引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

27.引き篭り師弟と、辿り着く処3


「よし。月が昇りきったな」
「でしゅの。ちっちゃいお月さまたちも、こんばんはでち」

 フィーネの言葉を受け、改めて空を仰ぎ見ます。
 満天の星空の中、圧倒的な存在感で浮かんでいる蒼い満月。そして、寄り添うように三つの小さな月が姿を現しています。
 圧倒的と言っても、他を凌駕する煌きではありません。優しく星たちを包む、蒼光です。

「うな。今日のお空は、いつもにまして賑やかじゃな! にゃんだか、お月さま嬉しそうで、ふぃーにすも楽しいのぞ!」
「……そうか」

 ウィータの囁きは、まるで霞《かすみ》のよう。どこか寂しげに聞こえたのです。
 高い位置で守護精霊様とはしゃいでいたフィーニスとフィーネが、すいっと降りてきます。お口を三角にして、ウィータのほっぺたをてしてしと撫でてあげる二人。
 ウィータも無言で、フィーネたちの背中を撫で返しました。その姿を捉え、守護精霊様のガラスのような瞳が三日月になっていきます。

「ウィータの様子も興味深いが、滝上の湖もなかなかの光景じゃろ」
「はい。私、下の湖は、立ち入ったあるですけど、ここあがるは、初めてです。神秘的だけど、優しくて、なんだか……泣きたくなるです」

 私たちがいるのは、花びらの滝の源である湖です。地平線まで広がっている澄んだ水には、七色の花を始めとした多種の植物が浮いていたり、自生していたりします。その上に発動された魔法陣を足場として、立っているんです。
 淡い花々は、まるで蛍が集まっているみたい。
 しゃがんで水に指をつければ、泣きたいという気持ちがより強まりました。

「アニムは、始祖の涙を感じ取れるのだのう。ウィータの魔力の影響か、はたまたおんしの心が成せるわざか」
「ここ、始祖さん浸かってる水が、流れてきてるでしたね。私、前、花びら食べた時は、ただ、美味しい思ったです。今は、変化して、ちょっとでも、ししょーの大切と、繋がれるなった、ですかね」

 好きな人の大切な気持ち。それが前向きでなくってもいい。むしろ、心の奥に抱えてる寂しいとか悲しい、言霊で表しきれない感情に触れられるようになりたいのです。今の私なら、知りたいだけじゃなくって、受け止める覚悟がある。
 ちゃぷんと、水が勢いよく跳ねました。

「あまくて、おいしい」

 舐めた指先が、ほんのり甘い。
 守護精霊様は、慈愛に満ち溢れた眼差しをくださいました。
 あぁ。きっと、守護精霊様にとっても、師匠《ウィータ》は大切な存在なんでしょう。嬉しいなぁ。

「アニムはここにいろ。月が映り込んでいる箇所に、時空を繋ぐ魔法陣をしく。子猫たちは、手伝ってくれるか?」
「あったりまえなのぞ! ふぃーにす、おなかぺっこりんになっても、がんばるのじゃ!」
「あい! ふぃーねも、ふぃーねも! あるじちゃまとあにむちゃのために、いっちょうけんめい魔法使うにょ! おなかとせなかがくっちゅいても!」

 しゅばばと。両手をばたつかせるフィーネとフィーニスに、水面に映る月の光輝が強めます。
 過去《ここ》で二人の想いに触れて、より深くなった愛しいという感情。健気で、一生懸命で、まっすぐなフィーネとフィーニス。二人には、本当にたくさんのあったかいを貰ってきました。純粋な愛情、慈しむ幸せ。私の宝物を大事にしてくれる、優しさ。
 師匠とも、フィーネやフィーニスとも離れたくない。
 ぎゅっと、胸元のネックレスを握った指に、わずかな熱が染み込んできました。

「大丈夫! フィーネとフィーニスのぽっこりおなか、ぺったんこなっても、私が、特大ケーキ、作るから! ここで前、ふたりから、七色の花びら、もらったもんね! それ使おう!」
「うななー! やっちゃー!」
「おい。あんま食わせすぎると、ころころになるぞ」

 ウィータってば、お父さんみたい。
 ウィータにつんっとお腹を突っつかれたフィーネとフィーニスは、きゃっきゃと嬉しげな声をあげたので。私は笑うしかありませんでした。
 ウィータがころころって表現したのが可愛かったなんて、口が裂けても言えません。

