引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

20.引き篭り師弟と、子猫たちの気持ち


 家の状態を確認する振りをして、師匠たちから距離をとります。お腹の疼きを誘った不明瞭な原因を掻き消したくて、雪を踏み鳴らしてみます。さくさくっと良い音をたてた、積もりたての雪。ふぅっと宙を彩った白い息に、見入ってしまいました。
 雪と吐息のベールを掻き分けるのでもなく、隠れる風でもなく。静かに浮いていたのはフィーニス。悲しげな面持ちのフィーニスは、抱きしめると壊れてしまいそうで……。そっと指の腹だけで頬に触れると、同じだけの距離感ですりっと寄ってくれました。柔らかくて甘い感触に、蕩けます。

「あにみゅ、ごめんなのぞ。ありゅじが、あにみゅに好き言わなかったは、ふぃーにすたちのせいなのじゃ。ふぃーにす、もう赤ちゃんない今にゃらわかるのぞ。にゃんで、ありゅじが、あにみゅ好きって言霊にしなかったのか」

 フィーニスから出てきた予想外の言葉に、口が開けっ放しになってしまいました。いつもの拗ねとは違う色を含んだ『赤ちゃんない』という主張。それと師匠が告白を言葉にしなかったのと、繋がりが見えません。
 けれど、あまりに切羽詰ったフィーニスの瞳に、笑い飛ばす気にはなれませんでした。

「ふぃーにすのばかちん! しょれは、内緒って約束したでちょ! ずーとずーっと、ひみちゅで、あにむちゃともずっと、いっちょ暮らすにょ!」
「なにいっちょる。ふぃーねのが、今まで散々はにゃしてたのぞ! しょれに、ふぃーにすたちが黙ってるせいで、あにみゅが違う世界戻るいうたら、どーしゅる気じゃ!」

 フィーニスに体当たりしてきたフィーネですが、フィーニスが厳しい声で怒ると、うっと喉を詰まらせてしまいました。口が達者なフィーネにしては珍しく、反論が飛び出てきません。小刻みに震えてる、毛が逆立った小さな体。
 私の掌に背を当てているフィーニスは、見たことがないくらい目を吊り上げています。

「だっちぇ、だっちぇ……! ふぃーねは、あにむちゃに、嫌われたくにゃいもん!」
「だってないのじゃ。めとぅすの嫌がらせだって、ふぃーにすたちがもっと早く大丈夫言うてたら、ありゅじが怪我しゅるのも、あにみゅが傷つくもなかったかもなのぞ? せんの言うとおり、あにみゅがもう遅い怒って、消えちゃってたかもなのぞ?」

 フィーニスは怒りながらもフィーネの垂れ耳を撫でています。きつい口調とは反対の手つきです。フィーニスがまなじりを下げて顔を覗きこむと、フィーネはついに泣き出してしまいました。
 わんわんと。小さな体から出てるとは思えないくらい大きな泣き声と涙です。お兄ちゃんみたいなフィーニスの瞳にも、めいいっぱい涙が浮かんでいます。
 私といえば、呆気にとられながら、反射的に二人を抱きしめ、背中を撫でてることしか出来ませんでした。爪をたててしがみついて来るフィーネとフィーニス。服を通り越して肌にこすれてくる感触も、不思議と痛みはありません。綺麗な涙が胸を濡らします。あまりの熱さに、フィーネたちの体が溶けてしまうのではと心配してしまうほどです。
 フィーネみたいに泣き声はあげませんが、フィーニスも小刻みに震え顔を埋めてきます。
 師匠をはじめ、微妙に離れた場所にいた皆さんも集まってきました。

「おい。フィーニスにフィーネ、どうした? 泣き叫んでだりして。今になって怖くでもなったか?」
「それが、私にも、状況把握できない、ですけど。秘密をばらすとか、内緒とか。私が違う世界いっちゃうのとか、ししょー告白遅いのは、フィーニスたちのせいだって、喧嘩しだしちゃって……」

 どうしよう、と続くはずだった疑問は、喉の奥に落ちていきました。
 私以外の人たちの頬が、一斉に引きつったから。雪からの凍えとは明らかに違う理由でかたまった、空気。ぴりぴりと肌に染みてくる冷たさが、まるで心臓にも達したみたいな――。
 って、私、詩人すぎますね! 理由もなにも、師匠の告白が今になったのをフィーニスたちが自分たちのせいだって思っちゃってるというか、思わせた師匠に引いちゃってるんですよね! 師匠は、自分にってことで。

