引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

3.引き篭り師弟と、心をかき乱す訪問者たち 【前編】

「お前らー! 魔法書には触るなっつってんだろ!」

 師匠の怒声が、家中に響きわたっています。二人で暮らすには随分と広い家なので、相当な声量です。二階の角部屋から、一階まで届くんですからね。
 窓の外に視線を映すと、雨雫がぽつりぽつりと降っています。小雨です。
 今、私は一人台所で、夕飯という名の晩酌準備をしています。香辛料や素材の味が、やっと元の世界のモノと結びついて、失敗がなくなってきました。地味に嬉しいです。それでも、レンジや電気コンロなど、便利家電がないので、もたついてはしまいます。

「ししょー、正直に、失敗って言う。けど、美味しいも、ちゃんと言ってくれる」

 この世界の言葉を、ちょっとでも早く使いこなしたいので、独り言も口に出すように心掛けています。
 師匠、私が料理に失敗した時は、ぶつぶつ言いながらも一緒に原因を考えてくれるんですよ。それに、辛抱強く待ってもくれます。美味しく作れた時にしてくれる、にかっと眩しい笑顔。何気に、その笑みを見るのが好きなんです。

「って、私、好きって。違う、普通の意味」

 そっそれはさておき、師匠の血管がブチギレないか心配ですよ。師匠ってば、怒りっぽいですから。
 ちなみに、叱られている『お前ら』とは、ラスターさんとホーラさん。お二人とも師匠の旧友、つまり不老長寿さんたちです。

「何言っているのよ、ウィータ。そもそもコレ、あたしやホーラが使ってた貴重な魔法書を、引き篭りのあんたに譲ってあげたんじゃないの」
「ラスターの言うとおりなのですー! それに、自称天才が読んでる本、気になるのですよー!」

 どたばたと足音を立てて、お二人が台所前までやって来ました。きのこを裂いていた手を止めて部屋の方へ顔を出すと、師匠が疲れた様子で階段を降りていました。
 前髪がかきあげられた師匠の額には、うっすらと汗が滲んでいました。あっ、血管が浮き上がっています。本当に大丈夫かな。

「アニムー! 助けて下さいなのですー!」

 師匠に声を掛けようとした所に、ホーラさんが後ろから突撃してきました。ホーラさんはとっても小さい女の子な体をされています。ですので、全然痛くはないです。
 振り向くと、私の腰上辺りに小さなおデコを擦りつけていました。可愛さにノックアウトです。つむじすら愛らしいなんて、卑怯な!
 ホーラさん、だぼっとしたポンチョ風の上着と、かぼちゃパンツが似合っています。ハロウィンの魔女っこみたいです。珊瑚色の髪をツインテールにしているのが、また愛らしい。

「師匠、大激怒です」
「なのです、なのです。アニムが鎮めてくださいなのですよー」

 それは、無理です。ゾンビみたいにフラフラ近づいてくる師匠を鎮めるなんて。迫力が有りすぎて、一歩足が後ろに下がりましたよ。

「アニムちゃん。心の狭い男って、嫌よねぇ」

 今度はラスターさんの肘が肩に乗ってきました。モデルのように背が高いラスターさんを見上げると、艶っぽく唇に指を当てていらっしゃいました。どきっとする仕草です。心臓に悪いです。
 ラスターさんは深紫色のイブニングドレス風がとても良くお似合いな、色気むんむん女性です。深紅色の髪を纏めて大人っぽいです。きわどい部分まで入ったスリットと、大きく開いた胸元は、同性の私でも照れてしまう大胆さ。

「うーと、ですね」

 私は何と答えていいものか戸惑ってしまいます。
 確かに、師匠は短気な所があります。けど、自分の失敗が原因とはいえ、魔法は使えない、この世界に関する知識も全くない、異世界人な私の面倒を見てくれているので、心は相当広いと思うんですよね。
 私が言い淀んでいると、背を伸ばした師匠から大きな溜息が落ちました。

「オレの問題じゃなくて、お前らが危なすぎるんだろうが。この前だって、禁書を勝手に発動させて、家をぶっ壊しやがったの、忘れたとは言わせねぇぞ」
「えー! 二十年も前の話なのですよー」
「二十年! 師匠、心狭いかも。前言撤回」

 予想を超える年数でした。ちょっとわざとらしく、大袈裟に両手で口を覆ってみせます。
 二百六十才からしてみたら、二十年なんて最近なのかも知れません。でも、私にとっては、自分が生まれた頃の話なんて、大分前です。
 師匠の顔が思い切り歪みました。眉間に皺が集まりすぎて、大変な様子になっています。

