引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

9.魔法がない世界の住人と、引き篭り魔法使いの事情4


「やっぱり」
 
 拳に力が入りました。目の前の魔法映像に元の世界が映っている驚きよりも、安堵が勝っています。あれは確かに私が生まれた世界。だから、これから起こることに集中力を注がないといけない。
 何故安堵したのでしょう。自分でも首を傾げてしまいました。が、すぐに答えは見つかってしまいました。
 私は、師匠が執着している「ヒト」について、これ以上聴いていたくなかったんだ。考えたくなかったから、他に意識を向けるべき問題が浮かび上がったことに安堵した。そうに、違いありません。
 知りたいと思っていたことなのに、自分にとって都合が悪いと感じた瞬間、意識を逸らすなんて……。情けなくて仕方がありません。

「私、ずるい」

 魔方陣が高音の唸り声をあげる中、ぽつりと溢れた声。みっともないくらい、震えていました。気がつけば、握りしめていた右の拳も、小刻みに動いています。左手で掴むと、血が止まって青白くなっていた拳は、背が伸びるほど冷えていました。
 長い溜息を吐き出して、顔をあげます。
 師匠は魔法映像を凝視しています。ややあって、センさんと目を合わせ、小さく頷きました。気分が高揚しているのか。息がとめどなく吐き出され、空気を白くしています。

『予感は的中してしまったようだね。空間を移動していった花びらから、魔法の類が全く伝わってこない。どうやら、僕らの世界とは性質が異なる世界に、召喚獣は飛んでしまったみたいだ』
『厄介だな。中途半端とは言え、オレたちの世界で一旦契約しちまった召喚獣だ。回収出来なければ、こちら側に悪影響が出るのは必至だが……術の制御がしにくい上、今召喚獣が彷徨ってる世界の住人にも、どんな影響が及んじまうか』

 師匠の白い肌を、ひとしずく、汗が流れていきます。
 師匠を補佐するためでしょう。センさんも細身の杖を練り上げています。先端では、ダイヤモンドのような菱形(ひしがた)の宝玉が、穏やかな光を放っています。銀色の杖には、繊細な細工が施されていて、芸術品のように綺麗です。

『ったく、これじゃ割にあわねぇよ』

 師匠はぶつくさ言いながらも、再び、魔法映像へ向き直りました。射抜くような視線をぶつけています。
 大きな魔法映像は画面が何分割もされていて、様々な場面を映し出していきます。
 師匠たちがいる魔法陣の上空にある一際大きな魔法陣を見上げると、中央には弱々しく光る何かの欠片が浮いていました。私が以前見たアルス・マグナにはなかったはずです。

――あれは、召喚獣の魔力の欠片よ。『あの子』たちは、欠片と召喚獣の繋がりを辿っていたのよ――

 あまりに注視していたからか。カローラさんが説明してくれました。
 目を凝らすと、魔法映像と欠片の間には細い光の鎖がありました。鎖と言っても繋がっている状態ではなく、所々切れています。ちぎれた鎖の間には、目を細めてようやく小さく見えるほどの魔法粒子が見えます。

「魔力の欠片」
――そう。魂の欠片とも呼べるかしら。あれが残っているから、召喚獣が次元を越えてしまっても存在を探せるの。……召喚獣にしてみたら、魂が切り取られているようなモノだから、とても辛いでしょうし、危険な状態ね。ヒトでなら、なんと言えばいいかしら。そうね、発狂寸前?――

 カローラさん、さらりと抑揚のない調子でおっしゃいましたが。それって、かなり大変なのでは! 発狂ということは、召喚獣には今、理性がないんですよね? そんな状態で、牙や爪を振り回されて暴れられたらひとたまりもないじゃないですか。私たちの世界では、一般人に抵抗の手段ないですよ。
 でも、あれ。私、なんで牙や爪って知っているんだろう。

「でっでも。獣言ったら、それ、定番だし」

 また、頭が痛み出しましたが、それ以上に煩く跳ねている心臓が苦しくて。ぎゅっと胸元を掴みます。
 溢れ出てきた汗を拭いながら、魔法映像に視線を返します。次々と映し出されていく映像には、異国や私の国も流れていきます。

