引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

7.引き篭り魔法使いの師匠と、寝込んだ弟子 【前編】

「――そして、お姫様は、王子様と、いつまでも幸せに、暮らしましたとさ」

 最後のページは、お姫様と王子様が仲良く手を取り合っている絵で締め括られていました。端には、物悲しげに逃げていく魔法使いが描かれています。
 フィーニスとフィーネは、私の拙(つたな)い読みをじれったく思うこともなく、耳を傾けてくれていました。二人から安堵の溜息が落ちます。一気に吐き出された息に、微笑みが浮かびました。

「お姫しゃま、おーじしゃま。しゃーわせ」
「ふぃーね、違うのにゃ。しゃーわせにゃくて、幸せぞ」
「んにゃあ」

 フィーニスが得意げに鼻を鳴らすと、フィーネは肩を落として垂れ耳を押さえました。耳を掻きながら何度も繰り返していますが上手くいかないようです。
 落ち込んでても可愛いよ、フィーネ。垂れ耳をくいくい引っ張ると、下に向いてしまっていた顔が半ば強制的に上がりました。フィーネからは、照れた様な小さい鳴き声が出ます。愛らしくて、いつまでもいじっていたい!
 って、大事なフレーズを忘れていましたよ。
 
「めでたし、めでたし」

 今、フィーネとフィーニスは、私の腿上にいます。残念ながら掛け布団を挟んでなので、二人の体温は伝わってこないです。
 私はベッドの中で、背に枕を当てて上半身だけ起こしています。アラケルさんの一件で吹雪の中に長時間いたのと結界魔法をかけられた疲労から、体調を崩しています。

「ししょーの慌てっぷり、すごかったなぁ」

 ぼそりと呟いた言葉は、自分でもわかるくらい浮ついていました。
 師匠ってば、あれはいるか欲しくないかと、一生懸命に世話を焼いてくれたんです。それも嬉しかったですけど、何より、ずっと傍で看てくれていたんです。師匠には申し訳ないですが、私を心配してくれる気持ちがとても嬉しかったんです。

「しょして」
「そして、にゃ」

 熱も大分下がってきて、さすがに寝ているだけというのは退屈です。一週間、ずっとベッドの中ですもん。

「次は、どれ読もうか」

 フィーネとフィーニスにせがまれた童話の読み聞かせは、いい時間潰しになっています。
 もう平気だからとベッドから出ようとすると、師匠が怒るんですよ。寝すぎで腰が痛いです。これでは、師匠をお年寄り扱いして、いじれなくなりそう。
 音読は自分の勉強にもなるし、フィーネとフィーニスも喜んでくれるので一石二鳥です。

「でも、ふたりとも、すごく上手、なったよ」

 フィーネとフィーニスの頭を撫でると、嬉しそうに擦り寄ってきました。フィーニスがツンじゃないの、珍しいです。褒められたのが、よっぽど嬉しいんですね。ドヤ顔でというのが、また可愛い!

「えっへん!」
「あにむちゃ、ありがちょ」

 フィーニスよりも舌っ足らずなフィーネは、ちょっとしょんぼりしていますけど。上手に話せない、親近感です。
 次の本を台から取ろうと腰を捻ります。積み重なった本の中に、一冊だけ小難しいタイトルが混じっていました。もしかして、師匠の本でしょうか。
 手に取って、ぱらぱらと流し見ます。そして、すぐに閉じました。うん、わからない。難しい言い回しやら、複雑な魔法陣が描かれていました。

「アニム、入るぞ」
「あっ、はい」

 ノックとほぼ同時に扉が開く音がして、慌ててベッドに潜ります。師匠ってば、こちらが返事する前に開けたら、ノックの意味がありませんよ。
 鼻まで潜って師匠をお出迎えします。師匠の目には疑いの色が浮かんでいます。同じような姿勢でベッドに埋もれているフィーネとフィーニスが、師匠の視線に捉えられてしまいました。あっ、思い切り眉間に皺が寄りました。

