引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

4.引き篭り師弟と、お酒の時間 【5】

 「まぁ、いい。早くベッドの中に入れ」

 攻撃を免れたのはいいですが、私一人がベッドに潜ってしまったら、スキンシップなお祭りが出来ません。どうしたものでしょう。
 作戦を練っているのを不審に思ったのか、師匠が眉をひそめました。不自然じゃない言い訳ないでしょうか。とりあえず、思いついた端から言ってみましょう。

「えっと、おしゃべり」
「お前が寝ながらでも、話くらい出来るだろうが」
「ダメ! じゃなくて、えっと、ししょーと触れ合いながら、いい!」

 師匠のふとももを台にして身を乗り出します。力説です。我ながら、凄い勢いで詰め寄ってます。脇を締めて、空いた手で拳を握ります。
 でも、おかしいです。てっきり、嫌そうな顔をして肩を押し返えされると思ったのに、師匠ってば無表情です。元が綺麗なお顔な分、めちゃくちゃ怖いです。
 数秒でしょうか。やがて、師匠は掌で顔を覆って、長くて深い溜息を吐き出しました。

「アニム、誘ってんのか」

 低い声がお腹に響いてきます。かちあった瞳は、熱を帯びているようでした。喉の奥に唾液が引っ掛かって、上手く息が出来ません。途端、下に流れているワンピースが取り払われて、裸にされた錯覚に陥りました。
 伸びてきた師匠の親指の腹が、頬を撫でました。すっと、そのまま耳裏に入ってきた指。私が何も言えずに硬直していると、今度は、耳下から顎のラインを指が滑っていきました。ぞくりと全身が震えます。下唇を噛んで、出そうになった声を堪えます。
 誘うって。いえ、まさか、師匠が夜的な意味で言ってるなんてのは。

「つーか、ラスターとホーラに、何吹き込まれたんだよ」
「へっ! おふたり、何も、言ってない」

 ほら、私の気のせいです。目の前の師匠は、いつも通りの少し高めの声です。据わった目で、私をじとーと疑いの眼で射抜いています。
 今度は、別の意味で心臓が跳ね上がりました。おふたりは私の相談に乗ってくださっただけですから、被害を及ぼすわけにはいきません。

「ほー。って、お前ごときがお師匠様を誤魔化せるとでも思ってんのか!」

 ひえぇ。すみません、おふたりとも。正直、もう言い逃れできません。顔を両側から挟まれての凄みに、抵抗の意志は全滅です。
 助けて勇者様。ここに魔王がいます。心の中で祈りを捧げてみますが、当然だれも助けには来てくださいません。

「ただ、今日、お酒酔って、師匠とスキンシップ増やす良い機会。だから、ふたりで、お祭りする言われただけ!」
「騒ぐなら、居間の方が良かっただろう。人数も多いし。まぁ、オレが寝ろっていったんだが」
「違う。ホーラさん言ってた。お祭り、ふたりじゃなきゃ、いやんいやんて」

 視界から師匠が消えました。と同時に、ももあたりに重みを感じました。師匠が私のももの上に突っ伏しています。あっ、両腕を額の下に敷いているので、直接顔が乗っているわけではありません。念のため。
 全身脱力した師匠。疲労感が半端ないので、とりあえず頭を撫でてみます。よしよし。

「ししょー? どうしたの?」

 母性を発揮して甘えさせるミッションはクリアーです。ちょっと間違っている気がしないでもありませんが、幅広くオッケイにしておきます。
 しばらく膝枕的な状況が続きましたが、回復した師匠が起き上がりました。暗くてはっきりはわかりませんけど、若干疲れは残っているようです。というか、呆れてる?
 ブーツ、いつの間に脱いだんでしょう。ベッドの上に完全に座った師匠。足首を握ったり離したりしていました。言いにくそうに口を開きます。

「あー、言っておくが、ホーラの言う『祭り』ってのはな、性交を示す隠語だ。わかるか? お前ら、オレがいない間にどんな話してたんだよ」

 えぇ?! ちょっと、待ってください、ホーラさん!
 そこまで言われて悟らないほど、私も子どもではありません。つまり、あれですか。私的には、普通の触れ合いを希望していたんですけど、ホーラさんたち的には男女の関係を持てという指示だったと。
 やだ、それに気がつかなかったなんて。いえ、やだっていうのは、師匠とそういう関係になるのが嫌なんじゃなくってですね。師匠に気持ちがないのに、関係だけ持つのが嫌ということで。って、私が師匠を好きみたいじゃないですか!

