引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

21.引き篭り師弟と、別離のち出会い1

「とりあえず、夜着と、洗面具と――リュックかな」
 
 ホーラさんたちとは一旦お別れし、自室に戻ってきました。
 投げっぱなしだったリュックに、肩が落ちます。師匠に告白を貰う前だったというのもありますが。ちょっとしたことで、しかも一人で思い悩んで荒んでいたのを思い出しちゃったんです。波のある自分が、情けなくなりました。師匠から告白を貰った今、余計に罪悪感に襲われてしまっています。
 いつだって自分の信念を持って、冷静に生きられればいいのに。けれど、精神が未熟な私は、師匠の一言や外部からの刺激で、一喜一憂してしまうのです。自分はって、行動出来ればどんなにいいか。

「大人に、なりたいな」

 感情を制御出来る人が大人というイメージがありました。一歩引いて、感情に左右されなくて、自分は自分。
 私はどうだったのでしょう。
 元の世界でも、異世界でも。変われず、感情を直に出してしまう。師匠はそれを許してくれるから、甘えてしまう。
 けれど、この先、異世界で生きていく上では、もしかしたら元の世界以上に『大人』でなくてはいけないのかも。
 大魔法使いウィータの傍にいるには、傷つく覚悟も、感情を誤魔化す覚悟もなければいけない。
 いつだったか、酔っ払ってまどろんで寝ている中、耳に入ってきていた、ホーラさんとラスターさんの言葉が思い出されます。

『アニムは素直すぎて心配なのですよぉ。ウィータの周りは、わたしたちみたく綺麗な感情ばかりではないのですー引き篭ってる今はいいのですよ? でも、いつか――』
『ホーラってば酔っ払ってるの? あたしたちがいるんだから、アニムちゃんはアニムちゃんのままでいいのよ。ウィータが好きになったアニムちゃんを守るのが、あたしたちの役目でしょ?』

 忘れていたのは、きっとラスターさんたちの好意を当たり前だと思っていたから。メトゥスというあからさまな敵意に対面して初めて、私は師匠の隣に立つのにふさわしくないのだと自覚したから、ラスターさんたち旧友さんの好意がどれだけ有難いものなのかを知った。アラケルさんなんて比較にならない悪感情を身に感じた。
 ふぅっと吐き出した息は、肌に染みる冷気に溶け込んでしまいました。

「一人なったからって、落ち込んでる、ないよ。とりあえず、思い出の品は、自分で持っていこ」

 辞書も、リュックに仕舞っておきます。ある意味、元の世界とこの世界を繋いでくれた、大事なものです。
 それに、師匠が金庫の中身についても話すと言っていたのは、十中八九これと同じ辞書を指しているのでしょう。
 辞書を突っ込むと指に触れた、かたくて冷たいモノ。取り出したスマホは、カバーの端がちょっとかけてしまっていました。力任せに投げちゃいましたもんね。
 知らず溜め息が落ちていました。まだ元の世界に未練があるのかと苦笑が浮かんじゃいますよ。こみ上げてきた、くすぶった思いを誤魔化すよう……せわしなく準備に取り掛かった自分に、再度、白い息が落ちました。
 なにやってるんだろう、私。

「あとは、服も汚れてるし、寒いし、着替えよう」

 師匠の寝室とは反対方向にあるにも関わらず、私の部屋もすっかり極寒の地になってしまっています。壁もドアも分厚いのになぁ。
 移動する霧の森も名前からして寒そうなので、ちょっと厚着に着替えておきましょう。師匠のマントも嬉しいですが、大きすぎて動きにくいし師匠に返さなきゃですしね。
 洋服棚を漁っていると。ふと目に付いたのは、元の世界の服でした。これは……どうしましょう。ショートパンツは寒そうですよね。上着も、秋用なので風を若干通してしまいそう。どっちにしろ、身につけたら師匠に睨まれそうです。ニーハイくらいは持っていきましょうか。