「あれ、私たち家族いた山!」

 そう叫んだ瞬間。頭中の血管が一気に膨れ上がったように、激しい頭痛に襲われました。頭が破裂しそうです。視界がちかちかして、貧血の時みたいです。視界全体に、モザイクがかかっていきます。こみ上げる吐き気を必死で押さえ込みますが、さらに呼吸が苦しくなっただけでした。
 ふっと。目の前が真っ暗になりました。

――アニム、大丈夫?――

 大丈夫じゃないです。地面は冷たいし、意識の中なのに痛いし。そのあたりの考慮はないんですかね。いつものように、つっこみがてら、ぼやきたかったのですが。唇は動いてくれませんでした。
 床に倒れこんだまま、何とか瞼を開きます。
 魔法映像の画面いっぱいに映っていたのは、巨大な鳥でした。とは言っても、体は半透明です。
 形こそ鳥には見えますが、何本も生えた手足や血管、それに筋肉が浮き出た羽を持っています。恐竜のような、生物です。腫れぼったい瞼の下には、顔の半分をしめている光のない目。耳元まで裂けている口からは、針のような牙が剥き出しになっています。エイのような尻尾には、やはり似た刺があります。

「あれが、ししょーたち、探してた召喚獣?」

 召喚獣は激しく尻尾を振り続けています。全身に傷を負っているようです。血なのでしょう。こぼれ落ちていく液体は、最初はぼんやりと何かがあるとだけ認知可能でした。けれど、流れ落ちながら、徐々に紫色になっていきます。血は外気に触れると固体のように細かく砕けて、消えています。
 
「まるで、空気毒みたい」

 召喚獣の肌は真っ赤に晴れ上がっています。傷口を見れば、化膿が進んでいるようでした。
 先程見た時は半透明だった身体でした。なのに、傷を負った部分から、どんどんこげ茶色が広がっていってます。

「さっきカローラさん、言ってたとおり。魂切り離されて、苦しそう」
――あんな状態でも、自ら命を絶てないから――

 恐ろしい外見ですが、身体が震え上がらないのは、召喚獣が辛そうに見えるからでしょう。それに……。
 重い体を起こして、水晶の床に座り込みます。映像を見上げると、召喚獣の口が裂けそうなほど開いていました。風音は入ってくるので、悲鳴すらあげられないのでしょう。喉は既に焼かれているのかもしれません。

「あれ、私なってた姿、かも」

 師匠はもちろんのこと、センさんやラスターさんに、口酸っぱく結界の外に出るなと言い聞かせられている理由。
 魔法のない世界から召喚された私には、魔法を含んだ空気や食物、むしろ世界自体が身体に悪いと言われました。まさに、あの召喚獣のようになると。
 私の場合、師匠の強力な魔法に魂と体を守られているし、結界内にいるので大丈夫ですが、食べ物も一旦浄化する道具を使っています。

「私、魔法の世界、身体に良くない。それ同じように、召喚獣にも、魔法ない世界、良くない? 召喚獣、自分で次元越えられない?」
――えぇ。最上位の召喚獣であれば、本人の意志で転移も可能だけれど。あの魔獣のように中間位に属するモノには、まず無理ね。この世界に引き戻すにしても、魔法のない世界に、こちら側から影響を及ぼせる魔法を扱える存在も限られるし――

 だから師匠に依頼がきたのですね。ほんと、師匠って何者なんだろう。
 少し離れた場所で瞼を閉じている師匠を見上げます。見たことのない焦りを伴った様子で、呪文らしきものを口ずさんでいます。いつもより低めの声が、不思議と耳に心地よく感じられました。あれほどひどかった頭痛も、いつの間にかやんでいました。

「不思議」
――痛みがなくなったの?――

 カローラさんが数回光を瞬かせました。
 私は小さく頭を振ってみせました。それもですが、もっと現実的な問題が気にかかりました。召喚獣の姿に衝撃を受けつつも、どこか切り離したように冷静な疑問を抱いている自分がいます。師匠が執着しているのが、ヒトだと知ってしまったショックからでしょうか。どこかのネジが一本、外れてしまったみたい。