「アニム、前言撤回って。撤回する発言していないだろう。っていうか、お前ら、いい加減アニムから離れろ!」
「あらやだ。ウィータってば独占欲? というか、息が切れてるわよ。折角、体は若いままなんだから、ちゃんと普段から運動しなさいよ。まさか、腹筋衰えてないわよね。どう? アニムちゃん」

 あぁ、ラスターさん! 名前の呼び方が、いちいち色っぽいです! しかも、顔が数センチの距離って。頭をきつく抱えられているので、体を離すのも叶いません。
 香水でしょうか。意識がぽわんとするような、甘い香りが鼻腔をくすぐってきます。
 私、きっと顔が真っ赤ですね。頬で弾む胸を見ないように、ぎゅっと瞼を閉じます。

「えーっと! 私、師匠、体若いわかりません。見る機会、ないです。顔、童顔だけど!」

 顔だけ若くて、身体がお年寄りっていうのも怖いですけど。
 師匠、寝る時はラフな格好ですが、普段は手袋着用に詰め襟長袖な魔法衣なんですよね。鎖骨あたりや腕くらいまでなら見ますけど、さすがに腹筋はないです。

「そっか、まだ見てないのね。ウィータ、少年と青年の間の体って、とっても美しいのだから、もっと露出しなさいよ。首まで隠してるなんて、もったいないわ」
「鎖骨うまーなのです。男の程よい骨っぽさは、お色気武器なのですよぅ」

 ラスターさんの腕を軽く叩いていた手が止まってしまいました。自分が口にした言葉に混乱していたのもあるんですけど、それより何より、ラスターさんの発言で完全思考停止です。ホーラさんの趣味はさておき。
 固まったまま、ちょっとだけ瞼を開けてみます。師匠とラスターさんは睨み合ったまま、不敵な笑みを浮かべ合っていました。師匠なんて、腕を組んで、ふんぞり返っていますよ。
 悪の魔法使い対お色気美魔女みたいな感じです。

「うっせぇ、余計なお世話だ。ラスターは、その無駄についた胸の脂肪、絞りやがれ。むしろ、今、全部もいでやろうか」
「あら、ひどい。ウィータだって、昔は巨乳好きだったくせに。もぐなんて、久しぶりに触りたいだけじゃないの?」

 私が邪な色眼鏡で考えたんじゃありません。そうだ、ラスターさんの少しハスキーで身体の芯に響いてくるような、お色気な声のせいです! っていうか、この会話って……。
 師匠を見ると、仁王立ちのまま、つま先で床を鳴らしていました。その瞬間、自分が爆発音を立ててた錯覚に陥りました。全身の熱があがったのがわかりました。

「ちょっとちょっと、ウィータにラスター? アニムが動揺しちゃってるのです。今の会話は、だれが聞いても二人が男女でいやんな関係だったって思われても仕方がないのですよー?」

 いつの間に私の前に来ていたのか、ホーラさんが腰に手を当てて、師匠とラスターさんを見上げていました。尖った唇が、愛らしくて迫力はありません。けれど、びしっと二人を交互に指差した仕草には、どこか貫禄を感じます。

「あら、まぁ」

 上から、ラスターさんの陽気な声が聞こえてきました。
 師匠は口を歪めただけです。特に否定もしません。口癖も出ません。少し空気を吸い込んだように見えましたが、すぐ口は噤まれました。腕を組んで、気まずそうに視線を逸らされてしまいました。その微妙そうな表情は、なんでしょう。
 胸の奧がツキンと鳴りました。なんだろう、この痛み。じわりと、目の奥が熱くなっていきます。
 心に生まれたモヤモヤとは反対に、自分でも驚くほど軽い口調が飛び出ました。

「えっと! 師匠もラスターさんも、長生き。さもありなん、です!」
「アニムちゃん、言葉が可笑しいわよ。もう! 真っ赤で涙目になっちゃって、可愛い!」

 おぉう! 柔らかい感触に押しつぶされそうです。っていうか、ラスターさんも否定はしないんですね。本当に窒息しそう、苦しい。
 私、もしかして、師匠のこと……。ううん、違うよね。師匠がちゃんと話そうとしてくれないから、ショックを受けてるだけ。そりゃ、引き篭り魔法使い的には、一人お酒でもしっぽり飲みながら、過去の恋愛話を思い出して黄昏たいのかも知れませんけど。
 私、1年間、ずっと一緒にいた師匠を取られた気がして、やきもち妬いているだけなんです、よね。

