引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

13.引き篭り師弟と、謎の傀儡(かいらい)2


「ほんのり甘い、香り、いっぱい!」
「日中もだが、夕暮れ時も見事なもんだからな。寄って良かっただろ?」
「うん!」

 目の前には、花びらの滝があります。ちなみに滝は、私たちが立っている一箇所だけではありません。弧を描くように、点在しているんです。
 白い岩の中心に流れ落ちてくるのは、色彩豊かな花びらや七色を纏っている花。滝つぼと表現するよりは、噴水と言った方が正解のような場所に、様々な花が溜まっています。
 滝自体、さほど高さはありません。十数メートルほどでしょうか。ただ、元の世界の滝とはかなり違い、とっても不思議な光景が広がっています。

「なのでしゅよ! あにむちゃ、こっち! 水晶の橋からだと、もっちょ、綺麗でしゅの!」
「飛んでるフィーネはともかく、アニムは足滑らせるなよー」

 流れてくる花や花びらなんですけれど、川の中ではなくシャボン玉やぷるぷるした魔法水みたいな所を流れているんです。透明なので、下からも、流れている様子を眺められます。
 水族館にある、上を見上げるとガラス越しに魚たちが泳いでいるのが見える仕組みに似ていますね。

「川の下、湖みたいなってる、不思議」

 花を流している川の下には、とても広い湖があります。といっても、大きさが湖のようなだけで、深さ自体は私の膝辺りまでしかなさそうです。その湖の上を、まるで空から落ちている高さから、四方八方に花びらが流れ込んできているんです。水晶の橋は、その湖に架けられています。
 フィーネに人差し指をひかれて、湖に架けられている真っ直ぐな狭い橋に乗ると、その神秘さに感嘆の息が漏れました。

「あにみゅ、ここで待ってるのじゃ! ふぃーね、行くのぞ!」
「あい! あるじちゃま、瓶、くだしゃい」

 フィーニスとフィーネは、師匠から小瓶を受け取ると勢い良く飛んでいきました。ウーヌスさんも、湖の周りに点在している滝つぼに屈みこみ、溜まった花びらを瓶に詰めているようです。樽(たる)ほどの瓶なのに、軽々と持っていらっしゃるのはさすがです。
 あっという間に中を満たすと、ふっと姿を消してしまいました。が、また瞬きをする間に現れます。華奢(きゃしゃ)に思える腕には、からの瓶が抱えられています。

「私も、ウーヌスさん、お手伝い、するです」
「今度な。折角来たんだ。今のお前の仕事は、しっかり景色を堪能することだ」

 はりきって捲くった袖は、あっさりと師匠におろされてしまいました。すごく甘やかされている感がしますけれど、素直に頷いておきましょう。言い方に色はありませんけど、弟子としてではなく、アニムとして楽しめとお墨付きを貰った気がしたので。
 頭上を見ると、夕焼けを浴びたきらきら粒子と花、それに水(といって良いのかはわかりませんが)が静かに揺れていました。

「湖の水、澄んだ紫、神秘的」
「時間帯によって色が変わるんだよ。魔法泡と光の傾斜角度、それに花の魔力が絶妙な均衡で作用してるんだぜ?」
「フィーネとフィーニス、一日中遊んでも、飽きない、言ってたわけ、だね!」

 ずっといても、情景の移り変わりに感動しっぱなしなんでしょうね。
 けれど、少し薄暗くひんやりとした空間には、身が震えます。湖に目を移すと、冷気の白い霞が、わずかに立ち昇っていました。
 ストールをぎゅっと巻きつけると、師匠がマントを肩にかけてくれました。そのまま、柔らかに腰を引き寄せられ、じりっと胸が焦げる錯覚に陥ります。

「ししょー、マント、いいよ」

 特別な魔法を編まれているマントは、全然重くはありませんし軽量です。なので、決して着膨れして嫌だよ、という意思表示ではないのです。
 けれど、言葉足らずだったようで、師匠は保護者の目で見下ろしてきました。

