引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

9.魔法がない世界の住人と、引き篭り魔法使いの事情6


 バンッという乾いた音が響き渡りました。まだわずかに残っていた鳥たちも、羽をけたたましく鳴らしながら飛び去っていきます。
 耳に慣れている魔法とは違う音に、涙でぐしゃぐしゃの顔があがりました。師匠とセンさんも同じように呆然としていました。
 魔法映像が、召喚獣の後方を映し出します。猟銃らしきモノを構えた老年の男性がいました。銃口から吐き出されているのは、灰色の煙。

「この音、私、聞いた」

 そうです。駐車場にいる時、聞いたのを思い出しました。この音が山中に響いて、華菜がひどく怯えていました。
 召喚獣の喉は回復していたのでしょう。超音波のような耳をつんざく声を発していました。あまりの高音に耐えられなくなって、耳を押さえて、うずくまってしまいました。
 衝撃波で、周囲の樹や岩は跡形もなく吹き飛んでしまいました。もちろん、男性も……。

『くそっ! 不可侵の結界を越えてきたのか!』
『魔法がない世界で術をいくつも使うのは、無理があったんだよ! そもそも、あちらの世界の住人には魔法自体、効かないのかもしれないし』

 師匠とセンさんは重苦しい空気を纏い、魔法杖を前に突き出しました。杖から生まれた光は膨らみ、グラデーションのように目まぐるしく色を変えています。それに呼応するように、召喚獣を包んでいる花びらたちも光を強めました。
 すんと、鼻をすすると、思い出したように溢れてしまったのは涙。けれど、妙に思考は冴えている気がするのです。私、ネジが一本、どこかに行っちゃったのかな。

『ちっ! 最悪だな。召喚獣の身体に、あの武器から放たれた物質が食い込んでやがる。ただでさえ、召喚獣に、魔法を含まねぇ世界の空気は毒だってのによ』

 師匠の言葉を証明するように、召喚獣は雄叫びをあげています。喉が治ったせいか、声が出ることで、余計に苦しみを実感してしまっているのでしょう。
 心臓が、どくんと鳴ります。そっと手を添えると、熱を帯びていました。私の中には師匠の魔力があります。空気が合わない異世界で、私を守ってくれています。
 私の魂を、師匠の魔力が包んでくれている。今の召喚獣の場合は、逆に攻撃してくる銃弾が打ち込まれている。

「あの召喚獣、同じく。私、こっちの世界には、受け入れられない?」

 元の世界を一部でも匂わせている間――「私」のままでは、こっちの世界に受け入れてもらえないのでしょうか。師匠の傍にいる資格はない?
 あの召喚獣は、私そのもの。考えずには、いられません。
 その現実を知らしめたくて、カローラさんは過去を見せているのでしょうか。

『ウィータ、駄目だ! 召喚獣、中途半端に回復しているからか、花びらの結界を壊そうとしてしまっているよ!』
『……不本意だが、魂だけ喚ぶしかねぇな』

 師匠の声がぐっと低くなりました。目も糸のように細くなっています。
 師匠の言葉に、センさんは真っ青になりました。信じられないといった表情で動きを止めます。
 けれど、師匠が魔法杖を高く翳すと、センさんは慌てて師匠の腕にしがみつきました。センさんの方が師匠よりも身長は高いので、押さえ込んでいる感じです。

『ウィータ! 正気かい?! そんなことしたら、あっちの世界に少なからず悪影響が出るだろうし、召喚獣を召喚した召喚師に、さらなる報いを受けさせるつもりかい?!』
『んなの、自業自得だろうが! 全く無関係な世界に被害及ぼすよりはましだ! 自分の実力不相応な世界から召喚しようとした奴に責任取らせろ! そいつの力量を見誤って任せた国だって同罪だ!』

 怒鳴りつけるように、師匠が言い放ちました。眉間の皺がすごい状態になっています。勢いそのままに、センさんの腕を振りほどくと、詠唱をはじめました。
 頭上のアルス・マグナ――偉大なる術――が、次第に回転速度をあげていきます。水晶の空間を、七色の光がシャボン玉のように包みました。私たちの足元にある大きな魔方陣も、噴水のように光を立ちのぼらせます。
 とんと、師匠は一度だけ地面に杖先を触れさせました。それに呼応するかのように、動きを止めたアルス・マグナ。
 すると、魔法映像の向こう側、私の世界にいる花びらたちが魔方陣を描き始めました。優しい色だった花びらたちが、一気に冷たい色に変化していきます。
 ひときわ大きな声量で唱えられた詠唱。冷えた空気の中で、良く通っています。

