引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

9.魔法がない世界の住人と、引き篭り魔法使いの事情7


 『『アニム』!!』

 師匠の叫びが水晶の空間を揺らします。召喚獣の魂と涙が打ち砕かれるのが、同時に起きました。
 落下していく私を、無数の数え切れない魔方陣が取り囲んでいます。もちろん、当時の私は、それがなんなのか思いつく知識なんてありません。ただ、落ちていく恐怖と、迫り来る異形に息が止まっていました。

『ウィータ! こんな最悪な状況で、召喚獣の喚び戻しと『アニム』の救済を両方行うなんて無茶だよ!』
『うっせぇ! いいか、セン。同時に術をしめるぞ!』

 師匠は体中の血管を浮かび上がらせています。視界を細めてみると、目尻や耳からも赤いものが滴っているのがわかりました。
 師匠の姿に、さっと血の気が引いていきます。無意識の内に、師匠へと腕が伸ばされていました。

「ししょー! 死んじゃうよ!」

 げほっと、師匠が血を吐き出しました。私は、師匠の口元を拭うように手を動かしますが、赤い血は手をすり抜けて落ちていきます。
 私はただ、おろおろとすることしか出来ません。ほろほろと、涙が視界を歪めていきます。

「しっ、ししょー。私、なにも、できない」

 カローラさんがいたら、過去の出来事を見ているだけなのだから当然、と言い切られてしまうかもしれません。
 頭では割り切っていても、心で理解するのは無理です。膝をついて服に血を滲ませていく師匠も、召喚獣が起こす風に吹き飛ばされている雪夜と華菜も、召喚獣も。全て、人事なんて――過去だなんて、割り切るのは不可能なんです。
 だって。感情が手に取るように伝わってくる。嬉しさも悲しさも切なさも、全て感じてしまう。ここは、温度も風も感じられる、リアルな空間なんです。

『ウィータ!』
『うっせぇ。自分の術に集中しろ』

 明らかに強がりだとわかります、師匠。
 センさんも辛そうなのは明らかですが、師匠は杖を支えにしていないと完全に倒れてしまいそうなくらい苦しそうです。
 師匠は喉に詰まった血痰を吐き出し、再び瞼を閉じました。唇は詠唱を刻み始めます。

『でも、ウィータ! 補助で術を発動している僕はともかく、君は――!』
『あー、もう! とっとと終わらせれば、問題ねぇだろうが!』

 語尾は掠れていましたが、強気な口調は変わりません。
 大丈夫だと体で示すためでしょう。師匠は勢い良く立ち上がり、大きな音を立てて魔法杖を正面に突き立てました。
 よくめまいを起こさずにいられたなと、妙に感心してしまいました。それくらい、師匠の顔色は、ひどいんです。

『……それはそれで、大変だけどね』

 センさんは苦笑を浮かべました。二・三度口を動かしていらっしゃったので、きっと、本当はもっと別のことを言いたかったのでしょう。
 けれど、センさんはおどけたように肩を竦めただけで、すぐに詠唱の体勢に戻りました。

『よし! 気合入れていくぞ!』
『うん!』

 師匠とセンさんが纏う空気が変わりました。ぴんと張り詰めた緊張感に、私の背も伸びます。
 水晶や魔方陣から光が溢れていきます。師匠とセンさんの足元にある魔方陣が、くるくると回転し始めました。魔方陣をかたどっていた文字が、螺旋を描いて上空に昇っていきます。文字が離れていくと、すぐにまた、光が新しい文字を書いていきます。

「アルス・マグナ、魔法文字、食べてるみたい」

 アルス・マグナ――偉大なる術――が魔法文字を取り込んでいます。そのたび、魔方陣は面積を増していきます。今はもう、水晶の天井に触れそうなくらいです。
 アルス・マグナと水晶の天井とがぶつかる寸前、師匠が魔法杖を筆のように動かし始めました。すると、アルス・マグナは、ぴたりと膨張を止めました。
 はためいている服をうまく避けながら、魔法杖は空中に模様を描いていきます。

