引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

22.引き篭り師弟と、呼ばれた真名5

「私の、真名、返すは……つまりは、いつでも、もとの世界、帰って、いいっていう、こと? 私、もう、アニムなくて、雨乃《あめの》、名乗って、存在、揺らいでも、ししょーには、関係ない?」

 呆然と。座り込んだ膝先にある、魔法陣の光を眺めてしまいます。だらんと、力なく両側に投げ出されている腕。師匠の顔を見たいのに。雨乃って呼んでもらえて、嬉しいはずなのに、嗚咽ばかりが空気を揺らす。
 私、自分の気持ちばっかりだ。吐露しながらも、頭の片隅で感じていました。私は、私の気持ちばっかりと対面してる。
 師匠がどんな想いで雨乃と呼んでくれたのか、はかれないの。胸が詰まるような苦しい声色でなんて、呼んで欲しくなかったって、否定するばかり。
 俯いた顔から流れる涙が、スカートに染みを作っていきます。

「あにみゅ! ふぃーにすは、あにみゅがどっちでも大好きじゃけど。だけど、あにみゅがいいのぞ!」
「ふぃーね、あにむちゃもアメノちゃもしゅきでち。でも、やっぱりあにむちゃがいいにょ! だっちぇ、ふぃーねとふぃーにすといっちょしてきた、あにむちゃなら、お月さま、帰らないでちょ?」

 私の涙を混ぜて、必死に手を伸ばしてくるフィーネとフィーニス。
 小さな顔にぶつかる涙を時折ぺろりと舐めて、さらに瞳を潤ませます。まるで、私の悲しい気持ちを飲んでしまっているかのよう。
 私を求めてくれる二人が愛しくて、縋りたくて。ゆっくりとあげた指の腹を、背中に触れさせました。あったかい。とくんとくんて、鼓動が伝わってくる。お腹にまわった親指に頬ずりしてくる二人に、また、涙が溢れてきました。
 師匠は、アニムな私はいらない?

「違うっ! オレが伝えたいのは……お前の真名『雨乃』を返したのは、いらないとかでなく、真逆で――!」

 しゃがみこんだ師匠の膝と、きつく握られた拳が見えます。
 師匠の言動、ちぐはぐです。求める言葉もくれるし、私の投げやりな言葉も否定してくれる。なのに、核心にだけは絶対触れない。あたえてくれるものよりも、くれない部分が欲しいなんて、私は身勝手です。
 この二年で、全然成長していない。

――ウィータ、駄目よ。貴方が口に出来る情報は制限されているわ。始祖《ほんたい》に聞かれたら、どうなるか――

 師匠から、アニムという名が私をこの世界に存在固定してくれてるって聞いています。だから、数回あちらの世界の名前――真名を口にしたところで、今すぐどうにかなることはないのかもしれません。
 それでも、呼ばれる度、ずくんと鈍く鳴る心臓が痛い。私はアニムに染まったのだと、痛いくらい自覚する。
 ぽろりと落ちた「胸が、痛い」という呟きが聞こえていたのか。手から抜け出したフィーネとフィーニスが、胸をてしてしと叩いてくれました。

「あにみゅは、あにみゅぞ」
「あにむちゃは、あにむちゃでし」

 ようやく顔をあげる気力が戻ってきました。流れるモノは止められないけれど。
 てっきり、師匠は顔を背けていると思ってたのに。カローラさんの厳しい声色に、それでも、師匠は苦しそうに眉を寄せながら私を真っ直ぐ見つめているじゃありませんか。
 目が合うと、一瞬だけ視線が外されました。けれど、すいっと眼差しは戻ってきました。わかる。わかってしまう。次にくるのは、また耳を塞ぎたくなる内容に違いありません。

「私は、ししょーが、好き。どこの世界の、だれよりも、大好きなの。私だって、ししょー以外、愛せる男性、いない。ししょーだけしか、欲しくない。でも、それだけじゃ、足りないんだね」

 師匠の声が発せられる前に、口を開いていました。師匠はそうだって言ってたのにも関わらず、尋ねてしまいます。でも、頭の回転が遅い私でも、何度も聞けば、師匠の真意がちょっとでも垣間見えるかもしれないと思えたんです。
 本当は逸らしたかった。何度も言ってるだろうがって怒られるのも、黙って頷かれるのも、どちらにも心が軋むのは変わらないから。

「あっあのな、ア――お前、さらっと、んなこと」
「へ?」

 ばさりと衣擦れの音が響いて、ぽかんと、あほみたいに口も瞳も開きっぱなしになってしまいました。
 だって、目の前の師匠は、予想に反した姿なんです。
 耳まで真っ赤にして、そっぽを向いちゃってます。隠しきれていない頬、見えている目が心なしか潤っているようにも思えます。
 盛大に照れている。
 ただ、その表現がしっくりとくる様子でした。

