引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

3.引き篭り師弟と、心をかき乱す訪問者たち 【後編】

 師匠を取り巻いていた風に光が混ざり始めました。ぶわっと、師匠の長い魔法衣やラスターさんのスリットがはためいています。もちろん、私のエプロンとスカートもですが。なにこれ、中二病っぽく、オレは怒っている的表現ですか。自分が知らないことがあったくらいで、大人げないです。
 そろそろ、一般人な私は、白目をむいて卒倒しそうです。と、ラスターさんの柔らかい感触が離れました。

「だって、ほらね!」

 解放感に胸を撫で下ろした直後。さらなる爽快感で、足元が涼しくなりました。太ももどころか、おへそ当たりまで風通しがいい感じです。
 あれ、視界を覆ったのは……もしかしなくても、自分のエプロンとスカートの裾でしょうか?!
 凄い。これがスローモーションっていうモノなんですね。なんて、感心している場合ではないです!

「――っわぁー!!」

 ふわふわと浮いていた布の向こう。こぼれ落ちそうなくらい目を丸くした師匠が見えた瞬間、事態を理解しました。金切り声に近い叫びをあげながら、前を押さえました。
 次いで、前屈みで、ぎゅっと太ももを閉じましたよ。この間の太ももチラリ事件どころじゃありません。今の、もろでしたよね。もろって、色気的にはチラリより劣る気がします。って、そうじゃない! 今日はっ!

「ね? ボルドーに黒い総レースの紐パンなんて、大人よね。紐の部分もレース編みなのよ。でも、アニムの年齢を考えると、もうちょっと明るい赤でも良かったかしら」
「なっなっなー!! これ、だって、式神さん、買ってきた!」

 泣いていいですか。穴があったら埋まりたいどころか、溶けてしまいたいです。
 そりゃ、女子校ではスカートたくし上げて仰ぐの普通でしたけど。さすがに男性に、しかもこんなセクシー下着を大公開したことはありませんよ。大学時代はズボンばっかり履いてましたし。

「なによ、ウィータ。あんた、アニムの下着も見てないの?」
「……ねぇよ。つーか、なんだ、その知ってました的な口ぶりは」

 ラスターさんの言葉で、師匠はしゃがみこんでしまいました。腕を前に垂らしています。猫毛の間に可愛らしいつむじが見えます。魔法衣の裾が床についてます、汚れますよ。現実逃避してますね、私。

「洗濯、式神さんと私します。自分の下着、部屋のテラス、低い場所、干してます」

 何でこんな説明しているんでしょう。私ってば。
 私は外界へ出られません。私の女の子用品は、式神さんが買ってきてくれます。大体は無難な小物や衣類が多いんですけど、何故だか、数日前は急に大胆な下着を何枚も揃えてくれたんです。
 私だって、出来れば着たくはなかったんですけど、最近ずっと雨続きで洗濯物も溜まっていたので、仕方がなく……。
 考えあぐねるほど、言葉は出てきません。涙目でラスターさんを見上げると、全てを見透かしたように、にっこり微笑まれました。

「えぇ、知っているわ。だって勧めたの、あたしだもの。白い肌に良く似合ってるわぁ。あたし的には、もうちょっと肉付き良くてもいいのだけど」
「ひやっ!」

 私のメンタルポイントが尽きようとしています。腰を伸ばそうと気を抜いた隙を見逃さず、ラスターさんがスカートの裾を持ち上げたんです。別に恥じるほど価値のある足ではないですし、これがラスターさんだけに見られる分には、精神的ダメージは受けません。
 でも、目の前には師匠がいます。いつものように、二百六十才から見たら赤ちゃんパンツとか脳内変換する余裕は皆無です。

「ラスター、お前! ふざけんなよ!」

 師匠が強く床を踏み鳴らした音が、耳を痺れさせます。床、崩れ落ちないと良いけど。師匠が、師匠らしいです。弟子のピンチを救おうとしてくれてるんですよね。
 でも、掌に浮かんでいる魔法球だけは、ぶっぱなさないでください。自分のパンツくらいで、家がぶっ飛ぶのは嫌です。

