引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

6.引き篭り師弟と、吹雪の訪問者たち 【5】

 「お前はっ! 少しでも目を離すと、これだ! 今回ばかりは、ふざけではすまぬぞ!」

 雪の中に片膝を埋めたグラビスさん、アラケルさんの胸元を掴みあげ揺さぶっています。けど、たぶん本人には届いてません。完全に気を失ってます。抜け殻のように、かくんかくんと頭が揺れています。
 テラスは隣の部屋の部分と繋がっているので、それなりの広さがあります。グラビスさんは、少しでも私からアラケルさんを引き離そうと、一番端まで引きずっていってくださいました。
 私と言えば、口を開けたまま呆然と立ち尽くしています。

「あるじちゃま! まにあっちぇ、よかっちゃでしゅ!」
「ありゅじ、おしょいぞ!」
「悪い悪い。あいつ、精霊魔法使ってやがったし、下手に出ていったら魔力の反発でアニムにどんな影響が出るかわからなかったからな。テラスの下でタイミングを見計らっていたんだ」

 空耳じゃなかったんですね。聞こえた音は、アラケルさんの精霊魔法じゃなくって、師匠が魔法映像を展開した音だったんですね。そんでもって、フィーネとフィーニスがテレパシーみたく、連絡してくれたんでしょうか。
 目をぱちくりするだけで、動けません。よっと、手摺りから飛び降りた師匠が、駆け足で近づいてきます。捻挫とか、しないでね。

「アニムには嫌な思いさせたな。悪かった」
「うっ……ふぅっ」

 師匠は躊躇いもなく、自分が身に着けていた黒い大きめのマントを掛けてくれました。あったかい。
 髪や肩に降り積もった雪を、師匠が優しい手つきで払ってくれます。よくよく見ると、師匠を、魔力の薄いベールが包み込んでいて、雪はついていません。私にも同じ術を掛けてくれようとしますが、大きく頭を振って拒否します。
 乾いた目が急激に湿っていきます。ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていきます。すみません、止められない。

「だって、ししょー、ばかにされて、嫌だった。変な目で見られて、変なこと言われて、髪と耳、唇触れて、すっごく、気持ち悪かった、のっ」

 言い終わらないうちに、師匠に思い切り抱きついていました。折角掛けて貰ったマントが、呆気なく落ちてしまいました。ぐりぐりと胸におでこを擦り付けてやります。寒さと雪を防ぐ魔法やマントより、こっちの方が良いです。いえ、こっちじゃなきゃ、嫌です。
 師匠は自分の魔法も解除して、抱きしめ返してくれました。師匠の体温が急激に下がっていくのがわかります。少しですが、代わりにと、私は温度を取り戻していきました。
 もっとと、回した腕に力を込めます。師匠は、絶え間なく、背中や髪を撫で続けてくれます。落ち着きを取り戻していく反面、心臓は爆発しそう。
 師匠の手をとって、アラケルさんが触れてきた部分を擦り付けました。上書き、上書き。師匠はちょっとびっくりしたようですが、すぐに苦笑を浮かべてくれます。

「もう、大丈夫だ」
「大丈夫、ない。もっと」

 手を離して、再び師匠にぎゅっと抱きつきました。とくんとくと、少し早めに優しく響いてくる鼓動が心地よいです。私の心音の方が、比べ物にならないくらい早いのは、ちょっとだけ切ない。
 というか、私、あまりの寒さで、感覚と一緒に恥ずかしさも凍ってしまったんでしょうか。今更ながらに、熱が皮膚を破って出てきそうなくらいな行動を取っているのに、気がついてしまいましたから、大変。

「アニム」

 そんな熱い頬に師匠の手を触れて、さらにパニック状態。顔をあげられたと思ったら、腫れている目元や瞼に口づけが降ってきました。唇は冷えきっていますが、それが気持ち良いです。吸い上げられたのは零れ落ちていく涙。
 治癒の魔法でも使ってくれているのかな。なんて考えて、自分を落ち着かせようとしますが、当然、うまくはいきません。

