25.引き篭り師弟と、積み重ねた刻が導いた想い3
「アニムだってねぇか? 頭では理解していても、納得いかないこと。それに、どんな顔で笑うか知ってたって、自分の言葉や態度で浮かぶのと他人がそうさせてる――関係を築いていくのは同じじゃない」
「同じじゃ、ない……」
「あぁ。それにお前を抱かなかった理由の時期ってのは、過去に飛ぶって意味じゃねぇだろうな。単純にお前の身体と存在固定――お前が師匠の元に残るって決めるまでって意味だろ」
すとんと胸に落ちてきたウィータの言葉。
途端、ぶわっと涙が溢れて視界が歪んでいきました。真っ白だ。こんこんと熱いものが視界を覆う。
「わた、し。わたし――! あぅ」
壁を作ってたのは、私だった。師匠は一度だって雨乃わたしを『アニム』にしたいからって裏工作なんてしてなかった。
私を見て笑って、呆れて、照れてくれた。私の一言、一挙一動で動揺してた。
こういう反応しろよとか、これが出来るようになれとか押し付けてこなかった。私が触れて、真っ赤になってくれた。傀儡かいらいの時も、メトゥスが襲ってきても、本気で心配してくれてた。全力で守ってくれた。
「おっおい……言っとくが、オレが泣かしたんじゃねぇからな。戻ってから師匠に文句いえ」
ぶっきらぼうな言い方だけど、背中をさすってくれる手つきは優しい。余計に涙が溢れて、ウィータの背中をきつく掴んでしまいます。嗚咽が止まない。
ウィータのせいなんだから。だって、師匠とウィータは同じ魂。私の存在に馴染んでくる。
「ウィータが、泣かせたんだよ。そもそも、存在固定と、抱くの、なんの因果関係」
「あくまでも俺の考えだが。男女の行為が魔力を高めるってのは知ってるか?」
ぐしゃぐしゃな顔を見せたくなくて、俯いたままで頷きます。
髪に触れているウィータの頬がわずかに動いたのが、伝わってきます。間違いなく、苦笑しているんだろうな。
「特にアニムは俺の魔力を体内に持ってる。下手に体内での魔力交配が行われると、俺みたいな強力な魔力――魔力の洗礼を受けている大元が始祖になると、存在固定されるかもしれねぇから。強制的に」
「ウィータの源、始祖さんですか!」
がばりと顔があがってしまいました。いえ、欠片さんを使役しているのでね、納得といえばそうなんですけれど。
瞬きを繰り返すたび、雫が頬を転がっていきます。その都度、ウィータが拭ってくれました。苦しい。肌を滑る手つきから体温まで、全部が胸を締め付ける。
「って、そこなくて。それなら、余計に、無理に奪っても。ししょー、やっぱり、ずっと一緒いるき、なか……た?」
「お前、そーいうのが好みなのかよ」
「変な意味なくて!」
眼を吊り上げて怒る私に、ウィータは笑いを零すばかり。
からかわれているだけなのは痛いほどわかってるんだ。でも、性的な意味じゃなくってね!
