引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

11.引き篭り師弟と、痴話喧嘩(ちわげんか)


「――にむ。おい、アニム!」
「へっ?!」

 ふいに受けた衝撃から、椅子を鳴らして立ち上がります。
 師匠が呼んでいるのが、遠くから聞こえてきたなぁと思ってはいました。認識してから、すぐ、頭を揺さぶられたんです。
 師匠は短気な部分もありますが、基本的に気長に待ってくれる人です。なので、予想外な行動に、過剰反応してしまいました。
 目を見開いたまま振り向くと、私と同じような表情の師匠が倒れかけた椅子を支えていました。そのまま、しばらく二人して見詰め合っちゃいました。
 いえいえ、違います。思考回路が仕事放棄していただけです。

「僕、もう帰るんだからさ。いちゃつくの、もう少しだけ我慢出来ないのかい? 二人の世界、作っちゃってさ」
「うっせぇ。アニムのあほ面見てみろ。どうしてそこに行き着くのか、意味がわからねぇよ。アニムも、何度も呼んだのに無視しやがって」

 寝起きみたいに、ぼんやりとした視界と思考。頬を軽く叩いてみます。
 不審なモノを見るような目つきの師匠は、置いておきます。玄関へ向きを変えると、マントを身につけているセンさんがいらっしゃいました。
 センさんは、にこりと微笑みかけてくれました。
 って、あれ! もう、そんな時間でしたか?! スイッチが入ったように、急に体が動き始めました。

「ごめんなさいです! センさん帰る時間、気がつかなくて!」

 いつもの如く、外界からの依頼を届けにいらしたセンさん。そのまま泊まって、ちょっと早めのお昼を食べて、それから師匠とセンさんは談話室でお茶してて。
 お茶には、私も誘われました。けれど、お二人が一緒にいるところを見ていると、先日の夢の件を尋ねてしまいそうだったので、遠慮したんです。
 センさんがお昼過ぎには帰宅されるというので、気持ちよく帰って頂こうと玄関先を掃除しようと思っていたのに。掃除道具片手に、玄関近くの丸テーブルでぼんやりしてしまっていたようです。

「アニム、慌てなくても大丈夫だよ。それより、昨日からずっと、時々ぼうっとなっているみたいだけど、まだ熱が下がりきってないのかい?」
「熱は、もう、ほんと平気です。ご心配、すみませんです」

 センさんに駆け寄り、無意味に手を動かしてしまいました。そんな私の頭を、柔らかく撫でて下さるセンさん、自分勝手に落ち込みが増して行きました。
 情けなさから、ほうきを握る手に力が入ります。
 カローラさんに過去を見せられてから早三日。体調は万全なはずなのに、やることなすこと失敗続きなんです。
 魔法が使えないのを実感してから、おもてなしやを身についているモノからしっかりやろうと心に決めました。今まで以上に。
 なのに、色んな感情がこんがらがって、逆の結果になるばかりです。

「料理も、味、変だった。ごめんなさいです」
「なんだ、そんなこと気にしていたのかい? 病み上がりに味覚が定まらないなんて普通だし、初めて作る料理だったんだから仕方がないよ。それに、僕は美味しいと思ったしね。僕は」

 俯いていると、センさんが腰を屈めました。薄桜色の瞳が、細められています。あまりにあたたかい眼差しに、うるっとしてしまいました。
 後ろから師匠が溜め息混じりに近づいてきたのが、靴音でわかります。ちらっと横目に入れると、不機嫌そうに眉をしかめていました。

「今、考える、と。お客さんに、初めて料理出す、自体、失礼でした」

 口から出した後、自分の言葉にはっとなります。ぐっと口を噤みます。
 いつもの私なら、「次、頑張るです! 楽しみしててくださいね」と、笑顔で言えるのに。折角、センさんが慰めてくださってるのに、余計心を曇らせちゃう愚痴を言っちゃうなんて、迷惑もいいところですよね。
 案の定、センさんは背を伸ばして苦笑を浮かべました。

「あれ? アニムにとって、僕はただのお客さんなのかな」
「え?」

 センさん、怒ってらっしゃらないのでしょうか。意外な言葉に勢い良く顔をあげると、両頬に軽い弾みを感じました。どうやら、センさんの掌が、私の頬に触れているようです。
 首を傾げると、センさんのウィンクが飛んできました。絶好調な王子スマイルです。壊れ成分のない、完璧な王子っぷりです。