『ウィータエ・アエテルナエたるウィータ・アルカヌムが、尊き魂の導者に願い奉る。ドゥークント・ウォレンテム・ファータ・ノーレンテム・トラフント!』

 詠唱が終わるのと同時に、こちら側の魔方陣は静まり返り、私の世界にある花びらの魔方陣は輝きを増しました。半透明だった光は、やがて濃い霧(きり)のようになり、召喚獣は見えなくなってしまいました。
 センさんは、ぐっと押し黙ったままです。腕をおろした師匠は、大きなため息をつきました。

『わりぃ。センが、こっちの世界寄りでモノを言ったんじゃねぇってのは、もちろん、承知してる。召喚師と召喚獣、両方を考えてるってのもな。けど、どっちみち、術を失敗した召喚師は無事ではいられねぇ』
『わかってる。もう既に彼は、術を損じた反動を、多少なりとも受けているから。失敗といっても、召喚獣がこの世界に留まっていたなら、まだ手の施しようはあったのだろうけれど。一旦召喚してしまった召喚獣を、さらに他の世界に飛ばしてしまったからね。仕方がないっていうのは、わかっているつもりだよ』
 
 センさんは自分に言い聞かせるように、言葉を噛み締めました。とても辛そうです。普段、センさんの方が落ち着いて見えるのですが、今は師匠の方が冷静なようです。
 センさんの空気が変わり、師匠も少しですが表情を和らげました。労わるように、センさんの肩を軽く叩きます。

『お前の気持ちもわかる。顔見知り程度とはいえ、知ってる奴のあんな末路を知っちまったんだからな。けど、今の状況じゃ、どっちも無傷だなんてありえねぇし、あっちの世界には被害が出てるんだ。自ずと、優先順位は決まってくる』

 凜として迷いのない、師匠の声。魔方陣が鳴らす大きな音にも負けないくらい、明朗に聞こえます。いつもなら、見惚れてしまう姿です。
 けれど、今の私は、師匠に魅かれる度、全身から悲鳴があがってしまいます。
 けど、深呼吸をして考えてみます。師匠が魔法映像を介して向けていたような懐かしむ視線。あれを向けられたことが、あったでしょうか。トリップ当初に混乱していた時期は明確に思い出せません。けれど、最近ではなかったはず。

「でも、記憶、都合よく変わるモノ。ししょー、好きな気持ち邪魔して、ほんと、思い出せないだけ?」

 師匠をじっと見てみますが、目は合いません。苦しくなって、自分から視線を逸らしてしまいました。
 センさんの綺麗な薄紫の髪が、くしゃりとかきあげられます。

『そう……だね。召喚師は、強靭(きょうじん)な肉体と力を持つ召喚獣を、使役する特殊な能力を持つ。けれど、喚んだ召喚獣が傷つけば、それ相応の反動を受ける。今回、術を失敗した召喚師も例外じゃない。契約外の世界に召喚獣を飛ばしてしまったのに加え、無関係の世界、しかも異なる理を持つ次元で魂の犠牲を出してしまったからね』

 センさんから、深い息が吐き出されました。わずかにですが、唇が震えています。
 先ほどまで、はっきりとした物言いだった師匠が言葉を濁すほど、反動というのは恐ろしいのでしょう。想像するだけで、足先から頭のてっぺんまで、寒気がのぼってきました。
 自己中心的に考えれば、師匠やセンさんには、私の世界の事情なんて全然関係ないと思うのです。それでも、他の世界を優先しようとしている。ただ、純粋にすごいなと思えました。

『ごめん、頭が冷えたよ。それにしても、さすがウィータ。メトゥスだったら、間違いなく、あちらの世界も召喚獣の魂も、全部壊してしまうって選択だっただろうに』

 センさんの口から、知らないお名前が出できました。
 師匠の端正な顔が、みるみるうちに歪んでいきます。あれは嫌いなモノを見る時の顔です。私が見たことがあるのは、夕飯に辛味きのこを出した時だけですけれど。
 師匠は真っ黒なマントに顎を埋めました。

