引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

22.引き篭り師弟と、呼ばれた真名7

  過去の皆さんの空気が凍ったのが、肌に伝わってきます。
 ぎこちなく見渡すと、ほんのわずかに瞳を開いているウィータ以外は、一様に冷や汗を流していました。ぽたりと、床に落ちる汗の音さえも聞こえるような静けさ。
 顔に影を落としたまま、師匠がゆっくりと右手をあげていきます。その仕草で我に返ったのか。ラスが、後ろに飛びのきました。自分の身を守るように、クロスされた両腕が揺れています。

「って、脅しても。さすがのオレでも、過去《そっち》への物理的な干渉は不可能だからな。こっちのラスターをしめておく」

 がらりと変わった師匠の空気。
 呆ける私たちを放って、あっけらかんと背後を指した師匠ですよ。「いや、なんでだよ!」と突っ込んだラスは、やっぱりラスターさんです。師匠に実態があれば、裏手突っ込みが決まってましたね。実態以前に、物理的な距離が立ちはだかりますが。

「待ってよ! あたしは関係ないじゃない! っていうか、まぁ、あたしの過去だけれど。若気の至りっていうか」
「おっおんなの格好?! つか、俺か、あれ!」

 乱入してきたのはラスターさんでした。がに股でずかずかと歩いてきて、師匠を押しのけました。いつも通りのイブニングドレス風のお姿です。大胆にはいったスリットに、ハイヒール。ゴージャスに纏め上げられた真紅の髪は、半透明でも華やかです。
 恐怖から一転、ラスが白めむいて倒れそうになっていますよ。ホーラさんとセンさんは爆笑だし、ディーバさんも頬を膨らませて笑いを堪えていらっしゃいます。ちらりとウィータを伺うと、無表情……じゃない、あれは可哀想な人を遠めに見ている目です。

「アニムちゃん! そいつの悪行は、すっこんと忘れていいからね! ほら、あたし、まだ若いはずだし、血の気が多かったっていうか、可愛いアニムちゃんに夢中だったっていうか。って、ちょいちょい! 後ろから槍を飛ばすのはやめなさい!」

 槍は間違いなくルシオラでしょう。わずかに、映像が歪みました。
 目の前に来たラスターさんに、さっきのラスへの恐怖が蘇ってきて、反射的に体が硬くなってしまいました。が、両手をばたつかせて弁明するラスターさんに、すぐさま、ほっと力が抜けていきました。見る見る間に、、震えがおさまっていきます。
 ラスターさん、頬にくっきり赤いあとがついている。ルシオラのグーパンでしょう。

「だいぶ、びっくり。けど、大丈夫、です。それより、ラスが、昇天、しちゃいそう」
「いいのよ、あんな若造、放っておいて」
「そもそも、アニムは物じゃねぇっつーの」

 腕の中のフィーネとフィーニスは、「うな!」と同意の声を愛らしくあげています。
 ひらひらと踊った師匠の手に、納得いかない様子で腕を組んだのはラスターさんでした。

「どの口が言うのよ。いっつも、『オレのアニム』ってうるさい男が」
「あほか。オレは、『オレの』つってんだよ。モノなんて一回も口にしたことねぇ。全く違うだろ、意味合いが。単語だって、言い方ひとつで、印象が変わるんだよ」
「この言霊オタクが! 屁理屈《へりくつ》魔法使い!」

 たっ確かに、ラスターさんのおっしゃりたい内容もわかります。
 でも、嬉しい。実は、こっそり気になってたんです。師匠は『オレの』っていう時は、必ずと言って良いほど、私を名前で呼んでくれてたけど、名前がこないとしたら、モノがつくのか、単純にオレので止まるのか。まぁ、どちらでも嬉しいのは変わらないけれど。駄目ですね、にやけてくる。

「出ましたのですね、ウィータの言霊発言。だからこそ、こっちのウィータってば、口数が少ないのに。アニム効果ってやつなのですねぇ」
「私は、未来のウィータちゃん、とても素敵だと、思うわよ?」