「僕としては、お兄ちゃん的立場を狙ってるんだけどね。お父さんじゃなくて、お兄ちゃんね。だから、気を使うことなんてないんだよ? それと、意地悪な師匠は、ちゃんと懲らしめてあげておいたから、安心してよ」

 相変わらず、センさんが「お兄ちゃん」というと、怪しく聞こえてしまうのは偏見でしょうか。いつぞやの、マニアックなご要望が思い出されるからでしょうね。
 センさんがおっしゃる意地悪とは、師匠がはっきり「いつもと違う」と口にしたことです。別段、いちゃもんだとは思いません。私が失敗した、格好つけた晩御飯。確かに、はりきりすぎて纏まりのない味でした。

「お兄ちゃんとか、気色悪ぃな。この変態が。どさくさに紛れて、人様の弟子の頬に、がっつり触れてんじゃねぇよ。とっとと離れろ!」
「思い切り腕を叩き落さなくても、いいじゃないか。ウィータってば、殊更、独占欲がひどくなってないかい?」
「うっせぇ! 師匠として、弟子にまとわりつく変態を警戒してんだよ。昨日グラビスの話ついでに、諸々説明しただろ」

 センさん、変態という言葉には反論しないんですね。むしろ、今日一番の笑顔だし。
 変態、という単語が引っ張ってきたのは、吹雪の中で聞いた粘りのある声。頭の中で、嫌と言うほど、鮮明に再現されます。
 声の主は、過去の記憶の中で師匠とセンさんの召喚術を邪魔した人でしょうか。下手に知っているはずのない情報を得てしまったので、単純に何者なのか尋ねられなくなってしまいました。過去を盗み見たのを、うっかり口を滑らせない自信がありません。

「アニム、眉間」
「いたた。ししょー、押さないでよ」

 また呆けてしまっていたようです。きゅっと寄った皺を、師匠が人差し指でぐりぐりと押してきます。
 結構、痛いんですけど。首が後ろにそって、今にも倒れそうです。それでも容赦なく押してくる師匠の手を取り、がっちり両手で包み込んで動きを封じてやります。ついでに、目を三角にもしておきましょう。

「お前の隙が多すぎるからだろうが。身体的に問題なくなったとして、いつまで経っても、外界へ出るのを許可できねぇぜ?」

 最近、異世界の生活に慣れてきて、警戒心が薄れてきているのは間違いありません。
 けど、私もいい大人です。無知な子どもじゃないんですよ?

「私だって、不特定さん懐いてる、違う。だれにも、触れられて大丈夫、思ってない。最近、私、ししょー、には、甘えてる。から、ししょー、勘違いしてるだけ」

 ふぐ顔負けに、頬を膨らませます。握っている師匠の手を自分の肩口に押し付けてやります。すると、仕返しのように、反対の手で髪を掴まれました。
 私に負けまいと、師匠も不機嫌オーラを放出しています。負けるもんか。

「……二人してさ、物凄く自然に、僕の存在忘れてるよね。ちょっと会わない間に、前にも増して甘い香りを放ってるみたいだけれど。何かあったのかい?」

 はっ! そうでした、センさんに見られているんでしたよ! 恥ずかしい!
 一気に上昇した体温で、全身が茹で上がります。握り締めていた師匠の手を投げ捨てます。あまりの勢いのよさに、師匠の体がよろけましたよ。というか、女の力で、ぐらつかないで頂きたい。
 言葉にすると、またセンさんに突っ込まれてしまいそうなので、目で抗議します。が、師匠は臆するわけでも身を引くわけでも無く、恨めしそうに見下ろしてきました。疲労感たっぷりな気だるい調子で、頭を叩いてきます。

「ねぇよ。むしろ、ねぇーんだよ。それどころか、このあほ弟子は、オレを単なる抱き枕か湯たんぽぐらいにしか、考えてねぇみたいだからな」
「ししょー!」

 反射的に、くるりと体ごと向きを変えます。師匠、照れ屋なくせにさらっと言いやがりました。平然とした態度で、私の大声に耳を塞いでいますし。
 私を赤ん坊レベルだと思って、まさかセンさんが夜的連想しないだろうという前提があるかもしれませんけれど……。
 熱が出て弱気になっていたとはいえ、あの夜の自分の擦り寄りっぷりは、確かに異常でした。きっと、私、爪先まで真っ赤になっているに違いありません。