「大人しく寝とけって言ったろ」

 どうやら、お水とお薬を持ってきてくれたようです。トレイの上には、お粥も乗っています。卵がゆです。しかも、薬膳ぽいです。やった。お菓子はフィーネとフィーニスの分ですね。

「お腹すいて、眠れなかったの。お粥、嬉しい」
「ったく、食い意地張ってんなぁ。持ってきたら起こしてやるつもりだったのに」

 綺麗な卵の固まり具合に見とれていると、師匠から苦笑いを向けられてしまいました。
 寝込みはじめの食欲がなかった頃、前に試してレシピに書いておいたお粥を、式神さんと一緒に挑戦してくれたんです。
 師匠、前に私が作った時は、美味しいともまずいとも言えない顔で「リゾットより蛋白だな」って食べてたのに。ちゃんと、覚えていてくれたんです。
 ちなみに、お米は、ラスターさんが東方の国から送ってくれたお土産です。ラスターさん、ちょくちょく東方の国に行かれてるようで、元の世界を連想させるような懐かしいモノを送ったり持ってきてくださったりするんです。大感謝。

「でも、寝すぎて眠れない。ちょっとだけ、フィーネとフィーニス、一緒、本読んでた」
「うにゃ」

 起き上がって先程の童話を、師匠に見せます。
 フィーネとフィーニスは師匠の近くに飛び上がり、勉強の成果を披露しだしました。競うように言葉を発しています。
 師匠は「がんばってんな」と、あたたかい眼差しで二人の喉下を摩ってあげています。喉が嬉しげに、ごろごろと鳴りました。またたびを嗅いだネコのように、ふわふわと嬉しそうに飛ぶフィーネとフィーニス。ちょっと両方にジェラシーです。私も仲間に入れて!

「しかし、フィーネとフィーニスも、懐かしい本を選んできたな」
「あにむちゃ、動けにゃい。軽いやちゅ、持ってきたでしゅ」

 そうなんです。体が冷えるからと、体調が治るまでは地下の書庫へ立入禁止なんです。フィーネとフィーニスが持ってこられる本となると、限られちゃうんですよね。
 師匠が手にとって、なんの気なしにページをめくっています。

「私、この世界きた頃、センさんくれたやつ」

 少し明るい声が出ました。師匠の手元にある本を、ゆっくりと撫でます。
 もちろん、センさんがくださった時の喜びを思い出したのもありますけど。それよりも、長生きな師匠から見たら最近であろう1年前を「懐かしい」と言ってくれたのに、胸が弾んだんです。
 それはつまり、私と出会ってからが時間の主軸になってる表現みたい。そう思っても良いのかなって。考えるだけなら自由ですよね。

「赤ん坊に読み聞かせる童話だからな。アニムにはぴったりだったよな」

 師匠は本を脇に置きながら、意地悪な笑みを浮かべました。
 わずかな乙女心を取り消してやる。っていうか、そんな遠くに置かなくても。
 師匠は、まだ嬉しそうに飛び回っているフィーネとフィーニスを手招きしました。小さな丸テーブルを引き寄せて置かれたのは、お菓子が乗ったお皿。
 二人は顔を輝かせてシフォンケーキに口をつけました。フィーニスは直接口をつけて、フィーネは器用に欠片を前足で持ってです。思い出したように、添えられているクリームにも、前足を突っ込んでいます。

「アニムの粥は熱いから、もうちょっと後でな。腹減ってるなら、擦ったりんご持ってくるか?」

 師匠の優しさを感じた直後、けけっと笑われました。
 後半部分に悪意を感じます。見える、私の第三の目には、悪魔の尻尾が踊っているのが見える。すみません、嘘です。私の目は確かに二つしかありません。
 優しくした後すぐに落とすなんて、ひどいですよね! さましながら食べさせてくれるという発想はないのでしょうかね! 実際されたら、恥ずかしすぎて全力で辞退させて頂きますけど。
 師匠は小さなお皿に紅茶を淹れています。フィーネとフィーニス用ですね。その時に、積み上げられた本が視界に入りました。