「推測だが。きっとお前の意思で、存在固定してもらいたかったのかもな」
呆れたように笑ったウィータ。私、知ってる。こんな笑い方をする師匠を。遠く感じられるのに、私が知らない師匠を垣間見える気がする深い微笑だ。
ふと思い出した言葉。以前、自分は魔法を使えるようにならないのかと、ラスターさんに聞いた時、
『アニムちゃんの場合は、意思がねぇ』
と呟いていらっしゃいました。魔法が使えるようになるのと、意思がどう関係あるんだろうって、すごく不思議に思って調べたのでよく覚えています。
私を抱いてくれなかった時期は、アニムさんになるまで待ってるんじゃなくて、ただただ私を想ってくれてたなんて……。
「ししょーは、いつだって、伝えてくれてた。なのに、私が、揺らいでた」
手放さないって。だれにも渡さないって。
私と離れ離れになる選択肢を残すためじゃなくて、ずっと一緒に生きていくために、待っていてくれたんですね。
勢いがとまっていたはずの涙が、再び鼻の奥をつんと刺激してきます。
「わた、し。ずっとずっと、悩んでたの、あって。あることを、知ってから。こわかった。胸が、痛かった。どんな感情で、あらわせばいいか、わかんなくて。ししょーを、好きなのは、わたし、なのに、って」
「ん」
けれど、とんだ思い違いです。師匠の想いを歪んでみていたのは、私だけ。私の方が師匠を傷つけるひどい考えを持ってた。
師匠は傀儡が嫌いだと言ってました。同じだ。私を『アニム』って人形にしたくて、私を保護してくれたのでも、恋をしたんでもない。
私は雨乃だから、アニムになれた。異世界のウィータって人と恋が出来た。ウィータが探してくれたから、私は師匠のアニムになれた。
「妬けば、良かったんだ。ただ、ししょーが、ウィータに、妬いたみたく。もっともっと、わたしを、好きになってって。わたしが、世界――どの世界の、なかでも、一番、ししょー、好きなんだよって、伝えれば、よかっただけ」
「そりゃ……熱烈だな」
背中を撫でていた手が止まり。頭ごと抱きしめられます。ぐいっと、引き寄せられた腰。
抱きしめてくれているのは師匠じゃないけど。ウィータでよかった。ウィータに出会えて、もっと師匠の魂を好きになれた――過去で。
「私ね、最初、ウィータはししょーない、別人だから、言った。ウィータはししょーないから、しなくて、いいよって。この間も」
「あぁ。まぁオレが先にいっちまったんだがな」
「私、わかった。ウィータはししょーだし、ししょーはウィータなんだ。だから、私も私。ウィータと出会ったのも、ししょーの弟子なったのも、私。一緒で、よかった。全部、繋がってるんだ。繋がってるから、私とししょーがいる」
じゃなかったら、両方好きなんて、とんだ浮気者になってしまうところでした。ウィータには恥ずかしくて言えないけど。聡い彼なら、きっと言外の意味も汲み取ってくれるでしょう。
ウィータから返事はありません。腕に力が込められただけで。
「ねぇ、ウィータ。ウィータは、この世界、好き?」
「あ? なんだよ、突然」
私の質問はよほど不可解だったんでしょう。ウィータは体を離して、しかめっ面です。師匠みたいに、涙は拭ってくれながらも。
今だから、聞くんですよ。胸のつっかえがとれた今なら、ちゃんとこたえが見つけられる気がする。
「魔法は知れば知るほど面白い。知識欲はつきねぇ。封印しちまったが、故郷であるメメント・モリは美しい。反面、外界はくだらねぇなってこともあるし、オレ自身の存在が疎ましく思えたことも少なくねぇ。不老不死だから、人と見る世界いろは違う。争いだって、絶えない。日常なんて退屈だ……そういうアニムの故郷はどうだよ」
「私の、故郷は、魔法ないし不老不死ないけど、似たようなもの、かも。でも故郷は、大切」
「どこだって大差ねぇよな。でも――」
ふわりと微笑んだウィータに、心臓が跳ね上がりました。どきどきがとまらない。抱きしめられていた時よりも、体が熱い。触れている部分なんて、私の毛先だけなのに。
なんでだろう。瞳が蕩けているように見えるのは、私の願望?
「子猫たちやアニムみたいのが傍にいるなら、退屈はしなさそうだな。お前はどうだ? メメント・モリに引き篭ってて、退屈してねぇか?」
「全然。毎日、楽しい。一人で引き篭る、寂しいけど、ししょー傍に、いてくれる。フィーニスとフィーネも、可愛い。ししょーがね、色んなの、教えてくれる。そのたび、この世界、好きなるの」
「そっか。なら悪くねぇな。オレも好きだよ、この世界」
繋がれた手が、ぎゅっと握られました。
すす好きって私に向けられた言葉じゃないのに、鼓動が早まっていく! うん、世界! やっぱりウィータも師匠も、この世界大好きなんですね! 師匠にとって大切な世界は、私にも大切――。
はっと息を呑みました。泣いて頭はぐらぐらしてるのに。今の私はやけに冴えています。見つけた! さっきのウィータの言葉みたいに、すごくしっくりきた言葉と想い。センさんやディーバさんが、くれたヒント!
急に顔を輝かせた私に、ウィータが口元を引きつらせました。
「ん? どうかしたか?」
「うん、どうかした! ありがと、ウィータ!」
ウィータのおかげで師匠に近づけた! 始祖さんのお気に召すかなんてさっぱりです。でもいい。だって、私の心はこれまでにないほどに晴天です。雨なみだが交じった晴天。矛盾してるけど、してない。
これで私の『故郷』に飛ばされちゃっても、絶対師匠のもとにまた召喚してもらう。呼んでみせる。自信がわいた!!
