引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

19.引き篭り師弟と、想い返し1

「終わっ……た……?」

 跳ねる心臓を全身で感じながら、恐る恐る瞼を開きます。
 開けた視界に映りこんできたのは、降り続ける雪と水晶の地面、それに一部が崩れた我が家でした。ふわふわと、蛍のような魔法がいくつか浮いてはいますが……メトゥスの姿はすっかり消失しています。
 終わったんだ。もう一度、今度は心の中で呟くと、一気に膝から力が抜けていきました。

「あにむちゃ、おちゅかれしゃま。めとぅすのこちょなんて、しゃくっと忘れちゃうのでしゅ!」
「あにみゅ、がんばったのぞ! 今日は特別に、よしよししてやるのじゃ!」
「とくべちゅなくて、ふぃーにすってば、いっつも嬉しそうにしてるのでしゅよ」

 冷たい雪の上。座り込んだ私に声をかけてくれたのは、フィーネとフィーニスでした。私の腕から抜け出し、小さな羽根をせわしなく動かし回転しています。
 はしゃいでいるのとも、興奮しているのとも違う様子です。さっきは笑っていましたが、本当はとても怖かったのでしょう。
 てしてしと手をぶつけ合っているフィーネとフィーニスに手を伸ばしますが。二人を先に掴んだのは、師匠でした。右と左、それぞれに掴れてもなお、二人は「うなな!」と喧嘩状態。
 暴れる二人を見下ろす師匠は、呆れながらも優しい眼差しです。

「ほら、フィーニスもフィーネも落ち着けって」
「だっちぇ!」
「二人とも、よく頑張ったな。お前らのおかげで、アニムを助けられたようなもんだ」

 ぷくーとお餅みたいに膨れ上がった頬は、師匠のねぎらいで一気に破裂しました。寒さも吹き飛ばす春風の笑みが浮かんでいます。周りにお花さえ見えそうです。可愛い!
 師匠の掌に乗せられた二人は体をくっつけつつ、師匠の胸元にすり寄っています。……うらやましいなんて、思ってないですもん。すみません。本当は仲間に入れて欲しいです。

「アニムはいつまでもへたれこんでねぇで、立てよ。尻が冷えるだろうが」
「私なくて、私のお尻だけの、心配ですか。さすが、えろししょー」
「あほアニム。けったいな妬き方してんじゃねぇって。前にもあったぞ、こんなやり取り」

 ひどいっ! さっきフィーネたちに向けていた見守る呆れじゃなくって、心底呆れてる顔ですよ! 眠たそうな瞼に錘がついちゃってますよ。自分でもどうかと思う妬き方ですが、そこはまだ動揺中ってことで許して下さい。
 とはいえ、雪と水晶のダブルパンチでは、本当にお尻がはれてしまいそうです。どっこいしょと心の中でだけ掛け声をすると、思いのほか軽く体が持ち上がりました。

「あっありがと、です」
「ん」

 フィーネとフィーニスを頭の上に乗せた師匠が、持ち上げてくれたようです。脇の下に差し込まれた手は、足先が地面についても引き抜かれることはありませんでした。なっ何故に。微妙に腕をあげているのもかっこ悪いです。
 なので師匠の肩に手を乗せて、もんであげてみたのですが。奇妙な行動を取るなというお叱りの声はぶつけられません。
 物言いたげに私だけを映す瞳。折角静まってきたはずの動機が、早さを取り戻していきます。吐き出されているお互いの息。ミルク色に広がっていく息が混ざり合う光景は、どこか艶っぽくて。
 たまらず首を傾げると、師匠から長い溜め息が吐き出されました。その拍子に腰まで滑り落ちてきた掌に、背中を寒さ以外の何かが駆け抜けます。ひぇ。

「ていっ! なにふたりの世界に入っちゃってるのですぅ! 侵入者がいなくなった途端、いちゃつくのはやめるですよ! 色ボケ師匠!」
「いってぇ!! なにしやがんだ、ホーラ! さっきまで死にそうになってた怪我人の脛(すね)に、飛び蹴りを入れるやつがあるか!」
「知ったこっちゃないのですよ。失恋者の前で、いちゃつくなとあれだけ注意したのですぅ」