「ししょーが、言ってくれたのと、大差ないよ?」

 緊張感も忘れ、首を傾げてしまいました。胸に抱いたフィーニスたちも、「うな?」と垂れ耳を押さえています。
 ちらっと、こっちを向いた師匠ですが。私が覗き込もうとすると、くるりと背を向けられました。相変わらず、反対側が半分透けている背中。襟からのぞく首は、半透明でも明らかなほど染まってる。

「お前が言うと爆弾なんだよ! 中身だ、中身! つか、全身で卑怯だ!」
「ししょー、さっぱりだよ。意味不明」
「とりあえず、あるじちゃまは照れてましゅのね。仲直りでち?」

 ふにふみと笑っているフィーネですが、笑い返してあげることは出来ませんでした。喧嘩している訳じゃないのとは、否定してあげられません。ううん。してあげられないなんて、ずるい言い方。
 師匠も我に返ったのでしょう。咳払いをして、再び私の前で片膝をつきました。逆戻りした空気が、肌を撫でてきます。乾いたはずの瞳が、揺らぐのが自分でもわかりました。
 師匠の親指が、そっと頬を掠めました。

「お前はさ、ずっと結界内にいて、外の世界を知らない。本当のこの世界を、まだ見ていない。今いる過去は戦場なはずだが、オレの記憶が正しければ、先日敵を追っ払ったばかりだから、現在は落ち着いているはずだ」
「うん。それに、ラスが、発見してくれたから、特権階級の建物で、守られてる」
「ラス、か。まぁ、お前を助けてくれたのには感謝しねぇとな」

 師匠が苦々しく顔を歪めました。
 師匠は、私がこの世界の情勢を知らないのに残りたいなんて軽く決めるなと言いたいのでしょうか。でも、違うかと、思い直しました。だって、師匠は過去を知っているのだから、そこがネックならば、ちゃんと教えてくれていた気がします。
 師匠は何を言わんとしているのでしょうか。

「何があっても守ってやるって、かっこよく決めたいところだが。傀儡やメトゥスの件で、オレは自分の力不足を嫌ってほど思い知らされた。お前を失うってのは、故郷に帰すだけじゃなくて、命って可能性もあるんだって、痛感した」
「でも、ちゃんと、守ってくれたよ! 私も、頑張る!」
「それに、さっきお前が言ったように、オレと今のお前は、違うんだ」

 自分が無神経に投げつけた言葉が、返ってきました。師匠に放った、ひどい暴言。
 無責任に体が震えます。ちゃんと謝りたかったのに、絞り出せたのは消えそうな声でした。

「お前を責めてるんじゃない。純粋なる事実だ。お前がオレの元に残るってことは、同じ時間を歩まざるを得なくなる。始祖《しそ》の加護がいやおうなく、ついてくる。必然的に、お前がお前として生きてきた、故郷で培ってきた全てが変わる」
「私は、ししょーと、いられるなら!」

 師匠に触れようと腕をあげますが、視線で拒まれてしまいました。虚しく落ちていった、腕。重いよ。鉛のように、地面に吸い寄せられるの。ただ、師匠に触れたいだけなのに、許されない。
 私、駄目だ。交わされる会話だけで、短絡的に考えて反応している。これじゃ、師匠が真意を含ませてくれようとしていても気がつけるはずない。
 頭では理解しているのに、心がついてきてくれません。

「『死ねない』ってのは、お前が考えている以上に、間違いなくお前を苦しめる。人とは違う時間を生きるんだ。オレの元に留まって世界が広がれば、必然と長寿や不老不死とばかり関わるわけにはいかねぇ。現に、お前はルシオラとは親友って呼び合える仲だろ?」
「るしおらしゃんは、あにむちゃと、仲良し、親友でち」

 ルシオラの名に、息が止まりました。出会ってから、数日とおかず魔法映像と手紙で交流しているルシオラ。大切な友人。心置きなく本音を言い合える、友達です。
 そうだ、ルシオラはラスターさんと血縁関係はない、普通の寿命の人間です。長寿さんたちだって、普通の人間より長生きというだけで、不死じゃない。
 師匠と同じ時間を生きられるならと願う気持ちは変わらないけれど。私、ずっと師匠との時間だけを考えていました。でも、違う。私が大切に思う人との時間はイコールじゃない。
 私が現実を飲み込むのを待つように、師匠は口を閉じています。

――ウィータ、貴方の口からこれ以上は本当に駄目――
「なら、僕からならいいよね」
――セン……。始祖の加護を受けているのは、言霊の縛り、貴方も変わらない――

 ゆらりと空間が歪み、姿を現したのはセンさんとディーバさんでした。
 怒っているように光るカローラさん。そんなカローラさんをなだめるように、センさんの手首が弧を描きました。いつものように、落ち着いた微笑みを浮かべていらっしゃるかと思ったのに。センさんは、師匠みたいな意地の悪い笑みを乗せていました。

