引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

27.引き篭り師弟と、辿り着く処4


「久方ぶりに再会した想い人の目の前で、他の男に触れまくるとはな」

 背後から、拗ねている声が投げられました。
 師匠ってば、ウィータとの別れを名残惜しむ隙も与えてくれないんだから。
 子どもっぽい声色に、小さな笑いが零れてしまったのは、可笑しいのでしょうか。

「おい、こらアニム。とっとと、オレの方を向けよ」

 肩に熱が触れてきました。重さはないけれど、師匠の体勢が思い浮かぶ。私の肩に、顎を乗せているんだなって。ついでに、じと目でひよこ口になっているでしょうね。
 くすぐったさの連鎖で、楽しげな声が飛び出てしまいました。
 すっと離れていった熱。
 振り返った先に待ち構えていたのは、腕を組んで瞼を落としている師匠でした。

「もう。自分でしょー。だったら、ししょーだって、過去に私《アニム》と、浮気した、なるよ?」
「ぐっ。あっあれは、お前に出会う前っつーかさ。てか、お前はオレのアニムだからだ」

 面白い調子で喉を詰まらせた師匠。ふふっ。そうそう。これこそ、師匠なのです。ウィータよりも子どもっぽくって、感情をストレートに披露してくれる。
 始祖さんがどれだけ師匠を大切に想っていようと負けません!
 ううん、違うかな。私、始祖さんと師匠の話をいっぱいしたい。お互いの大切な人について。師匠をいっぱい教えて欲しいし、私が見てきた師匠もドヤ顔で語りたいのです。

――アニム、時間が限られているから。貴女が出した結論を、私に聞かせてくれるかしら――

 カローラさんの淡々とした言葉に、ずくんずくんと全身が痛みます。
 私の揺らぎを感じたのか。師匠のお手伝いをしていたフィーネとフィーニスが、肩に乗ってくれました。肩にぺたっと張り付いてくれた体温に、勇気を貰います。
 そうだ。ここまできたら、私の中にある想いを全部伝えるだけ。

「はい。ししょー、カローラさん。聞いてください」

 すぅっと深呼吸を繰り返し――師匠とカローラさんを、しっかりと映します。強張っていた筋肉は、柔らかい肉球のおかげで解れていきます。
 まだ心臓は暴れている。耳鳴りもする。でも、これで良いと思うのです。背伸びしていない、私だから。

「私、過去に、来たばかりのころ。ししょーの傍にいる、資格ないって、突きつけられたみたい、でした。正直ね、訳がわからなくて、ししょーが好きって、気持ちだけじゃ、いけないのって、混乱してたです」

 おそらく。師匠の後方には、私たちを見守ってきてくださった皆さんがいらっしゃる。苦しげな囁きが、響いた気がしました。ルシオラのたくましい応援も。
 師匠は、ただただ、静かな眼差しを向けてくれています。

「色々、考えたです。故郷のこと、両親のこと。もちろん、雪夜と華菜のことも。それまでも、ちゃんと、向き合っていた……つもりだったのも、痛感したです」

 フィーニスとフィーネが、すりっと首筋に擦り寄ってきました。ふにっと柔らかい頬に、甘い香り。赤ちゃんの匂いに混じる、いっぱい遊んできた汗さえ愛しい。
 過去で二人の願いと心に触れて、二人をもっともっと大好きになれました。

「それにね。この世界に残りたい、願うようになってから、ずっと、私が、異世界の人間なのを、気に病んでた。最初はね、私が異世界残るは、元の世界を捨てるになる、ないかって。家族を捨てる、なるんじゃって」

 カローラさんが、眩く発光します。
 警告かなと思いきや。最後まで聞いてくれるみたいです。すぅっときらめきが引いたから。

「私、全部、うわべだけで、判断しようと、してた」

 つんと鼻の奥が痛んだのは、後悔や自分を恨めしく思っているからじゃない。
 決めてはいます。覚悟もある。
 なのに、こみ上げてくる故郷への想いが止まらないんです。
 故郷を捨てるんじゃない。思い出も消すわけじゃない。私っていう存在に、故郷や愛してくれてた人たちとの時間が、刻まれている。
 けれど、お別れには変わらないから。

