引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者4


 師匠の転位魔法で、あっという間に家の前に移動です。
 途端、吹きつけてきた冷風に、首がすぼまりました。師匠が肩を抱いてくれているので、少しあたたかくはあります。むしろ、触れられている肩の素肌部分、そこだけがやたらと熱を持ってはいますけれど。
 師匠といえば、苦虫を噛み潰したような顔で、ぶつくさと唇を動かしています。不機嫌というよりは、照れ拗ねているように見えます。まだ、先ほどの告白云々を思案してくれているのでしょうか。
 緊迫した状況でないなら、師匠の前に正座していくらでもお待ちします。本当にメトゥスめ! って感じですよね。

「ん? でも、逆に、きっかけなった?」
「あぁ? 何もごもご言ってんだよ」

 思いっきり眉を寄せている師匠に、納得がいきません! 師匠のごちりの方が、はっきり聞こえなくて、もごもごしてましたもん。
 加えて。なんですか。その不気味なものを見るような目つきは。
 
「ししょーのが、独り言、多いよ。お酒、回ってる? 酔い覚ましの薬、持ってきて、あげようか」
「あれしきの量で酔うかよ。つーか、アニムがどうして酔い覚ましの薬の在りかなんて知ってんだよ」

 私の反抗的な態度に、師匠の頬が引きつりました。ぷいっとそっぽをむいてやります。

「ししょー、一ヶ月前、ホーラさん頼まれて、強力なの作ってたでしょ。弟子、ちゃんと、知ってる! たしか、調合部屋に――」
  
 ある、とは続きませんでした。調合部屋で見かけた辞書とメモの映像が現れ、眩暈が起きました。立っていられず、しゃがみ込んでしまいました。
 百年という言葉と、私の本当の名前。あれは一体、何を意味しているのでしょう。『アニムさん』というのは、『私自身』だったということ? それとも、パラレルワールドのような世界の私が弟子になっていたの? 私であって私でないアニム? そのアニムさんを失った師匠が、同じ存在である私を探していたのでしょうか。
 いやいや。話が飛躍しすぎですよ、自分。とはいえ、二年近く前の私には、異世界なんてのもお伽噺レベルのお話でしたので、完全に否定は出来ません。

「おい、アニム。急に座り込んだりして、どうしたんだよ。転位魔法連続で酔ったのか?それとも、こっそり酒でも飲んでたのかよ」

 あわあわしつつ、考え込んでしまっていたようです。
 師匠に顔を覗かれ、色んな意味で心臓が跳ねました。同じようにしゃがみこんだ師匠に、下からじぃっと覗き込まれて。一瞬、息が止まりました。
 眠そうに落とされた瞼から覗く瞳が、私だけを映しています。
 ぎゅっと胸元を握り締めると、鼓動が有り得ないほど早くなっていました。
 
「えと。ほっほら! 私、お酒、臭く、ないでしょ?」

 水晶の地面につけた膝が、ひんやりとしていきます。すぐ近くに、地面に置かれた魔法杖が見えました。
 師匠の顔の両側を掴んで。上からぐりぐりと額を擦り合わせてやりました。さすがに息を吹きかけるのは無理ですけれど。
 師匠が無言なのをいいことに、頭を抱きかかえてみます。ぎゅうっとすると、ほんのり甘いエルバの香りが鼻腔に広がっていきました。
 大丈夫。師匠は『私』の傍にいてくれるんだ。辞書については、メトゥスを撃退したら聞くんだ。
 って。これじゃ、私が師匠の香りを確認してるみたいですね。

「……あめぇ、匂いがする」
「ししょーなくて、私が、甘い匂い?」
「あぁ。アニムの匂い。すげぇ、香ってくる」

 って、えぇ?! 師匠は私の匂いを甘いって認識しているんですか?! めちゃくちゃ気恥ずかしいのですけど!
 混乱している私をよそに、温度が背中にしみこんできました。掴まれているわけじゃない。そっと、師匠の指腹だけが触れてきている感触に、どうしてか切なくなってしまいます。
 動けずにいると、ついには鼻先が素肌に触れてきました。
 
