引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者12


 「アニム、こんなに傷が……怖かったろ」

 師匠は瞳を潤したまま、回復魔法をかけてくれました。それも、傀儡につけられた傷を治癒してくれた際よりも、より強力なモノのようです。あたたかい光に包まれたかと思うと、瞬く間に痛みも傷も消えました。
 私といえば、大きく頭を振るという意思表示しか出来ません。
 それでも、ほっと肩を落とした師匠。真っ青になっている師匠の頬に指を滑らせると、見た目に違わず、とても冷えていました。血が通っていないと錯覚するほどです。

「ししょーこそ、けがっ」

 焦りの声があがった瞬間。
 息が止まるほどの力で抱きしめられました。覆いかぶさるように腕に閉じ込められ、全身が軋みました。頭を引き寄せている師匠の掌は、わずかに震えています。違う。震えているのが伝わってくるということは、感じている以上なのでしょう。
 って!! 結構、本気で、痛い!! 肋骨が!! 肺がつぶれる!
 カエルを潰したような悲鳴があがるかと、喉が絞まった一秒後。師匠から離れてくれました。が、くれたのはいいのですが、師匠の目つきに思考が凍りつきました。

「バカやろう! オレが受け止めなかったら、大怪我どころじゃ済まなかったんだぞ! 水晶の地面に激突したら、どうなるかぐらい、想像つくだろうが! 治癒する隙もなく、アニムが。アニムが……息絶えちまったら、オレにだってどうしようもねぇ! 死人を蘇らせることは不可能なんだ。異世界に戻ってしまった魂だって、よしんば引き戻せたって、それはもう、今、想いを通わせてるお前っていう存在じゃないんだぞ! メトゥスにどこまで聞かされたかは知らねぇが、お前はお前しかいないんだ!」

 あほアニムじゃなくって、師匠が本気で私を怒ってる。こんなに真剣に怒られたのは、初めてじゃないでしょうか。あまりの語気に頭が真っ白になっています。師匠に見放されたとか、呆れられたとか。考える余裕もなく、ただ目の前の師匠から視線を外せません。
 師匠はただ怒鳴りつけたのではなく、さっきよりも一層泣き出しそうなんです。
 停止した思考の中、『お前はお前しかいない』という声だけが、すっと心に染みてきました。

「怖いんだ。アニムが消えてしまうのが……現れた時みてぇに、突然オレの手が届かない時がくるのが。お願いだから――」
 
 耳元で囁かれたのは、風にかき消されそうな声。掠れた音なのに、心臓を一突きにされた感覚をもたらしてきます。
 師匠に首元へ擦り寄られて、堪らなく泣きたくなりました。だって、あの師匠が震えてる。震えている師匠の背中を思い切り掴むと、ぴくりと体が跳ねました。そうしてすぐに、唇が後ろ首に触れてきました。触れている時には必ずと言っていいほど熱をくれるのに。氷を突きつけられているみたいに、冷たい。
 途端、色んな思いがこみ上げてきて、乾いていた瞳が変化していきます。

「――っ」

 私が考えてるよりずっと、師匠は私の存在について悩んでくれてたんだ。私が理解しているよりもっと、私の存在は不安定だったのでしょう。私を召喚した本人の師匠だから、大魔法使いと称されている師匠だからこそ、怯えてくれていた。きっと、いくつものサインは師匠から発せられていた。
 結界の境界に近づくなと口酸っぱく忠告してくれてたのも、私の体温を確かめるような触れ方も、かすり傷なのに大げさとも思える回復魔法や守護魔法をかけてくれていたのも。
 でも、きっと、私を不安にさせないために、気持ちを吐露せずにいてくれただけなんだ。

「ししょー、ごめんなさい。ごめん、なさい。いっぱい、色々、ごめんなさ……い」

 肩から離れて師匠の後ろにまわっていたフィーネとフィーニスも、ぴんて尻尾が立ってます。本物のネコみたく、瞳孔が開いちゃってます。ごめんね。
 逃げるのに精一杯とはいえ。万全ではない師匠の状態も、もっともっと考慮するべきでした。
 受け止めてもらえなくても、師匠を責めるつもりは毛頭ありませんでした。けれど、じゃあ私が逆の立場ならどうなのだと問われると、間違いなく師匠と同じ反応をしたと思います。
 師匠に助けてって叫ぶなり、一呼吸置くなりすればよかった。

「あっ。いや、悪い。アニムに非があるわけじゃねぇのにな。怒鳴るつもりじゃ――うわっ! アニム、ごめん!」

 師匠がごめんて、なんか可愛い。新しい師匠を発見したかも。
 当の師匠は、不謹慎な私の心中など察する様子もなく。あわあわとしながら、一粒零れた涙を拭ってくれています。あったかい。まだ冷たさはあるけど、師匠の指はしっかりと温度がありました。
 師匠の温度を感じて、師匠が死にそうになっていた現実が蘇ってきました。師匠を傷つけた罪悪感と、自分が無茶をした恐怖が今になって襲ってくるなんて。私は本当に間抜けです。