 ホーラさんは落ち込んでいらっしゃったんですっけ。というか、ホーラさんの切替え、お早いです。おかげで師匠の手が、腰から離れてくれた訳ですけども。
 フィーネたちを頭に乗せたまましゃがんで、ホーラさんの頬を引っ張っている師匠は、なんか可愛いです。ほっこり、ほっこり。

「へぇ。ホーラ、例の召喚士とは別れたんだ? じゃあ、ささっと後片付けをして、残念会しないとね」
「セン、残念会、言わないの。次があるさ会よ。あと、アニムとウィータちゃんの、お祝いも」
「さすが僕の奥さん。前向きになれるね!」

 ディーバさんを後ろから抱きしめたセンさんは、目じりが落ちてます。でも、笑いこけている残念王子とは違って、羨ましくなるデレ顔です。
 ホーラさんの「まだ別れてないのです!」という叫びを無視して。ディーバさんは残念会、もとい次があるさ会の献立を呟き始めてます。センさんと同じく、とってもマイペースさんです。
 あっ。次があるさ会をやるのは楽しみですが、お家が見事に崩れちゃってるんですっけ。師匠の寝室だけとは言っても、水晶の森の冷気で家中がとんでもない状態でしょう。別館ならまだ使えそうですけど、この状況を放っておいたら家具や魔法道具が使えなくなってしまうのでは。

「うぇっくしゅ!」
「なんつークシャミだ。とりあえず、オレのマント着てろ」

 いつの間に拾い上げたのか。師匠のマントを着せられました。がっちり前もしめられて、まるで、てるてる坊主のようですよ。魔法でも良かったのではと思いつつ。やっぱり師匠のマントに包まれてるというのが嬉しいです。うへへと、大きな襟に顔を埋めてみます。特製のマントはすぐに体を温めてくれますが、何より師匠のというのが体温を上げてくれます。
 よほどにやけていたのでしょう。口をへの字にした師匠に、頬をぐいぐいとあげられてしまいました。

「ししょー、ありがと。私のは、ボタンつけなおさないと、だね。フィーネもフィーニスも、こっちおいで? 雪で、背中冷たくない?」

 直接雪が降りかかる場所にいては寒いんじゃないかな。ついでに私の二人のぬくもりが欲しくて手を伸ばしたのですが……。
 フィーネもフィーニスも、師匠の頭上から降りてくる気配はありません。フィーニスが飛びついてこないのはツンデレちゃんだからとしても、フィーネまでが口ごもってもじもじしているのは、とても珍しいです。涙目で「んなぁ」とか細く鳴いちゃってます。
 はてと首を傾げると、何故だか師匠が神妙な顔つきになってしまいました。

「あらあら、子猫ちゃんたち。情けない主人が心配で離れられないのかしら?」
「うっせぇ。ラスター、お前は、ちったー静かにしてろ」
「ウィータはどうでもいいけれど。アニムちゃんは、もう痛む部分ない?」

 宙で止まっていた手を握ってきたのはラスターさんでした。口調は軽いですが、手の甲を下さる手つきはとても柔らかく、伺うような眼差しは揺らめいているように感じられます。もしかして、ラスターさん、回復玉を取りに行く私を止めなかったって、責任感じちゃってるんでしょうか。私が望んだとは言え、心優しいラスターさんなら有り得ます。
 例の如く。師匠がラスターさんの腕に手刀を落とそうとしていたので。ソレより前にと、慌てて掌を重ねました。

「ししょーが、とびっきりの回復魔法、かけてくれたので、もう、全然痛まないです。ラスターさんも、大丈夫です? 痛いとこあれば、私、誠心誠意、看病するです! ホーラさんも、ぐったりなくなったです?」

 師匠に絡んでいる調子から、ホーラさんの健康状態は良好そうですけど。念のためにと確認です。ホーラさん、元気いっぱいなピースを返してくださいました。よかったです。
 一方、反応のないラスターさん。もしかして、声も出せないくらいの傷をおってらっしゃたのを我慢していたのでは! ラスターさんに何かあったら、ルシオラが悲しみます!
 不安になって顔を覗き込むと、はっとしたように胸を突き出されました。すぐ近くだとかなりのど迫力です。