「ししょー?! 落ち着いて! いま、いやらしい触れあい、するないよ! せめて、片付いてから!」
「……まず、アニムが冷静になれ」

 おっしゃるとおりでございます、お師匠様。
 声が裏返っているのも、師匠のおぐしを掻き乱しているのも。私です、はい。
 やれやれと呟きながら立ち上がった師匠に、「ん」と手を差し伸べられました。考えるより先に。自然な調子で、掌が重なります。

「ありがと、ししょー」

 上に引っ張ってくれたのは良いですけれどね。どうしてか、笑顔の師匠に凄まれています。立派な青筋が浮いちゃってます。
 お礼を告げただけなのに、なぜ。

「ひとつ。オレが本気で飲酒を尋ねたわけねぇだろうが。お前は額から酒臭がすんのかよ。第一、ついさっき、散々口づけしてんだから、っていうか、息どころか、舌もからんで――」
「散々とか、舌とか、言わないの!」

 私だって忘れてなんかいません。あんな激しいのを当たり前に受け止められるほど、大人じゃないです。
 余裕の師匠が悔しくて。睨みあげてみますが、師匠の笑みが深まっただけでした。眉が跳ねたのに笑顔って! 怖っ!

「ふたつ! 口酸っぱく忠告しているがな。煽るような言い方、やめろ! まじで辞書携帯させんぞ」

 びくりと。大げさに体が揺れてしまいました。今だけは、師匠の口から『辞書』なんて単語、出して欲しくないのです。
 もちろん、身勝手な要望は伝わることはなく。師匠は口の端を落としただけでした。師匠は、知らない振りをしているだけなのでしょうか。それとも、私になんて心の内は察せないと確信しているだけかもしれません。
 唇が、寒さではない震えで痺れていきます。私の辞書か、師匠が持っている辞書。どっち?

「ししょーが言う、辞書は、どっちの――」
「ウィータ! そっちの処理は終わったの?」

 キンッと高い音が鳴ったのと同時。ラスターさんが、駆け寄ってきました。手袋をはめた手には、スピアが握られています。
 疑問が遮られ、ほっとしたのか残念だったのか。自分でもわかりません。が、全身の力が抜けていったのだけは、確かでした。
 いつの間にか、霧がかっています。視界が不明瞭になっています。吐いた息も、色を感じるほど白いです。雪でも降ってきそうな寒さ。
 
「あぁ。術は発動させてきたし、管理はウーヌスに任せてるから、森全体の守護と地下への侵入は防げたはずだ」
「そう。あたしは、あらかた見てまわったけれど。罠らしき術式もないし、メトゥス本人の姿も見当たらないのよねぇ」

 空を見上げると、ぽろぽろと剥がれ落ちていた結界の魔法粒子はもうありませんでした。割れた結界部分が、徐々に再生していっているのが、霧の隙間から確認出来ます。
 晴れていたら、障害物のない、さぞかし綺麗な空が見えたでしょうに。

「逆にあやしいな。同じ手を連続して使うような奴じゃねぇから、傀儡が潜んでるってのはないだろうが」

 魔法杖を拾い上げ、師匠はあたりを見回しています。樹のような材質の魔法杖の先端、うねった樹の真ん中に浮いている玉は、静かに色を変えています。魔力探知機みたいになっているみたいです。
 本格的に冷え込んできました。一旦家の中に戻って、コートを取ってくるべきでしょうか。師匠の袖を遠慮がちに引っ張ると。一瞬不思議そうにされましたが、震えているのがわかったのか、肩を抱き寄せてくれました。
 そのまま、小さく呪文を唱えたかと思うと、体の周りを薄い光のベールが包み込んでくれました。

