引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

25.引き篭り師弟と、大切なものに別れの言葉を。


――ピピッピ、ピピ、ピッポ――

 うっとりと。まどろむ心地よい夢に浸っていたいというのに。脳を痛める硬い機械音が響いた。むっとしても。規則的に鳴り続ける。
 燦々とした光を受け、開きかけていた瞼を下ろしてしまった。その間も、耳障りな目覚ましは、ただちに起き上がるよう急かしてくる。
 枕元にあるはずのスマホを手繰り寄せ、思い切り画面をタッチした。見なくてもわかる、ストップの文字位置。

「も、なに。……うわ、カーテン開けっ放しだ」

 悪態をついてからすぐ。あぁ、そうだと思い当たった。朝方までレポートを書いていたんだ。朝が苦手な自分の性格を考えて、出来るうちにと。
 真新しいプリンターは幸い静かなので、印刷までかけてからベッドに倒れ込んだんだっけか。机に投げられた白い用紙を手に取り、目を走らせた。インクの掠れはない。内容を見直す気力は皆無。これでいいや。
 三時までに、科の受付に出さなきゃだ。
 目覚ましをかけて寝ただけでも上出来だと、気持ちを切り替える。むしろ、十一月とは言え、昼まで目覚めなかった方がどうかしてる。

「ひとまず、シャワーでもあびよう」

 これを提出さえしてしまえば、いくらでも眠れる。
 うつらうつらと霞む視界。つい先日まで不眠がちだったのが嘘のようだ。気を抜けば、まどろみが押し寄せてくる。
 深い溜め息が落ちた。
 人間は忘れていく生き物。だれかが言ってたな。両親だったか友人だったか。それとも無関係なテレビの向こうだったかな。覚えてないや。
 自分がとてつもなく薄情な人間な気がして――いや、実際そうなんだろうな。瞳が湿っていった。おかしい。こんなの。泣きたいのは、生きてる私じゃない。私は恨まれこそすれ、泣いて良い立場じゃない。

「涙なんて、出なかったのに。全部、彼のせいだ」

 ぼやいたのほぼ同時、SNSの個人通知音が鳴った。
 目覚ましとは違う音に、さっと手が伸びる。画面に表示されているのは、予想通りの名前だった。

【起きてるか? 相良教授の出席ぎりぎりなんだろ。レポート提出ミスったらやばいぞ。】
【ばっちりだよ。ちょうど今から大学行く準備しようと思ってたところだし】

 可愛いキャラクターがビシっと指差しているスタンプを送信すると、すぐさま呆れている動物が表示された。
 彼の外見だけを見知っている人が目にしたら、絶対似合わないと頬を強張らせる絵柄だ。

【あほ雨乃。それはつまり、今起きましたって言って、目覚ましに風呂に入るって宣言してるのばればれだぞ。いいや。一時間後に家に迎えに行く。チャイム鳴らしても出てこなかった、合鍵で入るからな】

 そうだ。彼にはうちのスペアキーを渡してあるんだった。
 日本に留学してきて数ヶ月だというのに、『風呂』やら『合鍵』なんて漢字を使う彼に笑いが零れる。
 いくら英語が苦手な私だって、ある程度なら平気だよと返した。その日のうちに、全文しかも小難しい英文が送られてきたのさえ懐かしく感じてしまう。直接声に出す時なら教えてやるよと、変なこだわりも示されたっけ。
 彼とはまだ出会って数ヶ月なのに……不思議ともう何年も一緒にいるような気持ちになる。
 散々迷ったあげく、一言だけ打ち込んだ。

【エッチ! 訴えてやる!】
【よし、わかった。すぐ行く。オレのマンションから五分で着くからな。寝起きを見られるのが良いか、風呂で襲われるのがいいか選んどけ。返信不要】
【うそです、ごめんです。きっちり一時間後にお願いしますです。お昼、作る?】

