引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

27.引き篭り師弟と、辿り着く処2


 慣れた転位魔法はずなのに。今回はいつもより体が重く感じられます。ぐぐぐっと、空気が圧し掛かってくる。
 腕の中のフィーニスとフィーネは心地良いみたい。てしてしと、リズムカルに腕を叩いてきます。うみゃっという愛らしい声に引き寄せられたのでしょう。魔法粒子が二人の周りに、特に集まってきます。

「私は、入っちゃだめ、始祖さんに、言われてるみたい」

 ぐっと噛んだ下唇が痛みました。
 弱気になるな、アニム。始祖さんにとっても師匠にとっても、大切な存在同士。大丈夫です。
 大きく頭を振った私を強く抱きしめてくれたのは、ウィータでした。

「ウィータ?」
「封印の抵抗が生じてる。もたれかかっとけ」
「うん、ありがと」

 支えるよりもきつく腕に閉じ込められても、息苦しくはありません。肩は強く抱かれてるけれど、私の胸にいるフィーニスたちを潰さないでいてくれる。
 ウィータに全身を預けてしばらくの後、ぱぁっと閃光がはじけました。

「まぶしって、え?」

 途端。反転した世界。ふわりと空中を回転したフィーニスたちは、蓮の中に落ちていったのが、横目に見えました。「うなー!」と鳴った、楽しげな甘い声。
 衝撃はなかったのに、背中には柔らかい草の感覚。後頭部には、大きくて大好きな手。目の前には青い空を背負ったウィータがいます。
 頭の下に敷かれていた手がすっと抜かれると。私の顔の両側に手をついたウィータは、思い切り瞼を落としました。

「バランス、崩れたの?」
「オレに唇を許したのさえ、やっとだったのに。ラスには安易に触れさせやがって」
「安易って、頬だよ? それにウィ――」

 名前は最後まで続きませんでした。噛み付くように口付けられたから。
 覆いかぶさって、沈んでくる唇に貪られて、いとも簡単に息があがっていきます。気持ち良いけれど、苦しい。
 そういえば、師匠と初めて深い口づけをしたのも南の森だったなぁ。なんて、荒くなっていく息とは反対、冷静に思い出していました。
 って!! 違う! フィーネとフィーニスが見てるのに! 

「はふっ!」

 爪を埋める勢いで腕を掴んで、ようやく、ウィータが隙間をあけてくれました。でも、私を見下ろす瞳は熱っぽくて、少しあがった呼吸はやけに艶めいている。
 どくどくする。ずくずくする。

「ウィータのばかぁ! フィーネやフィーニスも、いるのに!」
「……問題はそこかよ」

 姿勢はそのままに、頬を撫でてくるウィータ。苦々しい口調なのに、手つきは驚くくらい甘いのです。
 不満そうに尖った唇を、ひとさし指でふにっと押してやります。

「とっても重要! 教育的指導! って、ひゃ!」

 なっ舐めた! っていうか、ぱくってした!
 柔らかい感触に包まれた指を、全速力で引っこ抜いても。指先の火は消えませんでした。ウィータは師匠よりスケベだ!
 ……そんなことありませんでした。師匠も想いを告げる前にぺろってしてきましたっけ。誤魔化したけど、私が告白まがいを叫んだ後。 

「ざまぁみろ。煽ってんじゃねぇよ」
「随分と成長したものだのう、ウィータ。協力さておいて、着いた直後から戯れをはじめるとは、大層偉くなったものよ」
「よぅ。久しぶりだな」

 ぎゃぁ! 守護精霊様ですよ! 寝転がる私たちを横からじーと眺めているじゃないですか!
 ぷかぷかと浮かび、両頬を支えている守護精霊様に、喉の奥で叫びが破裂しました。
 ウィータさん。手を引いて起こしてくれるのはいいです。問題は、一人平然と挨拶なんかしちゃってますのよ。私は、未だに心臓ばくばくなのに。

「あれ? フィーニスとフィーネは、ど――! いやぁ! ふたりとも、お花に食べられてる!?」

 今の私は某絵画のような姿に違いありません。だって、二人が落ちたと思っていた蓮の花弁は閉じ、見えているのはゆらゆら揺れている可愛い尻尾だけなんです! まさかの食猫植物?! 百年後にはそんなのなかったのに!
 しかめっ面で耳を塞いでいるウィータは無視です!