「アニムはそこから動くなよ。転がり落ちるな」
「私、たまごないよ。手はお膝で、待ってる」

 正座をしてみせた私に、ウィータは「なんだそれ」と苦笑を浮かべました。
 それだけで、すぐに新しい魔法陣を発動したウィータは、すいっと空の月が揺らめいている場所へ移動していっちゃいました。

「なんとも、愛々しいやり取りよ」
「うっ。すみませんです。ウィータ、絶対意地悪言うから、つい」

 笑みを深めた守護精霊様に居た堪れなくなり。髪をいじりますが、笑い声を誘ってしまいました。
 熱くなっていく頬を覚ましてくれたのは、水の香りを含んだ風。

「ししょーの傍に、戻ったら。今度は、お昼に、きたいな」
「それが良い。夜の月の恩恵とはまた異なって、昼は太陽の恵みで甘い香りがつようなるでな」

 あまり波はたたない湖ですが。時折吹く、涼やかな風に月が踊っています。
 視線の先には、魔法杖を掲げたウィータと、両手を合わせて光の綿を浮かせ始めたフィーニスとフィーネ。私には解読不可な呪文を紡ぐ三人。いつの間に現れたのか、カローラさんの姿も確認出来ます。
 魔法陣の色は言霊につられて、色を変えています。始めは、赤から青、次は青から黄色、そして黄色から緑と大まかに。やがて、青紫や赤紫など小刻みに色をうつしていく。

「さて。妾は影響を与えぬよう、姿を隠しておくかのう」

 ウィータの魔法陣から光が月に昇っていくようになると、守護精霊様がゆっくりと口を開きました。
 慌てて横に向き直った私が見たのは、半透明になっている守護精霊様の姿!

「あっあの! ありがとうございました! 百年後も、よろしくしてくださいです!」
「言うまでもなく。楽しみにしておるぞ」

 にんまりと笑った守護精霊様は、あっという間に消えていきました。
 まっすぐにウィータたちを見つめ直します。
 過去に来る前、同じように遠目から師匠や訪問者の皆さんを眺めて、どこか自分が異質な存在であるように思えて、後ずさったのを覚えています。

「でもね、違うの。現在は、違う。私も、そこに飛び込めるよう、がむしゃらに、頑張る。ししょーは間違いなく、力んでるんじゃねぇよって、笑ってくれる。だから、私、自然体で、生きていける」

 囁いた瞬間。水面から、魔法陣から。そして空気から、光の綿毛が舞い散りました。
 舞い上げられる髪、一本一本に絡んでくれる光は、ほのかま熱を持っている。まるで桜の花びらのような形をしています。

「アニム、準備が出来た」

 驚きの声をあげる暇もなく、魔法陣がゆっくりと前進しだしました。
 ウィータが立っている魔法陣と、こつんとぶつかった直後。ふたつの魔法陣は溶け合っていきました。

「オレの胸に背中を預けて、ネックレスを掴んでおけ。強く、帰りたい場所を思い描け。余計な心配は一切するな。ただ、師匠と未来を想え。想いがブレちまったら、何が起こるか予想できねぇ」
「うん。よろしく、ですよ。ウィータ、信頼してるもん。それに、今は、ウィータが、手伝ってくれたから、私自身の、絶対な想いも」

 あんなに遠かったウィータとの距離が、今はこんなにも近い。背中からしみてくる体温も、両腕に触れる彼の腕も。髪に吹きかかる吐息が、胸を熱くする。
 数度深呼吸を繰り返したウィータにあわせて、私も息を吐き出しました。
 ウィータが小さく口を動かしているのが、振動で伝わってきます。古代語、でしょうか。聞きなれない言語が紡がれて数分、一際大きく吸い込まれた息。

「あまねく次元を凝望したる、至高の存在よ。時空を凌駕せし普遍なる生命を司りし尊き魂よ。世界の摂理たる尊名を言霊とする許しを! 気高き魔力の源、世界の母たる始祖。アゥマ・アルカヌム・ドーヌム・インベル・リガートゥルに、祖が血を唯一宿したるウィータ・アルカヌム・ドーヌム・インベル・リガートゥルが願い奉る! 禁断の扉を我が瞳の先に解き放ちたまえ!!」

 えっ……!? 今、名前が重なった?
 私の動揺を余所に、走った閃光。立ち昇っていく水柱から零れる水が、肌を濡らします。フィーネとフィーニスもびしょびしょ。
 ウィータを振り返ろうとしても、ぎゅっと抱きしめられかないません。
 縋りつくように、しがみつかれて。肩に顔を埋められて。私も必死に彼の両腕を掴むしかありません。フィーネとフィーニスも、一生懸命、ウィータの頭を撫でてあげています。

「お願いだ。オレを……遠くに感じないでくれ。気味悪がられるのなんざ、慣れている。けれど、オレ、アニムには。アニムにだけは」

 師匠が気味悪いですって? ありえません。
 それが物知らずの怖いもの知らずだからって、だれに嘲笑されても構わない! だって、私は一番大切な師匠《こと》は魂や体に刻まれている!