「すごい」
 
 場の雰囲気にのまれ、驚きを声にするのがやっとです。
 と、あれだけ眩しかった空間が、急激に暗くなっていきます。水晶や小さな魔方陣の輝きは、アルス・マグナや師匠たちに取り込まれてしまったように、なりを潜めてしまいました。
 薄暗い中、魔法映像が唯一存在を主張しています。
 そこには、気を失っている私が映っています。先ほどと変わらず、いくつもの魔方陣が私を取り囲んでいます。魔法陣の効果でしょうか。落下速度は、花びらがふわりふわり舞っているほどです。

「確か、召喚獣の魂の、後ろから、大きな魔方陣、後追ってきた」

 記憶を辿ってみます。
 薄れていく意識の中、天のお迎えかと考えていましたが、魔方陣だったんですね。召喚獣の涙と魂で良く見えなかったのですが、これですっきりしました。
 けれど、まばゆい魔法陣の光の向こう側、ちらりと見えた影が……思い出せません。張り裂けそうに、心臓がひと跳ねしました。

『血が魔方陣の威力の増幅剤になって、ちょうどいいぜ』
『ウィータにしては、前向きな思考だね』

 師匠が、ぐいっと強い調子で口元の血を拭います。その拍子に飛んだ雫が、地面の魔方陣に触れました。魔方陣の光が触手のようになり、喜んで血を食べているように見えました。
 師匠は、魔法杖の動きを止めました。呆れ顔のセンさんのことは、視界に入れないようにしています。
 師匠の腕が、左から右へを流れます。皮膚を裂いて流れていた血が、勢いよく、宙に浮いていた魔法文字にかかりました。

『いくら僕らが不老不死で、負傷もすぐ回復するからといってもさ。源である血が足りなくなれば終わりだよ。気をつけてよね』

 センさんは、本気で心配しているのでしょう。ひし形の宝玉がついた杖を地面に突き立てたまま、眉を寄せました。
 それでも、師匠は何も言わず、口の端だけをあげてみせます。あぁ、いつもの極悪人面です。そんな表情でも、私に向けて欲しい。
 すっかり壊れてしまった思考。不安も衝撃も、混ざり合っています。ただ、目の前の状況を、眺めるだけしか出来ません。なのに……余計なことは考えないようにしているのに、ちらりちらりと覗いてくる、私じゃない「アニム」さんの影。

「違う。今は、最後まで見て、早く目が覚めるの方、大事」

 大きく頭を振ります。ぎゅっと両の手を握りしめ、目の前で浮いている魔法文字を見つめました。ちょうど文字が、師匠の血を吸い込みきったところだったようです。赤い色が、白い光の中へ消えていきました。
 師匠が大きく息を吐き、瞼を閉じました。隣のセンさんも、師匠にならいます。二人とも、魔法杖の両端を握り締め、前に掲げています。
 数秒の沈黙の後、胸を膨らませ、開かれた瞼。師匠もセンさんも、いつもよりさらに色を薄くしています。前を見ているようで、焦点があっていないような不思議な印象を受けました。
 
『ムンドゥス・ノステル、ムンドゥス・ウェステル』

 師匠とセンさんの声が重なり、言葉を紡ぎます。水晶に反響した呪文は、賛美歌のように神聖です。魔方陣が奏でる音響が、それを助長しています。
 ほぅと聞き惚れていると、魔法映像には光の輪が現れていました。私の下と、召喚獣の魂の上。挟み込むように出現した魔法陣は、師匠とセンさんが言葉を積み重ねるごとに、文字や色を身につけていきます。

『イン・スピリトゥス・エット・ブェリターテ』

 私の世界を映し出していた魔法映像が、渦を巻きながら収縮していきます。球体になった映像は、とても綺麗です。まるで、地球を模したように青く煌いています。硝子玉みたい。
 私たちの足元にあった魔法陣も、同じように球体へと姿を変えていきました。私の世界の球体より、淡くて柔らかい黄緑の色に包まれています。
 それにしても、空間の温度が一気にあがった気がします。冷えていた体が、嘘のように熱くなっていきますよ。