「えぇ?! だって! ししょーと私?! 違うです、私、ただししょーと――」

 詰まっていた分までと、夜の静寂を切り裂く音量で飛び出した声。パニックなって、言葉の形を成していません。
 そう、ただ師匠とスキンシップを取りたかっただけなの。そう続くはずだった言葉は、師匠の掌に遮られてしまいました。口に当てられた手が、余計に熱をあげていきます。血が沸騰しそうになっています。

「アニム、声がでけぇよ」
「もがっ」

 口を動かそうとすると、師匠の掌に唇が触れてしまうので、何も反論出来ません。師匠は唇に指を当てて、静かにしろと言いますが、無理です。
 師匠の腕を叩いて剥がそうと試みますが、力が入りません。

「あれっ?」

 逆に肩を掴まれたかと思うと、体がぐらりと横に倒れました。ぽすんと枕に頭が乗ります。視界に師匠はいなく、枕元の明かり台だけが見えました。そうか、横向きで倒れているんだと、そこで初めて理解出来ました。
 息つくまもなく、今度はくるりとまわって、天井……ではなく師匠がいました。

「ししょー?」

 いくら瞬きを繰り返しても、師匠が私に覆いかぶさっているように見えます。左右に頭を動かすと、両側に手をつかれていました。ゆっくりと見上げると、この上なく意地悪そうに口の端をあげた師匠が待っていました。
 ぼっと、顔どころか首まで染まったのが、自分でもわかりました。心臓が口から飛び出しそうです。耳が熱い。アイスブルーの薄いはずの瞳が、深い色を纏っているように思えます。

「で?」
「え?」
「で、オレともっとなんだって?」

 この状態で、その問いですか!?
 そんな熱っぽい目で見ないでください。お腹のあたりがざわめきます。師匠の足の間に自分の体があるわけですが、ワンピースの裾が下着のすぐ下あたりまでめくれ上がっています。でも、今膝を降ろすと、最悪状況を気付かれかねないので、下手に動けません。
 
「ししょーと、もっと、仲良くなりたいなーなんて。ほら、距離、縮めたい。ししょー、私に、触れないしとか」
「ほうほう。そんなにオレに撫でまわされたいのか。それにしても、繋がって身体の距離をゼロにしたいとか、意外と大胆なんだな、お前」

 師匠酔っぱらってますか、私は酔っぱらってます。
 じゃなくて、誰もそんな肉体関係での距離なんて言ってません。っていうか、ゼロって。一瞬、想像豊かな映像が頭の中に広がって、身が縮みました。緊張で震える腕を掴んでいました。
 愉快そうに笑みを浮かべていた師匠の雰囲気が変わります。いつもの眠たそうな目に似ていますが、瞳の奧には強い感情の気配がします。

「随分、反応が良いんだな。そうか、経験済みとか結構知ってるとか何とか言ってたな」

 師匠の声が、少し刺を含みました。もしかして、気になってたんでしょうか。
 でも、私、一言も自分が経験済みとは言ってません。誤解は解いておきたいです。おでこでも叩いてやろうと右手を振りかざしますが、あっさりと阻まれてしまいました。

「やぁっ、んっ」

 自分から出たと思えない甘い声に、激しい熱が走ります。ベッドに押し付けられた手首からだけでなく、耳元に師匠の温度を感じました。もう一度、耳を甘噛みされたかと思うと、ぬるっとした感触が耳の淵をなぞっていきます。目を閉じて声を我慢します。
 ぴったりとくっついた胸から、心臓の音が全部伝わってしまいそうで、無意味だとわかっていても息をとめてしまいました。あれ、でも、密着はしているけど、重くない。気が付けば手の縛りは解かれていました。師匠は肘をついて、手の甲から包み込むように触れえています。

