引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

10.引き篭り師弟と、名前の意味3


「うっせぇな。ったく、言えば満足するんだな?」

 胡坐をかいている足首を掴んでいる師匠は、疲労感たっぷりです。逸らされた視線は気になりますが、とりあえず答えをくれることに満足しなければなりませんね。
 大きく頭を動かすと、ちょっとだけ眩暈(めまい)が起きました。ぐっと唇を噛んで、師匠を見つめます。

「例えばだな。初めて顔を合わせた人間、しかも、おもしれーかなって興味を抱いた奴がいるとするだろ?」
「うん」

 突然始まった例え話に面食らいながらも、思い切り顎を引きます。即答です。
 師匠の一言一句、聞き逃すまいという気迫が伝わったのでしょう。前のめりになった私から逃げるように、師匠は重心を後ろに倒しました。しかも、何故か口元が一瞬ひくつきましたよ。同意しているのに、何故。

「興味を抱いている。だから、そいつを知りたいと思う。関心がない事柄より、興味がある内容の方が頭に入るよな」
「わかる。当然です」

 勉強も然りです。私も、料理や魔法調合には興味があるので、吸収しやすいです。けれど、語学はいまいち苦手なので、成果がなかなかあがりません。日常から使用しているとはいえ、身につく速度が違うのが現実です。
 もちろん、言語は生活に密着しているし、少しでも自分の気持ちを正確に伝えたいという想いはあるのですけれど。元々、語学が苦手なので、こつを掴むのが難しいのです。聞き取りに関しては、ほとんど困ることはありませんが、話す方は考えすぎると声にならないんです。

「だけど、知識欲が満たされるつーかさ。一を形作っている欠片を吸収する度――自分の中で穴が埋まっていく程、自分が実際、過去の欠片として並んでいなかったのに、その、つまり、なんだ。もやっとするわけだ」

 熱の影響でしょうか。いまいち師匠が言わんとしている内容が理解出来ません。というか、掴めません。具体的だった例え話が、急に抽象的になりましたし。
 欠片って、どういう意味でしょう。助けてください。

「ししょー、私、病人。理解不能。もっとくだけて説明、欲しい。あいまい、わからないよ」
「――っのあほ! これ以上、男として情けねぇ台詞、吐けるか!」
「欠片と男、どう、関係あるです?」

 必死に思考を回転させますが、どうにも理解が追いつきません。欠片の話が、師匠の男として情けないという言葉に、繋がりません。うーん。
 探偵よろしく、腕を組んで一生懸命推理してみます。けれど、一向にめぼしい回答は浮かんできません。こてんと、頭が横に転がってしまいます。

「ししょー、もっと手がかり、ください」
「うっせぇ! この話は、終わりだ」

 師匠の腕が左から右へと、勢い良く流れていきました。すぱんと、勢い良く切られた空気に、思わず首が竦みました。師匠の目じりが、きゅっと上がっています。
 とは言え、私としては、ものすごく消化不良なんですけど。熱でふらふらする体を、一層揺らして、全身で抗議しましょう。

「えー、ししょー、優しくない」
「どの口が言うか。ともかく、この話については、もう質問は受けつけねぇ! 代わりに、ひとつだけ違う質問になら答えてやる」

 師匠は、後ろに両手をつき思い切り仰け反っています。腰を悪くしないかと心配になる姿勢です。耳まで赤くなる辛い体勢をとるほど、言いたくないみたいですね。
 優しいのか、はたまた意地っ張りなのか不明な師匠の言葉に、不満の色濃い声しか出ません。

「それ、意味ない思うで――」
「不平不満こぼすなら、とっとと寝かしつけるぞ」

 起き上がった師匠の腕が、腰に回ってきました。こめられた力に、師匠の本気度が伺えます。ちょっとぞくりとしちゃったのは、内緒です。
 まだ師匠と話していたいので、慌てて師匠の肩を掴みました。
 色々普段から疑問に思っていることを聞くチャンスだとは承知しながらも、いざ、突然機会が設けられても、思考の棚から引っ張り出せません。
 かと言って、『アニムさん』のことを聞く勇気は皆無です。でも、私の心どころか、全部を支配している闇。本当は、みっともなく泣きながらでも聞きたいです。
 ですが、知りたい気持ちに比例して恐怖も大きいんです。過去の出来事に打ちのめされたばかりの心では、耐え切れそうにないです。
 苦悩した結果、とても遠まわしな質問にたどり着いてしまいました。