「だから、過去に来て、ししょーが、アニムって呼んでくれないのも、引きとめる直接的な言葉、くれないのも、ししょーが、ぎりぎりまで、好きって言葉にしてくれなかったのも――抱いてくれないのも、全部、私を、元の世界帰す要素、残すためって、思ったの」

 頬を涙が転がってしまいます。見っとも無く、鼻声になってる自覚もある。
 ぎゅっと下唇を噛んで笑う私に、師匠が眉をしかめました。あれは、心配しているしかめ方だ。
 大丈夫だよ。

「けどね、わかったの。私、ししょーとウィータを、好きになって、ししょーの想いに、触れられた」
「なのぞ! あにみゅは、ありゅじのこちょ、ぜーんぶでいっちばん大好きじゃからな!」
「あいあい! ふぃーねたち、言霊聞かなくてもおむねに感じましゅの。あにむちゃ、あるじちゃまのあっちゃかい心とお揃いにゃの」

 元気な援護に、くしゃりと表情が崩れます。
 私は一人じゃない。一人じゃないからこそ、両手に包めた大切な気持ち。

「壁を作ってたは、だれでもない、私でした。フィーニスとフィーネが、抱えていた、悩みや願いに、触れられて、すごく泣けちゃった。私、ずっと、狭い世界しか、見てなかったって」

 センさんやディーバさんがくれたヒント。世界を見てっていうのは、国とか世界の理だけじゃなかった。
 ディーバさんは教えてくれました。世界は残酷で、美しい。綺麗で、残酷だって。それは、人の気持ちそのもの。真理。でもね。そうならないと、本当に手放したくないものは守れないっていう意味が隠れてたんだ。

「私ね。カローラさんに、召還直前の日常、見せてもらって、愕然としたです。私の世界、魔法ありませんでした。でも、お母さんは、家族を想う気持ち、魔法に重ねてた。前は、疑問なんて、なかったのに、それ耳にした私は、即座に、故郷に魔法なんてない、否定してたです」

 泣いちゃだめだ。そう笑おうとするほど、いびつになってしまいます。
 目元を滑った師匠の指。それが余計に涙腺を緩める。
 何度も往復する感触に、ぶんぶんと頭を振ります。だって、悲しいから涙がこみ上げてくるんじゃない。

「私、自分が、変わってしまったって、怖くなった。カローラさんが、暮らしてるこっちの価値観になるは、当たり前、言ってくれても、悲しかったです。自分を育んでくれた、大事なもの、捨てたみたいで」

 師匠の瞳が揺らぎました。苦しげに強張った頬を、両手で包み込みます。
 ほんのりとだけ伝わってくる熱でも、全身を燃え上がらせる。
 私の体温が直に流れ込まなくてよかったです。熱すぎるし、汗かいているしですもの。

「でもね、違ったの。フィーニスとフィーネがね、南の森で、私、魔法使える、思い出させてくれた。そしたらね、ししょーも、ずっとずっと、私っていう存在、純粋に、受け入れてくれてたのに、気がつけたの」
――私は、表現を誤っていたのかしら……――
「カローラさん、おっしゃるのも、本当、思うです。魔法に限ったのないです。いろんな見方あるから、自分の瞳通してみる、世界が愛しく感じられたり、出会いに感謝できたりですよ。私、カローラさんも、好きですもん。カローラさんの、考えも、知りたい」

 カローラさんの立場を考えたら、当然の言葉でした。異世界だからじゃありません。私の故郷でだって、育ってきた環境や立場によって、物事の見方は変わってきます。
 ここは、異世界じゃないけれど、異世界。異世界だけど、異世界じゃない。
 うまく表せないのがもどかしいくらい、愛しいが溢れてくる。

「魔法使えない、劣等感持ってたは、最初っから、私だけだった。他のだれでもなく、私自身だけが、前の私を、拒否してた。ししょーもね、フィーネもフィーニスも、それにウーヌスさんも。私って存在、まるごと、受け入れてくれていたのに」

 私が異世界人という事実は、これからも消えません。師匠の傍にあることを選んだ私。これまで以上に、現実が突きつけられるのは、想像に難くありません。
 でもね。絶対的なハッピーエンドがないように、万人に受け入れられるのだってないに等しい。それは、どこでも一緒。
 なら、私は自分のかけがえのない人たちを想って、信じて、生きていきたい。