「私の世界、召喚獣いないです。いくら空でも、あれだけ目立つ姿。大騒ぎなった覚えない」

 衛星から発見して国や世界的に大混乱していたというレベルなら、私が知る由もない裏事情です。けれど、見たところ、召喚獣が飛行しているのは、遥か上空という訳でもなさそうなんです。どちらかと言えば、あれだけ大きい体なら、地上からでも十分に肉眼で確認出来そうです。
 ですが、いくら記憶を辿ってみても、周囲が騒いでいた覚えはありません。

――どう説明したものかしら。そうね。アニムは、『あの子』に結界外へ出るなと言われているでしょう? そして、元の世界の言語を使うなとか、服を身につけるなとかも――

 カローラさんが、ゆっくり確認するように言葉を紡ぎました。
 何度も繰り返し言われ、心に刻まれている言葉。反射的に頷いていました。
 結界の外に出られないのは、肉体的問題。そして、元の世界の言葉を使うなというのは、この世界で不安定な存在である私が、次元の歪に引っ張られてしまうからみたいです。

「最悪、次元の狭間で一生苦しむ、言われたです。私、元の世界の言葉使うたび、ししょー頭ぐりぐりされてる。服着ようとする、ぶすってなるです」
――そうよ。……まぁ、後半部分は、単なるやきもちからの脅しでしょうけれど――
「服着る、やきもち繋がる、因果関係わからない」

 脅しって、どういうこと?! ちゃんと良い子に言うこと聞いていたのに、実はさほどたいした意図はなかったって意味でしょうか。
 あっ、なんか今。カローラさんに、とってもあたたかい目で見守られている気がします。カローラさんが纏っている光の色が、心なしか、桃色になったような。

――元の世界に、じゃないかしら――
「私の世界に? もっと良くわからないです」

 今の私、さっきまでの苦しさとは違う意味で、眉間に皺がよっていると思います。そして、ふと、思い出しました。元の世界を「私の世界」って呼ぶと、師匠ってば物凄く不機嫌になるなぁって。いやいや。今は関係ない話です。
 思い切り頭を振ると、くらりと眩暈がしました。あほだ、私。

――あと、恐怖に感じている部分があるのよ。きっと。次元を越えるのは容易ではないから、ある日突然、『あの子』が前兆も感じずにアニムが消えるなんて事態、術や存在固定の理論で考えれば、無いに等しい可能性なのにね――

 師匠が恐怖に感じている。私が唐突に、この世界からいなくなることを?
 師匠、魔法は理論だと言っていました。世界や理をどれだけ理解しうるかが、どこまでのレベルの術を習得出来るかの鍵のひとつだと。師匠は優秀な魔法使いです。そんな師匠が、有り得ない危惧をしている。それも、私関連で。

「私、嬉しい、かも」

 嬉しいかも、じゃなくて、とんでもなく幸せです。毎度のことながら、本当に現金ですね。我ながら。
 緩んでいく頬を抑えます。頭痛であがった体温とは違う、熱さを感じます。
 そこでまた、師匠が「執着しているヒト」という言葉が脳裏に浮かんできました。その言葉は、意地悪く体温を下げようとしてきます。

――少しは元気が出たかしら――

 もしかしなくても。カローラさん、私を慰めるために、召喚獣から一旦横道に逸れたんでしょうか。
 そう言えば、間違って召喚されてからずっとだれかが傍にいて、困ったり寂しかったりする時には、優しくしてもらっています。
 しっかりしなくちゃ! へこんでいる場合じゃ、ありませんね。
 頬に添えていた手で、軽く頬を叩きます。

――話を戻しましょう。アニムのことだから、召喚獣を目の当たりにして、『あの子』の忠告を噛み締めたでしょう? アニムには『あの子』の魔力が魂に組み込まれているから、まだこの世界でも存在を固定していられる。それでも、結果以外へは出られないわよね。あの召喚獣も似たようなものよ。それに、元々召喚獣は異世界間を行き交うから、もちろん異世界への順応力が高い。ただし、自分を喚びうる力を持つ世界に限って、ね――

