引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

21.引き篭り師弟と、別離のち出会い12

「随分、広いんだね」
「あぁ。元々は忘れられた古城だったらしいんだよ。それを再利用っつか、駐屯所にしてるわけだ。古城をぐるっと一帯魔法水の堀が囲っていて、菜園やら花園もあるんだ。すっげー綺麗だから、アニムを案内してやりたかったなぁ」

 石造りの廊下は、等間隔で外が見られるようになっています。窓、と表現していいのでしょうか。元の世界の箱菓子を開ける際の口になっているような形です。ドーム型というか。
 雨とか雪などが降り込まないのかな。そもそも、降らないとか?
 疑問を抱いたのは束の間でした。窓の外に現れたのは、気温から予想していたよりもずっと、色鮮やかな光景でした。ほぅっと魅かれる情景に、足を止めて眺めてしまいます。

「まるで、南の森、花畑」

 この建物は、ほぼ中心部にあるのでしょう。
 大きな橋が正面に見えました。周囲の堀には、花びらの滝のように、遠めでも色が認識可能なくらい、美しい花が浮いています。あれも、魔法結界の効力を持っているのでしょうね。苦そうです。なんとなく。
 城から橋の間には、レンガの道をあり、取り囲むように淡い色の花が植えられています。噴水やたくさんの建物。大勢の人々が歩いているのが見て取れました。

「ほんとに、綺麗! いたっ!」

 興奮のあまり、窓から身を乗り出すと。ごつんと、爽快な音が響きました。
 アニムは、おでこに、かなりの衝撃を受けた。テロップが流れた気がします。
 超透明なガラスがあったの? でも、鳥のさえずりや風の音は、直接的に聞こえていたような。
 目を開けた先では、直前まではなかったはずの魔法陣が波打っていました。石を投げたあとの水面みたい。メメント・モリの結界ですね。

「アニム、お前、まじでガキみてぇだな」
「あっ、ありがと。ウィータ」
「別に」

 ラスよりも一歩早く動いたウィータが、額に触れてきました。呆れた口調と目つきで、額へ流れてくる温度もひんやりしているのに。触れてくる手付きは、やけに柔らかくて。妙に恥ずかしくなってしまいます。
 いやいや、軽い冷却魔法使ってくれただけですよ。落ち着け、自分。
 ぶっきらぼうな言葉が漏れたのと一緒に離れていった指。あがっていく体温を誤魔化すように、額をさすってしまいます。もう痛くなんてないのに。

「ごめんな、アニム。結界がはってあるって、先にいっときゃよかった」
「うぅん。勝手、乗り出したは、私だもん。ラス、最初に、私、倒れてたは、戦場言ってたのにね。あまりに、綺麗で、一瞬、忘れちゃったの。ごめんなさい」

 再び歩きだしたものの、やっぱり横目ながら景色に目を奪われてしまいます。そんな私に向けられる、隣を歩くラスの視線もむず痒いです。
 でも、本当に。風景だけ平和そのものに見えます。それに……魔法陣が浮いていない空。二年ぶりのあるがままの青空に、吸い込まれていきそうなんです。この世界の空は、はじめてだけれど。階段を下りると、踊り場には一際大きな窓がありました。おぉ、絶景かな! 真夏を連想する真っ青な空に、白い雲!

「しゅごいねー! びゅーんて飛んだら、とっても気持ちよさそうでし! お花しゃんのあまーい、香りもするのでしゅ。ほわほわーん」
「あにみゅもじゃけど、ふぃーにすたちも、お空に魔法陣ないは初めてぞ! もくもく雲まで飛べるかにゃ? ぱくってしたりゃ、クリームみたく、あまいのぞ?」
「……雲まではやめとけ。お前らの小さな体じゃ、色々もたねぇぞ」

 ウィータの肩から飛び立ち、くるくるとまわっているフィーニスとフィーネ。たぶん、さっきの私は、二人と大差ない様子だったのでしょうね。師匠の前でなら気にすることもないのですが。ウィータの前だと、不覚! と思ってしまうから不思議です。
 私の対抗心をよそに。無邪気な二人のはしゃぎっぷりへの返答を、真剣に悩んでるウィータ。うなっとお揃いに首を傾げた二人を前に、腕を組んで答えを探しています。可愛い。
 ふいに、ラスが眉を寄せました。