『んで、あの変態やろうの名前が出てくんだよ! 嫌味か、嫌がらせか! むしろ、オレの優先順位のつけ方が『アニム』寄りだって皮肉か!』
『まさか。最初この依頼は、メトゥスにという話もあったんだよ。何百人、何千人の魔法使いや召喚師に頼めば、召喚獣の回収は出来る。けれど、国側も失態を知る人間を最小限に抑えておきたかったらしく、メトゥスに白羽の矢が立ったらしいんだ。彼も乗り気だったみたいだけどね』

 センさんが肩を竦めました。すっかりいつも通りのセンさんです。それにしても、師匠の嫌がりようはすごいです。
 アニム寄り、という言葉に耳鳴りが起きました。私だけど、私じゃない。だって、あの時の私を師匠が知っているはずないのだから、私寄りにモノを考えるのは、おかしいですもの。さっき浮かんだ前向きな考えは、あっという間に消えていきます。
 師匠の声が聞きたい。私にかけてくれる、師匠の声を。そうすれば、いつもの軽い自分に戻れるのに。そう考えてすぐ、もしかして止めを刺されるのではと、視界が歪んでしまいました。

『何でオレに依頼が持ち込まれたんだよ。大体、あの変態、色んな界隈(かいわい)から恨み買って、何十年も前に結界に閉じ込められただろうが』
『メトゥスに依頼がいく直前に、たまたま僕が国に立ち寄ったらしいんだ。僕からウィータに頼んでくれって泣きつかれて。個人レベルで次元を監視可能な上、干渉出来るのは、世界広しと言えども、数人いるかいないかだしね。僕が把握しているのも、ウィータとメトゥスと……まぁ、あと二名くらいだし』

 最後を濁らせたセンさん。師匠も、その二名に心当たりがあったようです。あえて突っ込みはせず、小さく息を吐いただけでした。
 センさんは二本だけ立てた指を、ゆっくりと折り曲げました。

『ひと昔とはいえ、内部改革に携わった国でもあるし、あぁいう魔法使いに、わざわざ借りを作らせるのも忍びないかと思ってさ』

 師匠は納得いかないようで、口をへの字に歪めたままです。師匠は世界規模で有名人なんですね。今更ながら、私が、そんなすごい人の唯一の弟子なんて信じられません。アラケルさんの態度も、当たり前のモノだと実感させられます。
 とても近くに感じていたはずの師匠や訪問者の方々ですが、本当はそんなことなかったのかもしれません。どこまでも自分は小さな人間なのだと痛感してしまいました。ただ、物を知らない、子どもで思慮の浅い私に、目線をあわせてくれているだけ。
 師匠だって、私との日常のやり取りは、無理してあわせてくれているだけかもしれない。
 
「ここ、魔法存在する世界。私いたは、魔法使えない世界。根本的違う、次元」
 
 言葉にして、肩が落ちました。
 魔法が使えないっていう表現は、こちらの世界から見た言い方です。もっと、魔法がないとか普通のとか、いくらでも元の世界の価値観で考えられるのに。私は、迷うことなく、そう考えていました。
 小粒になった涙に触れると、熱を持っている気がしました。まるで師匠に目元を触れられている時みたい。目を閉じると、本当に師匠が触れてくれている感覚がして、不思議と鼓動が静まっていきました。遠くから、「私」に向かって呼びかけてくれるような気さえ、しました。
 危ないです。私、とうとう妄想に頼るようになってしまったようです。

『結果、良かったじゃないかい。ウィータが『アニム』を見つけられたんだし。これも運命の導きなのかな』
『そればっかりは感謝するぜ。『アニム』にちょっかい出させないために、あいつを閉じ込める最後の結界、オレが張ってやったんだからな。あの変態やろう、今思い出しても腹が立つぜ』
『だろう? 万が一でも、メトゥスが結界から出られるようになったら、この水晶の森は一発で見つかるだろうからね』

 「アニム」さん。目の前の師匠が名を呼ぶと、立ち直ってきた気持ちが、たちまち折れてしまいました。
 目まぐるしく変わる心に、疲れてしまいました。半端ない、疲労感です。私、どうしてこんなにぐったりしているだっけ。大方の問題は、前向きに乗り越えてきたのに。いつもと何が、違うのでしょう。
 そこまで考えて、ふと、気がつきました。

