引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者5


  襲ってきた浮遊感。視界が上下したかと思うと、師匠に腕を掴れました。
 足元では、大地が大きくうねっています。揺れというよりも、青虫が地面を這いずっているようです。って、我ながら緊張感というか表現力のない例えですね。

「ったく。こざかしい手を使ってきやがる」

 師匠から苦々しい声が吐き出されました。とっても面倒臭そうでもあります。
 私と師匠を包んでいるのは、シャボン玉のような魔法です。ラスターさんも同じく、ぷかぷかと浮いていらっしゃいます。
 って! 家は?! 
 慌てて振り返った先には、レンガ作りの家が、いつもと変わらない様子で佇んでいました。

「心配すんな。あの建物自体と地下に防御魔法やら結界を張ってあるから、簡単には壊れねぇよ。万が一ぶっ壊れたとしても、他の場所にだって、家はあるしな」

 周囲を見渡しながらも、私の様子を察してくれた師匠。
 安心させてくれたのは嬉しいのですけど。私が心配している内容とは、ちょっと違いました。それに師匠と一緒なら、野宿でも平気です。なので、寝所の心配はしていません。
 屋根が見えるくらいまでの高さにくると、師匠の魔法杖から光の玉が飛び出していきました。

「住む場所あっても、ししょーとの思い出、詰まってるは、あの家だから。それに、元の世界の物――言うか、家族の写真もあるから、って、そんな場合、違うよね!」

 口をついで出てしまった言葉に、はっとなったのは後の祭り。焦ってつけたした否定が、やけに白々しく聞こえてしまいました。自分にさえですから、師匠には殊更でしょう。
 傀儡(かいらい)に襲われた恐怖を蘇らせないといけません。
 思い出とか物とか言ってる事態ではありませんよね。命あってこその、物です。俗物っぽい自分が恨めしいです、心底。
 さすがの師匠も呆れてしまったのか。一向に叱責も冗談も発せられません。
 おずおずと顔をあげると、やはり、なんとも言えない表情をしている師匠がいました。

「あー、なんつーか、悪かった。そっか。そうだよな。うん」

 あれ? 怒ってないのかな。
 師匠は腕を組んで、一人せわしなく頷いています。しかも、微妙に口元が緩んでいるように見えるのは気のせいでしょうか。
 どうしていいものかとラスターさんを振り向きますが。こちらは、本当に呆れてらっしゃるようです。普段の師匠みたく、瞼を半分落としていらっしゃいます。師匠に向けられていた視線が私に移動すると、苦笑を浮かべられました。おまけにと、肩が竦められました。

「あの、ししょー。私、余計なの言って、ごめんですよ」
「ん? アニムが悪いって意味じゃねぇよ。アニムの言ってること、一瞬理解出来なかったんだが……オレとアニムの一年半が詰まってる家なんだってのを飲み込んだら、すぐ納得がいってだな」

 えっと、つまり。師匠は俗物っぽい考えだと呆れたんじゃないということで大丈夫なのでしょうか。むしろ、それを嬉しいと思ってくれてるの? だから、にやけてくれてるのかな。
 じっと見上げると、ふいっと顔をそらされてしまいました。師匠ってば、わざわざ魔法杖をシャボン玉に指して、口元を覆っています。

「ウィータ、嬉しいのはわかるけどねぇ。言葉足らずも良いところじゃないのかしら。アニムちゃんの言葉を復唱してるだけじゃ、たぶんというか、絶対、アニムちゃんには伝わらないわよ?」
「うっせぇ。ラスター、お前はしっかりメトゥスの気配を探ってろ」

 こほんと、わざとらしい咳が落とされました。
 理不尽に怒られたラスターさんは、気を悪くした様子もなく。「はいはい、な」と笑いながらスピアを振りました。お姉さんの顔です。
 一方、師匠は私の両手を握ってきました。はてと顎をあげると、とても照れ笑いを浮かべている師匠がいました。とくんと、鼓動が心地よく跳ねます。 
 
「オレさ。今まで、物――つーか、『家』に対して、住む場所やら魔法研究の場って以外の意味を考えたことなんて、なかったからさ。ちょっと、自分自身に驚いたっつーか」
「ラスターさんも、言ってたね。ししょー、物に執着心、持ってなかったって。でも、前に、二十年前に、ホーラさんとラスターさん、禁書発動させて、家壊れて、ししょー怒り心頭とも、言ってたよね?」
「あれはね。家を壊されてっていうより、修復が面倒臭いって怒ってたのよー」

