引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

22.引き篭り師弟と、呼ばれた真名6

 お腹が痛い。肩が痛い。呼吸が乱れて、肺が軋む。
 振りかかる全てを否定するように、全身が悲鳴をあげています。腕に抱えたフィーネとフィーニスも、腕を濡らしてきました。

「アニム。ウィータや僕らと過ごしてきた二年間を思い出して、そして、考えておくれ。僕は知ってるから。アニムが壁にぶつかる度、ちゃんと人の気持ちを考えて、人の言葉を受け止めて、自分を省みてさ。乗り切ろうって努力してきたのを、傍で、見てきたから」
「センさん」
「まぁ、素直すぎるところは長所であり、短所になるのかな。家に帰ってきたら、もうちょっとずるくなれる心理操作術を教えてあげるよ。特に、言葉の裏に、意味をもたせるような術をさ。僕がお師匠様になってね」

 お礼を述べたいのに、うまく声が出せません。喉に詰まった空気が邪魔をして、唾を飲み込むのがやっとです。喉が震えるだけで、気持ちを言葉になってくれません。
 嬉しかった。大切な人って思ってもらえてたんだって、とても嬉しい。そうだと良いなとは思っていたけれど、実際肯定してもらって、たまらなく幸せです。私が私として、この世界で生きてきたのを、認めてもらえて気がして。

「ふざけるな。大事な一人弟子をセンみてぇな腹黒にされてたまるかよ。子猫たちにまで悪影響が出そうだぜ」
「センのおなかは、黒いんかいな。ふぃーにすとお揃いじゃな」
「ふぃーねは、ちろいのでしゅ。あにむちゃと、いっちょ」

 私の腕から抜け出したフィーニスが、肩に座ってきました。自分のぽっこりお腹をてしてし叩いています。お揃いアピールでしょう。
 センさんの腹黒と、黒い子猫なフィーニスのお腹が黒色なのは、違うんですよ? そして、フィーネ、私のお腹を撫でてくれるのは嬉しいけど、微妙に恥ずかしい。

「ウィータが思ってるより、僕とアニムは仲良しさんなんだよ? ディーバのレシピ繋がりでフィーニスともだし、フィーネの言葉の先生だしさ。アニムにはまだまだ、故郷《こきょう》の、文化についても教えてもらわなきゃ」

 センさんは、可愛く片手を振ったフィーニスの頭に触れつつ、いつもの王子様スマイルで片目を瞑ります。師匠には睨まれてますよ。
 なんとか立ち上がれたものの、伏せた目はあげられませんでした。宇宙みたいな不思議な空間が、足の下に広がっているのを、無意味に眺めてしまいます。
 ふと、目元を滑ったのは、曖昧な温度でした。

「わかってるから。アニムの気持ち」
「センさん……わ、たし。私」
「セン、アニムを泣かせちゃだめ。アニム、どうか考えて。自分の殻に閉じこもってではなくてね、しっかりと世界を瞳に入れて。過去のウィータちゃんや私たちを感じて。今こうして、未来の私たちと話し、過去で決断するのは、絶対、意味があることだから」

 唇を噛んで、ぐっと涙を堪えます。
 フィーニスが肩から滑り落ちてきて。フィーネと一緒に胸に手をつっぱらせて、同じように唇を噛んで真似てきました。昔から、私の表情のまねっこさんですもんね。
 ふっと、頬が緩むのが自覚出来ました。途端、ぱぁっと顔を輝かせた二人が、すりすりと胸に擦り寄ってくれます。
 大丈夫。私は一人じゃない。こんな動揺してたら、フィーネたちの話を受け止めるどころじゃありません。私がこんなんだから、フィーニスもフィーネも、今まで話すタイミングを逃していたのかも。

「ラスターやホーラ、それにルシオラは持ち場から離れられないけれど、後ろでやかましいくらいにアニムへの愛を叫んでるからね?」
「ラスターのは、うざいだけだ。ヒステリックに叫びやがって」

 師匠がけっと悪態をつき。今度こそ、声をあげて笑ってしまいました。
 それが合図になったように、カローラさんが全身を光らせます。眩い光に目を瞑った数秒後、恐々と開いた視界に映りこんできたのは、不思議空間ではなく過去の魔法陣部屋でした。
 センさんとディーバさんの姿はなく、師匠とカローラさんだけが立っています。