「当たり前だよ! 知らないの、含めて、全部が、好きだもの。反対だよ。知れて、幸せなの。もっともっと、ウィータを、知りたい。知りたいだけない。一緒に、生きていく中で、見つけていきたい!」
「うにゃ! ふぃーねもね、あるじちゃましゅきは、式神だからだけないのでしゅ! あるじちゃまってあるじちゃまが、えっとね、ぎゅうってしちゃいくらいで、ぽかぽかなにょ!」
「ふぃーにすだって、負けないのぞ! ありゅじ、たくさん魔法教えてくれるけど、それよりもっとお胸がほかほかになる気持ちなるのじゃ! じゃから、ふぃーにすも、えと、うーっと、ありゅじがにゃ、ありゅじでよかったーってほっぺがふにふになるんじゃよ!」

 間髪入れずに返事です。フィーネとフィーニスも、くるくる旋回しながら主張です。うまく言葉に表せないけれど、ありったけの大好きを伝えようと頑張っている。

「始祖の宝って、そういう、意味だったんだね。よかった」
「よかった?」
「うん! 始祖さん、ウィータを大切に思う、当然だって、妙に納得。私のね、お母さんと一緒。親が、子ども大切想うは、変わらないんだって。だから、私のね、ししょー大好きに、ちゃんと耳、傾けてくれるって」
 
 頬が緩んでいきます。そう考えると試練というより、師匠のお母さんに師匠を下さいってお願いする、お宅訪問みたいですよね。
 もちろん、師匠の傍に戻れるって安心した訳ではありません。
 師匠も私も、特殊な存在。だからこそ、始祖さんは厳しくなる。師匠だけのためだけじゃないって、何故か思えます。

「あに……む。アニム」
「うん。私は、アニムだよ。貴方《ウィータ》がくれた、大好きな名前。遠くどころか、近くに、感じられた。大切な人想うは、一緒だね」

 そっと身をよじり。ウィータの指に唇を落とします。フィーネとフィーニスも。ふわふわの尻尾が、肌をくすぐってくる。
 ウィータと視線がかち合った瞬間、魔法陣から白い煙が立ち昇りました。霞の中から現れたのは――師匠!
 ばっと身を翻し、伸びる両手!

「ししょー!」
「おい。オレの前でいちゃつくとは、いい度胸だ」
「へ?」

 間抜けな声を出した私のおでこを突っついてきた師匠。前と同じく、ほのかな熱しか感じられませんが、ぶすりと落ちた口端は鮮明です。
 触れられた額を押さえながら見た師匠は、ひどい隈を真っ青な顔にのせていました。

「ししょー、やっぱり、ちゃんと、寝なかったんだね」
「んなことねぇ――いや、眠れるわけないだろうが」

 即座に返ってくる否定も肯定も、愛しい。
 術式を完成させるためであっても、私を失う可能性に不安になっていたとしても。嬉しいなんて思うのは、ひどいんでしょうね。けれど、どうしようもなく、幸せだなって思ってしまうんです。
 溢れた涙を一滴拭う仕草をしてくれた師匠は、真剣な面持ちで視線を後ろに投げました。

「助かった。守護精霊にも礼を言っておいてくれ」
「あぁ」

 師匠のお礼に、短く返したウィータ。前に対峙した際よりも、挑戦的な目つきに思える?
 はてと瞬きを繰り返す私に、「なんでもねぇよ」と返したのはウィータでした。ふわりと微笑んでみせたウィータは、どう考えても「なんでもねぇ」ようには思えません。
 一歩踏み出したのと入替えに、師匠に飛びついたのは可愛いふたつの体。

「ありゅじー! ふぃーにすとふぃーね、お約束守ったのじゃ! あにみゅにちゃんと、ごめんちゃしたのぞ!」
「ふぃーねは、一回逃げちゃいましたにょ。ごめんちゃ。でもでも、あにむちゃはふぃーねとふぃーにすで良いよって……だいしゅきだよって抱きしめてくれまちたの!」

