引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者6


  「『異物』は間違いなく、てめぇだろうが。とっとと出て行きやがれ」

 決して張り上げている訳ではないのに、お腹に響いてきた師匠の声。苛立ちレベルではなく、心底怒っているようです。背中に掴りながら顔を覗き込むと。いつかのように、師匠とは思えないくらい冷たい瞳が敵を射抜いていました。
 張り詰めた空気など感じていないのでしょう。メトゥスは愉快そうに笑っただけ。むしろ、嬉しそうに見えるのは偏見でしょうか。
 アラケルさんもひどい具合に会話が成立しませんでしたけど。目の前にいるメトゥスという人物は、比較にならないかもしれません。
 ひとしきり笑った後、メトゥスは「やれやれ」と手を振りました。

「何百年と付き合いのある旧友に投げつけるには、随分な挨拶じゃないですか。『異物』なんてモノを気まぐれに愛でているから、数少ない同位の魔法使いを邪険に扱うようになるんですよ?」
「てめぇみたいな奴を旧友呼ばわりするなら、今まで顔を合わせたことのある連中は全員家族になっちまうな」

 さっきから繰り返し口にされている『異物』とは、もちろん私ですよね。
 大丈夫。あんな人に嫌われたって、蔑まされたって。全然関係ないですもん。えぇ、そりゃ、異世界から来た私は間違いなく『異物』です。言葉としては間違っていないでしょう。
 でも、表面上の言葉としてだけです。納得できるのは。
 私を受け入れてくれている皆さんがいてくださる。だれよりも、師匠が笑いかけてくれる。だから、ひょっと出てきた敵の世迷いごとになんて惑わされません。
 一歩前に出ようとすると。ラスターさんの「だいたいっ!」という怒声に遮られました。

「なにが『よろしくない』のよ! あんた、ウィータに対抗心持つのはともかく、アニムちゃんに危害を加えたりしたら、許さないんだから!」
「ラスの言い分など、聞いていません」

 出遅れながらも、師匠の背中から出ると。メトゥスが髪をかきあげていました。あらわになった白い顔は、苛立ちで歪んでいます。
 金縛りにあったように、体が固まってしまいました。魔力ではなく、あきらかな敵意という感情に気圧されてしまいます。
 大丈夫。隣に師匠がいてくれる。ホーラさんとラスターさんだって。

「私は非常に腹立たしいのです。ウィータが住処に愛着など持つのも、他人に贈物などをするのも。有形物など記号に過ぎず、魔法にのみ心を動かしていたウィータ。そんな貴方が、魔力も持たない異世界の女によって俗物になっていくのがね。貴方の偉大さなど感じる能もないのに、ぬくぬくと恩恵に預かっている。貴方の魅力を微塵も理解していない。冷めた瞳を取り戻してください。魔法にしか、興味のない貴方を思い出すのです」

 俗物。
 確かに、メトゥスの言うとおりです。私は崇高な思考を持っているのでも、魔法に長けている訳でもありません。むしろ、出来ることの方が少ない、ただの人間です。
 けれど。だからって、卑下されるいわれはありません。私は私として、今まで生きてきました。師匠自身が憂えているならともかく、赤の他人に苛立たれる覚えはありません!

「うっせぇ、です! あなたこそ、ししょーの魅力、ちっとも見えてないです! 出会った頃だって、ししょー、冷たい人、なかった。ししょー自身が、望むなら、ともかく。あなた、勝手ばっかり突きつけて、迷惑です! あなたなんかより、私の方が、ししょーの魅力、いっぱいいーっぱい知ってるですよ! 知ってるいうよりも、私の一部です! むしろ、毎日全身で……心でも体でも感じてるですよ」

 息切れしつつも、叫びきると。しーんと静まり返った周囲。再びぱらついてきた雨の音だけが、空気を揺らしています。
 って、しまった!! 挑発してどうするんですか、私! 昔の私なら、触らぬ神に祟りなし精神で黙っていたはずなのに。アラケルさんの時といい、今といい。感情が抑えられません。
 頭を抱えても、時既に遅し。案の定、メトゥスの口元があからさまに歪みました。
 
「下品な生き物ですね。これだから女という存在は気持ちが悪いのです。そのような行為で相手を独占できていると考える浅はかさが」
「いっ今の言葉に、下品あったですか? 私の言い回し、おかしい?」

 当たり前ですが、メトゥスに尋ねてはいません。
 隣にいる師匠を見上げると、思い切り目が据わっていました。ぎゃっ。と背が伸びたのは一瞬でした。すぐに伸ばされてきた腕に、頭を抱えられてしまいました。
 耳元で呟かれたのは、笑いを押し殺した「あほアニム」という言葉でした。

「下世話にとらえてんじゃねぇよ。気持ちが悪いのは、てめぇだっつーの。頭に男女つったら肉体関係ってくだらねぇ方程式が成り立ってるから、アニムの純粋な言葉を歪んでとらえるんだろうが」