「やん! 胸が! 胸がきゅんて痛むわ! アニムちゃんに手当してもらえるなんて、あたしの豊満な胸が張り裂けそう!」
「おいこら、アニム。師匠を放って、胸の大きさで嫌味いうようなオカマを気遣うとは、いい度胸だ」

 一番ひどいのは師匠です。おっしゃる通りの巨乳をはってみせたラスターさんではなく、現実を突きつけてきたお師匠様の方です。間違いなく。
 ぐぬぬと師匠を睨み上げてやります。ですが、気になったのは、やはりフィーネとフィーニス。いつもなら可愛い鼻に皺を寄せて、ラスターさんをてしてしと叩くのに。垂れ耳をさらに頭にくっつけて上の空です。魔力を使いすぎちゃって、疲れているのでしょうか。
 さすがに心配です。ですが、二人に呼びかけようと開いた口は、「ぶほぉ」と情けない音を吐き出しただけでした。師匠、乙女の顔面を崩す勢いで両頬を挟むのやめてください! いっそ見事なほど、たこ口ですよ!

「わたしの頬をひっぱってる時と、明らかに、てつきが違うのですよ。やらしい、やらしーなのですぅ」
「ったりめぇだろうが」

 ちょっ。ホーラさん。引っ張る行為のが、断然可愛らしいと思います。師匠も、さも当然と鼻を鳴らさないでください。たこ顔にされてるのに。
 置いてけぼりにされているのに。師匠の短い言葉の裏を考えて、胸が熱くなっていきます。今までなら「弟子だからな」と続くのしか想像できなかったのに、今は都合よく「惚れた女」というのが師匠の声で再生されてしまう。

「やっと言葉にしたと思ったら、すぐ調子に乗るんだからさ。あんな遠くから一方的に叫ばれたアニムの気持ちも考えがえなよ、ウィータ」
「ですです。大体、『愛したんだ』なんて過去形で言われたら、色々かんぐっちゃうのが乙女心なのですよぉ。そこは『愛してるんだ』とか『永遠の愛を誓う』が素敵なのですよねー」
「ウィータちゃん、普段言霊って煩いのに、人生初の告白は、残念」

 『考えなよ』と諌めつつ満面の笑みを浮かべているセンさん。幼女の風体に見合わずあくどい笑いを口の端から流しているホーラさん。慰めるように師匠の背中を叩いたディーバさん。お三方のうち、私はだれの意見に賛成したら面白いでしょうか。ぐへへと、人の悪い笑みを浮かべてやりますか。というか、すごいダメ出しの嵐ですね。
 嘘。師匠の告白を何度も繰り返して、噛み締めて。聞いた瞬間は感動で胸が熱くなって、涙がこみ上げてきたのに。時間がたった今、あの告白が本物だったのか実感がわかず、もしかしたら自分が夢を見ていたのではと、瞬きを繰り返してしまいます。
 皆さんの会話が現実だったのと教えてくれるのに、頭が真っ白になったら逆戻りだと、変に一歩引いてしまいます。

「お前ら――! オレとアニムの問題に口はさみすぎだろうがっ! てか、アニムも反応ねぇし」
「アニムは呆れてるんじゃないの? 今更だーって、内心で物凄く怒ってたりして。普通のお嫁さんなら、とっくに実家に帰られてても可笑しくないしさ」
「ぐっ!」

 あっ、師匠が面白いうめき声をあげましたよ。というか、お嫁さん! 私が反応しちゃうのは、お嫁さんて単語の方ですけど!
 いやいや、そこじゃないですよね。大丈夫です、師匠。師匠が言葉に出来ない性格なのは、皆さんよりは長くない付き合いながら、承知しています。それに、態度ではこれでもかっていうくらい表現してくれてました。最後の踏み込みはしてくれないけど。
 師匠が愉快な動きをしたせいで、バランスを崩しちゃったフィーネたちは、お口を三角にして浮いてます。やっぱり、元気がない?