「目、腫れてるな。気にするなって、言っただろうが。お前はオレが与えた課題はひとつひとつ確実にこなしてる。日記もだし、料理もだ。オレが言った以上の努力してるの、オレは知ってる」
「でっでも。私、魔法使えたら、関係、うがった見方されない、かもって」
「あー、それか」

 何回も涙を吸われ、さすがに心臓がもたなくなりそうで身を捩ります。けれど、頬や腰に添えられた師匠の手は緩みません。むしろ、ぐっと腰を引き上げられてしまいました。
 驚きで涙が止まると、師匠の肩に顔を押し付けられました。師匠の服は大きな襟なので首筋に唇が触れなかったのが、幸いです。

「別に、魔法を使えない弟子をとってる天才魔法使いがいても、木登りが得意な弟子がいても、可笑しな呪いにかかってる魔法使いみたいに弟子に嫌われてても、師匠が弟子に惚れてても、優れた師が欲しくて志願して入門する奴がいても、幼女みたいな召喚術師の師匠より迫力のある弟子がいても、弟子が師匠を大好きでも、師弟で恋仲や夫婦でも、弟子が異世界人でも。澄ました笑い上戸の精霊使いみたいに元精霊を弟子つーか伴侶にしててもさ。世界は広いんだ、いろーんな師弟がいても、いいだろが。魔法の使役云々より、人間性に惚れ込んでんなら、傍にも置いておくさ」
「えっ、うっ、あ。そう、デスネ」

 軽くて気の抜けた声が、耳の上から流れてきます。早口過ぎて勢いで納得させられた感が半端ないです。けれど、例に挙げられた方々に心当たりがあったからか、頷いていました。
 かかとが積もった雪に埋もれます。見上げた師匠は「だろ? アニムもよーやく理解したか」と満面の笑みを浮かべていました。ご機嫌な雰囲気で、私の頭を何度も叩いてきます。
 フィーネとフィーニスも嬉しげに顔を見合わせて、可愛く鳴きました。

「ししょー、年寄りなのに、頭柔らかい。すごい。人生経験豊富、伊達ない」

 あっ、フィーネとフィーニスが雪に落下していきました。大丈夫でしょうか。拾い上げなきゃと腰を屈めようとしましたが、師匠に頭を掴まれて動けませんでした。
 さっきまでの空気が一転、吹雪に似合った低くいカラ笑いが、耳を凍らせます。なんで?!

「……あいっかわらず、重要な部分を無視すんのな、お前。普段は悪人面とか、ちゅうにびょうとか、要所で突っ込んでくるくせに」
「私、わかってない? 突っ込みいれる、とこだった?」

 珍しく師匠から突っ込み要請があるのに、私としたことが、さっぱり検討がつきません。旧友さんたちへの言葉は今更な感じがしますし、木登り部分も同じです。寒さのあまり思考が鈍っているのでしょうか。
 師匠は、私の両肩に手を置いてがっくりと項垂れています。雪に混じって大きな白い息の塊が落とされました。めちゃくちゃ疲れている時の、最大級の溜息です。
 
「ししょー?」

 私、またへまやらかしたのでしょうか。心配になって師匠の顔を覗き込むと、ぎろりと睨まれてしまいました。怒っているというよりは、恨めしそうです。
 一歩後ろに下がろうと足を退くと、頭を抱えられてしまいました。よーしよし的に。

「馬鹿な子ほど可愛いーつーけどさ。アニムの場合は、馬鹿ってより、女として大事な受信部分がすこーんと抜けてるよなぁ。オレ、自分が可哀想になってきたぜ。オレってば、そろそろ、泣いても良いじゃねーかな」

 なんかとてつもなく理不尽な言われようなのは、気のせいでしょうか。泣きたいって、私が馬鹿過ぎてってことか。
 師匠の言葉、早口すぎたっていうのもあって、私の頭ではついていけません。突っ込みポイントをはっきり言って欲しいっていうのもボケた側には酷でしょうけど、本当にわかりません。
 私があれこれ考えている間もずっと、頭に乗せられた顎をグリグリと押し付けられています。ふいに師匠の胸に自分のそれが触れて、はっとしました。