 殺気に満ちた空気が一変。過去の皆さんが、にやにやとウィータを見ているのが、視界に入ってきました。ウィータは顔を押さえて、項垂れています。フィーネとフィーニスが慰めるように、髪を引っ張ってる。
 ウィータの「勘弁してくれ」という嘆きに、謝りたくなりました。
 実際、あまりの申し訳なさに

「なんか、ごめんです。私は、幸せなんだけど、ウィータが、恥ずかしい、よね。でも、ほら。ディーバさんも、素敵、言ってくれてるし」

 と袖を引っ張って、顔を覗きこんでいました。
 誠心誠意、謝罪をしたのに。ウィータに、睨まれてしまいました。

「ディーバは関係ねぇだろうが。問題なのは、お前だ」
「ディーバさん、巻き込んで、ごめんです」
「あぁ、ったく。んで、伝わらねぇかな」

 苦々しく舌打ちされて、しょんぼりと肩が落ちました。私、師匠の真意も、ウィータの心も読めない。どっちの大好きな人にも否定されたようで、無責任に気持ちが沈んでいきます。
 摘んだ袖を離したのに。ウィータは額を擦りつけてきました。あっという間の出来事だったけれど、それが余計に熱をもたらしてきて。泣きたくて、笑いたくて、わけがわからない。
 ウィータの行動に嬉しくなったのと同時。独占欲は見せてくれるのに、要の言葉はくれない師匠に、今度は落ち込みよりも妙に腹が立ってきました。身勝手なものです。

「ししょー、私いなくても、ちゃんとご飯、食べてね」
「わかってる。でも、オレの胃は、もうアニムの料理しか受け付けなくなってるからな。飢え死にするかも」

 ばかばか! はっきり戻って来いって手を伸ばしてくれないのに。殺気を放つのは平気でするのに。ラスターさんの過去だってわかってるラスに対して、敵意をむき出しにするなんて、おばかですよ!
 怯えていたのを棚にあげてるのは自覚していても。湧き上がってきた汚い感情は、消えてはくれません。

「ちゃんと、寝てね。くまが、すごいもん。七日間も、徹夜は、駄目だよ? ししょー、色素薄いから、くまが、目立つ」
「あぁ。けど、湯たんぽがいねぇと、眠れないんだ。寒くて」

 ひどい。ひどいよ、師匠。
 最初の数ヶ月で、師匠がご飯をちゃんと食べてないの知ってた。でも、私と一緒に暮らすようになって、お酒の量は減らないけど、ご飯も食べるようになったって、色んな訪問者さんから驚かれた。
 師匠が寒い夜に目を覚まして暖炉に薪をくべてくれるのも、寝ぼけ眼にわかってた。私が師匠にくっつくと、師匠はすとんて、夢の世界に旅立ってくれてたよね。
 どこを見ても、私の隣に師匠がいて、師匠の傍に私っていう存在がある。
 ひどい、ひどい。日常全てに、貴方がいる。いてくれる。

「……お風呂も、はいってね。折角の、ゴエモン風呂が、もったいない」
「お前が一緒に入って、背中流してくれねぇとな」
「えろししょー! 一緒入ったの、ないでしょ!」

 ぶわっと熱があがりました。師匠の返しを予想していたのはありますが、本当に真っ直ぐ答えるとは思ってませんでしたもの。
 あまりにびっくりして、びしっと指差してしまいました。すいっと飛んできたフィーネたちも真似てくれます。あぁ、いつも通りのやり取り。
 それが辛くて。地べたにうずくまってしまいました。額がぶつかった地面が冷たい。あがった熱を下げてくれるのはありがたいけれど。