 肉体関係?! 直接的に言われて、初めて思い至りましたよ!
 そうですよね。毎日全身で感じているなんて言い方。一緒に暮らしている恋仲の男女なら、そういう行為があって当然ですよね。はたからみたら。
 別に私たちが異常なんて思ってません。師匠には師匠の事情があるっていうのは言葉の端々から理解していますし、悪戯はちょいちょいありますし。

「ししょー、ごめんです。私、深く考えないで、思ってる、そのまま叫んだ」
「まぁ、率直すぎるってのはあるが。悪かねぇだろ」
「『悪かねぇ』どころか、めちゃくちゃ喜んでんじゃない、あんた」

 近づいてきたラスターさんは、とっても呆れ顔でした。届かないのに、裏手突っ込みもつけましたよ。
 っていうか、師匠が喜ぶって……冷たくないっていう部分でしょうか。それとも、感じてるっていうところ? うーん、男心は難しいです。
 師匠とラスターさんが「うっせぇ」とか「図星でしょ」とか憎まれ口を叩きあっている中、メトゥスへと視線をうつすと。
 驚愕(きょうがく)という表現がぴったりなメトゥスがいました。切れ長の瞳を思いっきり開いています。

「ウィータ、貴方まさか……」

 ゆっくりと。メトゥスは足を組み直しています。今までの様子とは打って変わって、なにやら動揺しているみたいです。
 師匠のにやけ顔がそんなに衝撃的だったのでしょうかね。確かに、センさんやラスターさん、それにホーラさんも、最初はかなり驚いていらっしゃった記憶があります。
 じっとメトゥスを見上げていると、すっと視界が遮られました。あたたかくて大きな手。師匠に視界を隠されてしまったようです。

「あぁ? オレとアニムの問題に他人が首突っ込んでんじゃ――」
「枯れたのですか?」
「はぁっ?!」

 師匠のすっとんきょんな声と。高い爆笑が重なりました。ホーラさんは龍に跨ったまま、けいれんしているし、ラスターさんは自分を包んでいるシャボン玉をばしばし叩いていらっしゃいます。っていうか、お二人とも呼吸困難で今にもこと切れそうです。
 師匠はというと。足をかっぴらいて、あげている両手をわなわなと震わせていますよ。こちらはこちらで心配になる様子です。今にもぶちぎれそうなほど、血管が浮いています。
 師匠が枯れているとは……はっ!!

「ししょー、だから、時期時期って、誤魔化し――」
「あほアニム!! お前、どんだけオレが我慢してるか微塵も汲み取ってねぇのかよ! お前はオレの理性に全力で感謝すべきだろうが。なぁ! オレが本能のまま動いてたら、アニムなんざ今頃足腰たってねぇぞ!」
「いひゃい」

 師匠に思いっきり引っ張られている頬が、本気で痛いんですけど。痛いのと、師匠の顔が近いのとで心臓がばくばくいっちゃってます。
 ちょっと尖らせたらくっついちゃいそうな唇。ついに額をこすり付けられ、恥ずかしさと恐怖から涙目になってしまいましたよ。

「冗談、ですよ。ししょーが、枯れたは、私に魅力足りないからかと、思って。私、頑張るね!」
「アニム、ガンバレーなのですよ! わたしがあれこれレクチャーしてあげるのです、応援するのです。あひゃひゃ」

 なんとか師匠の手をひっぺがし、握ったまま宣言です。
 ホーラさんの奇妙な笑い声はともかく。応援していただいたからには、私も全力でこたえなければいけないです、弟子としても、こっ恋人としても義務です!
 今度は私の方から顔を近づけると、その分だけぐいっと師匠が仰け反ってしまいました。というか、シャボン玉の端に背をつけるくらい離れていっちゃいました。手はくっついたままですけれど。

「嘘付け。ちっとも冗談ぽくなかったぞ。そもそも、頑張るってなんだ。頑張るって! 今でもやばいのに、無自覚から自覚されたら我慢どころの問題じゃすまねぇだろ!」
「ひー! もう、笑い死にさせないでよねぇ。センがいないのが残念よぉ。アニムちゃん、安心しなさいって。ちょっとでも冷静にウィータを眺められたら、普段からどんだけウィータがお預けくらって悶絶してるかわかるわよ? 前にセンも言ったらしいけれどれど、ウィータが枯れているなんて、とんでもない」

 師匠が悶絶ですか! 私は、せいぜいへの字口で睨んでくる程度しか気がつけません。記憶を辿って心当たりを探してみますが、やっぱり駄目です。額を叩いて脳を刺激してみますが、これっぽっちも思い浮かびませんでした。
 これは師匠本人に確かめるのが一番かも。首を傾げつつ目で訴えると、師匠がなんとも悲しそうに眉を垂らしました。

「……ウィータが哀れなのは、充分把握出来ました。昔の貴方からは想像つかない状況で、少々私も驚いてしまいました」
「ほっとけ」

 小雨の空気に、メトゥスの静かな声が落とされました。心なしか、っていうか絶対哀れみが含まれています。咳払いとかしちゃってるし。
 昔の師匠とかちょっと引っ掛かる部分がありましたが、無視しておきましょう。墓穴警報が、がんがん鳴っています。
 小声で「昔の……」と呟きつつ、そっと距離をとるだけにしておきました。

