引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

4.引き篭り師弟と、お酒の時間 【1】

 「だから、ごめんなさいってば」

 風呂場からタオルを持って居間へ戻ると、ラスターさんが謝罪を口にしていました。申し訳なさの欠片もない調子です。謝りながらも、お酒は飲み続けているので説得力ゼロですよ。おまけにと、お色気たっぷりにウィンクとかしてらっしゃいます。本当に、元男性なんでしょうか。いやいや、センさんもしていらっしゃったので、この世界の常識だったりして。
 謝罪の相手である師匠は、向かいに座ったラスターさんをずっと睨みつけています。

「こんだけ豪快に酒ぶっかけたんだ。絶対にわざとだろ、ラスター」

 師匠が苦々しく吐き捨てました。頭からお酒を浴びせられたんです。仕方がない反応だと思います。師匠が全被害を受けてくれたおかげで、晩ご飯は無事でした。
 師匠のレモンシフォン色の髪がかき上げられると、ぽたりと雫が垂れました。黙っていればイケメンな師匠。ちょっと目を細めている姿に、どきっとしてしまいました。私、匂いだけで酔ったんでしょうか。
 高鳴った胸を無視して、力任せに師匠の髪を拭きます。師匠から「いてぇ」と抗議めいた声があがりました。

「ちょっと手が滑っただけじゃないのよ。酒も滴る良い男!」
「ぬかせ」
「ウィータも悪いのですよ。厚切りお肉とチーズの大葉挟み揚げ、最後のひとつを意地汚く取り合うからなのです」

 ホーラさん、一見まともっぽい意見です。けれど、奪い合いの標的だった最後のひとつを頬張りながらなので、素直に同意できません。まさに、漁夫の利ですね。
 師匠もラスターさんも、二百才越えているようには、とても思えませんよね。
 作った人間としては、取り合うまでに美味しく食べてくれたんだと嬉しくなります。と共に、喧嘩の原因になってしまうのは悲しいです。

「ホーラが言うなよ。っつーか、酒グラス片手に食べ物をフォークでぶっさすなんて、行儀が悪いぞ」

 そうなんです、ラスターさんもホーラさんも、食べっぷりがすごいんです。
 さっきも、ラスターさんは片手にグラスを持った状態で揚げ物を引っ張り合っていたんですよ。それで、揚げ物が裂けた瞬間、ラスターさんてば後ろに倒れてお酒をぶけまけちゃったんです。コメディ顔負けでした。
 スリットから伸びた美脚が、豪快に開かれたのには触れないでおきましょう。私も恥ずかしい下着を見られたので、おあいこです。でも、ラスターさんのは、私と比にならないセクシーっぷりでした。

「ウィータは年がら年中アニムちゃんの手料理が食べられるじゃないの。お客様に譲りなさいよ。大体、あんた、いつの間にそんなに食欲旺盛になったのよ!」
「うっせぇ! 料理は他にもたくさんあるだろうが。自分の前に置かれた、きのこのキッシュとか鳥の香草焼きとか、その他諸々を食え!」

 師匠が机の上を勢いよく指さします。その拍子に、私にお酒の雫が飛来しました。思わず「つべっ」と、うわずった声が出てしまいました。
 今日のお酒は、ホーラさんが持ってきてくださったヴィヌムというお酒(ワインみたいな感じ)です。地下から持ってきたてなので、いい感じに冷えています。

「アニム、悪い」
「大丈夫。驚いて、声出ただけ」

 実際、冷たさは大したことありません。条件反射あるある、です。ちょっと語呂が悪かったですね。
 へらっとした笑顔が浮かびました。あー、良い香りです。これが香(かぐわ)しいというやつでしょうか。香草の独特の匂いと混ざって、不思議な気分になります。ちょっとぽわんとした気分になってきました。
 師匠がタオルで拭いてくれているので、瞼を閉じて行儀良くじっとしておきましょう。タオルの生地が、唇に触れてくすぐったいです。
 心地よさに浸っていたら、再びラスターさんの「もうっ」というぶすりとした声が空気を振動させました。

「だって、鳥の香草焼きはホーラが手伝ったやつだし、キッシュっていうやつはウィータが手伝ったやつでしょ。あたしとアニムちゃんの、初めての共同作業の産物、噛み締めながら食べ尽くしたかったのよ! 舐め尽くしたかったのよ! とろんと、蕩けるモノを!」
「ふざけんな。てめえは自分の吐く血でも舐めてろ!」

 師匠、器用です。片手で私を庇いながら、もう片方の手で武器を練り上げています。魔法武器ってやつですね。魔力を具現化というか、実際の物質形に模して練り上げる、上級魔法です。師匠の場合は、魔法杖。
 じゃなくて、この方々、学習能力ありますか?! 夕方、師匠の魔法風でぶっ飛んだ紙や家財道具を、やっとの思いで片付けたばかりだっていうのに。

