引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

6.引き篭り師弟と、吹雪の訪問者たち 【4】


「――っ!」
「あにむちゃ!」

 重力に押し潰されたように、床に両手をついていました。一瞬目の前が真っ暗になり、息つく間もなく火花が飛び散りました。
 フィーネが目を潤ませて、周りを飛んでいます。

「だいじょーぶ。力、抜けただけ、だよ」

 本当に、それだけみたいです。痛みの類は全く感じません。
 汗が流れる顔をあげると、フィーニスが羽を広げて前に飛び出していました。くわっと牙をむいて口を開くと、純白の魔法陣が現れました。そこから四方八方に黄金色の光が飛び散っていきます。光をまともに浴びた精霊の姿は、消えてしまいました。

「フィーニス」
「しょんなかお、しゅりゅでにゃい。しぇいれいかいに、かえしただけなのにゃ」
「そっか。ありがと」

 ほっと安堵の息が出ました。戻ってきたフィーニスを撫でると、うにゃんと擦り寄ってくれました。すぐに、尻尾で叩いてきましたけど。もう、かわゆいな!
 気が付けば、私の周りだけでなく部屋中の魔道陣が消えていました。まさか自分の部屋で、こんな事態が起きるとは予想外でした。師匠の用心深さに大感謝です。

「今のうち、部屋から、出よう」
「うにゃ!」

 アラケルさんが呆然としている間に、逃げましょう。まだ膝に力が入りにくいですが、そうも言ってられません。
 今の騒ぎで暖炉の火が消えてしまったので、部屋の中は暗いですが、魔法が動力のランプはいくつか灯ったままなので、移動は可能そうです。

「っの! 出来損ないの式神も、えらっそうな魔法使いも、可愛げのねぇ女もむかつく!! 俺の思い通りにならねぇなんて、ばかじゃね?!」

 えーと。アラケルさんが切れる理由がわからないんですけど。一人で盛り上がっていらっしゃるようですが、全部自業自得ですからね。
 癇癪(かんしゃく)を起こしている幼児みたいです。本物の子どもなら可愛げもあるでしょうけど、アラケルさんは、ぜっんぜん受け付けられません。
 今の私、すごい間抜けな顔をしているようです。アラケルさんに般若(はんにゃ)の形相で睨まれました。あぁ、なんだか無性に腹が立ってきた。

「ししょー、時々偉そうな発言する、事実。けど、ちゃんと実力伴ってる、優しい。フィーネとフィーニス、すんごい、いい子! 可愛いだけなくて、心あったかい! ついでに、私、可愛げないは、ほんとだけど、余計なお世話! 別に、アラケルさん、可愛い思われたくないし!」

 あまりの態度にむかむかして、仁王立ちでアラケルさんを指さしていました。人を指さしてはいけませんと小さい頃に言い聞かせられましたが、ごめんなさい、お母さん。アニムはとっても怒っているので、許して。
 状況を考えれば、アラケルさんを挑発するような発言は控えるべきなんでしょう。けれど、こみ上げてくる怒りを抑えられません。さっきから好き勝手言って。アラケルさん自身の自慢だけなら我慢して聞けますが、大切な人を悪く言われるのは耐えられません。

「そしての、言い逃げ!」

 とは言え、やはり私は無力な普通女子。口以外で対抗する術はありません。逃げるが勝ち、です。
 フィーネとフィーニスが、バサリと羽を鳴らしました。

「あにみゅ、こっちにゃぞ!」
「あにむちゃ、おしょと!」

 怒り心頭に反論されたことに呆然としていたアラケルさんが、歯をぎしりと鳴らしたのが聞こえてきました。
 私は身を翻します。宙を浮いていた二人を抱きかかえて、テラスへ出るガラス窓を力任せに開け放ちました。
 夕方よりは弱まっていますが、相変わらずの吹雪です。着込んでいるとは言え、相当寒いでしょう。凍えてしまうでしょうけど、それは夜着な相手も同じ。まだぬくもりの残っている室内に残るよりは、動きも鈍るに違いありません。
 覚悟を決めて、雪の積もるテラスに足を踏み出しました。