「ふぅ……ししょぉ」

 突き飛ばずつもりはありませんでしたが、何も言わない師匠に不安になり、背中に爪を立ててしまいました。なんでも良いので声を聞かせてください。乱れた呼吸のまま、耳元で呼びかけました。
 吐かれた息が綿毛のように空気に溶け込み、ゆっくりと消えていきました。それは、自分の中にある想いに重なって、胸を締め付けてきます。

「っん、ふぁっ、いやぁ!」
「ここ、弱いのか?」

 唇が喉元に触れた瞬間に走ったひときわ強い痺れで、背が仰け反りました。口を抑えようにも、師匠の体がぴったりとくっついている上に、右手が脇から胸のラインをなであげてるので、叶いません。何度も喉元を舐め上げてくる舌に、声も出せません。
 って、ちょっと待ってください! 今更ながら、凄い状況なのでは! 師匠、キャラが違いますよ!

「弱いとか、そんな、触られたのない、わかんない」
「……はっ?」

 なんですか、その間抜けな声。手はそのままに、顔をあげた師匠。数秒、きょとんとしていましたが、なんか明後日の方向を見ながら「異世界だと、やり方が違うのか」とか複雑そうな顔でブツブツ言い始めましたよ。
 目にじわじわと涙が浮かんできました。初めてじゃダメですか。って、違う。一気にこみ上げてきた、自分の情けなさと浅はかさに、涙が止まりません。

「だから、私、自分が経験豊富、言ってない! 知ってるけど、したのない。だっ大体、師匠、私のこと、だれとでもする、思ってたの? だから、急に、こんな――」

 やばいです。一度溢れ出した想いはとまりません。師匠は悪くないって、ちゃんとわかってます。元々、師匠の優しさに甘えて、男の人と引かなければいけない一線というか距離感を無視したスキンシップを取りたいと考えたのも自分です。
 経験豊富が軽さと繋がるとも思ってません。でも、もしかして今の師匠の行動が、軽蔑からくるモノだと考えただけども、苦しくて死にそうです。
 自分の考えが意味不明です。涙でぐちゃぐちゃになっている顔を隠したくて、両手で覆い隠してしまいます。
 
「おっ、おいアニム! オレは――」
「やだぁ。私、ししょー嫌われたの?」

 そうか、私、師匠に嫌われるのが悲しくて泣いてるんだ。いつもと違うキツイ口調と視線が痛かった。黙々と触れられるのが、不安だったんですね。知ったか振りやいい加減なことばかり言ってたから、呆れられたのかもしれません。酔っぱらっているとはいえラスターさんに抱きつこうとしたり、不可抗力でも人前で変な声あげたりして。

「ふぅ、ごめんなさい、私、ばかばっかり。でも、好きない人、触れたい、思わない」

 自分で放った言葉が苦しくて、子どもみたいに嗚咽を漏らしていました。自分でも訳が分かりません。トリップしてきた時にも、ここまで感情むき出しにみっともなくなんて、人前で泣かなかったのに。

「嫌うなんて、有り得ないだろ。アニム、悪かった。オレが悪かったって。泣かないでくれ」

 ぐいっと腕を引っ張られて、師匠に抱きしめられていました。優しく背中を撫でられると、余計に涙が溢れてきます。上手く話せなくて、頭だけを思い切り振りました。師匠は悪くない。
 師匠の首にかじりつくほど唇を寄せても、じっと受け入れてくれました。自分から滴る雫が服を汚してしまうとわかっていても、止められません。

「酔っぱらいの隙につけこんだ、オレが悪かったよ。アニムが、そういう意味で触れたいって言ったんじゃないって、わかってた。それに、大人げないやきもち妬いた」
「ししょーが、やきもち?」

