引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

12.引き篭り師弟と、南の森の花畑5


「ししょー、には、明るい色、花ね」
「それはいいが、随分とふわふわしてるじゃねぇか」
「ししょー、なら、似合うよ。ししょーの髪、一緒。触りたくなる感じ」

 私の言葉に、師匠は至極嫌そうに喉を詰まらせました。でも、それ以上は特に何も言われなかったので、花冠を編む手を進めます。
 昼過ぎまで感じていた憂鬱さは、すっかり影を潜めています。消えていなくなったと言えないのが、私の弱いところですが。
 青い空に、爽やかな風が心を解してくれているのでしょうね。

「お前、やけに嬉しそうだが。花冠編むのが、そんなに楽しいのか?」
「編むいうより、花畑、来れた嬉しい。水晶森の家も、いいけど、やっぱり、植物の中、気持ちいい。とっても綺麗。それに、フィーネとフィーニス、可愛いさ抜群」

 ウーヌスさんの近くで、ぴょんぴょん跳ね回っているフィーネとフィーニス。小柄で丸っこい体より、さらに小さい蝶にちょっかいをかけています。時折、花冠を触って崩れていないか、尻尾を振り返って花が取れていないか確認している姿に、胸を射抜かれちゃいますね。
 いけない。ラブリー毛玉な二人に見とれて、手が止まっていました。

「最後はいつも言ってる気がするが。まぁ、そんだけ喜ばれたら、連れて来たかいもあったってもんだ」
「うん! ししょー、ありがと! みーんな、ししょーの、おかげだよ!」
「感謝されすぎも、怖ぇな」
 
 満面の笑みでぺこりと頭を下げると、師匠は眉を寄せました。でも、無意味に草をちぎり始めたので、本気ではないとわかります。師匠の指から離れた草が、風に流されていきました。
 なんですか、その可愛い照れ方。もう片方の手で、首筋をせわしなく?いちゃったりして。
 あまりに可愛い師匠の反応に、ふつふつとこみ上げてきた笑い。それを隠すこともせず、師匠の腕に擦り寄っていました。こめかみ部分を、ぐりぐりと強く当てます。上質な魔法衣のおかげで、摩擦の痛みはありません。むしろ、肌触りがいいです。

「……重い。それに、マーキングみてぇ」
「体重かけてる。重い、当たり前。マーキングって、私、動物ないし、簡単に、うつるない。けど、私の匂い、つくは、いや?」

 師匠の肩に頭をのせたまま、ちょっと拗ねてみせます。わざとらしいかもしれませんが、服の肘あたりも、くいっと引っ張ってみます。
 ついでに、千沙直伝の女の魅力アピール作戦で胸も当ててみますが、残念ながらこちらは効果なさそうです。大きさの関係上。とほ。身の程知らずでした、すみません。
 師匠といえば。自分の眉間を叩いたかと思うと、大きく頭を振りました。まだついていた花びらが、はらはらと落ちてきます。

「別に。今更だろ」
 
 ぶっきらぼうな言葉とは違い、そっと寄り添ってきた頭。触れたままもぞっと動かれて、くすぐったくなってしまいました。どうやら、師匠の鼻が髪に触れているようです。
 花を摘むのに動きまわっていたので、汗臭くないことを祈るばかりです。
 瞼を閉じると、やけに鼓動が煩く聞こえました。少し離れたところから、フィーネとフィーニスの、甘いはしゃぎ声が聞こえてきます。そんな声も、頭の横に感じる重さも。幸せすぎて、気絶しちゃいそうです。

「今更って、私、いつも、ししょー、くっついてるみたい」

 私からも甘えるのも、師匠から触れてくるようになったのも、つい最近だと思うのです。前から抱きかかえてもらったり、手を引いてもらったりはしてた覚えはありますけど。
 ぷいっと首を捻ると、頭の上から笑いが零れてきました。小刻みな震えも伝わってきます。
 上から顔を覗き込まれるついでに、額へ柔らかいものが触れてきました。ついでに寄りかかっているのとは反対側の手が、私の手を掴みます。指で優しく撫でられて、うっとりしてしまいました。

「違ったか? 特にここ数日、お前の甘えようときたら、赤ん坊っていうより猫だからな」
「猫なら、いい。フィーネとフィーニス、仲間」
「今度、尻尾と耳を生やす獣人化の魔法かけてやろうか」

 師匠! 指先で耳を突っついてくるのは良いとして、腰を撫でるのはやめて下さい! しっしかも、結構際どい部分を!
 ぞわりと嫌じゃない鳥肌がたつ撫で方に、頬に色がついていくのがわかりました。逃げようと思っても、今度はくっついていた側の腕が腰を掴んでいて適いません。