「ラスターの口調は、いちいち卑猥なのですよ。そんな吐息を漏らすようにオチをつけられても、突っ込みどころに迷うのです」

 私の隣にある一人用ソファーに腰掛けているホーラさんは、ひたすら「うまうまーなのです」と料理を平らげています。時折、思い出したようにお酒を流し込みます。あの小さな身体の一体どこに溜まっているのか。ポンチョ風の上着なので、お腹の膨らみ具合も確認出来ません。
 それにしても、卑猥って。いえ、私もなんとなーく、ラスターさんがおっしゃっている意味は理解していますよ!
 これが夜中のテンションというモノなのでしょうか。ほんのりと、自分の目元が染まっていくのを感じました。

「ラスターさん、食べ物で遊ぶ、良くないです。喜んで食べて貰える、嬉しい。キッシュも、オススメです」

 新しい取り皿にキッシュを乗せ、ラスターさんに差し出します。数種類のきのこが入ったキッシュ。パイ生地はさくっと、中身は卵とクリームでふわっとしています。ほんのり甘く漂う湯気だけでも、口の中に味が蘇ってきます。師匠、ナイス!
 ラスターさんの指先が、私の手を握ってきました。お皿の方を持ってくださいよう。運動不足な腕がつりそうです。

「もちろん、そっちも美味しく頂いてるわよーでも、そうね。食べ物より、アニムちゃん本人を美味しく、た・べ・た・い・わ」

 机の上に身を乗り出してのアングルは、大迫力です、ラスターさん。深紫色のイブニング風ドレスから見える胸の谷間が、もう峡谷レベルです。迷子になりそうなくらい、深いです。ちょっと動いただけで、ぽよんぽよんと弾んでいます。羨ましい!
 私がラスターさんの胸に釘付けになっている間、師匠が彼女の頭を掌で押し返していました。ただ、それ以上の力でラスターさんが突っ込んできているようで、膠着状態(こうちゃくじょうたい)になってます。
 っていうか、師匠。女性の身体のラスターさんと、同レベルな筋力って。
 
「ラスターさん、それ、えろおやじ」
「間違いねぇな。ラスター、外見は女でも中身がじじいって、バレバレだぜ」

 私の発言は、ラスターさんから発せられるお色気オーラに耐えかねての冗談だったのですが。師匠は本気なようです。歯を見せての笑みは、正直悪人面です。
 ラスターさんの顔に当てていた掌から、水色の光が漏れたかと思うと、周りの空気が固まりました。ラスターさん限定で。ゆっくりと師匠の手が離れていきました。それでも、ラスターさんは微動だにしません。

「それを言っちゃったら、アニム以外はじじいとばばあしかいないのですよ」
「ちょっとちょっと、ホーラ。あたしは、まだ色々現役よ! しかも、男女両方の姿でイケルなんて、最高の相手でしょ。それにあんた、自分をばばぁ呼ばわりって」
「相変わらず、論点がずれているのですよ。それに、わたしはふたりみたいに、言霊に縛られたりしないのです」

 ホーラさんは澄ました顔でお酒を煽りました。男前です。その後「しあわせなのですよー」と満面の笑みが浮かんでいる頬を押さえました。見ているこちらまで幸せ気分になれる笑顔で、素敵です。
 後半部分は、どういう意味でしょう。確かに、師匠ってば水晶の森に「メメント・モリ―死を記憶せよ―」って中二が好きっぽい言葉をつけちゃったりしています。そのことかな。
 でも、異世界の言葉に慣れてから、時々考えていました。何かしらの意図があっての命名なんでしょうか。私が馬鹿にしても、師匠ってば言い訳しないから、知る術もありません。
 最近、つくづく実感するのは、私って全然師匠のこと知らないなぁってことです。

「アニム、変顔だぞ」

 師匠、失礼すぎます。そりゃね、考え事していて、口がぽかーんと開いていたかもしれませんが、ちょっと傷つきますよ。
 ラスターさんの手から、私の手を抜いてくれたのにはお礼を言います。でもグラビアな格好で固まっているラスターさんの魔法を、一刻も早く解除してあげてください。目に毒です。

「ししょー、ずるい」
「はぁ? お前、酒が飲みたいのか?」

 師匠は、不思議そうに首を傾げました。ちょっと可愛いとか思っちゃいましたよ。っていうか、手を握ったまま、近距離であどけない顔するの止めてくださいよう。
 ふぅと、疲れから溜息が落ちました。あっ、今度は師匠が変顔になりましたね。

