24.引き篭り師弟と、想いの行く末2
「突拍子も、ないかな。ううん、問題は、そこ違う。きっと、私が、考えるべきは、もっと違うとこ」
空を見上げると、やっぱり魔法陣はありません。世界が全身を使って、ここが結界じゃないって、師匠も皆さんも傍にいないって知らしめてくる。
でも、私は決して一人じゃない。この世界に来てから、私が本当の意味で孤独になったことなんてなかった。
「すごく甘やかされて、時折、ししょーは、厳しくて。センさんにも、不審がられたけど。いつも、優しいが、隣にあった」
私はとても恵まれていますね。どえむさんではないので、もっと厳しい環境が良かったなんてのは思いませんけれど。感謝をしつつ、私もあたたかいをこの世界に返したいなぁ。あてのない気持ちだけど、そう思えました。
直接映る空は、慣れない目には眩しすぎて。思わず目を細めてしまいました。視界の端に映りこんできた抱っこしてのポーズに、瞬時に蕩かされました。
「あにみゅ、ぎゅってして欲しいのじゃ」
「あにむちゃに、すりすりでち。あむあむしちゃい」
「よーし! ぎゅっぎゅの刑、なんだから!」
すりすりと頬ずりしまくりです! 肉球が楽しげに顔へ触れて、凝り固まりかけていた思考を解してくれます。二人から「うなー!」と発せられる愛らしい声が、耳をすっと撫でてくれて。気合が入りました。
ふいに、フィーニスの鼻先がひくりと弾みます。ついで、フィーネも真似て。腕から飛び出てくるくると上空を旋回しだしました。
どっどうしたの、二人とも。追いかけっこみたいな様子は可愛いけども。遊園地の乗り物を彷彿《ほうふつ》とさせますよ。
「うにゃ。ちょっと薄いけど、ありゅじの匂いぞ!」
「でしゅのー! あるじちゃま、おかえりでちの! お迎えいってきましゅ!」
「いってらっしゃい! ウィータ、言ってたように、あまり、他の人に、会わないように、ね!」
私の慌てた口調に、フィーネとフィーニスは尻尾だけ振って階下に消えていきました。飛んでいく可愛いお尻ふたつを見送ったあとに残ったのは、途端静かになった空間だけ。静けさが耳を痛めます。
胸元の壁より、一段低い場所にある飛び出た部分――ベンチのような出っ張りに腰を下ろします。
見上げた空は、泣きたくなるほどに青くて。彩り鮮やかな花が乱舞しています。正門と反対方向に見える景色。一昨日の晩は気がつきませんでしたが、居住区のような街並みを挟んだ先に、雄大なお城がどしんと構えているんです。
「あの、さ……隣、いいかな?」
ふっと、かかった影。子猫サイズとは異なる大きさに、一瞬、身体が固まりました。落ちてきた声も、掠れて聞き覚えがないように思えてしまったから。
けれど、声の主の正体がわかると、すぐさま全身から力が抜けていきました。相手が纏う雰囲気につられ、笑顔が浮かんだのがわかります。
「うん、どうぞ。ラス、もう二日酔いは、平気?」
小さく笑いかけた先にいるラスは、少し照れくさそうに首を摩っています。
微妙な距離に、よいしょと腰掛けたラス。
もしかしなくても、まだ一昨日の出来事を気にしているのでしょうかね。私を傷つけようとして抱きしめたわけじゃないのは理解しているので、もう警戒したりとか引いたりとかはしてないですよ? 口にすればラスが恐縮しちゃうのは察せられるので、出しません。
「ありがと。久しぶりに無茶な飲み方しちゃってさ。おかげで、別の駐屯地からの援軍要請の出陣からは外されるわ、こっぴどく叱られるわで、散々だったぜ」
「魔法陣で、ぴゅーんて、飛べるんだったね。転位魔法で、余計に、酔っちゃいそうだし、ね」
「あぁ。調子よくなった昨日の夜に応援行こうかと思ったら、もう終わったとかいわれる始末だよ。あっ! 別にアニムにふられた自棄酒《やけざけ》だって、嫌味じゃないからな!」
おぅ。嫌味なんて捕らえてませんが、ふられたって部分にはどう反応してよいものか。ふっ、ふったことになるんですかね。でも、ラスは一目惚れって告白してくれたんですよね。かといって、このタイミングでごめんなさいも、ありがとうもおかしな気がします。
ので、「わかってるよ」とだけ返しておきました。へらりと、愉快な笑みをつけて。
こほんと、ラスの咳払いが、静かな空間に響きました。髪とお揃いの色が、ほんのり浮かんでいます。
なっなんか気恥ずかしくて、目の前の城を、無意味に凝視しちゃうですよ!