「それにだって、ほら。僕はアニムのお兄ちゃん(希望)だし、そうするとディーバはアニムのお姉さんになるし、ホーラはアドバイザーだし、ラスターにいたっては――」
「あたしはともかく! ウィータには同情するけれど、あたしたちは、アニムちゃんの味方だからねぇ。散々待たせておいた挙句なんだから、当の本人にだって文句言われても仕方がないのよ?」

 同情すると言いつつ、師匠の肩に腕をのせたラスターさんは、半笑いです。綺麗な頬がひくひくと引きつっていらっしゃるのが、はっきりとわかります。というか、センさん、お兄ちゃん宣言は本気だったんですね。長女の私はお兄ちゃんという存在に憧れます。大歓迎ですよ!
 師匠を囲んで、きゃっきゃうふふと騒がれる皆さん。どこか蚊帳の外にいるみたいな私は、ぼけらと思考が飛んじゃってます。雪が強まってきたので、ひとまずあたたかいお茶を淹れないとなぁ、なんて考えていると――。

「ねぇ、アニムちゃん? あんな土壇場で追い込まれてからの告白じゃぁ、納得いかないわよね?」

 ラスターさんの声かけを合図に、上下様々な角度からの視線が一斉に私に向けられました。ぎょぎょ。皆さん、それぞれで綺麗な瞳の色です。
 冷たい空気と雪、それに思い出したように虹色を流す水晶の景色もあいまって、神秘的に感じられます。どこか遠い世界の情景を、見えない透明な壁を挟んで眺めているみたい。
 師匠や皆さんを直視出来なくて、思わず視線を落としてしまいました。
 皆さんとの距離はわずかです。吐き出される息が白いのも、肌を指すような寒さも、同じはずなのに。えもいわれぬ切なさが、胸を締め付けてきました。
 無意識にですが、半歩後ろに下がった足。

「アニム! オレは、別に追い詰められたから、仕方なしに告げたとかじゃなくてだな! もっと、きちんと準備して――いや、お前ならわかってくれてるって甘えがなかったわけじゃないし、実際、あれじゃ信じ込ませるための告白ってとられても、仕方がないってのも、わかってる、わけで――」

 師匠は汗を流して大声を出し、ラスターさんを押しのけました。言葉尻はすぼんで、風にかき消されそう。伸ばしかけた手は、気まずそうに私の目の前で握ったり開いたりされています。
 途端。師匠がくれた告白は現実のものだったんだと、全身が燃え上がっていきました。ばちっと師匠と目があうと、涙腺が緩むどころか、熱いものが押し上げられてきちゃいました。寒さで乾いていた瞳が、潤っていくのが自分でもわかってしまうくらい。
 泣き出す寸前みたいに崩れた私に、師匠がぎょっと目を見開きます。おかしな顔を見られたくなくて、両側の髪を前に引っ張ります。ついでにと、マントの襟に潜りますが、額だけ出ている姿は、失笑を誘うくらい奇妙でしょう。

「アニム?」

 師匠の声が耳のすぐ近くから流し込まれてきます。少し戸惑っている声色に、体が震えました。遠慮がちに腕に触れてくる師匠の温度が、喉をぎゅっとすぼませます。苦しいけど、嫌じゃない。嫌じゃないけど、どう形にしていいのかわからなくて辛い。
 師匠の後ろから、ホーラさんたちの慌てている様子が伝わってきました。だれのせいだとか、恐怖が残ってるんだとか、メトゥスの精神干渉が残ってるんじゃないかとか。皆さんの気遣いが、疲れなんて全部吹き飛ばしてくださるのに。反応できなくて、ごめんなさい。
 それに――。

『オレが心底惚れてんのは、今、目の前にいるお前だ!! オレの魔力から命まで全部かけて誓う!!』

 師匠は、目の前にいる私に惚れてるって明言してくれました。しかも、心底。

『オレは、アニムをだれにも、どこにも、渡したくない!』

 私がこの世界に残ろうって決めたのと同じように、師匠は元の世界に戻したくないって思ってくれてるって期待してもいいんですか?
 私が告白した時にもくれた言葉だけど。師匠の気持ちの中に織り込まれた言葉だと思うと、一層心に染みてくるんです。勇気をくれるんです。

『ただ、お前っていう女を――愛したんだ!』

 異世界とか過去の『アニムさん』じゃなくて、私というひとつの命を愛してくれた。過去形といわれればそうだけど、私には違う意味に受け止められたんです。

「私、ししょーが、好きって、惚れてるって、くれたのが嬉しすぎて、過去形とかよく、わからなくて」
「アニム……オレが言うのもなんだが、お前もっと欲張りになってもいいんだぜ?」

