6.引き篭り師弟と、吹雪の訪問者たち 【2】
他の人が怒っていると、自分が冷静になれるって本当ですね。
アラケルさんの首根っこを掴んでいる師匠が鋭い目つきをしているおかげで、私は幾分か落ち着きを取り戻せました。
年齢が上の方々には平気に言える現実も、年下の、しかも初対面の方に告げるのは勇気がいるみたいです。言葉も生活知識もゼロから身につけるとなった時点で、安いプライドなんて捨てたはずなのに。現実も口に出来ない、自分の中に残っていた甘えに唇を噛み締めました。
でも、本当なので、受け止めないわけにはいきません。不自然にならないように笑顔を浮かべます。
「アラケルさん、ついていけるほど、知識もないです。魔法使えない、基礎 勉強中、ごめんなさい」
「へぇー。あっそ。じゃあ、アニムは、なんで大魔法使い唯一の弟子なワケ?」
ちょっと小馬鹿にされたように笑われました。
アラケルさん、だるそうな態度で師匠の腕を手の甲で叩きました。その仕草に、グラビスさんが雪景色顔負けに蒼白になっていきます。見ている私が可哀想になってしまうくらい、動揺されているのがわかりました。
場の雰囲気を和らげたくて、不似合いな明るめのトーンを出します。
「えっと。弟子いうよりは、お手伝い?」
こちらの世界の人、特に師匠の周りに集まる方々は優秀だったり魔法の道に携わっていたりする場合が多いです。そのような人たちから見れば、師匠が私みたいな人間を弟子と言っているのは、不思議でたまらないでしょう。私が召喚術に失敗して呼ばれたのを知っているのも、極一部の方々だけですしね。
「手伝いー? それなら式神で充分じゃね? それとも、大魔法使いな割に、式神作れねぇとかは、ないよなぁ?」
「何を言うか! ウィータ様の式神は感情さえ持つ、まれに見る完成度なのだぞ!」
「ふーん」
私が言葉を紡げずに横に大きく頭を振ったところで、グラビスさんが代弁して下さいました。師匠は、本来感情を持たないらしい式神さんに想いを抱かせるほど、すごい魔法使いです。人としても、魔法使いとしても素敵な人。それは、絶対です。
でも、そう実感させられるほど、自分の至らなさが悔しくなります。今まで出会った訪問者さんたちは年長者が多く、事情を知らなくても察して下さる方がほとんどでした。アラケルさんのようにストレートな言葉をぶつけられるのが、こんなに苦しいだなんて。
「きっと、私、頑張ってる、つもり、でいた」
空気に溶け込んで消えてしまうくらい小さな声。だれにも届かない、大きさ。けれど、形になってしまった言葉に、さらに情けなくなります。
今過ごしている一日を何もしないで過ごしたくないとは思いつつ、いつか帰る日がくるのだろうという言い訳を盾に、やっぱり心のどこかで周りの方のフィルターに甘えていたのでしょう。悲しいけれど、きっとこれが現実。
自分の未熟さを棚にあげて辛くなるなんて、駄目ですね。
床を睨み、ぐっと唇を横に引きます。そんな私の背中へ静かに触れてきたのは、師匠のぬくもりでした。
「まぁ、こっちにも色々事情があんだよ。こう見えて、アニムも魔法使う以外は優秀なんだぜ?」
「へぇ。例えばぁ?」
「そうだなぁ。木登りとか、魚の掴み取りとか、野性的な部分か?」
おどけた調子で、にやりと笑う師匠。グラビスさんが、小さく吹き出したのが聞こえました。でも、嫌な感じではなく、あたたかい笑いです。「こっこれは失礼!」と生真面目に謝って下さるグラビスさん。へへっと、照れ笑いを返してしまいました。
師匠は耳を抓るだけで、許してあげます。力は込めていませんが、師匠は右目だけ細めました。
「ししょー」
「冗談だよ。魔薬や魔法道具の調合や料理なんかは、結構腕がいいし、助かってる」
「そういうもんすか?」
アラケルさんは、いまいち納得がいかない様子です。