「あの、センさん、抱き枕いうは、たとえ! 私、赤ちゃん、みたく、甘えてない、ですよ?!」

 さすがに子どもっぽすぎると呆れられてしまいますよね。センさんは師匠と同じ不老不死なので、私を赤ん坊レベルだと思っているかもしれませんが。
 師匠だって、普段なら私を目の前にして、訪問者の方にこんな話を暴露なんてしないのに。折角、赤ん坊から小娘に格上げになったのに、あの夜の一件で師匠の認識が元に戻っちゃったのでしょうか。
 言い訳しようとセンさんに詰め寄りますが、舌が絡まって、いつも以上に言葉が拙くなってしまいます。
 私が、あまりに鬼気迫っていたのでしょう。センさんは、きょとんとした様子で私の両肩に触れてきました。

「ししょー、ひどい! 乙女の心、まる無視。無神経おじじ魔法使い!」 
「例えじゃないだろうが。大変だったなぁ。寝ついてからも、擦り寄ってくるわ、足絡めてくるわ、寝顔はにやけてるわ。苦しいやら重いやらで、老体を労わらない弟子に抱き潰されるかと思ったぜ」

 罵りをへともせず、なおもしゃべり続ける師匠。大げさに肩を竦めて、両手を万歳していますよ。あまつさえ、顎をあげて底意地悪そうに、にやりと口の端をあげました。長めの前髪が影を作って、久しぶりに黒い煙が周囲に見えています。
 師匠があまりに黒い影を背負い始めたので、羞恥の熱より恐怖が勝ってきました。暑さからではなく、冷たい汗が背中を伝います。
 本能で身の危険を感じ、足が下がりました。背中がセンさんとぶつかってしまいます。見上げたセンさんの顔に浮かんでいるのは、満面の笑みです。こっちも、ある意味、怖い。

「そんなアニムに幸せを感じちゃってたウィータだけど、色んな部分に感じた柔らかさからこみ上げてくる衝動を必死に耐えた結果、クマが出来たんだね。三日前の朝に連絡取った時の、あのひどい顔ったら……老体なんて、とんでもないね」
「ばっ! 看病疲れのせいだっつーの! つーか、どさくさに紛れて、アニムを抱きかかえてるんじゃねぇ!」

 師匠がおっしゃる通り、センさんの腕が私の前に回されています。ですが、決してですね、師匠が言うように抱きかかえられているわけではありません。輪を作った腕にすっぱりはまっている感じで、触れられはいないんですよ?
 さっきまではあんなに意地悪だった師匠が、顔を真っ赤にしてセンさんの腕に掴みかかっています。センさんと師匠ではちょっとばかりですが体格差があるので、よほど力がいるようです。

「ししょー、くま出来てた? 私のせい、ごめんです」

 問題はそこです。私、自分の気持ちにいっぱいいっぱいだったり、幸せに浸ってたりで、起きた時も気がつきませんでした。申し訳ない。
 眉を垂らして謝ると、師匠がきっとセンさんを睨みあげました。歯をむき出して、今にも噛み付かんばかりの勢いです。なぜセンさん。

「アニム、ごめんね。くまは、回復魔法ですぐ治癒していたから、大丈夫じゃないかな」
「くま、回復魔法で、治るものです?」
「治る、なおる。なんといっても、ウィータは天才魔法使いだからね。特にアニムに関し――」

 突然、センさんが盛大な衣擦れと共にしゃがみ込みました。足先を押さえていらっしゃいます。体が震えているので、とても痛いようです。
 視界の端に、師匠のブーツが引っ込められていくのが映ります。
 心配になり腰を屈めようとしますが、師匠に二の腕を掴まれてしまいました。やめて! 二の腕は、二の腕だけは、乙女の秘密なの! 寝っぱなしでたるんだ二の腕が、悲鳴をあげているのが聞こえます!

