引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

23.引き篭り師弟と、子猫たちに息衝く魂たち3

 「むくいるって、なんぞ?」

 フィーニスの首が、ちょこんと傾げられました。ふらふらと揺れる尻尾も相まって、やけに可愛い雰囲気。ほんのちょっとですが、涙腺がしまってくれました。
 そっか。フィーニスが言ってましたね。雪夜の記憶を持ってはいるけれど、かなり削られてるんでした。やきもちの意味を、師匠に尋ねてもいましたね。覚えているのは、日常の記憶だけなのかもしれません。この世界の言葉だから、という理由ではないのでしょう。
 納得しかけて、やはり浮かんできたのは違和感。不一致という単語。
 今の私の考え、どこかがずれてしまっている気がする……。

「フィーニスがくれる、優しさに――してくれるお手伝いも楽しいも、心がほわっってなる、嬉しいのに、どんな、お礼すれば、いいのかなって。私、もらって、ばっかり」
「お礼、なのぞ?」

 大きく瞬く瞳。真っ直ぐにあわせられている視線に、小さく頷き返しました。
 しばらく垂れ耳を?いて考え込んでいたフィーニス。浮かべている色は、先ほどと変わりません。

「しょんなの、いらないのじゃ。だって、ふぃーにすがしたくてやってるんじゃもん。しょれに、あにみゅは、いっつも美味しいごはんとお菓子作ってくれるしのう。撫でなでの魔法ものう。よくわからんが、ふぃーにすとふぃーねは、いつもどおりのあにみゅがいいのぞ? 今、言われても何に対してか、わからんのじゃ」

 さらに傾げられた頭。ただ私を見つめてくる瞳に、息を飲みました。
 私、報いるなんて失礼でした。打算のない心に、とんでもなく自分勝手な感謝を押し付けようとしてしまった。フィーニスの綺麗な想いを、踏みにじろうとしたんですね。フィーニスとフィーネは、お礼を期待してる訳じゃなくて、単に私が何のお菓子が食べたいのか、何がして欲しいのか尋ねたのについて、返事していただけなのに。
 再び、ごめんねと口にすると。フィーニスが慌てて両手を上下させました。

「とにかくにゃ! ゆきやもはなも、全部ないないして生まれ変わりたくなかったのぞ。ふぃーにすたち、生きたいって強く願ったのは、わかってるのじゃ。ありゅじにお願いしたのぞ。アメノねーちゃの傍にいたいって」

 雪夜も華菜も。魂だけになっても、私を想ってくれていたんですね。私、ちゃんと二人のお姉ちゃんだったんだ。
 幼稚園だった華菜と雪夜が、お手紙をくれました。『アメノママへ』って書いてくれていたのを思い出しました。正確には、そこにバツがついて『雨乃ねーちゃへ』って修正されてたんですけれど。雪夜が「はなが、まちがえた!」って言い訳してましたっけ。おしゃまな華菜は「ちーまま、いうのでしょ?」なんてむくれてたっけ。
 どんなに二人のお母さん代わりをしていても、本物のお母さんには適わない。幼稚園にお迎えに行って、飛びついてきても。お母さんが帰ってくると、私に向かってくるよりも嬉しそうに走っていった二人。拗ねていた私にくれた、宝物。
 私は……嬉しくなるのと同時に、あの頃から成長していないんだと溜め息が落ちました。大事な気持ちは、相手から送られているはずなのに。自分がって拗ねてる。『アニムさん』に妬いて、自分だってわかってからも、この自分じゃないって。
 フィーニスの気持ちが……雪夜と華菜の思い出が、それを教えてくれた気がして、無性に笑いたくなりました。この気持ちを解消しないと、きっと私は師匠やフィーニスたちの傍にはいられない。

「雪夜と華菜は、心配してくれてたんだ、ね」
「なのぞ。ふぃーにすたち、あにみゅが南の森で異世界に帰えったらって話してから、ちょっとして、夢に見たのじゃ。違う世界だって説明してくれたありゅじに、なら、よけいにアメノねーちゃの傍にいないとって、ゆきやとはながお願いしたのぞ」

