引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者8


 眼前にいるはずの師匠が、曇りガラスを挟んでいるように、ぼやけています。
 必死で師匠を見つめようとしているのに、頭の中に響いてくる声が阻んできます。思考に絡み付いてくるねっとりとした声色。不快な感覚に、嘔気がこみ上げて来ました。

『私は知っているのですよ? 貴女が異世界に飛ばされた理由。家族を失った原因。当たり前の日常が突如として消失した諸悪の根源がだれなのか』

 私だって、知っています。カローラさんが、見せてくれました。
 あれは完全に事故でした。師匠とセンさんは、召喚術を失敗した人のフォローをしただけ。私の世界側に立って、色々考えて行動してくれていた。接点なんてあるはずのない、魔法のない世界を。
 私自身に対してだって、同じです。手伝いにもならない、見知らぬ女を傍に置いてくれて、弟子にしてくれて、面倒をみてくれて――大切に想ってくれています。
 師匠たちの邪魔をして召喚獣を苦しめ、あげく私を巻き込むよう仕向けたのは。メトゥス、あなたです!

『強情な方ですね。しかし、『カローラ』という人物がどなたかは存じませんけれど。実際見たなら、なおのこと承知しているはずでしょうに』

 私が? なにを、わかっているというの?
 背後から大きな笑い声が、ぶつかってきました。それはそれは、愉快に嘲る笑いです。体が固まってしまっているので確認はとれませんが、間違いなくメトゥスのものです。ひどく厭らしくて、不快感しかもたらさない迷惑音です。
 でも、直接頭に響いてきてはいないので、まだましです。
 師匠がなにやら怒声をあげているのが、ぼやけた視界でも汲み取れました。思い切り眉を跳ねさせて、白い肌に血管を浮かせています。

『貴女を称するのに、愉悦という単語も付け加えておいてさしあげましょう。いいですか? 明言しましょう。ウィータは貴女と出会う前から『アニム』を知っていました。だからこそ、百年前は忘れ去られていた原始の森に結界を張り巡らせ、次元を監視していた。元を辿れば、別段貴女どころか、実際に『アニム』が欲しかった訳ではないのですよ? 単なる気まぐれ、意地から始まった百年です。ウィータも早々に飽きてくれると考え、放置していたのがよくありませんでしたねぇ』

 わかってた。わかってたはずなのに。どうして涙が溢れてくるのでしょう。
 だって、可笑しい。師匠は私と出会う前から『アニムさん』を知っていた。知っていたどころか、私に重ねていた。
 けど、師匠はいつだって、意地悪だけど優しくって。『私』を見てくれていました。『私』と一緒に、一年半を積み重ねてくれました。
 だから、『アニムさん』の存在は気に病まない。師匠が話してくれる日がくるまで待とうとさえ、覚悟するようになりました。『アニムさん』が師匠の想い人で、彼女の魂を私が引き継いでるとか。まったく別次元の私だったとしてもとか、悩みながらも。

『なかなか想像力豊かですねぇ。よく考えてもみなさい。ウィータが口にしている『時期』が貴女と言う異物が完全に『アニム』になるのを待っているのだとしたら? いいえ。もしかしたら、飽きがこないかを見定める期間ともとらえられますよね』

 やけにゆっくりと紡がれた言葉に、心臓が凍りました。思いつきもしなかった発想が、一気に思考をかく乱していくのだけは、どこか冷静に気付いてしまいます。
 ただの私であるアニムは抱きたくない? この世界に受け入れられていなかった私を、師匠も受け入れたくはなかった? 私に飽きるって、どういう意味?
 違う、違う!! 私は、師匠を信じてる。

『信じるとは、便利な一言です。裏づけとなる根拠を並べなくとも、自分に言い聞かせることが可能になる。では、余興として、反対の言葉でも紡がせてさしあげましょうか』

 疑問に眉をひそめた一呼吸の後。どろりとしたものが、少しだけ剥がれていく感覚が襲ってきました。剥がれるといっても、気持ち悪さは増してしまったようです。
 はっきりと映りこんできた師匠の顔。私の様子の変化に気がついたのか、くしゃりと崩れました。
 額を合わせている師匠は、なおも口を動かしています。呪文でも唱えてくれているのでしょうか。