「それ、置いておく。ラスターさん、可哀想」
「アニムちゃんは優しいわねぇ。ウィータ、あたしのおっぱいをかじりつくように見て堪能したいのはわかるけど、食事中だし、早く縛りを解いてくれないかしら?」
「お前の胸にかじりつくくらいなら、ホーラに口付けする方がましだ」

 師匠は悪態をつきつつ、指をぱちんと鳴らしました。少しバランスを崩したラスターさんですが、すぐに立て直してソファーに落ち着きました。ぐるぐる肩を回しながらの腰のひねり方も、色っぽいです。
 というか、師匠。なんで比較がホーラさんにキスすることなんですか。ホーラさんは「わたしを巻き込まないでくださいなのです」と、ころころ笑っただけでした。
 うーん。そこはさ、弟子である私を選択肢に入れてくださいよ。じゃなくって!

「私、ちょっと不思議。森の中、魔法使う、ししょーだけ。ラスターさん、ホーラさん、魔法使い違うです?」

 そうです。疑問だったんです。魔法書をやり取りしているっていう会話から、おふたりが何らかの魔法を使うとは推測出来るんです。でも、師匠にいくら魔法を使われても、ラスターさんてば反撃しないんですよね。口で返すだけです。
 はっ。そうれさるのが、好きな方とか?!
 口元を押さえてラスターさんを見つめてしまいます。そうか、師匠へのお誘い文句も挑発も、全部師匠に攻撃されたいがため……。世に言う、どMさん、真性Mさん。初めてお会いしました。

「……今、アニムちゃんがとんでもない誤解しているのを、ひしひしと感じるわ」
「えっ?! ラスターさん、心の中、読めるですか?!」

 驚きのあまり、後ろに飛び退いてしまいました。ぼすんと、背中がソファーにあたります。私の唐突な行動で、師匠から「うぉ!」と声が飛び出ました。

「目は口ほどに物を語る、のですよ」

 納得です。
 鳥をかき込む手はとめず笑みを浮かべたホーラさんの言葉に、深く頷いてしまいます。よっぽど興味深そうな視線をぶつけちゃってたんでしょうね。気を付けましょう。
 お酒を飲み干したホーラさんに瓶を傾けると、すごく意味深な笑みを向けられました。そして、もう一度「語っているのですよ」とささやき、額を突っついてきました。これって、どう解釈すれば良いのでしょうか。
 聞き返していいものか。迷っていると、先にラスターさんが口を開いてしまいました。

「アニムちゃんの誤解を解いておきたいから、説明するわ」
「おい」
「ウィータ、あたし、さっきも似たようなこと言ったわよね。現実から本人を避けておくのは優しさじゃないわ。過保護よ」

 ラスターさん、真面目な顔つきになりました。足を組んでお酒の瓶を片手に持っているのは、脳内カットしておきます。
 師匠は、ぐっと言葉を詰まらせました。子どもみたいに足の間に両手をついて、首を竦めています。

「アニムちゃん。外界へ行くと、自分の命が危険に晒されるのは知っているわよね? 全身火傷どころか、爛(ただ)れ落ちて人の形を保てない。ただ、魂は召喚術によって『此処』に縛られている状態だから、普通の生き物のように、息絶えることも不可能」

 ラスターさんの射抜くような視線に気圧され、言葉なく頷き返しました。ラスターさんの瞳の奥に映る自分の姿が、溶け落ちていく錯覚に陥ります。
 膝の上で両手を握ると、氷のように冷たくなっていました。センさんに気を付けるよう言われたのとは、全く違う雰囲気に身震いが起きます。

「私……」

 どうしてでしょう。幾度なく聞かされている話なのに。少し表現が違うだけで、ここまで感じる恐怖が深まるものなんでしょうか。
 それとも、ラスターさんの瞳のせい? 何故だか、視線が外せません。髪と同じ深紅に捕らわれてしまったようです。
 ふいに、震えていた肩にぬくもりが染みてきます。ついで、身体がぐらりと傾きました。

「ラスター、アニムを脅したいだけなら、今すぐ出て行け。アニムはオレの弟子だ。過保護だのなんだの、他人に言われる筋合いはねぇ」

 声を追うと、すぐ近くに師匠の色素の薄い顔がありました。どうやら、師匠に肩を抱きかかえられているようです。というより、師匠の体に押し付けられている感じです。あっ足も密着してるんですけども。
 寄りかかったまま、師匠とラスターさんを交互に見ます。師匠は静かに怒っているのかな。殺気というのでしょうか。夕方の様子、というか普段とは違う怒り方です。ナイフの如く鋭い目つき。初めて見ました。憎い親の敵に、今にも刀を降りおろさんとする侍です。
 すみません、きつく握られている感触に混乱していて、中二病的表現が浮かんできません。