「私、自分の気持ちでしか、人を見ていなかったんです。自分から見た、人の感情しか。相手にも、いろんな想いある、のを」

 フィーネとフィーニスが、雪夜と華菜を宝物だと自分の中に持っていてくれていたのも。雪夜と華菜が姿を変えても、生まれた故郷に戻らず、私の傍にと選択してくれたのも。自分の中に湧き上がってきた罪悪感でしか、受け止めなかった。だから、フィーニスがこれから二人をどう呼びたいのか尋ねてくれるまで、気がつけなかった。
 それまでの私は、結局自分がどう思うか。どう捉えているかでしか、選択していなかったんだって理解できました。
 大切に想うのと、自分というフィルターを通して全部都合が良くなる道を希望するのは、異なる。

「ししょーも、みなさんも、ずっとずっと、私っていう、存在をまっすぐ、見てくれていた。だからこそ、異世界人である、私、結界外でないよう、気遣ってくださってた。それは、異質って意味なくて、私を見てくれてたから」

 後ろの皆さんに届くように。力強く、お腹に力を入れます。
 遠くに投げた視線を、師匠に戻しました。

「私ね、ししょーは、私と別れる可能性、考えて……離れやすいよう、最後の一歩、距離置いてた、思って、悲しかった。だから、七日前に、帰して言いかけた」

 珍しく、アイスブルーの瞳が潤んでいるように、見えました。師匠は、告白をくれた際の必死さに似た雰囲気を纏っている。
 じっと。師匠だけを見上げます。

「そうじゃなかった。ししょーは、ずっと、私との未来、繋ぎ続けるため、私を、愛してくれていたんだね。手を繋いでいて、くれたんだね。思い返せば、あれもこれもって、思い当たるのに。気がつくのが、遅れて、ごめんですよ」

 ウィータにだって聞いてもらったから、師匠だって覚えているかもしれないのに。師匠の口がきゅっと結ばれました。
 ずっと不安だったのは、師匠も同じだったんだ。ううん。未来を知っていて、なおかつ結末を知りえなかった師匠《ウィータ》は、私よりもずっとずっと怖かったのかもしれません。

「大切してくれて、ありがとう。私を、形作る、すべてを」

 掌で覆われた、泣き出す寸前の瞳。師匠の瞳は、どんな感情を映し出していても好きだから、ちょっとだけ残念です。
 フィーネとフィーニスを手に乗せ、微笑みかけると。以心伝心な二人は「なうー!」と片手をあげ、師匠に飛びついていきました。ぺろぺろ動く、かわいい舌。

「私、過去に、来られて、本当に、よかったです」

 過去に来られたから、失わずにいられたものがたくさんある。
 確かに。師匠の傍で生きていくって選択したからこそ、失うものは多いとも承知しているのです。でも、ただ失うだけじゃないのは、もう知っている。
 師匠の隣で静かに浮いていたカローラさんを見つめる視線が、自然と真剣なものになっていきます。

「カローラさん。故郷はね、これからも、私の中にあるです。故郷があるから、ししょーと出会えた、私がいるです」

 私、過去に来るまでは故郷なんて言わず、元の世界って表現し続けていました。師匠や訪問者の皆さんの言霊を気になど止めず。
 隔てていたのは、私。
 ごめんなさい。師匠が言霊を大切にしているのを、ずっと隣で見てきたのに。

「私、大好きな、師匠の隣で、一緒に、生きていきたいの」

 神経質になる必要はないと思うのです。逆に、師匠は「変な気を使うな」って鼻を摘んでくる。
 大切なのは心持ち。

「帰るとか、残るじゃなかった。大切なのは、だれと、どこで生きていくか。私は、ししょーが大好きな、ここを、ししょーと、知っていきたいです。始祖さんとも、もっとお話、したい。カローラさんとも」

 あまりの形相に、カローラさんは怯んでしまわれたのでしょうか。目に痛く光っていたのが、すぅっとただの花びらになっちゃいました。
 代わりに、文字を連ねたわっかがくるくる回りだしました。
 私は、後悔しないように。今、胸の中にある願いを言葉にするだけ。

「私ね。ししょーも、アニムを育ててくれた、ここもね、忘れたくないの。ししょーを好きは、もう私の一部、だから。ししょーだけない。フィーニスとフィーネも。みなさんも」

