引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者7


  「破滅を纏いし死の導者よ、メトゥス・フォルミードーの名において命ずる。我の道を阻む守護を打ち壊せ。プロテゴ・デーレーティオー・ウェルブム」

 恐怖を煽るほど低い声調で唱えられた呪文。一気に周囲が暗闇に覆われていきます。雨も霧も、肌に降り注ぐのをやめ、なりを潜めました。
 頼りは、頭上の魔法陣と守ってくれているシャボン玉の光のみです。家も水晶の樹も、景色ごと視界から消えてしまいました。
 つい先ほどまでの軽快なやり取りが嘘のように、場を緊張が支配していきます。

「本気でヤル気か! アニム、オレの後ろにまわってろ!」

 師匠の舌打ちと、メトゥスの掌から煙が発せられるのが重なります。
 シャボン玉に煙がぶつかってくると、ガラスが割れるような深い音が鳴り響きました。幸い、シャボン玉にはひびが入っただけのようです。師匠が前に掲げた魔法杖は、強い光に包まれています。

「メトゥスは、道具なしに、魔法発動したね」
「あいつは掌に直接魔法道具を埋め込んでるんだよ。普通、上位の魔法使いは魔法粒子を集め、一時的に具現化する。そっちのが持ち運ぶ手間も省けるし、何より純度が高いって話じゃないしな」

 ホーラさんとラスターさんも加勢し、メトゥスの魔法を打ち破りました。けれど、周囲は暗いままで、メトゥスも微笑を消してはいません。むしろ、さらに愉快そうな色を瞳に湛えたような気さえします。
 ぞくりと走った悪寒。とっさに師匠の背中を掴んでしまいました。なるべく邪魔にはならないようにと、腰のあたりだけですが。
 
「だが、あいつの場合は練成時間さえも短縮するために、あらかじめ物質にしたものを常に身につけているんだ」
「狂気の沙汰よね。魔力を溜めておけるとはいえ、上位魔法を連発で唱え続けているようなものだもの」
「ずっと結界保ってるししょーみたく、すごいいう意味?」

 巨大な面積の結界内を浄化し、常時守護の魔法を発動している師匠レベルにすごいということでしょうか。
 師匠には、うげっという風に口を歪められましたよ。それは見事に。

「誉められるのは悪くねぇが、あいつと一緒にされんのは勘弁だぜ。なんせ、あいつは――」

 ひらひらと手を振っていた師匠の動きが、ぴたっと止まりました。言い難い内容なのでしょう。言葉尻を切ったまま、「あー」とそっぽを向いてしまいました。
 メトゥスに動きがあったのかと視線を動かしますが、新たに魔法は唱えているものの、目立った変化はありません。

「ウィータは結界内の上位精霊と契約を交わして力を借りてはいますが、大半が自分の魔力なのです。けれど、メトゥスは使い捨ての代わり身を作って、その存在から魔力を吸い上げたりしちゃうのですよ」
「人の命、吸い上げる? 残酷だから、ししょー言いよどんだの?」

 私の質問に、ホーラさんは大きく頷いてくれました。が、前半の言葉にだけです。
 後半を聞いた途端、にんまりという含みのある笑顔になってしまわれましたよ。ラスターさんは咳払いをして、目を逸らしちゃいました。
 はて。傀儡を越える、残酷な扱いをされている存在がいるという意味なのでしょうか。

「一番手っ取り早くて、男の性も満足させられる方法があるのです!」
「男の性、ですか。ししょーもラスターさんも、する?」

 首を傾げるのと同時。師匠とラスターさんが盛大にむせました。なんと! 邪魔をしないようにと思った傍から、集中力を乱してしまいました!
 ラスターさんなんて、一瞬シャボン玉が消えかけちゃいましたし。

「アニムちゃん! あたしは自分の欲求だけを満たすためになんとも思ってない女性に――えっと、手を出したりしないわ! それはわかってね!」
「ラスター、お前なに自分だけはみてぇな言い方してやがる」
「あら、間違っちゃいないでしょうが。あんたアニムちゃんの目を見て断言できるわけ?」

 私、ですか。
 瞬きを繰り返しながら師匠を見つめていると。口の端を落としていた師匠に、がしっと肩を掴れました。魔法杖を脇に抱えながらって器用ですね。っていうか、それよりもメトゥスから目を離して良いんですか。

「昔はともかく、ってか、昔だって、別段オレから望んでってことはなかったからな! オレには、アニムだけだ!」
「私だけは、嬉しいけど。私、男の性、理解しちゃったですよ」
「……アニムも大人になったな。成長、感慨深いぜ。だから、もうすこーしだけ、自分の言動の破壊力にも気付こうな?」

 師匠ってば、しみじみ呟いちゃって! 頭を撫でてくる師匠は、完全に保護者の眼差しですよ。
 過去に嫉妬したってどうにもならないのは今更です。けど、私は手を出してくれないのにっていう八つ当たりくらいはさせてくださいね!