「城を眺めてたのか? ごめんな。最初に駐屯地だなんて紹介したけどさ、本当はここ、とある領主の城つか、国境付近の領地なんだよ。実質、本拠地。本国の王都は敵さんから遠くてさぁ」
「大丈夫。私、あきらかに、不審人物だったから、当然の判断。お城、綺麗だなとか、結構人多いんだなって、好奇心で、ぼんやり見つめてただけ。活気、溢れてるね」
「そう言ってもらえると、助かる。活気といやぁ。駐屯地の奴等もウィータたちと一緒に、一度引き上げて来てるから、今夜は戦勝祝いの宴会だぜ? もっと賑やかになるよ。アニムも楽しみにしてな」
ようやく、ラスらしく――というか、ラスターさんみたく、屈託のない笑顔を浮かべてくれて、ほっと息が零れました。ラスには笑顔が似合いますね。うん。
笑顔といえば、ウィータの体調崩れてないかな。フィーニスが打ち明けてくれた夜に、遅くまで付き合ってくれたウィータ。その前に責任者に呼ばれていたのは、遠征の指示だったらしく。昨日のうしみつどきに精鋭を率いて、出かけていったんです。
師匠顔負けに、色々釘を刺されました。それこそ、男の前で笑うなとか、外に出るなとか。メトゥスを連れていってくれたので、私的には危惧材料はなかったんですけど。
「私も参加して、いいのかな?」
「当たり前だろ? 一人で考え込んでも、良いことないぜ? ぱーっと騒いで、切り替えるのも必要だって。酒も食べ物も、いっぱい出るからさ!」
「ラスは騒いでばかりだろうが。懲りてねぇな」
花の道から聞こえた声に、世界がワントーン鮮やかになりました。うわぁ。空の蒼も、花の香りも、ひときわ美しく煌きだしちゃいました。
声色は決して明るい部類ではなく、どちらかと言わなくても、呆れて低い色なんですが。現金ですね、私。
固まったラスの奥を、ひょいっと覗くと。予想通りの人物が、不機嫌全開で近づいてきているところでした。
「どーんなのぞ!」
「どどーんでちー!」
「うわっ! 子猫ちゃんたち! 腹アタックは勘弁!」
ラスターさんにするのと同じように。ぽっこりお腹のアタックが襲い掛かります!
見ている方は、可愛いし癒されるしで、ほくほくです。アタックされたラスも満更ではないようで、勘弁とは叫びつつも、掴んだ二人とじゃれあっています。
えぇ、口の端を思い切り落としたウィータの視線から逃れるというか、誤魔化し気味なテンションにも思えるのは、さらりと流してあげましょう。
「ウィータ、おかえり! 身体は、平気? ケガ、ない?」
「あぁ……つか、また毛がないって、言いやがったな」
「ちっ違うよ! 捻くれるないよ! 夜更かしで、くらくらして、怪我してないか、心配したのに! お年寄り、睡眠不足、つらい。集中力も、散漫なる」
結構傷ついてたんですかね。出会いがしらの台詞に。
ぴんと跳ねたウィータの片眉。それでも、秀麗眉目は揺るがない。ちくしょう。
悪態ついちゃいましたが、しまったですよ。つい師匠に言い返すように、お年寄り呼ばわりしちゃいました。案の定、ずかずかと大きな歩幅で近寄ってきたウィータに、加減なく頬を引っ張られちゃいました。手袋してない温度は、心臓に悪い。
「いっいひゃい! ひゃんか、もまれてるひ!」
「あー、悪いな。大魔法使いなオレの怪我を心配なんざするの、ディーバぐらいなもんでな。そっちだって発想が浮かばなかったぜ」
「ディーバさん、されるは良くて、私するは、変ですか。そーですか」
なんだい、なんだい! ふんと鼻を鳴らしちゃいますよ。声も低くなっちゃいましたよ。
って、しまったの二回目。ウィータの口元が、大魔王さながらに、にやりと弧を描きました。助けを求めてラスを見ても、なぜか物悲しげに溜め息をつかれちゃっただけ。
「ウィータ、地下からここまであがってくるの早すぎ。いつもは帰ってそっこーベッドに倒れ込むくせに。どうせ、俺がアニムに会いに来たのをホーラあたりに吹き込まれて、焦ったんだろ」
「うっせぇ。子猫たちに急かされたんだよ。大体、妬いているのはアニムだろ」
「へいへい。今日の俺は対抗する気力もないから、大人しく引き下がっておいてやるよ」
私は妬いてなんかいませんと否定する間もなく。この話は終わりだと言わんばかりなラスが、立ち上がりました。肩に乗ってきたフィーニスたちを撫でたラス。ついでにと私も。
柔らか過ぎる手つきに、お腹がきゅうっと締まって。表現しようのない感情がこみ上げてきました。腕をあげた私を制するように――口を開くより先に、ラスは去ってしまいました。
「ラス……私、は」
自分でも何がしたかったのかがわからなくて。どうしたものかと、残されたウィータを見上げていました。