 フィーニスの声は、高めで甘いのに。どうしてか、切なくなりました。
 元の世界に戻るという選択肢はなかったのでしょうか。でも、それを聞いてしまうと、雪夜と華菜の気持ちを否定してしまう気がして。唇がかたく結ばれていきます。

「忘れちゃうのいっぱいじゃけど、辛いのは消えにゃい。赤ちゃんからだし、割りにあわないかも知れないぞって、ありゅじは最後まで眉間に皺ぎゅうって寄せてたのじゃ。ありゅじのせいないのに、ずっと謝っててにゃ」

 夢の中で、師匠が言ってました。私の召喚失敗の詳細も、他の意味での失敗も知らなかったって。カローラさんが未来を変えてしまうルール違反だと、言っていたからでしょう。
 でもね、私、わかるんです。師匠はフィーニスとフィーネの中身を知っていたとしても、未来を変えてしまうことになっても。雪夜や華菜が巻き込まれないように、最善を尽くしてくれただろうって。師匠のことだから、フィーニスとフィーネの言動から、事実を知らなくても、推測は出来るはずだから。ましてや、百年もあった。
 師匠は、そういう人です。師匠が別れ前に口にしていた、フィーニスたちを愛しいと想うのは、罪悪感からじゃないって。あれは、本心。
 自分の気持ちより、他を優先する。
 そんなところが大好きだけど、私に関しては大嫌い。もっともっと、押し付けてくれたって良かったのに。

「人型に生まれるには、あんまりに、弱い魂じゃって。故郷に渡る存在値も、ないってにゃ。それでも、ありゅじの魔法で、時間かけて魂育てて、全く関係ない平和な村とかに、人として転生させるも可能じゃけど、いいにょかって」
「ししょー、らしい」

 故意的な転生は、禁術だと小耳に挟んだことがあります。珍しく酔っ払ったセンさんとホーラさんが話しているのを、通りすがりに聞いた夜。あれは何週間か前だった覚えがあります。
 酔っ払いさんの割に、やけに真剣で、どこか愚痴るような口調から話しかけられず、部屋に戻ったんでしたっけ。

「禁を犯して、までもって、思ってくれてたのか、なぁ」

 雪夜と華菜、それに召喚獣の魂にした問いかけ。師匠がただ、流れにそって未来を手に入れようとしていただけなら、選択などさせなかったでしょう。
 それでも、師匠は尋ねてくれたんだ。魂に対する尊厳を、式神とか人間とか関係なく、ひとつの存在として慈しんでくれる師匠。前にセンさんが言ってました。師匠は、本来感情を持たないはずの式神にまで愛されてるって。守護精霊様だって、師匠を好ましく感じていらっしゃった。

「ししょーが見てきた、この世界は、どんな世界なんだろう」

 自分の世界の話は聞いてもらっていたのに、師匠がこの世界のどこが好きだとか、どんな風に感じてきたかを尋ねたことあったっけ。私は、師匠について、ほとんど知らない。機会はあっただろうに、努力をしてこなかった。
 なのに、無責任に確信しちゃうんです。師匠は私の大切なものを、きっと私以上に愛してくれる人。元の世界にやきもち妬いてくれるけど、捨てる必要はないって断言してくれた。元の世界をひっくるめて、私を好きでいてくれてる。

「ししょーは、いつだって、私のこと、想ってくれていたのに、ちょっと、名前呼んで、くれないからって、もう帰るなんて、言って……なのに、ずっと、最後まで、違う方法で、気持ち伝えてくれた」

 冷静になって考えれば、すぐに思い至ることなのに。私、師匠にひどいことをたくさん言ってしまった。拒否してしまった。
 師匠は……態度で、伝えられる限りの言葉で、気持ちをくれていました。

「ししょーは、なんで、あんなに、やさしいのかな」

 隣にいるのが、私みたいな子どもで良いのでしょうか。師匠への想いが増す毎に、自分の情けなさと卑小さに目がいき、心が淀んでしまいます。
 フィーニスとフィーネにしたって同じです。純粋で真っ白な想いを受け取る資格が、私にあるのか。
 重い溜め息が落ちていきます。

「なのぞ! ありゅじは、優しいいっぱいなのじゃ! ふぃーにす、生まれてくる途中、あんま覚えてないけど、ふわふわって、とってもあったかくて幸せな魔法に包まれてたのは、今でも思い出せるのじゃ」