「アニム、さっきからうるせぇよ」
「うるさいないよ! ばかウィータ! フィーニスとフィーネが、食べられちゃってる!」

 数歩離れた場所にある蓮っぽい花たちに駆け寄ります。どこから開けて良いものか。花弁を必死に引っ張りますが、ゴムみたいに伸びるだけです。
 涙目になりかけたところで。すいっと飛んできた守護精霊様が掌を翳しました。ふわりと光が溢れて、愛らしいお尻がふたつ出てきました! わーん、よかった! とけてない!

「うなぁ。あにみゅー、おはなが蜜くれたのぞ。うままー!」
「あにむちゃも、あーんちて? うにゃ? あにむちゃ、なんでないちぇるの?!」
「ほんちょだ! あにみゅ、どこぞ打ったのかいな!」

 黄金の蜜を口の端につけたまま、二人が飛びついてきました。頬を撫でてくれます。とっても甘い香りを全身に纏っています。
 私が一人で勘違いしただけなのに、へにゃへにゃと座り込んでしまいました。ぽんと頭に落ちてきた掌を、お門違いにも恨めしく思ってしまいますよ。

「オレの魔力に引き寄せられて、戯れてただけだ。この森には、危害を加えてくる植物も妖精もいねぇよ」

 えぇ、えぇ。重々承知しておりますよ! 以前、傀儡に襲われた際に、フィーネが南の森に怖い植物はいないって教えてくれたのをよーく覚えています。
 それに、百年前でも守護精霊様が起きていらっしゃるなら、安全だろうなって予想もつく。何より、フィーネとフィーニスが危ないって察知可能なウィータが、心配していなかったですから。
 それでもと、勝手な感情からきっと、ウィータを睨みあげてしまいました。
 睨んでいる私と、瞼を落として呆れた視線を投げてくるウィータ。すりすりと頬ずりをしてくれるフィーネとフィーニス。
 奇妙な私たちを見かねたのか。守護精霊様が花びらを散らしました。

「そうはいうても、ウィータ、おんしも人が悪い。うるさいなどとのたまっている暇があるならば、案ずるなの一言くらい、先にかけてやるものぞ」
「うっせぇ。こいつすばしっこいからな。捕まえる暇も声をかける隙もなかっただけだ」
「外界に出て、随分と性格が歪んだのか。口のききかたも荒くなりおってからに。成長したのは外見だけか」
「外見、成長ですか?」

 怒っているのも忘れ、首を傾げてしまいます。
 師匠《ウィータ》の不老不死は始祖さんの守護って聞きました。なら、始祖さんを封印してメメント・モリから出た時には、すでに成長がとまっていたのでは。 
 私の隣に腰を下ろしたウィータは、ひらひらと手を振ります。

「メメント・モリを出たのは、せいぜい十四、五歳の頃だったからな。今は一応それよりは上で成長が止まっている。始祖の加護による不老の洗礼は、そいつが最も身体能力の高い時期に術が発動するんだよ。強大な魔法を使役するには、それに耐え得る肉体が必要だからな」
「へぇ。ウィータが、今の外見で、止まってて、よかった」
「また、じじいってな理由じゃねぇだろうな」

 おぉ。顔が近いですよ。ものすっごいじと目で睨まれてます。そして、お約束的に髪の先を掴まれてる。
 師匠なら、三十路でも五十路でもかっこいいと思うのです。安心した点は、もっと下の可能性。

「違うよ。旅に出た年なくて、よかったいう意味。ウィータも、少年と、青年の間。さらに年下は、私、ちょっと、犯罪っぽいじゃない」
「犯罪? あぁ、お前の故郷の価値観か?」
「それもあるかも。少年、若くても、中身はししょーだもん。好きになるは、変わらないから」

 自分で言っておきながら。悔しくなってしまい、ぷいっと視線を逸らしちゃいました。
 どうせ引き篭っているし、この世界の結婚観はいまいち把握しきれてませんから、さして気にとめる必要はないかもですが。やっぱり、女性が年上というのは気になりますもの。
 師匠って、黙っていれば綺麗なんです。肉体的な年上コンプレックスに加えては、悲しいです。