『ファータ・セネントゥ』

 上空にあったアルス・マグナが、怒号をあげて、私の世界の球体に突っ込んでいきます。アルス・マグナの中心にあった召喚獣の魂の欠片は取り残され、ゆっくりと私たちの眼前に降りてきました。
 先ほど、師匠の血を浴びた文字が、二つの球体の周りをぐるぐると回転し始めました。私の世界の球体と、この世界の球体が、徐々に距離を縮めていきます。
 時折、反発しているように離れますが、そのたび、センさんを助けていた精霊たちが、柔らかく息を吹きかけます。

「きれい」

 神秘的な光景に、感嘆の息が漏れました。
 魔法映像が途切れて、自分の世界の情報がなくなり、召喚獣に壊されたという現実味が一気に薄れてしまったのかもしれません。
 もちろん、家族は心配です。けれど、理由は不明ですが、召喚獣の魂は私を追いかけてきた。私が崖を落ちて、皆から離れたのですから、つまり、他の人たちに被害は及ばなくなったということかと思うのです。

「お願いだから、みんな、生きていて」

 どうか、と祈りをこめて両手を絡ませます。お父さん、お母さん、雪夜、華菜の命が無事でありますように。
 願ったところで、視界が揺れました。足を踏ん張ります。
 近くにいた師匠が、瞳の色はそのままに、胸元を探り始めました。

「ししょー?」

 片手で支えるには重いであろう杖は、師匠の左手に負担をかけている様子はありません。どうやら、ほとんどは、浮遊魔法で浮いているようです。
 師匠の黒い服から取り出されたのは、青と断定して表現するには難しい色をした宝玉をつけた、ネックレスでした。
 見覚えがあると考えた瞬間、自分の胸元に触れていました。そうです。師匠が私にくれた、ネックレス。師匠の魔力が練りこまれている、私の存在固定を助けてくれているという魔法道具です。

『ドゥオールム・ムンドールム!』

 一言ずつ丁寧に発せられていた言葉が、切れました。師匠とセンさんの中から、全ての息が吐き出され、詠唱の余韻が漂います。
 別々に浮いていた球体は溶け合っていきます。
 術は終わったのでしょうか。過程が派手だっただけに、あっさりとした最後に、戸惑いを覚えてしまいました。ですが、異次元――見えないところでは、想像出来ないような光景が広がっていたのかもしれませんね。

『次の準備に……うつらねぇとな』

 あれ、やっぱりまだ終わってなかったようです。そうですよね、私も召喚獣の魂も、召喚されていませんもん。
 焦点を取り戻した師匠が、ネックレスを持ち上げ見つめています。瞳が揺れているように思えたのは、どうして?
 精霊さんたちにお礼を言ってたセンさんが、溶け合っていく球体に一歩近づきます。かつんと鳴った足音で、師匠がはっとしました。

『ここにきて、迷っているのかい?』

 射抜くような、センさんの薄桜色の瞳。責めている口ぶりではありませんが、感情が薄い疑問に聞こえました。
 師匠はそっと目を伏せました。ネックレスを握り締めると、手袋がきゅっと音を立てました。

『ずっと――百年以上の間、欲しいと思ってた。あいつの『アニム』が最後に伝えてくれた言葉で、また出会ってみたいと思った気持ちに、間違いなんてない。そう、自信を持ってた』
『ウィータ、君は――』
『いや、最初は、永遠に続く時間の中、暇つぶしになればなんて考えてたんだろうな。けど、想いだけが膨らんでいくようで戸惑いもあったし、またこうして『アニム』を目の前にしたら……今更、怖くなった。情けねぇよな』

 同じように、私も自分の首にかけられているネックレスを掴みます。

「怖いって、なんで?」

 師匠の言葉を繰り返してみます。
 師匠が欲しがっていた『アニム』さんと、目にした私が全く違ったという意味でしょうか。わざわざ次元を超えて手に入れて、私に幻滅するのが怖いの?
 もしかして、師匠が言いたいことあるというのも、私に手を出さないのも、想い人じゃなくて、あくまで弟子としてあれという忠告?