ですが、私は大きくなっていく鼓動を抑えるのに必死で、そこまで気に止める余裕がありません。私を庇っての言葉なのは理解していますが、それでも師匠の言葉は嬉いです。頭を撫でてくれる手つきはとっても優しいし、微笑みかけてくれるアイスブルーの瞳は綺麗です。
かぁと顔が熱くなっていきました。蒸気がたちのぼりそうな頬に恥ずかしくなって、俯いてしまいました。わざとらしく咳払いをしてみますが、喉の奥で詰まってしまい、余計に羞恥が強まっただけでした。
そこで再度突き落とされて、自分の至らなさに愕然(がくぜん)としました。師匠の優しさに甘えている自分。それが、まさに今、浮き彫りになりました。
「わかった!」
広めの居間に響いたのは、手を打ち鳴らした音。大きな声に驚いて背が伸びました。
三人の注目を浴びたのはアラケルさんでした。満面の笑みで、何度も頷いています。
「お前は、また下らぬ考えを巡らせておったのではあるまいな?」
「小さい問題にも思考を回転させて向き合うのが進歩の道ってネ」
「減らず口め。それで、何がわかったのだ? ようやく、お前もウィータ様の凄さを感じたのか?」
グラビスさんが、腰に下げっぱなしだった大剣を下ろしかけていた手を止めて、疲れた声を出しました。そんなグラビスさんの言葉を全く聞いていない様子のアラケルさん。再び、私を凝視しています。
ちょっ、ちょっと寒気を感じる視線です。良くわからないので、へらっと締まりのない笑顔を浮かべておきます。それを見て、アラケルさんは確信したように、私を指さしてきました。
「アニムって、夜伽(よとぎ)が上手いから置いてもらって――」
アラケルさんの言葉は最後まで続きませんでした。だんっという、床が抜けるかと思える衝撃と音に、遮られてしまいました。あまりの風圧で、本当に家が揺れた錯覚に陥りました。
「愚か者! ウィータ様、ここは愚息(ぐそく)の首を落としてお詫び申し上げます!」
「いでぇ! だって、そうじゃねぇかよ! さっきからの触れ合い方とか反応とか見てたら、ふつーそう考えるって! てか、床に押し付けんな、服が汚れる!」
えっと。アラケルさんがおっしゃった単語が理解出来なかったのと、グラビスさんの激怒っぷりに、きょとんとするしかありません。アラケルさんは髪を掴まれて、床にうつぶせ状態です。
教えてもらおうと師匠を見上げて、考えを改めました。静かにお怒りです。長めの前髪に眼が隠れていますが、糸よりも細くなっています。目を開けばビームが出そうな勢いです。
「それにしても、こっ恋仲やご夫婦など、言いようがあろうにっ!」
「んだよ! 狭い空間に二人で居るんだから、可笑しくない話じゃね? 式神にさせる奴だっているしよぉ。それに、なんも出来ない奴、じょーしき的に考えても、自分の女や婚姻結ぶメリットなくね? あっ、あれか。長生きな上、大魔法使いだから、逆に幼児趣味的なっ――」
よく回る舌だなぁと妙に感心していると、突然やかましかった声が止みました。師匠が、うっとおしそうに垂れていたアラケルさんの前髪を持ち上げているのが、ちらりと見えました。雑草を抜く時に似ています。
って、師匠、もしかしなくても、めちゃくちゃ怒ってる! 落ち込みも吹っ飛ぶほどの、迫力です。
「くそ餓鬼(がき)の常識なんざ知らねぇし、男女関係の捉え方からわかるてめぇの女性経験を踏まえて同情はしてやる。けど、これ以上、余計な口ききやがるようなら、その歯、全部砕いて舌を引っこ抜くぞ」
師匠が吐き捨てるように言い放ちました。さすがに唾を吐きかけたりはありませんでしたけれど、そうしても可笑しくないくらい、嫌悪に満ちた声です。
師匠は、私に背を向けてしゃがみこんでいるので顔は見えませんが、全身からお怒りオーラが発せられています。黒い暗黒の使者を召喚しそうです。暗黒微笑が似合いそう。