 やっほーと言わんばかりの仕草のラスターさん。師匠がキッと睨むと、ささっと離れていきました。
 二人の様子がおかしくて、思わず小さな笑いが零れてしまいます。
 肩を揺らした私に、師匠が困った顔を向けてきたので、笑いはさらに深くなっていきました。ぎゅっと手を握られ「言うのやめんぞ」と脅され、唇をきつく引きました。お口にチャック、です。

「物に物以上の意味を含ませて考えるのも、悪くねぇなって。で、よくよく思い出せば、別に意識しなくても、普段からしてたんだって思ったら、妙に可笑しくなってよ。調理場やら書庫やら、談話室やら。確かに、アニムと過ごしてきたんだって記憶が、あたりまえみたいに染み付いててさ」

 師匠も同じように感じてくれていた。それがとても、とっても嬉しくて。ぱっと気持ちが明るくなっていきます。
 喜びが全身に染み出ていたようです。目元を染めた師匠には髪をかき回され、ラスターからはあたたかい眼差しを向けられましたよ。
 自分の価値観を押し付けるなんて、傲慢(ごうまん)かもしれない。だけど、やっぱり、大好きな人だからこそ、同じ瞳で世界を捉えられるのって幸せ。全部じゃなくて良いんです。ただ、根本にあるものを共有出来るのが、嬉しい。

「私もね、ししょーと一緒。ついさっき――」

 弾んだ声は、最後まで続きませんでした。『調合室で』と出かけたものの、喉で詰まってしまったんです。
 幸い、風をきる音にかき消された形になったので、不審には思われなかったようです。
 風の発生元は、龍。ドラゴンではなく、私の国で描かれている龍です。ここでも元の世界と共通する部分があるんですね。
 龍の背に乗っているのは、ホーラさんでした。周りには小魚ほどの龍がちょこちょこ飛んでいて、可愛いです。ホーラさんからお話は伺っていましたが、目の当たりするのは始めてです。

「メトゥスの奴、うまいこと気配を消しているのです。昔っから陰険な性格でしたのですけど、結界に閉じ込められて、矯正どころか拍車がかかってしまったのですよ」
「ほんとよね。正々堂々、正面から! とは言わないけど、遠まわしな手を使うのはやめて欲しいわ」
「そもそも、メトゥスがそんな奴だったら、オレの魔力を入れた傀儡なんざ使ってこねぇだろうが」

 果てしなく思考がずれつつある私を置いて、お三方は対策を練り始めています。
 私も気合を入れなければですね。何か武器になるようなものを身につけておくべきかな。水晶の樹の枝とか、強そうです。あとで地上に降りたら拾っておきましょう。
 と、シャボン玉の中に、ついっと小さな龍が入ってきました。きゅう、とか鳴いてて愛らしいじゃないですか。
 フィーネとフィーニスは危険な目にあっていないと良いですけれど。お散歩に出たままです。でも、命の危機に瀕したら師匠が察するはずですもんね。私の傍にいた方が危ないかもしれませんし。

「うん? 龍さん、どーかした?」

 小さな龍が、スカートのポケットを突いてきました。
 一瞬、ぽかんとしてしまいましたが、中身を思い出し、すぐに合点がいきました。取り出したビー玉みたいな宝石を掌に乗せると、まるでキスをするようにくっついてきます。
 地下から転位してくる直前、師匠から手渡された玉です。師匠の魔力が凝縮されているらしいので、龍さんが魅かれるのもムリはありませんね。

「こら。魔力を吸ってんじゃねぇよ。お前の主はあっちだろうが」
「ぶー! ウィータのけちんぼー! なのですよ。勤労の対価をくれてもいいのですぅ」
「これは駄目なんだよ。メトゥスの件が片付いたら、樽いっぱいやる」

 唇をたこのようにして抗議するホーラさん。ぶーぶーと、本当に言ってるところが愛らしいです。
 師匠の指に摘まれた龍さんは、ぺいっとシャボン玉の外に出されてしまいました。それでも龍さんは満腹のようで、ぴちぴちと元気に動き回っています。