「あーにーむちゃー、いーれーちぇー」
「どーうーぞー」

 少しばかり後ろめたくて。ニーハイを巾着に突っ込んでしまいます。後ろめたいというよりは、泣き止んだばかりの二人をまた不安にさせてはと、焦ってしまったんです。
 だれにしているのか。言い訳しつつ、頭を振っていると。器用にも自分でドアを開けたフィーネが、ふにふにと愛らしい笑みを浮かべて入ったきました。よかった。すっかりご機嫌はなおったようですね。
 フィーニスは、くかぁと欠伸をしながらのろのろです。

「なんじゃ。まだ汚れたままかいな。あにみゅはのろまぞ」
「ふぃーにす、お口わりゅいでしゅよ。こーいう時は、のんびり言うのでち」

 頬に擦り寄ってくるフィーネは、相変わらずあたたかいです。そして、嬉しいのか微妙なフォローをありがとう。ともかく、お口が達者なフィーネに戻ってくれたのは嬉しいです。
 とは言え、とっとと自分の荷造りをして、皆さんのお手伝いに行かなきゃですよね。そもそも、自分のおうちの引越しですし。
 一通り撫でると、フィーネも満足したのか。ぴょんと、ベッドの上に降り立ちました。フィーニスと一緒になって、リュックを興味深そうに爪で引っかいています。わずかにチャックが開いた部分に、頭を突っ込んでいる姿は可愛すぎますよ! 愛らしいお尻を、ふりふりと振ってるのが、たまらない! ぷりっけつ!
 とと。悶えている場合じゃありませんです。
 棚やクローゼットを確認してみますが、あまり動きやすい服はありません。洋服自体は師匠が何かと理由をつけて買ってくれるので、たくさんあるのですが。ほとんどがフレアスカートやワンピースです。そういえば、きのこ狩りに出る時も木登りする際も、普段着のままでしたっけ。
 幸い厚手のタイツは数種類あるので、組み合わせで何とかなりそうです。

「改めてみると、胸、強調するデザイン、多い気がする。街にいる式神さん、気を使ってくれてたのかな」
「あにみゅは、街にいるメンスたち、会ったことあるんかいな」
「うん、最近で、二回くらいだけどね。フィーニスたちは、いつも、お散歩行ってた時、かな」

 ぴょこっと顔だけ出てきたフィーニス。引っ掛かってる、垂れていない耳をぐいぐいと押さえているのが、また可愛いです。元気の良いお耳ですもんね!
 そんなフィーニスの横から、フィーネも顔を覗かせました。狭そうに押し合って、フィーニスが師匠みたいな半目になっちゃいましたよ。フィーネは楽しそうですが。

「ぷみゃ! 今度はもっとお菓子送ってくだしゃいって、お願いちよーね!」
「ふぃーねはお菓子ばっかりにゃ。ふぃーにすはご本が良いのぞ」
「ぷぅ。ふぃーねは、どっちもがいいのでし! あにむちゃのお膝で読んでもらいながら、クリームいっぱいのケーキ食べるにょよ」

 ぷんとそっぽを向いたフィーネは、またリュックの中に潜っちゃいました。ふわふわ素材で出来ているリュックは、外気に触れているよりは気持ち良いのかも知れませんね。
 きゅっと、背中下まであるファスナーをあげると、一瞬、ぐぇっと変な声が漏れてしまいました。おかしいな、太ってはないはずだけど。ともかく、着替え終了です。

「あにみゅ、しょんなスカートふわっとしてて、寒くないんかいな」
「中に何枚も、あるから大丈夫。ぴちっとよりは、動きやすいしね」
「転んでもおぱんちゅ見えなくて、安心でしゅね! あるじちゃまにも、怒られないのでしゅ」

 リュックから出たり入ったりしているフィーネの言葉に、ダメージを受けつつ。予備のコートを羽織ると、かなりあたたかくなりました。
 フィーネの言うとおりです。いつもの服よりは中身があるので、そう簡単には大公開しなくていいです。でも、見える云々より師匠が怒るっていう認識がフィーネの中に植えつけられちゃってるのが、なんとも恥ずかしいというかごめんねという心境です。
 とほほと肩を落としたのがわかったのか。すいっと飛んできたフィーニスが、てしっと額を撫でてくれました。おぉ! ちょっと前まで女心とは、と首を傾げていたフィーニスが!

