引き篭り師弟と、水着
「みてみて、ししょー! これ似合う?」
ベッド上にずらりと並べられた水着。一着手に取ったアニムは、無邪気な笑みを向けてきた。興奮すると師匠呼びになる彼女に、顔がにやけてしまった。
正直なところ。ベッドに乗っている状態で、水着を当てている姿には喉が鳴る。
部屋の中は明かりが灯っているとはいえ、水晶の森は相変わらずの天候だ。雨音がガラスを叩く音や、薄暗さは変わらない。我慢する必要がなくなったとはいえ、拷問に近い状況である。
「いいんじゃねぇーの」
オレといえば。やや離れた場所にある勉強机で、頬杖をついている。
そんなオレの素っ気無い返事にも、アニムは「そっか」と目元を綻ばせた。
落ちている瞼が、さらに下がってしまったのは仕方がないと思う。なんだ。その仕草は。水着を前に掲げて、嬉しそうに笑うな。
聞こえてるんだぞ。「ししょー、好きは、こーいうのか」って、めちゃくちゃ可愛い表情で呟いてるの。オレを窒息死させる気か。
意識を逸らすために煽った酒が、余計に体を熱くする。
「たく。喜べばいいのか。悶えればいいのか。あぁ、どっちもどっちか」
幸いなのは、子猫たちがいることか。フィーネはアニムにくっついて、フィーニスはオレの傍らで尻尾を揺らしている。
とはいえ、やはりアニムの警戒心のなさには、あからさまな溜め息が落ちてしまった。難しい顔で水着を眺めなおしているアニムには、届いていないようだったが。
うん、まぁ。溜め息の裏側を告げたところで、アニムの反応は想像に難くない。
「どーせ、オレ相手に警戒する必要なんてあるのかなんて、瞬くんだ」
オレのぼやきはアニムに届かなかったようだ。あいにくと言うべきなのだろう。
オレの傍らで鼻歌を刻んでいたフィーニスが、不思議そうに頭を傾けただけだった。そんなフィーニスの頭をわしゃわしゃと撫でると「うみゃー!」という愛らしい音が紡がれた。
そもそも、こんな環境でむらつくなという方が無理だろう。当の本人は、オレの欲など思いつかないようだが。
「街にいる式神さん、水着たくさん送ってくれて、嬉しいー! ししょー、ありがとー! これなら、毎日、海、行けるです」
「しゅごいねー! いっぱいなのでしゅよ」
アニムの膝に腰掛けているフィーネが、うっとりと頬を押さえた。フィーネからは見えていないだろうが、アニムと全く同じ仕草をしている。
まるで自分のものを用意して貰ったかのように喜んでいる、フィーネ。
せわしなく動いている両耳に、自然と頬が緩んでいく。そういや、ディーバがフィーネ用の首飾りを作ってるって言ってたっけ。
「オレは毎日足を運んでも構わないが。アニムは焼けるってより、肌が赤くなるタイプだろ? 触れて痛がられるのは避けたい」
焼けたところでアニムはアニムだ。触れたいという衝動が怯むはずはない。
けれど。同じ色素が薄いのでも、オレやセンとは違う。彼女の白さには、不思議な透明感があるのだ。血管が好けるというよりも、薄いミルクの膜がはっているようなえもいわれぬ感じ。それが赤くなる様を幾度となく見ている側からしたら、痛々しい。
オレの主張に反応したのは、アニムではなくフィーネだった。
「うみゃ。ふぃーねも、あにむちゃにすりすり、めーされるのは、しょんぼりでち」
「めーなんてしないよ! ちゃんと、日焼け対策する!」
フィーネにだけ反応かよ。がくっと、掌から頬が滑り落ちた。
誤魔化すようにグラスを煽ったオレを気にも留めず。アニムは水着を見渡す。
「それにしても、ほんと、たくさん。ここでも、水着は、一般的なんだね」
「民族性によるが、割りと一般的ではあるな。アニムの故郷に近いんだっけか」
「うん。私の故郷はね。広範囲では、ここと同じだよ。私の生まれ育った国では、いう意味で」