助けを求めるの半分。それに、ウィータも早く部屋に戻って寝たほうが良いのではという意図を込めて。
当のウィータは腕を組んで私を見下ろしたまま、動こうとはしません。髪のシルエットは違うけれど、師匠が拗ねている姿が重なりました。
「ウィータ? フィーニスたち、連れてきてくれて、ありがとう。寝なくて、いいの?」
「ほぅ。ありがたいと思うなら、礼でもしてもらおうかな」
「って。えと、この体勢は、一体」
気がつけば。太ももの上には、ウィータの頭が乗っかっていました。長いレモンシフォン色の髪をうっとおしそうにかきあげたものの。アイスブルーの瞳は、もう瞼の裏に隠されています。気だるそうな仕草にさえ、心を奪われてしまう。
じゃなくて。膝枕ですか。いえ、師匠にはよくやってあげてましたし、ウィータにだって嫌じゃないんです。ただ、ウィータって膝枕要求するタイプには、思えなかったので、不意打ちと言うか、だれでも良いんですか的なやきもちがあったりなかったり。
「んだよ。師匠にはしてやってるって、だれかが言ってなかったっけか? オレだと、嫌なのかよ」
「嫌とかなくてね? むしろ、これで、お礼なるなら、私は、大歓迎だけど。ウィータの疲れ、とれるのかなって。足むちむちは、さておき、背中痛くないかなって。クッション、取って来ようか?」
「アニム、お前なぁ……。重いとか、触りとか、色々あるだろうが」
そっと額に触れた指が気になったのか。ウィータが薄目を開けました。というか、半目で睨まれているように見えるのは、被害妄想でしょうかね。おまけに、ふぅとこれ見よがしに溜め息を吐き出されましたよ。
いやいや、だって。石造りとふかふかベッドじゃ、比較にならないでしょう。
「触り? うーん、心地よいもの。髪も、ふわって。ウィータが、預けてくれる体重は、私のね、好きな、重さ。ウィータこそ、興味半分は、背中痛めるよ?」
「……ありえねぇ。まじで、その裏の無い声色が、ありえねぇよ。アニム、お前さ。オレと師匠ってのを、同列で扱ってるだろ。あの夜の囁きがとどめだって――」
顔を覆ってしまったウィータの言葉は、最後までは届きませんでした。もごもごって。あの夜って、一昨日の夜でしょうね。私、何かウィータに対して言いましたっけ? フィーニスとお月さんのお話してただけですけれど。
検討がつきません。
だけどね、別段、ウィータが師匠だから膝枕しても良いなって受け止めた訳ではないんです。
「ししょーはししょー。ウィータはししょーの過去けど、違うよ。ウィータも、ウィータだから、膝枕してって、お願い、ほっこり」
「ざけんな。なおさら、悪質だ。その音、やめろ」
「ひどい! じゃあ、ウィータは、して欲しくないのに、引っ込みつかない、だけ?」
意義アリ! 通常運転の声ですし、ウィータの心配をしてますよね。
むくれる私をよそに。フィーニスとフィーネは嬉しそうに、うななと鳴きました。愛らしい弾みに癒されて、冷静になれました。落ち着いて受け止めれば。指の隙間から覗くウィータの肌は、ほんのり色づいています。私の、大好きな色に。
「ありゅじ、ふわふわなのじゃな!」
「でち! あにむちゃのお膝は、ふんわりしゃーわせなにょ!」
「お前らの保護者は、たちが悪い。師匠とやらは、どんな教育してんだよ」
なんですと。私のどのあたりが、たち悪いのか! 膝をかしたのだから、親切だと誉められるのはまだしも。
わかりにくい程度にでも染まったウィータは嬉しいけど。同じくらい悔しくて、鼻先を摘んでやりました。あっという間に手を掴れてはがされちゃったんですけどね。追撃を考えている隙に、フィーネたちを手招きしたウィータ。
二人がふにふにと笑いながら、ウィータの胸上に丸まったのを合図に。ウィータ本人も、さっさと夢の世界に旅立っていきました。
「もう。風邪引いても、腰痛めても、知らないんだから」
規則正しい寝息に、苦々しく呟いたはずなのに。あたたかい日差しが、どうあっても、私を笑顔にしてしまうのでした。
始祖さん、教えてください。
こんなにも世界を色付かせる想いを。どんな言霊にすれば、あなたに許されるのでしょう。師匠が始祖の宝だからって、なんで苦しまなきゃいけないの?
私はただ、師匠《ウィータ》が大好きなだけなのに。師匠は純粋に、私を愛してくれているだけなのに。
世界の壁よりも。私はあなたが師匠に強いている理の方が、怖いのです。だからと言って、師匠や、師匠が大切に思うカローラさんたち欠片の源であるあなたを、単純に拒絶したくはないんです。
返事がないのを百も承知で。私は、青い空と舞う花に問いかけていました。
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