「ふぃーにすには、なんぞわからんが。元気出すのじゃ。ふぃーにすは、ぱんつが見えるより、またあにみゅが、おでこ擦らないかのが心配なのぞ」
「ありがと、フィーニス。フィーニスは純粋なままで、いてね!」
「にゃんか、バカにされてる気がするのぞ!」

 ぱんつ発言に照れたのを隠すため、ぎゅっと抱きしめちゃいます。うん、そーだよね。フィーニスはそうでなくっちゃ!
 両手でぎゅうぅと胸に抱きしめると、てしてしと強い調子で叩かれました。全然痛くないです。
 むしろ、普段着なら露出した鎖骨部分に肉球があたって気持ちいいのが、今はブラウスの上からで寂しいくらいですよ。

「いつまでも、じゃれていたいけど、そろそろ、一階に行こうか」
「まったくにゃ! とっとと、ありゅじのとこ、行くのぞ!」

 ぷんすこしながら羽を広げたフィーニス。
 でも、離れる寸前、甘えたちゃん顔ですりっと頬を摺り寄せてきたのに、胸を打ちぬかれちゃいましたよ! このツンデレちゃんめ! あむっとブラウスを甘噛みしたのも見逃しませんよ!
 うきっとした反面。師匠の話が、決して明るいものではない現実に頭痛がします。私の思考回路でも、師匠が何かを戸惑っていて、私が知るのを躊躇っていたのは理解出来ます。師匠の口調は重くて、とても静かだったから。
 それでも、逃げちゃいけない。今逃げたら、この世界に残りたいっていう私の決意も伝えられなくなってしまいそうで……。何より、時期と繰り返していた師匠から。師匠の口から色々教えてもらえるんだもん。嬉しく思わなくっちゃ。

「フィーニスもフィーネも、ありがと。霧の森、行くの始めてだし、ししょーの話聞くのも、ちょっと緊張してたけど、ほっこりした。霧の森にある泉は、フィーニスたちが生まれた所だもんね。早く見てみたいな」

 軽い気持ちでした。可愛くて大切なフィーネとフィーニスが生まれた神聖な場所だから、一度は一緒に訪れたいという。
 ですが、笑顔を向けた先にいたフィーニスの空気が、明らかに凍りつきました。眉間にこれでもかというくらい皺を寄せて、泣き出す直前みたいに体を震わせています。小さなお口から出る白い息さえ、苦しそうな色に見えてしまいます。

「あにみゅ……ふぃーにすたち、生まれた理由知って、あにみゅがどんな思っても。もう一緒いるの嫌にゃって怒っても、ふぃーにすたちは、あにみゅが……だいすきなのじゃ。傍にいられて、楽しいも、嬉しいも、いっぱいなのぞ」

 思いがけない言葉に、息を呑みます。きょとんと瞬きを繰り返す私に、気まずくなったのか。フィーニスは自分の尻尾をいじりながら、目を伏せてしまいました。
 フィーニスたちの生まれた場所。そこは召喚獣の魂が連れて行かれた所でもあるんですっけ。ぐるぐると、フィーニスの言葉とこれまでの情報が混ざり合います。
 もしかしたら……フィーニスたちは、アノ子の魂から生まれたのでしょうか。
 始めて考えが至って。すとんと、フィーニスたちの不安定さが腑に落ちました。
 師匠は、召喚失敗についても教えてくれると言っていました。ということは、つまり。召喚獣の行方や私が何故巻き込まれたかも知ることになる。結果として私を異世界に連れてきてしまった召喚獣が自分たちの誕生に絡んでいるとなると、臆病にもなりますよね。