 付け足された言葉は、とても硬かったです。
 落ち着きを取り戻した効果でしょう。カローラさんが言わんとしている内容が見えた気がしました。

「私の世界、物質的な魔力ない」
――そう。今までは、こちらの世界と召喚獣の魂の欠片が繋がっていたから、物質的認知がされなくとも存在が保てていたのだけれど。魔力のない世界の空気に長らく触れていれば、次元を挟んでいる上、薄い繋がりだもの。空気の感染、侵食が強い部分から召喚獣の存在が崩れていくのも、道理なのよ。崩壊の過程で存在値が混乱して、本来の姿も露になっているのね――
「えっと、纏めるとですね。召喚獣、私の世界来た時、まだこっちの世界と魔力繋がってた。魂の欠片、こっちの世界ある。こっちの世界から魔力吸収して、魔法ない世界の空気で弱りながらも姿隠せてた。だから騒ぎならなかった。けど、今魔法映像映ってる召喚獣、影響力薄くなって、徐々に見えるようなってる。あってる?」

 カローラさんからは、「えぇ」と短い肯定の言葉が返ってきました。
 ということは、召喚獣が姿を見せ始めた今、師匠が術を失敗するのでしょうか。でも、上空にいる召喚獣に術をかけて、その影響が地上にいる人間の中から、私にだけ影響するのかな。私、どれだけ不幸体質なのかと。
 ダメです。術に巻き込まれてしまった前後の記憶を思い出そうとしても、ぼんやりとさえ、浮かんできません。

――召喚獣は混乱してるわ。自分喚ばれた世界に存在固定しようとしてるのに、魔法ない世界にいるのですもの。それが余計、こちらの世界との僅かな繋がりを振りほどいているのも、知らずに――

 常識として、召喚獣は魔法がある世界を行き交うものです。ですが、やはり住んでいる次元は違います。だから、喚ばれた魔獣は、この世界に到達した時点での存在は危うい。召喚獣が力を発揮するため、存在を世界に固定する作業を手助けするのも召喚士の役割なのだ。
 そう、ホーラさんから聞いた覚えがあります。

「召喚獣自身、どうにかしようとするほど、自分の首絞めてるなんて……」

 この世界に来た瞬間からずっと、私には師匠やご友人がいてくれました。それに、師匠の魔力が私を守ってくれています。ですが、映像を挟んだ向こう側、痛みに悶える召喚獣に救いの手を差し伸べるモノがいません。

「昔の私なら、きっと理解出来なかった。けど、今の私、召喚獣の苦しみ、痛いほどわかる。だって、一歩違えば、あの姿、私」
――そう、そうよ。アニムっ――
 
 カローラさんから、聞いたことのないような高い声が出ました。
 と同時。いつの間にか詠唱を終えていた師匠が、魔法杖を突き出しました。師匠の魔法杖に、センさんの細身の杖が重ねられます。魔法陣が放つ光も格段に明るくなっていました。

「肌が、ぴりぴりする」

 服に隠れている部分にまで、痺れが走ってきます。張り詰めた空気の中を、魔法が起こしているのであろう電気が流れているみたいです。特に水晶の床に触れている足は、強く感じています。
 おさまっていたはずの鼓動が、存在を主張してきました。ばくばくと弾けるのではと思えるほどです。

『いけっ!』

 師匠が宙に手を翳すと、大量の花びらが乱舞しました。カローラさんと同じ形をしていますが、放っている光はざまざまです。強い調子、目に鮮やかな色が多いですけど。
 一度、師匠の上で旋回した花びらは乱舞する蝶のように、魔法映像に突っ込んで行きました。巨大な魔法映像でもはみ出す量です。花びらたちは身を押し合って、我さきにと消えていきます。
 
『全部転送するまでに、だいぶ時間がかかっちまいそうだな』

 花びらが全部消えたかと思うと、また同量の花びらがアルス・マグナから溢れ出てきました。
 後頭部をがしがしと掻いた師匠は、深い溜息をつきました。が、表情を引締め、魔法映像をもうひとつ作り出しました。おぉ。一回り大きい。
 師匠とセンさんが向きを変えたので、私も立ち上がって移動します。
 と、センさんらしくない大きな声が鼓膜を揺らしました。

『ウィータ! あそこいる人たちを、召喚獣が襲おうとしている!』

 センさんが森林を逃げ惑う人を指さしました。私も慌てて顔をあげます。見上げた先には、木々が密集した森林を走っている大勢の人たちがいました! 広いはずの道にも、人が溢れています。
 ただ召喚獣は苦しくて身を動かしているだけなのでしょうけれど、悲しいことに、それによって逃げる人が弾き飛ばされていきます!
 