 ぐずっと、鼻をすすると、師匠が困ったように笑います。いつもの空気です。夜着の袖で、涙をぬぐってくれました。

「そりゃ、な。オレは我慢してるってのに、他の男に抱かれた経験あるみたいに普通に言いやがるし、ラスターには気を許しっぱなしだし、無邪気に擦り寄ってくる。やきもちついでに、苛めてやろうって」
「うぇ? 私、ししょー以外、べったりした覚え、ない。ししょーだけ」

 そう言うと、師匠は息を飲みました。耳を疑っているようで、水抜きをするように叩いています。えー。確かに、さっきは酔っぱらってラスターさんにくっつく振りはしましたけど、実際私から触れたいって思っているのは、師匠だけなんですけど。
 つんつんと、師匠のほっぺたを突っついてみます。それよりも、さっきの言葉、もう一度お願いします。

「なんつー声、出してやがる」
「ししょー、もう一回言って? ナニ、やいてる?」
「あっ? あぁ、やきもち妬いた」

 ぴたりと涙が止まりました。師匠の言葉が反芻されます。やきもち、つまり嫉妬してくれたんでしょうか。再び、あの熱が戻ってきました。胸が苦しいです。でも、全然嫌な感じではありません。暗い部屋が、ひと段階明るくなった気がします。

「ししょー、私、嫌いない?」
「あぁ。アニムと一緒にいると生きてるって実感する。凄くほっとする。何でもない日常が、色付いていく」

 あぁ、こんなに嬉しい言葉ってないです。きっと、いつもなら、気障とか乙女ゲー台詞とか突っ込んでるかもしれません。けれど、実際、師匠の声で届いた言葉は、どんなに臭いってわかってても、幸せしかもたらしません。

「私、ししょー、大好き。だから、もっともっと、触って欲しい」

 恐る恐る師匠の首に腕をまわしてみます。師匠はされるがままになってくれました。嬉しくて、微笑みが浮かんでいきます。
 貰った言葉が幸せすぎて、師匠の髪や頬、耳や鼻にキスをしてしまいます。師匠はくすぐったそうに身を捩りますが、拒みはしません。抱きしめたまま、私の髪をいじっています。

「まぁ、どうせ明日になったら、お前忘れてるだろうしな」
「ぶー、忘れないもん。っていうか、覚えてなかったら、ししょうー、しめしめで黙ってる気だった、悪い男」
「別に最後までやったらやったで、朝、もう一回実感させてやるつもりだったしな」

 やっ、やったら?! 悪い男の顔どころか、悪魔な笑顔ですよ。距離をとりたかったのですが、がっちり腰を掴まれていて動けません。
 幸せ気分が早足で逃げていきます。ふと、師匠の後ろにある勉強机が視界に入ってきました。って、やばい。机の上には、ホーラさんからこっそり頂いリキュールの瓶が。寝る前に一滴舐めると熟睡出来るからと、譲ってくださったんです。ただ、寝る前にお酒とか師匠にばれたら煩いからと、注意頂いてたんです。綺麗な瓶だと眺めていたままにしてました。

「どうかしたか?」

 私の挙動に気が付いた師匠が、振り返ろうとします。断固として阻止せねば。がばっと、師匠の頭を抱きかかえて、阻止を試みます。

「おっ、おい!」
「よーしよしって、ひゃ!」

 鎖骨下に口づけされました。師匠に抱きついた勢いと同じ音をつけて、離れます。わなわな震えている私を置いて、ベッドから降りた師匠。あちゃー。私は正座で見守るしかありませんでした。
 瓶を手にとって振り返った師匠は、それはそれは素敵な笑顔でいらっしゃいました。

「アニム、これはなんだ?」
「嫌だ、師匠。老眼ですか。香水の、瓶ですわよ」
「アニム! なんで、お前の部屋に、酒の瓶が、あるんだ! しかも、かなりの度数だぞ」

 にじり寄ってくる師匠。枕元に追いやられる私。お尻で歩くのって、ちょっと大変。とんと、背中が壁にぶつかりました。私に逃げ場はありません。いっそのこと、壁をぶち抜いて羽ばたきますか。
 あれ、師匠、顔が赤い。夜目にもわかるほど、染まっています。口元を覆って、視線を逸らしました。

