引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

28.引き篭り師弟と、重なり合う想い1

 しんしんと。降り続ける雪が、白い色づける息を見つめて、どれくらい経ったでしょうか。
 私はひとり、ベッドでごろごろしています。私たちが歳月を積み重ねた、大切な場所。師匠の部屋で。

「落ち着くのに、眠くない。寝るのが、もったいない」

 暖炉で弾ける薪。火の香りや肌に染みる寒さ、何もかもが懐かしく感じられます。たった七日間しか離れていなかったのになぁ。
 扉の向こうから聞こえる、小さな水音に耳を澄ませば、師匠の存在も感じることが出来る。

「あぁ。ほんとうに、帰って来たんだ」

 何度実感したことでしょう。いつもと変わらない空気と肌寒さに、何度だって笑みが零れます。はふっと出た息が白い綿毛に変わるのにさえ、胸が躍ってしまう。

「ししょー、はやく、でてこないかな」

 大樹の前、師匠に受け止めてもらってから戻ってきたのは、水晶の森にある家でした。私が過去に飛んでいる間に、精霊さんたちがなおしてくださったらしいです。
 ちなみに、訪問者さんたちは霧の森の家に移動していらっしゃいます。私たちもつい先ほどまでは一緒でした。あれよあれよと言う間に、お帰りなさいの宴会が始まって。色んな話をしました。今まで話せなかったことも、これからもことも。お昼過ぎから始まった宴は、雑魚寝によって一度中断しましたが、またお昼から第二段が始まってます。
 フィーネとフィーニスは、酔っ払って寝ちゃってますが。

「みなさん、気遣ってくださったんだから、頑張るんだもん」

 ぐっと拳を握り、はっとして自分の身だしなみチェック再開です。うん。前々から準備しておいたサーモンピンクの新しい下着は、ひかれない程度の可愛いレース。こういう時ってブラってつけてて良いのかわかりませんので、一応つけています。……いつも着けて寝てないのに、気合入れすぎって引かれないかな。
 夜着も肌触りの良いシルクっぽい材質だし、髪にもエルバの霧を吹きかけてあります。ほんのり香る程度です。お肌も、とっておきの化粧品とクリームで完璧です。
 よしと気合をいれ、ベッドの上に正座です。
 皆さんが私と師匠だけ追い出した建前は、師匠の疲れを取るためと、二人で積もる話もあるだろうという理由でした。師匠も後者で納得して、戻ってきたんです。
 けれど、本当は「この機会を逃すと、ウィータってば手を出すタイミング外すっぽいのです」というホーラさんの意見に、ルシオラとディーバさんが大きく頷いちゃったんですよね。というか、そういうことを皆さんに心配されるのって、めちゃくちゃ恥ずかしい。
 でも、早く……師匠とつながりたいんです。心だけじゃなくって、体の結びつきも欲しい。もう、かたい結びつきを得られたのだし、永遠とも呼べる時間をともにする約束もしたのだし。ゆっくり時間をかけてでも良いかなって考えると思ってたんです。
 そう思う一方で、言葉を重ねれば重ねるほど、師匠ともっと近づきたいなぁって。
 私、ものすごくはしたないのでしょうか。
 男性陣が寝ている間に調理場でルシオラとディーバさんに漏らしたら。「ウィータちゃんが聞いたら暴走しそうだから、その気持ちを言葉にするのはいざって時に、とっておいた方がいいわ」とはディーバさん。ルシオラには「それ素直に全部伝えて大変な目にあうのは、アニムだからね」と苦笑されてしまいました。

「私、女になる、ですよ!」
「なんのこっちゃ」
「ひぁ! ししょー、気配消さないで!」

 考えに没頭していたせいで、師匠が浴室から出てきてるのに気がつきませんでした!
 ベッドの上に仁王立ちになって腕を振り上げている私は、さぞかし滑稽でしょう。肯定するように、師匠は髪を拭きながら暖炉へ近づいていきます。タオルの合間に見えるのは、明らかな苦笑いです。
 これは完全に出鼻をくじかれてしまいました。予定では、扉を開けた腰を捻って艶っぽい笑みでお迎えするはずだったのに……。

