻り、全ての炎の塊がアラケルさん目掛けて落ちていきました。
 アラケルさんの精霊たちは、いつの間にか消えていました。落下の途中で一つに集まり大きな炎がアラケルさんに喰らいつき――

「うわぁぁぁ!! まいった、まいった、降参!! 死にたくねぇヨ!!」
「アラケル!!」

 ませんでした。いえ、炎の龍が口を大きくあけて、ぱっくり食べちゃったかと思ったんですけど。アラケルさんの体の周りに現れた魔法陣と相殺されたんです。
 アラケルさんは腰を抜かして涙を流していました。あっ、よだれ。目に見てわかるほど、全身を震わせています。
 グラビスさんは安堵の表情で膝をついていらっしゃいます。

「なんだ、くそ餓鬼、本当に気がついてなかったか」

 心底呆れた様子の師匠が、アラケルさんに歩み寄っていきます。気だるそうに、魔法杖で肩を叩きながら。
 全ての魔法陣が消失して、ランプの明かりだけになった空間は、やけに暗く感じられました。魔法映像は、アラケルさんと私の前にあるだけになっています。
 尻餅をついているアラケルさんは、声も出ないようです。不可解という表情で、口を震わせているだけです。

「さっき言ったろうが。二つ術を発動したって。一つは水晶の樹を護るため。もう一つはお前の身体に防御魔法掛けたんだよ。あんだけ強力なの掛けたら、気がつくもんだぜ?」
「――っな!」
「ウィータ様、かたじけのうございます!」

 やっぱり、ちゃんと考えてたんですね。さすが、師匠!
 二人に駆け寄ったグラビスさんが、深々と頭を下げました。そして、右手を高々とあげます。

「勝負あり! アラケルの降参により、ウィータ様の勝利とする!」
「ちょっ! まて、あれは――」

 アラケルさんが抗議の声をあげますが、腰はあがらなかったようです。グラビスさんに睨まれて、ぐっと口を噤みました。引き際を心得るのも大切、と何かの受け売りが浮かびました。
 グラビスさんは拳に息を吹きかけると、躊躇いもなくアラケルさん目掛けて突き出しました。おぉ!! 凄い距離吹っ飛んで行きましたよ! あれ、地面にめり込んでいるのでは。しかも地面は水晶です。痛いどころの話ではないです。

「ウィータ様、ご迷惑をお掛け致しました!!」
「いや、オレも勝負に乗ったわけだし、気にするな。あと、グラビス。男手ひとつで育てた息子が可愛いのはわかる。けれど、お前が代わりに謝るのはやめたらどうだ? アラケルもいい年なんだ。責任の取り方くらい覚えさせてやるのが、今後のあいつのためでもあると、年長者として思うぜ?」
「そう、ですね。自分も改めねば、なりませぬ」

 グラビスさんは、深い深い溜息をつきました。それはもう、肺から全ての空気を吐き出すくらい、長いものでした。
 師匠がグラビスさんの映像に気が付いて、それを消してしまったので、私にはそれ以上の会話は聞こえません。
 小さくなってしまったグラビスさんの背中を叩く師匠は、とても優しい眼差しをしています。落ち込む弟子を慰める師匠の図です。それとも、子どもを慰める親の図でしょうか。って、師匠、子どもいたことあるのでしょうか!? 年が年だけに!
 浮かんだ変な考えを振り払うため、フィーネとフィーニスと手を打ち合わせました。

「ししょー圧勝、おめでとう!」
「やったのにゃー!」
「わーい、なのでしゅ!」

 きゃっきゃとはしゃぐ私たちに、師匠は呆れ笑いを浮かべた顔を向けてきます。魔法映像にはもう、怪我を痛がるアラケルさんしか写っていないので、遠目にしか見えませんけれど。苦笑しているんだと、わかります。
 師匠に向かって三人で大きく手を振ると、にまりと笑い返されました。
 師匠は落ち込むグラビスさんに何事かと言うと、アラケルさんの方へ近づいていきます。グラビスさんは子どものように顔を輝かせて家に入っていかれました。