「ししょーのばかっ! 私はいつでも、積極的!」
「はいはい、感謝してます。ってか、お前の積極性は、たちが悪いんだよ」

 というわけで、右の拳を思いっきり引きます。右ストレートです。
 肩を落としている師匠が両掌を差し出してくれたので、容赦なくパンチを食らわせて頂きました。当の師匠は、全く痛がってませんけれどね。
 
「解説する前に、おばか男勢が墓穴ほっちゃったのですぅ。ってことで、つまりは、性行為により相手の魔力を吸収しちゃうのですよ。東方の国でもですが、いにしえから男女のまぐわいは生命力、ひいては魔力を高められるのです」
「前にもおっしゃってたの、覚えてるです」
「アニム、えらいえらーいなのですぅ。さっさとメトゥスを追い払って、おねえさんがもーとイイコトたくさん教授してあげちゃいましょう!」

 ホーラさんまで、遠くから頭を撫でるように龍さんから乗り出しました。もみじのおてては可愛いのですが。口にしている内容はきっと、私のキャパを余裕で越えそうな教えに間違いないですね。うん。
 怖いような楽しみのような。未来に冷や汗を流しつつ。ぶおぉんと耳を振動させた音に向き直ります。

「そろそろ本気で戦おうじゃありませんか、ウィータ。先日は傀儡を操りすぎて魔力も足りませんでしたが、今日は全力でいかせて頂きますよ?」
「けっ、負け惜しみ吐くなんざ、みっともねぇな! わざわざ前置きなんてしねぇで、いつでもかかってこい」
「それでは――」

 メトゥスの腕が掲げられた一呼吸の後。上空に大きな炎の塊が現れました!
 師匠のアルス・マグナが作りだした炎に似ていますが、目の前にある炎は血のようにどす黒いです。
 圧倒的な征服。頭上から押さえつけられるような感覚が襲ってきます。後ろに下がりたい気持ちを叱咤して、何とか踏ん張らなければ!

「ウィータ! アニムちゃんをこっちへ! あんたの傍にいたんじゃ、余計に危険よ!」

 こつんと。ラスターさんのシャボン玉がぶつかってきました。伸ばされた手を、私は自分から取るべきなのでしょうか。
 そうこう迷っている間にも、メトゥスの炎が起こす風は激しくなっていっています。
 メトゥスの狙いは、本当に私なのかな。単に師匠と魔法戦がしたいだけなのかもしれません。なら、私が師匠と一緒にいると、師匠は全力で戦えないでしょう。
 悩んだあげく、ひとまずと、ラスターさんへ指を伸ばしたのですが。

「ししょー?」
「ウィータ、あんたねぇ」

 ラスターさんの呆れた声に、師匠は返事をしません。
 あげた手は、師匠にしっかりと握られました。魔法杖はメトゥスに向けたまま、師匠は腰を捻って私を見下ろしています。
 アイスブルーの瞳は、どうしてか苦しそうに思えます。
 どうしたものかとラスターさんに助けを求めると。ラスターさんは長めの前髪をがしがしと掻き乱しました。

「あのねぇ。なにもアニムちゃんを掻っ攫おうとしてるんじゃないんだからぁ。子どもみたいに縋る目なんて情けない。それが世界に名をとどろかせた大魔法使いの態度かしら?」
「うっせぇ。だれも望んで有名になったわけじゃねぇよ。何度も言うが、メトゥスの狙いはアニムなんだ。お前の言う通り、この中で一番の実力者はオレだ。よって、アニムはオレが守るのが最も安全ってことだ」
「不安定になってるんじゃないかと、一瞬でも心配したあたしがバカだったわよ。屁理屈男め!」