アラケルさんだけでなくグラビスさんまでも血の気をなくしていくので、相当な殺気なのでしょう。
「もっ申し訳ございませぬ! 自分の教育が至らぬばかりに、ウィータ様とアニム殿を煩わせてしまい申した!」
「いや。グラビスを責めているわけじゃねぇよ。オレも短気を起こして悪かった」
立ち上がった師匠の声は、いつも通り少年特有の声に戻っていました。声を震わせているグラビスさんの肩を軽く叩いています。
人事のように見ている私ですが、先程から体が強ばって全く動けません。アラケルさんが最初に口にした単語は理解出来ませんでした。けれども、おふたりのやり取りから推測出来てしまったんです。
以前、「式神の日常応用編」という本を書庫で見つけて、読んだことがありました。師匠からしたら基礎も基礎な内容だったので、きっと存在自体忘れていたのでしょう。生々しい表記のある本は、私に見つけられないようにしていますから。そこには、性行為の際、命を狙われるリスクと金銭面を考慮すると、娼館へ足を運ぶよりも安全で経済的な方法として、式神に夜の世話をさせるのが良いと記述がありました。
もちろん、師匠が私をそういう扱いにしようと考えているなんて思いつきもしないですし、旧友の皆さんも師匠の人柄を知っているので、同じです。
けれど、私たちの状況をアラケルさんのように考える方がいらっしゃっても可笑しくはありません。私がちゃんと魔法を使えれば、打ち消し材料になるかもしれないのに。
「アニム、嫌な思いさせたな」
「アニム殿、誠に申し訳ありませぬ! 愚息、お前も精魂込めてお詫び申し上げろ」
グラビスさんが土下座してきます。逆に申し訳なくなってしまいます。不良少年の代わりに必死で頭を下げている親の図です。お約束通り、頭を抑えるけられている当の本人は顔をずらして、舌打ちをするだけです。テンプレ過ぎです。
冷静に考えている自分に気がつき、慌てて両手を振りました。拗ねている少年はともかく、グラビスさんに謝られる理由はありません。
「いっ嫌な何か言ってた? 意味不明だけど、みんな激しくて、びっくりしてただけ。グラビスさんも、立ってください」
「……そっか。アニム、悪いけど、用意してくれてる紅茶と軽食をグラビスたちに渡してやってくれ。部屋で落ち着いて食ってもらった方が良さそうだからな」
必要以上に柔らかい師匠の声。気遣いを感じました。
私の心の内などお見通し、そう言われているようです。駄目だ、今は考え込むのはやめなきゃ。後で一人になってから、ベッドの中で落ち込めば良いだけです。歯を食いしばりました。
それはそれとして、まだ堪えられたんですけど。腕に触れようとした師匠の手が宙で固まったのに、涙が出そうになりました。きっと師匠のことだから、さっきのアラケルさんの触れ方云々を気にして、私が嫌な思いをしないためにでしょう。ですが、私の肺がぎゅっと悲鳴をあげました。冷たい空気は澄んでいるのに、熱にうなされているように呼吸が苦しいです。
「ほら、グラビスがいつまでもそうやってるから、アニムの奴、返って気に病んでるぞ? いつもの客間が暖めてあるから。風呂にでも入って、あったまって寝ろ」
「はいっ! 頂戴いたします! 自分で運びますゆえ、台所、失礼いたします」
グラビスさんは目にも止まらない速さで、台所へ駆け込んで行かれました。師匠の発言は絶対という感じです。大柄な男性がする可愛い行動に、思わず、くすりと笑いが溢れてしまいました。
「アニム、お前はもう寝て大丈夫だ。付き合わせて悪かった。体も冷えたよな」
「平気。部屋、あっためてあるし。おやすみなさい」
精一杯笑顔を作ります。ですが、上手くいかず、ストールを握る手に力が入ってしまいました。最初に感じていた、さすがに女子高生年齢と二十一才を間違えるなんてとか、ちゃらお寒いとか、そんな考えは微塵も残っていません。ただ、自分の存在の小ささと努力不足が、忌々しいです。