「っ――!」

 後頭部に鈍痛が走り、私は再び膝をついてしまいました。
 血管が弾けそうな痛み。閉じた瞼の奥。暗い闇の中に、ぼんやりと浮かんできた映像。
 嫌だ、いやだ。やめて、やめて。浮かんでこないで。思い出したくないの。どうして。どうしても。だって……あの時。私が術に巻き込まれた時。崖を落ちていく私が見たのは――。

「はっ……うぅ」

 胃をぎゅっと掴まれたような感覚が襲ってきました。不幸中の幸いは、本当に胃の中のモノが出てこなかったことでしょうか。その分、すっきりしないですけど。
 変なところに、リアリティの境界がありますよね。苦しすぎて、思考が違う方へ向かいます。
 痛い、気持ち悪い。どちらなのかわかりません。ただ、涙だけが視界を埋め尽くします。それでも何とか顔をあげると。魔法映像には脳裏に蘇った光景が映し出されていました。
 息がとまります。自分の目を疑いました。可能性としては、充分考えられる状況なのに、受け入れられません。

「うそ」

 ぽとん、と。汗が水晶の地面で砕けたのと同時。唇を噛み締めました。けれど、落ちた声がないことになるはずもありません。
 瞼がぴくぴくと痙攣(けいれん)しています。必死で瞬きをしますが、とまる気配はありません。それどころか、痙攣を合図に全身が揺れ始めました。

「みんなっ!!」

 気がつけば、悲鳴があがっていました!
 自分では言葉を出したつもりでしたが、耳に入ってきたのは、高すぎて割れた声でした。
 森林を逃げ惑っている人々の中に、はっきりと確認出来た家族。お父さんとお母さんが、私が華菜と雪夜の手を引いて、転げ落ちるように山道を走っています。絡まる足を、死に物狂いで動かしています。

「思い……出した。 私……私たち、あの召喚獣、襲われてた」

 言い終えると、また吐き気がこみ上げてきました。

『ウィータ! 一刻も早く術を!!』

 センさんの切羽詰まった声が、冷たい空間に響き渡りました。水晶も割ってしまいそうな鋭さです。
 センさんの声に、顔があがります。左右に揺れてうまくあがりませんでしたが、後ろに体重をかけて何とか見上げました。
 センさんの視線も、師匠に注がれていました。
 師匠は、瞳をめいっぱい開いて、泣き笑いの顔で魔法映像に釘付けになっています。こんな師匠、見たことないです。目にかかっていた長い前髪を払っている手は、微小に震えています。

『やっと……やっと、見つけた』

 湧き上がる感情を押し殺した声。それが逆に、言葉の裏に隠れた師匠の心情を伝えてくるようです。求めるような口ぶり。吐き出された声色が、決して召喚獣に向けられたモノでないことを、痛いほど知らしめます。
 あまりの様子に、瞼の痙攣がぴたりと止まりました。センさんの反応とのギャップに、得体の知れない感情が背中を走っていきます。
 震える師匠の唇が、ゆっくりと動きます。

『アニム』

 耳に馴染んでいるはずの名前。最初は反発もしたけれど、師匠のちょっと高めの音で口にしてもらえるのが大好きになった、私の名前。けれど……知らない響き。
 あれ、何も見えない。カローラさんもセンさんも、魔法映像も。逃げ惑っている自分や家族さえ、認識出来ません。師匠すら……。
 ぷつりと、視神経が切れたみたい。体の芯に染み込んでくる冷たさも、眩い魔法陣の光も、全部なくなっちゃいました。
 師匠は、だれの名前を、あんなに懐かしそうに呼んだの? どうして、あの時の「私」を、「アニム」と呼んだのでしょう。




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