「話しは、終わったのかよ」
「あぁ」

 ウィータの問いかけに、そっけなく返した師匠。
 終わってしまったのだと、重い溜め息が落ちました。甘く突き放されても、師匠として掛けてもらえる言葉は、かけがえのないものだった。帰郷の可能性にぶち当たった今なら、どれだけ貴重な時間だったのかと感謝出来ます。
 瞬いた拍子に、目じりに溜まっていた涙が頬をつたいました。いけない、いけない。
 慌てて勢い良く引いた指を掴んできたのは、大きな手。

「ラス?」
「再会できて、帰れるのに、ちっとも嬉しそうじゃないのな」
「えと。それは」

 思わぬ突っ込みに、挙動不審になってしまいました。
 いえ、思わぬっていうことはないですよね。協力者として、当然の疑問でしょう。でも、なんと説明して良いのかに戸惑ってしまいます。
 師匠から吐かれた息が、部屋に響きました。静まり返った部屋の中、ラスだけが不機嫌そうに肩をあげています。
 私の心を探るような目つきが怖くて。少し強引にラスから逃れ、フィーネたちにきつく腕をまわしてしまいます。

「時間はともかく、異空間《じげん》転位の術式が未完成だ」
「異空間、なのです?」

 はてと体ごと横に倒したのはホーラさん。自分の顎に人差し指を添えて、不可解の文字を顔に浮かばせていらっしゃいます。
 時間と分けて使ってるということは、異空間は私の世界に戻るための術なんだろうな。単語ひとつに動揺していないで、もっと先を考えなきゃって自分を叱咤《しった》したばかりなのに。
 丸まっていくのは、情けない背中。

「異空間だ。七日後の満月の日、お前だけでこいつを連れて、メメント・モリに行け。そこで、カローラの指示に従って術の発動を頼む。守護精霊がいる南の森の花びら滝っていやぁ、わかるだろ?」
「それはいいが……今回は映像と会話する時間を計算しての人員とはいえ、オレひとりで発動可能な術なのか?」

 眉をひそめたウィータに、過去の皆さんからざわめきが起きました。
 師匠がそうですが、魔法が高位になるほど、やりがいを感じるタイプですもんね。前にセンさんが、魔法を発動している師匠は、楽しすぎて愉悦顔になるっておっしゃってましたし。

「ウィータが魔法関連で自信なさげなんてね」
「ちゃかなすな、セン。魔力の問題じゃなくて、慣れ不慣れについてだ。繊細な術を紐解きもなく操って、アニムをおかしな時間軸に飛ばしちまったら、元も子もねぇだろうが」
「からかってるつもりはないけどさ。随分と慎重だなって感想を正直に述べただけだよ」

 ウィータに指差されて、どくんと心臓が跳ねました。それだけじゃありません。アニムって名が、耳の奥に残ってしまって、全身の血が熱くなっていく。
 師匠だけど師匠じゃない、ウィータ。だけど、ウィータの方が近くに感じられるというのが、やけに複雑で……。 

「基本は転位魔法に沿っているから、問題はないだろう。転位魔法系列の最上級魔法ってだけだ。この魔法だって、欠片の存在値を利用しているとはいえ、根底は魔法映像と同類だ。お前らには言うまでもねぇが、魔法映像だって起源をたどれば、情報転位の術式からの派生だからな」
「最上級ってだけ、って。はぁ、稀代の大魔法使いウィータ様だからこそ、軽く流せる台詞だな」

 ラスの頬が思い切り引きつりました。私もラスに同意です。魔法に明るくない私でも、字面だけで超難度の魔法っていうのは、充分に伝わってきましたから。ウィータは「なるほど、だから」と、難しい言葉を呟いていますが。
 いうまでもないとは口にしながらも、情報転位云々は私のために説明してくれたのでしょうね。あと、フィーニスたち。師匠は私に語りかけている、ように思えました。あれ、願望と言う名の妄想?

「それに……こいつの判断によっては、始祖が眠りから覚めるだろうからな。違う決断を下しても、欠片たちもいるし、オレが万事つつがなく遂行できるよう、魔法道具をはじめとした準備を整えておく」
「魔法道具、なのです?」
「オレの髪を材料としてるからな。始祖の宝の、身体の一部なんて、最高級の材料だろ?」

 師匠に指差されたウィータは、腕を組みながらも、素直に頷きました。
 もしかして、調合部屋にあった師匠の髪色の液体でしょうか。安直かな? 私が知らない道具はたくさんありますし。というか、師匠ってば、私のせいで切った髪も再利用なんて、さすが大魔法使い。意味不明な感想を抱いてしまいました。

