引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

2.引き篭り師弟と、おかしな訪問者 【後編】


「やぁ、ウィータ。良く眠れたかい? 君らしくもないよね。引き篭っていると『警戒心』は薄れてしまうのかな?」
「うっせぇ!」

 師匠の耳元がぼっと赤くなりました。師匠ってば色素薄いので、照れるとモロバレなんですよね。あぁ見えて、いつもはあまり顔色変わらないんですよ? 両極端な感じです。
 それにしても、ぐっすり眠れたことが、そんなに恥ずかしいんでしょうか。中二病だから「ここ何十年、いや百年単位で熟睡なんてしたことねぇよ」とか言いたいんでしょうか。実際、出会った頃は口にしていましたからね。引き篭りなのに熟睡出来ないって、どういう了見だと突っ込んだのは懐かしい思い出です。

「ししょー、暴力反対」

 師匠が前屈みになっているセンさんの背中を蹴ったのです。さすがに倒れることはありませんでした。目を細めて口を歪めている師匠とは反対、センさんはどこか嬉しそうにさえ見えますね。いいえ。『どこか』どころか、満面の笑みです。もう、放っておきますか。人様の喜びを邪魔するほど、無粋ではありません。
 とは言え、玄関は師匠が塞いでしまっているので、私も逃げ場はありません。とりあえず、こちらに背を向けたセンさんのマントにくっきりついている靴痕を払ってみます。

「アニム、お前もだ! 何、人事みたいな顔してやがる。結界の境界には近づくなって言ってあるだろうが」
「ごめんです。でも、センさん、早く会いたかった」

 お菓子、食べたかったんです。買い出しに行ってくれる式神さんたちは、味覚を持たないせいか、嗜好品に興味が薄いんです。あまり買ってきてくれません。一度食べたモノなら具体的にお願いも出来ますが、そもそも私はココの嗜好品を良く知りません。センさんは色んなお菓子をお土産に持ってきてくれるので、楽しみなんです。
 師匠の顔色を、ちろりと上目で伺ってみます。師匠はもう怒ってはいないようですが、しかめ面で微動だにしません。へのへのもへじみたいな顔です。綺麗なアイスブルーの瞳が潰れて勿体ない。
 はっ! もしかして、マリモみたいになっている私の頭のせいでしょうか。また顔を手で覆って震え始めたセンさんの横を通り過ぎ、抱えていた荷物を師匠に押し付けます。空いた両手でささっと髪を整え直しました。
 師匠は眉をひそめて、渡された荷を見ています。

「大丈夫、ちゃんと、ししょーのお菓子も残すよ」
「――はっ?」

 数秒の間が空いて、師匠から間抜けな声が出ました。短く発せられた声を聞いた瞬間、センさんが大爆笑しました。腹をよじっています。さらに、地面に突っ伏して、ばしばし石階段を叩きだしました。
 家の周りで水晶の実をかじっていた小動物たちが、一斉に姿を消しました。周囲の空気から、癒し成分がなくなった気がしました。

「もー! 君たち最高だよ! ひー! お菓子は、甘くて、美味しいからね! 心配にもなるよね、色んな意味で! ウィータも『取られる』のか不安にもなるよね!」
 
 センさん、折角の美人さんを崩壊させて、子どものようにバタバタと全身を使って笑い転げています。さようなら、私の王子様。
 さすがの私も、ぎょっとして身を引いてしまいました。思わず師匠の袖を掴んでしまいました。乙女フィルターを持ってしても怖いです、今のセンさんの笑いよう。

「ししょー食い意地はってる。だから、センさん抱腹絶倒」
「どう考えても、違うだろ。つーか、また可笑しな言葉覚えてやがるな」
「んーじゃあ、センさん、なんで笑ってるの?」

 私の食欲を笑っているとでも言いたいのでしょうか、師匠。
 袖を掴む手にちょっと力を入れてやります。むっとして唇を尖らせると、師匠は口を歪めました。そのまま、あちらこちらに顔を動かしていましたが、やがて、疲れた様子で溜息をつきました。

「アニム、お前確か二十一になったんだよな。外見は十六・七才くらいに見えるが」
「私の種族、童顔。黒目黒髪、幼く見える。仕方ない。ししょー、人のこと、言えない。あと、歳とお菓子大好き、関係ない!」