「だいだい、なんでベッドの上で勇ましく立っているんだよ。ほら、こっちでちゃんと髪を乾かせ」

 ちょいちょいと。暖炉前のスツールに腰掛けた師匠が、手招きしてきます。
 うぅ。濡れた髪で暖炉の火に照らされてる師匠の方が、断然色っぽいなんて。ウィータが迫ってきた時だって、はんぱない艶を纏っていたっけ。……悔しいなぁ。
 とはいえ、師匠に呼ばれたのは嬉しい。室内シューズに足をつっこみ、素直にスツールの半分に腰掛けました。お風呂上りの師匠の体温と暖炉の火が、あったけぇです。
 それにしても、この沈黙は一体。雪が雨に変わっていく音さえもはっきり聞こえます。なんとなく、師匠を直視出来なくて、じっと火を眺めてしまいます。

「過去のこと、黙ってて悪かったな」
「へっ?」

 沈黙を破ったのは、師匠の掠れた声でした。予想外の言葉に、随分と間抜けな聞き返しをしてしまいました。
 あぁ、どんどん大人な空気から、かけ離れていく。
 そんな私の邪な落胆など気付かず。師匠はそっと掌を伸ばしてきました。久しぶりの感触に、遠慮なく擦り寄ります。お風呂上りの少し高めの温度が、心地よく流れ込んでくる。
 うっとりした私を見ている師匠の瞳は、思いの外真剣な色を浮かべています。

「俺のわがままに、随分と付き合わせた。俺が説明しないから、アニムを不安にさせたし、辛い思いもさせたよな」
「そっそれは仕方がないよ! ししょー、ちゃんと、過去では、説明してくれたじゃない。全部、私との未来のため、だったんでしょ? 私こそ、ししょーの、気持ちとか優しさ、最後の最後まで気がつけなくて、ひどいのいっぱい言った。ごめんです」
「アニム……」

 えぇい! もうこの際、ムードなどいいです。目の前でしょんぼりしている師匠のが大事。
 頬に添えられたままの手に、自分のものを重ねます。一瞬、師匠の体が跳ねました。微笑みを浮かべると、すぐに体の力を抜いてくれましたけど。

「確かに、ね。いっぱい、悩んだの。師匠は覚えてるか、わからないけど。ウィータと、初めて口づけした日、言ってたのは、それ。ししょーが欲しかったは……恋してきたのは、ウィータと出会った、『アニム』にじゃないかって」

 苦しかった。目の前にいるのは私なのに。師匠が意地悪も甘い言葉も、全部を向けられているのは私の奥にいる存在のモノなのかって。
 今ならね、嫉妬しちゃうのも当然だよねって笑える。師匠を信じているのはもちろん、嫉妬してしまうのは師匠が大好きでたまらないからだって。

「私、わかったの。ウィータがアニムと出会って、ウィータが私を見つけて、ししょーになって。ししょーと私が、お互いを好きになった」

 ぽつりぽつりと。浮かんでくる気持ち、今まで抱いていた想いを、そのまま言葉にしてみます。師匠から視線を外さず、じっと見つめます。拙くてちぐはぐだけど、ちゃんと届きますようにって。
 師匠は相変わらずの眠たそうな目に、私だけを映してくれています。
 ウィータよりも柔らかくて、どこか不安げ。けれど、あの夜、見せてくれたウィータの瞳と、一緒。二人とも、私の大切な、かけがえのない男性。

「あぁ」
「過去に行く前――かローラさんに、召喚術失敗の時、見せられて以来、ししょーは、私の向こうにいる、『アニムさん』をね、求めてるんじゃないかって、落ち込んでた。でも、ししょーは、目の前にいる私を、抱きしめてくれているから、信じようって。ルシオラはじめて来た日、階段でしたやり取り、覚えてる? 私、その時には、この世界に残ろうって、決めてたの」
「よーく覚えてる。お前が俺に襲ってくれてもいいのにって、爆弾だけ投げつけて逃亡したっけ」