「ありゅじ、まっかっかの実みたいなのじゃ」
「あるじちゃま、おねつでしゅ?」

 踊ったフィーニスとフィーネの尻尾を横目で追えば。二人の言葉の意味が、すぐにわかりました。耳まで染めたウィータが、ぐっと仰け反っていました。
 わっ私、変なこと言ってませんよね!? 好きっていう前に、ししょーってつけてたし、ウィータが照れる必要はないと思うんですけど!
 私の頬も、熱をあげていく。横で、守護精霊様がによによと笑ってらっしゃるのです。

「ほんに、よう熟れおって。精霊である妾にも理解出来るわ。未来のおんしの弟子というのは。その娘であろう? その様子では、単なる弟子ではあるまいて。まさかウィータに嫁を紹介される日がくるとは塵ほどにも予想しておらんかったのう」
「子猫たちはともかく! 守護精霊はその三日月みたいな、けったいな目つきはやめやがれ! そもそもオレのじゃねぇよ! 未来の師匠とやらの弟子だ」

 ウィータのおでこをさすっていたフィーニスたちを抱きかかえ。ウィータは大声でがなりました。器用にも、フィーニスの立っている耳をちゃんと片手で押さえてあげながら。
 耳がきーんってなっちゃいますもんね。ぐりぐりと耳をいじられてるフィーニスとお揃いに、糸目になって笑ってしまいました。優しいウィータが、好きだなって。

「戯れはさておき。ウィータが急に連絡よこしてきた際に、事情を聞いてはいたが……ほんに先の時間軸からきたのか」

 守護精霊様の眼差しが真剣みを帯びました。
 つられて、私も立ち上がって背筋を伸ばします。自己紹介まだでしたね。

「アニムいいます。未来でも、守護精霊様、お世話になってます。今日も、ありがとうございます」
「ほぅ。ウィータの弟子にしては、大層めんこく礼儀正しい女子じゃな。ほぅほぅ。ウィータ。おんし、かように可愛らしいくて心の根のまっすぐな女子が好みじゃったのか」
「心根がまっすぐかなんて、顔を合わせたばかりのお前には判断つかねぇだろうが」

 ウィータがこばかなしたように鼻を鳴らしました。大魔法顔負けですよ。
 でも……ウィータは、好みや外見については、否定したり突っ込んだりしなかった。面倒臭いって理由でも、にやけていく程度には嬉しいの。都合の良い解釈だけれど、良いや。
 守護精霊様も、負けじと妖艶な微笑みで向き合います。

「おんしの意地悪のおかげでな。狭い世界におる妾じゃが、子猫たちへの態度を見て察せられないような愚者ではないよ」
「相変わらず、一言多いつーの」

 けっとか呟いちゃって。ウィータも可愛いなぁ。
 ほこほこしてお二人を眺めていると、ウィータに頬を引っ張られてしまいました。いひゃい、いひゃい。
 その拍子に解放されたフィーニスたちが、守護精霊様の前でぺこりと体を揺らしました。

「こんちゃ。あるじちゃまの式神のふぃーねでち。未来にかえりゅお手伝い、お願いしますでち」
「ふぃーにすなのぞ。あんにゃ、あんにゃ……」

 可愛く挨拶できました! ぎゅっぎゅしようと思ったのに。フィーニスが自分の尻尾を握って、もじもじとしだしました。あれは、しょんぼりしている時かお願いがある仕草です。
 守護精霊様とウィータを交互に映しているフィーニスに代わって口を開いたのは、フィーネでした。

「あるじちゃま。まだ満月さんとちっちゃいお月さんの夜まで、お時間あるでちょ?」
「あぁ。完全に日が落ちてから、花びらの滝の上に魔法陣を敷き始める予定だ。あそこの水は、始祖が浸かっている湖から流れてきているからな」
「じゃあにゃ! ふぃーにすたち、ちょっと探検してもいいかいのう? 未来はもっとすごいけど、ここも綺麗でおいしい匂いするのじゃ!」

 フィーニスとフィーネは、可愛く「だめかにゃ?」って頭をこてんと倒しました。可愛いです。あんな上目でお願いされちゃ、断れません。
 お二人も私と同じ心境だったのでしょうね。ウィータは二人の鼻先を、こしょこしょとくすぐりました。

「問題ない。ただし、あんまり遠くに行くなよ? 今のオレは、森のどこにでも干渉できるわけじゃねぇからな」
「うななー!」

 万歳と小さな体ごと伸ばしたフィーネとフィーニス。
 確かに、とっても甘い香りが風に交じってきています。隣の森は果物がいっぱいですし、お昼寝して元気いっぱいですから、冒険したくもなりますよね。