「じゃあ、ディーバなら大丈夫だね」
――あのね、セン。私は貴方と言葉遊びをするつもりはないの――
「アニムは僕らにとっても、充分に、かけがえのないと断言できる大切な人だ。このまま、泣き崩れた姿を前に突き放して、じゃあ後日なんてのは納得いかないよ。大体、僕らに術の協力させた時点で、多少の干渉は始祖の計算だとも取れるけどな」

 無機質に近いけれど。カローラさんの声には、確かに呆れの色が混ざりました。
 咎めているのかと思いきや、カローラさんは身を翻し、師匠の頭上に移動していきます。見逃してくれるって意味でしょうか。
 銀色の長い髪をふわりと広げ、ディーバさんが屈みこんできました。うさぎみたいな赤い瞳は、愛らしくも優しく、細められています。

「ディーバさん。わた、し」
「アニム。時間がないの。私、言いたいことだけ口にするけれど。どうか、アニムは、時間をかけて考えて」

 ディーバさんの優しかった瞳が、凛々しいものに変わっていきます。
 戻ってきた緊迫感に、瞼が瞳を潰しました。師匠じゃないけれど、アニムって呼んでもらえた。私をアニムだって認めてもらえた。ディーバさんに勇気をもらえた。
 それに、師匠から聞くよりも、若干冷静になれると思うのです。

「アニム。この世界はね、とても綺麗で、豊かなの。アニムの故郷《せかい》にあったもかも知れないものが、なかった可能性もある。逆もしかり。そして、似ているものも、あるって聞いてるわ」
「はい」
「似てはいても、やはり、違う場所なの。でもね、この世界でアニムとウィータちゃんが出会ったからこそ、アニムとウィータちゃんの絆がある。アニムの故郷でだって、出会っていたら恋に落ちたとは思うけれど、今のように熱い想いじゃなかったかも」

 ディーバさんの語りかけが、一言ひとこと、胸に落ちてきました。
 私、師匠となら、どこでもいつでも恋に落ちる自信はある。大学のキャンパスでも、バイト先でも。どんな状況でも、師匠の魂に恋した。
 ですが、ディーバさんのおっしゃる内容もにも頷けるのです。師弟として出会って、恋したのはたぶん、今の私たちだから。私は、二年間で育った気持ちを、消したくない。あの水晶の森で、過ごしてきた日々があるからこそ、胸を焦がすたまらない想いが生まれた。

「貴女の故郷の記憶があって、この世界で生きて、今のアニムがある。その前提があるからこそ、ウィータちゃんとアニムの想いが育ったの。元の世界に帰って、ウィータちゃんが――」
「ディーバ! こいつには、関係のないことだ! 余計な動揺をあたえるな!」
「本当にさ、ウィータって自分勝手だよね。僕、言ったろ? 本人に伝えられない行動なら、その後判明する可能性があって、どうせ後悔させるだけだって」

 黙っていた師匠から、鋭い声があがりました。が、一呼吸もおかずに、センさんから師匠以上の怒気を含んだ言葉が投げられました。センさんから師匠に吐き捨てるような口調を被せられるのは、始めてです。
 ディーバさんは「男ふたりは、無視して」と髪を撫でてきます。え、無視で良いのですか。結構、私が絡んでそうな重要なポイントだったような。
 でも、師匠の色で関係ないという痛い言葉が、耳の奥で鳴って。私も見て見ぬふりをしてしまいました。

「ウィータちゃんはね、アニムの心も体も、全力で守るって誓ってる。でもね、この世界には、アニムの故郷にはなかった残酷な理《ことわり》も多いの。魔法であれ、寿命であれ。今は触れていない理も、後から嫌って程出てくるわ。私は元精霊だったから、わかるの。アニムが辛さと対面した時が心配なの。自分で決めずこの世界に残ったなら、アニムはいつか壊れてしまう。心の一番大切な部分は、アニム自身じゃないと守れないのよ。ウィータちゃんは、私を見てきたから、アニムの最悪な事態を危惧してしまうの」
「だから、ししょーは、自分で、決めろって」

 あぁ。私は本当に考えが足りてない。師匠は未来の私まで、心配していてくれていたのに。私は眼前の感情だけで、泣いたり喚いたりしてる。
 師匠が自分で決めなきゃ駄目だって突っぱねてた理由はわかりました。けれど、アニムって呼んでくれないことには、どう繋がるのでしょう。
 センさんと睨み合っていた師匠が、私の視線に気がついてくれました。気まずそうに、首を?いていた師匠は、少し近く感じられました。

「それだけじゃねぇけどな。だから、残された七日間で、お前自身の言霊で答えを紡がなきゃいけない」
――ウィータもディーバも、これ以上は――
「わかってる。これがぎりぎりのラインか」

 深い溜め息が、不思議空間の魔法陣を揺らしました。




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