「馬鹿はあんたよ、ウィータ! アニムちゃんだって無我夢中だったんだろうし、あんたのために無茶したんだからね!」
「わかってる! だから、アニムに無茶させるような状況を作っちまったオレが――」
「違うです! 元々ししょーの怪我、私が原因。ししょー怪我してるのに、状況判断せずに、飛び落りたも、私です」

 出るであろう師匠の謝罪を遮った声は弱々しくて。謝らなきゃいけないのに、同情を誘うような声色で。情けない、アニム。
 一度、ぐっと口を結んで気合を入れましょう。大きく息を吸って、ついでに瞳も乾いてくださいと、自分を睨むつもりで顔をあげます。

「私、ししょーが、死んじゃうかも思って、すごく怖かった。無力な自分が、嫌だって辛かった。なのに、すぐに、ししょーにも、同じ思いさせた。だから、ごめんなさい。それと、受け止めてくれて、ありがと」

 最後の一言は、自然と笑顔になっていたようです。師匠は驚きのあまり、細めていた視界を一気に広げていきます。そして、苦虫を潰したようなお決まりの表情で固まってしまいました。
 そんな状況じゃなかったですよね。顔を隠すように、ちょっと背伸びして師匠の首に腕をまわして誤魔化してしまいました。小さな溜め息が耳に流れてきましたが、どこか安堵の色が混ざっていると勝手な解釈をしておきます。
 庇ってくれるラスターさんもですが。怒ってくれた師匠だって、本気で心配してくれてたのがわかります。メトゥスだって壁にめり込んでいるのだから、声をかける時間くらいあったと、今なら思えます。
 さっきの行動は、師匠への信頼というよりも、ただの軽はずみな判断でした。

「オレも焦り過ぎて、怒鳴って悪かった。本当に心臓が止まったんだ。お前がオレの腕をすり抜けて落ちていっちまうんじゃないかってさ。でも、頑張ったアニムに感情ぶつけてるようじゃ、師匠失格だよな」
「私は、嬉しいです! 逆の立場なら、きっと、私もししょーバカー! って怒ってた」
「わたし、前々からアニムはウィータに責められるのが好きなんじゃとは、疑っていのですよ。証明されちゃった感じなのです」

 ホーラさんてば、誤解されるような言い方は止めて下さい。しかも、すっかり復活されます。ディーバさんの回復魔法の恩恵? わざとらしく両手を挙げているホーラさんは、元気そのものです。
 ごしごしと目を擦ると、いつものように師匠が手を掴んできました。への字口で目の端を拭ってくれます。もういつもの師匠のようです。よかった。

「ししょーも、回復して、よかった。生きててくれて、ありがと」

 安堵から崩れた笑みを浮かびました。そこまで変な顔じゃなかったでしょうに。師匠ってば、何故か髪を舞わせてそっぽを向いちゃいましたよ。おまけにと、真っ赤になって口元を覆ってるし。笑いでも堪えてるんですか、失礼な。
 むすりと、可愛くない調子でむくれると、鏡写しの師匠が頬を引っ張ってきましたよ。いたひ。

「あっ、ラスターさんも。回復玉、投げたの、受け止めてくれて、ありがとです」
「もちろんよ! あたしとアニムちゃんは以心伝心だもの! とは言っても、ウィータへの発言は、日ごろのうっぷんが溜まってるのかと、本気にしちゃったけれど」

 綺麗なお顔に、子どものような笑顔が浮かびました。
 それも少しの間でした。ラスターさんは師匠の肩に自分のをぶつけ、にやりと妖艶な笑みに変わります。師匠は思い切り眉をひそめ、ラスターさんの横顔を押してるし。
 そうです、師匠を責めるようなことを言っちゃったの、謝ってなかった。

「ししょー、メトゥス騙すためでも、暴言ごめんです。メトゥスに言わされたの、数あわせたら、今日、いっぱいししょーにひどいの、いっちゃった」
「いや、その。それは別にだな、もう、いいんだが。つか、むしろその傷を癒すためには、忘れられてる言葉を思い出して欲しいつーか」

 はて。忘れられてる言葉、ですか。告白はちゃんと覚えているので、違いますよね。
 首を傾げると、師匠は顔を覆ってしゃがみ込んじゃいました。耳が真っ赤です。これは頭を撫でろという暗示ですね! 師弟、以心伝心!
 実際行動にうつすと、師匠からしくしくと忍び泣きが聞こえてきそうな悲愴感が漂ってしまいましたよ。フィーネとフィーニスも、てしてしと背中を摩ってあげてるのに。