 私も、ちょっとだけ心配しちゃいました。縋っているかは汲み取れませんでしたが、師匠の態度がいつもと違うのはわかります。
 自信満々で大魔王な不敵笑顔が似合う師匠は、隠れちゃってます。私の身を案じているにしては、どこか弱々しいですもんね。
 そもそも。ラスターさんが口にされた『不安定』とは何が原因なのでしょうか。ラスターさんの口振りだと、理由も把握していらっしゃるような――。

「アニムに怪我をさせるような真似はしねぇ。だから、オレの傍にいてくれるか?」
「ししょーが平気なら、もちろん、隣で応援するですよ! 私、ししょーの安定剤、なる!」

 もう一度。強い調子で手を握られ、考えるより先に即答していました。
 シャボン玉に降り注いでくる火の粉も、怖くはありません。だって、師匠の存在を感じていられるから。
 反対の手で師匠の手を包み込むと、師匠が心底という様子でほっと肩を落としました。私の願望かもわかりませんけれど、師匠が「ありがとな」と額をあわせてきたので、都合の良いように捉えておきましょう。

「ラスターさんも、ありがとです。私、もともと、他の人の魔法もききにくいから、物理的なくて、魔法なら大抵大丈夫! なはず!」
「そうだったわね。異世界からきたアニムちゃんには、悪い意味でも良い意味でも、影響を受けにくいんだったわよね。命を繋いでいる、ウィータの魔法以外は」
「そーいうこった。ラスターはお呼びじゃねぇっての」

 打って変わって、にやりと意地悪な笑顔になった師匠。
 人の親切には感謝しないといけませんよ? そう言おうとしたものの、二人からは険悪な空気は漂ってきませんので、黙っておきました。

「まぁ! あたしは最後のおいしいところを頂く算段でもしておきましょ! ちょっとでもアニムちゃんに危険が及んだら、あたしが貰うからね」

 ふんと鼻を鳴らし、豊満な胸を張ったラスターさんですが。綺麗なお顔に浮かんでいるのは、優しい苦笑でした。
 長いお付き合いの師匠とラスターさんですからね。言葉ではなく互いをわかっている感じです。これが男の友情! 片方は女性より女性っぽいお体ですけれども。

「ラスターさんに貰われたら、ルシオラと姉妹なれるです!」
「……ちょっぴり泣きたい気分だわよ」
「日ごろの行いだ、あほラスター」

 ラスターさん、およよと泣いたふりをされました。妹はルシオラ一人で充分なのよ! という意思表示でしょうか。ちょっと残念です。
 そうこうしている間も、師匠やラスターさんの弓の形をした水魔法や、加勢するように水の周りに絡んでいるホーラさんの魔法が、メトゥスの炎を揺らがせています。

「いつでもアニムを守るのは自分だ、なんてさ。大魔法使いじゃなくって、自信過剰なかっこつけ駄々っ子魔法使いよ!」
「オレに当たるなよ。つーか、駄々っ子って、ホーラじゃあるまいし。オレは実力が伴ってるから問題ねぇんだよ」
「そろそろやめないと、ふたりともお仕置きしちゃうぞ! なのですぅ」

 魔法音や言い合いで結構煩い中。さして声量のないホーラさんの愛らしい声に、お二人はぴたりと動きをとめました。
 ホーラさん最強説に、さらなる信憑性が増しましたね。
 ホーラさんが跨っている龍さんの鱗(うろこ)に炎がぶつかると、全身に綺麗な光が走りました。

「さて、いきますよ?」
「やっぱ、こねぇで帰りやがれ!」

 師匠の魔法を受けて幾分か勢いはなくなったものの。それでも、充分過ぎる大きさの炎がゆっくりと落ちてきました!
 至極迷惑そうな口調で言い放った師匠を見て、メトゥスが瞳を細めました。悦ってるし! まごうことなき、変態さんです! 師匠は譲りませんよ!