「見えてんぞ。今度はアクアマリンかよ。お前、紐パン好きなのな」
「へ? って、また?! これは、元の世界のやつで」

 お尻移動していたせいか、下着大公開の刑です。しかも、相当恥しいアングル!
 えっと、師匠、ラスターさんが選んだ下着嫌がると思って。探したんですけど、前の世界から着てたやつですね、仕舞ってあった下着しかなくって。

「元の世界の服は、一切身につけるなって言ってあっただろうが」
「だって、師匠、ラスターさんの嫌がる。これしかなかった!」
「ほう。明日にでも、式神に新しいの買いに行かせるか」

 慌てて裾を抑えますが、時すでに遅し。師匠の手がふとももを内側から撫であげました。ぎりぎりのラインをなぞってくる指に、喉の奥がぎゅっと締まります。うそ。締め付けられているのは喉じゃなくって、触れて欲しい部分。

「んっ……はぁっ、だめぇ。ししょー、照れ屋のくせに、なんで自分からは、平気なの」
「オレは不意打ちに弱いだけだ」

 あっ、さり気無くミッションクリアー。師匠の弱点ゲットです。じゃなくて、自分の危機です。嫌なわけじゃありません。ただ、明日になって覚えてないとか、最悪です。ぜひ、飲みすぎてない時にお願いします。
 てっきり、そのまま進むと思われた手は離れていきました。寂しいなんて、思ってませんよ。ほっとしました。それもつかの間。師匠は度数の高いと言ったばかりのお酒を全て口に含みました。原液で飲むやつじゃないですよね、それ。

「ししょー、原液危な――んぐ」

 押し戻された言葉と一緒に、口内に熱い液体が流れ込んできます。喉が焼ける。

「安心しろ、お前には少量だ」
「ちがう。んっ」

 熱いと思ったのは、お酒のせいだけじゃありません。ですが、くらりと視界がまわります。体がふらついたのを感じます。
 そのまま、先程と同じ感触が唇を塞ぎました。最初はついばむようなキスが。やがて唇が軽く押し開けられました。お酒のせいなのか、キスのせいなのか。もう判断がつかない熱にうなされます。絡まる吐息が、さらに胸を締め付けてきます。もう、何も考えられません。

「っう。ししょー」

 この先のキスがあるのを知ってはいます。けれど、師匠は食いつくように貪るだけど、舌を入れてはくれません。って、まてまて、私。今でも充分、溶けそうなキスなのに。

「悪い、悪い」

 夜着の胸元が下に引っ張られ、あらわになっている胸。きつく吸い上げられたそこには、赤い跡が出来ていました。上目だけを向けた師匠には、悪びれた様子は全くありません。しかも、忍び笑いがついてます。
 ふらつく意識の中、後頭部の髪を掴んでやります。はげてしまえ。私の心の声が聞こえたのか、仕返しのように、師匠が赤くなった部分に舌を這わせてきました。体が、びくりと跳ねました。

「独占欲、まるだし。キスマーク、今時、流行らない」
「異世界の流行りなんて知るか。気にすんな、ただの内出血だ」

 それはそうなんですけど。異世界の行為までチェック済みだったら、えろじじいの罵りだけじゃすみませんよ。情事の情報収集が趣味の天才魔法使いとか、嫌です。弟子を名乗りたくありません。
 久しぶりに突っ込みが出来たと勝利を噛み締めた瞬間。完全に睡魔に取り込まれてしまいました。お酒が回ってきたみたいです。

「う……ん、ねむ……い」
「不肖の弟子など、寝てしまえ」
「でも、や。ししょー、私……」

 堪えようとしても、すでに瞼は張り付いてしまいました。感じているぬくもりだけでも離したくないと指先に力をいれます。苦しいほどに抱きしめられたのを感じました。けれど、その苦しさが心地よかったのか、熱に擦り寄ると優しさに包まれます。
 師匠に頭を撫でられて、すとんと、夢の世界に落ちていってしまいました。