「ししょー、天才ほめられた。なのに、ひどい」
「うっせぇ。元凶は黙ってろ」

 一応、センさんを庇ってみます。けれど、師匠に一喝され、黙るしかありませんでした。
 何より、先ほどのセンさんと同じポーズで捕まっています。と言いますか、センさんと違って、今度は本当に腕に閉じ込められちゃってます。
 背中に感じる師匠の体温に、心臓が爆発しそうです。二人っきりでも苦しいのに、第三者の前でなんて耐えられないんですけども。

「ともかくさ。年寄り扱いされて傷ついちゃってるウィータが、いつ狼化しちゃうかもわからないから、アニムもほどほどにね」

 救いは、センさんが態度を変えないことでしょうか。
 かちんと固まっている私と、未だにご機嫌斜めな様子の師匠を目の前にしても、穏やかな空気を保ったままです。さすが師匠の親友様。センさんのスルースキルに乾杯です。
 おかげで、私も少しだけですが、落ち着きを取り戻してきました。力を抜いて、師匠の胸に体重を預けます。
 伺うように視線を斜めに動かすと、相変わらず、師匠は笑っていませんでした。

「わかったです。私、も、おばちゃん言われたら、ちょっと悲しい。自重するです」
「いや、そこじゃないのだけれど」

 反省して大きく頷きますが、センさんからは即効で否定が入りました。
 あれ。じじ様呼ばわりしたのに、師匠が傷ついたと思ったんですけどね。検討が外れてしまったようです。師匠ってば、お年寄り扱いされるの好きじゃないみたいなので、てっきり、そこに拗ねたのだとばかり思ったのですが。

「それより、ししょー、狼って、耳、生えるです?」

 気まずい空気が流れかかったので、引っかかっていた疑問で首を傾げてみました。冗談半分ですが、正直、想像して胸がときめいちゃいましたよ。個人的には、髪の色からして狐耳とか似合うと思うのですけど、いかがでしょうか。
 ぐいっと強引に体を捻り、きらきらと輝いているであろう瞳を、師匠に向けます。
 が、師匠は、思い切りこめかみをひくつかせました。後ろから回された腕が、容赦なく締め付けてきます。ぐえ。

「アニム、お前、いい加減にしやがれ。んなわけ、ねぇーだろ!」
「だって、私、知らない、いっぱい。有り得ない話、ない」

 やっぱり師匠に耳は生えてこないみたいです。ちょっと残念。
 本当は、師匠が自分のことあまり話してくれないからと、付け加えてやろうと思ったんです。でも、空気が重たくなってセンさんが帰りにくい雰囲気になってしまうのは、大変申し訳ないので我慢しました。
 不満を察してくださったのでしょう。センさんが、微笑を浮かべながら師匠の髪を引っ張りました。耳を掴むように。
 師匠の目付きが、鋭くなりました。あれは、嫌がってる時の、目の色です。

「そうそう。男は皆、狼だって言うしね。ウィータの場合は、忍耐力ありすぎて、犬に近いかもだけれど」
「ししょー、どっちかっていうと、猫っぽいです」
「ははっ。確かにね。もしかして、甘える方が、得意だったりして。ウィータとは付き合いも長いけれど、初耳だよ」

 センさんは師匠に手を振り払われても、眉ひとつ動かしません。
 逆に、師匠は小刻みに震えだしちゃいました。師匠、完全にセンさんに弄ばれちゃってます。いいぞ、センさん! と心の中で応援したのも束の間、くるりと体が反転していました。
 師匠に、近距離で両腕を掴まれちゃってます。今日は、腕を握られてばかりですね、これは痩せろというお告げでしょうか。
 師匠の口の両端に、牙が見えるのは幻覚かしら。本物の狼さんみたいですよ、師匠。正気に戻ってくださいまし。

「お前ら、そこになおれ! 人が大人しくしてりゃ、言いたい放題! 本気で、狼よろしく食っちまうぞ!」

 額を擦りあわされて、梅干しみたいな顔になっちゃいます。痛みを堪えて薄目を開けると、同じような目つきの師匠がどあっぷで飛び込んできました。
 唇に食らいつかれる寸前です。でも、大丈夫。師匠が、センさんのいらっしゃる前で、行動に移すなんて想像不可能です。

「ふーん! ししょー、いっつも、中途半端。怖くないもん! それに、私襲う、自分の決まり破る意味」

 そうです。師匠は、私に何かを告げるまでは、しないと宣言していました。
 あの場では納得した私ですが、『アニムさん』の存在を嗅ぎ付けてしまった今、不安でしょうがないんです。ずるいとは思いながらも、その、もう一歩くらいは先に進みたいなぁなんて、思ったりして。
 ほとんど八つ当たりですが、腹の中に生まれたもやもやから、つい可愛くない口をきいてしまいます。