 師匠なんて二百才越えたおじいちゃんなのに、お菓子大好きじゃないですか。私は知ってますよ。師匠の部屋にある綺麗な箱の中に、宝石みたいな飴玉がいっぱい入っているのを。
 暴露してやろうかとも思いましたが、これ以上センさんが壊れても面倒くさい、ではなく、大変なので、心の中に仕舞っておいてあげます。

「……そうじゃないんだが。もう良い。セン、早く家に入れ。森の主が煩いって文句言ってくるぞ」

 師匠の背が丸まりました。消耗感いっぱいです。八つ当たり気味に、転がっているセンさんの頭を足先でつつきました。師匠、足癖が悪いです。つつかれている当の本人がとても良い笑顔なので、何も言いませんけどね。

「ほら、アニムも、けったいな顔のまま突っ立てるな」

 師匠に背中を押されて、私は先に家の中に入りました。早速お菓子を取り分ける準備のため、台所へ食器の用意をしに向いましょう。あと、お湯も沸かさないといけませんね。
 師匠とセンさんは、窓際のソファーに向かい合って腰掛けました。長机を挟んで二人掛けの柔らかいソファーと一人掛けの丸いすが二つ、置かれています。センさんが脱いだマントは丁寧にたたまれ、背もたれに掛けられました。あとで、洗濯しないとです。

「セン、アニムを餌付けするのも、ほどほどにしておけよ」
「だって、引き篭り魔法使いと二人で森に住んでいるんだから、少しでも普通の女の子らしい楽しみを作ってあげたいじゃないか。式神や動物たちもいるとはいえ、年寄りとの暮らしじゃ、味気ないだろうし」

 センさんは、すっかり完璧美人さんに戻っています。組んだ膝の上で手を握り、にこやかに微笑んでいます。
 一方、師匠は袋から取り出したお菓子たちを、水晶球に入れました。深い青色をした水に浸されたお菓子は、ふやけることもなく気泡をあげています。
 私のために、外から持ち込んだ食べ物を浄化してくれているんですよ、あれ。レンジでちんの、食物清浄機バージョンみたいな感じですね。しばらく待てば、食物に染み込んだ外界の魔法が、私でも口に出来るくらい上質なモノに変わるんですって。相変わらず、私には理屈はわかりませんけど。

「おかーし、お菓子!」

 るんるん気分で台所に入って行く私を、師匠が苦虫をつぶしたような顔で見ましたが、気にしません。ティーセットを棚から出していると、ぼそぼそと二人の声が聞こえてきます。

「大丈夫だよ、ウィータの初弟子を奪ったりはしないから。それに、ウィータの大切な弟子であるアニムは、僕にとっても可愛い存在なんだよ。わかるだろう?」
「……うっせぇ」

 あれですか。以前、親戚のおねえちゃんが子どもを生んだんですが、コワモテで無口だった叔父さんが、初孫にメロメロになって猫可愛がりしていた心理と同じでしょうか。実の娘であるおねえちゃんでさえ、「あんなお父さん初めて見たわ」と言っていました。
 私はそこまでされていませんが、気持ちとしては同じなのかもしれませんね。二百と六十才から見たら、私なんて赤ちゃんも同然でしょうし。
 何百年生きて初めての弟子っていうのも、驚きです。師匠が凄腕魔法使いなのは、魔法を知らない私でもわかります。目の当たりにする魔法は、森の守りから物臭な用途まで、素晴らしいモノばかりです。それほどの魔法使いなのに、今まで弟子をとらなかったのが不思議。

「お待たせ、しました」

 私が紅茶をお盆に乗せて現れると、センさんがさり気無く持ってくれました。スマートですよね。どっかりとソファーに腰掛けている師匠にも、ちょっとは見習って欲しいです。ちょっと不満に思いながら、私は師匠の隣に腰掛けます。
 ちょうどお菓子の調整も終わったようなので、小さくクローバーが描かれたお皿に丸い焼き菓子を取り分けます。今日、センさんが持ってきてくれた桃の紅茶は、夕ご飯の後に頂きましょう。

「いただきまーす!」

 はむっと大きな口で頬張ると、アーモンドに似た木の実と焦げたカラメルのほろ苦い香りが広がっていきました。生地の部分が口の中で蕩けていきます。むちゃくちゃ美味しいです。
 私の頬が、とんでもなくふにゃけていたのでしょう。センさんも柔らかく微笑んでくれました。これですね、孫を見守る目。でも、私は孫ではないので、くすぐったくなってしまいます。

