引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

7.引き篭り魔法使いの師匠と、寝込んだ弟子 【後編】

 勢いで言うのと、じっと目の前で待たれた状態で口にするのでは、緊張感に雲泥の差があります。吹雪の中で叫んだ告白も、かなり追い詰められた状況でした。というか、師匠は、告白だとは全く思ってくれなかったですけど。
 しかもですね、師匠がじりじり近づいてきています。わざわざ、ティーカップを台に置いてです。
 私は観念して、勇気を振り絞りました!

「ししょーも、以下省略」

 師匠が手を滑らせました。ベッドに顔面ダイブです。
 がばっと音をつけて起き上がった師匠は、この上なく不機嫌なオーラを放っています。というか、童話の魔法使いの挿絵に似た物悲しげな表情にも見えます。

「オレの扱いがぞんざいだぞ! 楽しみに待ってたオレの純情を返せ」
「ししょー純情ない。それに、ししょー、私にばっかり言わせる。ひどい。でも、ししょー、以下同文」

 どの口が言うかと、思い切りハリセンを振りかざしたいですよ。
 気持ちを言葉にするのは嫌じゃないです。でも、口にしたところで、師匠は含まれた想いを華麗にスルーするんですもん。気づいて欲しくないけど、気づいて欲しい女心です。はい、勝手なのは充分承知です。でも、悔しいじゃないですか。
 それでも、嘘は付けないので、最後の以下同文には好きを混ぜてみました。
 フグ顔負けに膨らんでやります。師匠はからかってくるとばかり思っていたのに、焦ったように後頭部を摩っています。しかも、ちょっとだけど目元も赤いかも。

「ししょー、弟子の私、可愛くない? 言いたく、ない?」

 熱があがってきたせいか、自分でも瞳が潤んでいるのがわかりました。
 弟子としてでも「好きじゃない?」と聞く根性はありません。まさかとは思いますけど、冗談でも否定されたら間違いなく泣き出します。自信があります。
 もしかしたら、前に師匠が言ってた、いつか全部話すという内容に「好き」という言葉も含まれるのかな。淡い期待を抱いてしまいます。
 立ち上がりかけている師匠の耳を握ってやります。そのまま顔を覗き込んで、恨めしく睨みあげました。

「えっ、いや、その。なんつーか。アニムが、可愛くないわけはねぇけど。っていうのは、ほれ! 初弟子だしなって、まぁ、それだけじゃなくて、アニム自身もだな、なんて」

 師匠の耳を抓っていた手が外されました。
 師匠は私の手を握ったまま、ベッドの上で胡座をかいています。師匠にしては珍しく、力加減のない強さです。でも、その痛さに嬉しくなってしまいました。
 しどろもどろと歯切れ悪く、それでもすごく幸せな言葉をくれる師匠。師匠が遠まわしにでも、可愛いって言ってくれました。あまりの喜びに、何も言えなくて瞬きを繰り返すことしか出来ません。
 私が何も言えずにいると、師匠はついに明後日の方を向いてしまいました。真っ赤になって、もにょもにょと口を動かします。

「ほれ。オレは、言葉より態度で示す人間だし」

 いかんいかんと、気づかれないように息を吐きます。緩んでくる頬を、必死で引き締めます。それと、ちょっとの反省もしました。
 師匠が弟子である私を思ってくれる気持ちは、思い直さなくてわかるほど感じられます。日常でも、アラケルさんの件でも、看病でも。うん、そうだ。
 素直になります。ごめんなさい。
 先程の師匠の言葉を頭の中で復唱して喜びを噛み締め直すと、今度は笑みが広がっていくのを抑えられなくなりました。

「私、ししょーも、好き。ししょー、優しい、わかってるから。いつも、受け止めてくれて、ありがと。料理も、すごく嬉しい。ししょーのため、毎日いっぱい、美味しいモノ作る。頑張るね」

 早口にお礼を述べて。間の抜けた顔で止まっている師匠の手から、スプーンを奪い返します。お粥をひとサジ掬って卵のとろみを堪能します。
 師匠「も」としたのは、照れからです。これくらいの抵抗は許されますよね。
 
「ししょー、聞いてる?」

 自分から催促したのに、師匠は何の反応も見せてくれないです。腕を下ろしかけたまま、固まっています。
 自分の言葉を思い返してみますが、可笑しかったり変な意味に取れたりする言葉には、なっていないはずです。
 ベッドについている方の袖を引いても、反応がありません。風邪がうつって鈍くなっているのかと、師匠の額に手を当ててみます。特に熱くはないですね。ベッドから出て瞳を覗き込むと、ようやく我に返ったようです。
 師匠は、はっとした様子で前倒しになっていた体を起こしました。