「なっなに言ってるの、子猫ちゃんたち! アニムちゃんは子猫ちゃんたちにメロメロなんだから。子猫ちゃんたちのせいで元の世界に帰っちゃうなんて、ありえないわよ! 子猫ちゃんたちが『だいしゅきにゃん、はーと付きにゃん』て口づけすればいちころよん!」
「ラスターが小首傾げても、気持ち悪さしかないのですよ。よーし、よしなのです。泣きたいときは思いっきり、意味がわからないことでも叫びながら泣くのがいいのです。わたしも失恋の痛みを森中に響かせるのですよー! 一緒にこだまを響かせましょーなのですぅ!」
「ラスもホーも、フォローになってない」

 賑やかに二人を慰めてくださる皆さんに、ほっこり心があたたまります。二人のこと、好きでいてくださるんだなぁって。
 私は口を挟む隙がつかめなくて、「だいじょーぶ、だいじょうぶ」と二人の背中をぽんぽんと軽く叩くしか適いません。師匠も面倒臭そうな顔を皆さんに向けつつ、二人の頭を撫でています。センさんは、あーだこーだ言い合っているお三方をどうどうと静めていらっしゃいます。
 何度か撫でるのを繰り返していると、ゆっくりとですが、フィーニスが顔をあげてくれました。ぐしぐしと目を擦っている姿は、申し訳ないですが、可愛いです。持ち上げて、いつも師匠がしてくれるみたく、目元に口づけすると照れた様子で小さく笑ってくれました。フィーネはまだ、胸にしがみついて、いやいやと頭を振っています。

「私は、フィーネもフィーニスも、大好きだよ」
「ほら、子猫ちゃんたち! 今よ! さっきの愛の囁きを実践するのよ!」

 ラスターさんが演劇女優のごとく、きらんとポーズをとると。腰を捻ったフィーニスがふぅと溜め息を流しました。おまけに、やれやれと両手をあげて頭を振りました。
 かっこいいです。フィーニスってば、まるで赤子を見守る大人のような雰囲気を纏っちゃってます!

「らすたー、あほっぽいのじゃ。ふぃーにすは、しょんな子ども騙し、言うないのぞ」
「ひやぁ!! 子猫ちゃんがぐれた!! あたしの可愛い子猫ちゃんが! 三人仲良く花畑をかけた日の純情を思い出してぇ!」
「……らすたーしゃん、うるしゃいのでち。ふぃーねたち、らすたーしゃんとお花畑いったのないでちょ」

 フィーネもすんすんと鼻を鳴らしながらも、顔をあげてくれました。フィーネの額にもちゅっとすると、背伸びしてキスを返してくれました。
 さすがラスターさんです。フィーネとフィーニスの仲良しさん。
 ラスターさんが体をくねらせて「こらー!」と怒った振りをすると、フィーネの手を引いたフィーニスはけらけらと笑って飛んでいきました。空元気なのはわかりますが、三人の追いかけっこに、ひとまず胸を撫で下ろします。

「さて。僕らは日用品を運ぶのを手伝おうか。ディーバも、魔法で温度調節してるとはいえ、体調崩すといけないからさ。さくさくと済ませてしまおう」
「調理場は、任せて」
「じゃあ、わたしは酒庫担当するのですよ」

 足元を取られて盛大に転んだラスターさんをスルーして、皆さん家へと踵を返します。今日のラスターさんの雄姿は、ちゃんとルシオラに報告しなきゃ。もちろん、かっこいい部分だけを抜粋して。師匠に告白もらえたのも、手紙に書きたいですね。
 本格的に寒くなってきました。もうちょっとしたら、猛吹雪になりそうな予感がします。ぶるっと震えた体を摩る私の横で、師匠は神妙な顔で考え込んでいます。遠慮がちに手を握ると、柔らかい笑みに変わりましたけど。

「ししょー、私たちも、戻ろう?」
「あぁ。つーかさ。アニム、オレに言っておくべきのがあるよな?」

 はて。告白のお礼というか気持ちは返しましたけれど、まだあります?
 残念ですが、寒さもあいまってか思考回路はいつもに増してゆっくりなようです。師匠が指す言葉の正体を推理するどころか、まず両手を握られている状況が理解出来ません。師匠の体温を吸収出来るのは、すごく嬉しいけれど。
 きょとんと瞬きを繰りかえるだけの私に業を煮やしたのか。師匠からは諦め半分に、物悲しい息が吐き出されました。