「んー! 美味しい!」

 気恥ずかしさを誤魔化すため、大袈裟に頷きます。誤魔化しでもなく、本当に絶品なんですけどね。師匠は私を横目に入れただけで、いつもの眠たそうな目で紅茶をすすりました。紅茶も、爽やかな香りで癒されます。
 センさんも自分の口へ焼き菓子を運びました。優雅な動作に相応しい、上品なお口の開きでした。

「良かったよ。そうしたら、アニム。お返しが欲しいって訳じゃないのだけど、さっきのアレ、もう一回言ってみてくれるかい?」
「さっきの?」

 師匠と私の声が重なりました。さっきのとは、どれのことでしょう。お茶にたどり着くまでに色々有りすぎて、どれのことだか検討がつきません。
 お行儀が悪いですが、私はフォークを加えたまま首を傾げて考えます。センさんは身を乗り出して自分の指同士を絡めると、にこりと完璧な笑顔を向けてきます。奇妙なのも怖いですが、完璧な笑顔というのも嫌な汗が流れます。

「そう。僕のこと、優しいって言ってくれたでしょう? 全文、あのままでさ。わかっているから、抜けてた主語もそのままで良いよ」

 あぁ、あれですか。長文で頑張ったので、覚えています。
 隣で師匠が訝しげに目を細めました。今日の師匠は表情豊です。それを隠したいのか、師匠は興味がないように、紅茶に口をつけました。

「嬉しい、です。 いつも、ありがとうです。センさん、優しい、愛です」
「――ぶっ!!」
「ししょー、紅茶吹く、汚いもったいない」

 師匠が盛大に紅茶を吹きました。反対方向に出してくれたのが、唯一の救いでしょうか。汚いと言いっぱなしも弟子としてどうかと思ったので、とりあえず、お盆に乗せていた未使用の布巾で口元を拭いてあげます。弟子っぽい、私。むしろ、介護になるんでしょうか。師匠、そんな顔で見なくても、台拭きじゃないので、安心してくださいよ。
 むせていた師匠は、私の手を握ってきました。気管支にも入ったのか、苦しそうにむせています。ちょっとぐいぐい乱暴に拭きすぎたんでしょうか。私の手も、ちょっと痛いです。

「んなことより、お前。愛って」
「そのままの意味だよね、アニム?」

 てっきりセンさんは大爆笑の渦にはまっているかと思ったのですが……全くそんな様子はなく、先程と変わらない姿勢と笑みで、私を見つめてきます。照れるじゃないですか。
 じゃなくて、師匠がセンさんを物凄い形相で睨んでいます。

「いやー嬉しいなぁ。そう言ってもらえると、お菓子を選ぶのにも気合が入るよね。もう一回、言ってくれるかい? 今度は、胸の前で指を絡ませて、ちょっと上目に首を傾げてくれると嬉しいなぁ。ついでに『おにいちゃん』て呼んでくれると、尚、きゅんとくるね」

 もしかして、センさん、初孫っていうより足長おじさん的感覚なのでしょうか。人にモノをあげるの好きそうですもんね。私にはお返し出来るモノはないので、言葉で良ければいくらでも真心込めて言いますよ。
 若干マニアックな趣味も入っていますが、それはスルーしておきましょう。でも、私が反応するより早く、師匠が立ち上がりました。

「セン、いい加減にしろ! お前、アニムが理解してないのに漬け込みやがって!」
「え? お礼言うの、変?」

 師匠の言葉に、フォークを置きかけた手が止まりました。
 そんな筈はありません。今までも散々言っていた言葉です。水晶の森に落ちてきてから、何度お礼を口にしたことか。でもと、ひとつだけ思い当たることがありました。

「気がついたか。アニム、お前どこで覚えてきた」
「えっと。昨日式神さんたちと、センさん来る話してた。今度のお菓子、何か楽しみって。そのまま、ししょーお菓子好きってなった。私おやすみ言ったあと、式神さんたち、好きのもっと上の言葉って、聞こえてきた、から」

 そうです。そういう、訳なんです。てっきり物事が大好きっていう意味の最上級だと思って、使ってしまいました。
 頬を押さえてセンさんの方を向くと、草原の爽やかな匂いが香りそうな笑顔を返されました。だから、あの時ちょっとだけ驚いていたんですね!

