27.引き篭り師弟と、辿り着く処5
浮いていた踵《かかと》が、床を鳴らします。いえ、床ほど確かな安定感じゃありません。
メトゥスに襲撃された直後、師匠と行った宇宙さながらの地下みたい。
相違は、魔法陣が広がっておらず本当の宇宙と錯覚する点でしょうか。
「星……なくて、魔法粒子?」
ふわりと漂っているのは、星そのものに見える魔法の粒たち。生まれては消え、消失しては誕生を繰り返しています。色だって、本物の星さながらに異なっている。
それよりも。
「地球、なのかな。でも、大陸とか島は、見当たらない」
眼前に浮いている蒼い球体に、吸い寄せられていきます。踏み出す度、何もないはずの足元からは、ぽちゃんと優しい水音が奏でられます。
私三人分以上の高さと幅ですよ。圧倒的な存在感だけれど、畏怖だけを放っている訳じゃありません。澄んでいるようにも、深いようにも見える青さは、地球というより師匠の瞳に近いかも。
球体の周りから空間に伸びているのは、半透明の植物の蔦《つた》。
「触っても、いい?」
師匠が隣にいたら、怒られちゃいますね。得たいのしれない存在に近づくな、触れるなって。
始祖さんが見せている光景なら、触れた直後には故郷にいるなんて可能性も、考えられます。
ううん。師匠が必ず腕の中に引き戻してくれるって約束してくれました。不安はありません。私にとっては、師匠が手を差し伸べてくれたのが一番の心強さですもの。
「ゼリーみたいな、濃厚な水みたいな。南の森、花びらの滝の水と、そっくりな香り」
どこか甘くて、もったりと指に吸い付いてくる。
指先が触れた箇所から、ハープさながらの音色が鳴ります。あっという間に、玉全体に波紋が広がっていきました。
呼応するごとく、一斉に煌き始めた星々。師匠の元に魔力が集まってくる時、魔法粒子が喜んでいるのとお揃いです。
「わっ!」
眩い光が弾けました。
めっ目が、目が!! カローラさんの仕業ですかね、これ! あれ? 痛くは、ないかな。むしろ、フィーネとフィーニスがぺろぺろっとしてくれるくすぐったさだ。
ふいに、ふわりと花の香りが漂ってきて。ゆっくり瞼をあげた私を待っていたのは、魔法陣が踊り、桜の花たちが風に流れている姿でした。
「わぁ。きれ……い」
感嘆の溜め息が落ちる反面、どこか胸がしめつけられる切なさが沸いてくる。
瞳が潤んだ私を慰めてくれたのか。花びらたちが近づいてきて、くるくると私の周りで踊ってくれました。
フィーニスやフィーネがいたら、一緒にお尻ふりふりダンスしちゃいそうですね。
「もしかして、カローラさんの、お仲間たちです?」
肯定するように。花びらたちは私の体を一周して、また四方へ散って行きました。
師匠にも、見せてあげたいなぁ。
って、そうだ! 綺麗だって感動している余裕は皆無な状況です! リュックも消えてる!
「ここ、どこです! フィーネ、フィーニス! ししょー!」
――ここは、私の中。愛くるしい子たちは、先にあの子の元へ戻っているわ――
「カローラさん、です!?」
私のひっくり返った声に、小さな笑いが零れました。花びらたちも、身を擦りあって、くすくすしているのがわかります。
カローラさんと同質だけれど。応えてくれた音は、あったかくてふんわりしている。お母さんに、似ています。
「もしかして、始祖、さんです?」
――えぇ。あの子の目を盗んでお話するのは、二度目かしら――
始祖さん、想像していた方とは、少し違いました。悪戯めいた口調に、ちょっと拍子抜け。
でも、好きだなぁって、素直に思える素敵な驚きです。
「はい。私、ししょーに、名前、もらった、アニムです。始祖さん、こんにちはです。私、熱出して、寝込んでる時、最初、声かけてくださっての、始祖さんですよね?」
――えぇ。貴女が、あの子へありったけの想いを言霊にしたのに魅かれて、欠片を飛ばしたの――
いっいつのことだろう。慌てて記憶を辿ります。
私、いつも師匠に好き大好きって伝え捲くりですので。それでも、始祖さんにも届くくらいって、そんな回数は多くないはず。
恥ずかしくて頬が熱いのか、申し訳なくて冷や汗が出ているのか不明ですよ。
――あの子には、即座に干渉を気付かれてしまったの。不機嫌顔で注意に来たのよ? あの頃の貴女の存在値や身体には、私が夢うつつで欠片とはいえ、悪影響が出かねないって。私が寝ているのを理解していながら、延々と怒っているあの子、とても新鮮だったから良く覚えているわ――
師匠が、わざわざ私のために。
幸せすぎて、へにゃんてなっちゃいます。だっだめだ! まだ試練中かもしれないのに、無防備に幸せに浸っちゃ!