「熱をぶり返されたら困るからな。絶景の中で野暮ったい格好は嫌かも知れねぇが、オレたちしかいねぇんだし、我慢しろ」
「そういう意味、違うよ?」
「じゃあ、なんだよ」

 想像していたとはいえ、師匠が女心を察したのに驚かずにはいられません。というか、やっぱり着膨れしてみっともないとか思ってたんじゃないです。まぁ、師匠のマントは大きいし、着膨れっていうよりはてるてる坊主みたいなんですけどね。
 てるてる坊主な自分を想像して、ちょっと切なくなったのは置いておきましょう。
 体に出来た隙間に師匠が、顔を顰めているのが横目に映りこんできました。頬が緩んでいきます。

「障害物、少ないほう、ししょーの体温、染みてきて、好き。ん? 染みる? 触れる? 吸収? 全部で、いっか」

 私、まだ寝ぼけてるのかもしれません。言葉の使いどころに、自分で首を傾げてしまいました。どれでもいいですよね。師匠も訂正してこないし。
 マントのついでに、ストールも取ってしまいました。水晶の橋で綺麗だし、自分のストールの方を下に置いたので、汚れは大丈夫でしょう。

「準備完了! ししょーの、温度、いただきます」
「いただきますって、お前っ――!」

 ストールを巻きつけただけで、師匠がここまで気遣ってくれるとは思ってなかったのです。
 遠慮なく、ぴたりと師匠の腕に抱きつきます。師匠の数少ない露出部分である指先にも、自分のモノを摺り寄せます。フィーネやフィーニスほど暖は取れません。けれど、自分の中で上がった熱も手伝ってか、ぽっと体温があがってくれました。ふぃと、うっとりした息が漏れます。
 湯たんぽにさせていただこうという、単純な乙女心からの行動だったのです。
 でも、師匠的にはアウトだったようですね。私に投げられた視線は、たいそう鋭いモノでしたから。

「あほアニム! 危機感ない奴は、この場でひん剥くぞ!」

 おー。なんか師匠の声が反響して、ちょっくら煩いです。洞窟みたいに、よく響き渡ります。
 がるると、噛み付かんばかりに唸っている師匠に、スカートの端を持ち上げられました。足元に漂っている冷気に太ももを撫でられ、首が竦みます。
 私の身震いを、自分の言葉に怖気づいたのだと勘違いしたのか。師匠はいたく満足げに頷き、指を開きました。
 なんだろう、この敗北感。
 気がつけば師匠の顎まである襟元に手をかけていました。師匠の目が、ぎょっと見開きましたよ。

「寒い、やだ。ししょーのが、厚着。脱ぐなら、ししょー、だよ。私、袖めくれば、すぐ素肌」
「そーいう話じゃねぇだろうが。普通の男なら、勘違いしても可笑しくねぇ言い回しばっかり覚えやがって!」

 師匠のお叱りは無視して、二の腕まで袖を捲くります。力こぶを作ってみせます。どやっ。努力だけは認めて欲しい仕上がりでしたけども。
 何をどこに行き着いてかは不明ですが、師匠は二の腕をがっつり掴んできました。

「っていうか、追いはぎししょー」
「だれが追いはぎだ、だれが。第一、オレが追いはぎなら、お前なんてとっくの昔にすっぽんぽんだぞ!」

 もしかして師匠、物凄く動揺しているんでしょうか。私の行動に対する突っ込みがありません。というか、すっぽんぽんて表現はどうかと思いますよ? もっと艶っぽい言葉を選択して欲しかったです。
 悪態をついてみますが。師匠が心騒ぎしてくれているのかと思うと嬉しくって、ついにやけてしまいました。でれでれです。

「ししょー、脱がせる、上手、だもんね」
「ばっ! お前は、脱がせて欲しいのか!」

 嫌味が役割を果たさなかったようです。まぁ、へらへら笑ったままだから、当たり前ですかね。
 私が口を開く前に、師匠の手が肩のリボンを引っ張りました。肩口を絞っているだけなので、それで服が全部脱げはしません。けど、寒さが増すには十分な露出です。
 言葉が上手く使えないというのは、不便ですね。せめて、控えめに手を繋ぐのに留めておくべきでした。アニム、心の底から反省しております。とはいっても、師匠がまさか本気で私を裸にするとは思ってませんので、寒さの心配です。
 腕をあげようとしますが、師匠に両腕を掴まれていて動かせません。