「ししょー、なんて、好きだけど、だいっきらい!」

 前にも、似たような台詞を吐いた覚えがあります。あれは、告白する前だったでしょうか。
 うずくまって全てから目を逸らしている私には、だれの反応も察せません。頭にのしかかるフィーネたちの重さだけが、私を慰めてくれています。甘いあまい香り。赤ちゃんの匂い。幼い頃、頼りない腕にも寄り添ってくれた雪夜と華菜で知った、優しいぬくもりです。
 その体温を抜けて、曖昧な感覚が髪を滑りました。

「うん。それでも、オレはお前が好きだ」

 わずかに体を浮かせると、師匠が私の前で胡坐をかいて座り込んでいるのだとわかりました。師匠の表情は伺えなくても、どんな部類のかはわかってしまう。知ってる。異世界での二年間は、確かに私の中に息づいてるから。
 貰った告白の中で、一番初めの、単純な想いだったのに。どうしてか涙が止まりません。

「ば、か。ししょー、きらい、なんて、あるわけ、ないの。でも、好きで、いいのか、わかんな、くて。私、ししょー、好きで、いいの? わけわかんない。だから、きらい」

 本当に、自分は二十歳を過ぎた女なのかと、嫌気がさします。自分の感情が制御出来なくて、むしろ意味不明で混乱してる。子どもみたい。赤ちゃん、みたい。
 この世界に来て、言葉が拙いのもあってか、言動が幼くなっているのは百も承知です。ストレートにじゃないと、表せない言葉と態度。
 師匠がそれで良いんだって笑ってくれたから、そっか、こんな私でもいいんだなって思えたんです。
 でも、ここでうずくまって叫ぶだけの私は、素直というよりも、愚かで……八つ当たりもいいところです。
 なのにね。師匠は、どこまでも私を甘やかしてくれる。

「ごめん。それでも、どうしたって、オレは、お前が、恋しくて仕方がない。お前に好きを貰う一瞬が宝物で、幸せなんだ」
「ばか、ばか。一番肝心な、言葉は、くれないのに。この世界に、縛る言霊は、くれない、くせに。私は、ししょーに、この世界、縛って、欲しいのに。でも……私は、ししょーが、大好きなの! ししょーだけに、女って、みてもらいたい」
「当たり前だ。他の男に女なんか見せてみろ。お前、あっという間に喰われるだろうし、第一、オレ以外に惚れるなんて許さねぇからな」

 ラス、ごめんなさい。貴方が私に向けてくれる想いは、すごく嬉しいしもったいないと思うの。それが、珍しい存在に惹かれているだけだとしても。一瞬でも、こんな私に向けてもらった異性としての感情には、ありがとうって言いたい。私の勘違いだったら、ごめんなさい。
 けどね。私が欲してほしいのは、師匠だけなんです。

――時間よ――
「あぁ。じゃあ、七日後、メメント・モリの南の森で。っと、その前に」

 カローラさんの体が、これまでにない光を放ちました。
 このまま、お別れ。そう思った時、師匠が軽く手招きしました、私ではなくウィータを。

「体、貸せ」

 ウィータの返事を待たずに、半透明な師匠はウィータに溶け込んでいきました。
 見守って数秒後。
 瞼をあげたウィータは師匠の瞳色のように思えました。優しくて、どこか悪戯めいて。眠たそうな瞼に、踵が浮きます。

「おいで、アニム」

 両腕を広げたのは、間違いなく師匠でした。
 ぎゅっと抱きつくと、師匠の力加減で抱きしめられました。背中に回される腕も、耳元に落ちる吐息も。全部、師匠のだ。耳を擦る感覚が、全部で師匠だって伝えてくれる。肩口に頬を擦りつけて、きつく背中を掴んでも足りない。