 そっそんなこともありましたっけね。っていうか、真剣な表情が一変。ぐっと近づけられたのは、くっと意地悪にあがった唇に、挑戦的な瞳です。ついっと視線をずらすと、愉快そうな笑い声が耳を撫でましたよ。
 からかってる様子とは正反対、そっと触れるだけの口づけが落とされました。近距離にある顔が照れくさくて、拗ねてみせると。師匠は「それで?」と額をこすりつけてきました。おどけた口調から、静かな囁きに変わった声は、心臓に悪いです。

「なのにね、調合室で辞書を見つけて。わけがわからなくって」
「あの時、俺のせいだったのに、呑気に死にそうな顔してるなんて言ったよな。悪い」
「謝らないで? 私だって、ししょーの戸惑いも、苦しみも、全然見えてなかったんだもの。そもそも、残るって考えが、ずれてた」

 そう、ずれてた。残りたいんじゃなくても、師匠の傍にいたかったのに。ふふっと笑いが零れます。
 離れた師匠は、自重気味に頭を振りました。
 私は師匠に傷ついて欲しい訳じゃないんです。私たち、どっこいどっこいって奴ですね。
 頬から外された手と、頭を押さえていた手。両手をとって、ぎゅっと握ります。お風呂上りのぬくもりは、冷めかかっていますが、とくんとくんと、変わらずの心地さで流れてきてくれます。

「……ずっと、触れたかった。ししょーに、触れられる」
「あぁ。オレもずっとお前に触れたかった。本当の意味で」
「あのね、ししょーが最初、手袋してたは、どうして?」

 ずっと疑問に思っていました。ある頃から師匠、家の中では手袋を外して素手で触れてくれるようになったんですよね。気温が変わるなら季節の装いだと思えます。
 水晶の森は、いつも肌寒い。
 今は検討がついていますが、ちゃんと師匠の口から聞きたいです。

「ん。アニムがオレのとこに来たばかりのころは、怖かったんだ。触ってぬくもりがなかったらどうしよう。オレの願望が見せる幻なんじゃないかって。馬鹿だよな。目の前のアニムは、これ以上ないってくらいに感情があって、確かに生きているのなんてわかってたのに」
「わかるよ。私もね、過去でししょーの夢見たあと、ウィータに触れるの、怖かった。消えちゃうんじゃ、ないかって」
「覚えてる。捉えどころのない感情に戸惑うのと同時、やけに悲しかった。アニムの師匠じゃない、自分が。あのアニムは、オレのじゃなかったから」

 まるで、私は自分のアニムだって伝えてくるように。ぎゅっと手を握られます。
 師匠の両手に乗せた掌が、燃えるように熱い。胸の奥には、もっともっと焦がされてる。

「つか、オレが色々必死で我慢してたのに、アニムは無邪気にオレを受け入れちまうからさ。からかい交じりに『オレの』って言葉にしておけば、ちったーオレの独占欲に気付くだろうし、オレ自身も伝えたっていう事実だけで満足出来ると思ったのに。アニムは、すんげぇ可愛い告白してくるもんだから、押し込めておくつもりだったもん、全部表に出るようになっちまったんだぜ?」

 可愛くはなかったような! 泣きじゃくりながら、一方的に大好きって言いまくってただけだった覚えがありますよ!?
 というか、あの時の師匠ってば、そんな想いを抱いて『オレのアニム』って甘い声で囁いてくれていたんですね。
 どどどうしよう。心臓が爆発しそう。師匠が師匠じゃないみたいだけど、やっぱり師匠で。混乱してきました。