「うえっくしゅ!」
「言わんこっちゃない。ひとまず、滝口に戻るぞ」

 くしゃみの直接の原因は、師匠にあると思うのです。
 でも、師匠はへの字口でリボンも結んでくれたし、手も握ってくれたので、素直についていきましょう。再度、マントもかけてくれました。聞こえない音量でぶつくさ愚痴ってはいるようですが、鼻歌でかき消しておきます。尖った唇が可愛いとか思ってごめんね、師匠。
 橋は細いとはいえ、二人並んで歩くのは可能です。小走りで横に並ぶと、幸せで胸がいっぱいになりました。

「空、藍色、広がってきたね」

 川の下から出ると、ちらほら星が煌き始めていました。きっと魔法陣を介さないで見る、結界外の星空は一段と綺麗なのでしょうね。
 密度は比べ物にならないくらいですが、こちらの世界の夜空にも『天の川』のようなモノが見えます。そう言えば、地球の空を飾る天の川は、銀河系の帯なんでしたっけ? 厳密には覚えていませんけれど。

「あまの、かわ、『織り姫』『彦星』『地球』」

 ふと思い出された知識が押し上げた、元の世界の言葉。意味もなく、空の星を撫でるように指を動かしていました。随分と久しぶりに零れ落ちた単語に、表現しがたい感情が沸いてきました。
 異世界や異次元と呼ばれるココも、私の世界と同じように、宇宙の一部。同質の宇宙ではないとしても、地球同様、惑星という存在。違う場所だけれど、違わない。
 もちろん、細部をつつけば全く類似点もなければ接点がないことも多くあります。でも、大きな営みの中で捉えれば、ひとつの理です。
 似ているだけで全く同じ星空でないのは重々承知ですけども、不思議とそんな風に思ったんです。なんだか壮大すぎる思考になっちゃいましたね。

「ずっと上を見てると、首がつるぞ。口も開きっぱなしの間抜け面」
「ぐぇ」

 師匠に両耳上を挟まれて、無理矢理下を向かされました。視界を埋め尽くしていた星が、一気にお花になりました。
 思い切り後ろに頭を倒していたのを勢いよく引っ張られ、こっちの方がよっぽど首に悪かったですよ! むちうちになったら、どうしてくれようか!

「ししょー! 間抜け面、ともかく、首はいた――」

 恨みがましく師匠を睨みあげます。が、文句は最後まで出せませんでした。
 ぎゅっと、抱きしめられていました。抱きしめられているというよりは、頭にしがみつかれているみたいです。髪の中に滑り込んできた指は、微かに震えているようでした。
 抱き寄せられる寸前。映りこんできた師匠は、瞳を潰して泣き出しそうな顔をしていた……ような。

「ししょー、どうしたの? 立ちくらみ?」
「あほアニム。どうして、星を眺めてたお前じゃなくって、お前を見てたオレがめまいを起こすってんだよ」

 いつもと変わらない、呆れた声調。けれど、私の頭と腰に回された腕には、痛いくらいの力が込められています。
 師匠は私を見ていた。ということは、つまり。私の呟きも聞こえていたのですよね。きっと、なんとも言えない感情も、顔に出ていたのでしょう。
 理解した途端、やりきれない思いが襲ってきました。ちょっと前の自分の頭を思い切り叩きたい。

「ししょー、ごめんです。私、無意識、元の世界、言葉、使ってた」
「いや。オレの心が狭すぎたな。悪い、忘れてくれ」

 師匠の体から力が抜けます。緩んだ腕で、師匠が離れようとしているのがわかりました。今度は私が力いっぱい、師匠の背中を掴みます。掴むというより、自分の存在を押し付けている感じは否めません。
 私が元の世界の言葉を使う時、師匠はきまって不機嫌になります。けれど、むすりとするだけです。今のように、不安な気持ちが伝わってくることは滅多にないです。