「私の、名前、意味がある? 由来、とか」

 おどおどと出した声は、予想以上に詰まってしまいました。焦って付け加えた言葉に、師匠が瞬きを繰り返します。
 心なしか、緊張が走ったような気がしました。私が一人で神経質になっているだけかもしれませんけれど。
 ですが、空気はすぐに緩みました。師匠が、困り顔で微笑んでいます。困ったというより、呆れてるのでしょうか。

「今更、どうして気になったんだか。『アニム・ス・リガートゥル』。魂というか、この世界にお前の存在を留めておく、一種の言霊だな」
「呪文的な、よくある、名前?」

 内容だけ聞くと、まさに私のための名前なのだと思えてしまいます。
 急激に動機が激しくなっていきます。出してしまった言葉を後悔しても遅いです。自分の頬が、岩のように硬くなったのがわかりました。きっと、すごく怖い顔になっていると思います。
 それが伝わったのか、誤魔化されたのか。どちらかはわかりませんが、師匠に抱き寄せられました。ちょっと変な姿勢ですが、師匠の肩口に頬が触れます。あやすように頭を撫でられています。

「いや、正真正銘、お前の名前だよ。それに、少なくとも、オレが二百六十年生きてきた中で、お前以外は聞いたことねぇな。オレがつけたんだから、聞いたことねぇって表現も、おかしいか」

 私以外では知らない。それは、間違いなく嘘です。
 だって、夢の中で見た師匠は、『アニムさん』の名を何度も呼び、熱望していました。私じゃない、『アニムさん』の影を追って、私に重ねていた。
 師匠に後ろめたさは感じません。普段は感情豊かな師匠ですが、小娘な私には師匠の心の内なんて図れないのでしょう。
 でも、きっと、これは師匠の優しい嘘。明らかに気落ちしている私を慰める、苦くて甘い偽り。そう思えば、胸の痛みを見ないふりくらいは出来そうです。

「アニム?」

 頭の上から、師匠が訝しんでいる声が降ってきました。
 大丈夫です。今日は元から瞳は潤みっぱなしです。普通にしていれば、気付かれないはずです。ランプと暖炉の火が灯っているとはいえ、ある程度は影の方が勝っています。
 師匠の肩に寄り添ったまま、顔を横に倒しました。首筋にかかった、レモンシフォンの髪が額に触れてきます。反対側の首筋に手を伸ばすと、不揃いな毛先が指の腹をくすぐってきました。
 無言で髪をいじり始めた私に、師匠は戸惑っているようです。密着している胸から、わずかに早まった鼓動が伝わってきました。

「ししょー、ちょっと、髪伸びたね」
「ん、まぁ、そうだな。起きたら切るか」

 再び師匠の足の間に、体を置きます。自分の髪先をいじっている師匠の目元は、ほんのりと赤みをさしていました。薄暗い中でもわかるくらいだから、本当はもっと鮮やかな色なのかもしれません。
 もしかして、短い髪って恥ずかしいのでしょうか。普段なら、そんな馬鹿なと笑い飛ばせる考えも、世界の壁を改めて感じた私には重要な疑問です。

「ししょー、ずっと髪長かった、言ってたね」
「魔法使いの髪には、魔力が凝縮されてるからな。物心ついてからは、ずっと長かったんだぜ? そういや、短くなってから、会う奴全員に、驚かれたり笑われたりしたなぁ」

 師匠は懐かしそうに、顎を撫でます。からかわれた時を思い出したのか、師匠は苦虫を潰したような顔になりました。
 師匠が小さな頃からずっと髪を伸ばしていたのは、初耳です。
 訪問者の方々が髪の短い師匠を見て目を見開かれていたのは、ただ単純に髪型が変わって童顔がさらに強調されたという驚きだけではなかったのですね。
 大魔法使いの髪が短くなる。それが持つ意味は、私が思う以上に重かったのかもしれません。