「でっでも! ししょー、あれ以上先、ご褒美、とっておくって!」

 今は、内容に対する羞恥心よりも、恐怖の方が勝っています。
 だれかの代わりは悲しい。けれど、自分に幻滅されているのも嫌だ。なら、だれかの代わりでも、愛されてたら、それでいいの? 
 自分に問いかけてみますが、もちろん、それにも頭を振ってしまいます。
 私はなんてわがままなんでしょう。残りたいのか、帰りたいのか。自分の気持ちもはっきりしていないのに、師匠がどうだの、私じゃない『アニム』さんの存在がどうだとか。肩を並べられる位置にもいないというのに。

『はぁ。ウィータ、僕は前にも言ったよね。運命は廻り続けているけど、ちょっとしたきっかけや歪みで無数に枝分かれしていくものだって。僕らが経験した過去が、必ずしも『あの時』と同じ未来に、繋がっているわけでもないって』
『……あぁ』

 師匠はセンさんが言おうとしている裏を、承知しているようです。苦々しい様子で視線を逸らしました。
 あんなに自信に満ちて、『アニム』さんを手に入れると断言していた師匠。なのに、ここにきて、師匠は本気で迷っているようです。私を目にしたら、やっぱりいらないって思ったの?
 握り締めていたネックレスから、手が離れます。ぎゅっと、スカートの裾を握り締めると、ぽろりと、一滴だけ涙が零れました。唇を思い切り噛み締めて、涙腺から出ようとする涙たちは堪えました。目元が焼けるように熱いです。

『だからこそ、『アニム』の言葉に沿って、今まで弟子をとらなかったというのも、重々承知しているよ。『アニム』を一番弟子にするためにね。ウィータほどの魔法使いが弟子をとらないことを、責める者がいても、周囲から疎外されても』

 師匠が一番弟子をとらずにいたのは、『アニム』さんのため。その一言が重くのしかかります。
 師匠の百年間は、全て『アニム』さんに捧げられていた。でも、それを本来受け止めるはずだった『アニム』さんから、私が横取りした。師匠にも、『アニム』さんにも、そして私がこの世界で出会った人たち。全員に申し訳ない。そう、思えてしまいました。
 元の世界からも切り離されろと言われ、この世界で自分としてもあれない。私は一体、だれなのでしょう。

『セン? お前、何が言いたいんだ?』

 師匠が考えていたのと違う方向性に話が向かっていたのでしょう。あがった顔は、幼さを浮き上がらせていました。きょとんと、瞬いています。
 センさんは、溶け合っている球体に視線を向けました。程なくして、踵を返しました。結構な勢いで、師匠に近づいていきます。
 珍しく、師匠が気圧されているようです。一歩下がった師匠に、センさんは指を突き刺しました。

『君は再び『アニム』と出会った。召喚獣の涙をもろに浴びて、体内にも大量に入ってしまったうえ、術の発動範囲にいたあの子は、どっちみち召喚に巻き込まれるしかなかった。ウィータは、今更あの子を元の世界に戻すって言うのかい? その方が残酷だよ。まさか、リスクを把握していないとは言わないよね』

 残酷の指すところを考えてみますが、検討がつきません。
 胸が熱くなった気がしました。吹雪の中、師匠が私の魂に結界魔法をかけてくれた時に似た、熱です。召喚を繰り返すにはリスクが伴う、ということなのでしょうか。魂に負担がかかる、という。

『セン、オレは――』
『術を失敗した責任は取るべき、なんだろう? 失敗の意味するところが、多少、ずれていてもね。ぐだぐだ言ってないで、腹をくくりなよ』

 厳しく聞こえる言葉。ですが、センさんは、いつものように軽い調子でウィンクしてらっしゃいます。
 そう。師匠は術を失敗した責任を感じて、魔法も使えなくて、特技もない私の面倒を見てくれている。ずっと、そう信じて疑いませんでした。
 