「ししょー、ちゃんと、私の気持ち、届いてる?」

 真っ赤になって口を覆っている様子から、ちゃんと届いているのはわかりました。けれど、リアクションが全くないと、不安に心が揺れてしまいます。
 と、師匠が思い切り自分の頬を叩きました。何事。まさか意識がトリップしていて、聞いていなかったとかいうオチじゃありませんよね?
 師匠は数回、同じ動作を繰り返しました。すると、すっかり元の白い肌に戻っていました。叩いたのに赤くならないってすごいです。

「おう、ありがとな」

 師匠は屈託無い笑顔で、頭を撫でてくれました。
 やばいです、やばいです。この笑顔は危険です! 二百六十才で、この可愛い笑顔って、どういう生き物ですか! 
 自分がどう思われてるか、なんて宇宙の彼方に飛んで行きました。
 抱きしめて撫でなでしたいと思ったのはずなのに、逆に頬を撫でられて何故か無性に泣きたくなってしまいました。どうしてだろう。

「でも、下がった熱と一緒に、料理の仕方を忘れちまってないと良いけどな。一応、腹薬作っておくか?」

 足を組んだ師匠は不敵に笑いました。可愛いから一転、ちょっとかっこいいとか思っちゃいました。けれど、お口からは結構ひどい言葉が出てますよね。
 私の額には青筋が浮かんでいるでしょう。折角、日頃の感謝の気持ちを込めて素直な言葉を送ったのに!

「ししょーだけ、特別、鷹の爪てんこ盛り!」

 べっと舌を突き出してやります。頬をぺちぺち叩いていた師匠の手を叩き落としてやりました。
 辛いもの食べさせる作戦決定です。師匠ってば、以外に辛いもの苦手な傾向があるんです。
 
「からい、いやにゃぞ!」
「かりゃいモノ、ないないすりゅの!」

 甘党なフィーネとフィーニスが身震いしたのは可哀想でした。大丈夫です。二人には絶対食べさせませんから。
 フィーネとフィーニスは、想像した辛さを払拭するように、猛烈な勢いでクリームとシフォンケーキを口に押し込みました。そして、すぐにお腹いっぱいになったのか。前足でケーキを持ったまま、うとうとしちゃいました。
 そんな赤ちゃんみたいな二人を他所に、師匠はわざとらしく肩を竦めました。

「それが、弟子が高熱で汗かいてる時、体を余すとこなく綺麗に拭いてやったお師匠様に対する仕打ちかよ」
「えぇ?!」

 ちょっと待ってください! お腹の薬なんてブッ飛ぶ内容、さらりとおっしゃいましたよ?!
 ぼっと音を立てて、顔から火が出ましたよ。全く知らなかった事実に開いた口が塞がりません。声が出ないので、自分の両腕を掴んでいました。嫌というわけではなくてですね。汗をいっぱいかいているんだから、臭いだって気になるじゃないです。なけなしの乙女心が悲鳴をあげています。
 ぷるぷると真っ赤な顔で震えている私は、相当滑稽だったようです。師匠が顔を背けました。師匠も、私に負けない調子で肩を揺らしています。笑ってやがります。からかいましたね。

「嘘だよ」

 片目を薄くして手を振る師匠。悪魔のような笑顔は、かっこいいけど! 様になっているだけに、余計腹が立ちます!
 無意識に拳が振り上げられていました。無言で睨んでやります。
 師匠は転げ落ちそうになった空のお皿を持ち上げて、少し離れた場所に非難していきました。

「もう! びっくりした」

 全身の力が抜けていき、背中と枕がぶつかります。疲労で熱があがってきた気がします。というか、本当にちょっと体がだるい。
 ぐでんとしている私を見て、師匠はにやりと片方の口の端だけ上げて見せました。嫌な予感しかしないです。

「っていうのが、嘘だったりしてな」
「ししょー!」

 混乱から、叫びに近い声が飛び出しました。その拍子に、喉がひりっと痛みました。
 あぁ、可哀想に。赤ちゃん座りでうとうとしていたフィーネとフィーニスが、驚いて起きちゃったじゃないですか。責任転嫁です。私が悪いです。