「そっか。アニムはウィータの結界から出たことなかったんだっけか。ここは色んな魔力が混ざり合ってるけど、体調とか平気なのか?」
「あっ、うん。平気」
「無理してないか?」

 あぅ。ラスってば、顔が近いです。ラス的には顔色を確認するために覗き込んでいるだけなのでしょうけれど。ここにホーラさんがいらっしゃれば突っ込んでもくださるでしょうに。あいにくと、ホーラさんは、すいすいと進んでいくカローラさんを追って、先に行っちゃいました。カローラさんへ質問攻めかもですね。
 思考が逸れていたのも数秒。じっと。ラスの真紅の瞳にとらえられ、心臓が大きく跳ねています。

「ほんと、ほんと! さっきは、ちょっと、だるいかな、思ったけど。ウィータが、おでこ触った時から、調子、戻ってるの。フィーニスたちも、ウィータの傍いるせいか、元気だし」
「ウィータのってのが、釈然としないが。まぁ、いっか」

 嘘じゃないです。師匠《ウィータ》の魔力が体内に取り込まれたおかげか、肺が一気に楽になりました。別の意味で、ちょっと苦しかったけど。
 すでに次の階段を降りかけていたウィータに「おい」と呼ばれ、慌ててラスの手首を引っ張ります。急いで駆け寄ったのに、殊更、不機嫌な目つきで睨まれたのはとても理不尽だと思いました。フィーニスたちもウィータの頭上で、ラスターさんにするみたく、鼻に皺を寄せてるし。

「大きな、渡り廊下、あるね」
「あっち側がうちの責任者や軍師がいる建物なんだよ。そのほかに会議室や食堂もあるんだ。城の正面口ってこと。で、右側にあるこの建物は、強い魔力やら術式を取り扱う意味も含めて、特権階級しか入れない場所」
「あちら側と、こちら側……」

 確かに、静かな空気のこちら側と異なり、渡り廊下を挟んだ向こう側は、賑やかそうです。ちらっとしか見えませんでしたが、頻繁に人が行きかっているようです。分断された、こちらとあちら。
 師匠と世界のようだと思ったのか。私とこの世界だと感じられたのか。自分でもわかりませんでしたが……何故だか無性に泣きたくなってしまいました。
 師匠、師匠、師匠。
 師匠が近くにいてくれたなら……師匠の、にかって笑顔を感じられたら、こんな感傷的にならなかったのかもしれないのに。
 私は貴方に依存するだけの弱い人間になってしまったのでしょうか。嫌だな。私、こんなに弱かったっけ。どどんと構えて、自分の気持ちを貫ける女になりたかったのに。私、どんどん揺らぐ弱い女になってる。

「この国は古代から魔法――魔術で発展してきた国だからな。かといって、世界全体魔力が全てって訳じゃねぇ。この建物だって、差別ってより、逆に強すぎる魔力《どく》を外部にもらさねぇって意味もあるからな」

 俯きかけた顔が、ぐいっとあげられました。頬を包まれているのではなく、ぐいっと顎を掴れています。まるで口づけされるみたい、なんて考えてしまった乙女思考はさておき。
 ウィータの言葉を理解するのに、時間がかかってしまいました。聞き様によっては、普通の説明。けれど、唇へ曖昧に触れる親指が、違う色をつけていく。
 ぽかんと、あほっぽく間抜け面で目の前のウィータを見上げてしまいます。まばたきを繰り返す私を前に、ウィータは首筋を掻きだしました。

「いや、なんだ。意味がわからねぇんだったら、それでいいんだが」
「さっきは俺のことめっちゃ睨んでやがった癖に。自分は意味不明ないやらしい仕草しやがって」
「ラスの色眼鏡をオレに押し付けるな」

 しっしと、まるで動物を追い払うように手を揺らしたウィータ。
 あぁ、そうか。じわじわと、幸せが滲み出してきました。喉の奥がきゅうっと締まります。きゅっと下唇を噛むと、広がっていく甘い痛み。堪えても、こらえても。湧き上がってくる気持ち。
 洋服であっても、今、ウィータに触れてしまえば泣いてしまう気がして。すぅっと深呼吸を繰り返し、自分の両手を握り締めました。