「はいはい。あたしが悪かったわよ」

 一方、ラスターさんは、両手を挙げて降参のポーズをとりました。出て行けと言われたことを、別段気に病んでいる様子はないです。喧嘩には発展しなさそうで、ほっと胸を撫で下ろしました。
 それでも、師匠は歯を噛み締めて顎を引いたままでいます。

「ししょー、ありがと。私、大丈夫」
「だが、アニム――」
「それに、折角皆でご飯作った。楽しく食べたい」

 途端、眉を垂らし困り顔になった師匠。空いた手で髪をがしがしと掻きました。かっ可愛い! さっきまでとは別人です。うん、私はこっちの師匠が好きです。
 それに不謹慎ですが、私のために怒ってくれたというのが、とても嬉しかったです。
 私の肩に触れたままだった師匠の手をとって、両手で包み込みました。あったかい。

「へへっ。ししょー、私のため怒った。ちょっと嬉しい。役得?」
「役得の使いどころが間違ってるっつーの」
 
 師匠、微かに目元が赤いです。
 不気味に頬を緩ませている私を、師匠がつねってきました。なにこれ、ばかっぷるっぽい。今なら砂浜をかけて、瞳で星を輝かせるくらい軽くこなせそうです。ただ、相手の師匠はロマンとかわからなそうなので「捕まえてご覧なさい」など言おうものなら、普通に魔法使って動きを止めそうです。

「細かいこと、気にしない」

 ならばいっそのこと。そう血迷った私は、握ったままの師匠の手に頬ずりしました。あー、なんか気持ちがぽわんぽわんしてる。

「なっ! こら、アニム!」

 ちらっと。曖昧に唇が触れたかなという直後、師匠が大きな叫び声をあげました。うるさいなぁ。ばしばしと頭頂部を叩かれます。はげそう。
 あまりの衝撃で師匠の手を離してしまいました。そのまま、痛む部分を撫でます。恨めしそうに睨みあげると、師匠が耳まで染めて、慌てた様子で手袋を嵌めていました。えーその手袋、除菌効果でもあるんですか? 失礼な。

「……そのいちゃつきは、あたしに対する復讐かしら。ウィータ」
「んで、オレのせいなんだよ」
「あたしの胸は嫌がったのに、アニムちゃんのおっぱいの感触は、しっかり堪能しちゃったじゃないの。溶け合っちゃうくらいに、密着してたわよ?」

 ラスターさん、ちょっと恨めしそうに目を据わらせています。すでに離れているはずの師匠は「赤ん坊の胸なんて、知るか!」と、そっぽを向いてしまいました。
 ちょっと、皆さん何をおっしゃっているか、わかりません。それよりも、鼻どころか口の中にも、甘い香りが蔓延している気がします。
 おかしいなぁ。さっきまでは、鳥と一緒に蒸した香草の、ちょっとスパイシーな香りが漂っていた筈なのに。チーズとも、ちょっと違うし。

「あまいあまい、なのですよーそろそろデザートを食べながら飲みたいのですよ」

 相変わらず自由です、ホーラさん。デザートになるはずだった果物は、夕飯前にご自分で食べてしまわれましたよ。
 じゃなくて、話の続きです。私、きちんと聞いておきたいです。そもそも、自分から振った内容です。

「師匠さておき、ラスターさん、すみませんです。続き、お願いします」
「わかったわ。でも、その前に」

 ラスターさんがすくっと立ち上がりました。何か準備でも必要なんでしょうか。固唾を呑んで、ラスターさんの言葉を待ちます。
 私の隣にあるわずかな隙間がへこみました。ラスターさんが斜めに腰掛けて、上半身だけ私の方に向けてきました。なんでしょうか。緊張しますね。
 反対側にいる師匠が胡散臭いモノを見るような目で、ラスターさんを睨んでいます。そんな師匠を横目に入れ、苦笑が漏れました。とっても凛々しい顔をしているラスターさんを、そんな風に見てはいけません。

「準備あるですか」
「えぇ。話の前に、あたしにもアニムちゃんのおっぱい揉ませて!」

 『あたしも』って! 別に、師匠には揉まれてませんけど!! 突拍子もない発想に、突っ込みの声も出ません。
 ラスターさんの指がいやらしい動きで、胸元に伸びてきます。うねうねした、ミミズみたいです。

「己の無駄にでかい胸でも揉んでおけっ!!」
「乙女の敵なのですよ! 悪霊退散!」

 後ろに倒れる間に見えたのは。どこから出したのか、巨大なハリセンを振りかざしている師匠と、破顔しながらラスターさんの首に腕をまわしたホーラさんの姿でした。
 


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