口を引き締めて、両手で頬をぐいぐい押し上げても、うまくいくはずがありません。
「私、始祖さんの声、初めて聞いたの、アラケルさん事件の後。熱で、寝込んでたの、でしたね」
誤魔化し気味に落とした、独り言。その呟きが鍵になり、思い出してきました。
カローラさんに召還の裏側を教えてもらう前、花びらが一枚舞い込んできたんだっけ。その直後、師匠が出かけてくるって出掛けたから、私は大人しく寝ていたんだ。
また、にやけてしまう。
だってね。当時の私は、ちょっと寂しく感じていました。傍を離れたはずの師匠の用事が、私を思ってくれたが故の行動だったなんて……。
「始祖さん、私の気持ち、聞いてください」
――欠片を通じて、アニムの言霊も想いも届いたわ――
始祖さんの声色が、ワントーン下がりました。つられて、全身から血の気が引いていきます。
怖い。さっきまでの柔らかさから一変、走る緊張感。
半分になったネックレスを、握り締めます。私の魂をこの世界に固定する道具。大きさは欠けたけど、込められた希望は増してる。
始祖さんの声がしてくる方向をぐっと見上げます。
「はい。もう一回――直接、始祖さんに、伝えたいです」
沈黙が流れます。
次第に震えてきた指を、真っ白になるくらいにして気合を入れましょう。始祖さんはもう心を決めていらっしゃるかも。だけれど、始祖さんに、師匠に。届くよう何度だって誠心誠意言霊にしたい。
私の心と裏腹に、きらきらした景色がほのぐらさを纏い始めてしまいました。
「始祖さん!」
最初にいた空間よりも、閉じた世界。洞窟の中に近い空気です。水滴や私の声が反響しています。
ゆっくりと姿を現したのは、あの蒼い球体でした。
「始祖さん! 私、ししょーが、大好きです。もう、ししょーへの想い、自体が、私の存在の、一部なんです! ししょー生まれ育った、この世界、もっともっと知って、いきたいです! 難しい、いっぱいは、想像できるし、予想もしない試練、これからあるかもです。でも、ししょー、フィーネとフィーニスがいてくれる。私、たくさん努力する、です!」
美しい蒼を纏っていた球体が、透明になっていく。反して、深まっていくのは闇。激しさを増した水は、大雨みたいに体を打つ。
大丈夫。闇は怖くない。雨も、私を認めてくれる存在ですもの。ううん。私そのもの。
「万が一、故郷戻っても、絶対、またししょーの傍、帰れるよう、必死になるです! 故郷も、胸の中あるは事実。だからこそ、ししょーと、恋に落ちた、私がいるです。どっちか片方しか、選ばないは、違う思うのです! 生きていくは、まるごとの私、受け止めてくれる、ししょーの隣!」
――白藤雨乃であり、アニム・ス・リガートゥルである貴女に問うわ――
相変わらずかたい音が、耳を痛めます。
声調なんて関係ない。
話しかけてくださったのが嬉しくて、何度も頷きました。
髪が乱れすぎていたせいか、始祖さんが一瞬だけ愉快そうな吐息を零した、気がしました。
――異世界、ましてや始祖の宝と称されるウィータの傍で生きる道を選べば、当然、二度と故郷に帰ることは許されない。故郷へ干渉するのも勿論、今後一切、情報を得るのさえかなわなくなる。ただ嫁ぐのとは訳が違う。未知の世界で生き、故郷を捨てる覚悟が、貴女にある?――
始祖さんの語調は、警告めいたものではありませんでした。
ゆっくりと、子どもに言い聞かせる母親そのものです。
「捨てるは、違うです。捨てるないけど、さよならも本当。人生で、なくしたくないもの、選択するは、きっと、そういうこと。他のだれでもなく、ずっと、ししょーが、教えてくれてました。今なら、わかるです。だから、覚悟は、捨てるへなくて、進む未来に対して!」
私本人よりも、ずっとずっと私を育んできてくれたモノを大切に思って、悩んでくれていた師匠。私なんて及ばない思慮深さ。かといって、遠いんじゃない。手を繋いで、隣にいてくれる師匠が大好き。
凜としていたいのに、涙腺が緩んでいきます。
――なにより。未来永劫、始祖の呪縛を受ける。死ねない体、囚われる魂。それは朽ちた肉体を捨て、魂の再生を向かえても。注がれるのは、畏怖と奇異の目。今ならまだ、故郷へ送還可能よ。それでも、アニムはウィータが伸ばす手をとるというの?――
「むしろ、私が、ししょーに、飛びついて、離さないですよ!」
間髪入れずの返事に、しんと静まり返ってしまいました。
あまりの大声と振り上げた拳に、どん引きされてしまいましたかね!
「しっ始祖さーん」
おーいと呼びかけて数秒後。空気が振動していきます。
じわじわと音量を増す忍び笑いに、今更ながら自分のがむしゃらっぷりを自覚ですよ。
――……ふっ、ふふ――
「あっ、あの。つまり、なにが、言いたいか、いうと。その、私、ししょーだけと、恋していきたい、いうか、ずっと、ケンカしたり、笑ったり、何気ない、日常を、生きたいいうか」
言葉遊びじゃないんだから、私!