 彼はやると言ったら本当に実行に移す人だ。なんせ外国の某有名大学を飛び級も飛び級で卒業したうえ、実家は由緒正しき家系。であるのに、日本のなぜか普通の大学であるうちに留学してきたぐらいだ。
 うちに日本でも有名な教授が数名いるのは確かだけど、それにしてもだ。彼らの存在は、うちの大学七不思議のひとつになりつつある。
 本人たちいわく、目的があるらしいが……尋ねても、端整な尊顔を悪魔のごとく歪め笑うだけなので、いつしか禁句になった。

【……変な日本語。了解。昼はいい。提出してから、ラスとホーラのカフェに行こう】

 うぐ。まさか外国生まれの人に指摘されるとは。うん、焦り過ぎて自分でも奇妙だった自覚はあるけどね。
 それにしても、だ。いつもなら、もっと突っ込んでくるのにな。課題はともかく、やはり日本語でのレポートはそれなりに、彼にとっても大変だったのかもしれない。疲れてるのかも。
 一人で納得して、ありがとうとだけ返し部屋を後にした。

「おはよー」

 階段をおりきって絞りだした挨拶に、返事はない。物理的な距離のある彼はテンポよく応えてくれるのに。家の中は静まり返っている。この違和感はなんだろう。
 わかってる。下唇が痛い。
 おじいちゃんの代からある、数年前にリフォームした一軒家には私しかいない。

「ばか、みたい」

 両親は夏に起きた事故で亡くなっている。私もいたはずなのに、当時の記憶がないのだ。ひとりっこだった私は、孤独の身になった。違うか。気持ちの上では、天涯孤独なんだ。
 両親が残してくれた遺産は、大学の学費にあてるには充分だ。弁護士につてのある叔父さんも、遺産相続に惜しみなく手を伸ばしてくれた。法に無知な私が安心して暮らせるのも、そのおかげだ。遠くに住む、従姉妹も母方の祖父母も何かと連絡をくれる。
 親友の千沙や亜希だって、ゼミの先輩たちだって優しい。

「なのに、どうしてだろう。胸にぽっかり穴が開いたみたいなの。正体が見えない気持ちにばかり、泣いてる」

 ふと思うのだ。この家の中はもっと賑やかだったんじゃないかって。
 ばたばたと響く足音。響く喧嘩。子ども特有の心躍る甘いはしゃぎ声。それから、制服姿の――だれかたち。私は強請るより頼られる立場だったんじゃないかって。壁に飾られた乾いた花飾りを見る度、苦しくなる。
 それと――したったらずで特徴のある、可愛い存在。私をどこまでも甘やかしてくれる人たち。胸を熱くする、だれかの熱。

「寂しいからって、妄想癖?! いやいや、やばいでしょ、私! 私が好きなのは、って違うし! うん、すっごく落ち込んでた私に、彼は親切にしてくれてるだけ! 持ちつもたれつ!」

 だれかの熱、で浮かんできた姿に頭を振って追い出す。
 彼に好意を持っているのは否定出来ない。だけど――けど、なにかが違うと、距離をつめるのを二の足を踏んでしまう。好きなんだけど、好きよりも深いものを抱いたことがあるように。
 有り得ない。この年になるまでろくに恋愛をしてこなかった私が、存在を焦がすほどの恋慕を抱くなんて。

「熱いシャワーでさっぱりしよう」

 ちゃんと湯船に浸かりたいけど、お湯をはっている時間はないから。
 五右衛門風呂に入りたいなんて考えたのは、どうしてだろう。おばあちゃんのうちを思い出したのかな。


*****


「ほんとに時間きっかりなんだから。女の子は支度に準備かかるの。もてる男性ならわかるでしょ」
「うっせぇ。雨乃相手にまで裏読むなんて、面倒くせぇことしたくねぇよ」

 どこで覚えたのか。難しい日本語も容易に操ってみせる割に、口調が荒いんだよね。玄関先で腕を組み、むすりと口を結んでいる彼を無意味に睨んでしまう。
 私、荒っぽい人は苦手だった。なのに。どうしてか、彼のは気にならないんだよね。容姿が童話の王子様みたいなのもある。それは別にして一番の要因は、彼の中身や仕草がこの上なく優しいからなんだろうな。
 友に向けるには甘すぎて、「勘違いされるから、それ!」と注意することも多々あるくらいだ。
 外国では当然のスキンシップも、私――私たち日本人には特別だと勘違いされてしまうんだよ? 特に、あなたみたいなかっこよくて性格も良い男性はさ。
今の言葉は前向きにとっておくね? 私の心の広さに感謝してよ。