 本当には抱きつけないけれど、師匠の手はふんわりと二人の背をなぞってあげました。とても柔らかい手つきなのがわかる。
 鼻声な二人は、みゅうみゅうと鳴きながら師匠に甘えています。

「おぅ。ありがとな。フィーネとフィーニスが頑張ってくれたおかげで、オレとアニムの未来も切り開ける。真実と気持ちを伝えるのは本当に辛くて嫌だっただろうに。二人とも、勇敢で優しくてさ。式神として誇りに思うのと同時、フィーニスとフィーネっていう存在がひたすらに愛しいよ」
「うっうなぁぁ」

 師匠が瞳も空気も蕩けさせると、フィーニスとフィーネはわんわんと泣き出しちゃいました。手足を垂らして、全身でむせびなくフィーネとフィーニスが、漂う花よりも甘い。
 師匠は、二人の背中を摩ってあげられないのがもどかしいと言わんばかりに、眉を垂らしています。

「おいで。フィーネ、フィーニス」
「あにむちゃぁ」
「あにみゅー」

 二人がアニムって呼んでくれるのが、すごく嬉しい。
 胸にしがみついて、おでこをぐりぐりしてくるフィーネとフィーニスは、とてもあたたかい。やっぱり出ちゃってるしゃっくりも、ずびっとすすられる鼻水も、嬉しさから出ているものだとわかっているので、安心して耳を弄ることが出来ます。
 フィーニスとフィーニスはくすぐったそうに身をよじるものの、ぷんすこ怒ったりはしません。
 むしろ、くしゅくしゅと愛らしい笑いを零してくれています。

「こっちのあるじちゃまも、あんがちょ。ふぃーね、あるじちゃまもだいしゅきでし」
「オレか?」
「なのぞ。ふぃーねがこわいこわいで逃げちゃったとき、抱っこしてくれてたのじゃ。そいだけじゃにゃいのだけど。ふぃーにすとふぃーね、ありゅじがいてくれちゃから、お元気でいられたのぞ」

 私の腕から抜け出したフィーネとフィーニスは、ウィータの頬にぽっこりお腹をこすりつけています。あれ、あったかいし柔らかいし、心地良いんですよねぇ。
 あ、鼻水がついちゃってるよ。でも、ウィータは怒ることなく、取り出したハンカチでちーんとしてあげちゃったりして。すっかり主ですね。

「でしから、ふぃーねとふぃーにす、これだけは伝えて帰りたいって決めたのでちゅ」

 しっぽをにぎにぎしながら、照れている顔を見合わせたフィーネとフィーニス。
 ウィータがほのかな笑みを浮かべて続きを催促すると。二人もふにふにと笑顔になりました。

「ふぃーねとふぃーにすは、ありゅじのとこに生まれてこられて、とってーも幸せなのぞ」
「あい。しゃーわせで毎日たのしいのでし。あるじちゃま、いっちゅもふぃーねとふぃーにすに内緒なくて、ちゃんとぜんぶ辛いこちょも楽しいも教えてくれるにょ」

 フィーネとフィーニスは、お互いの気持ちを確かめ合うように、ぎゅっとちいさな手を繋ぎます。
 一歩距離をつめられたウィータが、引き寄せられるように差し出した掌。ふたりのおしりがぽすんと落ちました。

「うな。じゃから、未来とかいまだにようわからんが……絶対、またありゅじのとこに生まれたいのぞ!」
「ふぃーねも! あにむちゃとありゅじちゃまと、うーにゅすとね。ふぃーにすとふぃーねは家族にゃの!」

 息を呑んだのは、どちらのウィータでしょうか。はっと詰まった呼吸だったのに、私の頬は緩んでいきます。
 だって、わかる。師匠なら、嬉しさを噛み締めながら泣きそうになってる。ウィータなら、戸惑いの中に不思議なあたたかさを感じて、それにさらに困惑してるんだって。

「気が向いたらな。つーか、フィーニスとフィーネを育てたのがアニムだってもろにわかったぜ」

 先ほどの私のお願いで耐性が出来ていたのかな。私にくれたのと同じ答えだけれど、語調はしっかりとしています。
 二人は曖昧な返事だと拗ねたりはしません。だれよりも純粋で人の心の真ん中をみてくれる二人には、ウィータのぶっきらぼうな言葉の裏なんてお見通し。
 