「ちっ。充分、吸収してんじゃねぇか。アニム、ちょいよこせ」

 私の手から玉を受け取ると。師匠は瞼を閉じて、ぎゅっと玉を握りしめました。ぱぁっと光が溢れます。少しくすんでしまった玉は、あっという間にきらめきを取り戻しました。
 てっきり返してくれると思ったのに。差し出した掌に重みを感じることはありませんでした。いえ、返してはくれたんですけど。

「ひやぁ! ししょー、くすぐったい!」
「あほたれ。ポケットに手を突っ込んだだけだろうが。けったいな悲鳴、あげるな」
「だって、指、ふともも撫でたよ! 大体、乙女のポケットに、許可なくもぐりこむ、どうかと思います!」

 ぞぞっとしちゃったじゃないですか! 私は悪くありません。師匠の触り方がいやらしいだけです!
 両腕をさすって抗議するも、師匠が怯むはずもなく。逆に、にやりと悪魔の笑みを浮かべられてしまいました。あまつさえ、スカートの上から掌を当ててきました。ふとももに。

「万が一に備えて回復玉を渡してやった優しいお師匠様。あっさり召喚獣に吸い取られた間抜けなお弟子様。さて、どっちに非がある?」
「……わたくしで、ございます」
「わかってんじゃねぇか。あと、首から提げてる魔石も、絶対に落とすんじゃねぇぞ?」

 くそぅ。この勝ち誇った表情が憎らしいです。眉をぴんと跳ねて仰け反っている姿は完全悪役のくせに、頬を撫でてくる手つきは優しいなんて、卑怯です。
 ぐぎぎと意味不明な音が口から出そうです。ぶすりとむくれてみせても、師匠の笑みが深くなっただけでした。ラスターさんたちにいたっては、ころころと笑い声をあげていますし。
 そういえば。ネックレスの色、アイスブルーに戻っていますね。私の髪色みたいに暗くなってしまったのは、一体、なんだったのでしょう。
 きつくネックレスを握りしめると、不思議と、もやもやが晴れていきました。

「ししょーから、始めて貰った、ネックレスだもん。肌身離さず、です」
「そっちかよ」

 ぺちっと額を叩かれました。受けた衝撃の影響か。はたと。師匠の意図を理解して、背が丸まりました。
 そうでした。このネックレスはただのアクセサリーじゃありません。この世界に私を固定するための魔法道具なんでした。師匠にとったら、それ以上でもそれ以下でもないのかもです。
 でも、私にとっては命を繋ぎとめてるのと同様に、師匠の傍にいられる証のようにも感じられるモノなんですよね。もちろん、単純に贈物としても嬉しいのですけれど。

「間違えた、です。ししょーの魔力と、私の命、ふたつ混ざり合った、命綱だものね。壊すは、大変」
「やっ。オレとしても、どっちの意味合いでも、良いんだが。つか、お前が口にすると、物凄い破壊力だな、混ざってるって。うん、まぁ。色々落ち着いたら、加工してやるよ。それ原石のまんまだしな」
「私、これでも、充分、綺麗思うけど。でも、ありがと」

 本当にこのままでも綺麗だと思うのです。原石のままというのも味があります。でも、師匠の気持ちが嬉しくて、頬が緩んでいきました。破壊力という部分は、相変わらず失礼だなと思った上に、どの点が攻撃的だったのかは発見不可能ですけれどね。
 私のために、何かしてくれるという想いが嬉しいな。
 ネックレスから手を離すと、間髪入れずに師匠に握られました。
 って、どうして赤くなりながら睨まれているのでしょうか。ここ最近で一番のへの字口です。師匠の後ろにいらっしゃるホーラさんたちの目が、盃(さかずき)を逆さにした形になっていますし。にやにやという音が飛んでいる錯覚に陥ります。
 師匠に視線を戻しても、いつもみたいに「けっ」とか「奇妙な目してるな」とは怒鳴りません。私だけを瞳に映して、います。
 はてと首を傾げたのとほぼ同時。ぐいっと顎をあげられ、触れてきた唇。上から覆いかぶさるようにされている口づけに、心臓が飛び跳ねました。閉じることも忘れた瞼。視界いっぱいに広がる、レモンシフォンの髪。