「嫌いになんか、ならないよ?」

 もじもじとするフィーニスの様子に、じわじわと幸せがこみ上げてきました。自分でも気持ち悪いかなって思うくらい、満面の笑みになっているとわかります。
 そっと両手で包み込むと、とくんとくんと優しい鼓動と温度が流れ込んできました。柔らかいお腹は、ふわふわの毛と同じくらい、気持ちがいい。

「ありがと! 私、フィーニスもフィーネも、大好きだよ。今日の夜も、一緒に、寝ようね?」
「……にゃんで、ここで一緒寝る、なるんじゃ! やっぱりあにみゅは斜め上なのぞ! ありゅじの言うとーりじゃ!」

 掴んでいる両手を、フィーニス自身も両手を暴れさせて叩いてきます。怒ってはいるものの、硬くなっていた空気はだいぶほぐれていたので、頬が緩んでいきます。
 目の端に浮かんでいた涙をちゅっと吸うと、私たち人間と同じで、ちょっとしょっぱかったです。切なくて、苦しくて、でも生きてるんだと思える味。
 「うなぁ」と睨みあげてくるフィーニスですが、全身から照れているだけなのだとわかります。

「あにむちゃ、こりぇ――って、ふぃーにす! にゃんで、あにむちゃにちゅっちゅされてるでしゅか! ずりゅいのでち!」

 可愛いフィーニスにちゅっと口づけた瞬間、ぴょこっとリュックから出てきたフィーネ。手に何か持っていたように見えましたが、飛び出して来たフィーネは手ぶらでした。見間違えかな?
 どんと、フィーニスにお腹アタックをかましたフィーネに、和みました。お望みとあらばと、フィーネのお鼻にも唇を触れさせます。「うなー!」とお花が舞った幻が見えるほどの笑顔を浮かべてくれて、さらにほくほくと心があたたまりましたよ。

「さあっ。三人でいちゃついてると、ししょー、やきもち妬いちゃうからね。荷物持って、おりようね」
「ありゅじちゃまは、あにむちゃを愛してましゅもんねー! あにむちゃとありゅじちゃま、相思相愛で、らぶちゅっちゅでしゅの」
「あっ、うん。そーだね」

 頬を押さえてうっとり『愛してましゅ』と口にしたフィーネに、かぁと全身が熱くなっていきます。なにこれ、恥ずかしい。
 師匠ってば、好きや大好きを通り越して、愛してるって叫んだんですもん。いえね、惚れたとは先に言ってくれましたけど。けれど、愛してるは、恋愛初心者な私にはハードルが高いです! いきなり、愛してるなんて!
 きゃーと、柄にもなく叫んでベッドにダイブしちゃうくらいには、思い出しても幸せすぎますよ。真っ赤になってベッドで泳いじゃいます。
 師匠の声で脳内再生される『愛してる』は攻撃力がありすぎて、筋肉がなくなっちゃったと錯覚するレベルです。

「愛してる、だって! 惚れてる、だって! 私も、ししょー、大好き!」
「あにみゅ、しょんな大声出したら、一階にも丸聞こえなのぞ?」
「はっ! おっ教えてくれて、ありがと、フィーニス」

 危ない、危ない! 分厚いドアとは言っても、澄んだというか寒い空気では声がよく通りそうですもんね。しかも、これまでの経験上、ドアの前に真っ赤な師匠がいて「あほアニム、恥ずかしい宣言してねぇで、降りるぞ」と呆れ顔で抱きしめられる展開がないとも限りません。
 自分で想像した光景に、またにへらと口元が緩んじゃいます。たるんでくる肌を押し上げても、なかなか戻ってはくれなさそうでした。




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