「女として、大事、受信部分?! 胸、ですか。胸ない、言いたい?!」
「おい。それ受け取りようによっては、すげぇ意味だぞ。あほたれ。まぁ、胸はそれなりに、あるだろ。それなりには」

 ようやく頭を離されたと思ったら、心底呆れたというか哀れみの目が向けられました。しかも、胸に。とっても納得いかないんですけど。確かに大きくはないけど、ぺったんこでもありません! 谷間だって、ポーズとか下着とか、色々頑張れば!
 と、お馬鹿な考えに頬を膨らませていると、フィーネに純粋な瞳を向けられて、謝りたくなりました。ごめんね、フィーネ。安心したとはいえ、緊張感なさすぎですかね。

「ありゅじちゃま、あにむちゃおこっちゃりゃめ! あにむちゃ、くりゅしーの」
「ん? どっか怪我でもしたのかよ」
「フィーネ、苦しいないよ、平気だよ」

 もしかしなくても、ベッドの上で吐露した気持ちについてですよね。フィーネ、それは乙女の秘密よ!
 呆れ果てていた師匠は、フィーネのフォローで、しかめっ面になりました。私の前髪をあげて心配そうに覗き込んできます。意識を手放してしまいそうです。今更ながら、近いです。
 と、忘れていた痛みが腕と背中に走りました。ほっとしたせいでしょうか。

「腕と背中、何かされたのか?」
「あっ、そっち。大丈夫、ちょっと痛むだけ」

 師匠の顔つきが険しくなってしまったので、慌てて手を振って見せました。確かに痛いし内出血や痣が出来ていそうですが、これ以上余計な心配は掛けたくありません。
 フィーネが物言いたげに、肩へお腹を乗せてきます。へらっと笑いかけると、何も言わずに頬に擦り寄ってくれました。フィーニスは頭の上に乗っていますが、ぽんぽんと額を撫でてくれました。

「お前の大丈夫は、いまいち信用できねぇからな。後で、怪我の状態を確認したら手当してやる。そん時までに怪我の原因を説明出来るように、頭の中、整理しておけよ」

 一言で済ませるとアラケルさんの仕業なのですけど、あっちの意味で襲われたと誤解されては私が困るので、落ち着いてから話せるのは有り難いです。この場合、犯人は明らかなんですけど、つけられた状況と方法が重要ですよね。
 むすりと口をきつく結んでいる師匠。いつもと変わらない表情なのに、つい見惚れてしまいます。そんな視線に気が付いてか否か、目線をあげた師匠は、にやりと笑いました。
 
「それにしても、熱烈な告白だったな。いやぁ、年甲斐もなく、胸が高鳴っちまったぜ」

 一瞬、なんの話だろうと首を傾げてしまいました。そのまま記憶をたどって数秒。吹雪いている雪さえも溶かす勢いで、体温が上がっていきます。赤いを通り越してしまうほど、熱いです。
 本心なんですけど、覚えてるんですけど。私、抱かれるだの魅力的だの、想いをぶちまけましたよね。師匠は大人だから笑ってくれていますが、物凄い内容を叫んだような。泣きたい。

「なっ! あれは、つい、勢い。比較、じゃなくて、あくまで、ししょー、庇う、必死で! 自分、でも、何言った、覚えてなくて!」

 あまりの大声に、アラケルさんを揺さぶっていたグラビスさんが、ぎょっとしたのが見えました。しばらくこちらを見ていらっしゃいましたが、はっとして再び腕を動かし始めました。そろそろ止めてあげないと、危険な気がします。
 とはいえ、私は意味不明に「あぅ」とか「うぅ」と唸るしか出来ません。

「んなに、慌てんなって。わかってる。師匠思いの弟子を持って、幸せだぜ?」

 師匠が眉を下げました。落ち着いた笑みは、師としてのモノでしょう。自分で口にしておきながら、気持ちが沈んでいきます。ひゅっと飲み込んだ息は、とても冷たかったです。なんて自分勝手なんでしょう。顔が俯いていきます。
 寒さでかじかんだ指で師匠の服を掴むと、安心しろと言わんばかりに髪を撫でられました。