「……ラスター、アニムが潰れるぞ。ったく、子どもの前で変な会話させんじゃねぇよ」
「人のせいにするのは、良くないのですよ」

 そうだ。師匠だって二百六十年も生きてるんだから。
 自分で言ったことを頭では理解していても、心がついてきてくれません。大体、私とはスキンシップすらろくにないのに、堂々と女性の胸をもぐ発言てどうなんだ。
 紳士イケメンなセンさんだって、頭を撫でてくれたり、手をとってくれたり、何かしらのスキンシップがあるのに。そう言えば、師匠と日常的場面での触れ合いって、ほとんどありません。特に気にしたことありませんでした。
 けれど、ここ数日、スキンシップ多めなホーラさんとラスターさんと接しているせいでしょうか。髪というか、肌同士の触れ合いってない――って! 違う! 肌同士って、そういう意味じゃ!

「私、子どもない。二十一才、大人の情事、くらい、わかるもん!」

 そりゃ、その行為までの経験はありませんけど! どうせ! 高校は女子校で男子との交際は禁止でしたし、大学に入ってようやく彼氏が出来そうかなっていうタイミングでトリップですから。
 思い切りふくれっ面です、私。
 睨んだ先にいる師匠は「じょっ!」と絶句しています。私を、どれだけ子どもだと思っていたんですか。って、違うか。こっちの世界の単語を知っているのに驚いているんでしょうね。

「それくらい、結構、知ってるもん」

 師匠の表情が、ゆっくりと変化していきます。目が据わっていって、怖いです。徐々に引かれていく顎。視線で殺される!
 えっと、私じゃなくて、肩を揺らして笑いを噛み殺しているラスターさんを睨んでるってので、OKですかね。
 そっぽを向くと、けらけらと軽い笑い声が落ちてきました。

「あぁ、もう可笑しい。あたしが貸してあげた本よ」
「お前か!」
「うるさいわねぇ。知っていれば、誰かに誘われた時、身も守れるでしょう。安心してよ。別に官能本ではないわ」

 ラスターさんが、片耳を塞いだのがわかりました。でも、未だに片腕は肩に回されたままです。
 いつも「うっせぇ」って言う側の師匠が、言われてるって新鮮です。
 というか、本当に官能本ではありませんよ、師匠。性教育的な本でした。思春期の女の子向けっぽいやつ。
 
「皆、私を、子ども扱いです。向こうの世界、経験済み、おかしくない歳。生活能力、ないは、ほんとですけど」
「アニムの気持ち、すごーくわかるのです。大人なのに子ども扱いってしょんぼりなのですよねー」
「ホーラの幼女っぷりは、あざといじゃないの」

 珍しく、ラスターさんが呆れたように呟きました。前に師匠から聞いたホーラさんの評価と同じです。
 しょんぼりとスカートを握ってきたホーラさん。アイコンタクトで気持ちが通じ合いました。外見が幼い女の子なホーラさんも、きっと子ども扱いされっぱなしなんでしょう。
 かくいう私も、ホーラさんを可愛いなんて思っているので同罪な気もしますね。でも、発言は一番落ち着いてると思います。

「ほぅ、それは初耳だな……」
「わたしはあざとくなんて無いのです! 失礼なのです」
「そっちじゃ、ねぇよ」

 っていうか、師匠が私を睨んでる! なぜに! 子どもって言った部分か、元の世界の話をした所なのか、生活力(可能性は低いけど)なのか。聞き返すのも憚られる空気です。
 腕を組んだまま、黒い魔法衣とお揃いの魔法圧を発しています。魔力のない私でも、痛いほど感じるプレッシャーです。あぁ、やめてください。私の勉強ノートがばさばさと捲れています。
 あまりの状況に、背中を冷たい汗が流れていきます。
 ラスターさんは余裕綽々に、ちろりと舌を舐めました。

「やだ、アニムちゃん。あたしは、ちゃーんと女性だと思ってるわよ」
「ラスターの言うとおりなのです。わたしたちはともかく、ウィータはわかってないのですよ」

 あぁ、ホーラさん。師匠の神経を逆撫でしないでください。私と師匠、性別が違うので多少の行き違いというか、感性の違いもありましょう。そもそも、性意識なんて、世情や時代によって変わってくるモノです、と思うのですよ。って、そんな話なのかな。





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