 フィーニスは、うっとりと頬を押さえました。それだけで。師匠が、雪夜と華菜の魂を、どれだけ大切に扱ってくれたのか察しがつきます。同情や後悔じゃなくて、ひとつの魂として向き合ってくれた。そんな気がしました。
 ぐいっと涙を拭うと、瞼がひりひりしました。泣き過ぎて、頭もぼんやりしています。

「擦っちゃダメなのぞ。ありゅじに怒られるのじゃ」
「そ、だね。ふぃーにすが、ちゅってしてくれたら、平気かも」
「あっあにみゅは、甘えん坊さんぞ!」

 目を糸にして怒るけど、「しょーがにゃいから、あとでじゃ」って呟いてくれるフィーニス。腕を組んで――組みきれてないけど、ぶつぶつ零す横顔は、雪夜よりも師匠に似ています。
 師匠の魔力で生まれたフィーニスは、師匠と親子みたいなものなのでしょうか。

「ふぃーにすもふぃーねも、最初っから全部知ってんじゃないのぞ。あにみゅと遊んだり、お料理したり、おねんねしたり。とにかく、赤ちゃんからおっきくなるにつれて、ぽつぽつって浮かんできたんじゃ」
「そっか。だから、いっぱいお話できる、なってから、思い出、口にしてたんだね」
「思い出、なのかにゃ……」

 ふいに、フィーニスの瞳が翳りました。ワントーン低く聞こえてきた、呟き。
 不思議に思って名を呼ぶと、なんでもないというように頭を振られました。

「フィーニスは……あの後、他の人たち、どうなったか……覚えてる?」
「ごめんなのぞ。ふぃーにすも、ゆきやとはなが落ちたあとは、しらんのぞ」

 また。頭をよぎった違和感。『何か』が食い違っているような気がして仕方がない。私と雪夜《フィーニス》の間で。私、もう大切なことを見逃したくない。ちゃんと、自分じゃない心の迷いを掴みたい。
 アニム、考えて。今までのフィーニスの言葉の中に隠れた、本当の気持ちを。フィーネは自分がぐちゃぐちゃに混ざった子だから、私に嫌われるって怯えてました。混ざったって、単純に魂が融合してるという意味? フィーニスが怯えていた理由は、本当に、気持ち悪って思われるのに不安の色を浮かべてたのと、同意義?
 たぶん、フィーニスに直接的に尋ねても、答えは返ってこない。なにより、私が自分で導き出さなきゃいけない答えです。

「私、思い出したの。私、召喚獣の涙、もろにあびたから、あの子の感情、伝わってきた。自分も痛いのに、私や、ひどいのした人たちに、謝ってたの。自分の、意思、なかったって。でも、ごめんなさいって」
「ふぃーにすとふぃーねは、召喚獣の魂をわけあってるのじゃ。召喚獣は、魔法ない世界に飛ばされて、混乱してたのぞ。魔法なくて、身体が溶けていって。やっと、落ち着けた思ったら、変な魔法が身体にもぐりこんできて、訳がわからなくなって。人を襲いたかったなくてにゃ。もがいてただけなんじゃ」

 師匠とセンさんが、召喚獣を欠片で癒していたところに、放たれた銃弾。痛そうでした。私にはよくわかりませんが、魔法のない世界の物質は毒だったはず。
 俯いて震えるフィーニス。考えるよりも前に、手が伸びていました。痛いかったよね。召喚獣の魂は二つにわかれているとはいえ、痛かったという感情の記憶は、あるかもしれません。なにより、フィーニスの心が心配。
 背中を撫でると、びくんと弾みました。それでも指を滑らせ続けます。おずおずとあげられたフィーニスには、戸惑いの色が浮かんでいました。

「うん。わかってるよ。いたかったよね、苦しかったよね」
「あにみゅ……」

 ぽろぽろと涙を零したフィーニスが、遠慮がちに私の手を掴んできます。じっとしていると、次第に強まっていきました。
 今の自分でないだれかの記憶があるというのは、どんな感じなのか。生まれたてのフィーニスたちが抱えていた重さに、今更ながら喉がつまります。