「ウィータ」
「んだよ。今のは戯言だ。気にすん――」

 ちゃんとウィータが私を映してくれたのを確信し。ありったけの喜びをたたえて笑いかけます。幸い、私は踊り場で陽のあかりを背にしているので、二段下に降りたウィータをしっかりと瞳にとらえられています。ウィータは逆光だから、私の奇妙な笑い顔はあまり見えてないと思います。
 好きだなんて、口には出来ないけれど。私の心に芽生えたくすぶりを、可能な限り声にのせます。

「嬉しい」
「なっ。オレは、別段、深い意味なんて、込めたりは」

 げっと、片目を潰したウィータですが。白い肌には、ほんのりとだけど、あったかい色がのっています。
 勘違いするなよって怒ってるんじゃないのは、空気でわかっちゃうんです。ごめんね。ウィータを知っているのじゃなくて、師匠を知っているだけなのに。
 わずかに沸いた罪悪。もしかしたら、師匠もこんな負い目を感じた機会が多々あったのでしょうか。けれど、私は本当に卑怯な人間かもしれません。だって、胸の痛みより、ウィータへの笑みが深まってしまうから。

「うん。勝手に、喜んで、ごめんです。でもね、ウィータの、あったかい、気持ち、とってもね、心に染みたの。だから、ありがと」

 なんとなく。手を伸ばすのは許されない気がして、肩を揺らすに留めておきました。
 立ち尽くしているウィータのレモンシフォン色の髪は、光を受けてきらきらと輝いています。風に吹かれた髪の上、べたっと乗っているフィーニスたちが、ふにふにと笑っているので。嫌がっているわけじゃないのかなと、都合の良い解釈をしておきます。
 温度計に使ってごめんねと思いつつ。お花を散らして、てしてしと手足をばたつかせているフィーネとフィーニスに、さらにむふふとなってしまいます。

「え、え? どーいう流れ?」
「ラス、唐突、ごめんね! いこ! ほら、ウィータも」

 私とウィータを交互に見て、動揺するラス。置いてけぼりでごめんなさいと、とっとと階段を踏み鳴らします。通り過ぎざまに、ラスの肩を叩き、先に駆け下ります。
 やっぱりウィータには手を伸ばせず。意味不明だと、かちんと固まっている顔を覗きこむだけにしておきました。
 通り過ぎざまに、春めいた風が髪を乱してきました。気温は冬と春の間より、冬よりなのに、風は春っぽいなんて。
 私の先入観なのでしょうか。
 髪、だいぶ伸びたな。首をくすぐる風が心地よく視界が細まるのと同時。師匠が髪を短くしたのと反対、私の髪は伸びたんだなって思えました。

「あっ、あぁ。ほら、ウィータ、どうしたんだ……よ」

 学生みたいに。やけに胸躍る調子で階段を下りている私に届いたラスの声。戸惑いから、硬いものに変化した気がして。さすがに、立ち止まります。
 私からはラスしか見えません。ラスも、口元が辛うじて晒されている状態です。そんなラスの唇の隙間で、ぎりと歯が噛み締められているのはあからさまで。彼の視線の正面にいるのだろうウィータ、まさかフィーニスたちに何かあったのかと一気に不安が押し寄せてきます。
 私が口を開くより前に。ラスの唇がゆっくりと動きます。声は届かなかったのですが、はっきりと開いた口。「オレガ サキダッタノニ。キョウミナンテ ナカッタクセニ」そう聞こえたのです。

「ラス?」

 首を傾げた私に向けられたのは、ラスターさんと同じ、柔らかい微笑みでした。私の捉え間違いでしたね。空耳アワー。
 ポケットに両手を突っ込んで近づいてくるラスには、鋭さの欠片なんてありません。
 それでも、心配しているのが出てしまっていたのでしょう。ラスは苦笑を浮かべて、頭を撫でてきました。