「ししょー、心狭いなんて、思わない。やきもち、言ってくれた、ばかり、なのに。うっかり、ごめんです。あほアニム、名誉挽回、できず」
「オレな……アニムに我慢や無理をしてまで、元の世界の言葉を口にして欲しくないわけじゃねぇんだ。なんつーかさ。ただ、オレが隣にいるのを、忘れないでくれよな。とか、妬いてるだけでさ。別に、お前が遠くに行きそうとかは、思ってないわけで……」

 溜め息を連れて、ぐったりもたれ掛かってきた師匠。ちらりと覗いた襟足の下は、真っ赤です。首周辺が真っ赤ということは、顔はゆでだこさんなのが容易に想像出来ます。
 確実に、私は師匠以上に爪から髪の毛の先まで、煮えたぎるマグマレベルでしょうね。そっか。花畑に来た時の言葉も、今のも。そんな風に揺れてくれたから、だったんですね。
 師匠の中での私が、どういう存在なのかを垣間見た気がして。うれし涙がこみ上げてきます。

「もちろん。私、ししょーと一緒、幸せ。忘れる、ないよ。もし、迷子なっても、ししょーが、探して、引き寄せて、くれるでしょ? 私も、気をつける」
「意味合いが微妙に、ずれてるっての。でも、まぁ、任せておけと笑っておいてやるよ」
「頼り、してます。おししょーさま!」

 少し体を離して、へにゃっと笑いかけます。幸せに蕩けるって、まさに今の私の状態を表現する言葉ですね。
 師匠は、苦々しい様子で口を歪めました。笑っておくと宣言した割には、どこか居心地が悪そうにも思えます。なにゆえに。
 私としては、嬉しくて堪らないので構わないです。こうやって、ちょっとずつ、抱えているもやもやを解消していけたら良いな。私も、謝るんじゃなくって、どうしてそういう行動を取ったのかを言葉にして伝えるよう心がけましょう。

「さっきの、はね。星空綺麗すぎて、星の帯、仕組み、思い出して、つい」
「仕組み、かよ。天文学でも習得してたのかよ、お前は」
 
 師匠から伝わってきた感情は、やきもちとはまた異なったモノなのは、私にもわかりました。けれど、その不安を完全に払拭出来る方法を、今の私は持ち合わせていない気もするのです。
 ただ、思い出した内容に嘘はありません。何より、師匠を悲しませたくのだけは、はっきりしています。だから、今、形に出来ることは全部しよう。

「そっ! 博識、でしょ。ししょーにも、教えて、あげる! アニムししょーって、呼んでも、いいよ?」
「そりゃ、どーも。つーか、調子に乗るな。人の心、無邪気に掻き乱してくれやがって」
「アニムは、泡だて器の、能力を、手に入れた。ただし、使用範囲、ししょー、限ってなり」

 得意げに笑うと、師匠は脱力気味に「たちがわりぃよ」と額を叩いてきました。掌で軽くなので、痛くはありませんでした。
 ひどいでしょうか。師匠が私を想って心を乱してくれるのを、幸福だと思ってしまうのは。まっ、お互い様ですよね!

「つーか、オレひとりで空騒ぎじゃねぇか。情けねー」
「え? ししょー、なにか、言った?」
「うっせぇ」

 本当はばっちり聞こえてましたけど。ここは知らない振りをするのが優しさですよね。
 お詫びにと、もう一度、師匠に抱きついてみます。胸に頬を摺り寄せると、花の香りがしました。風が運んできた香りでしょうけれど。とても甘い匂いは、師匠が纏った薫香にしか思えなかったんです。

「今度、天文図、持って、星見しようね? 約束」
「ったく。しかたねぇから、付き合ってやるよ」

 意地悪な笑みを口角に乗せた師匠。
 よかった。いつもの師匠です。どことなく、嬉しそうにも見えます。
 小指を差し出すと、自然な調子で師匠のも絡んできました。召喚されたばかりの頃に教えてあげた、約束の行為です。常にしているわけではありませんが、絶対ねという意思を込めて。




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