引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

2.引き篭り師弟と、おかしな訪問者 【前編】

「センさん、いらっしゃい!」

 甘い香りが、ふわりと漂ってきます。チョコレートと焼き菓子の匂いに、心が踊ります。紅茶は桃ベースですね。これ、前にも頂きましたが、とろんとした微糖で、美味しんです。
 空気が綺麗な水晶の森に引き篭っていたら、いつの間にか嗅覚が動物的になってきました。食べ物オンリーにですけど。
 お菓子に負けないくらい糖度の高い笑顔で魔方陣の壁を通り抜けてきたのは、センさん。師匠の昔馴染さんです。雲ひとつない青空が、とても似合う方です。白いマントと、その下に着ている濃い藍色の長い魔法衣が、風もないのになびいている気さえします。

「やぁ、アニム。そんなに歓迎して貰えるなんて、嬉しいな。お菓子の方が主じゃないと、もっと幸せなんだけどね」

 ぶぉんと、耳に痛い振動音を発した魔方陣の壁。センさんが内側に入ってくる間、魔道陣は大きく波を打っていました。センさんが完全に森へ入ると、綺麗な形に戻っていきました。煌めいていた色は、もう透明です。何度見ても神秘的な光景ですね。
 センさんは森に来る時は必ず、魔法映像で事前にお知らせをくれます。今日は師匠の目を盗んで、お迎えに参上してしまいました。いつもセンさんが持ってきてくれる甘いお菓子を待ちきれなくなったのではありません。えぇ、決して。

「うん! じゃない、はい。どっちも、ですよ!」

 センさんの声色が心地よくて、私は笑顔で頷きました。センさんは師匠と同じ不老不死ですが、見た目が二十半ばくらいに見えます。人を見た目で判断してはいけません。けど、やはり自分より年上風だと素直になっちゃいますね。うちの師匠の場合、外見よりも口の悪さの問題かもしれません。

「それなら、良かった」

 センさんの、桜よりもっと薄い色の瞳が優しく細められました。それにしても、師匠のアイスブルーの瞳といい、センさんといい、不老不死になると色素が薄くなるんでしょうか。かっこいいなぁ。同じく薄い紫色のさらさらな長い髪も、イケメン度をがっつりあげています。
 師匠も黙っていれば整った顔をしていますが、センさんは何をしていても飛びっきりの美人さんです。
 ぼうっと見とれていると、センさんの掌が目の前に翳されました。女性顔負けに繊細な指です。

「魔力は、まだ身についていなみたいだね」
「はい。むしろ、後天的、魔法使えるモノです?」
「まぁ、方法は色々あるけれど。本人の資質や相性もあるしね。あとは――」

 センさんが説明してくれようとしますが、私にはさっぱりです。私が瞬いているのに気がつくと、センさんはちょっと困ったように笑いました。絵になります。

「ごめんです。だいぶ理解困難です。勉強、足りてないです」
「いや。僕が勝手に語り始めてしまったのだから。すまないね。今の話、ウィータには内緒にしておいてくれるかな」

 どうして内緒にする必要があるのか、センさんの考えはわかりません。ですが、悪戯顔でウィンクをしたセンさんのイケメン具合に免じて、従順な姿勢で指切りをしておきました。
 まぁ、師匠のことだから、魔法本質の話なんて百年早いとか怒りかねませんからね。
 
「とにかく、アニムは魔法に耐性がないのだからね。ウィータからお許しが出るまでは、境界付近には、なるべく近づかないのが良いだろうね。今日ぐらいの距離までなら大丈夫だろうけれど」
「はい、少し離れてる、大丈夫。肌、ぴりぴりするけど、静電気みたい」

 師匠の魔道陣には絶対触れるなという忠告は、きちんと守っています。厳密に言うと、魔方陣に触れるなではなく、外界の空気に近づくなっていう意味合いらしいのですよ。
 どっちにしろ、外には出られません。というか、さして冒険心が強い方でもない普通の女子ですし。外の世界って気にはなりますが、命も惜しいです。自分に対する作戦指示は、常に『命を大事に!』です。
 一人で拳を握り締めていると、センさんが水晶の枝から葉っぱをちぎりました。

「この水晶の森は、ウィータが長年掛かって作り上げた特殊な空間だからね。世界で一番上質で綺麗な魔力が溢れているんだよ。澄んでいるとも言えるね。だから、この世界の普通の人間には、逆に強すぎて心身共に辛く感じられるんだけどね」