 溜め息混じりですが、師匠はとても嬉しそうな声調です。笑いを噛み殺してるようにも聞こえますが……それは私の行動が変なせいでしょうから、黙認しておきましょう。
 でも、珍しいなって思ったのは、無理に顔をあげられなかったこと。代わりに、まるで子どもが宝物をぎゅっと抱きしめるみたいに、頭を抱えられています。願望かなと照れても、優しく髪を滑る指が自信過剰でも良いよと肯定してくれるようで。もうちょっと、わがままを言っていいよと、促されて。つい、口を開いてしまいます。

「ししょーは、いつも、言葉の代わり、態度くれてたから、私は、大切してもらってる、伝わってきてたから、それがししょーだから、って物分りいいふりしてたけど。うぅん、ししょーが――ほっ惚れてるって、真っ直ぐ叫んでくれて、生まれて初めてもらった告白は、信じられないくらいの幸せくれて、心いっぱい満たされて……私、ほんとは、欲しくてしょうがなかったんだなって、気付いちゃって」

 涙声で詰まる言葉に、小さな相槌を返してくれる師匠。かすれ気味の頷きは泣きたくなるくらい柔らかくて静かなのに、耳に触れる吐息は熱くて。体の芯がじんと痺れます。
 崩れ落ちないようにと師匠の胸元を握ったのに、余計に力が抜けてしまいました。

「オレさ、お前の初めてになれるなら、何だってする。二百六十年間、口にしたことがない気持ちだって、なんだってする。初めてじゃなくたって、オレしか浮かばないようにしてやる。だから、アニムと――」

 優しいはずなのに、師匠らしい俺様なのがおかしくて。けれど、最後の肝心な部分は口ごもってて。
 肩が揺れてしまいました。くぐもった笑いが聞こえてしまったのでしょう。今度は、強引に顔をあげられてしまいました。
 ぶすりと唇を尖らせた瞬間。視界いっぱいに映った師匠は、首まで真っ赤になって私を睨んでいたから。甘い台詞とのギャップに、やはり笑ってしまったのでした。

「お前なぁ。人が真剣に話してる時に、笑いだすなよ」
「ごめんです。私、幸せすぎて、壊れちゃったかも」

 耳元に添えられた師匠の両手を掴むと、やっぱり笑いがこみ上げてきて。へにゃりと締まりなく頬が緩んでしまいました。髪はぼさっとなっているし、てるてる坊主みたいだし。真っ赤だしで良いとこなし尽くめですが、心が幸せいっぱいなので気にしません!
 ただ、師匠にはダメージを与えてしまったようです。お決まりになりつつある「だー!」という雄叫びを、反り返ってあげたかと思うと。がばっと抱きついてきました。
 ちらりと見えた耳が真っ赤だったので、大人しくそこに頬ずりしておきます。動きにくいのでわずかに擦れてるだけですけど、曖昧さがくすぐったくて。背中を掴むと――。

「ウィータにアニム、ご馳走様。おかしいね、二人の周りだけ雪が蒸発している幻覚が見えるよ」
「セン、ちゃちゃ入れないの。愛が満ちてる、世界は平和」
「ホーラ、あたしたちはさっさと引っ込んで、酒盛りの続きしましょうねぇ……」

 はい。皆さん、それぞれの反応ですが、一様に、によによと恥ずかしい類の笑みを向けてきていらっしゃいます。なにこれ、羞恥プレイ。
 ホーラさんはフィーネとフィーニスを捕まえてこちらに差し出してきていますし。

「子猫質なのです! さっさと離れないと、子猫ちゃんたちはぱくっと口に含んじゃうのです!」
「いやにゃぞ! ふぃーにすたち、美味しくないのじゃ! でも、ありゅじとあにみゅのためなら、試練耐えるのぞ……!」
「やーん! ふぃーねはお菓子ぱくぱくしゅるのがしゅきー! しゃれるのは、らすたーしゃんに譲りましゅー!」

 やけにたくましく暴れているフィーニスと、本気で涙目になっているフィーネ。そして、何故か巻き込まれて「にゃんで、あたし?!」と白目になったラスターさん。
 一瞬、師匠とふたりしてぽけっと見つめた後、顔を合わせて微笑みあってしまいました。