「なんか珍しい話でもあったか?」
「ううん。話の大筋、私の世界の童話と、ほとんど同じ」

 一瞬、師匠の眉がぴくりと動いた気がしました。私の世界という言葉に反応したのは、気にしすぎでしょうか。
 
「魔法使い悪者、多い。失礼だよね! 魔法使い、魔術師、魔導師。呼び方色々だけど、意地悪多い」

 師匠の態度を、どう考えていいのかわかりません。とりあえず、怒ったふりをしてみました。ぐっと拳を握って大きく振り上げると、フィーネとフィーニスに真似をされてしまいました。
 童話には、当然良い魔法使いや魔女も出てきますが、大概は主人公を惑わせる役回りが多いです。ここにあるのが、たまたまそうなのかも知れませんけど、魔法使い派としては腹が立ってしまいます。

「センの選択には悪意を感じるぜ。でも、魔法使いは使い勝手が良いんだろう。魔法も呪いも、何でも出来る的な」
「ししょー、実際何でも出来る」
「主ちゃま、しゅごいのでしゅ」

 フィーネが自分のことのように得意げに胸を張りました。シフォンケーキをめいっぱい頬に含んでいたフィーニスは遅れをとり、しかも盛大にむせています。リスの頬袋みたいで、愛らしいです。今突っついたら悲惨な状況になりそう。
 優しいフィーネが、背中を叩いてあげていますよ。美しき友情です。兄妹愛になるのかな。それとも姉弟?
 師匠は少し照れくさそうに頬を掻いています。

「まぁ、オレは天才だからな。って、褒めても何も出ねーぜ?」
「残念」

 別に見返りなんて期待していません。けれど、おどけたように師匠が肩を竦めたので、合わせて頭を垂れてみせました。目指せ、師弟漫才!
 あっ、師匠が嫌そうに口を歪めました。師匠の手に持たれたお粥のお皿が、人質に取られています。

「冗談。ししょーすごい、純粋に、尊敬。だから、お粥、ください」
「……どーにも軽く聞こえるんだが。ったく、食べ物のこととなると、下手に出やがる」

 師匠は半目でじっと見てきます。へらっと笑いかけると、溜息が落とされました。
 お粥さんは無事に私の元へやってきました。匂いだけで美味しいです。

「ほれ、早く食べて寝ろ」
「はーい、頂きます!」

 ぱくりと音がする勢いで一口食べると、ちょうど良い塩加減でした。薬膳のクコの実も美味しい。加えての、とろりとした卵の食感にうっとりしてしまいます。お行儀が悪いですけど、スプーンを咥えながら落ちそうな頬を支えます。
 椅子からベッドに腰掛け直した師匠は、ハーブティーを飲んでいます。レモンの香りに、頭がすっきりしていきます。満面の笑みで頷いている私を視界の端に入れた師匠が、わずかに口元を緩ませたのが見えました。

「美味しい。ししょー、料理上手」
「そりゃ、良かった。つっても、粥は複雑でもないし、料理は魔法や魔薬の調合に似てるから、レシピがあれば大抵は失敗しねぇよ」

 師匠は卒なく料理も魔法もこなしますからね。えぇ、初めての食材でもあっさり美味しく仕上げますよ。それに、お粥みたいにシンプルな料理ほど、誤魔化し要素がなくて難しいと、私は思います。
 師匠は、本当に一人で何でも出来てしまう。
 嫉妬なのか寂しさなのか、自分でも判断のつかない気持ちが沸いてきました。今度は小さい口で、あむっとお粥を口に含みます。それでも、やっぱりお粥は美味しい。