「……がう、です。違う、です!」
「アニム? お前、吹雪のせいで、熱出てきたのか?」

 風を切る速度で顔が上がりました。熱。そうです、目が焼けるように熱いです。その熱がどこからきているのかもわからないまま、師匠を見つめ続けました。きっと泣き出す寸前の可笑しな顔をしているに違いありません。
 急変した様子に、師匠が驚いて喉を鳴らしました。すいっと視線を外して、私の言葉を待っているようですが、私はそれ以上口が動きません。
 痺れを切らした師匠が、手を掴んできました。私より体温が高いのか、冷たさの中にぬくもりを感じました。お年寄りなのに、体温が高いんですね。

「おーい、アニムー、アニムちゃーん、アニムさーん、聞こえてるかー?」
「あにむちゃ、どーちたの? いちゃい、いちゃい?」
「ふぃーね、ちじゅかにしゅるにょだじょ!」

 肩と頭に乗ったままのフィーネとフィーニスが、喧嘩を始めそうな雰囲気です。ふふっと笑いが溢れました。笑いに照れたのか「んにゃ」と鳴いただけで、静かになった二人。
 おかげで声が出るようになりました。大きく深呼吸をして、凍った頬をめいいっぱい緩めます。今出来る、一番の微笑み。
 師匠に触れられている手が、焼けそうです。

「私、ししょーが、ほんとに、好き」

 吹雪に飛ばされてしまいそうな声。けれど、師匠のアイスブルーの瞳はしっかりと見据えて、唇を動かしました。師匠に向かって呟いたのに、その言葉は私の胸の中に、すとんと落ちてきました。
 師匠の瞳がみるみる大きくなって、こぼれ落ちそうに丸くなりました。アイスブルー色満月の出来上がりです。すごい、いつもの10倍くらいは開いてそうです。
 けれど、すぐ、にかっと歯を見せてきました。少年顔がさらに幼い色を浮かべました。私の言ってる意味で、伝わってませんね。これは……。

「あぁ、ありがとな。師匠冥利(ししょうみょうり)に尽きる言葉だ。ラスターに自慢してやるかな」

 私の頬についた涙の跡を親指の腹で拭いながら、嬉しそうに目を細めてはくれました。釣られて、へらっと笑ってしまいましたが、違うんです、私が伝えたかった意味と!
 はっとして思い切り頭を振ると雪まみれになった髪が首筋にあたって、身が縮みましたが、気にしている場合ではありません。これ以上、気持ちを伝える手段が思い浮かびません。あっ……ひとつだけ浮かんできました。

「ししょー」

 爪先で立って、腕を師匠の首に回します。師匠はぎょっとはしましたが、わかっていないようで、腰を支えてくれました。睫毛がはっきりと見える距離まで近づくと、そっと瞼を閉じました。
 耳には、焦った師匠の声が聞こえてきます。

「ばっ!! アニム、こらっ――」
「んっ」

 冷たい唇に、むにっと触れるだけ。しかも、唇の端っこに触れるくらいの、曖昧で、子ども同士がするよりも幼いキス。それでも、心臓の音が耳鳴りを引き起こしそうです。密着した胸から、全部響いていってしまいそうですが、気にならないほど幸せがこみ上げてきます。
 時間にすれば、たった2秒くらいだったでしょう。名残惜しさを感じながらも体を離すと、耳まで真っ赤に染めた師匠がいました。してやったりって、そうじゃない。不意打ちに弱いです、ほんとに。

「ウィータ様、いかがされましたか?!」
「なっ、なんでもねぇーよ! 今、そっちに行く」

 師匠がうわずった声で叫びました。グラビスさん、律儀に「はいっ」と敬礼しましたが、視線は明後日の方向です。たぶん、見られてはいないはず。うん、見られてたら恥ずかしくて吹雪に乗ってお空に行けます。自分でした行動を棚にあげて、すみません。
 有り得ない赤さで唇を押さえていた師匠ですが、突然眉間に皺を寄せ、熱を全部雪に与えたように顔色を戻しました。
 悔しいですが、さすが年上。まぁ三桁も違うので、逆に実感ありませんけど。