「あにむちゃは、おねーたまでおかーたまなにょでし」

 しゅたっと右手をあげたフィーネ。ぽっこりおなかを突き出して、腰に手をあてたフィーニス。ぱたぱたとせわしなく耳が上下しているのは、お揃いです。
 ウィータが小さく噴出したのを気にも留めず、フィーニスがちっちっちと手を振ります。

「ふぃーにすのがお兄ちゃまなこちょ、多いけどにゃ!」
「うちょうちょばっかり」
「うそうそないのぞ!」

 とと。てしてしと両手をぶつけてケンカしだしちゃいましたよ。
 いつの間に隣にいたのでしょうか。半透明の師匠が、二人の頭を軽く叩くと、ぴたりと止みましたが。師匠、少しだけ顔色が戻ってきているように見えます。光の加減?
 横顔をじっと見上げていると、にかりと大好きな笑みを向けてくれました。久しぶりの笑い方に、どくんと物凄い跳躍力で鼓動が鳴り響きました。
 うっうわぁ。気持ちと熱が溢れてくる。
 私を置いて、師匠はすぐにフィーネたちに向き直っちゃいましたけど。

「フィーニスもフィーネも、いくらでも願望聞いてやるよ。戻ってくるまでに、たくさん考えておけよ?」
「やっちゃー!」
「現金なやつら。そういう所もアニムとそっくりだな」

 ウィータの呆れた声色に、意義アリ、とは反論不可能でした。おっしゃる通りな自覚がありまくりですもん。いいんだ、いいんだ。師匠はもちろん、ウィータだって苦笑は優しい色を含んでいるから。
 すいっと落ちてきた花びら、カローラさんに背筋が伸びます。

――そろそろ術を発動しないと、タイミングを逃してしまうわね。ウィータ、ご苦労だったわ。あとは魔法陣の外からサポートをお願い――
「わかった」

 ウィータが纏う空気がかたいものに変わりました。初めて発動する術を前に、緊張しているのでしょうかね。
 師匠と目をあわせて、っていうか睨みあっているように見えるのは錯覚? 短髪師匠は腰に手をあてて、長髪ウィータは腕を組んでる。
 ひっ冷や汗が溢れ出てきちゃいますよ! アイスブルー同士がぶつかりあって、しかも半目。

「ししょー? ウィータ? 本人同士、目と目で、通じ合っちゃってる、の?」
「あほアニム」

 おぉぉ。きれいにハモリました! ダブルでのあほアニムは心臓に悪いのですよ!
 すごっと首を竦めた私を眺める視線の色は微妙に違うものの。しかたねぇなって顔に書いてあります。私は、悪くない、はずなのになぁ。

――ウィータ。名前は駄目だとあれほど――
「うっせぇ。反射神経だ」

 ぽんと、私の軽く頭を撫でて踵を返したのは師匠。そのまま、ちかちか光っているカローラさんを無視して、魔法陣の中央に移動していっちゃいました。
 練りだされた魔法杖。勢いよく魔法陣に打ち付けられると、空気が揺れだしました。と同時に、円が縮んでいきます。

「まぁ、なんつか。師匠のところに無事戻れるといいな」
「うん。絶対戻るから」

 むんと握りこぶしをつくって叩きます。
 背負っていたリュックが、がさりと鳴りました。

「頼もしい限りだ」
「ふぃーにすたちもついてるからにゃ!」
「恋天使におまかせなのでしゅ!」

 羽をぴこぴこ動かしつつ、しゃきーんとかっこいいポーズを決めた二人に、きゅん!
 そういえば、恋天使の謎も解明されたんですっけね。くすくすと小さな笑いが零れてしまいます。

「フィーニス、フィーネ。手伝ってくれ」
「あい!」

 師匠に呼ばれ、一度くるりと旋回したフィーネとフィーニスですが。ふと思い出したように、ウィータの目元にちゅっと口づけを落としました。
 まるで、悲しまないでと言うように、肉球で数度、目元に触れます。ウィータが何事か告げる前に、可愛いお尻が向けられました。途中で振り返って大きく手を振った二人に、ウィータの手も小さく応えてあげたんです。