「よく言う。まっ、その通りだから否定する気は初っからないが。じゃあ、オレは雨乃のやきもちだって解釈しとくな」
「全然、まったく、じゃあに繋がってない!」

 声を荒げて頬を引っ張っても、彼は楽しそうに笑うだけ。悔しくて、さらにぐいぐい親指の腹を押し当ててしまう。
 馴れ馴れしいって腕を叩かれるのを期待していたのに……彼は、ウィータはそっと掌を重ねてきた。
 浮かべていた少年みたいな笑みは影もない。肌は触れているはずなのに、眼前の彼は知らない大人びた微笑を浮かべている。やだ。いやだよ。
 遠い。ウィータが遠い。一気に、涙がこみ上げてくる。私が触れたことのない彼が怖い。
 涙で化粧が崩れちゃうよ、ばかばか。

「悪い、調子に乗りすぎたな。そうだ、センもディーバも校内で待ってるって言ってた。ちゃっちゃとレポート出してこようぜ」
「う、ん」

 私の涙声を、夏の出来事を思い出したからだと思ったのか。彼は背を撫でて、助手席のドアを開けてくれた。
 私、甘えてる。ウィータの優しさに、すがり付いてる。
 ウィータと出会ったのは、両親を亡くす数週間前だった。夏休み直前、全ての試験を終えて帰ろうとしている夕刻。
 千沙や亜希と、正門前のバス停で待ち合わせをしていたのに。同じ科のあまり会話したことのない同級生に捕まってしまったのだ。千沙に関する相談と言われた割に、なぜか私への質問攻めで。ようやく解放されたのは、千沙自身の電話だった。よくわらかないけど、一言告げただけで千沙は「うん、把握したわ。とりあえず、千沙本人が後日なって笑ってるって言って」と笑ったのだ。長い付き合いの私はこんな風に千沙が笑うのは、心底怒っているのだと知っていたので、大人しく有りのまま告げた。
 同級生はなぜか真っ青になって去っていった。
 その後だ。階段を駆け下りていたところに書類が降ってきたのは。見上げた先には、綺麗な薄い水色の瞳をした男性がいた。まるで絵画から抜け出たような容姿に見とれた。でも、本当に目を奪われたのは、それから数秒後。
 彼は――ウィータは、泣き出しそうに瞳を潰したのだ。読み違いでなければ、動いた唇は「みつけた」と脳に声を響かせた。音ではなく、耳にしたことのない彼の声色を。

「それから、数ヶ月、か」
「すごいね。ウィータは人の心読めるみたい。私が考えてるの、伝わっちゃう」

 正直、彼が助手席でぼうっとしている私が、過去の出会いを思い出しているのに思い当たったなんて予想していなかった。
 人の心に機敏な彼だから。私が大切な人たちを失った日を思い出しているのは想像ついてしまったのかもしれない。
 長いと有名な交差点の赤信号。ハンドル握っていた彼の指が、私の頬を滑る。

「いや……オレと雨乃が見てきた『世界』は違う。雨乃の『故郷』とオレがいた『世界』は違う」
「ウィータ?」
「オレ、実はさ。親に戻ってこいって言われてるんだよ。だけど、オレが元の『世界』に『帰って』しまえば……いや、オレは雨乃の元に『残り』たいけど」

 青に変わった信号。
 捉えどころのない気持ちが湧き上がる。嗚咽が漏れるほどの涙が溢れてくる。
 かちかちと音を立ててるウィンカーが、胸に刺さる。
 なぜ、そんな言い方するの? 元の世界なんて。まるで別次元みたい。残りたいって、なに? 帰るとか残るとか。まるで、最初から寄り添う可能性なんてないみたい。