「しょれでもにゃ。ふぃーにすもふぃーねも、召喚獣の魂は持ってるけど、召喚獣じゃないから、ごめんなさいは思うのじゃが、正直、よくわかんなかったのぞ。式神じゃからな。人間よりは、あんま感情に聡くないのぞ。ふぃーにすはゆきやの魂も、もっちょるのに。ただ――」
「ただ?」

 私の繰り返しに、フィーニスはぐいっと口を噛みます。

「あにみゅに嫌われるのが、怖かったんじゃ。ずっこいのぞ。ゆきやとかはなが、どんな想いで生きたい言ったのか知ってるくしぇに、やっぱ、怖い思ったのぞ」

 フィーニスの『怖い』が胸に突き刺さりました。フィーニスが私を信じてるのを疑っているとかじゃない。今ならわかります。
 相手を想うから、相手への大好きが増すほど、苦しくなるんだ。好きだから、嫌われるのが怖い。理屈じゃない。
 フィーネは私じゃないから、気持ちなんてわからないと叫んでいたのを思い出します。あれは、拒絶じゃなくて不安からの叫び。言葉の額面じゃなくて、フィーネを知っているからわかる。
 なら、その『怖い』の正体はなんでしょう。『嫌われる』の中身は何?

「フィーニスもフィーネも、すっごく優しいよ? 私に魔法使える、言ってくれるのも。辛い時、寄り添ってくれるのも、上手く言えないけど、いつも、私や師匠のこと、大切にしてくれてる」

 だれよりも優しいフィーニスとフィーネ。どれだけ二人の存在に救われてきたか。幸せを感じられたのか。はかりしれません。
 軽く頭を振ると、フィーニスは困ったような笑顔を浮かべました。
 頼りない様子のフィーニスは、どこか少し疲れているように思えました。

「あにみゅとありゅじは、特別じゃからな。じゃから、ふぃーにすたちがしてる『優しい』は、たぶん人間とは違うのじゃ。やりたい思ってるの、してるだけなのじゃ」
「それって、裏がない意味。フィーニスとフィーネの心が、澄んでるってこと」
「しょーなのか? ふぃーにすは、式神じゃからな、ようわから――」

 瞬いたフィーニスですが、言葉尻がふいに切れました。ぎょっと、大きな瞳がさらに満月に近くなっていきます。ムーンストーンの瞳が、突然大きな雫を浮かべました。
 涙を拭いたくて手を伸ばしましたが、フィーニスの両手に指を掴まれてしまいました。そして、ばさりと羽を広げ、やや後方に下がっていきます。
 ふぅと、やけに大人びた吐息が部屋に響きました。
 
「あんにゃ、あにみゅ……最後に、ふぃーにす、聞いておきたいのぞ」
「うん?」

 見せ付けるよう動かされる、せわしなく羽ばたく背中のもの。差し込んでくる月明かりに照らされるフィーニスは、とても神秘的な存在のように見えます。涙はぎりぎりのところで、落ちずにいます。
 どっどどと、激しく打ち鳴らされる鼓動。このまま座っていると、全身が痺れて立ち上がれない気がして。私も立ち上がりました。
 フィーニスの両手が、そっと自分の胸に触れていくのが、やけにゆっくり見えました。

「あにみゅは、これから、ふぃーすとふぃーねのこちょ、なんて呼びたい、のぞ?」

 呼吸が止まります。耳鳴りも、煩かった鼓動も、窓を叩いていた風も。何もかも、一切音が聞こえません。くらりと眩暈が起きます。
 静かな、静かな声色。震えもなく、ただ穏やかな音が、耳の奥を撫でる。
 フィーニスが言いたい意味、違和感の正体に辿り着いて。一気に音が戻ってきます。胸から飛び出しそうな心臓。ひゅっと喉を滑った息。

「けっほ!」
「あにみゅ! だいじょーぶかいな!」
「うっ、うん。ちょっと、むせちゃった、だけ。ごめん、ちょっと、眩暈が」

 けほけほと鳴るむせは、なかなか止まってくれません。フィーニスが近づいてくれようとしたのが、くらむ横目に映りこんできました。が、実際に柔らかさが触れてくれることは、ありませんでした。
 すとんと、椅子に腰掛けて、ぐわんぐわんとまわる視界を振り払うため、きつく瞼を閉じます。