「でも、まぁ。オレは、早くアニムの飯が食いたい」

 ふっと、柔らかく微笑んだ師匠。眠たそうな瞼はそのままに、瞳の色だけ優しくして。形の良い唇の端が、わずかにだけ上がっています。
 天然め!! 鬼畜キャラの次は、天然すけこましですか。大振りな矢がずどんと胸に突き刺さりましたよ。プロポーズの言葉は、毎日お前の作った味噌汁――じゃなくて野菜スープが飲みたい、ですか?! ではなく、メシスタントとして誇りに思っていいですか?
 自分だけ恥ずかしくなって動揺しているのが悔しくなります。素直に喜べばいいものを、師匠をじと目で睨んでしまいます。

「アニム、どうした。変な味でもしたか?」

 師匠は、私の心の内など全く想像もつかないようです。きょとんとして手元のお皿を覗き込んできました。駄目だ、師匠。自分の言葉の脅威に気づいていませんよ。恐ろしい。
 私の手からスプーンが奪われ、師匠の口に運ばれました。師匠は宙を見ながら首を傾げて咀嚼(そしゃく)しています。
 というか、それも間接キス的な。いいけど。

「あにみゅのご飯は、うみゃいぞ」
「ふぃーねも、しゅき。お菓子もご飯も、ぱくぱく食べちゃうでしゅ」

 まるまると出たお腹を摩りながら、フィーネとフィーニスも挙手してくれました。ぽっこりお腹が堪りません。ぷにぷにと指で触りたい!
 げぷっと、フィーニスの小さなお口からゲップが出ました。脳内プッシュが伝わってしまったのでしょうか。
 そんなアホなことを考えていると、フィーニスの前足が揺れました。腰に反対の前足を添えて、ちっちっち的に。

「しゅきない、好きぞ」
「んにゃぁ。しゅき、しゅ、しゅうぅぅ」

 あっという間に、フィーネの大きな瞳が潤んでいきます。尻尾が震えています。
 フィーニスってば、大好きなフィーネよりリードしてると、かっこよさをアピールしたいのはわかりますけど。やり過ぎで泣かせるのは駄目ですよ。
 当のフィーニスは、あわあわとしています。

「私は、フィーネの『しゅき』可愛くて、大好きだよ」

 涙目のフィーネに手を振ります。本当はすっ飛んで行って、抱きしめたいんです。けれど、膝の腕に熱いお粥があるので、我慢です。
 フィーネは「ほんちょ?」と頭をこてんと横に倒しました。満面の笑みで何度も頷くと、ようやく可愛く鳴いてくれました。
 フィーニスは、結局良いフォローの言葉が浮かばなかったようで、てしてしとフィーネの頭を撫でています。

「フィーニスも、好きだよ」
「ふにゃん」
 
 再び、またたびに酔ったみたく体を揺らし、床に伏せたのはフィーニス。デレた、フィーニスがデレた。気絶しそうです。
 そのフィーニスの上に乗りかかったフィーネは「しゅき、しゅきー」と嬉しそうに足をばたつかせています。私は、そんな二人にめろめろです。
 だらしなく鼻の下を伸ばしていると、とても素敵な笑顔の師匠が視界に映りました。あの顔、私に言わせようとしている。絶対に、師匠も好きという言葉を待っている。期待に瞳を輝かせられると、余計言いにくくなるじゃないですか。

「ししょー」
「ん」

 勘弁してくださいと目で訴えても、にこやかな声を返されるだけでした。
 この間から私ばかり言葉にして不公平だと思うのです! まぁ、私が勝手に言ってるだけですけども。師匠も、弟子としてだと思ってるから、照れることもないのかも知れませんけど。って、違いますよね。恋心が隠れればという願いにかき消されていますが、普通に考えれば弟子としてでも躊躇する言葉ですよね! 危ない。
 しかし、逃げ道はありません。私は諦めて、口を開きます。せめてもの抵抗で、視線は逸らしました。




読んだよ


  





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