「このあほ弟子! 覚えておけよ! 後で泣き喚いても、優しくも甘やかしてもやらねぇからな!」
「私、おぼえておかない。学習能力、ない。料理の味付け忘れる、くらい、だもん」
「根に持つんじゃねぇーよ。大体あれは師匠の優しさだ、察しろ」

 背を伸ばした師匠が、耳まで赤くして、やけっぱち気味に叫びました。
 それにつられて、私も素直になれません。べーと思い切り舌を出して、再び梅干し顔になります。どうせ手を出してくれるのなんて、いつになるかわからないんです。師匠が今日のやり取りを忘れちゃう頃だって予想に、全財産賭けても良いです! ……財産なんて、ないけど。
 料理に関してはですね。本当は、師匠の台詞に、気負わずにいつも通りに作れば良いという意味が含まれているのは、気がついているんです。師匠の優しさは、ちゃんと受け取ってます。でも、それとこれとは、話が別です。
 師匠と私、睨み合いが続きます。

「中途半端、ねぇ。まぁ、進展はしているみたいで、安心はしたよ。お兄ちゃんとしては複雑だけれど」

 センさんが師匠と私を交互に見た後、嬉しそうに微笑みました。三日月のような形になった瞳には、何やら含みを感じます。
 一瞬、ぼけっとセンさんを見上げます。が――。

「――っ!!」

 自分がとんでもない発言をしたのに、今頃気がつきました。
 言葉を失って、お魚のように口をぱくつかせている私に、センさんが笑みを深めました。ぎゃー! 某絵画のように、声なき叫びがあがります。全身が沸騰(ふっとう)していきます。
 師匠は平静と、までは行きませんが、少し赤みを帯びているだけです。腕を組んで、口を歪めているに、留まっています。
 羞恥に耐え切れなくなり、しゃがみこんで膝に顔を埋めます。

「いやぁ。世界の至宝、大魔法使いウィータが、女の子と同レベルで会話する日が来るなんてね。しかも、会話の内容が、勝手にしてよっていう甘ったるい痴話喧嘩(ちわげんか)だしさ。僕は何だか切なくなってきたよ。早く帰って、奥さんに慰めて貰おう」
「前半はともかく、後半には大賛成だ。早く帰りやがれ。つーか、ディーバには言うんじゃねぇぞ。あいつに知れたら、ぜってぇー説教くらう」

 センさんの奥さんであるディーバさんとは、まだお会いする機会がありません。けれど、いつも美味しい手作りお菓子や料理のレシピを下さる方です。愛妻家のセンさんは、いらっしゃる度、色々ディーバさんのお話をしてくださるので、とても素敵な方というのは知っています。
 というか、師匠。後頭部に、ぐいぐいと掌を押し付けるのやめてくださいよ。

「失礼だよね。お説教なんて言ったら、怖い人に聞こえるじゃないか。僕の愛らしい奥さんは、世界中の可愛い女の子の味方なだけだよ」
「あっそ。それより、アニムはいつまで、そうしている気だ?」

 師匠は、ディーバさんの性格を十分にご存知なのでしょう。興味なさそうに返したかと思うと、私に話を戻してきました。もっと、ディーバさんの話で盛り上がってくださいよ。
 わずかな視界の隙間から、師匠の裾が床についているのが見えました。汚れちゃうよと主婦心が出ます。が、頭の両側を圧迫感が襲ってきて、抵抗に全神経を注ぐ羽目になりました。
 無理やり顔あげさせるなんて、えげつないです。

「私、今すぐ魔法使える、なりたい! 穴掘る魔法! 隠れる!」
「あほ弟子が。考えずに、ぽいぽい口に出すからだろうが」
「売り言葉に、買い言葉。あほあほ言わない。ししょーなんて、きら――」

 ばっと音をつけて顔をあげると、師匠が勢い余って前に倒れてきました。覆いかぶさってきた影に驚き、尻餅をついてしまいましたよ。痛さより、静かな玄関先に響いた音の方が恥ずかしい。どすんて。
 師匠は片膝を床について、なんとかバランスを保ったようです。ちょっと残念、じゃなくて、玄関先ですからね。倒れて汚れなくって良かったです。