「うーん、私、いつ寝たんだろう」

 今日は、久しぶりの快晴です。眩しいくらいの青空が広がっています。もうすっかり日が登ってしまっていますが、皆さん、まだ起きられる気配はありません。
 ラスターさんとホーラさんが夕飯の片付けをしてくださったようで、居間は綺麗に片付いていました。後でお礼を言わないとですね。

「それにしても、私、あんな夢見るなんて」

 昨日見た甘い夢を思い出して、頬が染まっていくのがわかりました。いくらスキンシップ、スキンシップ言ってたからって、『あんな』夢見るなんて、どうかしています。
 今はブランチを用意する手を止めてはいけません。昨日飲みすぎていらっしゃる皆さん用に、野菜とお豆のスープを煮込んでいるところです。トマトは煮込み足りないかもしれませんが、多めに作って夜ご飯に再利用すれば、ちょうど良いかも知れませんね。きっと、ホーラさんはパンもがっつり食べるから、お土産に貰ったクロワッサン出して――。

「アニム、早いじゃねぇか」
「あっ、ししょーおはようです。私、早いじゃなくて、みなさんぐっすり」

 台所の入口を振り返ると、腕を組んで壁に寄りかかっている師匠がいました。支えがないと立っていられないほど、寝不足なんでしょうか。ネコみたいな顔で、欠伸を噛み殺しています。
 くすりと笑ってみせると、師匠がむっとしました。朝からご機嫌斜めですか。でも、私は、何故かうきうきしているので、許してあげます。

「ししょー先にご飯食べるです? それとも、紅茶飲む?」

 なんか凄く不躾な視線を投げつけられている気がします。夢の内容も手伝って、内心居心地が悪いです。
 逃げるように、今度は食器棚に移動します。返事を催促しようと振り返ると、師匠がすぐ後ろに立っているではないですか。ホラーです。叫び声があがるかと思った。

「アニム、お前、ほんとーに、昨晩のやりとり覚えてねぇのか?」
「ほんとにって、私、何も言ってない」
「態度でわかんだよ」

 ひょっ。顔を近づけられて凄まれても、師匠が何を言いたいのかさっぱり検討がつきません。じーと見つめられています。

「えっと、やっぱり、私、突拍子もないこと、しました?」
「……まぁ、また楽しめるって思えば、良いか」

 睨み合い(っていうか一方的にがん付けられていただけですけど)は、師匠の諦め半分、愉快さ半分な呟きで終わりました。
 これはスルーしておくべきですかね。深く突っ込むと、墓穴になる予感がひしひしです。私は過去を振り返らない女よ。

「おっ、アニム。そこ、胸に痣(あざ)が出来てるぞ。どっかぶつけたのか?」
「ちょっと、ししょー、服引っ張らないで。って、ほんとだ。酔っ払って、こけたかな」
「だから、あれだけ飲むなって忠告しただろうが。まっ、いい薬だ」

 にやりと笑った姿は、魔王そのものです。見たことないけど。って、あれ。なんかデジャブ。不思議な感覚に首を傾げると、ぽんぽんと額を軽く叩かれました。
 良くわかりませんけど。師匠がまたスキンシップしてくれてるなら、いっか。

「アニムちゃーん、お水ちょうだーい」
「ラスターさん、おはようです」

 昨日の師匠よりもゾンビっぽいラスターさんが、よろよろと近づいてきました。今にも倒れそうな青白い顔色です。
 コップになみなみに注いだお水を渡しますが、ヒト飲みでなくなってしまいました。

「ぷはー! ありがとう。もう、ホーラったら、底なしなんだからぁ」
「私、師匠待ってる間に寝ちゃったみたい、ですけど。楽しかったです」
「アニムちゃん、覚えてないの? って、そこ」