「ウィータ、安心してくださいなのですよ。わたしも一緒にいたのです。ウィータの式神と、ちょうど街で会ったのです。若いうちは、色々挑戦するのが、良いのですよ」
「ホーラは黙っててくれ! そろそろオレの堪忍袋も限界だぜ、ラスター。魔法書の引換え条件で、お前の正体、アニムには黙っててやるっての、反故(ほご)にしてやる!」

 師匠、台詞が凄くヤラレ役っぽいです……。突っ込んであげたいのに、もう声すら出ません。大体、ホーラさん『安心』ってなんですか。師匠も『正体』ってどういう意味ですか。
 センさんもそうですが、皆さん、私をだしに師匠をからかうのは止めてください。私のこと、師匠の弟子だからと親切心で気に掛けてくださるのは嬉しいんですけど。それ以上に感じるのは、師匠が大好き過ぎて苛めたいという気持ちなんですよ。モテモテですね、師匠。

「ししょー落ち着いて。ラスターさん、ししょー大好きでも、やりすぎ注意です」
「あたしはアニムちゃんも好きよー。愛に時間は関係ないわ」
「論点、違います!」

 私、そろそろ夕飯の準備に戻りたいんですけども。材料、吹っ飛んでないのを祈ります。
 こういう時、私にチートな能力があれば「これ以上、私を怒らせないほうが良い」って闇を背負いながら掌を顔で覆ってみせて、危機を切り抜けるのに。
 妄想に反して魔力の欠片もない私は、意識を手放すしか手段はありません。と、夢へ希望を抱き始めると、誰かの手が腰に回ってきました。

「あら、アニムちゃんは、あたし嫌い?」

 ラスターさんが、髪をかきあげながら覗き込んできました。そんな悲しそうな目で見ないでください。っていうか、もう、ほんと勘弁してください。

「えっと、嫌いないです、けど」
「良かったーじゃあ、あたしのこと、好きなのよね?」
「もちろん、です」

 本心です。ラスターさんは、姉御肌だし色々教えて下さる方です。赤べこ顔負けにひたすら頷き返します。ですが、今はちょっと。
 思ったとおり、ラスターさんてば師匠を見て、唇の端を上げました。これ以上、ないという程に。
 かっと、師匠の目元が赤く染まりました。師匠、落ち着いて。血圧があがります。すっかりラスターさんのペースになってしまってますよう。

「わたし、お腹すいてきたのですよ」

 空気を無視したホーラさんの言葉が、癒やしだと感じてしまうあたり、もう本当に限界なのでしょう。是非とも、この不毛なやりとりに終止符を打って頂きたいです。
 ただ、ホーラさんは傍観を決め込んでしまわれたようで「つまみをつまむのです、ぷっぷー」と一人で笑いながら、台所へ吸い込まれていきました。
 とほーと、全身の力が抜けていきます。私は、幽体離脱でもちゃおうかな。今なら出来そうな気がします。

「ラス――」
「あっ! そうそう、重要な点を忘れていたわ!」

 そうです、そうです。皆さんがお好きな晩酌の時間ですよ。おつまみの用意をしないと、すきっ腹に飲む羽目になっちゃいます。お年寄りには厳しいと思います。でも体は若いんでしたっけ。やはり内蔵もぴちぴちなんでしょうか。
 こんにゃくよろしく、立つことを放棄してラスターさんに寄りかかっていた私に、細い指が伸びてきました。もう好きにしてください。

「上もレースが凝っているのよ。ほらっ――」

 って、やっぱり待ってください! 繊細そうな指が、私の鎖骨を滑っていきます。肌をなぞる指が冷たくて、身が縮まりました。
 ぎょっと目を見開いて胸元を守ろうとした瞬間。