「ならば、妾が案内しよう」
「あんがちょー! 守護精霊さま、いっちょうれちい!」
「なのぞ! ふぃーにすたち、めめんと・もり全部好きじゃけど、南の森がいっちばん楽しいのじゃ!」

 うっとり。ほぅっとほっぺたを押さえた二人に、守護精霊さまが鈴を転がすような声を出しました。優しい風が吹き、花や草が応えるように漂います。
 「光栄だのう」と嬉しそうな色を浮かべた守護精霊様の肩に乗り、フィーネたちは花畑に消えていきました。

「さて、オレたちはどうするかな。つっても、あんまり動くわけにもいかねぇから、花畑を散歩するか昼寝しかねぇな」
「じゃあ、お散歩しよ?」

 ウィータのことだから、お昼寝一択だと思っていたのに。思いがけず散歩の提案をされ、心が躍りました。ウィータと一緒にいられるのは、あとちょっと。なら、少しでもウィータの声や心に触れていたい。
 前に周り込み、手を引っ張ります。一瞬、うげっと口元を歪めたウィータでしたけれど、自分から言い出した手前断れなかったようで、素直に後ろからついてきてくれました。

「とっても、綺麗だね。甘い、香り。知ってる場所くると、不思議。やっぱり、ここ、過去だって、実感する」
「百年後と違う光景なのか?」
「ほとんどはね、同じ。けど、百年後は、もっともっと、すごいよ? 今は、故郷と似たようなお花、咲いてる。百年後は、雪洞みたいだったり、金平糖みたいだったり。色んな形や、グラデーションなる色なの」

 花畑のふちに来て間近で眺める景色。当たり前ですが、見上げた空には、結界の魔法陣はありません。封印と私のための結界では、術式が違うんでしょうね。
 直接日の明かりを浴びている植物は、綺麗。けれど――。

「未来の花畑にはね、ししょーがはった、私を守ってくれる、浄化の魔法陣、空一面あるの。その不思議な光と、太陽の光まざって、植物にも、降り注ぐの。まるで、風も、きらきらしてる」

 深呼吸で体に入ってくる風も、爽やかで。髪を掬う風も、優しい。自然の光を受けている花は、どちらかというと、私の故郷の植物に似ています。
 百年後は、もっと魔法を含んでいる。私は、未来の光景が好き。師匠の気持ちが注がれてるみたいで。

「私の故郷とは、全然違う、魔法の植物ばかり。だから、ししょーを近く、感じられる。ししょーと手を繋いで、感じる風や香りは、もう私の一部なんだって、改めて感じられるです」

 師匠が近いのに。結界の中では、外界に近い空気を持っている地域。なんだか師匠の心と優しさみたいで、ぽっと胸があたたかくなります。
 ふいに繋がれた手。少しばかり驚いて見上げた先には、真っ直ぐ前を見つめているウィータがいました。
 私もならって、遠く前で続いている花たちを瞳に焼き付けます。とくんとくんと。ウィータの掌から染みこんでくる熱が、肌に心地良い。

「あっ――」

 ぽろっと漏れた声。唇が震えて、口を覆った手が痺れてる。
 思い出した過去の何気ない一言が、今になって瞳を潤ませてくる。あの日の出来事は、鮮明に思い出せます。
 カローラさんに召喚を見せられた後。初めて南の森に連れてきてもらえた日。フィーニスとフィーネが、素敵な花飾りの贈物をくれた。恐ろしい傀儡に襲われた。そして、師匠に思いのたけをぶつけて告白して、受け入れてもらえた日。

『違うの。百年前、も、私、こうして、ししょー隣、いたかったなぁって』
『お前は、オレを壊す気か』

 師匠はどんな気持ちで私の言葉を聞いていたのでしょう。喉の奥が、瞳の奥が痛い。
 ちょっと前なら、私に『アニム』を重ねたのかもって落ち込んだ。でも、今は違う。無責任に、幸せだなんて胸が熱くなってしまう。
 私、ウィータの中にいられたんだね。百年前も。
 隣にいるウィータが師匠と同じ想いを持っていないのは痛いくらいわかってる。でも、同じなくてもね。ウィータの心の片隅にでもいられているのも、口づけやちょっとした仕草や彼が纏う色から、充分伝わってきています。