 センさんが指先に力を込めると、水晶の葉は粉々になってしまいました。
 師匠の見た目は十七・八才の少年ですが、魔法の腕に関してはかなりのモノらしいです。今のように、センさんが良く話してくれます。この話も、耳にたこが出来るくらい聞いています。

「引き篭る場所、凄い魔法技術使って、わざわざ作る。ししょー、筋金入り引き篭り」
「ははっ、確かにね。本当の理由はなんであれ、彼が百年も森に引き篭っているのは事実だからね。とんでもない執念だよね」

 うん? 執念ですか。引き篭りに対する執念ってことでしょうか。目で訴えても、センさんは口元を押さえて微笑むだけです。
 こうなると、センさんは絶対に続きを話してはくれません。残念。あの師匠が執着するなんてモノ、興味があったんだけどな。
 センさんから受け取った布袋に顔を埋めると、ふわりと甘い香りがしました。うーん! バターとミルク、それにちょっと苦そうな香りがたまりません!

「今回はウィータがお気に入りのお菓子を持ってきたよ。アニムにも、ぜひ一度食べてもらいたくてね」
「嬉しい、です! いつも、ありがとうです。センさん、優しい、えっと、愛です」

 センさんの目がわずかに見開きました。慣れない長文を話そうとしたせいでしょうか。大事な主語が抜けていました。
 慌てているのと恥ずかしさで、頬が熱くなっていきます。焦りから、手が無意味にばたつきました。

「えっと! 間違い、主語、お菓子つきます」
「そう? それは残念だね。僕にも慣れてきてくれたのかと、思ったのだけど」
「それは間違い、ないです! でも、その、すみません。親愛でも、言うの、難しく、じゃなくて、慣れなくて」

 センさんは優しい微笑みを浮かべながら、頭を撫でてくれました。慈愛に満ちた眼差しと綺麗な顔立ちは、心臓に悪いです。昔話に出てくる王子様のイメージ、そのままです。
 照れくさくはありますが、暖かくて安心する温度です。私も、もう撫でられて喜ぶ年でもないような気もしますが、相手はうん百才の方です。ムキになって抵抗することもないでしょう。
 
「それにしても、無理して丁寧に話さなくて良いんだよ?」
「ぐちゃぐちゃ、じゃなくて、えーと、くだけて話す、ししょうー不機嫌になるです」

 また間違えました。未だに、すっと出てこない言葉もあるんです。
 私の黒い髪を柔らかく撫でていたセンさんは、ぴたりと動きを止めました。視線をあげると、センさんは口に手を当てて肩を震わせていました。顔を背けてしまっているので表情は伺えませんが、時折漏れてくる声は明らかに笑っているモノでした。

「センさん?」

 センさんは落ち着いていて大人っぽい方ですが、師匠の話になると一変、感情豊かになるんです。師匠のこと、ほんとに大好きなんですね。しかも、素直な愛しさではなく、ちょっと歪んだモノを感じてしまいます。これは色めがねでしょうか。確かに、師匠はからかいがいがありますけど。
 
「センさん、ししょーのこと、大好きです」
「そうだね、いくつになっても反応が新鮮だからね。ウィータと話していると、楽しいよ。勿論、アニムともだよ?」
「私、ししょーの弟子、で、良かったです。でも、最初、センさん、私のこと、嫌い――じゃなくて、警戒してました」

 センさんは困ったように鼻を掻きました。当たり前なのかもしれませんが、私が師匠に弟子入り(勝手にそういうことにされたんですけど)した当初は、思い切り警戒されていました。髪を茶色に染めているのに関して、何故か問い詰められた覚えがあります。そんな髪も、今はすっかり地毛の黒に戻ってしまっています。
 当時のセンさん、表面上はいたって好青年風でしたが、それが逆に怖かったです。お腹の中で何を考えているのか不明な人間が、一番恐怖ですよね。
 今ではすっかり打ち解けました。センさんが会わない間の師匠話を、がっつり貢いだおかげでしょう。
 そうこう話している内に、家の前まで来ていました。