「うっせぇなぁ。ちゃんとウーヌスに頼んだよ」

 ウーヌスさんとは、師匠の式神さんです。物静かで綺麗な若草色の長い髪をしていらっしゃいます。師匠が最初に作った式神さんだけあって、経験豊富な敏腕秘書さんです。師匠より悟っていらっしゃる雰囲気なんです。
 それはさておき。耳を塞いでいる師匠は、嫌な顔をしていません。むしろ、ご機嫌です。病人をからかって楽しむなんて、百年の恋もさめ――ないのが惚れた弱みです。百年じゃないけど。

「ちょっとくらいは手伝ったが、オレの意思では変なとこ触ってねぇよ」

 戻ってきた師匠から薬と水が渡されました。渋々受け取ると、楽しそうに髪を梳かれました。
 なーんだか、とーっても気になる言い方ですけど。突っ込めばまた遊ばれるのはわかっているので、大人しく薬を流し込みましょう。
 粉薬のあまりの苦さに眉間に皺がよって行きます。

「主、ふぃーにすたち、外いきたいぞ」
「ぽんぽんくりゅしーから、おさんぽしてくるでしゅ」

 フィーネとフィーニスがテラスへと続く窓の前で、ふらふら飛んでいます。お腹がとっても重そうです。ピンポン玉の上に乗っているみたいな形です。
 外を見ると、束の間の晴れ間が垣間見えていました。寒そうではありますが、日があたっている場所は、暖かいかもしれませんね。

「おう、行ってこい。また雪が降り始めたら、ちゃんと戻ってこいよ?」

 師匠が窓を開けてあげると、二人は嬉しそうに回転しました。
 私は、ひゅっと入り込んできた肌寒い風に、身が縮みました。こんな気温でも喜んで出て行くなんて、さすが子ども。

「んにゃ!」
「いってらっしゃい」

 私の言葉に尻尾を振り、二人は飛んでいってしまいました。
 いいなぁ。私もお散歩に行きたいです。そう言えば、結局、湖デートもお預け状態です。体調が良くなったら連れていって貰えるかなぁ。手を繋ぎたいって言ってたら、師匠、笑わないでくれるかな。
 お粥の最後の一口を頬ぼり、「ご馳走様でした」と手を合わせました。

「あれ?」

 フィーネとフィーニスの入れ替わりに、小さな葉っぱか花びらが入ってきたように見えたのですが。すぐ行方知れずになってしまいました。ほのかに光っていて綺麗だったんです。はて、気のせいだったかな。
 窓を閉じた師匠は、真面目な顔で室内を見渡しました。眉が思案げに顰められています。
 首を傾げて師匠を見つめます。不思議そうな私の視線に気が付いた師匠は、表情を和らげました。
 私の額に掌を当てて、再び頬を強ばらせました。

「熱、あがってきてるな」
「ししょーの手、ひやっこくて、気持ちいい」

 風を受けたせいか、師匠の素手は冷えていました。額に集まった熱を吸い取ってくれるようで、とても心地よいです。うっとりと瞼を閉じて幸せに浸ります。師匠の手に自分のを重ねると、さらに幸福感が増しました。綺麗だけど、やっぱり男の人らしい骨ばった手。
 しばらくすると、師匠の空いた方の手が、軽く背中で弾みました。

「オレは少し出かけてくるけど、ちゃんと寝てろよ?」

 行き成り一人ぼっちです。熱があがってきたせいか、妙に寂しく感じてしまいました。見上げた顔に感情がにじみ出ていたのか。師匠の指が、頬を滑りました。
 師匠は困ったように、でもどこか嬉しそうに苦笑を浮かべました。嬉しそうというのは、私の願望でしょうけれど。

「そんな顔すんなよ。もちろん、結界内だし一・二時間で戻ってくるからさ」
「うん。気を付けて、いってらっしゃい」

 この一週間、師匠には散々迷惑かけてしまいました。子どもじゃないのだから、我が儘になってはいけませんよね。というか、贅沢というべきでしょうか。
 ベッドに潜り込んだ私を見て、師匠は柔和な笑みを浮かべました。

「ん、良い子だ。おやすみ」

 すいっと近づく距離。次に感じる熱をわかっている私は、唇を両手で隠しました。
 瞼を閉じかけていた師匠から、無言のプレッシャーがかけられます。細めた目つきのままですが、伏せ目ではなく目尻が跳ね上がっていますよ。不満そうに唇を尖らせても、駄目です。師匠のためを思っての行動です。