「幸せっつー最高の言霊は貰ったけどさ。オレが最後に聞いたアニムの感情は『嫌い』だったし、確か『触らないで』と拒否もされた気がするんだが」
「あっ、ごめん、です。私、どんかんだった。でも、えっと、今ここでは、みなさんの視線が……」
「って、おい。お前ら! 気味悪い笑みでこっち見てんじゃねぇよ! とっとと、動け! 年寄りども!」

 師匠のおっしゃる通り、三日月唇なお三方が後ろ歩きでこちらを観察していらっしゃるんです。器用です。といいますか、年寄りって。師匠、自分にブーメランですよ。その台詞。
 青筋浮かべた師匠の怒声に怯まず、むしろ、とってもくすぐったい部類の眼差しに変えた皆さん。スキップしちゃったり、ちらちらこちらを伺っては内緒話はじめちゃったり。嫌な雰囲気はこれっぽちもありませんが、見守られてる感がはんぱなくてですね。応援されすぎちゃって、照れくさいんです。

「ったく。あいつら、人の恋路を応援してんのか邪魔してぇのかどっちだよ。アニムも、もういいから。もじもじしてねぇで、ちゃっちゃと歩け」
「もじもじないよ。恋路表現するくらいなら、もっと甘い空気、でもいいのに」
「あほアニム。氷みたいな体温で甘いだの辛いだの愚痴ってんじゃねぇ」

 なんと理不尽な! 師匠の理不尽節が絶好調ですよ!
 でも……雪が積もってさらに色素を薄めている髪の間、覗く耳裏が真っ赤だったので。引いてくれる手に素直についていきましょう。
 あれこれ引っ越しの流れを呟いている師匠の背中を見つめて。やっぱり、ちゃんと伝えないのはフェアじゃないときゅっと口を結びます。フェアじゃないというより、ちょっとでも出しておかないと、改めて伝える時に好きっていう感情がパンクして、暴走しちゃいそうなんですもん。

「ねぇ、ししょー」
「んだよ。急ぎの御用でもありますかね、アニムさん」

 師匠が握ってくれているのとは反対の手で、控えめに袖を引っ張ると。意地悪だけど丁寧な語を絞り出しつつ、すぐさま足をとめてくれました。私、師匠のこういうところも大好き。
 引きとめたはいいですが。この静かな空気の中では、囁きもこだましそうな気がしてしまい。俯いたまま、体温があがっていくばかりです。師匠の無意識の言動でさえ、私の頬を熱くする。師匠は知ってるのかな。瞳の動きひとつとっても、胸を締め付けるのを。
 一向に動かない私を、さすがに師匠も可笑しいと思ったのでしょう。

「足でもくじいたか?」

 眉間に皺を寄せた師匠は、しゃがみこんで足首を摩ってくれちゃってます。くるぶし上までの白いブーツは、すっかり瓦礫(がれき)のくずやら師匠の血で汚れてしまっています。
 ばっと勢いをつけてしゃがみ込むと、師匠の頭ごとマントで覆われてしまいました。これは好都合だと、首の留め金をはずして師匠も迎え入れます。毛布の中で内緒話するみたいな態勢になり、妙に鼓動が激しくなってしまいました。でっでも、内緒話にはもってこいです。顔が近いとはいえ、暗いし。
 当然、私の心内など知る由もない師匠は、なにやってんだと顔に書いて、睨んできました。でも、負けません!

「急ぎ、です。今すぐ、耳かしてくれないと、私、窒息死、しちゃう」
「なんだと。どうした?」

 伸ばしてきた手をつかみ、真面目な顔をつくって手招きすると。師匠もいつもの凛々しさで、耳を寄せてくれました。
 大きなマントを頭から被り、二人して膝をついて身を寄せ合う。
 いけないことをしているようで、胸がざわめきます。でも、嫌なざわめきじゃありません。くすぐったさに似たものです。たっぷり冷気を吸い込んで、飛びっきりの甘さを吐息に含みます。無理矢理な甘さじゃなくって、師匠へのありったけの想い。

「あのね? ししょー、すきだよ」
「はぁ?!」
「だから、ししょーが、だいすき。私、ししょーが思ってるより、ずっと、ししょーが、大好きなの。告白くれたのは、もっと、触れてくれるって、喜んでも、いいよね?」