「あっあにみゅ! ディーバの匂いと足音がするのじゃ。ふぃーねがまた暴れてるかもじゃから、ふぃーにす見てるぞ!」
「あっ!」

 私の声に振り返ることなく、フィーニスは器用に扉を開け、飛び出していってしまいました。
 残された私は、持ち直してきた思考回路を必死に動かします。なんてこと。言葉の端々で、ちゃんとフィーネとフィーニスは教えてくれていた。

「やっと、わかった……! フィーニスが、最後の一言くれた、おかげで、ようやく、見つけた!」

 業火が昇る勢いで、頭に浮かんでくる言葉たち。
 思い至れば、会話の端々にあったサイン。日常だけじゃない。過去に来てからは、特に顕著になっていたのに、全く探れずにいました。

『ふぃーね、しっちぇるの。あにむちゃ、おじーしゃまとおばーしゃま、しょれにゆきやちゃといっちょ、楽しかったってこちょ』
『ゆきやちゃもはなを叩いた後、もう嫌いにゃって、言ってたでしゅもん! ふぃーね、しっちぇるもん!』
『ゆきやだって、本気ないって謝ってたのだって、知ってるじゃろ! それに、ふぃーにすは、ふぃーにすぞ!』
『ふぃーにす知ってるのじゃ! アメノねーちゃは、自分が一番危なかったのに、ゆきやとはなに、来ちゃ駄目だって、逃げてって叫んでたの!』

 フィーニスとフィーネは、雪夜と華菜、それに雨乃《あめの》の話をする際、覚えてるなんて口にしたことなかった。いつも、『知ってる』とか『わかってる』としか言わなかった。
 それが、フィーネとフィーニスの中で、雪夜と華菜の記憶――存在が、どんな位置付けなのかを示しています。

『ふぃーね、ちゃんと覚えてましゅ。あにむちゃ、花冠、作ってくりぇたでしゅ』
『あにむちゃがしてくれた、かぐや姫、覚えちぇる』

 私《アニム》との記憶は、『覚えてる』って使い分けてたんだ。
 これだけじゃない。毎日の記憶を辿れば、ひとつひとつの思い出に隠れています。二人が望む、自分たちの存在の在り方が。
 無意識か意識してかはわかりません。フィーニスたちのことだから、上手く言葉に出来ないのが、滲み出ていた結果なのかもしれない。それは、つまり――。

『ふぃーにすとふぃーねになる前の魂たちが、ありゅじにお願いしたのじゃ』
『ふぃーねは、ふぃーねになれて、ふぃーにすといっちょで、あにむちゃとあるじちゃまと、いっちょで、嬉しいにょ。それだけじゃ、だめなんでしゅか? あにむちゃは、ふぃーねたち、嫌いなっちゃうにょ?』
『ふぃーねだっちぇ、ふぃーねなにょ! 』
『ほーらの召喚獣、消そうとしためとぅすに、あにみゅ言ったのぞ。召喚獣にだって、勝手してよくないって。ふぃーにすはふぃーにすじゃから、もう召喚獣ないけど、ここがぎゅうってして、すっごく嬉しかったのじゃ』

 言ってた。あんなにも、一生懸命に自分の存在を主張してくれていました。
 二人になる前の魂。フィーネはフィーネ、フィーニスはフィーニス。自分はもう召喚獣じゃないって。
 考えれば、とても単純でした。フィーニスは、私が雪夜と呼びかけてしまったから、もう雪夜じゃないって口に出来なかったです。ううん。違う。フィーニスは計算してしゃべってなんかいない。本当に素直に、感じていることを口にしただけ。
 
「ごめん、ごめん。私、単純にしか……ほんと、簡単にしか、考えて、なかったんだね。召喚獣の魂、持ってても、二人が大好きだよ、なんて」

 鼻の奥がつんとして、頭痛がひどくなります。ぎゅうと瞑った目から、無責任に落ちていく涙。熱くて、しょっぱくて。でも、フィーニスたちが流した涙に比べたら、全然足りないくらいの痛みでしょう。
 怖いの正体を見つけられたのに、胸が苦しくてたまりません。それは真実に対してじゃなくて、傷つけてしまった後悔からの苦痛。