「熱あがってきた。疲労なくて、風邪ぶり返し、かも」

 手を掴まれますが、必死に抵抗します。私だってオヤスミの口づけ程度で風邪が伝染るとは思っていませんが、油断大敵です。これ以上、師匠に被害を及ぼしてはいけません。
 私の持てる全ての力を、今、ここで使い切る! 前回、筋肉の神様の力はお借りできませんでしたので、今回は自分の力を出し切ります!
 そんなことを考えていたのがいけなかったのか。あっさりと師匠に手をどかされてしまいました。しかも、両手首を掴まれてベッドに沈んでいるので、まるで押し倒されているみたいです。

「ししょー! 体勢、やらしい!」
「自業自得だろうが」

 お師匠様、それこそ責任転嫁じゃないでしょうか。しかも、額を合わされてるんですけど。そりゃね、師匠のアイスブルーの瞳が間近で見られるのは喜ばしいです。今日も吸い込まれそうに綺麗です。じゃなくって!
 顔をずらして抵抗する私を見下ろす瞳は、至極愉快な色を浮かべています。今日は、短い時間で表情豊かな師匠が見られますね。

「オレはお前と違ってやわじゃねぇの」

 拒んだ仕返しだと言わんばかりに、少し強引に触れてきた師匠の唇。同じ柔らかさなはずの唇に押し開けられてしまいました。
 っていうか、いつもより長いんですけど。体重かけられて、深く食いつかれているのですけど! おやすみのキスなんて可愛い響きは、何処を見渡しても見つかりません。

「っん……」

 離れ際、何度かついばむように口づけられて、堪らず声が出てしまいました。喉がきゅっと締まります。熱があがってきたみたいです。体が火照って苦しいです。水が欲しいです。師匠の姿が霞んでいます。
 師匠も喉が渇いたのか。見上げた師匠の喉が、波打った気がしました。もう一度、顔が近づきましたが、今度は額に柔らかさを感じました。

「文句は受け付けねぇからな。抵抗した分と、不意打ちくらった分と、行動で示した分だ」

 師匠は私の手首を離すと、悪戯が成功した少年のような笑顔を浮かべました。胸が早鐘を打ちます。って、別に悪戯されたいとかは、これっぽっちも考えてませんよ?!
 もとより、怒るつもりはありませんでしたけど、この顔されると何も言えなくなっちゃうんですよね。
 私は返事をする代わりに、掛け布団を鼻まで引き上げました。

「やっぱり、ししょー、ずるい」
「あ?」

 掛け布団の下でくぐもったはずなのに、師匠にはちゃんと聞こえていたようです。

「私、ししょー、適わない」

 不可解な面持ちだった師匠が「百年はぇーよ」と愉快そうに笑いました。師匠が言うと重みがありますね。さすが引き篭り歴百年の魔法使い様。
 
「下にウーヌス置いていくから、苦しくなったら呼べよ? 何かあれば、すぐにオレも帰ってくるしさ」

 くしゃっと、ちょっと乱暴に撫でられた髪。前髪の隙間から見えた師匠の様子から、これは照れ隠しだと思ってもいいのかな。
 師匠の手のおかげか、薬の効果か。急激に眠気が襲ってきました。

「りょーかい、です」
「カーテンは閉めておくが、ランプはつけておくから」

 何とか頷きます。瞼を閉じて訪れた暗闇に、衣擦れと薪が爆ぜる音が心地よく染みてきました。
 しばらくすると、静かに扉が閉まる音が、空気の乾いた部屋に響きました。
 重い息が出ます。体の節々も痛みます。これは本格的に熱があがってくる前兆かもしれません。寝るのが一番。
 体調が戻ったら、聞かなきゃいけない。召喚時を思い出すと起きる頭痛。それに、吹雪の中、頭に響いてきた嫌な声。師匠が言っていた、話したい内容と被る部分もあるのでしょうか。熱があがってきた影響か、唐突に心のもやもやを思い出してしまいました。
 そんな、まどろんでいく意識の中、光を纏った花びらが瞼に舞い降りてきた気がしました。生理現象なのか。目尻に熱いモノが溢れました。

――大丈夫、怖くないよ。だから、記憶を辿ろう。夢の中で。わたしが、一緒に視るから……――

 吹雪の中、頭痛を引き起こした声と同じように、直接頭に響いてきた語りかけ。
 けれど、今、聞こえたのは、お母さんのように、ほっとする声色でした。とてもあたたかいです。まるであやされているみたい。
 すっと。手をひかれるように、意識を手放しました。




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