「そっか。私自身、しっかりした答え、持ってないからだ」

 師匠はきっぱりと『文句は言わせない』と断言しました。思い出して、自分はどうだと語りかけてみます。
 異世界に来てからは特に、自分の中で方向性を持っていたはずです。すぐ帰れないのなら、何をすべきか、何をしたいのか、何を身に着けないといけないのか。小さな例で言えば、料理だって私の世界の味と、この世界の味、両方を取り入れたいという考え。
 けれど、今の自分はどうでしょう。

「元の世界、帰りたい? この世界、残りたい?」

 師匠の傍にいたいという想いは、全ての迷いを退けるほど強いモノなのか。それとも恋に浮かれているだけなのか。状況に甘えているだけ、なのかな。
 自分の心が、さっぱりわかりません。

「けど、ししょー、そんな強い想い抱いてる素振り、見せない。私じゃ、ししょー欲しい思った「アニム」さん、違ったから?」

 私自身の中にある想いがもっと確固たるモノであれば、そんなの関係ないと言い切れたのでしょうか。今、師匠の隣にいるのは「私」だと。
 すとんと、水晶の床に座り込みます。もう、思考が迷走しすぎてついていけません。今、思うのは、ただ早く目を覚ましたい。それだけです。

『さて。魂の浄化が終わったようだよ。召喚獣の肉体は消失し、あるのは魂だけ』

 センさんが両足をしっかりと開き、魔法映像を見上げました。軽い調子の声とは裏腹に、薄い桜色の瞳には憂いが浮かんでいます。
 それを横目に見た師匠も、背を伸ばしました。足元にある小さな魔法映像を愛しそうに見つめた後、しっかりと顎をあげました。

『おっし! 召喚獣には申し訳ねぇが……せめて、魂だけでも、お前の世界に戻させてくれ』

 師匠が魔法杖を地面につき、光の玉部分に額をつけました。センさんも同様に、細身の杖先に触れます。
 しばらく、二人はじっと瞼を閉じ、沈黙していました。まるで祈りを捧げているようです。周りの気温も、心なしか下がった気がしました。水晶は透明度を増しています。
 鎮魂の儀。そんな言葉が、脳裏に浮かびました。
 師匠とセンさんは瞼を閉じたまま、唇を小さく動かしています。聞いたことのない旋律。どこか重々しく、けれどなぜか安心する音でした。

「あれ、黒い、花びら?」

 腰が抜けた状態のままなので、はっきりとは確認出来ませんでした。でも、ふっと、魔法映像の中で黒い花びらが踊ったような気がしたんです。
 一度、魔法映像から消えてしまった花びら。胸がざわついて仕方がありません。魔法映像を凝視すると、花びらたちが形作っている魔方陣が、光を強めています。魔方陣の中心にいるのだろう召喚獣の姿――魂は、捉えられません。
 座り込んだまま前に乗り出すと、再び、黒い花びらが見えました。黒い、と表現するよりも嫌な陰を感じて、腕に鳥肌が立ちました。

「ししょー、センさん、あれ!」

 自分の声が聞こえないのは、嫌というほど悟っています。けれど、それさえも押しのける勢いで、嫌な予感がしたんです。きーんと、耳鳴りが起きました。
 師匠たちは瞼を閉じているので、全く気がつく気配はありません。
 と、その時、師匠の眉がぴくりと跳ね上がりました。

『しまった!!』
『え? ウィータ、どうしたんだい?』

 師匠の盛大な舌打ちが、静かだった空気を揺らしました。叫び声に近く、相当焦っているようです。あんなに大きな魔法を使っている最中も、汗なんてかいていなかったのに。今は頬や首にとめどなく汗が流れています。長い前髪も、じとっと額に張り付いてしまっています。
 うっとおしかったのか、師匠は前髪をかきあげ、魔法映像を睨みあげました。
 センさんは師匠の様子が急変した原因がわからないようで、ただ首を傾げるだけです。