 しまった、です。最後は口にするつもりなかったのに。予想外のリアクションをくれた師匠のせいで、ついぽろっと出てしまいました。そもそも師匠が『触りたく』というのに傷ついたからって言い訳しておきます。
 だって、師匠ってば。すっとんきょんな声をあげたものの、私に耳を傾けた姿勢のまま固まっちゃってるんですもん。正確には、師匠は向き直ろうとしたんですけど。調子にのって胸を密着させたあとの『大好き』に硬直しちゃったみたいです。
 しゃがんだまま、じっと師匠の解凍を待ちます。回答じゃなくて、まさに解凍。レンジでチン! とはいかず、自然解凍の速度で、ぎしぎしっと動き始めた師匠の口は、しっかりと結ばれていました。あぁ。このきゅっと結ばれた口元が大好きなんです。

「アニム、お前なぁ。兎が肉食獣の前で尻尾振って腹見せながら寝転んでるようなもんだぞ! 自覚しやがれ!」
「仰向けで寝転んでたら、しっぽは、ふれないよ?」
「あほたれ!」

 正論を返しただけなのにひどい! とは、声になりませんでした。まさに肉食獣みたいに、がぶっと唇に食いつかれてしまったので。
 けれど、決して貪るようなモノではありません。絡み合ってるのに、ぎゅっと胸を鷲づかみにされてるみたいな、泣きたくなる口づけ。深いのに、優しい感触。柔らかいのに、繋がっていると感じられる強さ。
 あまりの勢いに、後ろに倒れてしまいました。ずり落ちてきたマントと積もった雪があったので、さほど衝撃はありませんでしたけど。空を覆いつくしている魔法陣が、目に飛び込んできました。唇が重なりあっていたのはわずかな時間で。師匠は半身だけ私に乗っている状態で、一緒に倒れこんでいます。

「まさかここで押し倒す訳にもいかねぇからな。あの程度の口づけで我慢してやったオレの忍耐力に、感謝しろ」
「ししょー、腕、重いですよ。首にぐぇって」
「そうか、そうか。もっとオレで暖を取りたいか」

 意地の悪い笑みで口を歪めた師匠を、懇親の睨みで射抜いてやります。が、数秒のにらめっこの結果、二人して笑い出しちゃいました。雪のクッションさえ、極上の羽毛布団のようです。
 ふっと。出来た影に瞼を開くと。

「ウィータちゃん、女の子の体冷やすような場所でするのは、ダメ。自重する」
「長生きのわたしでも絶句なのですよ。世界史に残るげろ甘夫婦なのです」
「僕もディーバとこんなふうにいちゃこらしたいんだけどなぁ」

 ひぎゃ! 皆さん、家に入られたのでは!! 空気全部を赤に染める勢いで沸騰していく私。じたばたともがいてみるものの、慌てているのは私だけのようです。
 師匠はけだるそうに「うっせぇ」と皆さんを睨みあげただけでした。私が一人で道化(ぴえろ)になってるじゃありませんか!
 般若顔のラスターさんが師匠を叩いて起こしてくれなければ、冗談抜きで窒息死するところでした。ラスターさんは乙女の味方です。だれよりも、女性の味方です。あとで思いっきり抱きついて御礼言いましょう。って、それじゃ私得ですね。
 深呼吸をして、未だに足を止めているホーラさんとディーバさんの背中を押します。

「わっ私、さきに、家、入ってるです! 荷物、まとめて、くるですよ!」
「ラスターみたいに、すっころぶなよー。下着大公開したら、覚悟しとけ」
「ししょーのばかー! 心配の仕方が、すけべなの!」

 からかわれるのが恥ずかしいから、こっそり内緒話で囁いたのに! さして悪くもない師匠を心内で恨み、からかってくる女性陣と一緒に一足先に家へと向かいます。
 高い音のはしゃぎが水晶の森に響き渡る中。お二人にからかわれているかもしれない師匠の様子を知りたくて、耳を澄ましたのですが……。聞こえてきたのは、小さく強張った声。

「あるじちゃま、ほんちょに、あにむちゃに教えちゃうのでし?」
「あぁ。もう時期じゃねぇかと思うんだ。お前らとした約束、ひとつ守れないで、告げてしまったのは、悪かったな」
「ありゅじは悪いないのじゃ。今まで待っててくれて、ありがとなのぞ」

 どうしてでしょう。
 幸せで心はあたたかいはずなのに。聞こえてしまった会話は、今後の未来自体を示唆するもののように思えて……。
 臆病な私は、届いてくれた現実にも、顔を背けることしか、出来ませんでした。




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