「しっししょー?!」
「うっせぇ。つき返しは許さねぇからな! 覚悟して受け取れよ!」
「へ? うっうん。楽しみに、してるね。私、心して、受け取る!」

 師匠がくれるモノを返品するわけないのに。覚悟ってことは、相当魔力を注ぎこむから、暴走させるなよという警告でしょうかね。ということは、私にもちょっとだけど魔力が芽生えていると深読みしてオッケーですかね! 外にも出られるようになったことですし! 間違いない!
 生唾を飲み込んで、ぐっと拳を握ります。珍しく緊張を放っている師匠に影響され、私も手に汗をかいています。

「あほアニム! ぜってぇー理解してねぇだろうが!」

 決意表明も虚しく。口元を引きつらせた師匠に、両頬を引っ張られてしまいました。理不尽ですよ。
 後ろではラスターさんとホーラさんが、おなかを抱えて爆笑してらっしゃいます。そんなに、面白顔になってたですか。
 今度こそ、いつもの師匠らしく、おふたりを怒鳴り始めました。
 って、また! 師匠ってば、人前でキスとか! 当然のようになってますけど、危ない慣れです! 恥じらいを持たないと! この世界では挨拶でキスをするとしても。

「いやはや。これが世界に名を知らしめた大魔法使いウィータの成れの果てですか。『異物』の悪影響としか表現のしようがありませんね」

 ぞくりと背筋が凍るような冷たい声に、全身が粟立ちました。魔法のおかげで寒さは感じていないはずなのに、膝が震えます。
 師匠たちの空気も一気に変わりました。ばさっと袖が音を立てたかと思うと。師匠の背に回されていました。
 ラスターさんとホーラさんも、真剣な目つきになって、水晶の樹を睨んでいます。
 霧がわずかにひくと、私たちよりさらに上に、声の主を見つけました。黒い長い前髪から、紫色の瞳が右だけ覗いています。瞳と同じ色の魔法衣を身につけた男性は、太い枝に腰掛け、悠々と脚を組んでいます。

「よう、メトゥス。ぼこってやってから随分とお早い回復じゃねぇか。それとも、趣味の悪い服の下の傷は、まだ癒えてねぇのに無理してんのか?」
「おや。ウィータが心配してくれるなんて、嬉しいですね」
「ばっかじゃないの、あんた! 相変わらず会話が成り立たない奴ね!」

 ドン引きした師匠に代わって、ラスターさんが反撃してくださいました。けれど、メトゥスの視線は、一直線に師匠に向けられています。
 メトゥスの服は、胸元を大きく開いた仕様です。確かに露出度は高いですね。ナルシスト臭、ぷんぷんです。
 座っているのではっきりとはわかりませんが、師匠と同じくらいの背格好でしょうか。

「ですが。先ほどから拝見していましたが、ほとんどがよろしくない」
「盗み見てたのに加え、とんでもなく上から目線でご意見なのですか。結界に閉じ込められているうちに、すっかり覗き見が趣味になったのですね」

 ホーラさんは龍の上に仁王立ちになっていらっしゃいます。とっても気だるそうな声調です。
 メトゥスは始めて気がついたと言わんばかりに「おや」と呟きましたよ。

「ホーラ、久方ぶりです。しばらく会わないうちに、さらに縮んでいるじゃないですか」
「メトゥスはお肌がぼろぼろになってるのですねー。昔はつやっつやでしたのに。二百年くらい、魔法液に浸かるといいのですよ」
「お気遣いなく。『異物』を排除したら、この水晶の森でぐっすり寝させていただきますので。ウィータが作り出しただけあって、極上の魔力が満ちています。満ちているというよりも、魔力自体が空気のようですね」

 突如、メトゥスの視線が射抜いてきて。心臓を掴れたように呼吸が止まりました。怖い。数ヶ月前、傀儡と対面した時に似た、けれどそれ以上の恐怖。隠されていない、殺意です。
 膝から崩れ落ちそうになりますが。すぐに師匠が背中に隠してくれました。ほっとする背中。センさんみたく大きくはないけれど、守られていると安心をくれる師匠の背中です。私も踏ん張らないと。
 ホーラさんとラスターさんも、師匠の前に出て臨戦態勢になっていました。




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