『あの変態やろうの魔力を、微弱ながら感じた!』
『なんだって!? すぐにでも打ち消さないと!』
『もう、遅い。魔方陣の中に溶け込みやがった! くそっ!』

 師匠が苦々しい口調で、声を荒げました。がつんっと、ためらいもなく魔法杖を水晶の地面に叩きつけます。樹で作られているように思えた魔法杖ですが、ひびが入ったのは、水晶の方でした。
 そのまま、どかりと腰を落としてしまいます。

『いくら、膨大な魔力を送ったことで、あの次元が近づくのが早まったとはいえ……結界内に閉じ込められているメトゥスに、干渉出来るものかい?』
『それを逆手に取ったんだろう。結界に使われているのは、手だれの魔法使いの魔力だ。あいつが結界を破ろうとすればするほど、反発で魔力が増す仕組みだ。予想の域は越えねぇが、自分の魔力と結界の魔力を融合させて、次元の穴を作りやがったんだろ』

 センさんの手から、細身の魔法杖が落ちていきます。からんと鳴った音は、どこか滑稽(こっけい)さを感じさせました。センさん、口を魚のように開閉していらっしゃいます。

『この場所、バレはしねぇだろうから、次元の狭間で待ち伏せていやがったのか』
『こちら側は膨大な量の魔力を送り続けているし、大掛かりな術を発動しているから、逆に微弱な魔力なんて、気がつくはずもないということか。まさか、今まで大人しくしてたのって――』

 センさんの切れ長の目が大きく見開きました。そして、師匠と同じように床に崩れ落ちました。これで、私たち全員が地面にへたりこんでいる状況です。
 師匠は長い後ろ髪を縛っていた結い紐を解き、豪快に髪を掻き乱しました。そのまま後ろに倒れこむと、肺の空気を全て吐き出す勢いで、ため息をつきました。白い息の塊が、魔方陣の光をうつしています。

『あいつのことだから、単に愉快交じりに大人しくしてただけかも知れねぇがな。真意はわからねぇが、とにかくオレたちを油断させていたってのも、あるだろう。それに、問題起こしやがった国から、だれかしらが、召喚獣の魂の欠片をあいつにも流してた可能性も捨てきれねぇ』
『今回の召喚失敗自体が、仕組まれてたと言うのかい?』
『さぁな。国の内部紛争なんざ知ったこっちゃねぇよ。オレたちに関係あるのは、目の前の術をどうするかだ』

 がばっと、反動をつけて起き上がった師匠。すっかり汗はひいて、いつもの涼しい顔に戻っています。マントを脱ぎ捨てると、大きく肩を回しました。
 申し訳なさそうに座り込んだままでいるセンさんに、手を差し伸べます。

『センが気にするこたぁねぇだろ。真相解明は時間かけてでも、してやろうぜ。それに、もし横流しが事実なら、後できっちり落とし前つけさせれば良い』

 手袋をはめた師匠の手を取り、センさんはゆっくりと立ち上がります。衣擦れの音が、乾いて聞こえます。

『そうだね、ありがとう。ウィータ』

 そう言いながらも、センさんは相当ショックを受けていらっしゃるようです。背がまるまっている気がします。掌で目元を覆い、緩やかに頭を振りました。綺麗な薄紫色の長髪が、肩を滑り落ちていきます。
 師匠は姿勢を正し、魔法杖をぶんと振り回しました。

『つーか、そもそも、あんな微弱な魔力で、オレたち二人がかりの術の阻害なんざ、不可能だぜ? あいつがいかれた野郎だとしても、次元超えてまでする嫌がらせに、なんの意味があるんだか』

 首を傾げた師匠ですが、数秒後、さっと顔色を変えました。白い肌が、青白くなっていきます。あまりの緊張感に、私も立ち上がってしまいました。

『いや。オレも次元を超えて魔法使った経験はあるが、妨害なんてされたことねぇし、むしろ連携した機会の方が多い。もしかしたら、魔法がない世界では、微弱な魔力が逆に簡単に均衡(きんこう)を崩しちまうのか?』

 師匠が呟いた瞬間、ぱりんと硝子が割れるような音がしました。魔法映像がぐらりと揺らぎました。こちらではなく、映像の奥、私の世界が動いたようです。
 見ると、花びらたちが形作っていた魔方陣にひびが入っていました。内側から黒い煙が漏れてきています。

『ウィータ! 魔方陣が割れた隙間から、召喚獣の魂の一部が! しかも、あれ、狂乱系統の魔法じゃないかい?!』
『やっぱり、魔法がない世界では、一滴でも余計な魔力が触れると、均衡が崩れるってのか!』