「アニムっ! オレの声が聞こえてるか?!」
「ししょー……」
「アニム、よかった。痛むところはねぇか?」

 え?
 耳から入ってきたのは、確かに私の声です。でも、自分の意思ではありません! 何度喉に力を入れても、息を吐き出しても、声にならなかったのに。勝手に顎が動いています。

「いえね。異物があまりにも真っ直ぐ瞳を見る方でしたので。じわじわと術をかけてみただけですよ。肉体的な痛みなどはあたえていません」
「嘘おっしゃいな! アニムちゃん、あんなに苦しそうに顔をゆがめているじゃないの!」
「ラスター、メトゥスのことなのです。物理的な攻撃より、精神的な苦痛に決まっているのですよ」

 あぁ。体も勝手に動きます。軋んだブリキのように、きしきしと振り返った先には。大きな炎の塊はなく、召喚獣の頭上に座っているメトゥスがいました。
 紫色の瞳が、私を見下しています。視界を遮るように、動きを激しくしたラスターさんと、落ち着いた様子で龍の上に立っているホーラさんもいらっしゃいます。
 師匠は私の頭を抱き寄せてくれたようですが、感覚は伝わってきません。景色が変わったので、そうかなという感じです。
 
「以前であれば、私の魔法の影響で爆死していたかもわかりませんけれど、今は逆に他者の魔法はききにくくなっているのでしょう? ですので、催眠をかけただけです」
「ざけんな。趣味の悪い術ばっかり使いやがって。アニムを睨んでいるにしては、現状まで調べて把握してるなんざ、理解しがたい奴だぜ。興味ないなら放っておけばよいものを」
「そうよ、そうよ! アニムちゃんが人の瞳を真っ直ぐ見て話す長所を利用するのも、気に喰わないわっ! さすが悪趣味な人間観察を好むだけあるわね」

 全くです。私の師匠の問題に、訪問者の方々ならともかく、ぽっと出てきた人にとやかく口を出されたくありません。しかも、師匠に敵対心を抱いている嫌がらせ魔人に。
 よし、持ち直してきました。

「その異物自体には、興味など抱いていませんよ。何度も申し上げている通り、私はウィータの変わりようを嘆いているのです。でも……そうですね。ひとつ訂正を入れておきましょう」

 髪をかきあげたメトゥスの口は、見事な弓型でした。はだけている胸元のせいもあってか、妙にナルシスト臭がしますね。
 メトゥスの言葉に嫌な予感を抱いたのか。私を抱きしめる腕に力が込められました。あっ。じんわりとぬくもりが染みてくるようになっています。しかも、これは師匠が魔法をかけてくれている時の感覚です。メトゥスの術を解いてくれているのでしょう。とくんとくんと、心地よく流れ込んできてくれる。

「私は、異物の特性を調べたわけでも、たった今、この場で観察したのでもありません。私は体感させて頂いた過去(こと)がありますので――」
「体感って、おい!! てめぇ、やっぱあの時、あいつが言えねぇようなこと――!」
「ウィータ!!!」

 はもったラスターさんとホーラさんの怒鳴り声。辺りがしんと静まりかえりました。
 薄暗い空間が闇を濃くした気がしました。
 今、メトゥスは――師匠は、なんて口走ったの? あの時って? こいつじゃなくって、あいつって言った? 私じゃなくって、『アニムさん』のこと?
 みるみるうちに湧いてきた醜い感情。師匠が怒ったのは、私のためじゃなくって『アニムさん』を思い出して。師匠が想ったのは、私じゃなくって私の中にいる『アニムさん』。
 私じゃない、私じゃない。
 師匠が抱きしめてくれているのも、大切だと笑ってくれたのも、しかたねぇなって呆れてくれているのも。全部、ぜんぶ。
 やめて、私はこんな醜い感情に蝕まれたくない。大好きな師匠を疑いたくない。
 ううん。疑うじゃなくって、事実なんだ。いやだ。事実だって、師匠の口から聞いたことじゃない。人の思考をのっとらないで。
 でもね、よく考えて、アニム。師匠が、泣きそうな瞳で元の世界に戻るのかって胸を痛めながら聞いてきてくれたのも――。