懐かしそうに細められた瞳。その色は、オレの傍にいると決めてくれた際よりも、薄くなっている。それでも、浮かべる優しさは変わらない。
なのに。始祖の洗礼を受けた証に、どうしてか心臓が跳ねた。不死となったアニムの色に、故郷の思い出を映されたからだろうか。
「なんにせよ、違和感がないなら良かったな」
アニムの気持ちを疑っているがゆえの鼓動ではない。それだけは確かだ。
オレとて寿命では世界の理からは離れた存在。けれど、オレは生が落ちた場所で――自分の常識が通用する世界で生きている。
アニムがオレの傍にいてくれると決断してくれてから、今までの自分がいかに傲慢だったかを知っただけ。
「あ、でも。結構、きわどいの、多いのはびっくりですよ」
アニムがあせった声をあげた。
オレの沈黙を違う方向に捕らえたのだろう。ちなみに、眉間に皺が寄っている自覚もある。アニムは、オレが拗ねたのだと思ったに違いない。
「悪い。少しぼうっとしていた」
「ししょー、眠たい?」
「ししょーじゃないだろ? それに、どうせこのあと昼寝するんだから、気にするな」
オレの苦笑に、アニムは頬を染めた。
小声で「えと、ウィータ」と言いなおす姿に悶えずにいられようか。未だに名を口にする度、真っ赤になるのだ。出会った頃の彼女と、オレを捉えてくれるアニムの思いが入り混じっているようで、堪らない。
それでも。オレの傍らにいるフィーニスが、無邪気に地図の上を歩いている姿に、我に返った。
「あー。変な意味じゃなくてな」
「うん、知ってる」
「つってもさ、やっぱ、きわどいデザインはな」
流行のものに加え、形も網羅してくれとは言ったのだが……。さすがにこれはないだろうという大胆なデザインまで混ざっている。
アニムはそれをラスターにやろうと、着る気はなさそうだからいいものを。胸のサイズがと言い掛けて睨まれたのは、数分前のこと。
「折角、海まで行ける、なった。海入ったり、お肉焼いたり、遊ぼうね」
「うみゃー! ふぃーにす、おさかなと泳ぎたいのじゃー!」
「あにむちゃのとこは、ネコしゃん、おさかな食べるのでちょ? ふぃーねたち、こわいこわいないでしゅかね」
空中を前足でかくフィーニス。フィーネは水着のひらひらをいじりながら、少し不安げに頭を傾けた。
ワンピース型の水着を合わせていたアニムが、にへらと頬を緩めた。
酒を煽りながら魔法書に手をかけると。オレにも、同じような笑みを向けてきたアニム。
愛らしい笑みにもだが、今、体に当てられている水着にどくんと胸が跳ねた。
「フィーネとフィーニスは、可愛いもん! 怖いないよ。もし、恐い言われたら、私が、ちがうよーって、おはなしするよ。可愛いよーって」
「よかっちゃー! あにむちゃといっちょ、可愛いなるなら、ふぃーねもおしょろいの水着さん着たいのでしゅ」
「うーん、そーだね。じゃあ、どれにしよーかなぁ。ウーヌスさんにフィーネの作る、手伝ってもらうとして。フィーネに似合うは、ワンピース型かな」
それなら大賛成だ。オレは、全部着たところを見るとしても。他の奴等、特にラスターにアニムの肌を見せてやるつもりは毛頭ない。
音を立てて魔法書を閉じると、アニムがきょとんと首を傾げた。見せ付けるように、意地の悪い笑みを口の端に乗せる。
「ひとまず。買ってやったオレには、全部着せて見せてはくれるんだろ? 当然」
「うぇ?! うぃっウィータが、っていうなら、私は、嬉しいけど。ししょー――じゃない。ウィータ的、つまんなく、ない? 興味なく、ない?」
「思ってたら、口にださねぇよ。あほアニム。前に湖でも言ったろ。他の奴に披露してやるつもりはねぇが、オレは見たい」
否定してみせれば。アニムはたちまち真っ赤になった。
アニムが赤く染まった肌の理由を考えて、にやけがとまらない。