「アニムちゃん、可愛いお顔がものすっごくシュールになってるわよ」
「だれかさんのせいなので、見ないふり、しておいくださいです」
「メトゥス、てめぇさっきからいい加減な発言ばっかりしてんじゃねぇよ。結界に閉じ込められている間に、随分とおしゃべりになったな」

 ぐいっと。肩を抱き寄せられ、あっさり師匠と密着してしまったわけですが。私も本気で抵抗してはいませんでしたので、逃げるような真似はしません。
 ぎろりとメトゥスとラスターさんを睨んだ師匠。なぜ、ラスターさんまで。けれど、私の顔を覗きこんできた師匠は、しょんぼりして見えました。かっ可愛いじゃないですか!

「アニムもあいつなんかの言葉に惑わされるなって」
「耳なんて、かしてないもん。ただ、ちょっと想像して、妬いただけ。今、怒ってる場合違うから、あとでいっぱい、じゃれてやるんだから」

 と言いますか。数分前までは緊迫した状況ではありませんでしたか、皆さん。『異物』とか蔑まされていた空気が消え去ってます。いえね。私もどえむさんではないので、穏便に済むならそれにこした事はありません。好き好んで悪意を向けられたりしません。
 いっそのこと、このまま「じゃっ、そーいうことで!」ってメトゥスさんを追い返せないでしょうかね。

「アニム、オレが悪かった。だから、これ以上オレを刺激しないでくれるかな、っつか、可愛いこと言わずに黙っててください。じっと応援だけしてくれるか?」
「もがっ」

 頭を抱きかかえられ、ぐりぐりと頬を擦りつけられます。嬉しいですけど、上から降ってくる溜め息には納得いきません。
 師匠の背中をばしばしと叩くと、距離をとってはくれたのですが。もう一度長い溜め息を吐かれてしまいました。
 でも! 師匠自身は無意識の発言だったかもですが、可愛いって口にしてくれただけで、正直満足なので反抗はしないでおきましょう。
 ちょいちょいっと師匠の袖をひっぱると、お師匠様が至極疲れた速度で首を傾げました。ちょっと物言いたくなる目つきですが、無言で拳だけを空に向かって突き上げておきました。口ぱくで「がんばれ!」と付け加えて。

「あほアニムがっ! 攻撃力あげてどうすんだっ!」
「ししょー、とっても、理不尽! 首絞めてくるししょーのが、攻撃的!」

 後ろから首に腕をまわされて、ぐえぇって感じですよ。まぁ、師匠も本気ではないので窒息はしなさそうですが、背中に感じる温度に喉が詰まります。いつまでたっても慣れない熱さです。でも、ほっとする。
 きっと、こんな状況でもお気楽な口がきけるのは、間違いなく師匠が傍にいてくれるから。傀儡(かいらい)の時はフィーネとフィーニスを守るために気合を入れていましたけど……。

「あら、ウィータ。アニムちゃんがお邪魔なら、あたしが貰うけど。ほら、アニムちゃん、こっちいらっしゃいな」
「うっせぇ。だれが渡すか。ラスターはメトゥスの相手でもしてやれ」
「いやよ! どーしてアニムちゃんの代わりが、あの陰険根暗眼鏡なのよっ! 不公平どころか拷問じゃない!」

 ししっと、虫を払うように手を振った師匠。追い払われたラスターさんは、ぷんぷんと腕を上下にばたつかせました。まるでフィーネとフィーニスが喧嘩するときみたいな動きです。
 根暗陰険眼鏡という称号をぶつけられたメトゥスは、額を押さえてぷるぷるしてます。意外に繊細なんでしょうかね。繊細な人は邪険にされたらめげちゃいますか。もしかしたら、師匠からの罵り限定で強いのかも。

「ウィータってば、いやんなのです! そんなアニムのお肉に腕を沈めるくらい抱きしめてるなんて! あたしも柔らかくて甘いのは大好きなのですけど、ウィータもなかなかなのですぅ! あっ、ウィータは『アニム』の甘いかおり限定でしたっけ?」
「ディーバがきたらアニムちゃん取られちゃうでしょうし、今のうちよ。ふんっ」
「そういや、ディーバが飲みたがってた茶葉は地下に仕舞ってあるんだったな。用意しておかねぇとセンのそら寒い笑顔に殺されちまうぜ」

 え、あの。三人とも、「はーやれやれ」とか言い出しちゃってますけど。師匠は片腕を私に回したまま、首筋を摩っていますし。ラスターさんは腰を捻ってますし。ホーラさんにいたっては下げているミニバックから飴を取り出して、幸せ顔で舐め始めました。
 突然の展開についていけず瞬きを繰り返しちゃいます。というか、瞬きしか出来ない。
 横並びになった師匠たちが、さっと片手をあげました。息がぴったりです。

「じゃあ、そーいうことで」
「お待ちなさい、貴方たち。なんですか、この茶番劇は」
「ちっ。相変わらず頭のかてぇやつだぜ」

 そういう問題でしょうか、お師匠様。



読んだよ


  





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