「ホーラの妬みはともかく、ひとまず移動するか。結界も完全に修復終わりには時間もかかりそうだしな」
「ししょー、結界もだけど、おうちも、壊れちゃってる」

 見上げた上空の結界は、私には元通りに見えます。どちらかと比べなくても、家の方が無残な様子です。師匠の寝室なんて、氷柱(つらら)が出来ちゃってたりして。
 回復玉を取りに行った際でさえも、メトゥスの魔法の影響か、極寒の地でした。

「メトゥスの奴も死に掛けぐらいにはなってるだろうから、すぐに戻ってくる可能性は低い。けど、結界が薄くなっている場所に留まっておくのもなんだしな。別の家に移動しようぜ」
「ここは? 家の中、凍り付いちゃったら、もう住めないかも」
「不安そうな顔すんなって。家自体には防御魔法かけておくから、これ以上痛むこたぁねぇよ。修復が得意な奴等(せいれい)に依頼するし、念のため一時的に住処を変えるだけだ」

 別荘にお泊まり感覚でいいのかな。ひとまず、師匠との思い出が詰まっているここに戻ってこられるんでしたら、一安心ですね。きっと師匠も同じ思いでいてくれるに違いありません。
 ちゃちゃっと手際よく魔法を発動させる師匠。わずかに空気が揺れたかと思うと、ウーヌスさんが姿を現しました。ずっと地下で動いてくださってたんですよね。

「ウィータ様、ご無事でなによりです」
「ウーヌスか。手間かけたな。手間ついでに、霧の森にある家へ移る準備を頼む」
「かしこまりました。ですが、あの場所は――」

 師匠のお願いに渋るウーヌスさんは見たことがありません。けれど、言葉を濁らせたウーヌスさん。何か不都合でもあるのでしょうか。ウーヌスさんは、ちらりとフィーネとフィーニスに視線を動かしました。
 霧の森。カローラさんに見せられた夢の中に出てきた記憶があります。森というよりは、霧の泉でしたけれど。確か、召喚獣の魂を連れて行ってくれと頼んでいた場所です。そうだ。召喚獣の魂のほかにも――。

「あぁ、わかってる。アニムに事情を話そうと思う。金庫に仕舞ってあるモノについて、召喚失敗について、アニム自身やあいつらについて、全部。アニムには、その上で決めてもらう」

 振り向いた師匠は、これ以上ないくらい真剣な眼差しを向けてきました。苦しそうにも思えたのは、私の色眼鏡でしょうか。訴えかけられているみたいな……。
 決めてもらうとは、何を? 尋ねたいのに、怖くて。結局はぴくりとも動けません。
 さっきまでは幸福感でいっぱいだった胸は、鈍い音を鳴らしています。

「召喚の失敗に関しては、多少の記憶はあるみてぇだけどな」
「えと、記憶いうよりは、見たいうか……その」
「大体の見当はついてる。余計なお節介しやがった『カローラ』って存在に目星はつきまくってるぜ。しっかし、わが弟子ながら、安直な名称つけたもんだなぁ」

 おぉう。お師匠様は全てお見通しですか! しかも、カローラって私がつけた名前なこと、どうしてわかったんでしょう!
 真面目な空気を崩し、ちょっとおばかにしたように息を漏らすなんてひどい!
 ひとまず、あっかんべーだけしておきました。覗きを発見された気まずさがあったのは、内緒にしておこうっと。私だったら、師匠関連の話を盗み聞きされてたら、真面目なのでも惚気でも悶絶級に恥ずかしいですもん。……実際されて、蒸発できるくらいでしたしね。

「ウィータちゃん、いつも一言よけい。不器用な和ませ方は、昔から変わらない」
「僕らがいない間に、話が進んじゃったみたいだね」
「まぁ、ちょっとばかしな。それもあわせて説明する」

 ディーバさんの髪をぐしゃっと混ぜた師匠と、師匠の手を抓りながらも秀麗な眉を跳ねさせているセンさん。
 古い付き合いだという三人が集まると、どこか独特の空気が漂います。やきもちと呼ぶには淡い感情が生まれ、誤魔化すように両手に息を吹きかけました。ふわっと白い色を広げていく綿毛の向こう、丸っこくて黒い影がゆらゆらと現れました。




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