『わりぃ。みっともねぇとこ、見せちまったな。しかし、最後まで反対してやがったお前に、まさか後押しされるなんてな』

 師匠は前髪をかきあげました。そして、空いた手で、センさんの肩を叩きます。血の気のない顔に、小さな笑みが浮かびました
 そのまま、センさんの横を通り抜けて、すっかり溶け合った球体に手を伸ばしました。

『ウィータはさ、昔から最後に二の足踏むんだよね。決まって、僕が背中を押してきたからね。まぁ、埋め合わせは期待しているよ』

 センさんの微笑みは、とても綺麗です。でも、ぐっと喉が詰まってしまう空気です。
 そう感じたのは師匠もだったようで、これ以上ないくらい、頬を引きつらせていました。センさんから気を逸らそうとしているのか、慌ただしい様子で『術を完成させるぞ』と手を高く掲げます。
 センさんも妖艶な笑みを浮かべたまま、右手だけを前に突き出しました。魔法杖は握られていません。
 師匠は溶け合った球体の前に、センさんはやや後方に位置しています。球体は、写真で見たことのある銀河の画像みたいになっています。無数の光が集まって、ガスが漂い、帯を引いているような。
 師匠が、呼吸を整えます。大きく肩が上下したかと思うと、ぴたりと動きを止めました。

『ネク・ポッスム・テークム・ウィーウェレ・ネク・シネ・テー』

 高らか、というよりは優しく紡がれた呪文。胸が締め付けられる、希(こいねが)う祈りのようでした。
 言葉の意味は理解出来ません。けれど、耳を撫でた師匠の声は、私の全身を震わせます。
 詠唱からややあって、小さな銀河は、花びらのように上空に舞い上がりました。そして、形を変化させていきます。

「魔法陣?」

 精一杯、仰け反ります。師匠もセンさんも同様の格好で、魔法陣が出来上がっていくのを見守っています。
 センさんは、とても静かな瞳で。師匠は、期待と不安をあわせたような、切ない表情で見守っています。

「そうだ。私、魔法陣、吸い込まれた。で、ゆっくり背中から落ちた。たぶん、あそこから」

 これで、全部思い出したのでしょうか。召喚の一部始終を。
 深いため息が落ちます。空間の気温は、相変わらず上昇したままのようです。息は白くはならず、形のないまま消えていきました。
 召喚のこと、家族のこと。思い出したかった一連なのに、苦しさだけが頭を支配している気がしました。

「カローラさん、どうして、ししょー側から見せたです? ししょー、「アニム」さん欲しくて、私、召喚した。だから、もっと、「アニム」さん知って、努力しろって意味?」

 いっそのこと、意図を教えてくれたなら、突っぱねられたに違いありません。師匠やセンさんの会話だって、背景が全部見えていたら、もっと楽だったのに。
 自分で考えなければいけないのは、とても疲れます。だって、いくら考えあぐねても、正解なんて知りえない。
 魔法陣の音が、まるで耳鳴りのようで、頭痛を誘います。

「だめだ、私。受け入れるだけ、もっと、私じゃなくなる。さっき、残る、帰る、考えなきゃ、思ったばっかりなのに」

 こめかみを両手で挟み、思い切り押してやります。ぐりぐり押すと、耳鳴りがやみました。上空を見上げれば、あやふやだった魔法陣が、とても大きくしっかりとした形になっていました。
 濃紺のようでもあり、紫色のようでもある色。薄暗くなった空間では、目立つ存在ではありません。私には、魔法陣の仕組みや違いは良くわかりませんが、アルス・マグナに似ているような気がしました。
 私が落ちてきたのは、最初のアルス・マグナじゃなくて、これでしょう。変なところがはっきりして、頷いてしまいます。

「魔法陣、赤くなってく」

 言葉通り、あいまいに浮かんでいた魔法陣が、鮮やかな赤い光へと変わっていきました。そして、見えない粘膜に沈んでいくように、魔法陣からゆっくりと出てきたのは、茶色の髪。

「私、召喚獣魂。それに――」

 私の他に、小さな弱々しい光が一緒です。
 師匠とセンさんは汗を流し、顔を合わせました。無言で、小さな光を目で追っています。
 ややあって、センさんが小さく頭を振りました。師匠も、掌で顔を覆います。ですが、師匠は弱々しい光を手繰り寄せ、魔法の光で包み込みました。今にも消えそうだった光は、なんとかという状態で、ふわふわ浮いています。
 召喚獣の魂も掴み、同じ光に含めます。