「なっなんだ、その返しは。お前、本当に予想外すぎる」
ウィータは満面の笑みの私にドン引きしたようです。
構わず、思いっきり飛びついてやります。押し倒す形になったのはご愛嬌。
もうもう、ウィータも大好き! 師匠にもウィータにも、私の中にある好きって感情、全部持っていかれて、さらに好きを生み出してくれる。こんな人、どんな次元探したって師匠ウィータしかいない。
戸惑いつつもしっかり受け止めてくれているウィータ。ぐりぐりと肩口に額をこすりつけてやります。
どれぐらいそうしていたでしょう。さすがにおでこが赤くなってそうと思った頃。羞恥心が戻ってきて、誤魔化し笑いを流しながら起き上がりました。
「えへへ。重かったよね、ごめんですよ」
「あほアニム。そんな問題じゃねぇだろ」
自分の頭をぽんぽん叩いて誤魔化す私。ウィータに手首を掴まれてしまいました。
てっきり瞼を落として睨まれていると思ったのに。ウィータに浮かんでいたのは思案の色でした。怒っているんじゃなさそうです。
「結局さ、師匠に真名の意味は聞けたのか?」
「え? ううん。そんな余裕、なかったし」
今度はウィータから突拍子もない質問です。
過去にきた際、私のアニム・ス・リガートゥルという名前に赤面したウィータ。理由を尋ねても、師匠に聞けの一点張りでした。
そっか。もし始祖さんに元の世界に帰されちゃったら、知ることも出来なくなってしまうんだ。
「ちょっと待ってろ」
ウィータの口が小さく動いたと思うと、部屋の空気が変わりました。私にもちょっとだけど、魔力を感じ取れてる。
なにかの結界でしょうか。首を傾げて見上げた先。ウィータは軽く口の端をあげました。
「特権階級の部屋には、もとより結界がはられている。だが、二重に不可侵の結界をはったんだ。オレの真名を教えてやるんだから、これくらいはしねぇとな。知りたいんだろ?」
「うん。ウィータが、教えてくれるの?」
「あぁ。心して――いや、覚悟して聞けよ」
心しては理解出来ますけど……覚悟とは。
でも、まぁ。師匠を知られるなら覚悟は充分です。離れ離れになる可能性をかんがみると、少しでも多く、師匠に関する記憶を刻んでおきたい。真名ならなおさらです。ともかく。深く頷き返します。
すいっと近づいてきたウィータ。耳に唇が触れて、ぞわっと肌が震えてしまいます。吐息が……! ぎゅっと。お腹の下が締め付けられます。
「オレの真名は、ウィータ・アルカヌム・ドーヌム・インベル・リガートゥル」
「りっリガートゥル?! 私と、一緒!」
長い! と思いかけたところに、最後の単語!
えぇ?! 私と一緒っていうより、私、師匠の末名をもらってたの?! だって、だって……ウィータは師匠の名前。ということは。最後は私の常識でいう家名。それはつまり――。
驚きすぎて、ウィータの両頬を挟んじゃいましたよ。ウィータは柔らかな笑みを浮かべたまま。
「あぁ、お前はオレの真名の一番大切な部分を押し付けられてるんだ。オレを縛る名を」
「押し付けるなんて! 確かに、意味は、知らなかった、けど……でも、うわぁ、それってつまり」
「アニム。お願いだ。お前の声で紡いで――言霊にしてくれ」
ぶわっと全身、爪の先まで染まっていく。どこまでも甘い囁きに、潤う瞳。
師匠、師匠。ねぇ、師匠。
フィーネとフィーニスがずっと、私と師匠をお嫁さんとお婿さんって表現してたのは、そーいう裏事情があったの? 式神であるフィーニスたちは、主の真名を知らないはずがない。本で読んだことがあります。式は主の真名を魂に刻んでいるって。
「ほら、アニム」
「えと。ウィータ・アルカヌム・ドーヌム・インベル・リガートゥル。あってる?」
「あぁ。これで結ばれた」
結ばれたとは! なんか不穏な響きでしたよ!