「ししょ、ししょー」
「うん、オレだ」

 どれくらい、抱き合っていたでしょう。永遠とも思えた時間は、師匠に肩を押されて、終わりました。人前だって、すっかり忘却の彼方でしたよ。
 赤くなっていくのを感じながら、瞳だけ動かすと。皆さん、回れ右をしてくださっていました。センさんだけは振りかえろうとして、ディーバさんにすねを蹴られてましたけど。
 安堵の息を吐くと、頬を滑った指の腹。
 じっと絡む視線。ごくんと、お互いの喉が鳴ります。瞼を閉じたのを合図に、ふっと絡み合った吐息。触れてくるであろう感触に唇が震えた直後。ぐぎっと、痛々しい音が響き渡りました。

「いってぇ!!」
「だれが口づけまで許した! ざけんな!」

 あまりに悲痛な叫びに、ぱちくりと瞬きを繰り返すという反応しか出来ません。唖然とする私の前にいたのは、仰け反ったウィータと、半透明に戻った師匠です。
 ウィータの体から抜けた師匠は、掴めないのにウィータの髪を握っています。

「うっせぇ。そもそも、お前がしようとしたんだろうが。オレの意思じゃねぇぞ」
「ぬかせ。頭ん中でのオレの制止に耳も貸さなかった奴が、さらりと嘘吐くんじゃねぇ!」

 えっと。師匠は私に口づけしてくれようとしたけれど、肉体がウィータだから拒否したって考えて大丈夫ですかね。あれ? 師匠は止めてたってことは、ウィータが? ううん?
 過去の自分に焼きもちを妬くなんて、普通に考えたらあほらしいかもだけれど。私は嬉しいんです。涙がぼろぼろ、勝手に落ちるくらいには。

「ばか、ししょ。大好き」
「ん。オレはアニムを信じてる」
――ウィータ。名を口にしては駄目だと、あれほど忠告したのに。ノイズを入れて誤魔化した私を、誉めて欲しいわ――

 カローラさんの注意を受け、師匠は満足げに頷きました。私は足りない。師匠の存在がまだ足りないのに。
 でもアニムと呼びかけてもらえて、私の心は嘘みたいに晴れていました。
 半透明だった体が、さらに透明度をあげて。師匠も足元が消えていきます。二・三歩後ろに下がった師匠は、ウィータになにやら早口で耳打ちしました。ウィータは神妙な顔で頷いています。

「ありゅじぃ。おわかれなのぞ?」
「あるじちゃま。ふぃーねは……ふぃーねは、どーちても……」

 消えそうな師匠の前で、小刻みに震えているフィーネとフィーニス。師匠は、にかっと歯を見せて笑いました。あぁ、私の大好きな笑顔だ。
 映像がぶれた手は、まるで煙のように漂います。それでも、師匠の手がフィーネたちを撫でつづけます。小さな体に絡む、残像。フィーネたちのおひげが、涙をのせています。

「フィーニスとフィーネも、頑張れよ。お前らはオレの自慢の式神――大切な存在なのは、何があってもかわらねぇから。罪悪感からいってんじゃないからな? 純粋に愛しい存在なんだ。自分の存在に自信と誇りをもって、話せばいい」
「ざいあくかん、ぞ?」
「あー、時間がねぇから、そっちのオレに教えてもらえ」

 もうほとんど消えてる師匠は、困ったような笑顔で、フィーネたちの濡れた鼻をきゅきゅっと擦ってあげています。「みう」と鳴った甘い音で、微笑みに変わりました。
 消えてしまう。
 今度師匠と会えるのは七日後。早く会いたくて七日もあるって思う反面、たった七日で決めなきゃいけないと焦りが生じてきました。しかも、私の言霊を始祖さんが認めてくれるかが最大の難関だなんて。不確定な未来に、気が重くなります。

「眉間の、皺が、すげぇぞ」

 風が通り過ぎる感触に、顔をあげると。曖昧な熱が唇を掠めました。
 口づけだ。師匠が口つけてくれたんだ。
 もう、ほとんど形をなしていない姿だったのに、師匠がにやりと笑ったのがわかります。
 笑い返した時にはすでに、師匠の姿は跡形もなくなっていました。


*これで「引き篭り師弟と、呼ばれた真名」編終わりです*

読んだよ


 





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