引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

25.引き篭り師弟と、積み重ねた刻が導いた想い2


『お姉ちゃん、もし――』

 あぁ、ここは夢の中だ。現実じゃない。

 目の前に広がっている光景は、元の世界のものだから。私がいる世界とは何もかも異なっている。服装も景色も。私が二十年間過ごしてきた処なのに、なんで違和感があるんだろう。
「ここは、山?」

 家族と離れ離れになった、あの山です。すぐ隣にいるのは、お母さんと大学生だった私。カローラさんが見せた映像と全く同じ。
 隣でぼわんと響いているのは、その時思い出せなかったお母さんの言葉だ。ぼんやり霞んでいる現在の方が、お母さんの声が鮮明なんて変なの。

『いい? どうしようもなく大好きな人に出会ったら、なりふりかまわず胸に飛び込んでいくのよ。恋愛に興味薄いお姉ちゃんが好きになるくらいだから、とっても素敵な男性で間違いないんだから』

 お母さんは満面の笑みでガッツポーズをとっています。
 現実に言われたことなのかな。それとも、迷っている私の意識が聞かせている、都合の良い夢かも。
 隣の私は真っ赤になって『おやばかだ!』なんて拗ねています。あれは覚えてる。
 ねぇ、お母さん、お父さん。私が元の世界じゃなくて、遠く離れた異世界ここで生まれ育った男性――どうしようもなく大好きだって、傍にいたいって願った人を選んでも、同じように笑ってくれる?
 二人には、大好きな師匠に会わせてあげられないんだろうけれど。私ね、フィーニスやフィーネ、それに師匠にいっぱい教えるよ。

「ししょー……」

 ふいに現れた師匠。背後でもわかる。師匠の存在感。
 頭に伸びてきた大きな手に、心がくしゃりと崩れます。けれどね。触れても、あたたかくないの。師匠も体温は低かったけれど。違う。そうじゃない。
 師匠が呆れたように笑う。大好きな笑い。

「アニム」

 そうだ。ここは現実じゃないんだ。私が見ている、夢。だって、私がいるのは異世界で――過去なんだから。師匠は、私をアニムとは呼んでくれない。膝から崩れていく。私はもう、こんなにも『アニム』になってたんだ。
 はっと。顔を覆っていた掌が浮きます。
 異世界に来てからの歳月のが、夢、なんでしょうか。召喚獣に襲われ、重症をおった私が、病室で見る。


*****


「うっ……ん」
「やっと目が覚めたか。ったく。オレの膝を枕にするなんざお前ぐらいだぞ」

 少し硬い枕。髪を滑るのは正反対の柔らかさ。髪を撫でられる感触に、うっとりと瞼が落ちていってしまいます。どこまでも私を甘やかす調べ。
 私が寝そべっているのはソファーでしょうか。ちょっと身体がかたまっている気がします。けれど、それを払拭するほど、心地よい温度と毛布が身体を包み込んでいる。

「起きれるか? ったく。風呂からあがったと思ったら、また眠りだして。そろそろ夕飯食べに行くぞ」
「やっ。もうちょっと」

 髪を滑っていた指を取って、ぐいっと引っ張ります。仰向けになって頬にくっつけると、涙が出るほどの幸福が胸を満たしてくれました。
 瞼を開ければきっと、師匠が呆れ顔で頬をわずかに染めているんだ。私がだらしなく笑えば、ばかアニムって悪態ついてくれる。私のお腹の上にいるフィーネとフィーニスは、ふにふに頬を弾ませるんだ。大好きな微笑が待っていてくれている。

「う、んっ」

 けれど。映り込んだ表情も髪の長さも、私が想像していた人とは違いました。
 あげかけた腕が、肌に触れる直前に止まります。
 ほのかに魔法ランプの灯りが漂う空間。それでも、ほろっと笑みが零れたのはなんでだろう。

「うぃー、た?」
「……悪かった、な。オレだ」
「ウィータだ」

 瞳に映り込んできたのは、ウィータでした。そうだ、ここは過去。でも、切なさはちょっとだけ。拗ねた色を浮かべ、頬を抓ってきたウィータに心が蕩けていきます。心の中で蕾が咲いたみたいな、優しさ。
 片手を抱き込み、さらにあいた腕をウィータの頬へ伸ばした私。指の腹が彼の肌に擦れると。ウィータは端整な顔を、くしゃりと崩しました。
 捕まえられた手が、熱い。

「お月さんと、お揃いの瞳。でも、ウィータは、触れる。綺麗で澄んでるけど、あったかい、ね」
「――っ!」

 あったかい。私の大好きな人は、見た目は浮世離れしていて、瞳や髪が怖いくらい綺麗。でも、あったかいの。とってもね、優しくて可愛い。寂しい夢に溺れる私を、いつだって引き上げてくれる温度。
 夢の中の師匠は冷たかった。必死にしがみついても、体温は感じられなくて……。

「ためらったは、触れたら、消えちゃう思ったから」

 恐る恐る触れたウィータは、確かに血が通っていました。ほぅっと息が漏れます。いてくれる。ここにいて、私に温度をくれる。
 嬉しい。師匠もウィータも、私が見た夢じゃないんだ。夢じゃない。