「アニム、あっちに――って、おい! 泣いたりして、どうした! 南の森の空気が合わないのかよ。どっか痛むのか? 虫にでも刺されたか?」

 自分でも気がつかないうちに、涙が零れていたようです。
 慌てて顔を覗き込んできたウィータの言葉でようやく、自覚した肌を転がる雫の存在。
 あの時は、私が腹筋崩壊のツボだったかなんて、的外れな返事をしていました。ウィータのは純粋な心配なので比較は可笑しいかな。
 今度は笑いがとまりません。

「ばかウィータ」
「なっ! おまえなぁ、泣いたり笑ったり、あまつさえ、ばかって」

 はぁと脱力したウィータを遮り、飛びついていました。
 押し倒す勢いだったのに。ウィータは、たたらを踏んだだけでした。師匠なら一緒に倒れているところなのになぁ。
 首にまわした腕に力が入ります。ごめんね、ウィータ。制服である魔法衣、涙で汚れちゃうよね。申し訳なさは沸いてくるのに、ちっとも離れる気にはなりません。

「ばかウィータ。あのね……」
「んだよ」

 凄むより拗ねている色が濃い声色が耳をくすぐります。拗ねているのに、少し身を屈めて、しっかり抱きしめてくれているウィータに、伝えたい想いが物凄い勢いで膨らんでいきます。
 また、溢れてくる涙。
 長い髪に隠れている耳をさぐりあて、口づけするように唇を寄せます。ウィータの体が跳ねたのと同時、ありったけの気持ちを込めて名前を呼びました。

「ウィータ、あのね。ウィータ。私、ウィータも、好きだよ」

 触れ合っていたウィータの体が、完全にかたまりました。首にまわした腕から、触れ合っている部分から――私をとらえてくれているウィータの存在が、反応してくれたのが流れ込んでくる。
 迷惑だったかな、なんて眉を垂らしたのは数秒。

「私、貴方も、好きなの。ひどい。私の、全部持ってく、ウィータは、ひどいよ」

 そっと離した先には。目を見開いて、空とは反対の色に鮮やかに染まっているウィータがいてくれました。
 踵を地面に落とし、わずかに身を引くと思いの外あっさり解放されました。
 残念なんて考えは、すぐさま払拭されました。ウィータが真っ赤なまま、耳を押さえていたから。私が触れた部分を、彼が触ってくれているのがどうしようもなく嬉しい。
 だらんと垂れている手を、両手で包み込みます。私の宝物。

「私、ずっと、迷ってた。私が、ウィータに願うのは、ウィータの百年――それ以上を、縛ってしまう、のろいみたいに、なるんじゃないかって。だからね、本当は、告げないまま、帰ろうって、思ってたの」
「のろ……い、だなんて。言ったろ。オレは未来が変わることに、抵抗は、ねぇ……そう、ないって」

 噛み締めるように口を開いたウィータには、前に聞いた勢いと明確さはありませんでした。まるで自分に言い聞かせているみたい。
 それが背中を押したのでしょう。瞳にウィータだけを映します。頑張れって応援してくれるみたいに吹いた風が、髪をすり抜けていく。舞った花びらの中にいるウィータも、私だけを捉えてくれている。

「私、ウィータに出会えて、良かった。ウィータが、雨乃を探してくれて、見つけてくれて、私が今、ここに立っていられる。フィーネやフィーニスも、生まれてくれた」

 私の声に黙って耳を傾けてくれるウィータに、鼻がつんとなります。
 未来を選ぶってつまり、ウィータに業を背負わせる可能性を導くこと。でもね。もし私がいる未来に繋がらなくても。私を掴んでくれて、フィーニスとフィーネを生み出してくれるっていう、おかしな確信があるの。

「幸せだけじゃない。辛いも、悲しいも。人の命の上に、私の、幸せがあってくれるのも、忘れない」

 召喚獣が巻き込んだ命。私は一人巻き込まれて、ここにあるんじゃない。師匠は私の世界の人たちの命、直接奪った人じゃない。
 けれど。自分勝手でもいい。ごめんなさい。どう考えても、私は今の私が、私に寄り添ってくれる命たちに、微笑むばかり。

