引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

21.引き篭り師弟と、別離のち出会い10

「ねぇ、ウィータ。カローラさん、瓶に閉じ込めてるは、どうして?」

 ラスと睨みあっているウィータの裾を、ちょいちょいと引っ張ります。
 くるぶしまでの長い上着の一端なので、馴れ馴れしさは薄まっていると思うのです。でも、遠慮がちに摘んだ指さえ、ウィータは薄く開いた目で見下ろしてきました。ぎくっと全身が固まります。
 立っているウィータ。私が、自然と見上げる形になってしまったのは仕方がないとして。やはり、触れるという行為は、嫌悪の対象だったのでしょうか。
 ウィータって人に触れられるの、好きそうじゃなさそうですもんね。さっきは自分から頬を摩ったり髪を掻き乱したりしたくせに、とも思わなくもありませんが。
 ぱっと離した指先を、手持ち無沙汰にいじってしまいます。水晶の森より寒くないのに、冷たい指先。

「お前がカローラって呼んでいるこいつ、意味不明なことばかりわめいて五月蝿かったからな。とりあえず、お前が目覚めるまではと封印しておいた」
「じゃあ、もう、出してあげても、大丈夫?」

 わざわざ。ウィータは、尋ねた私の右手をとり小瓶を乗せてきました。あれ?
 師匠は出会った当初、私にあまり触れてきませんでした。触れても手袋越しだし、ぱっと離すしで、てっきり人に触れるのが苦手だと思ってたのです。それに、ルシオラだって、師匠が私の頬を引っ張ったり、頭を撫でたりなのに、驚いたと言っていたし。
 ウィータだった頃は、そうでもないのでしょうか。それはそれで、ちょっと疼く心、です。

「問題ない。栓を抜いてみろ」

 私の疑問など知らないウィータは、淡々とした口調で小瓶を指差します。
 あえてウィータ自身で小瓶をあけなかった。これは試されているのでしょうか。
 変な警戒心が芽生えたものの。ウィータの背後で瞳を輝かしているホーラさんに気圧され、小さなコルクの栓に手をかけました。鳴ったのは、きゅぽんと、やたらと可愛い音。
 途端、飛び出てきた、淡い光を纏った桃色の花びらに、辺りが一段階明るさを増しました。

――もう。やっと出られたわ。ウィータ、随分とひどい扱いをするのね。アニムもそう思うでしょう? ――
「カローラさん! よかった、会えて!!」
「しゅごいねー! あにむちゃは、お花びらしゃんとも、お話できりゅのー!」

 くるんと、非難めいたすばやい調子でウィータの周りを飛んだ、カローラさん。
 夢は夢じゃなかったのだと安心して、手が伸びます。夢や時間を越える前と同じように。カローラさんも、ふんわりと両手の中に降り立ってくれました。
 肩に乗ってきたフィーネは興奮気味に、フィーニスは不信そうに首元に寄ってきました。おひげが当たって、ちょっとくすぐったい。

「お前、本当に始祖の欠片なのか?」
――あら、ご挨拶ね。まさか他ならぬ貴方が『私』を疑うなんて――
「百年後、大樹が目覚める……」

 重々しい口調のセンさんに、注目が集まります。
 隣に来たホーラさんだけは、怪しげな手つきでカローラさんの周囲の空気を撫でていますが。わくわく全開です。
 カローラさんが人間なら、きっと冷や汗を流しているでしょう。あまりの目つきに。

――正確には、本体は夢現よ。ただ、半覚醒状態《かけら》でも良いから、とにかく動けと叩き起こされたの。貴方に頼まれたら、『私』たちが断れるはず、ないわ。あぁ、でもね、これ以上は答えられないわよ? この時代の未来に、影響が出かねないから――

 おぉ。今日のカローラさんは、舌の調子が絶好調みたいですね! しかも、あれです。例えるなら、「お母さんを疑っちゃうのかしらー?」と、子どもをからかう母親的な口調です。
 ウィータはわずかに口の端を落としただけで、反論はしません。
 まぁ、未来とか興味なさそうですしね。また心当たりのないことを言われ、内心いらっときているのかも知れません。