「ごめんです。私、知らなかった。無責任に、短いの似合う言った」

 情けなさから、肩が落ちてしまいました。こんなところにも文化の差、というより世界の差があったなんて。召喚されたばかりの頃とは言え、世界の差を実感している今は、十分な落ち込み要因です。
 思わず、正座になってしまいました。重い顔を上げると、師匠は苦笑を浮かべていました。

「あほ弟子。オレ位になると、髪程度で魔力が左右されるなんて、有り得ねぇんだよ」
「……そっか」

 私には、師匠の言葉が本当なのか、はたまた気遣いなのかはわかりません。
 もっと魔法に関する知識が欲しい。そう強く思いました。魔法を知ることは、ひいては師匠との距離が縮まるのに、繋がると思えたから。
 そっと。師匠の髪に指を埋めます。柔らかい感触が、指先に絡んできました。
 前はもっと気軽に触れられていたのに……熱の影響でしょうか。無性に泣きたくなるのに、それでも止められません。

「私、好き」

 吹雪の中で零したのよりも、さらに消えそうな音量です。でも、静かな部屋では、これ以上ないくらい、響きました。
 師匠は、私の言葉を理解するのに、珍しく手間取っているようです。ほうけた表情で口を開けて、私を見上げています。
 髪の長い師匠も素敵でした。けれど、髪の短い師匠は、私が唯一独占出来ているような気がします。私が一番知っていて、私がずっと一緒にいる師匠。ここまで短くしたのが初めてなら、『アニムさん』すら知らない師匠です。
 嬉しいのか切ないのか。ただほろ苦い想いが、胸を突いてきます。
 膝立ちになると、上質なベッドに体が沈みました。もう一度、曖昧な好きを零しました。髪の長さじゃなくって、師匠が好き。その意味を含めて。

「なんだ、その。そりゃー、短い方が似合いそうだって言った本人に駄目出しされたら、さすがのオレでも、へこんじまうぜ」

 じわじわと、師匠との距離を詰めていきます。
 途端、師匠は挙動不審になり始めました。私の腰を支えている力加減に、抵抗がみえます。でも、負けません。
 気合を入れたはずなのに、目の奥が熱を帯びてきました。また涙が溢れてくるのかと下唇を噛みます。視界が揺らいだだけで、熱い雫は零れずにすみました。

「ししょー」

 思い切り、師匠の頭にしがみつきます。首にぎゅっと腕をまわすと、師匠の髪に顔が埋まりました。私が使ったのと同じエルバの香りが、鼻腔から全身に染み込んできます。あぁ、幸せ。
 可愛いつむじが見えて、無性に嬉しくなりました。私、現実世界でも、ネジが外れちゃったみたいです。

「おい、アニム――」
「髪短いししょーは、私、だけの、ししょー、だね」

 私だけの師匠。それは、なんて傲慢(ごうまん)で我侭(わがまま)な表現。醜い独占欲です。弟子としてだけではなく、女としての立場からもわきあがってくる、子どもじみた想いです。
 後ろめたさから、必然と囁く形になってしまいました。遠慮がちに動かした唇が、師匠の耳に触れます。自分の吐息が、一段階、濃くなった錯覚に陥ってしまいます。くらくらします。
 びくんと、珍しく師匠の体が大きく跳ねました。そんなに驚かなくてもいいのにです。

「うん、私、だけの、ししょー」
「って、おい、アニム。あぶなっ――!」

 体重をかけすぎたようです。師匠のうろたえた声が飛び出たのと同時、体がシーツを滑っていきました。
 ぼすん、と大き目の音が静かな部屋に響きます。私の体も、師匠の体の上で弾みましたが、師匠がしっかりと体を支えてくれたので、転げ落ちることはありませんでした。さすが師匠。もちろん、私も師匠の頭を離しませんでした。
 ちょっといやんな部分を指が撫でたのは、スルーしてあげます。
 フィーネとフィーニスも波に乗りましたが、幸い、目を覚ましませんでした。