 まっすぐ師匠を見上げます。
 師匠の瞳が、みるみる内に大きくなっていきます。今日の夜空に浮かんでいる満月とそっくりです。珍しく、ぽかんと開いた口が、ひゅっと息を呑みました。
 師匠の企みを教えてくれたフィーニスとフィーネは、気まずそうに両耳を掻いています。ゆっくりと師匠の顔が動くと、ぴんと耳を立てて固まっちゃいましたよ。
 
「フィーニス、フィーネ。おいで? 内緒にしてた、ししょーが、悪いんだもん。きにしなーい、気にしない」
「うなぁ」
 
 私の胸にぽすんと飛び込んできた二人を抱きかかえます。とくんとくんと、やさしい鼓動が響いてくる。
 腕にてしっとしがみ付きながら、見上げてきた二人。にやりと師匠ばりに意地悪な笑顔を浮かべます。一瞬、きょとんと瞬いた二人ですが、すぐに「うにゃー! ありゅじとおしょろいぞー!」とふにふに笑ってくれました。

「ししょー!」
「おっおう」

 びくっと大きく体を跳ねて、面白いポーズで半歩引いた師匠。
 あぁ。ウィータよりもコミカルな動き。ちょっと間抜けな空気が、大好き。私と暮らしてきた師匠だ。
 ふにゃんと崩れた顔を、引き締めなおさねば。
 師匠をびしっと指差して、宣言してやりましょう! 大魔王の笑みになってやります。片腕の中にいる、フィーネとフィーニスもお揃いの仕草です。

「ししょーの腕の中、かえったら、最初にするは、お仕置きなんだから!」
「――っ。ぬかせ。アニムなんざ、返り討ちだ!」

 腰に手をあてて、仁王立ちした師匠はとっても偉そう。
 べぇっと舌を出してやりますよ。「べぇにゃ」と可愛らしい声に引っ張られ俯いた先には、小さなピンクの舌がありました。
 屈んだ師匠にちょんちょんと突っつかれて、嬉しそうに跳ねたおひげ。
 師匠と微笑みあってしまいました。

「私、ししょーの傍でね、ししょーと同じ、時間を、一緒に生きていきたい! もっともっと、ししょーを、好きに、なっていきたいんです! 好きを、重ねあいたい!」
――……アニムが出した答えは、それで全部かしら――
 
 黙っていたカローラさんが、再び桜色の光を強めだしました。
 フィーニスとフィーネのぽかぽかの体温が、袖越しで伝わってきます。
 魔方陣の光も応援してくれているみたいな錯角に陥るくらいには、もう揺らいでいません。ううん。師匠の魔法だもの。絶対、私と師匠を結びつけてくれる。
 しっかりと顎をあげ、思いっきり笑っちゃいます。

「はい。私は、ししょーが大好きな、世界を、ししょーと、知っていきたいです」
――では、始祖の審判をまちま――
 
 カローラさんの言葉を遮るように鳴った、ぶぉんという音。知ってる。師匠が魔法杖を練り上げる際に、空気が振動するものだ。
 横を見上げるよりも早く。師匠がすっと前に歩み出ました。そのまま、勢いよく振り返った師匠は、大好きなにかりって笑みを向けてくれていて……。
 ぽかんと間抜け面になってしまいました。
 
「よし! あとはオレに任せておけ。アニムはなんの心配もいらねぇ。オレが絶対にここに呼び戻してやる」

 親指で自分の胸を指した師匠。
 私、戻りたい。どこよりも、師匠のところへ。私の特等席に。どんな私も受け止めてくれる、師匠の腕の中に!

――ウィータ。今になって、始祖の制約を破るつもり?――
「オレが始祖の制約って口にしていたのは、あくまでも、すぐさまアニムを連れて行かれないためだ」

 肩をまわして準備運動を始めた師匠の声は、実に爽快でした。
 私を守るって、だれにも渡さないって。いつもの、迷いなんて微塵も感じさせない、揺らぎなく抱きしめてくれる師匠だ。
 あっけにとられている私とカローラさんを置いてけぼりにして。師匠は両手につかんだ魔法杖を突き出しました。