「いこ。たぶん、ホーラが拗ねてるからなー」
「うっうん。地下、遠いね。ホーラさんの部屋、高いところ、あるんだね」
「特権階級の奴はひとりひとりの部屋が広いからな。戦術はもちろん、魔法書や魔法道具の所有物なんかも多いし」

 うん。数秒前まで感じていた空気は気のせいだったのですよね。ラスもウィータもいたって普通です。ダメだな、私。自分が不安定だからって、雰囲気も歪んでとらえちゃってるよ。
 大丈夫。もうすぐ、師匠の元に帰れるんだもん。ウィータやラスを観察して、戻ったらお二人をからかう材料にしてやるんだから!
 ぐっと拳に力を入れたところで、ウィータの頭上にいたフィーネをフィーニスの垂れ耳がぴんと立ちました。ついでに、瞳も本物の猫みたく、瞳孔が開いてます。

「くちゃい!! くちゃいのでしゅ!」
「いやにゃぞ! ふぃーにす、うげってなるのぞ! くしゃいのじゃ!」

 涙声で叫んだ二人に、思わず自分の匂いをかいでしまいました。戦場に倒れていたらしいので、血なまぐさかったかなと。ホーラさんの部屋では普通にくっついてくれていたので、考えていませんでしたが。
 ぎょっとしたのは、ウィータもラスもだったようです。ちっちゃな鼻を摩っていたフィーニスたちが、ぼろぼろと涙を零しながら飛びついてきました。湿った鼻先をこすり付けられ、くすぐったいです。しかも、あむっと首に甘噛みされちゃいました。ちくっとしたけど、不快ではありません。ついでに髪の毛もぎゅっと引っ張られました。
 二人の反応に戸惑ったのは一瞬でした。ぬくっとした体温を抱いた瞬間、もあんと、きつい香りが立ち込めました。結界内の澄んだ空気と自然の香りとはほど遠い、人工的な香水です。

「ウィータ! ここにいたのね! 今夜の相談、早くしたかったの。魔力が薄くて。今夜はいいでしょ?」
「サスラ、退いていただけますか」

 あまりにきつい香りに、うっと鼻を覆ってしまいました。失礼だと腰が引けたのもわずかな時間だけ。がばっと胸元を開き、下着が見えそうなタイトスカートを身につけたゴージャス美女がウィータに抱きついていたのです。
 首に回された腕に、潤った視線。
 膝から崩れそうになるのを、必死で堪えます。掌をついた壁からは、ひんやりとした石独特の冷たさが染みてきました。
 ウィータは溜め息をついたただけで、振り払いはしません。
 苦しくなっちゃダメだ。この時代のウィータにはこの時代の都合があるんだと、自分に言い聞かせます。俯いてしまったので、もうひとつの、少し高めの声色の主は確認出来ませんが、若い男性のもののようです。

「アニム、先に行こう」
「う、ん」

 深く吐いた息に気付いかれたのか。ラスに強い調子で肩を寄せられます。守られているようなのに、どこか有無を言わさない口調に、勢いで頷いてしまいました。
 ウィータと色っぽいお姉さん、それに足元しか見えませんでしたがもうひとりの男性を置いて、階下に進みます。

「おい、待てよ。サスラ、悪いが立て込んでるんだ。他をあたってくれ」

 相変わらず涙目で鼻をこすりつけてくるフィーニスたち。
 なるたけウィータの方に視線を向けないようにしていたのに。慌てた声を出したウィータに手首を掴れました。

「……私は、ウィータがいいのよ。あなたの魔力と肌がいいの」
「誤解を招くような言い方はやめろ。メトゥス、サスラはお前に任せてあったはずだが」

 はじけるように顔があがりました。フィーニスたちも、毛を逆立てて前に飛び出します。ふぅーと全身で警戒を示すフィーニスとフィーネを捕まえ、一歩後ろに下がります。
 ラスとウィータは眉をぴくりと動かし。サスラという女性は、けだるそうに長い茶色の髪を払い……メトゥスと呼ばれた男性は、軽蔑を隠しもせず、私を見下ろしていました。
 私が知っているメトゥスとは違い、左目にグロテスクな恐ろしさはありません。ただ、幼さを残した十台半ばの少年が向けてくる闇色の殺気は、身に覚えがありました。




読んだよ


 





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