「ぶわっ! さぶい!!」
「しょんにゃこと、いっちぇるばあい、にゃいぞ!」

 外に出た瞬間、吹雪が身体に叩きつけられました。
 寒いやら痛いやらで、思考が止まりそうになってしまいます。けれど、舞い上がる髪やスカートを心配している余裕はなさそうです。

「真っ暗なくて、良かった」

 師匠が出掛けているので家の前のランプが、たくさん灯っています。水晶の樹に反射して、ランプ以上の明るさがあります。
 吹雪に混じって、器が割れる音が聞こえました。振り返ると、お菓子を乗せていたお皿がまっぷたつに割れているし、ベッドの上に紅茶が染みているしで、肩が落ちます。
 って、違う。アラケルさんが目を細めて近づいてくるではありませんか。

「下に雪いっぱい積もってる。2階だから、飛び降りても、大丈夫! きっと、たぶん」
「できりゅかぎり、しゃしゃえりゅね!」
「がんばりゅけど、あにみゅ、おもいからにゃあ」

 そりゃ、仔猫サイズな二人にしたら、大抵の人間は重いですよ! 決して、私だけが重いんじゃありませんからね。
 テラスの手摺に乗り上がりますが、かじかんで上手く足があがりません。

「よし! いくよって――」
「あにみゅ!」

 飛び降りようとした瞬間、後ろに身体を引かれて倒れてしまいました。ぶつかったのは、アラケルさんの胸。かちあったのは、勝ち誇ったような目。
 げっと、やはり可愛げのない様子で顔を歪めた私が気に食わなかったのか、腕を握る手に力が込められました。ぎりっと捻られてますし、とっても痛いです。これ、絶対内出血してますよね。最悪、痣になっているかもしれません。
 幸いだったのは、寒さで感覚が麻痺しつつあることでしょうか。

「いつの間にか、背後いる。ホラー以外の、なにものでもない」
「はぁ?」

 意味不明と顔をしかめたアラケルさんの足を、渾身の力を込めて踏んづけてやりました。ついでにと、腕に噛み付いたのはフィーネとフィーニス。
アラケルさんから、短い悲鳴が飛び出ました。同情なんて、しませんけど。アラケルさん、自信家なのか隙が多いですよ。

「あんた見た目によらず、随分と気が強いナ。まぁ、そう言う女ほど服従させた時の快感はひとしおダ」

 そういう台詞吐く人ほど、泣きを見るんですよ。とは突っ込んであげません。勝手に浸ってて下さい。私も気を緩めていい状況ではありませんしね。
 アラケルさんをコンパスの中心として、一定の距離を保てるよう移動します。アラケルさんは学習したようで、精霊魔法を使う気配はなさそうです。といっても、あからさまなモーションがなければ、私に魔法使うタイミングなんて見極められませんけど。

「一体、何がしたい、ですか」
「何って、ナニに決まってんじゃん。そもそも、俺、アニムを怒らせに来たわけじゃねぇし。うまい話っていうの? ギブ&テイク的な?」
「あいちゅ、にゃにゆってるでしゅ?」

 この方、自分の行動が人にどう映っているのか、まったく理解していなさそうです。空気が読めないどころの話じゃありません。怒らせるというか、警戒されると思い浮かばないんでしょうかね。
 ある意味、一番怖いタイプです。話が通じているようで、まともに会話出来ないっていう。でも、黙ってしまうと、行動を起されそうなので、とりあえずしゃべって貰うのが得策でしょう。

「一応、聞きます。どういう意味、ですか」
「そうそう、聞く姿勢って大事だよナ」

 そっくりそのまま、アラケルさんにお返ししたいです。呆れて顎が外れそうになったのを必死で堪えていると、足元でぶおんと音がしました。
 アラケルさんから視線を外すと飛び掛ってきそうなので、横目で確認しようと試みますが、蛍ほどの光りがひとつ、浮いていただけでした。ランプの明かりが雪に反射したのかな。
 フィーネとフィーニスも特に反応していないので、大丈夫ですかね。