「違いねぇ。それで、髪を切っていたのか。自分のことながら、少しばかり驚いていたんだ」
「いや。短髪《これ》は、そいつの好みだから」
「……あっそ」

 あっ、ウィータがめちゃくちゃ呆れてる。そりゃ、さらりと満面の笑みで告げられたら、当たり前の反応ですよね。うん。腰に手を当てて、なぜか自慢げです。
 私の方が恥ずかしくなって、二人から視線を逸らしちゃいますよ。その先にいらっしゃったのは、師匠から何気なく落とされた『判断』という単語に、しかめっ面になっている過去の皆さんでした。
 怪訝に眉をひそめている皆さんの中で、ディーバさんだけが心配そうに眉を下げていらっしゃいます。私は無言で、へらりと笑うしかありませんでした。
 ふいに強い力で肩を掴まれました。まさかの引き寄せに、いとも簡単に回転した体。

「判断とか決断とかって、どういう意味だよ。アニムは未来に戻るんじゃないのか?」
「えと。色々、あってね? 皆さんには、後で、きちんと、はなすから」

 ラスが私を心配してくれているのは嬉しいのですが。両肩を掴む遠慮のない力加減に、息を呑んでしまいます。
 フィーネたちも、ラスターさんとは違う迫力に、戸惑っているようです。私の胸にしがみついて、低く唸っています。

「おい、ラス。何故お前が興奮する」
「ウィータは黙ってろ。俺はアニムに聞いてるんだ」

 ウィータの制止を振り払い、ラスは私だけを見つめてきます。
 向けられたことのない激情を灯した視線に、体が震える。怖い。私が知っているラスターさんとも、師匠の熱が篭った瞳とも異なっている。
 押さえ込むような、男性の目。アラケルさんと似ているけれど、彼よりも圧倒的な威圧感を持ったラスに、女として恐怖を抱きました。アラケルさんの時は気持ち悪いって感じた。ラスは気持ち悪くないけど、怖い。さっと、お腹の底が冷えるような。

「わっ私、この世界残って、ししょーの元、帰るか。自分の世界に、戻るか、七日後までに、自分で、決めなくちゃ、いけなくて」
「なんだって? なんだよ、それ。未来のウィータの奴は、アニムに戻ってきて欲しくないのかよ! 引きとめもせず、アニムに決めさせて。アニムが帰るって判断下したら、じゃあなって別れる気なのか?」
「じゃあな、では、ないよ!」

 自分の声が、震えているのがわかりました。情けないくらい。
 ラスは私の様子には気が回らないようです。「同じだろ!」と怒鳴られ、自分でも驚くほど体が跳ねました。
 一歩踏み込んできた胸を押し返そうと試みますが、力の差は歴然でした。フィーニスたちも一緒にしてくれます。当然のことながら、ラスはぴくりとも後ろには動きません。

「おい、ラス! いい加減にしねぇか!」

 ウィータが間に割ってはいろうと、ラスを押さえている私の掌に自分のものを重ねてくれます。抵抗むなしく、ラスに抱きしめられてしまいました。いっ痛いです!
 幸い、フィーニスたちは抱き潰されることなく、事なきを得たようです。ウィータが寸前に掴んでくれたみたい。
 それだけには、ほっとしました。けど、あの、本当に、苦しいです。

「未来のウィータが、アニムをどうしても欲しいって思ってないなら、俺が貰う」
「馬鹿か、お前は。自分が先に見つけたのにってな、オレへの対抗心で軽く言ってるなら、お門違いも良いところだぞ」
「違うさ! 言ったろ。俺はアニムに一目惚れしてるんだ。ウィータへの対抗心なんかで、俺のモノにしようって抱きしめてなんかいない」

 身じろぎの効果か、体にわずかな隙間が出来たのはいいのですが。その分、顔を近づけられて、もう涙目です。
 私が知っているラスターさんとは、全然違う。男の人が、女を見ている。
 というか、魔法を発動させようとしているウィータとフィーニスたちが、横目に見えます! ひぇぇと叫びたくなりました!

「てめぇ、オレのから、手を離せ。忌々しい感情で映すな。消すぞ」

 ぞくりと、冷たいものが背中を流れていきました。
 どんな師匠が好きな私でさえ、背中に冷たいものが走る『音』。師匠は見たことのないような形相です。底知れない怒りを含んだ感情と殺気。
 でも、不思議と怖いとは思いませんでした。恐怖よりも嬉しさが込みあげてきて、どうしようもない。



読んだよ


 





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