「アニムは、ウィータが嫌いかい?」

 センさんの忍び笑いが降ってきますが、お顔が見えません。どうやら私の後ろ側にいらっしゃるようです。
 状態を逸らすと、師匠と視線がかちあいました。すごく複雑そうな表情です。しかめっ面なのに、拗ねているみたいな。そんな顔で見下ろされたら、嫌いと言い切れないじゃないですか。
 ぷいっとそっぽを向いてやります。せめてもの抵抗です。

「ししょー、嫌いなくて、好きけど。今だけ、嫌い!」
「おまっ――!」

 自分的には、上手い言い回しだったのですが、師匠はお気に召さなかったようです。どちらにしろ、怒るんじゃないですか。理不尽な。
 師匠はヤンキー座りの状態です。両手で顔を覆っています。座り方は強気なのに、仕草が乙女です。

「ウィータにアニム、ご馳走様。午後のおやつを頂いた気分だよ。今までで、一番あまーい砂糖がふんだんに使われてるお菓子に紅茶」
「好きは! その好きなくて! 弟子として!」
「うんうん、大丈夫。アニム、僕は全部承知しているからさ」

 センさん、絶対弟子としてじゃなくって恋心だって思ってます。間違いではないのですけれど、あたたかい眼差しに悶えてしまいます。
 半泣き状態になっていると、師匠に強い調子で腕をひかれました。そのまま、背中に腕が回ってきます。頭を胸に押し付けられています。
 何度も、柔らかく髪を撫でてくれるので、もう怒ってないみたいですね。良かった。でも、大きな溜め息をつかれてしまいました。
 
「もうやめとけ、セン。お前、しばらく立入禁止にするぞ」
「いいのかい? ディーバが、やっとアニムに会えるって楽しみにしているのになぁ。ディーバは、まだ一人で出歩けないからね。ウィータを、心底恨むだろうなぁ。僕の奥さん、あぁ見えて結構こじらせるからね」
「……んなの、百も承知だ」

 師匠の苦々しい呟きが聞こえます。過去に何かあったのでしょうか。
 聞きたくて身を捩りますが、「お前は、もうじっとしてろ」という一喝を受けました。これ以上、きつく抱きすくめられても心臓に悪いので、大人しくしておきます。
 体の力を抜いて、師匠に寄りかかります。なのに、何故か腰にまで落ちてきた指に力を込められました。

「見せ付けられてるこっちが、茹で上がりそうなんだけど」

 センさんの声は、どこか呆れているようにも思えました。
 紙が擦れる音がしているので、扇子を仰いでいらっしゃるのでしょう。飾り立てにさしてある、ラスターさんのお土産です。東方の国に行かれたそうで、黒地に薄紫の蝶が描かれています。

「それさ、僕以外の前では自重しなよ? 特に……まぁ、男女問わず、独身者の前ではさ。自分のだって周知させたいのはわかるけどさ。ウィータはともかく、アニムはうら若き乙女なんだから」
「そんなんじゃねぇーよ。凶暴に牙をむいてくる反抗的な動物を、暴れないように捕獲してるだけだ。その大方の原因は、お前が作ったんだろうが」

 センさんの表現も恥ずかしいですが、師匠はとっても失礼です。いうにことかいて、獣ですか。
 そろそろ体勢も辛くなってきたので、師匠のわき腹をくすぐってやります。案の定、「おまっ!」と上ずった声があがりました。
 してやったりと、一歩後ろに下がると、センさんとぶつかってしまいました。が、さらりと綺麗な薄紫色の髪を流したセンさんは、楽しげです。くすくすとお上品な笑いを零しながら、師匠を見ます。
 
「んだよ」

 私からは見えませんが、センさん、相当恐怖を感じる笑みを浮かべていらっしゃるようです。師匠は腕を前に出して、ガードの体勢を取っています。

「この世の春を謳歌しているような、にやけた顔で凄まれても、迫力ないよ?」
「うっせぇ!」

 師匠の叫びが、家中に響き渡りました。
 フィーネとフィーニスがお出掛けしていて良かったです。あの子たちがお昼寝していたら、びっくりしちゃってますから。
 センさんから手渡された扇子で、熱くなっている師匠を扇いであげたのに。何故だか、奪われてしまいました。




読んだよ


  





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