「消えねぇよ。オレは嫌でもこの世界にいる。いるしかない。縛られる存在」
「うん。いてくれて……ありがと。触れさせてくれて、ありがとう。会えるまで、生きてきて、よかった」

 ウィータのアイスブルーの瞳が、みるみる間に見開かれていきます。まるで満月みたい。次に師匠に会える満月。永遠の別れの象徴になるかもしれない満月。
 ふと、師匠に近づけた気がしました。私はウィータに触れて、冷たいって、幻だってはっとするのが怖かったように。師匠が最初手袋をしていたのは、同じ理由だったのかなっ。師匠がウィータとして、百年アニムを探してくれていたなら、きっと夢だって何度か見ているはず。夢の中のアニムは、ぬくもりもなくて、触れていても容赦なく消えていく。
 ここ最近ぎゅうぎゅう抱きしめてくれたのは、私の存在を確かめたかったんじゃないかって。

『ふぁ。今日は夢で、ししょーに、会えそう』

 寝所の中、そう零した私。師匠は、痛いくらい、抱きしめてきました。
 溜め息を落としていたのに。首筋に埋められた唇は、とんでもなく熱かった。

『はいはい。オレもだよ。でも、オレは本物のアニムの方がいい――柔らかいし』

 ごめんなさい。私、何もわかってなかった。柔らかいって失礼なんて、拗ねてた。柔らかいは、皮膚が擦れあえるっていう意味だったんだ。
 師匠は、いつも、私を欲してくれていた。
 今なら、感じられる。私が師匠を掴みたいのと同じように、師匠はいつも不安定な私を包み込もうとしてくれていたんだ。
 そこにアニムさんがいたのは否定できません。でも――。

「ほんとに、ふざけんな、よ」
「ウィータ?」
「うっせぇ。そんな色でオレを呼ぶな。オレのじゃ、ないの、に」

 きつく握られた指が痛い。でも、甘く痺れるような苦味。
 私の手を掴んだウィータの表情は伺えません。けれど、きつくしがみついて来る肌は、ひどく震えています。
 そう、私は貴方のアニムじゃない。貴方が私のウィータじゃないように。だからといって、私の瞳の中にいるウィータも偽者じゃない。ね、師匠。
 やきもちを妬いていた師匠。
 そう思っても、いい?
 ぽたりと、頬に落ちてきた雫。自分のものと交じり合って……肌を焦がす。

「ウィータから、雨が降って、きた。私が、落ちて、きた。私の、真名」

 未だにぼんやりとする意識。
 本当なら、瞳を潤ませているウィータに、泣かないでと言うべきなのかもしれません。でも、私、嬉しかった。ウィータが私に降らせてくれる真名が。あぁ、私に降り注いでくる。ウィータから。だから、それを嫌わないであげて。

「アニムの、真名……?」
「うん。私の、大切な真名。師匠に預けて……返されちゃった、故郷の名前」

 そう。存在固定のために、師匠に預けていた真名。雨乃。代わりにもらった、アニムという名前。本物じゃなくっても、私にとっては私の一部になっていた。師匠に呼ばれるたび。フィーネやフィーニス、それに訪問者このせかいのひとに呼ばれて、私はアニムになっていった。
 でも、今はどっちでいたらいいのかわからない。

「オレにも、教えてくれる、か?」

 起き上がり、ウィータの隣に腰掛けます。
 じっと捉えてくるウィータに、頭を振ります。駄目。真名は人を捉えることだって聞いているから。ウィータを縛る真似は出来ないよ。
 ちらりと見えた窓の外には、星が散りばめられていました。「だめ、ごめん」っていう呟きは、静かな夜に溶けていく。

「知りたいんだ」

 乞う声色。両手をとられ、願われて。私の決意はあっさりと崩れてしまいました。大好きなアイスブルーの瞳にこわれたら、拒否する力なんてない。
 机に置かれていた紙に、ペンを走らせます。私の故郷の文字。大好きな漢字。

「白藤雨乃しらふじあめの。私の大切な両親からもらって、二十年間、私の名前、だったの。私のふるさとの言葉はね、文字自体に、意味あるの。色の白い、植物の藤。それに、名前は雨、空から降る雫の意味。魔法使いとっては、魔力の源隠す、雨、よくないでしょ?」

 師匠が好きだって笑ってくれた雨を、特別に思った。それは何も、殆どの人が雨を疎ましく思うからだけじゃない。
 フィーネが話してくれたように、月は古代の魔力を呼び覚ます。魔法使いにとって月を隠す日は、魔法使いに忌み嫌われるって聞きました。
 魔法使いなんて知らない。でも、師匠に嫌われるのは嫌だ。ウィータ、は?