首を傾げてみても、ウィータはにんまりと笑うのみ。べしべしと腕を叩いてようやく、仕方ないと言わんばかりの苦笑を浮かべました。
「オレの独り言はさておき。そんな訳だよ。リガートゥルの名を授けた時には、師匠はすでにお前に惚れ込んでたんだろうな」
「うぇ?! だって!」
だって、リガートゥルを貰ったのは、出会って間もない時期でしたよ?!
でも、そっか。そっか。
嬉しい。数分前までなら、やっぱりアニムさんありきだったんだって落ち込んでた。
今は違う。師匠の気持ちを微塵も疑ったりしない。
奇妙なほど、頬がとろけていく。にやける。
「なーんか、面白くねぇの」
にやにやと私を見下ろしていたウィータは、打って変わって、むっと唇が尖らせました。
あれ? くいっと視線を近づけて、瞳を覗き込んでしまいます。
「ウィータ的、恥ずかしい? だから、むっすり?」
「いんや。オレがお前にやった訳じゃねぇからな。あくまでも状況分析しただけだ」
「よくわかんないの。それに、ウィータだって、私が大好きなししょーと、同一人物なのに」
はぁと落ちた溜め息。ウィータの思考は全く持って不思議ですよ。
と、くいっと髪の毛を引っ張られました。手の主は耳まで染まっているのに、ぎんと睨んできています。
好き。強気なのに可愛い反応をくれる、彼が好きだ。
「へぇ、じゃあオレのことも好きなんだ?」
「嫌い、ないよ?」
私の答えが気に食わなかったのか。ソファーの上で胡坐をかいたウィータ。足首は掴まれています。そっぽを向いて拗ねてる。
ひよこみたいに尖っている唇がどうしようもなく愛おしくて。四つんばいでウィータに近づいていました。
嫌いないは、大好きを隠した言葉。
「んっ」
「なっ!」
白い頬に数秒口づけを落として、すりすりと頬を擦り合わせます。
ウィータの言ったとおりだ。有り得ないくらい、皮膚に馴染む感触。鼻腔に広がる香りが胸を焦がす。甘い匂いに混じって、ちょっとだけ香る薬草。
「はふ」
優しい体温に名残惜しさを感じながら、お尻をつきます。
薄暗く魔法灯が頼りな部屋に流れる沈黙。
ウィータは顔を覆ったまま、身動き一つしません。さすがに不安になったきます。
「ウィータ? 嫌だっ――」
嫌だったか。そう問う前に、唇がふさがれていました。がぶっと、まるで食いつくような口づけ。覆いかぶさるウィータ。
けれど、それ以上踏み込まれるこたはなく。柔らかい唇は、そっと離れていきました。
少しの切なさを抱いて見上げた先にいたのは……真っ赤になって口を押さえているウィータでした。
「――っ!」
「ウィータ? 私の、唇、どこかおかしい?」
恐るおそるウィータを見上げてしまいます。自分の唇をなぞってみますが、いつも通りです。
ウィータが息を呑んだのが、空気で伝わってくる。
え、なに。私との口づけ、そんなに変でしたか。あっ! 寝起きだから口臭とか?!
ぐるぐると頭の中を駆け巡る理由たち。
「自分の魔力に酔ったのか、いや、違う。これは」
「ウィータ?」
「な、もう一回」
降ってきたのは啄ばむ口づけ。上唇をはままれて、隙間を縫われ。何度も角度を変えて触れてくる。
吐息が――熱いものが交じり合う。
残したい。彼に私の跡を。ウィータの百年を奪いたくないとか縛りたくないなんて良い子な考えは、影もありません。
私を忘れないで。貴方の中に、刻んで。耳に届く音と共に。胸に響く鼓動と一緒に。
「ん、……あ」
震える。心が、体が。全身で彼を好きだって告げてくる。
お互い貪り続けた口づけの後。ウィータの掌が胸に沈んで――。私も背を逸らしていました。
と、窓ガラスが打たれる音が耳に届いてきました。
「ありゅじー! あけてなのぞー! ごはん食べに行くのじゃー!」
「ふぃーにす、しーなのでち。あにむちゃ、あるじちゃまに抱っこされながりゃ、まだおねんねなにょかもでし」
甘い声に、はっと離れた唇。
けれど、恨めしくなんて思うはずがない。愛しい存在たちに、二人してほにゃんと笑っていました。
あぁ、私、ウィータが大好きでたまらない。愛しいを共有する想い。
最後にと。ちゅっと音を鳴らした唇に、泣き笑いが零れました。
導いた想い編終
|
|