『ウーヌス』
『はい、ウィータ様』

 いつの間に現れたのでしょう。師匠が名を呼ぶと、式神であるウーヌスさんから間髪いれずに返事がありました。
 師匠は大事そうに撫でていた光の玉を、ウーヌスさんに渡します。ウーヌスさんは無表情のまま、師匠の次の言葉を待っています。

『大至急、霧の泉に連れて行ってくれ』
『かしこまりました』

 ウーヌスさんは短く返事をして、姿を消しました。
 光の正体に首を傾げたのも束の間、完全に姿を現した自分に目を奪われました。青白い顔をした私が、膝をついたセンさんに受け止められています。
 青白い部分にどんどん侵食してくる、痣。自分でも目を覆ってしまいたくなる、火傷のような痣が、顔や首に広がっていきます。

『セン! そのまま『アニム』を抱きかかえてろ!』

 いつの間にか、ネックレスが師匠の手に戻っていました。ネックレスを宙に投げると、両手を前に突き出します。焦っている師匠の様子とは反対に、ネックレスからは木漏れ日のような光がじんわりと滲み出てきました。
 一度、師匠の魔法を吸収したネックレス。再び溢れた輝きは、迷うことなく、私に向かって放たれました。

『間に合ってくれ!』

 ぐったりとした私を、師匠の魔力が包み込んでいます。ゆっくりとですが、体中に染み込んでいきます。
 びくんと私の体が大きく痙攣しましたが、大きな反応を見せたのは、その一度だけでした。過去の自分に、ほっと胸を撫で下ろしてしまいます。
 水晶が、共鳴して明るさを取り戻していきます。きらきらと煌いて、頑張れと言っているような気がしました。

『あちらの世界で召喚獣が苦しんでいるのを見てから、おおよそ予想はついていたけれど。世界一浄化されている結界内でも、この状態なんてね』
『あぁ。『アニム』の欠片が練りこまれた媒体――ネックレスに、オレの魔力を混ぜて均衡調整を図っておいて正解だったぜ』
『そうだね。今のタイミングで初めて調和を行っていたら、『アニム』の体がもたなかっただろうね。運命って言葉に、鳥肌が立っているよ』

 『もたなかった』という言葉に、奥歯が笑います。私の世界で魔法のない空気に触れ、体を壊していく召喚獣を目の当たりにしたばかりです。それに、自分の体がこんな風になっていたなんて、思ってもいませんでした。
 改めて、師匠とセンさんが結界外に出るなと釘をさしてきた意味を、実感しました。お二人は、実際、魔法に侵食された私を見ていたからなんですね。

『『アニム』を探す媒体として使っていたんだがな』

 師匠は、強気な口調に反したおどおどした足取りで、ぐったりとした私に歩み寄ってきます。水晶の地面を鳴らすブーツの音が、やけに長い間響いていました。
 息を荒くしている私の顔を、膝を折って覗き込む師匠。長い前髪に隠れてしまい、表情は見えません。ただ、伸ばされた指は、頬に触れませんでした。手袋をはめている手が、小刻みに震えています。
 私も、センさんの傍にしゃがみ込みます。

『触れるのが、怖いかい? 触れたら消えてしまいそうだとか、詩人みたいなこと、考えていたりする? 安心してよ。僕は、しっかり重さを感じているよ』
『うっせぇ!』

 師匠が声を反響させて、お決まりの文句を飛ばしました。私を抱えているセンさんの手を、思い切りつねっています。やめてください、私が落ちます。
 すごく久しぶりに突っ込みを入れました。混乱が一周まわって、正気になったみたい。