「ししょー、じゃあ」

 あぁ。声が震えてる。情けないくらい。
 わかってたけど。信じていたけれど。やっぱり、大好きな師匠の声で紡いで貰えるのが、嬉しくて仕方がないの。
 私の心内など、お見通しなのでしょう。師匠は意地悪してくる時の表情を浮かべます。

「始祖の判断なんざ関係ねぇよ。アニムに、自分の意思でオレと一緒に生きる覚悟を決めて欲しかったのは本当だ。長い人生を、ずっと共に歩んで欲しいから。それにフィーニスとフィーネの生い立ちも、二人が抱えている想いを受け止めたうえで、手を伸ばして欲しかった。それだけだ。はなっから、始祖の審判は関係ねぇ」
――ウィータ。そうは言っても、始祖の裁決は下されるまでは……――

 カローラさんの厳しい声が、現実を突きつけてきます。
 師匠も負けじと、眉を跳ねさせ真剣な目つきに変わりました。

「うっせぇ! あいにくと、始祖の妨害程度に負けるような惚れ方はしてねぇよ。言ったろ。だれにもどこにも、渡さねぇって」
「べた惚れをこじらせて病まなきゃいいけれど。いや、もう手遅れだね」
「セン、黙ってろ!」

 べっべた惚れって……! ゆでだこ状態ですよ、私。
 ウィータに助けてもらったのと、師匠にもらった言葉たちが一気に蘇ってきます。過去での別れ間際の言葉はもちろん。師匠のおすみつきがついた途端、曖昧だった言霊が鮮やかなソノ色に変わっていく。
 私、自分の想いを言葉にするのばかりに気を取られていたので、ふいうちです。

「私は、ししょーに、べた惚れだけど。ししょーは、私の、どこに?」
「あほアニム。お前みたいな女、どこ探したっていねぇよ。戻ってきたら、教えてやるよ。嫌って程な」
――ウィータ――

 なおも咎めるカローラさん。怒り心頭という調子で、激しくなった光が、目に痛い。
 思わず瞼を落としそうになったところに、

「アニム、オレを見ろ」

 低くて、でも怖いんじゃなくって落ち着く声色が耳を撫でてくれました。

「アニムが泣いて苦しんで、もがいて導き出してくれた決心に、今度はオレが全身全霊をもって応える番だ。必ず抱きとめてやる。オレが純粋に魔法で負けるかよ。アニム、オレはだれだ?」

 にかりと、笑った師匠。あぁ、大好きな笑い方だ。ぐっと胸に親指を押し当てた師匠は、凜と輝いています。
 稀代の大魔法使いウィータ・アルカヌム。ううん、違う。始祖の宝であるウィータ・アルカヌム・ドーヌム・インベル・リガートゥル? そうだけど、それだけじゃない。彼は――。

「大好きだいすきでたまらない、私の、ししょー!」

 涙混じりの声が、幸せいっぱいに響き渡りました。ちゃんと師匠を見つめたいのに。下瞼ぎりぎりで膨らんでいる雫が、師匠を揺らします。瞬きをすれば、数滴頬を伝いましたが、ぶんぶんと頭を振れば喉に落ちてきてくれました。
 ぎゅっと抱きかかえたフィーネとフィーニスも、「うななー!」と甘く鳴いてくれました。
 師匠といえば、呆然と固まっています。

「ししょー?」
「アニム、おまっ――!」

 うぇ?! 私、間違ってましたかね!?
 師匠ってば、ぼっと首まで染まったかと思うとしゃがみこんでしまいました。あぐらをかいて、腕で顔を隠しちゃってます。
 慌てて師匠の前に膝をつきますが、師匠の腕をどけることはかないません。下から覗き込むのがやっとです。

「ししょー、私、的はずれ?」
「こっ、ここは普通、大魔法使いとか始祖の宝だからとか、魔力関連の返しだろうが!」

 がばっと真っ赤な顔をあげて、がなった師匠。もとから凛々しくあがっている眉がさらにだから、盛大に照れているのが丸わかり。くわえて、アイスブルーの瞳が、熱を持っている。
 わしゃわしゃと髪を掻き混ぜる仕草が、愛しくてたまりません。実際にまりもにならないのだけは残念です。

「だって、だってね? ししょーが、すっごい、魔法使いは知ってる。けど、私とししょー引き寄せるは、想いのが、重要なんでしょ? なら、私は、ししょーへの、想いに、心いっぱいにする。ししょーも、してくれるのかなって」
「……オレ、一生アニムに適うきがしねぇ」