「で?」
「わかってて、催促してんの?」

 進まない話に、いらっとしてしまいます。私、こんなに短気だったかな。きっとカルシウム不足です。明日の晩ご飯は乳製品かお魚にしよう。

「言葉にして欲しいってのは、わかったヨ。アニムとあの魔法使いに身体の関係がないのって、あんたの年からしたら、あいつが面倒くせぇからじゃね? いい年して独占欲強くってみにくぃつーかさぁ、カッコわりぃつーか。ただ、欲求不満で体が疼くから、はっきり拒否できねぇんじゃね? あんなジジイになんて、触れたら気持ちわりぃーよナ。俺なら、割り切った身体の関係って大歓迎だし、若い体、満足もさせてやれるぜぇ」

 開いた口が塞がりません。冷たい雪の塊が口に吸い込まれて、むせてしまいました。
 えーと、これってどこから突っ込めば良いのでしょう。私が欲求不満て部分? それとも、師匠が面倒くさいって所? はたまた、師匠の独占欲が強いって話? 出来れば、割り切った身体の関係っていうのには、触れたくもないわけですが。
 吹雪に隠れてでも良いので、突っ込みの神様、降臨して下さい。
 私がむせたのを、図星から動揺したと捉えたのでしょう。アラケルさんが手を差し出してきました。

「交渉成立ってか? はなっから素直にしときゃー、優しく抱いてやったのによ。今日は、荒っぽくされても文句言わせねぇーヨ」

 どうしよう。アラケルさんの周囲に残念な色のお花畑が見えます。もしかして、これが精霊魔法なんでしょうか。それとも、寒さに凍えて幻覚を見始めちゃってるんでしょうか。 
 辞書を持ってきて『交渉』とはなんたるモノか説明してあげたいのですが、もう、彼の声は耳を左から右へ通り過ぎていきます。
 異世界で遭遇した、さらなる異世界人。ハローグッバイ。

「あにむちゃ、あのひと、にゃにいっちぇるか、わかりゃない」
「うん、理解できなくて、良いよ。私には、もう声聞こえない」
「あぁいうにょ、あたみゃがおめでたいっていうのにゃぞ」
 
 小声で内緒話をしている間も、アラケルさんはとくとくと下品な自慢話を語っています。これがラスターさんなら、全然不快じゃないんでしょうねと、余所事を考えてしまいます。
 この隙に逃げられませんかね。
 何か今、グラビスさんの声で「情けないっ」って聞こえた気がしました。幻聴までし始めちゃった。

「ってことでさぁ。さみぃし、中に戻らねぇー? どうせ、親父と口だけ魔法使い、今日は戻ってこねぇだろうしよぅ。弟子に色目使ったり下心出したりしてる暇があったら、注文の魔法道具ぐらい、完璧につくとけってナ。引き篭ってて、評判だけが膨らんで、内心不相応な評価に焦ってたりしてナーうけるワ。ははっ」

 すみません。堪忍袋の緒がブチギレました。それはそれは、綺麗にぶちっと。お皿のごとく、まっぷたつです。一緒に血飛沫(ちしぶき)もあがりました、絶対。突っ込み神様ではなく、鬼人が降臨したようです。
 高笑いしながら、アラケルさんが近づいてくるのがわかりましたが、怒りのあまり体が震えて動けません。
 ふと視線を落とすと、足元に光りの粒子が煌めいています。精霊魔法でしょうか。どうやら体が固まっているのは、魔法の影響もありそうです。また、力が入りません。