 服がよれていたのか、先程の痣が見えてしまっていたようです。恥ずかしい。

「昨日、どこかぶつけたみたい」
「でも、これぶつけたって言うより、歯の……」

 葉っぱですか? 観葉植物で切ったのかな? でも、切り傷っぽくはないですよ。
 ふらついていたラスターさんが、ぴしっと音を立てて固まりました。腰を屈めて、しばらく私の痣を指さしていました。爪は綺麗に黒く塗られています。私もピンクとか塗って欲しいなぁ。
 そんなことを考えていると、突然空気が動きました。ラスターさんが空気を裂く速度で、師匠を振り返りました。阿吽の呼吸のように、ぴったりのタイミングで師匠も反対方向に顔を背けました。

「あぁあんた! 昨晩、ナニしたのよ!」
「うっせぇなぁ。お前らの要望に沿っただけだろう。あんだけせっついといて、文句でもあんのかよ」
「きゃあぁ!! あたしの純真無垢なアニムちゃんが! しかも、忘れちゃうくらいひどいヤリ方で!!」

 ラスターさん、朝からとっても元気です。ちょっと元気すぎて煩いです。おっしゃっている内容が、よくわかりません。
 ホーラさんが起きてしまいそうです。ホーラさん、寝起きの機嫌、凄く悪いんですよね。
 すっかり蚊帳の外だったはずなのに。がしっとラスターさんに両手を握られていました。

「アニムちゃん! 大丈夫よ。あたしが気持ちいい思い出で上書きしてあげるわ!」
「ほざけ!」

 家中に響き渡った音。ラスターさん、絶対にタンコブ出来てます。ラスターさんの色っぽい酔い方が一転、がに股で床にしゃがみこんでしまわれました。
 そして、そのまま師匠にケープの襟を引っ張られ、台所から去っていきます。

「あぁ、そうだ。アニム、とりあえず、紅茶淹れてくれよ。オレンジのやつ」
「――っ!」
「アニム?」

 すれ違いざまに、師匠に頭を撫でられました。触れている部分から、幸せが広がっていきます。どうしよう。ちょっとした触れ合いなのに、こんなに嬉しくなるなんて。頬に触れると、おかしいくらい、緩んでいました。
 反応のない私を不審に思ったのか、師匠が顔を覗き込んできます。出来るだけ、綺麗に微笑み返します。女の意地です。

「かしこまりました、ししょー。とびっきり、美味しい紅茶、用意します!」
「ん。よろしくな」

 師匠の、にかっという笑顔。大好きな笑顔。昨日、何があったかは覚えていませんけど、感じていたもやもやは、どこかへ旅立っていったようです。今は、ふわふわと甘い香りに包まれています。小鳥のさえずりが、歌にも聞こえます。現金だなぁ、私。

「そうだ、挨拶。おはよ、アニム」
「へ? そう言えば、返事なかったですね」

 師匠ってば、律儀です。高揚感も手伝ってか、妙に笑いがこみ上げてきました。口を押さえて笑いを堪えていると、ふいに、前髪越しで額に柔らかい感触が……。

「いやぁぁ!! ウィータの変態!」

 私が自覚する前に、ラスターさんの叫び声が耳を鳴らしました。外の水晶の樹もざわめいたのではと思える声量です。

「うっせぇ。朝の挨拶だ、挨拶」
「昨日までしてなかったくせに! アニムちゃん、あたしにも!」
「黙れ。お前は、自分の弟子にでもしてろ」

 呆然と立ち尽くす私を残して、おふたりはじゃれあいながら居間へと姿を消していきました。
 後ろから見えた師匠の耳元は、真っ赤でした。きっと、私はそれ以上に、茹で上がっていることでしょう。おぼつかない足取りで紅茶を淹れる準備をしている最中も、蕩け落ちそうな頬を支えるのに必死でした。
 お酒のせいで覚えていないのは残念ですけど、お酒のせいで近づけたなら、まっいっか、です。でも、あれですね。ラスターさんを見て、お酒は程々が一番だと思いました。
 窓の外を見上げると、青い空の中を綿菓子のような雲が流れていました。オレンジの爽やかな香りが、今日一日の幸せを予感させてくれています。





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