「だから、オレじゃねぇっての」

 案の定、溜め息混じりのウィータが、カローラさんをつまみ上げました。そっそんな、豆を食べるみたいな、適当なつまみ具合じゃなくっても。カローラさんてば、貴重というか凄い存在《花びら》さんなのでは。
 でも、当の本人は楽しげにちかちかと光っているので、問題なさそうですね。

――始祖の宝が未来の自分を否定するなんて。困ったものね――
「肯定したいと思える要素がねぇんだよ」
「いや、成長型の式神を生み出すなんて、歴史上初じゃないのかい? 珍しい云々よりも、僕には、ウィータが手間のかかることをするという方が、想像し難いけれど」

 ウィータとカローラさん、それにセンさんたちが懐かしそうに会話を始めたのを横目に。私はリュックを取りに立ち上がります。
 ウィータの師匠《オレ》じゃないという発言を、これ以上聞きたくなかったのもありますし、いち早く戻る方法を知りたいのもあります。
 窓際に置きっぱなしだったリュックと、机に置かれたデジカメたちを回収し、再びベッドに腰掛けました。

「盛り上がっている、最中、すみませんです。カローラさん、私、未来戻る媒体、どれがいいです?」
――あら、アニム。積極的ね。一刻も早く、あの子に会いたいのかしら――
「当たり前なのぞ! こっちのありゅじも、好きじゃけど。ありゅじだってうーにゅすだって、心配してるに違いないのぞ」

 私が口を開くより早く。フィーニスがもそっと動きました。カローラさんに向き直られると、ぱっと首にしがみ付いてきましたけれど。不思議な存在、というか魔法の香りでもするのでしょうか。フィーネ以上に繊細で敏感なフィーニスは、怯えているのかもですね。
 そんなフィーニスの頭を撫でつつ、私も小さく頷きます。

「ししょー、心配してる、ですよ。怪我したときも、とてもだったから。あんな状況で、消えちゃったなら、もっともっと、動揺してくれてる、です」
「ふぃーねも、ごめんちゃいって、謝らなきゃでしゅの。お写真も、いっちょ、探して欲しいにょ」

 しょんぼりと、小さくなったフィーネ。写真、まだ気にかけてくれてたんですね。両肩で二人を同時に撫でるのは、ちょっとしんどいので膝に降ろしましょう。
 膝の上で赤ちゃん座りになってもたれ掛かってきた二人を、くすぐりつつ。どうしてか、伏せたまま、顔をあげられずにいます。

「それに――純粋に、ししょーに、会いたい。無計画に、飛び出すなんざ、あほアニムだな、って。怒りながら、頬を引っ張ってもらいたい、です」

 師匠はいつも、怒ったり拗ねたりする際には、頬を引っ張ったり掴んできたりします。目の前のウィータはしなさそうですよね。
 師匠の感覚を思い出そうと、自分の頬に触れてみます。けれど、あんなに自然に触れてもらっていたのに。どうしてか、師匠の体温は思い出せません。

「ししょーと、離れるのが、こんなに辛いなんて」
「いやん、ですぅ。ウィータとアニムは、蜜月みたくずーとぺったりなのです?」
「もっもちろん、一緒ない時間も、あったですよ?! ししょー、魔法生成で、数日、家あけるもあるし、結界内で、違う家、いるもあるです。でも……それなのに、ちょっと会えないだけで、胸しめつけられる、思ってもみなくて、いう意味で」

 理由なんて、わかりきってます。
 私は、ウィータの存在から逃げたいんだ。師匠を思っている振りをして、師匠の過去であるウィータから目を逸らしたい。カローラさんがいるんだから、未来に戻れる確証は得られたも同然なのに。
 こんな気持ちのまま帰っていいのかなと迷いながらも、焦燥感ばかりがこみ上げて来ます。