俯いて、照れくさそうに水着の布を引っ張っているアニム。伸縮性の高い生地は、アニムの仕草に抗うことなくついていく。
下唇を噛んで微笑むとか反則だ。
「そうも恥らわれると、我慢がきかなくなる。昨晩、散々忠告したろ」
「うぇ!? ばっばかししょー! フィーネとフィーニスも、いるのに!」
昨夜のやり取りを思い出したのだろう。アニムがぼっと染まった。両側の髪で顔を隠す姿も可愛くて仕方がない。
さっきは訂正を入れたものの。アニムから、師匠呼ばわりされるのは嫌いじゃない。特に、ばか師匠という声は格別に甘いことが多いから。
踵を鳴らしてアニムに近づく。乗り上げたベッドが沈むのと同時に、はっと顔を上げたアニム。
「んっ」
そっと寄せたアニムの唇から、甘い吐息が漏れた。強く腕を掴まれたのさえ心地よい。
「アニム……」
もう一度だけ吸って離すと、アニムは潤んだ瞳で見上げてきた。まるで、物足りないと訴えるように。
照れている姿も捨てがたいが、最近深みを増した乞う視線に熱があがる。絡み合った視線に、息がこぼれた。
「じゃあ、ふぃーにすもおしょろいにしまちょ!」
「うっうな!?」
理性を呼び戻せたのは、子猫たちの声のおかげだった。
ぽんと肉球を打ち鳴らしたフィーネに、戸惑いの声をあげたフィーニス。いつの間にかアニムの膝上に降り立っていたフィーニスは、白目を剥いて丸い身体を逸らしている。しかも、小刻みに震えているじゃないか。
まぁ、そりゃそうだ。
フィーネとフィーニスに身体的な性差はない。けれど、フィーネは少女、フィーニスは少年と言える個体差はある。
ワンピースの水着なんぞの着衣を強請られたら、驚きもしよう。
「ふぃーにすは嫌じゃぞ。水着なんぞ必要ないじゃろ。ふぃーにすとふぃーねは、元から服なんぞないんじゃから」
「ふぃーにすは、ふぃーねとあにむちゃと、おしょろいはいやいやなにょ?」
「りっ理由が違うのぞ! ふぃーにす、そないきゅうくつなのは嫌じゃって意味じょ!」
泣き出しそうなフィーネの耳を撫でながら、フィーニスはあわあわと言い訳をする。
必死に言い訳をつむぐフィーニス。混乱しながらもフィーネを気遣う様子に、アニムは口を押さえて肩を震わせている。
あぁ。式神と主は似るのだというセンの意味深な笑みが、今になって腑に落ちた。
「フィーニスはフィーネに弱いな」
「うなな! よーわからん! ふぃーにすには、ふぃーねがしょんぼりしとる理由が、さっぱりなのぞ! けっけど、そうじゃ、ふぃーにすはありゅじと一緒がいいのぞ!」
挙動不審なフィーニスに、オレも噴出してしまう。
あれは、オレとアニムだ。オレもフィーニスも希望を口には出来ても、結局は折れてしまう。そして、必死に探した言葉に――。
「ほんちょ? うれちーの。あるじちゃまとおしょろいのふぃーにす、たのちみ」
「ね! 私も、楽しみ! ししょー、めろめろ計画なの! 二人の水着、頑張って、作るね!」
たちわるく極上に蕩ける女性たちに、決して適わないのだ。
思わず、アニムと顔を見合わせて笑いあった。
外では雨が激しさを増している。こんな日はよく眠れると言っていたのは、アニムだったっけ。それとも、オレ自身だったか。
「その前に、一眠り」
「うん。ウィータ、ちょっと、待ってね。水着、よける」
襲ってきた睡魔に負け、ベッドに横たわったオレをだらしないと責めるのではなく。いそいそと、水着を椅子に乗せていくアニム。まどろむ意識の中、フィーネとフィーニスも「んしょ、んしょ」と羽を動かしているのが見えた。
「へへっ。お昼寝は、いいよね。フィーネとフィーニスは、私の胸のとこ、おいで?」
「うみゃー! ねんねこー!」
肌に触れる体温に、あっという間に意識を奪われた。
― おわり ―
|
|