「私、生きてて、良かった。ししょーと、生きてきて、これからもずっと、傍で、ケンカしたり、笑ったり、口づけしたい。ししょーの隣で、生きていきたい、願ってる」

 私も大概ひどい。全部は言わないくせに、ウィータを縛るつもり。見つけてとか、召喚してね、なんて具体的なお願いはしないのに。
 それでも。一握りの願いでも、ウィータには届くと思ったんです。

「だから、雨乃と、出会ってね。アニムを、弟子にして――」

 両方の手を差し出すと、触れるのが自然だと言わんばかりに乗せられた熱。ぎゅっと握った手の甲に、指を滑らせます。
 口の端をあげている私とは真逆、ウィータは今にも泣き出しそう。アイスブルーの瞳を戸惑いで揺らしている。への字口で、私の言葉を待ってくれています。

「ウィータ・アルカヌム・ドーヌム・インベル・リガートゥル。白藤雨乃とアニム・ス・リガートゥルとね」

 真名を口にするのは卑怯かな。
 最初はね。ウィータとか師匠にって、お願いするつもりでした。なのに、師匠《ウィータ》の真名が、心の魔法みたく出てきたの。
 私は、まだ全部師匠が背負う運命を知らない。けれど、愛してる人を知っていきたい。ウィータごと、もっともっと大好きになりたい。そんな想いを詰め込んで。

「んっ」

 頬に唇を押し付けます。たぶん、これまでで一番拙い口づけ。
 心臓が胸を破って出てきそう。ばくばくと血を流す激しい鼓動が、全身をほてらせる。師匠の魔力がまじった魂と血が、伝えて伝えてって突っついてきてる。
 私、とんでもない表情してるんだろうな。また、ぽろりと頬を転がった涙が、微笑みで蒸発しそう。喉を鳴らしたウィータを、真っ直ぐ見上げます。

「私と、恋に、落ちてください。貴方の、私《アニム》と」
「――っ」

 ウィータが息を呑みました。それさえも、私には魔法。
 優しい風が私とウィータの髪を舞い上げます。私の闇色の髪と、ウィータのレモンシフォンの髪が、絡み合う。瞳も同じ。溶け合ってしまいそう。
 どれくらい、溶け合っていたのでしょう。先に口を開いたのは、ウィータでした。握り合った私の両手を額にあてて。

「気が、向いたら、な」
「うん。ありがと! 気持ち、一緒に、積み重ねてね」

 間髪入れずに、満面の笑みで返しました。
 苦しげな声色なんて無視です。逆に、その絞り出すような返事が、想いを深くする。

「あっありがとうって、アニム、お前さぁ」
「だって、ありがとう以外、言葉みつからないもの。あ、でも、かなり頑張らないと、かも。私、ししょー好き、自覚したの、かなり遅かったし」

 恥ずかしくて、すっと身を引きました。そのまま、くるりと回転し、花畑に踏み出します。逃げるつもりはないのです。ただ、泣き顔を見られたくなくて。
 離れる寸前、きゅっと指先をつかまれました。

「アニムは遠くに行く、くせにな。雨乃にいたっちゃ、まだ生まれてもないだろ」

 苦笑を浮かべたウィータ。肌を滑った指は、あっさり離れていきました。
 どこかで見たことある表情です。苦笑だけじゃない。ウィータが醸し出す色が。
 大きな樹と青空をバックに背負い、儚げに見えた師匠。太陽と魔法陣の光を浴びて、レモンシフォンの髪がひときわ色を薄くし、輝いていました。

 遠くに行く。

 師匠に言われたのと似てる。師匠はあまり遠くに行かないでくれというニュアンスの言葉をもらいました。

 遠くは、未来。遠くは過去。そして、私の故郷。

 師匠はずっとずっと。私が思うより深く、私を思ってくれていたんだね。手放したくないって。ぶわっと。壊れた涙腺は、私の意思と関係なく、熱を零してくる。

「うん。だから、未来で、待ってる。貴方《ウィータ》の腕の中、絶対帰るから、待ってて」

 両腕を広げて、瞳を蕩けさせれば……ウィータに痛いほど、抱きしめられていました。
 なくしたくない。私、この優しくて、あったかくて、強い。縋りつきたい体温を失いたくない。
 自分が無知だったなんて後悔しない。だって、私は私だから。それでも、過去《ここ》があるが、私。

「あぁ」

 耳に流れ込んでくる、耐えたような声。短い返事は、何よりの証でした。




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