私の心中を察してか、師匠が困った顔で「おやすみ」と囁きます。心配をかけてはいけない。ちゃんとした笑顔を作らなきゃ。どうか、唇が震えていませんように。口角をきゅっと上げてみせます。
「アニム。お前が後ろめたくなる必要なんて、何もない。いつも通り、ぐっすり寝ろ。けど、ちゃんと鍵はしておけよ?」
耳の淵に柔らかい感触が襲ってきて、それは叶いませんでした。甘いあまい声。蕩けるように名前を呼ばれました。そして、耳の奥に届く掠れた吐息。じんと、下腹部が痺れる声。おへその下が、得も言われぬ熱で疼いています。
また、いつかみたいな声が漏れそうになったのを、唇を噛んで堪えました。そんな私を嘲笑うかのように、反対側の耳辺りの髪に絡んだ指が、つっと首筋を滑っていきます。耐えられずに、びくんと、体が勝手に跳ねてしまいました。
「っう、ししょー、どうしたの? こんなしたら、ししょー、変なこと、言われる、よ? それ、私、凄く嫌だ」
師匠、一体どういうつもりでしょう。
床から起き上がり服の埃を払っているアラケルさんを盗み見ます。彼は自分の服を汚れを睨んで、ぶつくさと言っているので、こちらの様子には気がついていません。でも、こんなの見られたら、アラケルさんの口を開かせるだけなのに!
確かに、触れてもらえなかったのに、傷ついてはいましたけど。今は、いらぬ疑惑を拭うことの方が、大切なはずです。
「あほ弟子。師匠を気にかけるなんて、百年早ぇよ。それに、ほら。震えてる。いつもみたいに、薄着で寝るんじゃないぞ。オレは、そっちのが心配だ」
おまけにと、ちゅっと額にキスを落とされました。グラビスさんがいらっしゃらなくて良かったです。たった今、冷えていた体が燃え上がってきました。おかげさまで。
私を慰めてくれているだけなのか、気まぐれなのか、アラケルさんに対する意地なのか。師匠が何を考えて行動しているのか理解出来ません。けれど、師匠のことだから、私の揺らぎを汲んでくれたのでしょう。
「ん、だいじょーぶ」
いけないと考えてはいるのに、肩に顔を埋めてしまう自分が憎らしいです。弱い、弱い。私は、弱い。力とか知識じゃなくて、心が弱い。
ただ、ぎゅっと抱きしめられて、幸せを感じてしまったのは確かでした。あやすような手つきも、ちっとも子ども扱いしているなんて思いは抱きもしませんでした。
「ほれ、森の主も裸足で逃げ出しそうな奇妙な顔で笑うな」
「ひひょー、ほっへたいたひ」
師匠に頬を思い切り引っ張られました。けらけらと意地悪く笑う師匠は、二人の時と、全く変わらない様子です。手を離したかと思うと「小娘は早く寝ろ」と背中を押してきました。
熱くなった身体を、今度は自分の腕で抱きしめたまま踵(きびす)を返しました。薄暗い階段が、感触を思い出させて、涙腺を刺激してきます。
ぎしっとなった階段の悲鳴に混じって聞こえたのは、押し殺した声でした。
「いいか、くそ餓鬼。グラビスに免じて、今日は許してやる。それに、てめぇがオレたちを、どう見ようと関係ねぇ。けれど、アニムを傷つけたり手を出したりしたら――」
「なっなんだよ。吹雪の中に叩き出すって? まぁ、俺くらいの精霊魔法の使い手なら一晩くらい――」
「ご自慢の精霊魔法も体も、一生使い物にならねぇようにしてやるから、そのつもりでいろ」
階段を駆け上がる音に混じって聞こえた声は、耳にしたことのない響きでした。冷酷で慈悲の欠片もない音。でも、そんな声さえも、師匠のモノだと思うと不思議と怖くはありません。
それよりも、私は自己嫌悪で流れてくる涙を拭うのに、必死でした。空気に触れては消えていく息に混じりたい、そう思いながら足を動かしました。
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