 大げさに天を仰ぎ見た師匠に、つい首を傾げてしまいます。
 だって、絶対私の方が大好きですもん。

「うーん。そんなことないと、思うのですよ。ししょーは、惚れられた強み?」
「それを表現するなら、オレは惚れた弱みだろうが」
「じゃあ、私も、惚れた、弱みだね」

 へへっと笑いあう私たちに呆れたのか。カローラさんは盛大にため息をついちゃいましたよ。
 なんだか。とっても久しぶりのやり取りのように感じられて、恥ずかしがるよりも幸せが勝っちゃいます。ずっとずっと、こんな会話をしていきたい。もっと、もっと色濃くなっていきたいの。

「あにみゅとありゅじは、どっちもどっち言うって、ふぃーにす知ってるのぞー!」
「でしゅの! ふぃーにすもふぃーねも、いっちょー!」

 興奮して腕から飛び出したフィーネとフィーニスは、おててを繋いでお尻ふりふりダンスです。ぷりっけつ!
 しまったです。尻尾にお花をつけてあげておげば良かったですね。

――いいわ。アニムを還すのか残すのかは、始祖が決めること――
「私、知ってるですよ。カローラさんも、始祖さんも、ししょーのため、私に機会くれたの。私とししょー、離れ離れしたいから、問いかけてる、違うは、わかっちゃってますです」

 ふへへって奇妙な笑いが漏れちゃいますよ。
 カローラさんは返事をしてくれはしなかったけれど。もうお怒りオーラは消えています。それがなんだか嬉しくて。また、頬が緩んでしまいました。
 ひらりと身を翻し、上空に舞い上がったカローラさん。一枚、十枚と花びらが増えていきます。

「やきもきさせちゃった、お詫び。しないとですね」
「姑や小姑なんざ放っとけ」

 私から数歩離れた師匠は、静かに目を閉じました。師匠の周りに魔法の蛍が生まれていきます。はらはらと舞い落ちてくる花びらたちと溶け合っていく。
 湖を漂っていた、七色の花びらみたいに変わっていきます。

「私、ちゃんと、ししょーください、挨拶したいのになぁ」

 はらはらと舞い落ちてくる花びらたちを掌に受け止めつつ、唇を尖らせれば。
 詠唱しようとしていたのか。深呼吸をしていた師匠が盛大にむせてしまいました。真っ赤になって、咳き込む師匠の背中を撫でてあげなきゃ。
 その前に、ほのかな熱が唇を掠めました。

「ったく。色々言ってやりたいのはごまんとあるが。とりあえず、さっさと戻って来い。水晶の森の家もすっかり元通りだからな。相変わらず、雨ばっかりだが」

 苦笑した師匠ですが、呆れた口調なのに、声はどこまでも甘い。
 私の真名を慈しんでくれて。忘れないように、見失わないように。降らしてくれていた雨。そこで、もう一度、師匠に雨乃《あめの》って呼んで欲しい。

「うん!」
「うなぁー!」
「よし。そこで瞼を閉じて、ネックレスを握っていろ。フィーネとフィーニスは、アニムの肩に張り付いとけ」

 言うが早いか。師匠は詠唱を始めます。古代語なんでしょうね。意味は理解できないけれど、全身を包んでくれる魔法も、師匠の声も、澄んでいる優しさは伝わってくる。柔らかい雨音みたいな魔法の音が、心地よい。
 瞼を落とせば、よりいっそう強まる感覚。師匠に抱きしめられているのと、一緒だ。

「ししょー、大好きだよ」

 ぽつりと呟いた刹那。瞼を通り抜けて、閃光が弾けました。
 あっという間に浮遊感が襲ってきて……肩にあるはずの、ぽっこりお腹の感触が消失してしまっています。どっどどと、激しくなる心音。
 周囲から聞こえていた雨は、色を変えています。ぽちゃんぽちゃんと、葉っぱから落ちる水滴が、地面で跳ねるみたいに。
 どくんどくんと、鼓動が激しくなっていく。大丈夫。師匠が絶対って言ってくれたんだもの。

 意を決して開いた先、現れた光景に……呼吸が止まりました。
 


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