――アニムは不安なのね――
「私も、そう思うわ。理由までは、わからないけれど。アニムの心、というか魂が揺らいで見える」
「え?」

 てっきり惚気てと呆れられると思っていたのに。カローラさんとディーバさんの静かな声調が、脳を揺らしました。
 不安て、何が? 戻れないっていう危惧からくるものということ? 魂が揺らいでいるって……この世界での私の存在が危うくなっているという意味でしょうか。
 ぎゅっと、握り締めたスマホからは冷たい温度しか流れてきません。スマホをベッドに置き、フィーニスたちのあたたかいお腹を摩ります。

――あんな状態で、別れたのですもの。あんな場面を見た後に、なんの確証もなく、離れてしまったのですものね。戻れるかよりも、戻って良いのかの方が、怖いのよね――

 がつんと、頭を殴られたような気がしました。カローラさんの遠慮のない、言葉が突きつけられます。
 そうだ。師匠と皆さんが口論していたのを聞いてしまったから。あの時は、話さえ始まればどうとでもなると、前向きに踏み出したけれど……。結局、呟きの真意が不明なまま過去になんてきてしまった。
 もしかしたら、師匠は私を元の世界に帰そうとしてたんじゃないのでしょうか。何かを説明して、私に元の世界に戻るか、この世界に残るかを選択させるつもりだった。そう思えて仕方がないのです。
 ルシオラに決意の勇気をもらった夜。師匠が私を帰る方法を探してくれていたのは、師匠の優しさだから、帰って欲しいって考えての行動だと決め付けるのは、自分勝手だと気づきました。師匠からだって、どこにも渡したくないって、これ以上ないくらいの言葉をもらった。ついさっき、告白までもらって……。

「私は、幸せ、いっぱいで。だから、私――」
「あにむちゃ?」

 あぁ、私はこの世界にいていいんだと嬉しかった。保障してもらえた気でいました。
 だけど……うぅん。だからこそ、苦しいんですよね。師匠にしてみたら、単に私の気持ちを聞いて確かめておきたかっただけかも知れない。
 けれど、じゃあ、私が帰りたいって漏らしたら、師匠は納得して頷いていたのかもって考えるだけで、辛いんです。私が勝手に不安になっているだけなら、いい。でも、あの時、師匠の声で耳に残ったあの言葉たち。
 過去の皆さんを前にしたら、勝手に不安が強まってきてしまいました。師匠は私を帰すつもりだったから、告白せずにいたのかとか。メトゥスの件で、魔力も力もない私がいつか死んでしまうっていう危険を体験して、帰そうと決めているのか。魔力を持たない私が、師匠の傍にいる価値はないんじゃないのかって。
 全部自分の想像でしかありません。
 だから、自分の声で、師匠に不安を伝えたい。この世界に残りたいと。師匠の言葉で、傍にいてくれって言って欲しい。

「あれだのこれだの。いまいち状況が把握できねぇんだが」
「ウィータ、女には秘密がいっぱーいなのですよー?」

 ウィータにだけは把握して欲しくない。
 何故そう思ったのか自分でもわからないうちに、「私は!」と大きな声があがってしまいました。ウィータに知られるのが嫌で遮ったのに、喉には反する言葉たちがこみ上げてきていました。

「元の時間に、戻って、いいんでしょうか」
「どういう意味だ?」

 ラスに聞かれ、喉の堰が一気に壊れていくのがわかりました。
 せめてもと、涙が出てこないようにぎゅっと瞼を閉じます。

「ししょーは、私、帰れるよう魔法使うは、ししょーのとこなくて、元の世界にじゃないのかなって。ししょーは、私がししょー想うくらい、には、私なんて――」
「にゃにゆってるのぞ! ありゅじは、あにみゅのこちょ、大好きなのじゃ! ふぃーにすたち、知ってるのじゃ」
「でしゅのー! あにむちゃ、いっちょ戻ってくれるでちょ? ねっ? 帰っちゃら、ふぃーねのしゅきな生クリームいっぱいのお菓子、作ってくれるでしよね?」