『貴女じゃない』

 間違いなく、拒否したい人物なのに。不思議と、今は一番すとんと胸に落ちてきました。

「なに挑発に乗せられちゃってるのですぅ。ウィータは熱くなりすぎて言葉も正確に使えなくなっちゃてるのですよ。メトゥスもです。ふたりとも、ぷんぷんです!」
「そっそうよ。って、あたしもどもっちゃったじゃないの! やーねー! アニムちゃんにちゃんとした文章で話せなんて叱れない師匠よねぇ」

 私の前に立って、メトゥスから隠している師匠。敵に背中なんて見せていいんですかね。間にいるホーラさんとラスターさんを信用しているからこそ、私だけを見ているのでしょうけれど。
 無防備に両手を私の頬に添えているなんて、警戒心なさすぎですよ? 私にいつも口酸っぱく言い聞かせてるのに。さっきまではシャボン玉に突き立てたり脇に抱えたりしてた魔法杖も、足元に投げ出しちゃってるし。
 かっこうの餌食じゃないですか。って、私、なに考えてるんだろう。

「アニム、メトゥスを追い払ったら、ちゃんと全部、話すから。だから、オレを信じてくれ」
「ししょーを、信じる?」

 あぁ。また勝手に人の口を使わないでください。……もう、いいか。ひどく、ひどく疲れています。早く家に戻って、羽毛布団に潜りたい。
 家って、どこだっけ。起きながらにして寝言呟いちゃってるよ、私。
 私の家は白藤(しらふじ)の家に決まってるじゃない。華菜にパウンドケーキ作ってあげるって約束してたっけか。雪夜の夜食リクエストは野菜盛りラーメンだったから、キャベツ買いに行かないと。タイムセールに間に合うかな。あぁ、千紗と亜紀が合コンに付き合えって言ってたっけ。たまには女子らしくワンピでも買いなさいよって、また怒られちゃう。

「あぁ。お前自身についてなのに、黙ってたのは謝る。けどな、オレはアニムに関して、嘘は――偽りの気持ちなんて持ってない」

 私にだけ降り注がれている師匠の視線。大好きなアイスブルーの瞳なのに、脳が受け入れるなと警告の鐘を鳴らします。
 っていうか、師匠って、どうして師匠って呼んでるんだっけ。
 ふっと。自分の頬が引きつり笑ったのが、わかりました。

「アニムに、関しては、ですよね?」
「アニム?」
「触らないで、あなたなんて、きらい、きらい。大っ嫌い!! うそつき、うそつき。私を、元の世界に、かえしてよ! あなたなんかに、会う前に、時間を戻してよ!」

 乾いた音が空気を揺らしました。添えられていた師匠の腕を、私が払いのけたからです。
 って、ちょっと待って! 私、おかしいですよ! なに冷淡ぶって実況解説なんてしちゃってるんですかい。おまけに、師匠に八つ当たりしてる理由は?!
 まっまぁ、八つ当たりじゃないかもですけど。たぶん、私が悪魔大王な微笑みを浮かべてるってわかる筋肉の動きも、意味不明。ふははっとか高笑いしちゃう自分なんて、嫌ですよ。
 えぇっと!! もしかして、完全に思考までメトゥスにのっとられかけてましたか。そうですか。
 たぶんていうか、絶対。意識だけでもまともに戻ったのは。払いのけた腕もそのままに、呆然と立ち尽くしていた師匠が――初めてみせた瞳のせい。
 師匠を嫌いになんてなるわけないじゃないですか。苦しいけど、切ないけど。それだって、師匠が大好きだから抱く感情なんだもん。どんどん嫉妬深くなっていくのは嫌だけれど、自分を嫌いになりそうだけど。師匠を泣かせたいわけじゃないの。