「ししょー、ありがと。あったかい」
「しがみついてろと言ってやりたいところだが、今は魔法で勘弁な」

 軽く頭を撫でてくれる師匠には、苦笑が浮かんでいます。
 よくよく見ると、師匠とラスターさん、お二人とも薄い光のベールを纏っていらっしゃいました。

「フィーネとフィーニスいれば、もっと、あったかかったね。ししょー、お年寄り。体温奪う、悪いから、魔法で充分!」

 私としては、心配御無用と伝えたかっただけなのです。
 けれど、師匠は残念な様子で、がくっと足を滑らせてしまいました。おぉ。久しぶりのどじっこっぷり。霧が立ち込めてきた水晶の庭は、滑りやすくなってますからね。
 しゃがんで膝をついた師匠に手を伸ばすと、ぎゅっと強い調子で握られました。いてて。

「子猫たちはともかく。好いてる男を年寄り扱いたぁ、いい度胸じゃねぇか。それともなにか。アニムはじじぃが好みなのか? あぁ?」

 じゃあ、師匠は私のどこが好きなのかと尋ねてしまいそうになり、ぐっと唇を結びました。
 容姿だとか性格だとか、そういう意味ではありません。目の前にいる『私』を好きになってくれたのか、それとも既に知っていた『アニムさん』を通してなのか、です。

「あら。アニムちゃんがウィータの年だけが好みなら、あたしにも可能性があるわね!」
「ぬかせっ! んなわけ、ねぇだろうが。お前には、アニムがそんな表面的な記号だけで人を好きになるような奴にみえてんのかよ」

 ふんっと鼻息荒く豊満な胸を張ったラスターさんに対抗してか。師匠は吐き捨てるように言い放ちました。実際、「けっ」とか言っちゃってるわけですが。
 おまけに、握っていた私の手を持ち上げて、何故か爪先に口付けてきましたよ!
 ラスターさんも負けじと、私の頭に腕を巻きつけてきちゃうし。ラスターさん。師匠に対抗してるだけとはわかっていても、どきどきするのでやめて頂きたいです。

「ばか言いなさんな! もともとウィータが言い出したんじゃないの! あたしは、アニムちゃんの可愛いところ、いっぱい知ってるんだから! あんたが知らない気持ちだってね!」

 おーっと。ラスターさん、暴露は止めて下さい。
 しかしながら、結構師匠に伝えてはいるので、今更な気もしますね。でも、やっぱり。時と場合によって、羞恥度も変わってくるものです。
 そもそも、この状況でしていて良い話なのでしょうか。
 私は、地味に緊張していますよ。指先とか震えて痺れてきました。

「ほーう、ほう! オレは毎日アニムと顔を合わせて、寝食ともにしてるからな。感覚が麻痺してきてるのか、いっぱいとかいう程度すらわからねぇよ。ぜひとも、あげられる程度しか知らねぇ点、聞かせてくれよな」
「減らず口魔法使いめ! 大体、そんなに腰に腕をまわしてたら、アニムちゃんの膝が濡れちゃうじゃないっ! 冷えは女性の敵なのよっ!」

 ラスターさんのご心配はとってもありがたいのです。けれど、遠まわしでも師匠が可愛いと言ってくれているのに体温があがりすぎて、膝の冷たさなんて気になりません。
 師匠は違ったようです。むっと口の端を落としながらも、体の間に隙間を作って視線を落としてきました。手は握ったまま、立たせてくれました。さっきから座ったり立ったり、忙しいです。

「アニム、悪い。膝、痛かったよな」

 ひぇ! 師匠、膝に覗き込むのはやめてください! それ、スカート覗き込んでるみたいですよ?! こういう時、膝下丈だと、妙にいやらしい感じになっていけないですね。
 身を屈めた師匠の頭のてっぺんを、ぽんぽんと撫でます。ほら、師匠。顔をあげてください。それでも、真剣に膝を払ってくれている師匠が背を伸ばす気配はありません。
 耳を引っ張っても良かったのですが、痛がっている間にメトゥスさんが襲ってきても困るので。ぎゅっと頭を抱きかかえるだけにしておきました。