「さすが、ウィータ。本来感情を持たない式神たちに『愛される』なんて、凄いや」

 師匠が頬をひきつらせました。えぇ、あからさまに。「うっせぇ」と吐き捨てられた声には、力がありません。きっとあほな弟子に呆れ返っているのでしょう。
 師匠は、そのままの表情でソファーにもたれかかったと思うと、部屋の中央にある机の上を、親指で指しました。そこには、私の勉強ノートがあります。

「アニム、菓子食ったら、とりあえず単語綴り百回な」
「う……はい」

 とんでもない言葉を笑顔で口にしていたかと思うと、恥ずかしくて身が縮みます。穴があったら入りたい。深く掘って、埋めて欲しいです。うぅ。気持ち的な好きという意味だったんですね。なにこれ、つらい。
 二人に背を向けて、ソファーに張り付きます。髪が長くて良かったです。今の私は、爆発しそうなくらい、真っ赤な筈です。後ろから、「師匠に尻を向けて蹲る弟子がいるか」と師匠の呆れた声が聞こえてきますが、そんなもの無視です。

「ごめん、ごめん。大丈夫だよ、アニム。この『愛してる』は敬愛とか親愛とか、そういう想いもあるんだよ」
「ほんと、です?」

 おずおずと顔をあげると、センさんが師匠に向かって両腕を広げていました。そして、大きく頷きました。

「うん。だからさ、やきもち妬いているウィータにも言ってあげてよ!」

 なんでそうなる。
 さっきまで、太陽の光をめいっぱい浴びた草を思わせていたセンさんの笑顔は、今や毒沼でふてぶてしく花を咲かせている食虫植物に見えます。毒沼に食虫植物は咲かないと思います。あくまでも例えです。
 思わず無表情で師匠を振り返りました。師匠は額に手を当て、ふぅーと息を吐いたところでした。なんか、一気に老けた気がします。
 かと言って、私みたいに赤く染まってはいません。それにしても私、無表情で赤面て。想像すると怖いですね。今、自分の顔が見れなくて、ほっと一安心です。
 師匠は、空いた方の手をぶらぶらと動かしました。あっちいけしっしの仕草です。

「セン、お前もう帰れ」
「えー、嫌だよ。この間、ホーラに貰った美味しいお酒、飲ませてくれる約束じゃないか。出来るなら、今からでも飲みたいくらいだよ」

 師匠は本気でないと思うのですが、センさんは心から抗議の声をあげたように思えます。
 ホーラさんは、ご長寿一族の女性です。師匠たちより年上らしいですが、見た目が幼女でとっても愛らしい方です。師匠曰く、「あいつはあざといだけだ」らしいですけどね。可愛いは正義なので、オールオッケイです。
 皆さん一様にお酒好きなので、時々飲み会が開かれます。師匠が引き篭りなので、開催場所は限られるのですけど。

「あー、もう好きにしろ。地下に置いてあるから、勝手に持ってこい」

 さすが引き篭り、いえ不老不死のおじいちゃんず。昼間下がりからお酒なんて不摂生、その様な概念はないみたいです。師匠の投げやりな台詞を聞いた瞬間、センさんは優雅な仕草で立ち上がりました。意気揚々と、地下へ降りていきました。
 どっと疲れが押し寄せてきます。

「私、綴り復習する」
「……罰として、声に出せよ。恥を伴い、身をもって学習しろ」
「はいはい、がってんしょうちのすけ」

 結局、センさんが戻ってくるまで『愛』を連呼して、書き取りさせられました。恥ずかしさから、やけくそ気味にですけどね。
 その間ずっと、師匠ってば至極ご満悦に、私を眺めていましたよ。隣で頬杖をついて、意地悪な笑顔で見つめてくるものですから、顔が熱くて仕方がありませんでした。たまにいじる側になると、調子に乗るんです。
 それも、戻ってきたセンさんに、

「楽しそうだね。一緒に引き篭っていると親密度が格段に上がるのかな? 出来れば僕も混ぜて欲しいな」

と声を掛けられて、終了しましたけど。
 師匠の「うっせぇ」に激しく同意したのは、内緒にしておきましょう。


 
 今日、わたくしアニム(仮名)は、一つ学習しました。言葉じゃなくて、人生経験的意味です。
 甘いお菓子には要注意。好物に惑わされて、慣れない言葉を使うものではありません。そして、最も警戒するべきは、お菓子みたいに魅惑的な甘いマスクを被った可笑しな訪問者だっていうことです。




読んだよ


  




inserted by FC2 system