「ししょー、すけべ! おしり触る、せくはら!」
「うっせぇな。ただの位置確認だよ」

 面倒臭そうな口振りに反して、師匠は愉快そうな笑顔を浮かべています。眠そうに落ちた瞼がいやらしさを強調していますよ。

「触診、ですか。全員にするですか」
「んー、気分次第だな。つーか、アニム次第か」
「なに、それ」

 悪態をつきながらも、私の心は弾んでいます。好きな人――師匠に触れてもらいながら軽口を言い合うのが、こんなに嬉しいなんて。
 師匠が隣にいてくれると、色んな不安が打ち消されるんです。こうして触れ合っていると、師匠と一緒にいるのが夢じゃないって実感出来て、安心するんです。
 そんな考えが漏れちゃってたようですね。ふへっと笑った私を見た師匠が「んだよ」と不気味そうに眉をしかめました。
 離れた体温を残念に思いながら、私も体を起こします。

「私、この世界来たばかりのころ、ししょー、水晶の花畑、連れて行ってくれたの、思い出した」

 嘘じゃないです。まさか師匠が好きなのを実感してにやけたなんて、馬鹿正直には言えません。切腹モノに恥ずかしいです。
 異世界に喚ばれたばかりのころ、それなりに落ち込んではいたんですよね。そんな私を、師匠は心配してくれたんでしょう。とっても綺麗な水晶の花畑に、連れて行ってくれました。水晶とは言っても、ぐみゃんと柔らかくもなる性質でした。花の中心には宝石がなっていて、神秘的な光景に感動しましたっけ。

「お前、花冠作れねぇのに、赤ん坊だったフィーネとフィーニスに作ってやろうと必死になってたよな。あの不器用な手つき。今でも鮮明に思い出せるぜ」

 にやりと、意地悪に笑った師匠。ほんとに、一言多いんだから。
 当時の自分を思い出してみますが、確かに、お世辞にも器用とは言えませんでした。とにかく、必死に子ども時代の記憶を掘り起こしていたのと、師匠の指導に目をかっぴらいていた覚えはあります。

「花冠、子どもの時、つくっただけ。大人になって忘れた。でも、赤ん坊フィーネたち、水晶の花畑、喜んでたから、どーしても、被せてあげたかったの」

 二人は、今よりもっと小さくて、言葉も発せませんでした。よたよた歩きながら、高くて甘い声で「みゃあ」と興味深そうに水晶の花を突いていたんです。
 異世界で赤ん坊のようだった自分より、もっと守ってあげないといけないと思えた二人の存在は、自分を保つのに大きな力になってくれました。
 もしかして、異質と言われる成長型の式神として二人を生み出したのは、全部師匠の気遣いだったんでしょうか。

「結局、オレが手取り足取り教えてやったんだよな。いやぁ、オレってば、アノ頃から優しいお師匠様だったんだな」
「自分で言う、世話ない」

 呆れ顔を向けても、師匠はひるみません。やけに満足そうに、顎を撫でています。
 隣で一人誇らしげにしている師匠はともかく。あの時、じれったい私の手つきに痺れを切らさず教えてくれた師匠に感動したのは、本当です。
 この人となら、一緒に暮らしていける。漠然と思った覚えがあります。
 それと、もうひとつ。

「私、言葉、全然わからなかった。元気も出たけど、一番嬉しかったはね。私、お礼の言葉、言えるまで、ししょー、ずっと待ってくれたこと」

 今でこそ、だいぶ異世界の言葉を聞き取れるようになった私。でも、召喚当初は、この世界の言葉で話かけられると静かにパニックになっちゃうのもあって、全然覚えられなかったんですよね。師匠が私の世界の言葉を話せたものあるんですが。
 たぶん、異なる言語というよりも、放り込まれた異質な空間に混乱していたんだと思います。いくら元の世界と似た部分が多いとは言っても、私の国とは人の外見から文化まで違ったんですもん。

「ししょー、とってみたら、普通かもです。けどね、私、ほんと、救われた、気した。あれから、混乱少なくなって、聞き取り頑張る思えた」

 花冠を手伝ってくれたり優しくしてくれたり。それに心配してくれたお礼を、どうしても、この世界の言葉で言いたくて。パニックになる頭を必死に回転させて、師匠に何度も教えてもらって、伝えたんです。

「アニム、それは逆だぜ」
「へ?」

 師匠が私に向き直ってきました。急に真剣みを帯びた声に、呆けてしまいます。
 口を開けて固まる私を、ストールが包み込んできました。あたたかい温度が、手に触れました。
 師匠らしくもなく、遠慮がちに触れられている感覚が、心をざわめかせます。