思わず頭を抱えて「冗談いってる、ないですよ?!」と叫んじゃいました。おぉぉ。私ってば、こんな真剣なやり取りでだって決まらない。
――ありがとう。飾った言葉ではなく。日常を決意してくれたアニムの強さが嬉しくて……羨ましくもあるわ――
「へっ?」
予想しなかったお礼に、瞬きを繰り返してしまいます。それに、羨ましいとは。
間抜け面で立ち尽くしている私の前、青球体が完全に透明になりました。
気泡をあげている水の中の存在に、驚くと同時、あまりの美しさに見とれてしまいます。
球体の中に浮いているのは、一人の女性。膝を抱え、静かに瞼を閉じています。長い髪が扇のように広がって、羽みたい。淡い光を流している髪は、金にも銀にも映る。
「ずっと、ここに、一人で?」
状況から考えて、目の前の女性は始祖さんなのでしょう。違ったとしても、関係ありません。
だって、近づいた先、彼女のまなじりには涙がたまっていたから。だれとかじゃない。たまっている雫が、苦しいの。
球体に当てた掌から流れ込んできた感情に、泣きたくなりました。
――貴女が心を痛める必要はないわ。ただ、アニムに見て欲しかったの。このような機会はもうないでしょうから。私と似た境遇に陥りながらも、強く願ってくれた貴女。人からかけ離れた存在で産み落としてしまったあの子を、心から愛してくれている貴女には『私』を知って欲しくて――
「始祖さんも、一緒暮らすは、無理です?」
――人の姿は、もう遥か昔に消失しているの。そこに映っているのは、人でありえなくなった私の夢が作り出す、ただの未練の塊。始祖が聞いて呆れるわね。見っとも無い――
苦笑してる声。
髪を振り乱して、球体にしがみつきます。
始祖さんがどんな経緯があって、始祖となったのかも、師匠の事情も全然知らない。
けれど――。
「未練ある、見っとも無い、なんて、思わないですよ。その姿、ずっとずっと、大切に抱いてるは、始祖さんにとって、その姿に、大事な思い出、詰まってるからでしょ? 私にとっての、雨乃いう、名前と一緒、思うのです」
ごめんなさい。私の心を貴女に重ねるのは違うとはわかっているのです。
でもね。私、始祖さんの呟きが、自分の想いと重なったんです。
私はアニムとして生きるって決めました。それでいても、私っていう存在を作ってくれた真名は捨てられないの。形は違うけど、葛藤しつつも願ってしまうのは一緒。
――私のために、泣いてくれるの? あの子と貴女を引き裂こうとした、私のために――
「始祖さん、意地悪からの、行動違うは、もう、知ってるです。優しさだって。私とっても、必要な迷い、でした!」
こみ上げて来る想いが、自分勝手なのは重々承知しています。
それでいいのかなと顔をあげられたのは、始祖さんの「やはり、貴女は強い」という囁きが、どこか嬉しそうに聞こえたから。
私、始祖さんとお話出来て、本当に良かった。
――生物《ヒト》ならざる存在になって初めて、想う強さを知るなんてね――
何を持ってヒトでないと表現するのか、私は定義する深い知識を持たなければ、始祖さんを知ってもいない。
だから、胸に生まれた気持ちをありのまま伝えましょう。
「始祖さん。大切な姿、会わせてくれて、ありがとうです。それに……ししょーを、生んでくれて、ありがとうです」
始祖さんの言葉選びから、後悔がわずかに伺えたから。余計に伝えたいって思ったんです。純粋に、お礼を口にしたかったのもあるけれど。
言葉って不思議です。音にしたら、自然と微笑みも浮かんできました。師匠にも早く、また大好きって伝えて、届けまくりたい。
――近いうちに、洗礼の儀を……。アニムとウィータの未来に、めいっぱいの祝福を送るわ――
「始祖さん、待って!」
私、始祖さんの気持ちをもっと聞きたいです!
今は、師匠を通してじゃなくて。始祖さん個人の人生や抱えてきた想いに触れたい。
私の願いは通じることなく、視界がぼやけていきます。ならばと、始祖さんの真名を――!
「アゥマさん!!」
――まだ、その名を臆せず口にしてくれる子がいるなんてね……。大丈夫。またお話しましょう? ウィータについて、アニムについて。そして――
始祖さんの雰囲気は、すっかり威厳を取り戻していました。凛然としている。かと言って、それだけじゃない。
伸ばした自分の手が消えていきます。
手の甲に触れてきたのは、とても懐かしい花に似ていました。
『八重桜』
ほとり、ほとりと。舞い落ちてくる可愛い桜たちが、瞳を埋め尽くしていく。
お母さんに教えて貰ったの、よく覚えてる。野生のヤマザクラに対して、人里で咲くのが由来で、里桜とも呼ばれているって。
私の想いが形になった幻、だったのでしょうか。
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