 魔方陣の割れ目から出て行く黒い煙。外の空気に触れると、さらにどす黒い、どこか赤みを含んだ水に変わっていきます。流れる水のように、どんどん溢れていきます。最終的にはゼリー状になり、ぐるりと回転すると、凄まじい勢いで上空へ弾けとんでいきました。
 私には、痛い痛いと泣いているように見えました。ぎゅうっと心臓が縮まります。

『まさか、『アニム』の方が目的か! センは召喚獣の残りの魂を!』
『わかった!』
『頼んだぜ! だが、無理しすぎるな。自分の魂削る前には、言えよ!』

 センさんは小さく頷き、高らかに詠唱をはじめました。センさんの体全体が白く光を纏っています。神々しい。そんな言葉がしっくりくる様子です。両手の指を絡めて、祈るような姿勢は、とても美しいと思えました。周りには、センさんを支えるように、大勢の精霊が現れていました。
 師匠は長い袖をはたき、私が映っている小さな魔法映像を巨大化しました。映像には、山道を降りようと立ち上がった、私たち家族が映っています。お父さんとお母さんが、他の人たちと相談してるようです。
 確か、車内に鍵を置いたままの大きい車があって、それに乗って皆で逃げようって話になってたはずです。私は、同じような車がないか探していたんです。近くには、雪夜と華菜もいます。

「思い出した。私、不思議な欠片拾おうとして――」

 そうだ。あの時、崖の近くに光るモノを見つけて。車の鍵の可能性もあるからって、取りに行ったんです。今思い返せば、だれも近くにいない場所で、からんと音がしたこと自体、おかしいのですけど。あの時は必死だったから、疑問なんて持ちませんでした。
 自分が映った映像から、目が離せません。
 過去の私は、光るモノをしゃがんで拾い上げました。落ちそうになったリュック。逃げながらも落とさなかったんだと、あの時はじめて気がついたんだっけ。

「あれ、確か、真珠みたいので」

 手に取ったのは、大き目のいびつだけど真珠みたいな石でした。私は、なんだろうと首を傾げています。あっ、お父さんとお母さんに呼ばれて、振り返りました。
 過去の自分が手に持っている奇妙な石。それは、最近見た覚えがあるものです。

「そうだ。召喚獣、ぽろぽろ流してた、涙みたいなのだ」

 踵を返そうとした過去の私の頭上に、大量の真珠のような石が降ってきました。雹(ひょう)のように、大粒で落ちてくる衝撃から、頭を両腕で庇っています。
 他の人たちも地面に伏したり、車に逃げ込んだりしています。雪夜は華菜を抱きかかえて、庇っています。
 『ねえちゃん!』と、叫んでいる雪夜の声も掠れて聞こえるくらい、うるさかったんだ。

『何を媒体に『アニム』の魂を見つけやがったんだ!!』

 腹の底から出た師匠の叫びが、頭を揺らしました。
 過去の私はようやく目を開き、上空を見上げます。眼前を通り過ぎた黒い影。額にぶつかった召喚獣の涙が、ぱきんと音を立てて割れました。
 そう、眩暈が起きて座り込んで、それから、どうしたんだっけ。そうだ、召喚獣の涙はどんどん大きくなって、お父さんやお母さんの頭を掠めて、雪夜の腕にぶつかって――。

『くそっ! オレは、術を失敗しないなんて、よく言えたもんだぜ!』

 隣では、師匠が早口で呪文を唱えています。アルス・マグナが唸り、風が巻き起こります。師匠やセンさんの髪や服をはためかせます。あまりの風に、私は立っているのがやっとです。
 目に飛び込んできたのは、足元に落ちた大きな涙が、地面を砕いているシーンでした。岩が割れるような音を響かせ、一瞬、ふわりと浮遊感に襲われたんだっけ。何も掴むものなどないというのに、私は右手を伸ばしています。近くにいた雪夜と華菜が駆け寄ってくるのが見えました。

「駄目、きちゃダメ! 逃げて!」

 映像の中の自分と、唇の動きが重なりました。
 刹那、私を飲み込むように落ちてきたのは、大きなおおきな涙と、召喚獣の魂。

『『アニム』!!』




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