「オレはお前の世界の言葉、ある程度なら理解しているから、別に元の世界の言葉でだって良かったんだ。使えるもんには頼った方が、効率だっていいだろうし」

 そうなんです。師匠は最近になって、私が元の世界の言葉でしゃべるのを嫌がってるようになりましたが、召喚直後はむしろ率先して使わせてたんですよね。どちらかと言うと、言葉を覚えさせるより、会話をするのに重きを置いていた印象を受けました。
 引き篭りだったので、生身のお話し相手がいるのに浮かれてたんでしょうかね。
 言葉を教えてくれるようになってから、異質な言葉は異質を呼ぶとか注意され始めて、じゃあ最初の頃は一体なんだったんだと思わずにはいられませんでした。
 結界の問題なのか、存在固定の問題なのか、よくわからないので、口に出すのは控えてますけど。

「上手く言えないって何度も言いなおしてたお前に、オレは気にするなって言ったろ? けど、お前さ、こっちの世界の言葉、つーか『オレの言葉』で気持ちを伝えたいって、頑として譲らなかったよな」

 いつの間にか、私は師匠の足の間に挟まれていました。心地よい侵食。まさに、その一言が浮かびました。また、涙腺が刺激され、喉の奥が熱くなっていきます。
 耐え切れなくなって視線を落とした先にあったのは、もう少しで出来上がる花冠。
 師匠が、よしよしと子どもを褒めるように頭を撫でてきます。
 師匠はずるい。まるで私の揺らぎの種類をわかっているみたいに、触れ方を変えてきます。それが、余計、私の中でくすぶっている想いを引き上げるみたいに。

「私、何も出来なかった。料理道具、水周り、なんでもかんでも、要領つかめなかったから。だけど、ししょーの優しさ、には、ちゃんと、気持ち、伝えたかったの」

 お湯を沸かすのにも苦労して、ベッドメイキングすらままならなかった自分。へまするわ、そんな自分に怒れてしまうわでした。
 うん、そう思うと、今の自分て、結構成長してるんですかね。
 小さくなった私の声に気がついたのか。蝶を追いかけていたフィーネとフィーニスが、ちょこちょこ跳ねながら近寄ってきます。

「お前は不本意に召喚されたんだ。だから、オレは、術を失敗した人間が被害者にあわせるのは当然だって主張されても可笑しくねぇって思ってたんだ。実際、そういう奴の方が多いしな。当たり前の心情だとは思う。だからってわけじゃねぇけど、一生懸命、礼を言おうとした――言ったアニムが、すげぇなって思ったんだぜ?」
「そんなの、全然、知らなかった」
「そりゃそうだ。始めて口にしたからな」

 苦笑してみせた師匠。どこか自嘲染みた師匠の笑みは、私を吸引するみたいです。
 不意打ちに褒められて、栓を詰めていたはずの涙腺から、熱いものがこみ上げて来ました。
 人の努力は、比較ではない。だって、その人が置かれた立場によって実るものも違うし、その差を羨むのも違います。元の世界では、そう自分に言い聞かせてきました。
 だけど、この世界に来てから、それは単なる自分を守っていただけの甘い言い訳だったのかもしれないと思うようになっていました。
 
「ふっ……」
「おっ、おい! アニム、泣くなよ! 悪かったって。今までオレたちの関係に直接苦言してくる奴なんていなかったし、勝手に伝わってるって思ってた。でも、あの吹雪の一件で、言葉が足りなかったって思ってだな」
「違う! ししょー、悪くない。私、ししょーや訪問者さん、頼ってた。私、全然、頑張ってなかった。むしろ、甘えてた」

 私はきっと、自分をわかったような振りして、だれかに認めて欲しかっただけなんです。右も左もわからない状況で、私なりに頑張っている。そういう甘えが心の片隅にでもあったから、努力が足りないと良い子ぶりながらも認めてもらえないことに不満を抱いていた。
 だからこそ、『アニムさん』を妬んだり、上手くやれない――弟子として評価してもらえないことに落ち込んだりして、それを見せ付けている。
 そんな浅ましい自分が情けなくなりました。嬉しさから流れ始めた涙は、すっかり懺悔の色に変わってしまっています。

「だから、無条件に、優しく、なんて、しないで……!」

 目の前の師匠は涙で歪んでしまい、見えません。鼻水が詰まって、頬が濡れて。顎を伝って流れていく熱い涙が、頭痛を誘います。
 たった今、自分が吐いたひどい言葉が、脳天を突きます。師匠の優しさを全部否定した、醜い考え。師匠の優しさを『アニムさん』を通して私を見ているという、師匠をないがしろにしているモノ。
 今の私は、師匠の優しさを突き返している。ごめんなさい、師匠。どうして、一年前に水晶の森で紡いだような、素直で濁りのない「ありがとう」を口に出来ないんでしょう。
 あたたかい花畑に響く私の嗚咽は、不似合いすぎて、いっそ、清々しいです。