「あ、コート忘れてきちゃった。ディーバさん使ってくれるかな」
「伝えておく」
「あと、これ。ウィータが、持っていて?」

 外しかけたネックレスは、胸に押し付けられてしまいました。後ろから「触るな!」って怒鳴り声が聞こえた気がしますが、今はスルーです。
 大体ブラウス越しですよ、師匠。
 もうと膨れっ面になってみせても、にやけてしまうのはしょうがない。頬も熱い。自分にやきもち妬くなんて。いえ、私にも心当たりがありすぎて、頭を下げたくなります。

「そのネックレスは、お前の存在維持に必要なものだろ」
――もう問題ないはずよ。それに始祖との試練には、邪魔になるでしょうし――

 カローラさんが言い終えるのと同時。ネックレスが、ぱきんと音を立てて真っ二つに割れてしまいました。
 うえぇ!? 渡す直前に壊れるとか、縁起が悪すぎて!
 白目を剥いて卒倒しそうになった寸前。ウィータの掌に落ちた欠片の上で、カローラさんがくるりと回転してみせました。

――これは始祖が浸かっている湖のどこかに沈んでいる、始祖の涙。貴方が『アニム』を欲しいと願うならば、探し出してその欠片と融合させなさい。これがたったひとつ、貴方が『アニム』と出会う鍵、共に生きる希望となるわ――

 ウィータは返事をしません。眉間に皺を寄せ、端整な眉をこれ以上ないくらい跳ねさせています。大きな掌に乗せられている小さな欠片を、ただ困惑の色で見つめている。
 ぎゅっと。無理矢理気味に指を折って、握らせちゃいます。
 ばっと音を立てて顔をあげたウィータの前髪を払うと、案の定、複雑そうな色を浮かべていました。
 
「言ったでしょ? 出会ってくれて、ありがとうって。また、私と、出会ってねって。私としては、ウィータに、探してもらえる可能性、ちょっとでも、残しておきたいの。最後のわがまま、聞いてくれると、嬉しいな」

 にへらと微笑んでしまいます。だって、ウィータってば、私の言葉が進むにつれ、口の端を落として、耳を染めていってくれたんですもの。
 さらに全身が緩みそうになったところで、思いっきり頬を引っ張られました。

「いっいひゃい!」
「あほアニムが。最後なんて、言わせねぇ。もっと聞いてやるよ。いや、その。見つけられたらな」
「うん。ウィータの未来と、師匠の未来、それに、私との未来に、繋がるを、祈ってる」
 
 違う形の出会いになる可能性も面白いと思うのだけれど。今の私がとても幸せだから。どうか、ここと私が戻る居場所が重なりますように。そう、願わずにはいられません。
 もう、自分勝手かなって迷ったりしません。全部背負って生きていくって決めたから。忘れない。故郷での自分も思い出も、罪も。それが胸の奥にあるから、師匠が好きになってくれた私がいる。

「じゃあ、元気でな。つっても、元気そのものだろうが」
「もう、ウィータも、一言多いの!」
「ははっ。違いねぇ」

 ウィータが、にかりって笑った。ウィータが浮かべたのは、初めて。
 ウィータ自身も驚いたみたいです。はっとして口を覆ってしまいました。
 どきどきする。せっ背中から投げられている師匠の視線にも、別の意味で。おぉぉ。振り向かなくてもわかります。ものすっごい不機嫌オーラに加えて、拗ねてる。

「無事戻れるよう、オレなりに努めるよ」

 ゆっくりと。ウィータが白い光に飲まれていく。
 あっ、私、大切なこと言ってなかったです。いえ、伝えてはいるけれど。ウィータだけへの言葉は、まだ!

「ウィータ!」

 ぎゅっと、力の限り抱きつきました。光に飲まれないよう、すぐに離れたけど。
 両手を握って、ウィータを見上げると。自分でもびっくりするくらい瞳が蕩けていったのがわかります。踵をあげて、額に唇を寄せて。

「私ね、ウィータが、好き。貴方が、大好き。つんてしてたのも、さりげなく優しいのも、子どもみたく、拗ねてくれたのも。動揺してくれたのも。ウィータっていう、存在が、大好きになったの」
「アニムっ――!」

 すっと離れた私に伸ばされた手を、ここで掴むことは出来ません。でもね、絶対、絶対。貴方の未来と雨乃《わたし》に繋がるって、信じてる。
 一旦のお別れだから。ウィータの心に焼きつくような素敵な微笑みでいたかった。なのに、無責任にも、腕を突き出してくれたウィータに魂が燃えたの。
 だから。ウィータの姿が実際に光に包まれたのか、潤んだ瞳のせいだったのかは……わかりませんでした。




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