 前足をばたばたと左右に振って慌てるフィーニス。お腹にしがみついてちょこんと首を傾げているフィーネ。どちらの様子も愛おしくて。
 想像でへこんでいる場合じゃないと、勢いよく頬を叩きます。暗い声で呟いた女が、すぐに気合を入れた様子に皆さん驚いちゃってます。はい、すみませんです。

「もちろん! 生クリーム絶望パーティーしよ! よし! カローラさん言うの、図星だけど、今はししょー会うが、先です!」
「絶望って……本人《フィーネ》が希望してんだから、幸福や尽くしの間違いだろうが」
「あっ、そうそう。そっち。さすが、ししょーもとい、ウィータ。ナイス、突っ込みです!」

 ぐっと親指を立てて見せちゃいます。ちょっと空回っているような気がしますけどね。まぁ、ウィータには予想通りの反応を頂戴したのですよ。えぇ、それはそれは、不審者を見るような目つきを。
 うっとりと頬を押さえて妄想の世界に旅立ったフィーネとフィーニスに、私もうっとりしちゃいます。にへらと、笑みを浮かべちゃったのですよ。

「アニムは、前向きつーか切替えが早いよな。俺、そーいうところも、好きかも」
「ラスのおほめの、言葉、ありがとです。私も、ラスの、そーいう、冗談めかしたとこ、好きだよー」
「ほっ誉められてるのか?」

 ありゃ。私としては軽いって表現しなかっただけでも、及第点だったのですけれど。
 ラスターさんみたいに、大げさに仰け反ったラスは、とても愉快なポーズで固まっています。やっぱり、ラスターさんもラスも場の雰囲気を明るくしてくれますよね。
 ほくほくとラスを眺めていると、しゅたっと挙げられた愛らしい肉球。

「あい! ふぃーねのこちょは?」
「いっ一応、ふぃーにすも、聞いてやるのぞ!」

 もう、可愛いんだから! 両肉球を合わせてもじもじしているフィーネも、つんでれに腕を後ろにまわしてそわそわしてるフィーニスも最高!
 でれっと、二人に口づけしちゃいますよ!

「フィーネもフィーニスも、大好きだよ」
「じゃあさ、ぷぷっ、ウィータは?」

 センさん、明らかに楽しんでますよね。私が答える前から笑いが落ちちゃってますよ。
 センさんが質問する前から、面白くなさそうにぶすっと口を結んでいたウィータ。じっと彼を見つめていると、「んだよ」と不機嫌な声が降って来ました。師匠もよく言ってくるなぁと、言葉のひとつにも思い出が詰まっているんだと嬉しくなっちゃいます。
 ただ、それをウィータに悟られたくはなくて。つっと視線を逸らしちゃいました。ついでに、可愛くなく、たこ口になってやります。

「ウィータは、ちょっと、なぁ」
「お前、まじで可愛くないやつだな! 好いてる奴の過去に、よく可愛げもない口がきけるぜ」
「へーんだ! 別に、ウィータに、可愛い、思って貰わなくて、いいもん! 自意識かじょー! 私が、大好きなのは、ししょー、なんだから!」

 あれです。売り言葉に買い言葉ってやつです。自分でも非常に恥ずかしい内容を叫んでるのは承知しております。照れ隠しだったとはいえ、可愛くないって明言するウィータだって悪いんだ。
 本当はウィータにだって、心を揺さぶられているけど。素直になれません。どうしてでしょう。
 またまた混乱しているフィーネたちを抱きあげて、羞恥を誤魔化しておきましょうか。赤くなっていっているであろう顔は隠しきれないのが、何とも言えません。
 前のめりに両手をわなわなさせているウィータの向こう、センさんが壁に両腕をついて呼吸困難になっている姿が目に入ってきました。




読んだよ


 





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