「噛み締めると、熱い貴方も楽しいかもしれませんね」
「ほざけ!」
「魔力は相変わらず素敵ですが、反射神経は如何でしょうか」

 言うが早いか。メトゥスが水晶の樹から飛び降りました。
 メトゥスは落下することなく、逆に上昇していきます。炎に乗っかったかと思うと、文字を綴るように指が揺れました。
 炎から何かが飛び出してきます。すばや過ぎて、姿は確認出来ません。
 師匠が魔法杖を掲げ、一言発すると、飛び出てきたモノが炎へと戻っていきました。いえ、戻ったのではなく吹っ飛ばされたと表現すべきでしょう。

「ったく。相変わらず自分の手は汚さねぇってか。アニム、怯える必要はないからな。ただの召喚獣だ。元の世界に押し戻しちまえば、それで終わりだ」

 召喚獣。何気ない単語に、どくんと心臓が跳ね上がりました。
 静まれ、鼓動。召喚獣なんて、この世界では特別じゃない言葉です。けれど……戻すという言葉がつくだけで、どうしてか、心がざわめいてしまいます。
 いえ。わかってます。私が召喚された時を思い出してしまっているんですよね。夢の中、カローラさんに見せられた、召喚術失敗の真実。
 動揺したのは、発せられたモノにだけじゃない。目の前で身悶えている召喚獣の姿には、見覚えがあるんですもん。
 と、耳をつんざく咆哮(ほうこう)が空気を震わせました。うぅ。フィーネたちじゃないですが、耳がきーんて痛いです。

「はっ、ははっ!」
「召喚獣の咆哮より、てめぇの笑い声のが耳障りだぜ。ついでに、その召喚獣の外見、いじってんのもな」

 襲いかかってきた召喚獣は、あっさりと師匠の魔法でがんじがらめになりました。棘の生えたツタが、ぐるぐると召喚獣に巻きついています。
 それよりも気になったのは、炎の上でおなかを抱えているメトゥスの方です。

「いやね。お隣の方が、あまりにも表情豊かなのでねぇ」
「わっ私?!」
「えぇ。思い出していたのでしょう? 『あの』召喚獣を」

 ひゅっと。逆流してきた息にむせかえってしまいます。大げさに跳ねた体が恨めしい。
 師匠が背中をさすってくれますが、今度は全身が震えてきました。とても寒いです。筋肉がかたまって痛い。

「アニム、お前覚えてるのか? オレの術に巻き込まれた時のこと」
「おっ覚えてる、いうか……」
「ウィータ! 会話なんてする必要ないんだから! とっととやっておしまい!」

 ラスターさんの悪者の台詞への突っ込みを声にする余裕はありません。
 私に向けられているメトゥスの視線。突き刺さるように痛いものなのに、目線をずらせません。いつの間にか激しくなっている雨に遮られることもなく、紫の瞳が愉快そうに歪んでいるのが見えます。

「アニム。あいつなんて視界に入れるな。お前はオレにしがみついてろ」

 向きを変えられ、正面から抱きしめられても。荒くなっていく呼吸はおさまってくれません。
 メトゥスはきっと全部知っている。
 私の世界に誤って飛ばされた召喚獣。あの子を連れ戻そうと召喚術を発動した師匠とセンさんを邪魔したのは、他のだれでもなくメトゥスです。
 あれ? ということは、もしかして、私が忘れてしまっている場面も把握している可能性もあるんですよね。

「ししょー、私っ!」

 がばっと、音を立てて顔をあげると。私の意識を奪ったのは、困惑顔の師匠の奥にある、シャボン玉の上で跳ねている雨雫。とても大きな粒です。
 それは、まるで――。

「召喚獣の涙みたいですよね。懐かしいですか?」

 背中から聞こえるメトゥスの声が、記憶のドアを乱暴に叩いてきます。
 きゅっとしぼんだ心臓に、全身が縮まりました。駄目だと思いつつ、瞼も閉じれません。

「おい、アニム! オレを見ろ!」
「降ってきたは、召喚獣の涙。落ちる私に、ぶつかって、魔法がきらりって眩しくて。後ろに――」

 見開いた瞳に映し出された記憶が、体を勝手に動かしていました。突っぱねた両腕の端では、師匠が同じように目を開いています。
 浮かんだ映像は瞬時に消えたのに。意識は、はっきりしているのに。師匠を突き放している腕から力が抜けてくれません。

「信頼している人物に絶望を抱いた人間ほど、美しいものはありませんね」
「メトゥス、てめぇ!! ざけんな! アニムになんの術をかけやがった!!」

 術? 私に魔法はききにくいんじゃなかったっけ。やだな。頭がぼんやりしてる。
 身動きの出来ない私には、食い殺さんばかりに歯を食いしばっている師匠を見上げることしか適いませんでした。




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