「ふたり、怖かったは、雪夜と華菜、それに私、巻き込んだ、召喚獣の魂、持ってるのと。雪夜と華菜の魂、持ってること。魂、混ざり合ってること。それに――」

 息が止まりそう。
 私が大切に想う人の魂と、それを奪った魂が、ひとつの身体に宿っている。その事実に気がついた時、二人がどれほどの悲壮感を抱いたのか。私に嫌われるかもと、恐怖を抱いたのか。その時の二人を思うだけで、胃が締め付けられます。
 でも、一番はそこじゃなかったんですね。二人が、私に嫌われるって思った最大の要因は、二人の気持ちにあった。

「自分たちが、もう雪夜じゃないって、華菜じゃないって。フィーニスはフィーニスで、フィーネはフィーネって、思ってるから。全部、話た後……私が、二人を雪夜と華菜の、代わり思うのが……二人が、二人じゃないって、私に言ったら、嫌われるって、怖いって、苦しんでいたんだよ、ね?」

 何も知らなければ、当然のように聞こえる会話。何度も繰り返された言葉に、どれほどの想いが込められていたのか、私にはわかります。わかるはずなのに、察することが出来なかった。
 私も、ずっと悩んでいました。現在も気に病んでいます。少し前までは、師匠が『アニムさん』の代わりに私を『アニム』にしたんじゃないかって。過去に来てからは、過去に出会ったアニムにするため、雨乃を傍においていたのかって。
 過去に出会ったのは私だけど、私じゃないなんて、今でも拗ねてる。

「どれだけ、自分の存在、不安かは、身を持って、知ってたのに」

 嗚咽交じりが、やがて号泣に代わり。散々泣き喚いて、どれくらい、意味の無い懺悔に浸っていたでしょうか。頭の隅では、泣いたってどうにもならないって理解していたのに。
 扉が開く音で、やっと涙が止まりました。ぼうっとする頭でも、ディーバさんとフィーニスが戻ってきたのだと、わかりました。
 フィーニスが濡らしてくれたハンカチが、思いの外、あっさりと視界を晴れさせてくれます。たぶん、すごい顔だろうな。

「あにみゅ……遅くなって、ごめんなのぞ」
「私がね、アニム、お腹すいているでしょうから、調理場にお弁当貰いにいこって誘っちゃったの」

 軽い靴音を鳴らして横に来たディーバさんの手には、木で編まれたバスケットが抱えられています。漂ってくるお肉と卵の香りに、お腹がきゅるっと音を立ててしまいました。
 恥ずかしさよりも、安堵が広がっていきました。吹っ切れたんだと、証明されたようで。
 ディーバさんはきっと、フィーニスの様子から、私に時間を作ってくれようとしたのでしょうね。

「良い匂い、です。ありがとう、です」
「いいえー。フィーネは、屋上にウィータちゃんといるわ。お弁当持って、迎えに行ってあげて? その様子だと……悩みは解決したみたいだし」

 手渡されたバスケット。静かに微笑んでいるディーバさんに、私も小さく笑い返せました。まだ、頬や口が引きつっていたかもですが。
 フィーニスは入り口付近から動こうとしません。椅子が音を立てると、一瞬だけびくりと顔を上げてくれましたが、すぐに逸らされてしまいました。

「あのね、私、いっぱい考えたの」
「あにみゅ――アメノねーちゃ。ふぃーにすは……
「うん。私も、アニム。私は、雨乃であってアニム」

 鼻の先が触れる距離まで近づいても、フィーニスは床を見つめたままです。
 こうなったら、多少の強硬手段は仕方がないですよね。とりあえず、腕を自由にしないとです。
 くるりと踵を返してバスケットを机に置き振り返ると、フィーニスが「あっ」と私に手を伸ばして固まっていました。
 今度こそ、満面の笑みを浮かべられました。フィーニスが怯えないようにって、思ったら。その手が下ろされないうちにと、急ぎ足。両手で捕まえちゃいます。

「けどね。フィーニスはフィーニスで、フィーネはフィーネだもんね。二人は、生まれたばっかりの、赤ちゃんだもんね?」

 ばっとあげられた顔は、驚きに染まっていました。ちっちゃなお口が、ぽかんと開きっぱなしです。繰り返される瞬き。
 すぅっと吸い込んだ空気は冷たくて、肺が軋みました。でも、胸は有り得ないくらい熱を持っています。熱くて、あつくて。胸を割って、想いが飛び出てきそう。