「ちーとばっか、苦しーかもナ」
「――った!」

 俯いて震えている私を、荒っぽい調子で手摺にぶつけたアラケルさん。装飾が背中に食い込んで、結構痛かったです。
 アラケルさんは私の肩を撫でつけながら、フィーネとフィーニスを振り払いました。いやらしい笑みをのせた唇を耳に寄せてきました。髪に唇が触れた瞬間、鈍くなっていたはずの感覚が蘇り、鳥肌が立ちます。

「――い」
「イイ?」
「いい加減、して!!」

 アラケルさんが「ぐげっ」と脛(すね)を押さえて、膝をつきました。
 弁慶の泣き所を、爪先で思い切り蹴ってやりましたよ。爪先が硬いブーツなので、かなりの衝撃だと思います。ホーラさんに習った護身術が、見事に決まりました。ついでに、例の電気も走ったようです。
 私に抵抗する意思がなく魔法もきいていると思っていたので、油断していたようです。実際、魔法はかけられていたみたいですが、フィーネとフィーニスがこっそり解いてくれたみたい。
 満足する時間もなく、部屋の方へ逃げます。

「お願い、どいて?」

 ガラス窓のノブ前で、先程とは違う精霊が立ち塞がっていました。いつの間に呼んだのでしょう。先程からこそこそ、じゃなくて卒なく魔法を使っているので、自慢は伊達じゃなかったんですね。
 精霊に手を合わせて一生懸命お願いしますが、小さく頭を振るだけで退いてくれません。

「やっぱ、飛び降りるしかない!」

 再び手摺に手をかけると、アラケルさんから魔法が溢れてきました。立ち上がれないようで、地面に手をついて何かの術を練っているようです。テラスだけ、吹雪が激しくなっていきます。
 まずい。怒らせて当然なことをしたのですが、甘んじて報復を受ける気はありません。

「ふっざけんなよ!」

 右手を光らせて血管を浮かせているアラケルさんを見て、腹の底に力が入るのを感じました。それは、こっちの台詞です!

「ふざけてる、あなた! 私ともかく、ししょーばかにしたら、許さない! ししょー、ほんと、すごい魔法使い! 相手の力量測れてない、あなた! 大体、ししょー下心とかない! 異世界生活力ない私、可哀想思って置いてくれてるだけ! ししょー触られて、嫌ない! むしろ、幸せ! 男性としても、あなたより全然かっこいいし素敵、魅力いっぱい! あなたに抱かれるなんて、ぜーったい、嫌、断固拒否! 断然、ししょーのが、いい決まってる! ししょー気持ち悪いないっ――大好き、だもん!」

 思いつく限りの言葉を言い放っていました。自分でも言ってることが良くわかりませんが、声の限り叫びます。私の方が癇癪起こしている子どものようですが、そんなのどうでもいいです。ヒステリックでもなんでも構いません。
 手を無意味にばたつかせたせいで、ストールが飛んでいってしまいました。
 息が切れて、全身が弾みます。止まったはずの涙が、じわりと浮かんできてしまいました。こんな人の言葉に落ち込んだなんて、馬鹿らしい。
 寒すぎて痛む耳や凍りそうな涙の跡をフィーネとフィーニスが舐めてくれます。ちょっとざらっとした舌。みっともないと笑わず慰めてくれる二人の存在に、さらに涙腺が緩んでいきました。

「アニム、盛大な告白、ご馳走様」
「へっ?」

 飛んでいったはずのストールが、はためいているのが見えました。それを握っていたのは師匠。浮遊魔法でしょう。体の周りに淡い光を纏い、手摺の上に立っています。
 意地悪な笑みを浮かべた目元は赤いですが、寒さからなのか照れからなのか、考える余裕はありません。
 びっくりしすぎて、涙も止まりました。むしろ、乾いていきます。
 どうやらグラビスさんもご一緒のようです。訝しげに「異世界だぁ?」と呟いているアラケルさんの周りに蠢いている風を、鞘に収まったままの大剣で切り裂きました。そのまま、剣はアラケルさんの頭に振り下ろされます。ごんっと、激しい衝撃音が響きわたりました。




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