「あの、くそ親父、マジで殴りやがった」

 口の中が切れているのか、しゃべりにくそうです。それでも悪態をつくアラケルさん。追跡してきた魔法映像に、ばっちり映っちゃってますよ。
 ふっとアラケルさんの前に影が出来ました。近づいてきた師匠がしゃがみこんだようです。アラケルさんを無言半目で睨んでいます。めんちきってるヤンキーみたいです。
 しばらくの間、無言の攻防が繰り広げられていましたが、それを破ったのは師匠でした。アラケルさんの胸元を思い切り掴みあげました。アラケルさんから短い悲鳴があがりました。

「お前がくそ親父呼ばわりしたグラビスのおかげで命拾いしたってこと、忘れてんじゃねぇよ。惨めさの誤魔化しなんざ、みっともねぇ。自分の力量を見極められずに喧嘩売った結果がこのざまだ。大体、精霊魔法の何たるか、からじゃねぇ。男としてでもねぇ。まずは命ある者としてってところから、出直してきやがれ」

 ぐっと詰め寄られたアラケルさんは、もうさすがに返す言葉はない様子。唇を噛み締めて、俯いてしまいました。
 溜息をついた師匠は、アラケルさんの襟から手を離し、立ち上がりました。

「……あんたの切れどころが、わかんねぇヨ」
「あ? んなもん、単純明快だろうが」

 アラケルさん、そういう問題じゃない気がしますけど。師匠も、人としてから出直してこいって、はっきり言ってるし。
 ですが、師匠は不機嫌になるでもなく、悪戯な笑顔を浮かべました。悪戯と称するのは可愛すぎるかもしれません。腰に当てていた手を外し、再びヤンキー座りです。
 何故か魔法映像(こちら)に視線を向けてきました。アラケルさんも師匠の視線を追って顔を動かします。

「え? どーしたの?」
「んにゃ」

 これは何か突っ込みを入れろとのサインでしょうか。数度瞬きを繰り返したところで、師匠がふっと表情を和らげました。と、こちらに手が伸びてきたと思うと、ぶぉんと音を立てて魔法映像が消されてしまいました。突っ込みタイムアウトとは、しくじりました!
 手摺りから身を乗り出すと、やや離れた場所に師匠とアラケルさんが見えました。師匠はすぐに立ち上がりこちらに帰ってきましたが、アラケルさんは呆然と固まっています。

「よっ、待たせたな。家の中に戻ろうぜ」
「ししょー、お疲れさま」

 浮遊魔法でテラスにあがってきた師匠に笑いかけると、頭を撫でられました。自然と、へにゃんと頬が緩んでしまいましたが、ここは私が労いで撫でて差し上げるべきですかね。腕を伸ばすしますが、師匠の髪に触れる前に手を取られてしまいました。
 師匠ってば、ちょっと眉間に皺が寄ってます。

「おぅ。それより、アニム。頭痛は――」
「平気! なんでもない。私より、地面、大変」
「心配すんな。水晶は明日にでも直すさ。今日は風呂入り直して、寝ようぜ。久しぶりに大魔法使って、くたくただぜ」
 
 悲惨な地面、ちゃんと直せるんですね。良かった。深い穴だらけで、あれでは家からさえも出れなくなってしまいそうですから。真性引き篭りになってしまう。
 師匠に両肩を押されて、半強制的に部屋に戻されます。っていうか、今日は別の部屋で寝なければです。私の部屋ってば、食器は割れてるしベッドにお茶が溢れているし、吹雪で冷え切っているしで、可哀想な状態です。
 そんなことに悩んでいると、雪が降り始めていました。

「結界解除したし、魔法の余波も消したからな。また吹雪いてくるぞ」
「アラケルさんは……」
「大丈夫だ。グラビスに頼んである」

 良かったです。ちょっと変な視線を向けられたり乱暴にはされましたが、吹雪の中放っておくのは気が引けます。アラケルさんの所業は、大学のゼミやサークルそれにバイト先の飲み会なんかである軽いセクハラみたいに変換して忘れちゃいましょう。
 ふと、思い出したのは嫌な声が発した言葉。あれは、どういう意味だったのでしょう。
 上半身だけ振り返って、師匠をじっと見上げてみます。「んだよ」と、ちょっとだけ口を歪めた師匠。いつもと変わらない、私の好きなやり取り。
 なんでもないと頭を振って、心持ち、体重をかけてやりました。





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