「今日は一緒、寝てくれる?」

 自分らしくないと自覚しながらも、甘ったるくおねだりしてみます。師匠が頼れと背中を押してくれたんですものね。思い切り、甘えさせて頂きましょう。
 師匠にも私の鼓動を感じて欲しくて、胸に師匠の頭を引き寄せます。
 抱き枕の感触に似ていますね。元の世界で華菜とお揃いで買った抱き枕が思い出されました。
 襲ってきた得体の知れない不安を振り切るため、師匠の頭をぎゅっと抱え込みます。不思議と心が落ち着いていきます。
 師匠、お風呂上りだったのでしょうかね。じんわりと、みずっけが腕に染み込んできました。
 
「アニム、とりあえず、オレの、胸あたりまで、降りて来い」
「でも、気持ち良い、なくて。えっと、心地よいの」
「いいから!」

 子猫たち顔負けに師匠の髪にすりすりしていると、師匠からぶつ切りの言葉が絞り出されました。
 絡み付いていた腕も離され、ちょっと不満は残ります。が、命令形な割に懇願の色が強かったので、素直に従ってあげることにします。おじいちゃんなので、あまり強く抱えると、窒息してしまいそうですしね。
 密着はそのままに、樹を降りるように師匠の胸元に自分の頭がくるぐらいまで、移動させます。師匠のご希望の場所にくると、はふっと息を吐いて落ち着きます。

「ししょー」

 今度は、私が師匠を見上げる形になりました。じっと見つめると、師匠は掌で顔を覆って、そっぽを向いてしまいました。
 手を剥がそうとすると抵抗されてしまったので、即座に諦めます。それよりも、師匠の体温に安心したせいか、睡魔が一斉に襲ってきました。もちろん、どきどきも煩いですが、ひとまず、ほっとした安堵が大きいです。

「ししょー、甘えろ、言った。傍にししょーの体温ある。一番の安心」
「あー、はいはい。喜んで、ご一緒させて頂きます」

 投げやりな物言いです。とっても面倒くさそうです。
 でも、目に飛び込んできたのは、口を真一文字に結んで真っ赤になっている師匠でした。にへりと笑みを浮かべると、思い切り髪をぐしゃぐしゃにされてしまいました。
 と、視界の端に映ったのは、可愛いフィーネとフィーニス。夢を見ているのか、小さな前足が宙で踊っています。よだれを垂らして笑顔を浮かべているので、きっと夢の中で美味しいお菓子でも食べているのでしょう。しゃっくりをし始めたら、いつものように背中を摩ってあげなければですね。
 フィーネとフィーニスを眺めてにやついていると、師匠に抱き起こされてしまいました。そのまま、ベッドの中に押し込められます。あれです。横向きになって抱きかかえられました。
 師匠の顔が見えないのは残念ですが、とてもあたたかいです。今更ながら、若干体に走った緊張が、徐々にほぐされていきました。

「ししょー、おやすみです」

 もぞっと体を動かして、軽くおやすみの挨拶をします。ちょっと冷えた唇が、逆に心地よかったです。
 自分からした恥ずかしさから、逃げるように師匠の腕にもぐります。なので、師匠の様子はわかりませんでした。ちょっともったいないことした気もしますね。

「アニム、おやすみ。いい夢、見ろよ」

 師匠が腕を動かすと、部屋の明かりが一斉に消えました。
 暗くなった部屋には、暖炉から火の香りが優しく漂っています。
 薪が爆ぜる音、それに隣からフィーネとフィーニスの寝息。そして、師匠の存在。
 『アニムさん』、ごめんなさい。貴女と師匠の百年、それに今を奪っている私を許してください。と、謝りつつも。ここに流れているのは、私だけの時間とも思ったりです。
 明日から、ちゃんと考えるから。今だけは、熱を言い訳に、幸せに浸らせてください。
 会ったことのない『アニムさん』に謝りながら、重い瞼を閉じました。

「だいじょーぶ……ししょー」

 大丈夫、師匠を感じていられるから。
 眠気に飲まれ、言葉は続きませんでした。その代わりにと、夢に落ちる直前、師匠に擦り寄りました。
 頭の上に落とされた「仕方ねぇーな。お師匠様の忍耐力に感謝して寝ろよ」と言う声に、意味もわからず、微笑が浮かべていました。
 師匠が私を抱きしめて、私に話しかけてくれる。それだけで、とても幸せだったんです。




読んだよ


  





inserted by FC2 system