「あの、アニムさん。二回目なんですけど。神経研ぎ澄まさなきゃいけない状況で繰り返しの抱き寄せは、勘弁してください」

 決して首を絞めているつもりはありません。加えて言うなら、師匠の集中力を乱すようにくすぐったりもしていませんよ?
 あ、苦しかったですかね。腰にくる姿勢だったかもしれません。

「ししょー、隙だらけだから。それに、膝ばっかり気にして、本体の私、無視してるから、主張してみました、です」
「主張されてんのは、アニムの一部だけどな」
「一部って。じゃあ、頑張って全身で、主張するです!」

 さらに擦り寄ると、とても物悲しい溜め息がわずかに聞こえてきました。どう考えても、お師匠様の溜め息です。
 緊張感がないと呆れられてしまったのでしょうか。でも、私も引きません。というか、バカみたいですよね。もはや、『アニムさん』というよりも、自分自身に妬いているみたいです。

「ねぇ、ししょーにラスターさん。メトゥスいう人、どんな人物なの? ししょーに付きまとって、何十年も結界閉じ込められてた人なら、ししょーたちと、同じ、不老不死かご長寿なのかな」
「メトゥスはね、昔はウィータに懐いてたのよ? それがいつか頃かをさかえに、嫌がらせするようになっちゃったのよねぇ。憧れの裏返しと言えば聞こえがいいけれど。ようは、子どもが人の気を引きたくて悪戯してるのと一緒よね」
「過去はともかく、傀儡の件なんざ、子どもなんて可愛いレベルじゃねぇだろうが。オレ本人を狙うならともかく、アニムを的にしやがって。冗談じゃねぇよ」

 うわぁ。師匠ってば、師匠ってば。さらりと、嬉しい台詞くれちゃったりして!
 単純に魔法が使えない弟子に、という思いからだったとしても。私にとっては、嬉しすぎる気持ちです。

「まぁ。あいつ、根性腐ってるからね」
「そんな人に狙われるししょーって……一体全体、どんな嫌がらせ、したですか。ししょーは」

 ラスターさんの一言に、うっときました。
 師匠のことですから、自分から喧嘩をふっかけるような面倒臭い揉め事を起こすようには思えません。けれど、はむかってくる人には容赦ない気がするのです。

「むしろ、オレが教えて欲しいくらいだぜ。昔っから、年寄り臭いとは言われてたからな。うっとおしくても、ひろーい心で許してやってたくらいなのによ」
「ししょー、ごめんね。私、ししょー、年寄り言った。から、もしかして、かなり傷ついた?」

 控えめに袖口を握ります。少し湿っている長い袖の先。それでも、師匠と繋がっているのだと思えるのは何故でしょう。
 師匠を年寄り扱いするのは、半分くらいは悔しさからなのです。隣にいると思ったら、すぐさま遠くに立っている師匠。そんな師匠を怒らせて、隣に戻ってきて欲しいなんていうわがままな気持ちからです。
 ごめんねの意思を込めて、顔を覗き込みます。師匠のへの字口具合は、さらに顕著になってしまいました。

「別に。オレの年齢に関しては、本当だしな。師匠扱いよりは、男に近い表現だ」
「あんた。前向きなようで、かなり自虐的な言い方だわよ」
「うっせぇ」

 師匠には珍しく前向きな発言です。
 ですのに。ラスターさんは頬に手をあて、溜め息をついちゃいました。哀れみいっぱいな調子です。
 私の失言で師匠が非難されるのは申し訳ないです。

「私も、ししょーに、おこちゃま言われたら、悲しい。ごめんね。ちゃんと、ししょーは、男の人思ってるんだよ?」
「……そら、どーも」

 後頭部を掻いて視線を外した師匠。つんと尖った唇が、妙に可愛く思えてしまいました。
 顔中に笑みが広がっていくのがわかります。わしゃわしゃっと師匠に髪を掻き乱され。すぐに、私も同じ唇になったのですけれど。
 と。急に霧が濃くなり、浮遊感に包まれました。




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