『失礼。それはさておき。早速、やきもち妬いているのかい?』

 師匠が目元を染めて、きっとセンさんを睨みました。睨まれたセンさんは、笑いを噛み殺しています。思い切り肩を揺らしています。
 というか、重さって地味にへこむんですけど。重かったですか、私。いやいや、単に人として実態があるっていう意味だと、信じたいです。
 『別にやいてねぇーし』と師匠が唇を尖らせば、センさんはまた肩を揺らしました。
 師匠は、笑い転げだしそうなセンさんの頭を叩きました。

『って、遊んでる場合じゃねぇ』

 表情を引き締めた師匠が、ネックレスを私にかけました。鎖を頭にくぐらせたところで、一瞬動きを止めましたが、胸に落ち着いたネックレスに優しく手を重ねます。
 瞼を閉じると、小さく唇を動かし呪文を唱え始めます。桜色の光が私の胸元と師匠の掌から溢れ、全てが私に入っていきました。

『応急処置的だが、ひとまず、落ち着いてる。セン、わりぃが、『アニム』を水晶の森にある家に連れて行ってくれ』
『いいけれど。ウィータは?』
『オレは召喚獣――あっちの魂を』

 言葉を濁した師匠。センさんは緩めていた頬を固くして、目を伏せました。私を見ているのは、思い違い?
 『そうだね』と掠れた声が、世界を歪めました。比ゆではなく、本当に景色が混ざり合っていきます。やっと目が覚めてくれるのでしょうか。ぎゅっときつく目を閉じて、祈るように指を絡めます。

「目、覚めない?」

 いつまでたっても変わらない感覚に、諦め半分で瞼を開きました。
 すると、巨大スクリーンに囲まれているではありませんか。真っ白な空間に、ぽつんと座り込んでいる私。これって、もしかしてスタートに戻ったのでしょうか。冗談はやめていただきたい。
 映像は、最初に見たモノと同じです。髪の長い師匠もいれば、短い師匠もいます。もちろん、私も。訪問者の方々もいらっしゃいます。
 よくよく考えると、全部カローラさんやお仲間の花びらさんたちに見られてるのかなと、微妙な気分になってしまいました。

「あっ、あれ、最初目が覚めたとき」

 ベッドの上で唖然としている私がいます。まさか異世界に来ているなんて信じるどころか、発想すらありませんでした。ハイレベルなコスプレイヤーさんたちがいる、綺麗だな、ここはどこのイベント会場なのかな。なんて考えていた覚えがあります。
 とにかく知っている場所じゃないと自覚し、次に言葉が通じない事態に泣きそうでした。幸い、何故か師匠が異世界語を話せたので、救われましたけど。
 センさんはセンさんで、微笑みながらも、私の髪に触れて『本当の色かい?』と問い詰めています。師匠の訳が変に恐怖を煽っていたのかもしれません。
 けど、今考えれば、あれは師匠やセンさんが知っている「アニム」さんの姿と違ったからなんですね。

「謎解けた。けど、嬉しくないかも」

 どうして平凡な人間を召喚なんてしたかと詰め寄る私に、師匠は『あー、悪い悪い。間違えたわ』と満面の笑みで返しました。唖然とした後、拳を振り上げた私の手を受け止め、嬉しそうに笑っています。振りほどこうと必死にもがく私を見て、また愉快そうに口の端をあげたんだっけ。あれが最初に目撃した、悪人面でした。
 やはり『間違えた』の意味するところは、期待はずれだった、というモノでしょうか。でも、そのわりには師匠が楽しそうに見えるのは、私の頭がおめでたいから?

「私、ししょー、に、ちゃんと、望まれてる? って、くるしい!」

 ぽつりと呟いたのはいいですが、突然、息が苦しくなりました!
 ぐぇ。なにこれ。胸が苦しいどころじゃなくって、本当に呼吸が出来ないんですけど!! 濡れたタオルを顔に乗せられているみたい。というか、あったかくて甘い香りがする気もしないでもないけど、とにかく重くて苦しい。
 あっ、駄目。意識が薄れていきますよ。っていうか、夢の中で死ぬって間抜けです、私。このまま消えたら、師匠は悲しんでくれるでしょうか。「私」を、求めてくれる?
 だれかが頭の隅で、馬鹿な奴だと笑った気がしました。




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