「おい、アニム。まさか、アラケルにされたんじゃ」

 両頬を掴まれたので、てっきり、はしたないとでも叱られるんだと覚悟したのですが。師匠から出てきたのは、焦燥と切迫感の詰まった声でした。正直に言いなさいと顔に書いてある様子は、やはり、少し怒っている気配があります。けれど、それはきっと私に向けての感情ではないでしょう。
 フィーネとフィーニスも必死で頭を振ってくれたので、思わず笑ってしまいました。

「違う。されてない」
 
 うん、私、この人が好きだ。余裕があったり、なかったり。厳しかったり甘かったり。でも、いつもちゃんと私を見てくれて、話を聞いてくれる師匠。
 隔離された空間に居るからじゃない。甘やかしてくれるからじゃない。他の人に触れられるのが辛い。この人の色んな表情を見るのが好き。ぬくもりを感じるのが好き。師匠の、ウィータという人の、全部が好きなんだって、わかっちゃいました。

「そうか。ならなんでまた」
「したい、思ったから、した。ね、フィーネとフィーニス!」

 二人を両手に掴んで降ろすと、頭や鼻の上に雪が積もってしまっていました。最初は小さなお口に、頭に、鼻にキスをします。師匠へしたキスの誤魔化しみたいになっちゃってますけど、心の底から感謝の意を示したいってのは、ほんとですよ?

「こりゃ、あにみゅ! にゃにすんりゃ!」
「ふぃーねは、あにむちゃと、ちゅっちゅ、うりぇしーでしゅ」

 フィーニスは尻尾で叩いてきながらも、それ以上の抵抗はしません。フィーネにいたっては、自分から唇を擦り付けてきてくれます。二人とも、可愛いなぁ!

「この間といい、お前は口づけ魔かよ。人にはだれにでもするのかとか聞いておきながら、自分がじゃねぇか」
「この間? 私、だれにでも、ない。するしても、お礼とか、お礼とか、お礼とか、挨拶とか?」

 指折り数えてみますが、お礼と挨拶しか浮かんできませんでした。元々キスする習慣はありませんから、仕方がないですよね。これでも、未だに心臓が口から出てきそうな勢いで跳ねてるんです。頭なんて働きません。
 そんな私の内心を知らずに、寒さで真っ赤になっているだろう鼻がつままれました。あれです、「こいつめーあはは」的ではなく、結構本気で力が入ってます。もがれそう。今、くしゃみをしたら、大惨事です。

「んで、疑問形なんだよ。しかも、礼が多過ぎるだろうが」
「大体、ししょー、言われたくない」

 うわ、すんごい変な声。梅干しみたいな顔をしてやると、ようやく師匠は手を離してくれました。キスしたばっかりなのに、全然甘い空気にならないのは何故。キスの場所が微妙だったせいでしょうか。まぁ、九割は自分の軽いノリのせいなんですけれど。
 真っ赤になった鼻を、フィーネが舐めてくれます。天使だな。二人でじゃれている美しい光景なのに、師匠は腕を組んでぶすりと口を横に引いています。

「オレは、想い人以外に口づけはしねぇーなって言ったぜ? アニムは隙が多いんだよ。まぁ、それに漬け込む奴が一番悪いのには変わらねぇけど」

 確かに聞きました。苦々しく言われましたが、すぐに少し高めの声が出されます。さりげない優しさでしょう。目をつぶって顎を撫でた師匠が、フォローを付け加えました。
 けれど、私にも言い分はありますよ!

「だから、口なくても、他に口づけ、しすぎなの! ……私は、嫌ない、から、良い、け、ど、さ、です、けど」
「にゃのにゃの。あにむちゃは、いやにゃいでしゅの。ふぃーねといっちょ、ちゅーしゅき」
「好きは、ちょっと」