「ははっ! いかがです! 大切に守ってきた飼い犬に噛み付かれた気分は! 魔法も使えぬ卑小な存在に拒絶され心が痛みましたか? 背中からも絶望が伝わってきますよ。ですが、ウィータ。気に病む必要はありません。愛されていると勘違いしている女など、見飽きているでしょう?」

 師匠に触れたいのに、腕はあがってくれません。自分の腕なんて抱きしめてないで、師匠に飛びつきたい。いやらしい笑顔なんて浮かべてないで、ごめんなさいって謝りたい。
 メトゥスの言うように、私が魔法も使えない、簡単に術をかけられてしまう人間だから、師匠を悲しませているんですよね。私は、師匠の隣にいていい存在じゃないのかもしれない。

「……泣くなよ、アニム」

 師匠が伸ばしかけた手を払って、私が師匠の頬を掴みます。やっと動いた体と、掌から染みこんでくる冷たい体温に、ほっと息が零れました。
 擦り合わせた額に、私より師匠の方が泣いているように見えるのは幻でしょうか。師匠が泣くはずなんてないですよね。うん。瞳は潤ってるけど、私みたいにぼろぼろ涙を落としてはいません。
 師匠、大好きだよ。何度となく伝えてきた気持ちを、今はバカみたいに繰り返したい。そう、唇を震わせます。
 師匠が私の腰を掴んで――。

「じゃあ、私を、手放して。お願いだから、偽りの気持ちを、もたらしている、魔法を、解除、して?」

 師匠の瞳が満月さながらに変化していきます。
 ほぼ同時に、覆いかぶさってきた師匠の体。慌てて腕をまわして支えます。口は操られたままだけど、体は動けるようになってる!
 ならばと、態度で表しましょう! そう、ぎゅっと抱きついたのも束の間。ぬめっとした物が掌に触れました。

「ウィータ!! しっかりするのですよ! 龍ちゃんたち、ウィータの傷にうろこをつけてあげてくださいなのです! 止血なのです!」
「ちょっ! ウィータ!! 一体、どこから攻撃なんて!!」

 まさか、私が?! 師匠の傷をおさえながら、あたりを見渡しますが、武器も敵もみあたりません。
 どうしよう、どうしよう。師匠が死んじゃう! 無敵だと思っていた師匠が死にそうになっている。予想外すぎて、さっきまでとは違う意味で体が動きません。

「……アニム、平気だ。お前の右拳の方が、きいたぜ?」

 くいっと口の端をあげた師匠ですが、当然ながら血の気はありません。膝をつきながらも、頭を撫でてくれる手に声をあげて泣きじゃくりたくなります。
 でも、そんな場合じゃない。しっかりしないと。

「ちょっと、気持ち悪いかもだけど、勘弁な?」

 師匠が自分の血を指にこすり付け、私の額をなぞっていきます。描かれたのが円と文字なのが、感触からわかりました。ぱぁっという光が溢れ、眩しさから瞼を閉じてしまいます。
 ゆっくりと開いた視界の端、ホーラさんが一匹の龍を燃やしていました。

「気持ち悪い、ないよ。ししょー、ごめんね、ごめんね。わたしっ――」
「お前が謝るこたねぇだろ」

 師匠は呆れたように笑ってくれました。
 けれど、息は熱いし、肩で呼吸をしているしで、笑っている場合でない状態です。
 ホーラさんの子龍たちが互いのうろこを口で剥がし、師匠の傷口に貼りつけてくれています。さっき、師匠の魔力をいっぱい吸った龍が、一番多くうろこをくれていました。

「アニムが持ってた回復玉に吸い寄せられてた子龍に気を取られてしまっていたのですよ。まさか、子龍の皮を被って、機会を狙って潜んでいたのがいたなんて――ウィータ、ごめんなさいなのです。わたしが召喚獣を管理してなかったから……」
「ホーラ、お前、むこう五十年は、オレに、説教禁止だな」

 ははっと乾いた笑いを流した師匠ですが、私みたいに途切れ途切れです。強気な台詞も、弱々しくてつらそうです。 
 と、その直後、浮遊感に襲われました。シャボン玉が消えちゃってます!
 師匠だけは離すものかと、苦しそうに眉を寄せている師匠を強く抱きしめました。
 


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