「アニム。オレは無条件に愛情注げるほど、心の広い男じゃない。確かに、お前を術の失敗に巻き込んじまったのは、悪いと思ってる。けど、オレはお前がお前だから――」

 頭を撫でていた掌に押されます。肩口に触れた額が、とても熱い。もう片方の手は、優しく背中を摩ってくれています。
 それが、どうしようもなく胸を締め付けます。師匠、服に鼻水ついたらごめんなさい。
 フィーネとフィーニスが、私と師匠の隙間に入ってきて、ちょこんと膝の上に乗ってきました。心地よい重さに、胸が熱くなります。

「一生懸命だったあにむちゃ見て、ふぃーねもね、頑張りゅ思ったでしゅ」
「ふぃーにすもぞ! もう、ふぃーにすのが、ちゃんとしてるけどにゃ!」

 おどけた様な二人の声が、心を解きほぐしてくれます。どうしてでしょう。フィーネとフィーニスの言葉は、曲解など入る隙もなく、まっすぐ受け止められます。
 深く息を吐いて、きつく師匠の服を掴みました。

「吹雪の中でも気にするなって言ったのによ。お前、ずっと塞ぎこんでたのは、それを悩んでたのか?」
「……うん」

 絞り出した声は、みっともなく枯れていました。私の言い方はひどいです。
 ストレートに、『アニムさん』への想いを聞けばいいのに、遠まわしな言い方をして。フィーネやフィーニスにも心配をかけて、自己満足に浸っている。
 本当はね。『アニムさん』も、私自身に関しても、師匠の気持ちも。全部、聞きたいんです。けれど、私の心がこの世界と元の世界、どっちにも定まっていないのに、それを尋ねるなんておこがましいと思ってしまうんです。
 でもでも。その後に顔を覗かせるのは、もっと卑怯な思い。私の思いを知らなくても、今の師匠がどう考えているのか知りたいっていう。
 
「まだ、言いたいことあるんだろ?」
「そんなこと、ない」
「嘘付け。この際だから、全部吐き出しとけ」
 
 ほら。師匠は私の醜い心の内なんて想像もつかないなんて様子で、言葉をくれるんです。いえ。師匠なら、わかっていても全部抱きしめてくれるかもしれない、なんて期待を持ってしまう。だから、余計に苦しい。
 でも、ごめんなさい。師匠がそう言ってくれるならという言い訳をしながら、聞いてもいいですか? 私は、貴方が好きだから、

「ししょーたち、はね。もしね、もしかして、仮定けど。私、いなくなる――私の世界、戻りたい、言っても、笑顔でおわかれ?」

 ぽつりと零された言葉。ついに言ってしまいました。激しい後悔に襲われますが、一度放ってしまった言葉はひっこんではくれません。心臓がきゅうっとしぼんだ気がしました。
 もっと冗談ぽい声調で口にすれば良かったです。ご飯はちゃんと食べるかとか、独り言増えそうとか。式神さんたちもいるし、問題はなさそうですけど。
 これじゃ、師匠たちに情があるのか尋ねてるも同然です! 何か付け足さなきゃ。

「えっと! 私、消えたら、みんな寂しい、思ってくれる、わかってるよ? けど、その、アニム的にも、問題あるかもですけど、って! 存在的なくて、名前の由来、言霊的には難しいかもとか!」

 あぁ! 外道さが増してしまいましたよ! 師匠の極悪非道面なんて突っ込めないです、私が人でなしです。しかも、『アニムさん』の存在を知っているとほのめかすような発言をしてしまいましたし。
 そんでもって、誤魔化すための、名前的ってわけわからないよ。自分。確かに『アニム・ス・リガートゥス』って魂を縛るというような意味らしいので、この世界と切り離すのに苦労するだろうから、笑顔どころか疲労困憊状態でお別れかもしれないし。って、違う! そんな心配じゃないです。

「ごめんです、かなり混乱状態! 忘れて!」

 平静を取り戻すため、膝上のフィーネとフィーニスの背を握り締めます。柔らかい毛と、あたたかい体温が、ひどく私を攻め立てている気がしました。
 フィーネとフィーニスはくりっと丸くて綺麗な瞳で、きょとんと見上げてきます。
 どんなに待っても、不可解そうな疑問の声も呆れた言葉も、返ってはきません。
 濡れそぼって引きつった頬もそのままに顔を上げると……満面の笑みで青筋を立てている師匠がいました。こわっ!!



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