「まさかウィータが人前で、しかも切羽詰まって伝えないと死んじゃうみたいな告白を盛大に叫ぶ日がくるなんて。森中に響き渡ってたんじゃないかな。大親友の僕でも想像つかなかったよ」
「セン、てめぇ、聞いてやがったのかよ」
「あっ、でも鳥の羽ばたきもあったからさ。一言一句は聞き取れなかったんだよね。ホーラ、報告書をお願いするよ」

 センさん、師匠にお願いしないでホーラさんにするあたり、色々脚色されるの前提じゃありませんか? そして、それをネタに師匠で大爆笑したいのがありありと伝わってきます。
 ホーラさんもホーラさんで、「了解なのです、てへ!」とウィンク付きで返事してらっしゃるし。というか、報告書作成されるなら、私もぜひとも一部分けて欲しいです。

「人の色恋沙汰を玩具にするたぁ、紳士が聞いて呆れるな」
「別段、ウィータ相手に紳士になる必要はないからね。そうだ。アニムに読み上げてもらうのも一興だよね!」

 センさんの襟元を真っ赤になって掴んだ師匠ですが。センさんはいつのもように素敵な笑顔でされるがままになっています。無抵抗なセンさんからは、文字に起こしたような笑い声が出てきちゃってます。
 師匠、興奮しても出血しないので、傷は完全にふさがったみたいですね。よかった。
 非常に嬉しそうなセンさんのマントを引っ張ったのは、ディーバさんでした。センさんはすぐさま師匠から興味を移し、優しい眼差しを奥さんに向けます。
 はっ! そうだ、ご挨拶!

「ディーバさん、はじめまして! アニムです。ししょーの傷、治療、本当にありがとうございました! それに、いつも美味しいお菓子、レシピ、嬉しいです。ありがとうございます」
「でしゅの。でぃーばしゃんのお菓子、甘くて、ほわほわって、ほっぺた落ちるでし」
「レシピもすっごくわくわくで、ふぃーにす読むの楽しいのじゃ!」

 三人揃って、がばっと頭を下げます。師匠が横でぷっと噴き出しましたが無視です。どうぜまたお行儀よく手を揃えてお辞儀したフィーネたちを笑ってるんですからね。
 とか考えていると。よしよしと小さくて柔らかい手が、頭を撫でてくれました。ホーラさんまではいかなくても、私よりは小さい感触。なのに、どうしてか。お母さんにされているみたいで、涙腺が緩んでしまいます。
 ぱちくりと瞬きを繰り返す私をおいて、ディーバさんはフィーネとフィーニスの喉元を撫で抱っこしていらっしゃいます。フィーネたちは、うっとりと目を細めました。

「アニムが頑張ったから。わたし、最後のお手伝い、しただけ」
「ディーバさん……」
「ウィータちゃんは、ちゃんと、アニムを大切してる?」

 っていうかウィータちゃん?! 師匠をちゃん付けしてる方、初めてお会いしました!! ウィータちゃん!!
 驚愕に目を見開いたまま、師匠とディーバさんを交互に見つめてしまいます。師匠は涼しい顔で「うっせぇ」とか腕組んで仁王立ちしているので、慣れている呼び方なのでしょう。

「アニム、面白い顔になってるよ? 僕のディーバってば、僕以外はあだ名だったり呼称つけたりして呼んじゃう癖があってね。ウィータとも幼い頃からの長い付き合いだからさ、許してあげてね」
「へっ? 許す許さない、あるですか? というか、私も、あだ名、つけてもらえるですかね。楽しみですよ」
「あぁ、うん。アニムはそういう子だよね。たぶん、そのうちつけちゃうと思うけど、よろしくね」

 何故か、ほっこり顔のセンさんに頭を抱きしめられました。髪を滑る手は、明らかに動物を愛でているものです。というか、奥様の前で大丈夫ですか?
 センさんがおっしゃっている許可は、言霊云々でしょうか。でも、名前をいじることによって不具合が生じるという意味なら、私の許可じゃない気がしますし。よくわかりません。面白い顔というのは、痛いほど理解出来ますが。とほ。
 それにしても、今日はよく頭を撫でてもらえる日ですね。初めて師匠に頭を撫でてもらった日を思い出します。
 思い出に浸っちゃうところを、師匠に引き戻されました。センさんの腕に手刀が振り下ろされ、後ろから抱きしめられちゃいましたので。
 
「どさくさに紛れて、アニムに触るな。大体、自分の妻の前で他の女とじゃれるとは良い度胸だ」
「可愛い女の子は、正義よ」
「だってさ」

 物静かな顔立ちに似合わない様子で、拳を振り上げたのはディーバさんでした。センさんは動揺する気配もなく、むしろ、でれっと頬を緩ませています。幸せそうに、ディーバさんの頭を抱えます。
 ディーバさん、容姿は美少女そのものなのに。ギャップ萌えです。素敵です。
 じゃなくって! すっかり忘却の彼方なことが!




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