「あっ」
「変な声、出してんじゃねぇ」

 ラスターさんが身をよじって座り込んでしまいました。両腕を掴んで、甘い吐息をこぼしていらっしゃいます。変な声とは、当然ラスターさんが発したモノですよ。髪が乱れてしまってますが、さらに色香を強めていてます。
 ラスターさんの体には、電気が蛇のように絡みついています。師匠のお得意魔法です。詠唱もなく、行き成り術を発動させるなんて、さすがです。
 安堵から後ろの壁に寄り掛かります。壁の冷たさが、心地よく染みてきました。

「それ以上、アニムに触るんじゃねぇ」

 ふっと、光が遮られました。師匠が、私とラスターさんの間に立ち塞がっていました。さり気無く横に伸ばされた腕に、胸が高鳴っていきます。耳の奥にまで届いてくるのは、鼓動。先程までとは別の意味で、喉が詰まっています。
 これって、守られてるんでしょうか。……なんだか、嬉しいです。自分の両頬に触れると、冷めた筈の熱が、戻ってきていました。
 肩を抱き寄せられるとか、腰に手が回されるとか。そんな明らかな態度でもスキンシップでもないけれど、私には充分です。

「私、子どもで、良いです……」

 師匠の背中を両手で握りしめると、自然と頬が緩んでいきました。
 一瞬、師匠がぴくりと反応しました。が、時を置かず、肩越しに苦笑が向けられました。幼い顔立ちと矛盾した落ち着いた微笑みに、呼吸が止まりそうになりました。
 布越しの温度が、逆に照れくさい。そう想いながら、私は師匠の背中に額を擦りつけました。溜息を落として、色んな感情を誤魔化したのは、内緒です。





 その後、罰として夕飯の準備を手伝わされたラスターさん。もちろん、師匠もホーラさんも一緒でした。おかげで、私は楽しかったです。とにかく、わいわいしていました。
 衝撃的だったのは、師匠の暴露でした。ラスターさん、実は男性にも女性にもなれるんですって。というか、昔は正真正銘の男性だったらしいですが、とある呪いで、そういう身体になったらしいです。ご本人は、体質を気に入っているらしく、悲愴感なく豪快に「ばらさないでよー」と笑っていました。私に秘密だったのは、ただ単に悪戯心からでした。

「だから、ウィータってば、やきもち妬いたのよ。あたしのこと、男だと思っているからねぇ。身体が女同士なんだから、スキンシップくらい、いいじゃないの。ねぇ、アニムちゃん」

とは、ラスターさんの言葉です。
 だから師匠、ラスターさんとの関係を指摘された時、微妙そうだったんですね、と心底ほっとしました。いえ、別にあれなんですけど。実際知っている方が、過去の恋人っていうのも、ちょっと複雑じゃないですか。
 ラスターさんには、曖昧な笑いを返しておきました。ナイスバディ過ぎて、男性だっていう実感がわかないんですもん。
 そんなカミングアウトよりも、さらに驚いたのは――。

「ふざけんな。二度とアニムに触るんじゃねぇぞ。っていうか、アニム、先に風呂入って着替えてこい」

 吐き捨てるように言い放たれた、師匠の言葉でした。これって、これって。本当に、男としてのやきもちだと思ってもいいのかな。
 だって、ただの師匠としての言葉だとしたら、弟子の下着事情にまで口を挟んでくるなんて、セクハラですよね? すんごいセクハラですよね。
 あっ、でも師匠ってば鈍そうだから、ただ単に触られたところを洗ってこいくらいの意識な可能性もあります。有り得ます。まぁ、対して肌部分は触られていませんが。
 色々考え込んでいて、愉快な顔になっていたのでしょう。師匠に頬を抓られてしまいました。痛い。でも、今は、料理のために手袋は外されています。素手です。
 直接触れた部分が、じんと、痺れていきました。悔しくて。師匠の両手を、思い切り掴んでやりました。




読んだよ


  




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