「私、嬉しかった。雪夜と華菜の記憶を、大好きなフィーニスとフィーネが、持ってくれているのが。やっぱり、どう考えても、二人がね、姿変わっても、生きたいって、願ってくれたのが、嬉しい」
「う……ん。ほんとは、もっと早く伝えるべきじゃった」

 再び沈んでしまったフィーニスに、頭を振ります。
 私がもっと早く気がつけていたら、フィーニスとフィーネを苦しめることはなかったかもしれない。師匠を悩ませることもなくて、告白も私より前にくれてたかも。けれどね。漠然とだけどね。想いが重なり合ったからこそ、今になったんだって思うんです。

「きっとね、今だから、私も、ちゃんと、考えられた。この世界で生きてきて――ししょーと、フィーニスとフィーネと。他の人たちと、出会えて、色々知って、落ち込んで。幸せ感じて」

 そうです。元の世界じゃ知り得なかった気持ちに想い、出会えた人たち。この世界で生きた私《アニム》がいるから、受け止められる感情なんです。
 元の世界が、もう、どうでも良いわけじゃない。ましてや、家族への愛情が薄まったわけでもありません。
 けれど、私は今、ここで生きている。この世界で、確かに、生きている。大切な人がいる。自分を愛してくれている人を、守りたいって願っています。

「いっぱい傷つけて、ごめんね。気がつかなくて、ごめんね」
「じゃから、あにみゅが謝るのなんて――」
「なによりも、ありがとう」

 口にして、すとんと心の真ん中に、『ありがとう』の言葉がおさまりました。
 教えてくれて、ありがとう。傍にいてくれて、ありがとう。雪夜と華菜の記憶を持っていてくれて、ありがとう。けど、一番のありがとうは――。

「フィーニスとして、生まれてきてくれて、ありがとう。フィーニス、傍にいてくれて、ありがとう。私は、フィーニスなフィーニス、大好き。だから、これからも、フィーニスって、呼ばせて?」

 これが、私の答え。フィーニスはフィーニスです。この世界に来てからフィーニスとフィーネがくれた感情は、数えればきりがない程です。救われた。嬉しかった。一緒に泣いてくれた。そんな風に、わけきれないくらいの気持ちをともにしてきました。だけど、一言伝えたいって思ったら、浮かんできたのは『ありがとう』でした。
 額に口づけを落とすと、ぽっと体があたたかくなっていきました。ほかほかして、さっきまで締め付けられていた頭が、嘘みたいに軽くなります。

「フィーニス?」
「う……な、うなぁ……!」

 反応のないフィーニスが心配になり。片手に抱え直しがてら呼んでみると。
 ぶわりと、瞳に大雫が浮かびました。わんわんと、大声をあげて泣くフィーニス。全身を使ってあげられる声は、悲しいものじゃなくて、安心からのものだって伝わってきます。胸を響かせる音は、どこまでも優しいから。
 腹に、胸に、心に。存在全部に響き渡る想い。フィーニスの魂が泣いてるのが、染み入ってくる。全てで、フィーニスがいるって教えてくれるような悲鳴。
 手を濡らす涙は、自分のものとは比べ物にならないくらい、綺麗です。

「あ……みゅ……あ……う。ふぃー……いい……かい……な?」
「私も、枯れるくらい、泣いちゃったし。フィーニス、出し切っちゃうまで、待ってるから。怖かったよね。でも、頑張って、伝えてくれて、ありがとう、フィーニス」

 ぎゅっと抱きかかえます。あったかい。ちっちゃいのに、鼓動は激しくて、熱い。震える全身が、愛しい。やっぱり、泣き過ぎてしゃっくりしている姿が、大好き。
 号泣したままのフィーニスは、しがみついてくれました。背中を撫でるほど、量を増す熱い雫。私の全身びちゃびちゃになるかもって思うくらいです。
 でも、濡れていくブラウスが肌に張り付く感触は、ちっとも嫌じゃない。フィーニスから流れてくるものだと思うと、嬉しくさえありました。





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