「アニム、警戒なんて難しい単語、良く知っているね」
「弟子なってすぐ、ししょー教えてくれました」

 全く知らない場所、しかも魔法なんて使えるファンタジーなところです。いくら引き篭っているとはいえ念頭に置いておくにこしたことはない、そういう理由で警戒心と一緒に叩き込まれたんです。ファンタジー世界って、森の中の様子だけでも充分実感は出来ますが、あの頃はいまいち現実感がなかったというか。夢でも見ているような気分でしたしね。
 玄関へ続く小さな階段の途中で、センさんは再び噴き出しました。そのままお腹を抱えてしゃがみこんでしまいました。
 両手が塞がっている私を気遣って、センさんはドアを開けてくれようとしていました。つまり、センさんが動いてくれないと私も進めません。

「センさん? お腹、痛いですか?」
「うん」

 それは大変、と慌てた私を余所に、センさんから大きな笑い声が飛び出しました。あまりの音量に、水晶の樹で羽を休めていた鳥たちがけたたましい音を立てて羽ばたいて行ったくらいです。
 センさんとのお付き合いは1年以上になりますけど、未だに笑いのツボがわかりません。師匠関係、ということだけは断言出来ますけど。

「ひー苦しい。とっ、ところでさ、ウィータは?」

 リアルにひーひーと笑う人もあまりいないですよね。センさんは端正な顔のまま、苦しそうに息を吐いています。センさん、師匠程ではありませんが、ちょっと残念イケメンの素質があるかもしれません。
 とりあえず、笑いすぎで出ている涙を拭いてくださいと、ハンカチを差し出しておきました。センさんは躊躇もなく受け取りました。綺麗に微笑みを付け加えることは忘れずというのは、さすがです。
 少しときめいてしまった胸を叱咤して、私は二階の窓を見上げました。きらきらオーラが眩しいので、目を逸らさずには、いられないんです。

「ししょー、一眠りしたら、センさんお迎えする式神、用意する言ってました」
「でも、アニムが来てくれたんだよね?」
「はい。内緒です。ぐっすり香、たきました」

 内緒という単語を教えてくれたのはセンさんでしたね。初めて使ってみせた時の師匠の嫌そうな顔と言ったら。センさんが、からかいたくなる気持ちがわかってしまいました。あれはいじりたくなるタイプです。
 それはともかく。私が唇の前で人差し指を立ててみせると、センさんは顔を膝に埋めてしまいました。

「あー!! もう、駄目だ!! いや、ウィータもアニムもなかなか良い師弟関係だね」

 『もう』って言える程、センさん笑いを堪えてませんよ。むしろ、さっきから笑いっぱなしです。それでも、我慢するのを止めたのは、わかります。センさんが目線を私に合わせて、がしがしと髪を撫でてきましたから。もう撫でるっていうレベルじゃないです。掻きむしっているに近いです。髪がぐちゃぐちゃです。
 確かに、私たちは普通の師弟とは違うかもですね。私は、弟子と言っても魔法が使えるわけじゃないので、魔法調合や料理の手伝いをする、どちらかというと家政婦さんに近い存在です。

「アニムの髪、さらっとしていて触り心地が良いよね」
「はぁ。私、センさんの髪、羨ましいです」

 今なら触っても許されそうです。イケメン度が高い時は、恐れ多くて手も伸ばせませんよ。センさんも私の髪に指を突っ込んでいるので、お互い様ですよね。
 荷物を片手に抱え直して、そっと指の腹で触れてみます。薄い紫色の髪は、キューティクル満載でつるっつるです! 引っかかることなく滑っていきます。ヒト房掬って離すと、髪がさらりと流れていきます。ハープのように、ぽろんぽろんと音を奏でそうです。水晶に反射した太陽の光りを受けて、一段と輝きを増しました。
 うっとりとしていると、ドアが軋みをあげて開きました。ぎぎぎっと、立て付けの悪い調子で動くドア。ちょっと怪奇な空気が漂った気がします。

「お前ら、人様の玄関先で、なにやってる」

 腕を組んで仁王立ちしているわが師匠ウィータが、現れました。米神が引くついているのは気のせいじゃないですよね。森の奥に住んでいる主様も、裸足で逃げ出したくなる重圧感です。お召しになっている黒い魔法衣が、とても良く似合う雰囲気です。下から見上げると、襟に口元が埋まっていて見えません。目力だけで、一般人な私は腰を抜かしそうです。さすが師匠。周りに魔法の風が起きていますよ。
 ぐっすり香こと、眠りの魔法香をたいたこと、怒っているのでしょうか。





読んだよ

  




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