「シラフジ、アメノ。……雨乃」
「う、ん」
「文字自体に意味があるように。まるで、お前を表してるみたいだな。優しくて、厳しくて。恵みなのに、残酷で。ひどいのに、優しい」

 そんなに優しく呼ばないで。頬を撫でられ、涙の堰が切られてしまいます。添えられたウィータの手に自分のを重ねると、さらに量は増して行きました。熱い。瞳が焼けるよう。
 ウィータの肌に落ちていく大粒の涙たち。このまま、私の気持ちがウィータに染み込めばと良いのにと願う反面。私の一方的な気持ちなんて、受け入れないでいいからと思ってしまう。

「ごめ、ん。フィーニスとフィーネは、どーしたのか、な」
「……あの二人はついさっきまでお前と一緒に寝てた。が、お前がシャズに挨拶するって言ってたのを覚えていたのか、会って来るって飛び出していった」
「二人、らしい」

 フィーネとフィーニスが羽を広げて、満面の笑みで飛び出していったのが容易に浮かんで。自然と頬が緩んでいきます。
 ごしごしと瞼を擦っていると、そっと止められました。静かに近づいてくる体温。伏せたまつげに、予想通りの柔らかさが触れてきました。あっかたくて、くすぐったい感触。吸い上げられた涙。心が震える。
 頬が熱い。そのまま、ウィータにだらしなく笑いかけてしまいます。ウィータはぐっと喉を詰まらせました。そのまま、ぷいっとそっぽを向かれちゃいました。目は据わっています。

「そういや、お前。ディーバにもメトゥスとの一件、何されたか口を割らなかったらしいな」
「だって。私、話しちゃったら、未来変わっちゃうかも、だし。かっカローラさんも、怒るかも、だし」

 急に目が覚めましたよ!
 あわあわする私を笑うのでもなく。ウィータは横目で睨んだまま、視線を逸らしません。

「未来が変わるって……お前、変なとこにこだわるのな。いいじゃねぇか、別に。大体、欠片もおどしすぎだ。そんなちっせぇことで、未来が大きく変わったりなんてしねぇだろ」
「ウィータのが、楽観的すぎ。ししょーはもっと、時期、時期って、口うるさく言ってたもん」

 そうですよ。師匠は時期がくるまではって抱いてくれなかった。
 八つ当たりとは承知していても、ウィータを睨んでしまいます。

「まさか。いくら年くったからっていって、オレならありえない」
「まさか、ないよ! だって、時期がくるまでは、私、抱けないって、いっつも、最後まで、しなかったもん!」

 言い切ってすぐ。さぁっと血の気がひいていきました。私、とんでもないこと口走りませんでしたか?!
 ウィータといえば、ぽかんと口をあけて固まっています。
 この反応はどうとれば……じゃなくて! 話題ずらさなきゃ。えっと、ひとまずソファーの端まで離れなきゃですね!

「へぇ。だから、反応がいちいち初々しかったのかよ。じゃあ、オレに抱かれてみる? オレは気にしないぜ。つか、もうその時期とやらは過ぎてるかも知れないしな」

 これ以上ないってくらい、悪魔のような笑みを浮かべたウィータ。ぐいっと腰にまわってきた腕のせいで、目と鼻の先です。
 ソファーに乗せられているウィータの片ももに、乗り上げる形になっちゃってるし! さっきまでとは逆に、頬がありえないくらい熱い。

「沈黙は肯定と取るぜ?」
「びびびっくりしすぎて、声、出なかっただけ! それに――それに、初めては、ししょーに、もらってもらうって、決めてるの!」
「そりゃ、師匠がうらやましいな」

 ぎゃっ! 初めてとか言っちゃった!
 って、あれ? じゃあ、師匠も私が経験ないって知ってたってことですよね。確か、メトゥスの襲撃があった直前、思い出したやり取り。

『オレは我慢してるってのに、他の男に抱かれた経験あるみたいに普通に言いやがるし』

 だったら、私が虚勢を張ったって、師匠にはすぐ見破られていたんじゃ……。それとも、単純に忘れてただけとか?
 おぉぉ? ひたすら、首が倒れます。

「また、意識飛ばしやがって。口に出せ、口に。それとも始祖の規制に引っかかる重大事項を、抱くって言われて思い出したのか?」
「あのね、こっこれは、話しても、未来に影響、これっぽっちもないと、思う。詳しくは、省くけどね。ししょー、私、初めてないって、勘違いして、やいてくれたのあった」

 いくら過去とはいえ、本人に言うには恥ずかしすぎる。
 てっきり。ウィータは師匠にうんざりすると思ったのに。優しい微笑みで、こつんと額を小突いてきました。

「師匠の真意まではわかんねぇけど。オレなら、知っている流れを辿りたいから、アニムと会話してるのでもなく傍にいるんでもねぇなって、わかる」
「え?」
「知ってたって、惚れてる女の口から勘違いする要素がでれば、その女の身体を初めてひらいた男に嫉妬はするだろ」

 ひっひらいたって。性行為をしたって意味であってるのかな。うん、そこはさすがに突っ込んで教えてなんて言えない。口が裂けても。
 冗談だとしても、ついさっき抱いてやろうかなんて誘ってきた男性には。
 たぶん、色づいていたのでしょう。苦笑したウィータの指が、目元を滑りました。



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