 私は嬉しいですけど、他の人にもしてるのならば由々しき事態です。私にとって。少し高い位置にある師匠を上目で睨んでやりますが、また口が歪められました。お終いには、わなわなと手を震わせてました。ただならぬ、ご様子。
 自分の言い方を振り返って、ちょっと乙女で寒すぎたかと焦ってしまいます。後の祭りです。意識してなかったんですっていうか、わざと出来るほど匠でもありません。めちゃくちゃむず痒くなってきた。茶番か、これが茶番劇か! いえ、これこそ女子力だと信じたいです。けど、こんなに自分が居た堪れなくなるなら、女子力なんていらないかも。だれか、助けてー。
 かと言って、私にはしてくださいと、堂々言い放つ勇気はなかったんですよ。

「アニム。お前は、オレに恨みでもあんのか。なぁ? なんだ、この状況。別にそう言うのはそーいうので悪くはねぇが、精神衛生上とんでもなく良くねぇぞ」

 そして、またがっちり抱きしめられてしまいました。上から伸し掛られていて、容赦なく師匠の存在を感じてしまいます。風が遮られて、寒さが緩みました。って、お年寄りの方が風邪ひいたら大変です。
 あっ、なんか、しくしく聞こえる。

「よくわかんない。けど、なんか、ごめんです。乙女ぶって、ごめんです。男前、目指す」
「あほ弟子め。お前の頭の中は、異次元か」

 さっぱり意味不明ですが、これ以上口を開くと、師匠の疲労が増しちゃいそうです。
 今度は私がよしよしと背中を撫でてあげていると、盛大なくしゃみが出てしまいました。恥ずかしさの熱が下がったんでしょう。がちがちと歯が鳴り始めます。

「このままじゃ、全員して風邪引いちまうな。とりあえず目の前の事を片付けるか」

 溜息混じりに拾い上げられたマントを巻き付けられました。さっきはわからなかったですが、見た目は普通の布なのに、毛皮を着ているみたいにあったかいです。雪に埋もれていたので、師匠の香りがするとか乙女な経験は出来ませんでしたが。ちょっと、くすぐったい。
 お礼を言うと、師匠は二・三度頭を撫でてきました。と、飛び上がっていたフィーネとフィーニスから、低い唸り声が出てきました。

「アラケルさん、気づいたです」
「あぁ、石頭なんだな」
「ふぃーにす、しっちぇるぞ。ばきゃは、しんでみょ、なおらにゃい」

 真面目な顔で頷いている師匠も、それを真似してしているフィーニスも。注目するところと使いどころがずれている気します。
 グラビスさんの腕を振り払って頭を抱えている様子に、ちょっとだけ同情します。これも師匠が傍にいてくれて、心に余裕があるからですね。
 
「ちっと遊んでただけだっつーの! てか、ここまでばかにされて、引き下がれねーじゃん?」

 弱まった吹雪の中つかれた悪態に、溜息が落ちました。アラケルさんの中に自責の念というのは存在しないんでしょうか。
 グラビスさんの生真面目さが、爪の先ほどでもうつれば良いのに。

「息子とはいえ、ここまで愚かな人間に育ててしまったのは、自分の責任! せめて父の手で逝くが良い!」
「ちょっ! 親父、落ち着けって!!」

 アラケルさんが雪の中を四つん這いで逃げようと後退します。グラビスさん、目が本気です。ついでに、振り上げられた剣に鞘はついていません。
 広めのテラスで、親子の鬼ごっこが始まったのを、師匠は疲れた様子で観察していました。けれど、アラケルさんが追い詰められたのを見て、大きく肩を回しました。あっ、これは。

「グラビスの奴、もしかしたら、本気でアラケルを叩き切るつもりかもな」
「ししょー、最初から、わかってた、くせに」

 師匠が左手を右手の拳で打ち付けた音が、吹雪に混じって運ばれていきます。というか、師匠は魔法使いなはず。まさか、肉弾戦じゃ、ありませんよね。

「さーて。アラケルの奴、きっちり落とし前、つけてもらうぜ」

 閻魔大王様も泣いて怯えそうな、笑顔です。三日月顔負けに口の端が上がっています。あぁいう仮面ありますよね。アイスブルー色なはずの瞳が、血の色に見えるのは気のせいでしょうか。
 ぶるりと足の先から頭まで駆け抜けていった寒さは、吹雪のせいだと思いたいです。
 フィーネとフィーニスを抱きかかえて、愉快そうな師匠の背中を見送りました。




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