「じゃっじゃあ、きたばかりの、ころは?」
「昔の思い出じゃなくって、お前に惚れてるって自覚した途端、今度は、まぁなんだ、自制心のためか」

 そうだったんですか?! 全然気付いてなかった。私をちょっとでも女って見てくれるようになったから外したと思っていたのに。嬉しい。
 ぎゅっと師匠の手を握ると、肌同士か擦れあいます。師匠はなんともいえない様子で口の端を落としましたけど、気にしない。
 過去にいる間や魔法映像を介しての師匠には、触れなくって。当たり前のようにくっついていたのが、本当に嬉しいことなんだって本気で痛感したのは。もしかしたら、あれば始めてだったんじゃないでしょうか。
 へにゃんと間抜けな笑顔を向けてようやく、師匠も微笑んでくれました。

「話戻すけど。ししょーは、とっても素敵な告白くれて。話さなきゃいけないことあるって、言われても、ちゃんと全部受け止めようって、覚悟したの。結局、それも、自己満足な範囲だったのは、過去にいって、目の当たりにしちゃった、わけだけど」

 たははと、情けない笑いが落ちました。私ってほんと揺れやすいですよね。決めたって思ったことにも、簡単に動揺したり迷ったりしちゃって。
 私の若干自虐心理を察したのか。スツールを跨いだ師匠に、ぎゅっと頭を抱えられました。大丈夫ですよ、師匠。ちゃんと師匠の目を見ながら、伝えたいんです。
 外はすっかり雨になってしまっているようです。窓ガラスを打ち鳴らす音は、激しいものになっています。

「でね。過去に飛んじゃって、当然、ししょーに戻って来い、言われる思ってたのに、考えろって、いわれて。正直なところ、ししょーは、私のこと、そんなに好きじゃないのかな、とか、帰っちゃっても、仕方がない、思ってるのかなって、思ったりもした。真名だってさ、あんなタイミングは、卑怯だよ」
「その節は、ほんとーに、申し訳ございませんでした。決して、そのような意図はなく、ですね」
「もー、だから、謝んないでってば! ちゃんと伝えてくれたから、もうわかってるって」

 師匠にがっかつ頭をさげられ、呆れの声しか出ません。
 それでも師匠は顔をあげません。ぐりぐりとつむじをいじってやりましよ。可愛いつむじさん。
 さすがに私の手首をとった師匠ですが、なおも納得はしていないようです。

「俺はお前がいない世界なんて考えられなくて。だけど、何もかも捨てて転生してまでアニムと添い遂げたいなんて企み、お前が知ったら、絶対責任を感じるのはわかってた。なのに。勝手な決意を変える気なんざ、さらさらなかったのに。始祖がこの世界に留める許しを出すか否かなんて関係なく、ただお前の許しが欲しくて。世界に帰るとか残るとかじゃなく『傍にいたい』って言って欲しくて、ずるばっかりした」
「うん、ししょーは、ずるい。だって、人に判断委ねておいて。近くにいないのに、支えてくれて。あまつさえ、過去の自分――ウィータにも、惚れさせて。私の中にある、好きっていう想い、全部自分に向けさせてさ。搾り取って、なのにまた沸かせて。ほんと、ずるい」
「……待ってください。アニムさんのが、間違いなく、ずるいです」

 理不尽! 師匠は今夜も理不尽全開ですね! 一体全体、私のどこにずるい成分があるのか!
 可愛くない拗ねは、耳まで染まっている師匠を前に、すっと引っ込んでしまいました。私の両肩に手を置いて、項垂れる師匠。愛しくて、愛しくて。赤い耳に、ちゅっと口づけてみます。静かな部屋に、思いの外響いた音。自分からしておきながら、頬の熱があがっていきます。

「そっくりそのまま、返す」

 師匠が一緒でいてくれるなら、物凄く幸せ。どうしよう。泣きそう。
 あぁ、でも。ものすっごく鋭い視線で睨まれているので、逆に青ざめていっているかもです。でも、でも! 師匠も赤いので、迫力半減していると思えば、まだ平気ですよね。うん。



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