――アニム――


 凜と鳴った知らない響き。なのに――涙腺が崩壊していく。頭の片隅で鳴る大好きな色が、号泣を誘う。
 あぁ。あぁ。わからない。わからないけど、私は大好きなの。私…を呼ぶ、その音が、呼吸を乱す。私が欲しいのは、この音。彼の魂が響かせる、私を求める声色なんだ。

「ししょー……」

 運転席から私を真っ直ぐに見つめるウィータ。
 どうして? 私が乗っている車も、見える景色も。ウィータが身につけている服装も、なにもかも、雨乃あめのには見慣れているものなのに。頬を転がる涙も喉からこみ上げる嗚咽も、身体の熱も。私っていう全部が、違うって叫んでる!

「ごめんなさい、ごめん、なさい。でも、私――!!」

 鼻水と涙でぐちゃぐちゃな私に、ウィータはにかっと笑いかけてくれた。
 泡みたいに消えていく景色。
 ごめんなさい、ごめんなさい。だけれど。私は繋がった関係をなかったことに――消したくない! 罪を背負っても、絶ちたくない関係と想いがある。
 私、なくしたくない。両親との思い出はもちろん、雪夜と華菜の存在も! ふたりを宝物って笑ってくれたフィーニスとフィーネも! ふたりが抱いてきた葛藤も、だからこそふたりでいたいって願った想いも! いやだ!! 絶対に!!
 ただ幸せな夢に浸りたい訳じゃない! だれも――みんなが自分の罪を背負って生きていこうとしているのに、阻まないで!
 私は雨乃だけど、アニム! 師匠、それにフィーネとフィーニスが求めてくれた、今の私!

「なかったことにしたくないの! 私にとって、フィーネとフィーニスと、積み重ねたのも……雪夜と華菜が、ふたりに託した想いも、召喚獣さんの痛みも! ししょーが、自分のせいないのに、召喚術失敗で抱いた、思いも! 一緒に背負いたい!」

 今の私になら受け止められる。師匠の想いが痛いほど流れてくる。
 私、ずっと自分の生まれ育った場所を『元の世界』って表現してた。ルシオラが教えてくれていたのに。言われる側に立って改めて、痛さが胸に突き刺さった。

「帰るとか、戻るとかじゃなかった」

 ただ、想えばよかったんだ。願えば、伝わったんだ。ウィータが教えてくれた今なら前を向ける。
 師匠は始祖さんの宝。始祖さんが力の源。
 だったら、始祖さんが師匠の不幸――わざわざ欠片カローラさんが師匠ウィータの大切なものをなくせと願うはずない。
 私もフィーネとフィーニスも自負出来る。私たちは師匠にとってなくしたくない存在だって。

「始祖さん。私、見つけたの。みなさんが、ししょーを大切想う、そして、私を受け入れてくれる人たち、育ててくれた、願い!」

 真っ白になった空間。でも、孤独も寂しさも欠片も感じない。
 この真っ白な霞の向こう。師匠が呆れた微笑で「遅いぞ、あほアニム」って両腕を広げてくれているのが視えるから。

「私、『故郷』を思うは変わらない。けれど、師匠ウィータの『傍』、いたい! この世界で、育んだ縁が、私アニムをつくってる。この積み重ねた時間が、師弟わたしたちの想いを、育ててくれた!」

 そして……ごめんなさい、お父さんにお母さん。ありがとう。ただ、私が伝えたいのはありがとうと幸せだよって想い。
 出会った全ての人と過ごした時間に、ありがとう。
 私は別の場所――師匠の隣で生きていくのを、身体と心の全てで決めました。結末どころか、数時間先まで読めないけれど。後悔はしません。
 私、ここにいたい。
 振り出した雨に、ありがとうと微笑みました。
 そして――さよなら。



読んだよ


 





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